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(回答先: スサノオは新羅系の朝鮮人 梅原猛「古代出雲王朝の謎を解く」スサノオとは何者であろうか? 「古事記」・「日本書紀」によれば… 投稿者 中川隆 日時 2025 年 5 月 25 日 19:51:50)

アカデミズムや大学の研究者が絶対に言えない日本の歴史のタブーとして有名なのは
1.天皇一族は元々ソウルに住んでいた漢民族系chousen人だった。
2.現在の天皇は神武天皇の子孫ではなかった。
3.弥生時代に満州の西遼河流域から chousen を通って日本に移住してきた渡来人の遺伝子は現代日本人と全く同じで、日本国内では日本の縄文人とは殆ど混血しなかった。
4.日本人から差別を受けてきた被差別同和部落民やアイヌ人は縄文人の直系の子孫だった。
5.日本はインドと同じ様なカースト制社会で、氏族制はカースト制そのものだった。
6.明治維新は英米と組んだ田布施のchousen人による日本の乗っ取りだった。
7.太平洋戦争は日本で共産革命が起きない様にアメリカ軍に日本を占領してもらう為に起こした八百長戦争だった。
古墳時代以降の日本は厳格なカースト制社会で、優しくて温和な日本人というのは、下級カーストの縄文系・弥生系の日本人の事です。日本の上級カーストは漢民族系chousen人で、インド アーリア人やゲルマン人・アングロサクソンに匹敵する極悪非道な侵略者、民族差別主義者でした。日本の支配階級は民主主義国となった戦後でも 漢民族系chousen 人のままなので、残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです。
下級カーストはアイヌ人・琉球人の様な二重瞼、上級カーストは天皇一族や江戸時代の侍の様な一重瞼なので、見ただけですぐに判別できます。今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人と被差別同和部落民だけです。
縄文系・弥生系の日本人は漢民族系 chousen人の お上には絶対に逆らえない農奴として1600年間生きてきたのです。日本の農民が戦後も自民党だけを支持してきたのは、下級カーストとして生き続けてきた1600年間の伝統を受け継いでいるからです。自民党の幹部は戦後から現在までずっと田布施の chousen部落出身で反日・親アメリカ、親chousen・親中国です。
日本のアジア侵略やアジア人虐殺は天皇や日本の支配層が、嫌がる下級カーストの日本の農奴に命令して行わせたものです。中国共産党は終戦後ずっと、日本のアジア侵略は日本の支配層が行なわせたものであり、日本兵も虐殺された中国人同様に被害者だと言い続けてきました。
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天皇一族は元々ソウルに住んでいた漢民族系chousen人だというのが定説です。 昭和天皇が自分で言っていた事なんです:
昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、テレビで活躍中だった。
空港まで車で三宅さんを迎えに行った。高速道路を走りながら車中で、昭和天皇の話になった。
三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。
あの騎馬民族説の江上さんですね。
そう。
天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。
Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。
と答えられたと。
三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、
もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。
現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。
昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。
いま、あのときの顔を思い出しています。
三宅さん、歯切れのいい話で、日本の左傾化に歯止めを掛けていた。
やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643
▲△▽▼
天皇は漢民族系 chousen人
天皇の様な一重瞼の人間は日本の近くにいる民族では華北の漢民族しかいない。
天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。
これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、
として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。
例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような
盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。
それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。
終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。
当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、
それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。
日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。
日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。
現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の
小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。
38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、
仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ
可能性が浮かび上がります。
(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係して
いなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)
こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで
爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。
天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、
戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において
戦争経験者が多く存在する時代ですし、
天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではない
といえるでしょう。
そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html
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