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今後の世界経済/田中宇
http://www.asyura2.com/23/hasan136/msg/368.html
投稿者 藪素人 日時 2024 年 4 月 23 日 09:49:35: BhHpEHNtX5sU2 5U2RZpBs
 

今後の世界経済/田中宇
https://tanakanews.com/

 【2024年4月21日】
 非米側はすでに資源類も巨大消費市場も製造技術も持っている。今のような米国側と非米側の決定的な分断が25年も続けば、非米側だけで世界を長期に繁栄させる体制を作れる。米欧日は、今よりずっとショボくなる。
 非米側が先進国で、米国側が後進国になる。発展途上でなく、衰退中のあわれな後進国だ。  

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コメント
1. マカロン[207] g32DSoONg5M 2024年4月23日 19:18:48 : Ff3V5DnlIE : NC80bTBldjRiOWM=[197] 報告
<▽40行くらい>
【日銀基準貸付金利の推移】

83年10月〜85年12月 :日銀貸付金利5%
86年1月〜2月 :日銀貸付金利4.5%
86年3月 :日銀貸付金利4%
86年4月〜10月 :日銀貸付金利3.5%
86年11月〜87年1月 :日銀貸付金利3%
87年2月〜89年4月 :日銀貸付金利2.5%
89年5月〜9月 :日銀貸付金利3.25%
89年10月〜11月 :日銀貸付金利3.75%
89年12月〜90年2月 :日銀貸付金利4.25%
90年3月〜7月 :日銀貸付金利5.25%
90年8月〜91年6月 :日銀貸付金利6%
91年7月〜10月:日銀貸付金利5.5%
91年11月 :日銀貸付金利5%
91年12月〜92年3月 :日銀貸付金利4.5%
92年4月〜6月 :日銀貸付金利3.75%
92年7月〜93年1月 :日銀貸付金利3.25%
93年2月〜8月 :日銀貸付金利2.5%
93年9月〜95年3月 :日銀貸付金利1.75%
95年4月〜8月 :日銀貸付金利1%
95年9月〜2001年1月 :日銀貸付金利0.5%
2001年2月 :日銀貸付金利0.35%
2001年3月〜8月 :日銀貸付金利0.25%
2001年9月〜2006年6月:日銀貸付金利0.1%
2006年7月〜2007年1月:日銀貸付金利0.4%
2007年2月〜2008年9月 :日銀貸付金利0.75%
2008年10月〜11月 :日銀貸付金利0.5%
2008年12月〜 :日銀貸付金利0.3%

https://www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/ir01_m_1.html


【日米関係並びに日本政界と日銀の簡易年表】

1979年12月17日〜1984年12月16日
日銀総裁 前川春雄 (日銀出身)
(前川レポート)

1982年〜1986年
シカゴ学派のミルトン・フリードマンが日銀顧問

1982年10月
田中派の後押しで中曽根内閣が発足

1984年12月17日〜1989年12月16日
日銀総裁 澄田智(大藏出身)

1985年2月7日
竹下登「創政会」旗揚げ総会
1985年2月27日
田中角栄が脳梗塞で倒れる
1985年8月12日
日航機123便墜落事故
1985年9月22日:プラザ合意
(当時240円/ドルだった円/ドルが、1年数ヶ月で120円/ドルに急騰)
→円高不況へ(日銀貸付金利5%)
→マネタリーベース大幅拡大&各行への貸出金を大幅に増やす&窓口指導を超強化
→バブル発生

1986年
日露戦争時の円借款を元利とも完済
1986年9月2日
日米半導体協定
(当時世界シェア50%超だった日本の半導体シェアが、大幅に縮小)

1987年5月
竹下派「経世会」が旗揚げ

1988年〜
牛肉オレンジ自由化問題

1989年12月17日〜1994年12月16日
日銀総裁・三重野康 (日銀出身)
マスコミが平成の鬼平と名づける。

1989年〜90年:日米構造協議

1993年:日米包括経済協議

1994年:年次改革要望書

2003年3月20日〜2008年3月19日
日銀総裁・福井 俊彦(日銀出身)
…バブル時、澄田総裁の元で、銀行の窓口指導部長として剛腕を奮う。


2. 岩宿[109] iuKPaA 2024年4月25日 16:50:37 : vngmrVb6Oo : N0lsOWIvTzBJYi4=[150] 報告
世界経済のドル高は米国経済をインフレから救うはずが、そうなっていない。ドル高の真の原因は米国以外の国の経済政策の失敗が大きな原因になっている。

