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途上国地位放棄 中国は言行不一致から改めよ/読売新聞
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投稿者 仁王像 日時 2025 年 10 月 10 日 06:29:05: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

途上国地位放棄 中国は言行不一致から改めよ/読売新聞
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E9%80%94%E4%B8%8A%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E4%BD%8D%E6%94%BE%E6%A3%84-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AF%E8%A8%80%E8%A1%8C%E4%B8%8D%E4%B8%80%E8%87%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E6%94%B9%E3%82%81%E3%82%88/ar-AA1OajPb?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=68e826407f6140b19dbdfc4043394239&ei=15

 中国が、米国に代わり国際協調の主役になろうと、新たな戦略を打ち出している。その責務を果たそうというからには、まず言行不一致から改めることが必要だろう。
 中国は先月、世界貿易機関(WTO)の自由貿易交渉で、優遇措置を受けられる「途上国」の地位を放棄すると発表した。
 2001年のWTO加盟以来、維持してきた途上国待遇を放棄したのは、自由貿易を支持するために大国としての立場と責任を明確にするのが理由としている。

 トランプ米大統領の高関税政策で、世界を発展させてきた自由貿易体制は危機に 瀕(ひん) している。中国には、この機に乗じて自由貿易を推進するリーダー役になろうとする思惑があるのだろう。
 WTOは、先進国と途上国が互恵的に発展することを重視している。ルールの一律適用は難しいとの前提に立って、途上国には、自国産業を保護するための高関税や農業補助金などを認めている。
 その精神を踏まえれば、中国の判断はむしろ遅すぎたと言うべきだろう。中国は10年に世界2位の経済大国となり、科学技術の発展もめざましいからだ。

 だが中国は、ルールづくりでの途上国扱いを放棄するとしながら、「依然として世界最大の発展途上国である」と主張している。途上国の代表者としての振る舞いを続けるつもりのようだ。
 中国は、自由貿易を推進する上で、信頼に足る行動を取っているとは言えない。不公正な補助金を自国企業に投じ、公平な競争を阻んでいると批判されている。

 特定の要求を受け入れさせようと輸出入の制限を行う「経済的威圧」も目立つ。まずは、自らの行いを正していくのが筋だろう。

 また中国は、地球温暖化問題では、温室効果ガスを過去に多く排出してきた先進国がより重い責任を負うべきだと訴えてきた。
 習近平国家主席は先月、35年の排出量をピーク時より7〜10%減らす新目標も公表したが、中国の排出量は世界最大で、約3割を占める。先進国の削減努力には遠く大胆な内容になっていない。

 トランプ氏が、気候変動対策を「史上最大の詐欺」と非難する中、主導権を握ろうとする策略ばかりが透けて見える。
 こうした中国の動きを許しているのはトランプ氏である。自由貿易や地球温暖化問題に背を向けていては、国際秩序の重心が中国へと傾いていきはしまいか。座視していられる状況ではない。
 

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コメント
1. 偽装皇帝[156] i1WRlY1jkuk 2025年10月16日 09:09:00 : GISWbpSWLY : YzY3MmFOczRleXc=[9] 報告
<△24行くらい>
まあ「読売新聞」の記事なので、真面目にコメントする(あるいは真面目に読む)のもさほど意味はないだろう。
ということで、「ひつまぶし」、いや、「ひまつぶし読み物」を載せる。スレ記事との関連は「共産主義に関係があるかもしれないが、ないかもしれない」という程度の関連だ。

(以下引用)

「ダー」は赤ちゃんでも言うが「ニェット(No」」は言わない

amanoさんという農業従事者らしい方のツィートだが、なかなかのジョークだと思う。
まあ、共産主義者を「アカ」と呼ぶのは差別語的だが、これは共産国家ソ連が自分たちで赤という色を自分たちの象徴にしたのだから仕方がないとも言える。
このジョークでは、「ダー」というロシア語が利いている。すべての人間は生まれた時は共産主義者である、というのもなかなか哲学的である。まるでルソーみたいだ。その無邪気な心情が、文明や周囲の文化に毒され汚染されて私欲やエゴイズムや他人を蹴落とすことを覚えて、それが「文明化」「大人になること」だと勘違いされる。
世界に対する肯定の気持ちを赤ちゃんは「ダー(yes)」で伝えているのか。
ちなみに、何度か説明しているが、このブログのタイトルの「アンファニズム」はフランス語のアンファン(子供)にイズムを付けて作った造語で、「子供主義」である。

