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脅す職員。援護課、生活保護課は、生活保護受給者に対して、ある一定の期間が経過すると、そろそろいたぶってやろうかということで、担当者をかえて熾烈な嫌がらせの集中攻撃を仕掛ける。それはもう恐ろしいもので、警察は何もしない。他の役所に相談しても、まったく対応しない。常に援護課、生活保護課に相談せよと言う。ところが、援護課に行くと、必ず担当者が出てくる。担当者の問題について、その担当者に話をしても、相手が納得するはずがない。自分には何の問題もないと言う。あなたが悪いと言う。それでさらに嫌がらせをする。援護課、生活保護課では、何もかもすべて担当者に任せられているので、担当者は何でもやりたい放題である。どんな嫌がらせであろうと自由にできる。だからいろんな事件が起きる。警察は何もしない。生活保護を受けていても別に何も守られてはいない。ケースワーカーは何もしない。世間一般の人々は誤解しているが、援護課とは援護するのではなく、援護をしない課である。保護課は保護をしない課だ。嫌がらせはする。援護課、生活保護課の職員が、女性の生活保護受給者に対して、セクハラやパワハラ、猥褻行為、痴漢行為、強姦、窃盗、器物破損、嫌がらせ、暴言、差別をするのは珍しいことではない。たまにマスコミが報道することはあるが、それは氷山の一角にすぎない。ほとんどは隠蔽される。そもそも警察は何もしない。生活保護受給者の立場は非常に弱いので、なかなか声をあげることができない。もちろん女性だけでなく、男も安全ではない。生活保護を打ち切られるとたちまち生活ができなくなるので、声を出すことは難しい。すべて泣き寝入りとなる。悩み。新しい津市援護課の担当者職員の名前は、という人です。しかし、それは最近になってしりました。このという職員は、非常に無礼であり、まったく保護を受ける人の配慮はしておらず、嫌がらせしかしません。とにかく傲慢であり、高飛車であり、慇懃無礼で、人を馬鹿にしています。まったく礼儀というものを知りません。とにかく保護を受ける人を見下しており嫌がらせしかしません。常に命令するような形です。非常に不愉快です。このという職員は、配慮に欠け自己主張しかせず、いかなる意見も受け付けません。話し合いも何もできません。すぐに担当者を別の人にかえてください。今後もこのが嫌がらせを続けるなら、私はそれに対する意見を述べます。いかに生活保護の担当者であっても不当な嫌がらせをすることは許されない。今後も嫌がらせをするなら、警察や関係機関に通知する。私は今までの以前の担当者とは、のような争いはなかったと思います。の嫌がらせは、尋常ではなく、完全な犯罪行為である。断固抗議する。援護課、生活保護課の場合には、すべて担当者次第であり、担当者がとんでもない職員だと、恐ろしいことになる。なぜなら、援護課、生活保護課の場合には、他の行政機関とは違い、担当者に全権がまかされており、他の職員は一切対応が許されていないからだ。また上司も絶対に出てこない。すべて担当者任せである。もちろんすべての職員が悪いということはない。ちゃんとしっかりとまともな普通の対応をする職員もいる。だが、残業ながら、なかにはそうではない恐ろしい職員がいる。それはどこの役所でもいる。警察でも学校の教師でも教育委員会でもいるし、議員でも政治家でもいる。役所だけでなく、テレビ局やマスコミや、芸能界でも宗教関係でもいる。そして組織ぐるみで隠蔽する。ただし、他の場合は、あまり機能していないかもしれないが、一応は、監査機関というものがあり、不正行為がないかどうかをチェックする役目の者がいる。ところが、援護課、生活保護課の場合には、そういうものはない。すべて担当者任せである。これは非常に問題がある。生活保護を受けている人は弱い立場にある。他の役所なら、ある程度ものも言えるが、何も言えない状況にある。それにつけ込んで、圧力をかけたり、嫌がらせをしたり、不正行為をすることは間違っている。そういう場合にはきちんと調査をするべきだ。現在の援護課、生活保護課の対応を述べる。すべての援護課、生活保護課の職員が悪いということではないが、何か問題があったときにはすべて隠蔽される。これが現在である。保護を受ける人には担当者が割り当てられる。これは選べない。役所が勝手に決める。そして何があろうとも、この担当者以外とは一切話ができない。他の職員に相談したり、話をしても、すぐに担当者が出てくる。電話でも、すぐに担当者につなげられる。