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人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/703.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 17:56:19: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本のミュージシャン 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 06 日 16:40:09)

人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日)


美空ひばり 人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%80%80%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%B8%80%E8%B7%AF+  

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コメント
1. 中川隆[-14684] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:00:57 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[59] 報告
美空ひばり あの丘越えて - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A++%E3%81%82%E3%81%AE%E4%B8%98%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc

日本の女性歌手で、だれが記憶の底に残っているかといえば、それはやはり「美空ひばり」なのであります。うまいとか、声がいいとか、そんなことは、あたしには関係ない。

人に歴史あり、我々の世代が思春期のころよりヒバリを聴いていたかといえばとんでもない。

ヤクザと仲がいいと、朝日新聞にさんざん叩かれていたころ、アタシは美空ひばりは極道の情婦だと思っていた。つまらないオンナだと思っていたわけだ。
21歳で自宅に戻り、アタシは黒衣を着て生きていくことにした。
詩をやめて大学にいき、就職をし、両親を安堵させようと決めたのだ。
観音様のもとに還るのは50過ぎてだから、それまでは、異星の地球で生きていくと。

人生を巡航するには楽しみごとが必要だから、それは、思索・車・囲碁・音楽・絵画・セックスとした。

アタシは凝り性だから、その道をいくと決めたら、けっこうコダワル。
そして、ひとの話を聞くのは大嫌いだから、ほとんど、ひとりで始める。
時間もかかるし、遠回りもする。
こーゆう人間は社会から受け入れられないから大成しない、せいぜい、大家業で「お山の大将」となるだけだ。

音楽も、全部聴かないといけないと、思った。
16歳で高校入学のお祝いに買ってもらったステレオ、うれしくてレコードを買ってきた。
最初に聴いたのはペレス・プラードのラテン音楽。
そしてジャズ・クラシック・邦楽・歌謡曲・カンツオーネ・シャンソン・南米やアフリカの音楽。

で、ひばりが体調を崩しはじめたころ、死ぬ前にいちどきちんと聴かないといかんと思って、全集を買ってきた。

いや、あなた、ヒバリの裏声を聴いたときには驚いた。
当時はALTECの416ってスピーカーにホーンをのせて聴いていたんですが、地声から裏声にのせていくところで、声の太さ、肉感が衰えないどころか、自在に強弱、響きを変化させていく。
天童よしみのような、太いだけの腑抜けな声質じゃなく、魂のコアが粒子となって詰まっている。

じっと耳を澄ませて聴いていると、たとえようもない寂しさをたたえて歌っている曲が多い。

あの丘越えて、っていう唄があります。
この歌詞は、ひばりが天才であるが故に生涯背負うであろう孤独を、万城目正+菊池一夫が見抜いて創り上げた名作なのですが、多くの国民は単なる恋愛歌だと思っている。

この歌を、ひばりは生涯に何百回も歌っているのでしょうが、40過ぎに歌っているのを聴くと、寂しさの通低感に驚く。

30代のころの熱い歌い方とまったくちがう。
後楽園コンサートの放映をみて、おそらくヒバリは私のなかで確固としたものになった。

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

激痛の中で歌うヒバリをみて、ファン層が根本的に入れ替わったといわれた時です。
ピカソと同じで芸が進化かつ深化していく、天才。
悲しい酒は、なんど、装置の調整に使ったかわからない。


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc


ベースが低くテンポを刻むなかで、彼女の細からず・太からず・消え入りそうで消えない声を再現しようと。。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/

2. 2021年12月10日 10:59:13 : Ody43AKNio : eVlvWFdmS3lQSms=[13] 報告
かとう 哲也(かとう てつや、1941年1月15日 - 1983年10月24日)は、日本の俳優・歌手・芸能プロモーター。三代目山口組(組長は田岡一雄)系益田組(組長は益田佳於)舎弟頭。本名:加藤益夫、元の芸名は小野透。