(以下引用)

暇を持て余してる嫁はんが「赤ちゃんはどこから来るの?」と聞くので「赤ちゃんはソビエト連邦からコウノトリが運んで来る。人は生まれたときはみな共産主義者。だから赤ちゃんって呼ばれてるんだ」と言うと衝撃を受けていた。 「赤ちゃんは、ダーとか最初はロシア語を話すだろ?」で納得してた。

2. 偽装皇帝[162] i1WRlY1jkuk 2025年10月31日 15:10:10 : GISWbpSWLY : YzY3MmFOczRleXc=[15] 報告
<■75行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
先ほど読んでいた、私自身のブログの過去記事がなかなか面白いので、ここにも載せておく。まあ、「昼休み」の読み物にどうぞ、という提供である。

(以下引用)

「認知症論」と「退屈論」

トイレに、作者名は忘れたが「退屈論」という文庫本が他の本と並んで、あるいは重なって置いてあるが、それとは別に先ほどネットで「認知症」の記事を読んだので、それと関連させて考察してみる。
言うまでもないが、「退屈論」の作者の名前を忘れた(今思い出したが、小谷野敦である。)ことから明白なように、私も「認知症」であり、昔風に言えば「健忘症」である。私はこちらの言い方のほうが好きだ。何しろ「健康に(あるいは健全に)忘れる」のだから、いい事のように思えるではないか。ついでに言えば、物忘れは「認知能力」の欠陥ではなく、「記銘能力」と「想起能力」の欠陥だと私は思っているが、それなら「認知症」という言い方自体が不適当だろう。ボケ老人でも、トイレを見て、それを食堂だと認知することはないだろう。まあ、ボケが極限状態になったら、それはまた別の話である。

要するに、「健忘症」とは、「覚える必要のないこと」や「思い出す必要のないこと」は覚えないし思い出さないという「健全な思考(脳活動)状態」なのだ、というのが私がここで主張する暴論である。まあ、暴論どころか健全な主張だと思うが、「暴論」は謙遜表現である。(追記:今思い出したが、シャーロック・ホームズは最初にワトソンと会った時、社会的常識のある部分がまったく無いことでワトソンを驚かすが、彼は笑って、今覚えた「自分にとって不要な」知識はすぐに忘れるつもりだ、と言うのである。記憶容量には限界がある、というのがホームズの説である。それが実は真理なら、あなたの知識は本当にすべて「自分にとって重要な知識」か?)

若いころは脳細胞が未使用の状態だから何でも覚えるが、その覚えたものが「脳細胞(神経)の連結」となって、いわば「書き込みされたフラッシュメモリー」状態になり、その書き込みが増えると、それ以上の書き込みは不可能になるわけだ。それが老人の脳の状態で、それ自体は「素晴らしい有益な記憶の宝庫」なのである。しかも、「自分にとって重要な情報が精選されている」から、判断や意志決定が速い。私の場合、文章を書く速度は若いころの数倍速いと思う。
さて、これは「認知症」だろうか。もちろん、「新しい情報」を覚えるのが苦手になるのは欠陥かもしれないが、実のところ、「日の下に新しきものなし」であり、古典的な知識があれば、それと照合して新しい知識の重要性や非重要性は判断できるのであり、単に「次々と新しい情報を覚える必要がある」仕事ができなくなるだけの話だ。つまり、「判断する仕事」なら、老人は死ぬまで現役であり、それが昔の社会の「古老」という存在だったわけだ。

