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インドの学校では テレキネシス(心の力で物を動かす能力)を子供たちに教えています。
http://www.asyura2.com/25/lunchbreak56/msg/254.html
投稿者 イワツバメ 日時 2025 年 9 月 18 日 17:19:26: HgyWN4ntPT..o g0ODj4Njg2@DgQ
 


# hii@hii29227409
🌏地球人は⚡️超能力者💫✨⭐️

🇮🇳インドの学校では ⚡️テレキネシス(心の力で物を動かす能力)を子供たちに教えています。これは人間が解放できる多くの霊的な才能の一つに過ぎません。

他には⚡️⚡️
◉透視
◉透聴(はっきりと聞く能力)
◉透知(内なる知識)
◉予知(未来の出来事の知識)
◉サイコメトリー(物体を読む能力)
◉リモートビューイング 霊媒(霊との交信)
◉テレパシー
◉アストラルプロジェクション(肉体からの離脱、時空の移動)

…などがあります。

これらは大人になってから再び訓練することも可能ですが 時間と自己受容が必要です。

なぜなら 通常これらの能力は私たちが条件付けられて失われたり 恐怖や疑念を植え付けられたりしているからです。

これらの能力は 私たちをコントロールしようとする者たちにとって都合の悪いものだからです。

これらはまさに 人々に目醒めてほしくない感覚や能力です。

私たちは皆 これらの能力のいくつかを持って生まれますが 練習しなければそれらは薄れ
鈍くなってしまいます。

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コメント
1. 偽装皇帝[129] i1WRlY1jkuk 2025年10月06日 11:09:15 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[129] 報告
<■67行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「昼休み」板とは、雑談板で、本来の「雑談板」が真面目な政治談議中心なので、こちらはもっと気楽な「おしゃべり、空論、空談」が許容されるのではないか、と勝手に判断して、私自身の随想を、「コメント欄が空いている」スレッドに載せることにする。スレ主には失礼な行為ではあるが、コメント数がゼロというのは、「昼休み」板自体にあまり意義がない気もするので、「随想・エッセイ・世間話・冗談」など、娯楽板にしてはどうかという提案である。
なお、私自身がスレ立てする能力はないので、場をお借りするわけだ。

(以下自己引用)若者の読者にも少しは関心を持ってもらえる内容なのではないか、と思っての転載だ。(なお、この続きもあるので、いずれ載せる)


酔生夢人 2023-09-01 05:28 詩・文学・芸術 CM(0)
「ライ麦畑でつかまえて」随想


この前、村上春樹について書いた時に、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にも少し触れたが、その後市民図書館に行った時に、「ライ麦畑〜」を見つけたので、借りて来た。まあ、暇があれば再読しよう、程度の気軽さで借りたわけだ。
で、発見したのが、翻訳者の野崎孝氏の翻訳の見事さである。実に自由自在に、主人公の独白を生き生きと日本語化している。これでは、村上春樹が再翻訳する意味はまったく無いと思うのだが、そちらにはそちらの良さがあるのかもしれない。もちろん、サリンジャーの原作自体が素晴らしいから、翻訳で読んでも面白いのである。
どういうあたりが素晴らしいかというと、人物描写の見事さだ。主人公は周りの人間のほとんどが嫌いなのだが、周りの人間の不快さの描写が実に見事だから、読者は主人公の気持ちに同感してしまうわけだ。これは一種の詐術かもしれない。つまり、読者は小説の語り手の語る内容を信じるしかないから、主人公が「信頼できない語り手」であるかどうか、判断できないのである。しかし、その描写があまりに見事なので、読者は主人公に感情移入し、「世界は糞だ」という、現在で言えば中二病的な主人公の考え方や感じ方に同化していくのである。まさに、青春期に読むべき作品だろう。と言っても、私のような老人が読んでも面白いことは面白い。ただ、青年読者のようには「巻き込まれない」だけだ。つまり、一歩距離を置いての鑑賞になる。それは、青年期の読書からの退化かもしれない。
サリンジャーとしても、この作品一作で、「語りたいこと」はすべて出したと思われ、その後出した作品ではヒット作はなく、その後は「書かない作家」になっている。

さて、読書というのは、書かれたすべてが分かるわけではない。たとえば、私は衣服やファッションにまったく興味が無いので、小説によく出て来る「ツィード」の服とか、「フランネル」の服のイメージができない。前者はおそらく服の形式だろうし、後者は服地だろうが、よく分からない。車の形式にしても同様だ。コンバーチブルとかセダンと書かれていても、イメージにはならない。
で、そういう知識の問題とは別に、言葉はすべて理解できるが、文の意味が分からない、ということもある。「ライ麦〜」の既読箇所で言うと、P28の