世界には、ドル高で苦しむ国が多い。日本のその一つだ。ドル高というよりも、世界から取り残された日本の円安問題も政策の失敗が原因だ。この問題が、とうとう不治の病気になってしまったのが残念だ。庶民はマネーを一層使わなくなる。節約志向の冬眠は自国通貨安で苦しむ国民の常とう手段である。世界経済は需要減退期に入ったといえる。

円安1ドル155円目前 中東情勢も不安定化…大規模金融緩和をやめた植田日銀 4月はどう動く!?【経済記者インサイト】(2024年4月24日)

https://www.youtube.com/watch?v=H8VScElmz4s

----------
異次元金融緩和の間、日本国内の実質消費の量は増えなかった、また、投資の需要も住宅や不動産投資に偏ってしまった。

実質賃金の上昇を支える生産性が上昇しなかった理由は、投資先の需要が変質していたからである。

異次元に近い低金利の環境でしか存続できなくなった日本政府と民間の多くの債務者の存在こそ長期に及ぶ異次元金融緩和の産物である。


3. マカロン[213] g32DSoONg5M 2024年4月26日 12:26:37 : Ff3V5DnlIE : NC80bTBldjRiOWM=[203] 報告
<▽43行くらい>
>>1

【簡略 歴史年表 修正版】
1982〜86年
シカゴ学派のミルトン・フリードマンが日銀顧問に就任。
*前川総裁と澄田総裁時の日銀顧問。
*フリードマン(ユダヤ系)は、新自由主義経済の提唱者。シカゴ学派の根底にある考え方は「リバタリアニズム」。
(リバタリアニズムとは、徹底的に自由なことが素晴らしい、人に迷惑をかけない限り、何をやってもいい、徹底的に自由なことが善である、とする考え方。)

1979年12月17日〜1984年12月16日
日銀総裁 前川春雄 (日銀出身)(前川レポート)

1982年10月
田中派の後押しで中曽根内閣が発足

1984年12月17日〜1989年12月16日
日銀総裁 澄田智(大藏出身)

1985年2月7日
竹下登「創政会」旗揚げ総会

1985年2月27日
田中角栄が脳梗塞で倒れる

1985年8月12日
日航ジャンボ機123便墜落事故

1985年9月22日
プラザ合意(240円だった円/ドルレートが、1年数ヶ月で120円へ急騰)
→円高不況→日銀が超金融緩和&窓口指導強化→バブル発生
(85年9月の公定歩合5%→86年1月の4.5%を皮切りに徐々に下げて、87年2月2.5%まで低下→89年10月3.75%→89年12月4.25%)

1986年:
日露戦争の円借款を元利とも完済

1986年9月:日米半導体協定(世界シェア50%近かった日本の半導体産業が壊滅)

1987年5月
竹下派「経世会」が旗揚げ

1987年11月
竹下登内閣発足

1988年〜
日米牛肉オレンジ自由化問題勃発

1988年6月18日
リクルート事件発覚 東京地検特捜部

1989年〜
日米構造協議

1989年1月7日
昭和天皇が崩御

1989年4月1日
竹下内閣、消費税導入3% 開始

1989年11月9日
ベルリンの壁崩壊

1989年12月17日〜1994年12月16日
日銀総裁・三重野康 (日銀出身)

1989年12月29日(大納会)
日経株価3万8957円44銭

1990年1月初め
年初から東京株式市場が暴落開始
(ウォール街が一斉に裁定取引を開始。当時の日本では、裁定取引は知られてなかった)
*バブル崩壊

1991年12月
ソ連崩壊 →米国が名実ともに、世界唯一の超大国となる。

1991〜92年
米国が新たに新世界戦略策定
*新世界戦略における敵国は、日本、ドイツ、ロシア、中国の4カ国。
(新たな世界戦略は、米国だけが唯一の超大国であり続けて一極支配を続ける為の戦略で、各地域で力を持ちそうな国を叩き潰す戦略。)