さて、「退屈」について論じよう。
老人の時間は退屈だろうか。1日24時間が自由に使えるが、贅沢はできないという、たとえば年金老人の生活は退屈だろうか。もしそうだとしたら、それはその当人が退屈な人間だからだろう。1日24時間が自由に使えるなど、それこそどこの王侯貴族の生活にも匹敵する贅沢な生活ではないか。
まあ、まず「退屈」とは何かを考察しよう。
「暇な時間」は退屈だろうか。あなたは、小学校や中学校の夏休みの最初の日、これから40日間、自由な時間がある、と考えて、いきなり退屈しただろうか。言うまでもなく暇な時間と自由な時間は同義である。
そして、定年退職した老人は、昔の小説の題名ではないが、「毎日が夏休み」なのである。それは不幸なのか、そして退屈な時間なのか。
もちろん、仕事は無くても、たとえば病気の夫や妻の介護の作業があるなら、退屈どころではないだろう。それは気の毒ではあるが、退屈論とは無関係なので、置いておく。
何もする必要がない時間が膨大に目の前にあるというのが、私の考える最大の幸福であるが、それは私という変人限定の話だとしてもいい。
要するに、世間の人々が想定する「退屈」とは、「有意義な生き方ができていない」という、自分で勝手に想定した「あらまほしき生き方」が前提なのではないか。
で、私に言わせれば、それは自分で勝手に作った手かせ足かせである。皮肉な言い方をすれば、その「有意義な生き方」は、誰かの金儲けの役に立つか、誰かの利益となるために自分を奴隷化することではないか。その「誰か」がどんな存在かは問わない。そして、その生き方は多くの人に賞賛されるだろう。私から見れば、実に気の毒な生き方である。他人のために自分の人生の時間の大半を犠牲にしたのだから、他人から感謝されるのは当然だが、自分自身はそれで満足して死んでいっただろうか。逆に言えば、そういう「立派な人」の人生を犠牲にすることで利益を得た人たちは、自分が恥ずかしくないのだろうか。また、そういう立派な自己犠牲的生き方を子供や周囲に教え、勧めてきた人たちは罪の意識はないのだろうか。
まあ、そういう自己犠牲の生き方にも「精神的満足」があるからいいのだ、という考え方もあるだろうが、いずれにしても「他人の犠牲の上に立って利益を得る」生き方、あるいは行き方は、下劣で卑劣だと私は思っている。

話が「退屈」からだいぶ逸れたし、長くなったので、退屈論の続きはまた別の機会にする。


3. 偽装皇帝[168] i1WRlY1jkuk 2025年11月03日 07:20:05 : GISWbpSWLY : YzY3MmFOczRleXc=[21] 報告
<■151行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
今読んだばかりの「戦闘教師ケン」氏のブログ記事が面白かったので転載する。
つまり、我々は自分自身の経験すら覚えておらず、自分の同時代の社会的実情を回想の中で美化する傾向があり、それが一部の「保守」や「愛国思想」を僭称する政党や論客に利用されがちだということだ。
念のために言えば、私は「三丁目の夕日」や司馬遼太郎の著作群自体には罪はないと思っており、それらは優れた作品だと思っている。また、政治的には基本的に保守主義である。

(以下引用)「若苦しさ」というのは誤記だろうが、何の誤記だろうか。

2012年07月13日
『三丁目の夕日』はプロパガンダか幻想か?


とある議員がまたぞろ『三丁目の夕日』を持ち出して、「今の日本もあの頃のように皆が希望を持つ国に……」云々と言い出したものだから、思わずキレそうになってしまった。
こんな年になっても若苦しさが抜けず、我ながら困ったものだが、どうにも性分らしい。
自民党も民主党も同じだが、どうも最近の国会議員は歴史的経緯や成立のプロセスをきちんと検証しないで、思い込みだけで論じる傾向が強すぎる。ハッキリ言えば、国会議員としての識見もなければ、それを補うべく勉強する姿勢すら見せないのである。
こうした思い込みが、著作権法の改悪や児ポ法、あるいは生活保護法における扶養義務の強化や地方における青少年外出禁止条例となって現れているわけだが、そのどれもが結局のところ自由や表現手段を奪っていることに議員は自覚的でなく、官僚ばかりがほくそ笑んでいる始末になっている。

『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『三丁目の夕日』は昭和の三大プロパガンダと呼んでも良い作品だと考えている。
『竜馬がゆく』は日本版『鋼鉄はいかにして鍛えられたか』であり、『坂の上の雲』は『中国の赤い星』に対応している。
ただ『三丁目の夕日』に対応するような、「共産主義時代は良かった」式の小説や映画はすぐに思い浮かばないが、これは単純に私の教養不足であろう。だが、現代ロシアでは帝政時代を美化し懐かしむような時代小説が一部の人気を博しているとも聞く。