簡単な伝達連絡ぐらいは応対するが、何かの問題、苦情、クレーム、相談は一切、担当者以外とはできない。援護課、生活保護課の上司と何か話をしようとしても、絶対にとりつがない。つまり、担当者は全権を与えられている。またこういうシステムだと、何か問題があっても、上司は一切何も知らなかったで済ませることができる。むろん担当者はある程度情報を伝えるかも知れないが、自分の都合が良いように報告する。そこにはいかなる客観性も公平性もない。これは恐ろしいことであり、担当者は何でも自由にやることができるし、いかなる責任も生じないことになる。役所とか警察とか、公的組織には大抵、監査部というのがあり、組織内の不正行為がないように監視する部門があるが、援護課、生活保護課にはそういうものはない。つまりやりたい放題である。それどころか、そもそも上司が命令していることもある。何しろ監査機関がないので何でも自由にできるし、証拠もない。同じ仲間である。むろんすべての援護課、生活保護課の職員が悪い人間ではないから、普通は何も問題はないかもしれない。だが、公務員のすべてが良い人間ではない。中には悪いことをする職員もいる。そして、正しい職員がきちんと対応することもある。だが期待はできない。少子化による人手不足もあり、今後は大量の外国人を受け入れようとしている。そのうちのかなりの割合が生活保護を受けるだろう。むろん適正な対応をするなら問題はない。だが、日本の役所のやり方だと、必ず問題が起きるだろう。それに外国人は日本人とは違う。生活保護を受ける人を犯罪者扱いするのは間違いだ。新しい援護課の担当者の氏名がわからない。今までの担当者はという職員だったが、新しい援護課の担当者の氏名がわかはない。新しい担当者は非常に傲慢であり、高圧的で威嚇的で攻撃的であり、担当者を別の人と変えてほしい。非常に疲れるし意味不明のことばかり言う。常に自分は正しいとし、他者を批判する。非常に不愉快だ。いつも威圧的であり、人を馬鹿にしている。きちんとしたまともな説明をしない。非常に無礼であり、礼儀を知らない。保護を受ける人を見下している。常に人を怒らせる話し方であり、普通の話し方ができない。働くなと言っておきながら、働くなとは言っていないと言う。コロコロと話を変える。嘘ばかり言う。信用できない。この新しい担当者に変わってから、今までと違う変化がやたらに増えた。嫌がらせをしているとしか思えない。担当者を変えてほしい。担当者が今の状態で、嫌がらせを続けるのであれば、私は津市から逃げるしかない。この新しい援護課の担当者はまったく知らない人であり、本当はどういう性格かまったくわからない。別に援護課の担当者についてあれこれ言いたくはないが、とにかく常にこの担当者はイライラしている。どなったり、わめいたり、叫ぶ顔がほとんどだ。笑顔はない。別に笑顔などはなくてもよいが、怒りしか感じない。私は津市を逃げ出したい。津市で生きるのは嫌だ。こんな援護課の担当者から嫌がらせを受け続けるのは嫌だ。担当者により、何でもできてしまうのが怖い。他の担当者は話も聞かないし、上司もでてこない。つまり、担当者以外とは誰とも話ができない。だから担当者はどんなことでもできる。いかなる反論もできない。そういうシステムとなっている。疑問。三重県津市援護課の新しい担当職員の問題について述べる。生活保護課の担当職員は、頻繁にころころ変わるが、まったく事前に何の連絡もないことがあり、それでは困る。また保護を受けている人に対して、非常に横柄であり、高圧的であり、慇懃無礼であり、人を人とも思わない、あえて故意に怒らせようとしか思えない態度をとる職員がいる。これはいったいどうしたことなのか?援護課、保護課の職員というのは、必ずしもすべてが正しいというものではなく、なかには恐ろしい犯罪行為をする者もいる。あまり世間では知られていないが、自分の強い立場を利用して、保護を受けている人に対して、いろんな不正行為をする者がいる。保護を受けている人は弱い立場にあるので必ずしも警察に通報しないことが多い。また警察も何もしない。それに役所内の他の部署に相談しても、同じ組織内のことなので容易に隠蔽されるし、同じ穴のムジナだし、そもそも問題視しない。援護課、生活保護課の職員で全国各地で発生している事件は、保護を受けている人に対する虐待行為、強迫行為、猥褻行為、窃盗、暴行、暴言、脅し、威嚇、差別、迫害、監視、尾行、リンチ、殺人などである。