1992年2月〜
佐川急便事件 東京地検特捜部

1993年
日米包括経済協議

1994年〜
年次改革要望書

1996年9月〜
橋本内閣の省庁再編を内々で目論む

1997年4月
橋本内閣、消費税5%へup →デフレ突入

1998年1月〜
ノーパンしゃぶしゃぶ事件発覚
(マスコミが猛バッシング。
真偽不明だが、一説によると、この事件を切っ掛けとして大蔵省内の減税派が左遷されて壊滅)

2001年
省庁再編で大蔵省の名前が消える。

2003年3月20日〜2008年3月19日
日銀総裁・福井 俊彦(日銀出身)
…バブル時、澄田総裁の下で銀行の窓口指導部長として剛腕を奮う。

4. ボキ[109] g3uDTA 2024年4月27日 08:11:28 : xJbz8F86rg : aVNZN0sucHlsVXM=[611] 報告
例えば、関税800%の米が、海外で人気なのは富裕層だけで、人口の1%、8000万人で国内需要と同等。吟醸酒なら米を多く削るのでコスパが落ちて、儲けは転売屋。関税の恩恵を十分に受けていないのが米農家の現状で、米農家を関税で守るのでなく、苗やトラクター、輸送費などを無料にした方が得になり、いわゆる国営にして米農家の公務員化。その分、赤字額が上昇するが、インディカ米の価格は安くなる。バカ丸出しの日本政府を放っておく国民もどうかしていて、政府を黒字にする必要性は皆無で、赤字が当たり前。
5. マカロン[242] g32DSoONg5M 2024年5月07日 15:42:07 : Ff3V5DnlIE : NC80bTBldjRiOWM=[232] 報告
ジャーナリストの山口氏によれば、4月に訪米した岸田首相は、
"米国の9兆円のウクライナ支援を日本が肩代わり(債務保証する)""密約"をして来たそうです。
これまでして来たウクライナ支援と合わせて、日本が負担する金額は、総額12兆円超えになるそうです。
更に、これ以外にも、ウクライナが世界銀行から借りたお金の保証人に日本がなっています。

[米国下院で急転直下、予算が成立するまでの時系列 ]
2/10 米国下院予算案否決
4/11 岸田、ジョンソン下院議長会談、(議会演説の前に会談)
4/11 岸田首相、米国連邦議会上下院の指導部と懇談、
4/11 岸田首相が米国議会で演説
4/13 下院議長(共和党)マイク・ジョンソン、フロリダでトランプと会談
4/14 共和党関係者からtel
『日本が、アメリカのウクライナ支援の肩代わりをするというのは、本当か?』
4/19 下院で予算案採択へ
4/20 予算案成立


[05/05 山口敬之チャンネル生放送】「岸田9兆円対米売国密約の証拠群」]
https://m.youtube.com/watch?v=T0_rqe9sWIE

6. マカロン[1251] g32DSoONg5M 2025年11月20日 14:32:55 : 60yfgd8Jh2 : RTJxbkZINnRYdy4=[903] 報告
<■130行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
リチャード・ワーナーとなっていますが、リチャード・ヴェルナーが正しい表記だと思います。
リチャード・ヴェルナー氏の著書『円の支配者』とその後の関連著書は、余程、誰かさん達にとって都合が悪かったのか、今では入手が非常に困難です。図書館にも置いてないとか。
日本のバブルとバブル崩壊、その後の日本経済を考える上で、とても参考になる動画です。

[リチャード・ワーナーがFRBの悪と銀行、戦争、CIAのつながりを暴露(タッカー・カールソン)]
https://m.youtube.com/watch?v=StTKHskg5Tg&pp=ugMGCgJqYRABugUEEgJqYcoFHuODquODgeODo-ODvOODieODtOOCp-ODq-ODiuODvNgHAQ%3D%3D

[吹き替え音声付き]
https://m.youtube.com/watch?v=n2u9UT2v2uU&pp=ygUe44Oq44OB44Oj44O844OJ44O044Kn44Or44OK44O8

[動画『円の支配者たち:日本経済バブル崩壊の真相と信用創造理論』
リチャード・ワーナー×タッカー・カールソン]
https://alzhacker.com/princes-of-the-yen-the-truth-behind-japans-economic-bubble-collapse-and-credit-creation-theory/