『三丁目の夕日』は私も一時期連載を読んでいたことがあるし、映画はテレビで部分的に見た。すぐにチャンネルを変えてしまったが。
この作品については、かなり多くの批判的レビューが出ているので、今更私ごときが何か言うのも遅すぎかもしれないが、具体的な数字や事例を挙げながら、私なりの解釈を示しておきたい。
「昭和」に郷愁を覚える層に共通するのは、

・治安が良く、誰もが安心して暮らせた。
・自然が豊かで、空がまぶしかった。
・家族が仲良く暮らし、子どもの虐待など無かった。

といったものだが、全部大ウソ!!
治安・犯罪から行こう。
『三丁目の夕日』の舞台は1955年から64年くらいまで、昭和30年代である。
1960年と2005年の暴力犯罪数(認知件数)を比較してみよう。

殺人:2650件 → 1350件
強姦:6350件 → 2080件
傷害:6万8300件 → 3万4500件

となっている。強盗や放火についてはほぼ同水準を維持している。
ただし、総人口は60年には9430万人だったものが、05年には1億2780万人に増えている。
人口が3割も増えた一方で、主要暴力事件は半分以下になっているのである。
1970年くらいまでの日本は、今からは想像も付かないほど危険な社会だった。
暴力性に限って言えば、『仁義なき戦い』に描かれたものの方が、よほど社会の実情に即していたと言えよう。
女性や子どもが夜に外を歩くなど、もっての外だったことは、すっかり忘れ去られている。

「自然が豊か」など、どこから来たイメージなのだろうか?
第二次世界大戦における物資不足で、日本政府は燃料を確保するために、際限なく木を切り倒し、根こそぎ動員していったため、山という山は禿げ山になってしまった。そのせいで、戦後しばらくは水害が起きると大災害となり、何千人という死者を出していた。
例えば、1959年に上陸した伊勢湾台風による死者は4700人で、阪神淡路大震災にも匹敵する被害を出しており、台風ごとに何百人もの死者が出るような始末だった。
今日では、死者が二桁に上ると、政府や自治体が批判にさらされることを思えば、隔世の観がある。
政府が災害の原因を認識し、植林政策を進めるのは60年代半ばのことであるが、今度は無原則的に「産業に役立つ」という理由で杉ばかりを植え、その管理には手を抜いたため、90年代以降、花粉によるアレルギーが国民に拡大していった。
伐採による災害も、植林による病害も、元凶は人災だったのである。

もう一つ指摘されるべきは公害問題だ。
水俣病が認知されるようになったのは、ちょうど50年代半ばのことであり、胎児性水俣病患者が初めて認知されたのは1961年のことだった。
だが、日本政府がチッソ工場から出た廃液と病気の因果関係を認めたのは1968年のことであり、その年まで廃液は垂れ流されていた。
水俣病患者に対して保証金が支払われ始めたのは1973年のことで、住民はそれまで20年以上に渡って一方的な公害被害にさらされ続けた。
さらに言えば、日本政府が水俣病発生について責任を認めたのは1995年の村山内閣のことだった。

「空が美しかった」などというのも大ウソで、大都市近郊や工場地帯では、工場からの煤煙や自動車の排気ガスで空が真っ黒になり、大気汚染によるぜんそく被害が急速に拡大していった時期でもあった。特に川崎、四日市、尼崎などはぜんそく被害が深刻で、あの自民党が環境庁の設置を認めざるを得なくなったきっかけになった。
団塊ジュニアに相当する私くらいの世代でも、子どもの頃は夏になると「光化学スモッグ注意報」が出て、休み時間などに外に出ることを禁じられたものだった。

川なども生活排水や工場排水が入り乱れ、何の規制もないために、酷い有様だった。
都市部を通る大きな川は、皆どす黒い水が流れ、周辺は異臭が漂っていた。
私が子どもの頃でも、多摩川で採ったり釣ったりした魚には奇形が多かった。多摩川がきれいになり、鮎などが戻ってきたのは、ここほんの10年程度の話に過ぎない。

道路は幹線道路を除いて舗装されておらず、雨が降ればぬかるみとなって、足をドロドロにして歩かされたし、車が通れば真っ黒な排気ガスが大量に吐き出されて咳き込まざるを得なかった。
電車は電車で東京などは殺人的な混み様の上、ノロノロ運転で、ラッシュ時の新宿では山手線や中央線などは何本も待たないとならない有様だった。