実姉に美空ひばり・佐藤勢津子
(ひばり・哲也の死後に演歌歌手としてデビュー)、実弟に香山武彦、実子に加藤和也(後にひばりの養子になった)がいる。


経歴
1957年 小野透の芸名でコロムビアより歌手デビュー。
1958年 東映「ひばりの花形探偵合戦」で映画デビュー。
1959年 東映「台風息子 花形三銃士」で初主演。
1960年 東映は第二東映(1年後にニュー東映と改称)を設立し、制作本数を倍増して日本映画界の売上50%のシェアを目指し、小野透ら若手の主演映画を多く制作。東映「殴りつける十代」、「波止場野郎」、「嵐の中の若者たち」に主演。
1961年 東映「銀座野郎」、「ネオンの海の暴れん坊」、ニュー東映「飛ばせ特急便 深夜の脱獄者」、「飛ばせ特急便 魔の十八号線」、「台風息子 お化け退治」、「台風息子 冒険旅行の巻」、「風の野郎と二人づれ」、「銀座の旅笠」に主演。
1962年 ニュー東映は客が入らず解散。小野透の主演映画もなくなる。ひばり主演の東映「民謡の旅・桜島 おてもやん」出演を最後に芸能界を引退。
1963年3月、横浜市磯子区間坂のひばり御殿こと美空ひばり邸に家宅捜索が入る。小野透の他には山口組系益田組の5人が賭博幇助容疑、賭博開帳図利等で逮捕される。京都での賭博以外にひばり御殿でも1962年7月から賭博を行っていたことが発覚する。
1964年 拳銃不法所持で逮捕される。
1966年 傷害、暴行、拳銃密輸で逮捕される。
1969年 かとう哲也の新芸名で芸能界復帰。美空ひばり公演に参加するようになる。歌手円山鈴子(後の女優円山理映子)と結婚。ハワイの新婚旅行にはひばりや母たちも同行。10ヶ月で離婚。
1971年 実子、和也誕生。
1972年 暴行で逮捕される。
1973年 1月、三代目山口組系益田組(組長は益田佳於)の舎弟頭であることが発覚。日本縦断興行だった「美空ひばり」ショーが、警察の要請により、各地で締め出された。
1973年 賭博開帳図利等で逮捕される。執行猶予付きの判決を受けるが、1974年に「保護観察中も暴力団と付き合った」として執行猶予が取り消されて収監される[1]。出獄後は任侠界と絶縁。
1977年 実子、和也がひばりの養子になる。
1981年 ひばりプロダクションの社長に就任。
1983年 心不全のため逝去。42歳没。法号は 浄顕院義照日哲居士。墓所は横浜市営日野公園墓地にある。加藤家の菩提寺は港南区の唱導寺。家族(増吉・喜美枝・和枝・武彦)は、法号に本名の一文字が含まれるが、かとう哲也に関しては「日哲」というように芸名からの一文字が使用されている。


作曲作品
『思い出と一人ぼっち」(1968年/小野透名義)
『少しの間サヨウナラ」(1968年/小野透名義)
『好きになってしまったわ』(1968年/小野透名義)
『唇に花シャッポに雨』(1968年/小野透名義)
『熱祷』(1968年/小野透名義)
『夜明けまで』(1968年/小野透名義)
『メナムの花』(1969年/小野透名義)
『恋のパープル・レイン』(1969年/かとう哲也名義)
『風の恋人たち』(1969年/かとう哲也名義)
『女飛車角』(1969年/かとう哲也名義)
『人生一路』(1970年/かとう哲也名義)
『人生将棋』(1970年/いずみ進名義)
『かなしいお話』(1971年/かとう哲也名義・作詞作曲)
『雨とさくらんぼ』(1971年/かとう哲也名義)
『花の不死鳥』(1971年/かとう哲也名義)
『ふるさとはいつも』(1971年/かとう哲也名義)
『女の人生』(1971年/かとう哲也名義)
『母』(1972年/かとう哲也名義)
『思い出の鞄』(1972年/かとう哲也名義)
『清水次郎長』(1973年/かとう哲也名義)
『雨の日記』(1974年/いずみ進名義)
『海にむかう母』(1977年/いずみ進名義)
『悲しい嘘』(1978年/かとう哲也名義)
『月下美人』(1978年/かとう哲也名義)
『涙のふきだまり』(1978年/かとう哲也名義)
『私はおんな』(1990年/かとう哲也名義)*没後発表

姉:美空ひばりは『熱祷』『人生一路』『人生将棋』の三曲をNHK紅白歌合戦にて歌唱している。


メディアでの使用
『ひとり行く』(1969年/小野透名義)
テレビドラマ『無用ノ介(伊吹吾郎主演版)』主題歌。
『江戸ッ子佐七』(1971年/かとう哲也名義)
テレビドラマ『人形佐七捕物帳(林与一主演版)』オープニング主題歌。
※いずれも、長姉の美空ひばりが歌っている、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%81%86%E5%93%B2%E4%B9%9F

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