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イギリス政府とシティ、アメリカのウォール街は反共のファシズム勢力で、ヒトラーやムッソリーニの味方でした。
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投稿者 中川隆 日時 2025 年 8 月 07 日 06:11:48: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ルーズベルトは世界を共産化しようとしていた反ウォール街、反シティ、反ファシズムの共産主義者でした。 投稿者 中川隆 日時 2025 年 8 月 07 日 06:10:52)

イギリス政府とシティ、アメリカのウォール街は反共のファシズム勢力で、ヒトラーやムッソリーニの味方でした。

ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済 の事
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

▲△▽▼

イギリス政府は反共のファシズム勢力で、ヒトラーやムッソリーニの味方だった。
ドイツ軍がソ連に負けるのが確定してからイギリス政府はやっとドイツと戦い始めた。

 ナチスに支配されたドイツは1941年6月にウクライナとベラルーシへ軍事侵攻、ソ連との戦争を始めた。「バルバロッサ作戦」だ。1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。

ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まない。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。それを見てイギリスは慌てた。

 イギリスのウィンストン・チャーチル首相は1943年1月、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領やフランスのシャルル・ド・ゴールとカサブランカで会談している。「無条件降伏」という話が出てくるのはこの会談だった。この条件はドイツの降伏を遅らせることが目的だったとも言われている。米英はソ連対策を講じるための時間的な余裕が必要だった。

 1943年7月にアメリカ軍とイギリス軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、その一方、ナチスの幹部はOSSの幹部だったアレン・ダレスと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。

 その後アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などだ。こうした工作でナチスの幹部や協力者はアメリカの保護下に入り、工作にも参加することになる。

 1945年4月にルーズベルト大統領が急死、その翌月にドイツは降伏。その直後にチャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を計画、アンシンカブル作戦が作成された。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだが、イギリスの参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。

 1945年7月26日に退陣したチャーチルは大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言。FBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。

 1941年6月のバルバロッサ作戦から現在に至るまでナチズム信奉者の対ロシア戦争は続いているのだが、その背後にはイギリスやアメリカの支配層が存在している。

 原爆投下や焼夷弾による絨毯爆撃を指揮したアメリカ軍のカーティス・ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任、1954年にはソ連を破壊するために600から750発の核爆弾を投下し、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成、57年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。

 沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収されて軍事基地化が推し進められた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっているのだが、これはアメリカの核戦略と無関係ではないだろう。

 ​その頃、アメリカではICBMの準備が進み、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったルメイたちは1963年後半までにソ連を先制核攻撃するという計画をたてた​。まだソ連がICBMの準備ができていない時点で攻撃したかったのだ。その作戦の障害になっていたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。この暗殺の責任をソ連になすりつける動きもあったが、成功しなかった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202508050000/  

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