「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば。

というのが分からない。まあ、青年期の過敏な神経から来る発言だろうが、それでもなぜ「幸運を祈るよ!」がひどい言葉なのかは分からない。
まあ、強いて言えば、「幸運を祈るしかないほど、お前の前途が不幸に満ちていることが俺(私)には分かっているから、お前のためにせめて幸運を祈ってやろう」という意味の「ひどい言葉」だということだろうか。
もちろん、昔読んだ時にはこういう「分からない箇所」がたくさんあったが、すべて無視したわけだ。それでも激しく感動したのである。それも読書であり、今のように老人的に細部にこだわるのも読書である。若い人には「やることがたくさんある(ような気がする)」から、いちいち物事の細部にこだわる時間は無いのである。
蛇足を言えば、「幸運」と「好運」は違う、というのが私の考えだ。前者は単に運命的で偶然的なものだが、後者は「何を好いと思うか」という当人の感性や判断が前提である、ということである。まあ、私の詭弁かもしれない。

最後に、前に少し触れた「ホールデン・コールフィールド」という主人公の名前が小説の題名である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と関係する、という私の説だが、これは「ホールデン」が「ホールド」から来ているので、「キャッチャー」を意味し、「フィールド」は「ライ麦畑」を意味しているという判断だ。ついでに言えば「コール」と「フィールド」が結びつくことで、「荒野に呼ばわる者」という、キリスト教的な「孤独な導き手(あるいは求道者)」を暗示していると思う。

2. 偽装皇帝[130] i1WRlY1jkuk 2025年10月06日 11:34:25 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[130] 報告
<■63行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

時間を置くと忘れそうなので、「ライ麦畑でつかまえて」感想の続編を載せておく。


(以下自己引用)「下線」をつけた部分の下線は消えているので、まあ適当に判断すればいい。


「ライ麦畑でつかまえて」読後感想

「読後感想」とは言っても、べつに論文を書く気はないので、単に随筆である。「筆に随って」書くだけだ。つまり、文責は筆にあって私には無いwww

まあ、低レベルの冗談はともかく、何十年ぶりの「ライ麦〜」再読は面白かった。ただ、主人公への共感が初読の時ほどだったのかどうか、そういう部分は明確に記憶していないので判断は難しい。たぶん、当時は「よく理解できない」ので判断保留にしていたと思う。今でも、判断は困難だ。
と言うのは、外界に対する主人公の嫌悪は、感覚的には分かるが、論理的には分からないのである。主人公のホールデンは、「インチキな存在」が大嫌いで、彼から見れば世界はインチキだらけのものだから、世界そのものが嫌いなのだと思える。だが、その「インチキ」とは何か。

本の最後に翻訳者野崎孝の解説があるので、引用してみる。
2か所ほど引用するつもりだが、面白いことに、私が先日「理解できない部分」として無理に解釈した箇所を野崎氏が「解説」文の中でまさに解説しているのである。

しかし「幸運を祈るよ」と歴史のスペンサー先生に言われて、反射的に嫌悪を感じ、自分ならば絶対にそんなことは言わないだろうと思うホールデンの感覚は、たとえば葉書などに「ご多幸を祈る」と書くことに抵抗を感じたことのある日本人ならば、容易に理解することができるはずだ。(夢人注:私はそれが「容易に」理解できなくて悩んだのだがww)祈りもしないのに「祈る」と言い、祈る対象すら持たぬ人間が祈ると書くーーーその無神経、そのインチキさ。更には「幸運を祈る」とは具体的にどういうことか。それを考えもしないで安易に口にする無責任さ。これがもし、相手を罵倒するなり、揶揄するなり、相手にマイナスを与えるような、従って自分もそのため不利になるような場合なら、あるいは許容されるかもしれない。(夢人注:「インチキ」ではないとして許容されるということだろう。)しかし、相手にプラスを与える性質の言葉を、自分の真意以上の効果を孕ませて口にするのはいやらしい。ホールデンの反発の基本的なものはここにある。だから、この感覚、この反発が理解できれば、この小説は一挙に理解できるはずだ。

なるほど、私の「ライ麦〜」理解の底の浅さが歴然としている。小説を読む、あるいは理解するのは才能と修練が要るようだ。まあ、野崎氏がホールデンの言う「インチキ」の解説として、私が偶然に取り上げた箇所を選んだだけでも良しとしよう。
もう一か所はこういう文章だ。

ホールデン少年が最も敏感に嗅ぎわけて、最も烈しい嫌悪と侮蔑を示すのは、彼のいわゆる「インチキ」なもの、「いやらしい」ものであることは前に述べたが、既成の価値にしばられず、かといってみずからの価値観も確立されていない彼にとって、これが法律上の罪や倫理的な悪などであろうはずはなく、単なる嘘やごまかしでさえなくて、精神の下劣さ低俗さ、根性のきたなさ、そこから来る糊塗、欺瞞、追従といった性質のものである。
(下線は夢人による)

