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JA解体論も出た「令和の米騒動」の"悪しき構図"/東洋経済オンライン
真鍋 厚 による
政権を揺るがすほどの大きなうねりを巻き起こした「令和の米騒動」が、ここに来て急転直下の勢いで一変している。
【画像】
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「コメを買ったことがない」発言で辞任した江藤拓農林水産大臣に代わり、新たに大臣に就任した小泉進次郎氏が「備蓄米5kg2000円」を掲げて、随意契約での売り渡しを進めたからだ。早いところではもう店頭に並んでいるだろう。
とどまるところを知らない米価高騰
米価高騰はとどまるところを知らない。農林水産省によると、全国のスーパーで5月12日〜18日に販売されたコメの平均価格は5キロあたり4285円(税込み)で、前週から17円
値上がりし、2週連続で過去最高を更新した。
3年ごとにおコメの消費状況を調べている民間調査では、「毎日2回以上食べる人」は5割弱と過去の調査と比べて減少傾向となり、おコメの摂取量が減少した理由を聞くと、「お米の価格が高くなり、購入量を減らした」が38.2%と最も多かった(お米の消費実態調査2025/2025年4月30日/マイボイスコム)。
今やコメの価格はパンを超え、パン食への移行すら促している。今年2月時点でごはん1膳分の価格は約57円となり、2年前のほぼ倍近くに上昇。
一方、6枚切り食パン1枚は約32円で、4枚切り食パン1枚は約48円となっている(「おコメが高いから、パンにしました」ってホント?食料安全保障と農業のキホンの「キ」(8)/2025年4月3日/三菱総合研究所)。
米価高騰はただでさえ物価高にあえぐ家計を圧迫し、食生活に打撃を与えた。
貧困層はもっと深刻だ。NGOの調べによれば、35%の世帯で子どもが十分な量のコメを食べられていない可能性が高いことがわかった。1年前に比べて3倍近くも増加しており、物価上昇によって子どもの健康な発育への影響が懸念されるという(日本/子どもの貧困問題解決/セーブ・ザ・チルドレン/2024年12月12日)。
急激に広まった“JA全農に対する批判”
3月下旬から始まった備蓄米放出でも事態は一向に好転せず、問題発言が原因で大臣の首が飛ぶというオチがついた。だが、1つだけはっきりとしたことがある。誰も真に国民のことを気にかけていないということであった。その事実がひたすら人々の神経を逆なでしている。
そして、JA全農に対する批判が急激に広まったのは、「一部の既得権益層が米の価格をつり上げている」という疑心暗鬼が強まり、犯人を特定したい欲求が高まっているからだ。
これは、非常に危うい兆候といえる。人々の民意が少数のエリートや既得権益層によって侵害されていると主張するポピュリズムを台頭させる絶好の機会になりうるのだ。
政治学者の吉田徹は、「持てる者と持たざる者、資本家と労働者といった『右』と『左』の対立ではなく、むしろ既存の法やルールに守られている者とそうでない者、得をしている者と損をしている者という、もう一つの分断線が引かれることになる。この分断線がポピュリズムを呼び込むのである」と述べた(『ポピュリズムを考える 民主主義への再入門』NHKブックス)。
そのうえで、吉田は、「上からのポピュリズム」と「下からのポピュリズム」という重要な分類を試みている。前者は郵政三事業(郵便、簡易保険、郵便貯金)の民営化を推し進めた小泉政治を、後者は非正規雇用者による格差是正などを求めた「プレカリアート運動」を例に挙げている。
この分類を踏まえると、JA=「得をしている者」、国民=「損をしている者」という対立軸を作り出すJA悪玉論は、「下からのポピュリズム」といえる。
昨年12月に始まった財務省解体デモや、受信料をめぐってつねに火種がくすぶるNHK批判などにも同様の特徴が見られる。この場合において最も懸念されるのは、これらの「下からのポピュリズム」が「上からのポピュリズム」によって都合良く利用される事態だ。
特定の団体などを既得権益にまみれた抵抗勢力、敵対勢力と認定することによって広い支持を獲得し、その勢いに便乗して自分たちの目的を達成するのである。
さまざまな要因が複合的に絡み合っている
実際のところ、米価高騰は様々な要因が複合的に絡み合っている。事実上の減反政策の継続や農家の高齢化、近年の記録的猛暑などの気候変動、コロナ禍後の需要回復、さらには外国人観光客の増加やインフレなど、中長期的なものから短期的なものまでが影響を及ぼして複雑化させている。
そこにおいて上記の減反政策が典型といえるが、すでに多くの識者が厳しく論評している通り、農水省、JA側の問題も根深いものがある。しかしながら、結局のところ食料の供給体制の脆弱性に危機感を持って取り組まなかった政治の責任なのだ。
しかも、「自分たちの票田のことだけ」「次の選挙のことだけ」しか頭にない政治家たちの恐ろしいほど軽薄で鈍感な態度は、かえってその背後に何かしらの謀略があるかのような穿った見方を深めていく余地を与えてしまう。
そうして、米価高騰に伴う苛立ちや不満が爆発寸前にまで膨れ上がった「下からのポピュリズム」は、この閉塞感を打開することを約束して注目を集めるポピュリスト政治家の「上からのポピュリズム」とその近視眼的な欲望において一致するのだ。つまり、「備蓄米5kg2000円」の早期実現である。
行き着く先は、平成の小泉劇場の二の舞に?
哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、「熱意を焚きつけたり、扇動的スローガンに頼ったりせずに、理性的な専門政治と実利的なアプローチを通して国民の生活を守ると約束する、明らかなポピュリズム・アピールを伴う政治運動(左派でも右派でもなく、人々の「真の利益」のために働く)」を「テクノ・ポピュリズム」と呼んだが、これが日本のポピュリズムシーンにおいても定着しつつある(『戦時から目覚めよ 未来なき今、何をなすべきか』富永晶子訳、NHK出版)。
ここにおける「真の利益」を意味するものは、「本質的な課題解決とはならないが、当面の生活上の便益となりうる政策」を指すと言い添えることができるだろう。
例えば、国民民主党の「手取りを増やす」政策は、賃上げが本丸だがこれをいきなりやり遂げることは不可能である。そのため、基礎控除などを103万円から178万円に拡大するなど、減税や社会保険料の軽減などを「真の利益」として前面に押し出す手法を採用した。
米価高騰に対する「備蓄米5kg2000円」政策に置き換えれば、長期的な安定供給体制の確立が根本の課題としてあるが、それは既存のシステムを激変させる大掛かりな取り組みになるので、賞味期限切れのセール品のような古古古米を高騰前の価格帯で提供することを「真の利益」としてプレゼンスを高める妙案となる。
このような構図において、ポピュリスト政治家のヒーロー化(小泉米!)と米価高騰に固執する勢力のヒール化(JA解体論!)は、物語としてあまりに強力でかつ魅力的である。けれども、今後繰り広げられるかもしれない小泉大臣のさまざまな大ナタが、わたしたちの生活を良くしてくれる保証はどこにもない。
一時の熱狂と目先の利益にとらわれて、かつての小泉政権による郵政民営化のような展開が待ち構えている可能性は否定できない。「令和の米騒動」の行き着く先が、「下からのポピュリズム」という上昇気流にあおられて、平成の小泉劇場の二の舞を演じることになるのか。令和の小泉劇場の正体を冷静に見極める必要があるだろう。
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