「家族が助け合って」とか「親子の情愛が深かった」などというのもウソである。
嬰児殺(赤ちゃん殺し)の被害者を見ると、最も多かったのは1950年の321人で、60年代は150〜200人で推移している。が、最近は年20人前後で落ち着いている。
親殺しについては、1956年が134件で、60年代は70〜90件の間で推移している。この数字は90年代以降また増えて、最近は120件前後で推移しているが、これは高齢化に伴う介護疲れによる老々殺人が増えているという特殊性がある。
検察庁に送検された売春従事者の数は、1959年には1万8600人を記録しているが、2007年にはわずか1060人でしかない。
50年代や60年代は、明治や戦中のマチスモが濃厚に残っており、配偶者に対する暴力などそもそも犯罪として認められなかったため、統計にすら上っていない。
大家族の中で「嫁いびり」のような陰湿な虐待が普通に存在した一方で、近代的な教育が普及して、都心部に労働需要が生じたために、多数の女性が喜び勇んで田舎を捨てて都会に出て行ったのである。しかし、都会に出てはみても、その労働環境は劣悪で低賃金による長時間労働を強いられたが、田舎に帰りたくない一念で女性は耐え続けていた。
東北などからは貧しい家の子どもは、中学を卒業すると臨時夜行列車に乗せられて都市部の工場へと送られ、劣悪な環境と低賃金の下で労働に従事させられた。俗に言う集団就職である。中には中学校の教員が引率していた例もあり、半ば国策的な労働力動員であったことが伺われる。

さて、もう十分だろう。
日本の50〜60年代というのは、米帝の指導を受けた霞ヶ関の主導の下で、第二次世界大戦の総括をせぬまま、国民を犠牲にして経済成長を実現させていった時代だった。
程度の差は大きいが、数千万の農民を犠牲にして工業化を実現した30年代のソ連にも似ている。
大企業を優遇して生産を拡張しつつ、災害や公害は放置し、他方、政治的には60年安保を見れば分かるとおり、右翼や暴力団を武装動員してデモ隊を攻撃させ、横道に逸れたデモ隊員は次々と警官に逮捕され、留置所に送られていったのである。
日本のこの時代は、むしろ『日本の夜と霧』や『仁義なき戦い』にこそ象徴されるべき暗黒の時代だった。

にもかかわらず、郷愁を覚える高齢者が多いことも確かである。
これは、暗黒の時代を生き延びた高齢者たちが、経済成長の果実を得られたものたちだったことは一因であろう。
また、人間にはそもそも都合の悪いことを忘れる機能が付いている。ショックを受けた時に気絶して、しかも記憶を失ってしまうことがあるのも、そういう機能の一つだ。
これが機能しないものは、早めに命を落としてしまいがちだ。
私のように暗黒面から目を離せない人間は長生きできないようになっているのである。
つまり、暗黒時代を生き延びたものたちは、都合の良い記憶だけが残り、暗黒面は記憶から欠落している可能性も十分にある。
ただ、犯罪について言えば、かつては治安の良い場所と悪い場所の境界がハッキリしており、いわゆる「悪所」では今日では想像も付かないほどの劣悪な治安環境にあったことはあるかもしれない。

「当時は希望に満ちあふれていた」という回顧は良く聞くが、当時の総合雑誌や新聞の社説を見る限り、

「激化するインフレ」「激増する犯罪」「再軍備に向かう日本」「共産主義の脅威」「台風犠牲者4千人超」「米ソが核実験」「第三次世界大戦はいつ勃発するか」

など暗いテーマばかりが並んでおり、およそ老人たちの回顧と違う。
この点では、ソ連の雑誌の方がよほど楽観的だ。

そして、私が「ロシアの高齢者の多くは、ソ連時代を懐かしがっていますよ」と言うと、「ウソだ〜」「あり得ない」などといった反応が普通に返ってくるくせに、自分たちの国については恐ろしく幻想的な過去を平気で信じていることは、まったくもって理解しがたいことである。
色々考えるのだが、『三丁目の夕日』は単なるプロパガンダなのか、日本のプチブルのノスタルジーなのか、にわかには判別しがたいものがある。
読者諸兄の御意見を伺いたいところだ。

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