http://www.asyura2.com/25/bd64/msg/131.html
Tweet |

「有史以前から神々は神殿をもっていた。時代が経過するにつれ、最終的に多くの神々が存在するという概念はうち棄てられた。たった一つの神という概念が生み出されたのは、ヘブライと呼ばれる人々の手によって作られた聖書においてである。この「唯一神」には、それまでとは異質な特筆すべき神概念が取り入れられている。この神が独特なのは、神殿は不要であると言った点である。しかしながら、度重なる要望に応えて、この異質な神は、不本意ながらも、神話の人物ソロモンに神殿を建てることを許可した。「唯一神」という概念は、人間の思考に対して一種の魔術的な力をもっており、止血帯のように、考えることを停止させる働きをする。それは特に、日常的な風景の中にミルコム神殿のモロク神を隠す効果をもたらしている。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 150頁)
「イスラエルが地名だというのは誤解である。もちろん、こんなことを言うと、何百年間も人間がやって来たことを否定することになる。多くの宗教もイスラエルを土地の名前として教え伝えている。「ユダヤ人」を自称(詐称)する人々にとって「イスラエル」は、(欺き騙す)「ユダヤ」思想の核心をなす重要な土地である。原理主義プロテスタントなどのキリスト教各派もイスラエルを土地の名前だと考えている。彼らは、聖書で神が存在すると言っているからイスラエルは存在するはずだと主張する。イスラエルという土地に、「エルサレム(新たな平和)」という聖都がなければならないと言う。現在のイスラエルが聖書の中で「ユダ」として記述されている場所にあるにもかかわらず、現状のイスラエル国とエルサレムは聖書の言い伝えによるものだと考えている人がいる。都市エルサレムは聖書のユダに存在していたが、決してイスラエルには存在していない。
あちこちから盗用して搔き集めた話をさんざん書き換えて編集して出来た聖書にある通り、神は「イスラエル」を、神自らが「選んだ民」の土地として与えた、と信者は言い張る。古代イスラエル人に関する聖書の話は、よく史実であると表現される。聖書が歴史を記したものであるという証拠は何一つないが、なぜか多くの研究者は記録された史実として扱っている。信者が自明のごとく歴史上存在すると主張する「イスラエル」や「選ばれた民」を示す証拠が全くないことは驚くべきことである。才能豊かなラビであるエルマー・バーガーでさえも、「実際のところ、現在のイスラエル国家がユダヤ人の先祖代々の祖国であることを歴史的に証明するものはない」と言ったそうである。聖書の預言は「私はエルサレムを全ての人間にとって苦難の石とする。その石を背負うものは例外なく痛みを伴って傷つくであろう」と宣告する。ロンドンの首席ラビは、第二次世界大戦の前、(よくあることだが)表向き飛び降り自殺と処理される高所からの落下死の少し前に、「シオニスト国家イスラエルを考え出したのはユダヤ人に対する罠である」と公言した。
聖書に縁のない宗教の人々にとって「選ばれた民」のために「特別な土地(約束の地)」があるという話は、意味不明なだけでなく、おそらくは恐怖心すら搔き立てられる、実に傲慢な態度に思えるだろう。不義不正を許せない生真面目な人であれば、セム人(実際はセム人ではないのだが)の優越性をことさら強調することで論外なケンカを売っているのではないかと受け取るはずである。あるいは弱者を騙す狡猾な陰謀をそこに嗅ぎ取る人もいるだろう。こうした困惑に応えるためであろうが、最近は、セム系の宗教の考え方を拒絶する様々なイデオロギーが登場しつつある。「選ばれた民」と「イスラエルという土地」の物語には、邪悪な想念が含まれていると言う人もいる。彼らは聖書の神話と政治的な国家を一緒くたにしている。イスラエルの民族国家は北米の政治という身体に出来た政治的な悪性腫瘍であることを示唆する数多くの報告をインターネットで見ることが出来る。レーニンの預言では「イスラエルは死をもって償うしかない、口にすることをはばかるような行為をするだろう」と予測しているが、預言者たちが語っているのが、個人のことなのか、国家のことなのかは、はっきりしていない。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 172-175頁)
「善の仮面を被り悪さをする集団らの洗脳が次々に解かれゆき、真の人の姿に戻ってゆくぞ。人々は真の世を生み出してゆくのぞ。悪魔は立ち去りてもう関われぬ世となりておるのぞ。悪魔らの洗脳にかかりし者らは、生命殺めること正義といたし、選民意識に囚われておるぞ。元からある仕組みに、選民意識は無いのであるぞ。毒を撒きて、人々に死すことの妄想を洗脳いたしている者たちよ、目を醒ます時が訪れておるぞ。」(大日月地神示 四十)
「選民思想、悪魔思想と同じぞ。特別視されても真の喜びにはならんのぞ。皆々個々初めから違いて特別であるのじゃから、後にも先にも特別にはなれんのぞ。上下作りて差別視するは、悪魔に使われし意識低き僕どもであるから、早う目醒まされよ。」(大日月地神示 四十)
「秘儀の文献によれば、ここには、宇宙的な勢力が働いていることが判明している。地名としての「イスラエル」という発想に対して、もし地名という考えを横に置いておけるのであれば、より深い知識を受け入れることが可能になり得る。「イスラエル」という名前の本当の完全な意味は「エロヒーム対して継続的に勝利する戦い」という宇宙的な感覚で理解されることになる。地球上の生命に関連するものとしての「エロヒーム」の定義は、「全ての存在と生命が、人間に対して開かれたあらゆる可能性に向かって進化するプロセス」として理解しておく。「イスラエル」という言葉は生命そのものを指している。「イスラエル」は、全ての生物の有機的機能を動かしている全プロセスのことである。この全プロセスは、光合成の触媒の神秘として認識すると最も理解しやすい。人々や土地についての聖書の神話とは違って、イスラエルは、「始まりと存続」に関する科学を指す暗号なのである。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 180-181頁)
「守られていない人類の義務「自然と調和しながら繁栄させる」
聖書の創造の物語に出てくる自然と人類は、モロク神のドグマによって駆り立てられた交換(取引)と商業(コマース)のプリズムを通して対比して眺めると一番分かりやすい。聖書の創造について記された章節をみると、地球の世話人(スチュワード)管理受託契約を締結した時に、「モロク神」という敵対勢力の存在を想定していなかったようである。地球の世話人契約は、創世記に概要が述べられているように、神と人間の間の「健全な取引」である。その取引とは、人間が「神の代理執事となって」創造された楽園を維持発展させるお役を働くならば、自然は人間の生命維持に必要なものを惜しみなく与えるという契約である。この聖書にある神と人類の間の最初の契約は、時期的に全ての宗派に先立つものだろう。神との取引には、「選ばれた民」という言葉もなければ、「イスラエル」という特定された土地名もなく、差別的なドグマもない。この普遍的な地球の世話人契約の義務の理念は、宇宙の意識からの要請としてここに登場したと見てよい。地球の世話人契約は、人類とその商業活動が、自然と調和して共に繁栄することを期待している。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 44-45頁)
|
|
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ64掲示板 次へ 前へ
|
|
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ64掲示板 次へ 前へ
|
|

すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。