いや実に見事なものである。下線部は、ホールデンの言う「インチキ」なものを余蘊なく示している。

なお、いい加減な読み方しかできない凡人読者としては、ホールデンは他者に厳しすぎ、自分に甘すぎると思う。
客観性というのは、その性質上、自分にも外界にも等しく向けられると思うのだが、ホールデンの「異常な」主観性が、実は外界観察の見事な正確さによって読者には気が付かない仕掛け(ホールデンの目が「客観的」に見える仕掛け)になっている。それは作者サリンジャーによる「インチキ」であるような気が私にはするwww 

まあ、小説というのはもともとフィクションなのであり、つまりは「砂上の楼閣」であり、悪口を言えば「インチキ」なのである。ただ、インチキの中にも許容できるものと許容できないものがそれぞれにあるだけだ。世上の小説や漫画やアニメや映画の中で不誠実に作られた、不潔な「インチキ」でないものがどれだけあるだろうか。一見真面目そうな作品にこそそういう「インチキ」が多いのではないか。

なお、野崎氏が「インチキ」と訳した原語が何かは分からないが、「phoney(phony)」(偽物、まがい物の意)ではないかと思う。

3. 偽装皇帝[143] i1WRlY1jkuk 2025年10月09日 08:38:35 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[143] 報告
<▽32行くらい>

これも「読書感想文」で、書評というほどのレベルではない。
まあ、「暇つぶし読み物」にどうぞ、という意図である。

(以下自己引用)

「輪廻の蛇」(ハインライン)のこと

先ほどハインラインの「輪廻の蛇」を読んだのだが、私の頭は粗雑なので、まだ内容が把握できていない。その状態で、漠然とした記憶によって、この小説の大筋を理解する努力をしてみる。まあ、一種の作品論だ。

読後の印象は、凄く見事な手品を見せられた気分で、「騙されているのは確実だが、どこでどう騙されたのかはまったく分からない」という感じである。つまり、作品としては大成功なのだろう。
問題は、最後の「あなたが恋しいわ」である。つまり、語り手である航時隊員であったのは実はジェーンであり、そのジェーンは現在外貌も肉体も男だが、心は性転換手術を受ける前のジェーンに戻って、自分の処女を奪い、妊娠させて捨てた男(実は、それもジェーン自身のようだ。)を恋しく思っているということだろうか。
私は最初、語り手はジェーンの子供(病院から盗まれて行方不明の子供)なのだろうと思っていたが、その子供はこの話にはあまり関係しないようだ。

で、話は、航時隊員になった「男ジェーン」が、航時隊員になる前の自分を航時隊員としてスカウトするということで、話全体が非常にややこしいわけだろう。つまり、「自分が自分とセックスして妊娠させる話」と「自分が自分を兵士(航時隊員)としてスカウトする話」が重なっていて、まさに二重の「ウロボロスサークル」となるわけだろうか。

広瀬正がこの「輪廻の蛇」に矛盾があるとして論じているらしいが、最初に書いたように、この話は見事な手品に騙される面白さが値打ちなのではないだろうか。つまり、論理的矛盾を追求するのは野暮なのではないか、という気がする。
おそらく、この話が書かれたのは性転換手術が実現した初期のころだろうと思うが、それをヒントにして「自分が自分とセックスして妊娠させる」というタイムパラドックスの話を考えただけで凄いと思う。

おそらく、論理矛盾は、性転換後のジェーンが、性転換前のジェーンに会って性交し、妊娠させる際に、相手が「自分自身(性転換前の自分)」であることに気づかないはずがない、ということではないか。

4. 偽装皇帝[144] i1WRlY1jkuk 2025年10月10日 02:57:57 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[144] 報告

まあ、私の駄弁は昼寝の夢の話を「昼休み板」でしているようなものだから、書いている内容もいい加減なところは多々ある。

コメ3に書いた、「広瀬正が『輪廻の蛇』の論理矛盾について書いている」は「輪廻の蛇」ではなく、「時の門」のようだ。(昨日、「時の門」の入っている短編集を読み、その解説で知った。)
もともと、その広瀬正の小論を読んでもいないので、うろ覚えで書いてしまったのである。もっとも、そうした取り違えや思い違いは日常生活でもかなりある。

そういう粗雑な頭の人間が、その時その時頭に浮かんだことを書いているだけのことである。

なお、「時の門」もタイムパラドックスSFの傑作という評価の作品のようだが、小説としての面白さは「輪廻の蛇」のほうが上だと思う。
「時の門」は主人公が時間遡行をするたびに、別の時間の「自分自身」が増えていくという話で、「ドラえもん」の中にそんな話があったような気がする。確か、同じ部屋の中にのび太が(例の机から)何人も出てくるのではなかったか。

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