【彼らは何を言ったのか】-020- 経済学者ジェフリー・サックス:「日本のバブル崩壊は...」
https://m.youtube.com/watch?v=EBoIuaEhzDE&pp=ygUe44K444Kn44OV44Oq44O844O744K144OD44Kv44K5

【簡略 歴史年表 再修正版】
◯1982〜86年
ミルトン・フリードマン(シカゴ学派)が日銀顧問に就任。
*前川総裁と澄田総裁時の日銀顧問。
*フリードマン(ユダヤ系)は、新自由主義経済の提唱者。
シカゴ学派の根底にある考え方は「リバタリアニズム」。
(リバタリアニズムとは、徹底的に自由なことが素晴らしい、人に迷惑をかけない限り、何をやってもいい、徹底的に自由なことが善である、とする考え方。)

◯1979年12月17日〜1984年12月16日
日銀総裁 前川春雄 (日銀出身)(前川レポート)

1982年10月
田中派の後押しで中曽根内閣が発足

◯1984年12月17日〜1989年12月16日
日銀総裁 澄田智(大藏出身)

1985年2月7日
竹下登「創政会」旗揚げ総会

1985年2月27日
田中角栄が脳梗塞で倒れる

1985年8月12日
日航ジャンボ機123便墜落事故

☆1985年9月22日
プラザ合意
(240円だった円/ドルレートが、1年数ヶ月で120円へ急騰)
→円高不況→日銀が超金融緩和&窓口指導強化→バブル発生
(85年9月の公定歩合5%→86年1月の4.5%を皮切りに徐々に下げて、87年2月2.5%まで低下→89年10月3.75%→89年12月4.25%)

1986年:
日露戦争の円借款を元利とも完済

1986年9月:
日米半導体協定
(世界シェア50%近かった日本の半導体産業が壊滅)

1987年5月
竹下派「経世会」が旗揚げ

1987年11月
竹下登内閣発足

1988年〜
日米牛肉オレンジ自由化問題勃発

1988年6月18日
リクルート事件発覚 東京地検特捜部

1989年〜
日米構造協議
→1993年宮澤首相とクリントン大統領による「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」
→ 1994年 年次改革要望書
→ 2009年 鳩山政権が年次改革要望書を廃止
→ 2011年3月〜日米経済調和対話(管首相、安倍首相、オバマ大統領)

1989年1月7日
昭和天皇が崩御

1989年4月1日
竹下内閣、消費税導入3% 開始

1989年11月9日
ベルリンの壁崩壊

◯1989年12月17日〜1994年12月16日
日銀総裁・三重野康 (日銀出身)

1989年12月29日(大納会)
日経株価3万8957円44銭

1990年1月4日
年初から東京株式市場が暴落開始
(年明け早々、ウォール街が、一斉に裁定取引を開始。当時の日本では、裁定取引は知られてなかった)
*バブル崩壊

1990年3月27日(〜91年12月)
大蔵省による総量規制
*大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制」について

1991年12月
ソ連崩壊
→ 名実ともに、米国が世界唯一の超大国となる。

1991〜92年
米国が新たに新世界戦略策定
*新世界戦略における敵国は、日本、ドイツ、ロシア、中国の4カ国。
(新たな世界戦略は、米国だけが唯一の超大国であり続け、一極支配を続ける為の戦略で、各地域で力を持ちそうな国を叩き潰す戦略。)

1992年2月〜
佐川急便事件 東京地検特捜部

1993年
日米包括経済協議

1994年〜
年次改革要望書

◯1994年12月17日
日銀総裁・松下康雄(大蔵)

1996年9月〜
橋本内閣の省庁再編を内々で目論む

1997年4月
橋本内閣、消費税5%へup →デフレ突入

1998年1月〜
ノーパンしゃぶしゃぶ事件発覚
(マスコミが猛バッシング。
真偽不明だが、一説によると、この事件を切っ掛けとして大蔵省内の減税派が左遷されて壊滅)
→三塚蔵相と松下日銀総裁が引責辞任

1998年3月20日
日銀総裁・速水優(日銀)

2001年
橋本首相時の省庁再編の実行で、大蔵省の名前が消える。

2003年3月20日〜2008年3月19日
日銀総裁・福井 俊彦(日銀出身)
…バブル時、澄田総裁の下で銀行の窓口指導部長として剛腕を奮う。

=======

【日銀基準貸付金利の推移】

(前川総裁、84年12月17日澄田総裁)

