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イスラエルの情報機関に所属したエプスタインはなぜダライ・ラマに接近したのか
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202602240000/
2026.02.24 櫻井ジャーナル
未成年者を性的に搾取/虐待したとしてされているジェフリー・エプスタインはイスラエルの情報機関のために働いていた可能性が高い。単なる犯罪者ではなく、イスラエル、アメリカ、イギリスに張り巡らされた情報機関ネットワークの一部を構成しているだけだ。このネットワークは支配システムの柱のひとつでもある。
未成年者を性的に搾取/虐待したとしてエプスタインは2019年7月に逮捕され、8月にニューヨークのメトロポリタン矯正センターの独房で死亡したとされている。エプスタイン・ファイルの公開により、未成年者の中に幼児が含まれ、拷問、殺害、そして人肉を食べるという行為も世界の有力者たちは行っていた疑いが濃くなった。これまで噂として囁かれていたことが現実だった可能性が出てきたのだ。
そうした行為の中心にいたエプスタインは2008年6月にも未成年者の性的な搾取/虐待の容疑で起訴され、懲役18カ月の判決を受けているのだが、このときは刑務所に収監されていない。
検察の姿勢が異様に甘いと批判されたが、その時に地方検事として事件を担当したのは2017年4月から19年7月まで労働長官を務めたアレキサンダー・アコスタ。エプスタインの事件が発覚し、辞任を余儀なくされたということだ。アコスタによると、上司からエプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。
1970年代にイスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、87年から89年にかけてイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベンメナシェによると、エプスタイン、彼と親密な関係にあったギレイン・マクスウェル、彼女の父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルはいずれもイスラエル軍の情報機関、つまりアマンのために働いていたという。ロバートは1960年代から、エプスタインとギレインは1980年代の後半からその情報機関に所属してたとベンメナシェは語っている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
イスラエルにはモサドと呼ばれる対外情報機関やシン・ベトと呼ばれる国内の治安を担当する組織もあり、「情報共同体」を構成、この共同体はアメリカやイギリスの情報機関と連携している。
エプスタインはアリアンヌ・ド・ロスチャイルドとも会っている。この人物はエドモン・ド・ロスチャイルド・グループのCEOを務め、エプスタインがニューヨークに保有していた自宅を訪れたこともある。
イスラエルの元首相エフード・バラクともエプスタインは親しく、その関係で同国の軍事情報局特殊作戦部に所属する秘密技術部隊の81部隊の人脈と繋がっていた。またエプスタインはバラクとロスチャイルド家との間のメッセンジャーを務めていたともされている。
初代FBI長官で、1935年3月から72年5月までその職にあったJ・エドガー・フーバーは有力者のスキャンダルを集め、そうした人びとに影響力を行使していたが、アメリカ、イギリス、イスラエルの情報機関はそれを世界規模で実行してきた。エプスタインはその仕組みの一部に過ぎず、有力者の弱みをイスラエルの情報機関に伝えていたことは間違いないだろう。彼らは自国の政府も監視対象にしている。
エプスタイン・ファイルにはチベットの宗教指導者であるダライ・ラマの名前も出てくる。ダライ・ラマ側は否定しているものの、エプスタインと親しく、有名メディアに寄稿しているマイケル・ウルフは、マンハッタンにあるエプスタインの家でダライ・ラマと会ったと主張している。この話を聞いて、ダライ・ラマが2023年、少年にキスした映像を思い出した人もいるだろう。
ダライ・ラマとエプスタインを結びつけたのは、マサチューセッツ工科大学(MIT)でメディアラボ所長を務めていた伊藤穰一だとされている。伊藤の友人でMITの「ダライ・ラマ・センター」の責任者だったテンジン・プリヤダルシがエプスタインをダライ・ラマに紹介したようだ。伊藤は2019年、エプスタインとの金銭的関係を隠蔽していたことを認め、MITを辞めている。
ダライ・ラマがCIAと関係していたことを思い出した人もいるのではないだろうか。
1949年10月に中華人民共和国の建国が宣言された後、北京政府はチベットを再統合しようとし始めるが、アメリカ国務省にとってダライ・ラマは中国の新体制を倒す道具として使おうとする。
しかし、ダライ・ラマは1951年、チベットと中華人民共和国を統合する「17ヶ条の綱領」平和条約を正式に受諾、54年には中国の国民会議副議長に選出された。
それに対し、チベットの部族連合はCIAから援助を受け、地元住民に中国人と戦うよう呼びかけた。何人かが選抜され、サイパン島のアメリカ軍基地で小型武器の使用、爆破、地雷敷設、破壊工作の訓練を受けている。こうした運動の精神的支援と指導力をダライ・ラマに期待したが、拒否された。
チベットのゲリラ組織、チュシ・ガンドゥクは1958年6月に国民義勇防衛軍を結成、この年にCIAはゲリラ戦闘員を育成するための軍事プログラム「コロラド計画」をコロラド州のバッツフィールド空軍基地で開始、200人以上のチベット人が訓練を受けた。そして1959年3月のチベット蜂起につながる。
この蜂起が失敗に終わった後にダライ・ラマはインドへ逃れるが、彼はその後、数十年にわたってCIAから年間18万ドルを受け取り、チベットの反中国運動はCIAから年間170万ドルを受け取った。こうした資金の供与は全米民主基金(NED)などのフロント組織を通じて行われている。こうした関係は1972年にリチャード・ニクソン大統領が中国を公式訪問した2年後まで続いたという。
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