83年10月〜85年12月 :日銀貸付金利5%
86年1月〜2月 :日銀貸付金利4.5%
86年3月 :日銀貸付金利4%
86年4月〜10月 :日銀貸付金利3.5%
86年11月〜87年1月 :日銀貸付金利3%
87年2月〜89年4月 :日銀貸付金利2.5%
89年5月〜9月 :日銀貸付金利3.25%
89年10月〜11月 :日銀貸付金利3.75%

(89年12月16日澄田総裁、89年12月17日三重野総裁)

89年12月〜90年2月 :日銀貸付金利4.25%
90年3月〜7月 :日銀貸付金利5.25%
90年8月〜91年6月 :日銀貸付金利6%
91年7月〜10月:日銀貸付金利5.5%
91年11月 :日銀貸付金利5%
91年12月〜92年3月 :日銀貸付金利4.5%
92年4月〜6月 :日銀貸付金利3.75%
92年7月〜93年1月 :日銀貸付金利3.25%
93年2月〜8月 :日銀貸付金利2.5%

(94年12月16日三重野総裁、94年12月17日松下総裁)

93年9月〜95年3月 :日銀貸付金利1.75%
95年4月〜8月 :日銀貸付金利1%

(98年3月19日松下総裁、98年3月20日速水総裁)

95年9月〜2001年1月 :日銀貸付金利0.5%
2001年2月 :日銀貸付金利0.35%
2001年3月〜8月 :日銀貸付金利0.25%

(2003年3月19日速水総裁、2003年3月20日福井蔵相)

2001年9月〜2006年6月:日銀貸付金利0.1%
2006年7月〜2007年1月:日銀貸付金利0.4%
2007年2月〜2008年9月 :日銀貸付金利0.75%
2008年10月〜11月 :日銀貸付金利0.5%
2008年12月〜 :日銀貸付金利0.3%

https://www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/ir01_m_1.html

【バブル前〜バブル後の日銀総裁と退任後の経歴】

◯ミルトン・フリードマン 1982年10月〜1986年10月 日銀顧問

◯ 前川春雄(1979年(昭和54)12月17日〜1984年(昭和59)12月16日) 日銀
『前川リポート』
1985年 経済構造調整研究会座長
1986年 国際電信電話会長

◯ 澄田智氏(1984年(昭和59)12月17日〜1989年(平成元)12月16日) 大藏
*澄田・ボルカー会談
(1985年 利下げを前向きに検討するとの言質をボルカーに与えた会談)
退任後、仏投資銀行ラザール・フレール顧問
1991年 - 金融制度調査会会長
1993年 - 日本ユニセフ協会 会長(〜2008年2月)

◯ 三重野康 (1989年(平成元)12月17日〜1994年(平成6)12月16日) 日銀
*『平成の鬼平』
1995年〜1999年杏林大学社会科学部及び総合政策学部で客員教授
2002年〜2004年杏林大学大学院国際協力研究科の客員教授

◯ 松下康雄 (1994年(平成 6)12月17日〜1998年(平成10年)3月20) 大藏
*ノーパンしゃぶしゃぶ事件の責任を取って任期途中退任
2000年 - 電源開発監査役

◯ 速水優 (1998年(平成10)3月20日〜2003年(平成15)3月19日) 日銀
2003年6月 財団法人歴史民俗博物館振興会理事長
2003年10月 学校法人聖学院名誉理事長、聖学院大学全学教授

◯ 福井俊彦(2003年(平成15)3月20日〜2008年(平成20)3月19日) 日銀
*澄田総裁のバブル時に銀行窓口部長として辣腕を奮う。
2008年 同総裁退任、一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長に就任
2008年4月 中央放送番組審議会委員
2008年7月 日本証券業協会公益理事
2008年11月 信越化学工業株式会社特別顧問
2008年12月 東京工業品取引所取締役・指名委員会委員長・報酬委員会委員長
2009年3月 社団法人クラブ関東理事長
2009年6月 信越化学工業株式会社取締役
2009年6月 キッコーマン株式会社取締役
2010年1月 程ヶ谷カントリー倶楽部株式会社監査役
2010年4月 アクセンチュア株式会社アドバイザリー・ボード・メンバー

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