何も知らない人は、援護課、保護課の職員は、優しい人ばかりであり、親切で礼儀正しく、不正なことはしない、間違ったことはしない、素晴らしい完璧な人間であると思い込んでいる。確かにそういう職員もいるのかもしれない。だがそうではない職員もいる。霞ヶ関に巣くう恐ろしい怪物である腐敗官僚は、まったく国民のことは考えない。自分達の利権のことしか考えておらず、住民がどうなろうと一切感知しない。警察も何もしない。何としても生活保護を受けている人を根絶することしか考えていない。それで圧力をかけている。こんな日本が、少子化により、人口減少になるのは当然である。日本が滅びるのは確実である。それは避けられない。ただし、財政難ということもあるし、援護課、保護課の職員も人間だから、いろんな人はいる。しかし、困る。そもそもそれは誰が許可したのか?それは福祉ではない。さえもできない障がい者を使うのは間違っている。作業所は一応仕事をしているので邪魔をしないでほしい。それに他の利用者や職員もいるし、流れ作業の場合には、全体的に仕事が停止される。2025年8月26日、午前11時頃、津市援護課の職員が、安濃にあるB型作業所の津北にやってきて、脅迫してきた。私に対して、作業所の工賃が高いので生活保護費が支給できない。むしろ銀行で返金してもらう。また医療費についても、自己負担にしてもらうと言った。以前は担当者は、という人だったが、新しい担当者に変わったようで、この新しい担当者の名前は知らない。要するに働くなということである。それにしても、作業所にまできて、こういう無礼な脅迫行為をするというのは恐ろしいことだ。このように援護課、生活保護課の担当者というのは、なんでもかんでもやりたい放題であり、傲慢で横柄で恥知らずであり、人を人とも思わない。自分達のやりたいことだけをやる。人の気持ちがわからない。ケースワーカーとか生活保護課の担当者は、決して保護を受けている人を考えてはいない。とにかく、国や行政の腐敗や不正はひどい。堕落した腐敗官僚の手口としては、とにかく徹底的に弱い者いじめをすることだ。また生活保護課としては何としても保護を打ち切らせようというものである。学校のいじめ問題について述べる。学校は、社会の縮図であり、学生はそれぞれの家庭環境の影響を受ける。各個人の性格とか成長とか親の影響もあるが決して均一で同じではない。いろんなスポーツがあるが、高校野球というのはある種特別な存在となる。スポーツで勝つためには、日頃の練習と体力作りが大切で、それ以外にもある。厳しい練習と指導もあり、勝つためならなんでもやるという方向に行きやすい。また勝利のためなら、何をしても許されるのだという錯覚に陥りやすい。しかし、学生には別の生き方もある。またスポーツは素晴らしいけれども、それがすべてではない。何より大切なのは、健全に健康的に明るく希望をもって生きることであり、今の時期をのびのびと生活できることだ。いじめはすべてを破壊する。勝利のためのシステムとして、いじめがはびこり、いじめが支配すると、その組織は健全ではない。そして、そういう組織は腐敗し、堕落し、混乱し、凶悪化する。それはもはやスポーツでもなんでもないし、ただいじめをするだけの恐ろしい場所となる。たとえそういう組織が勝利したとしても、健全ではなく、ただ恐ろしいだけだ。またそういういじめを隠蔽し、何事もないかのようにふるまい、いじめを正当化し、こともあろうに被害者や告発者を悪者に仕立て攻撃するなどはとんでもないことだ。まったく反省をしておらず、ただ隠蔽するだけだ。警察も何もしない。それではますますそういう組織はいじめがはびこり、いじめが支配する。社会にでるとそれが普通かもしれないが、学生生活ではせめて避けたい。世の中はいじめがはびこっている。まさにいじめが支配しているが、せめて高校野球においては、それはなしにしてほしい。そうでないとおもしろくない。いじめをおもしろがるのは不健全であるし、そういう生き方ではまずい。もしもそういう組織でいじめが蔓延しているなら、避けた方が良い。体を動かす運動は大切だが、いじめスポーツは必要ない。スポーツは健全であるべきだし、そうでなければ意味がない。いじめは応援したくない。健全で明るいスポーツを応援したい。勝つことは難しい。だが健全に勝つことはさらに難しい。いじめなしで勝つのはさらにさらに難しい。健全であって負けたのなら称賛したい。しかし、勝利しても、いじめが蔓延しているなら意味はない。誰もいじめの勝利など称賛しない。ロシアがウクライナを攻撃していることも問題だが、イスラエルがガザ地区を攻撃していることも問題である。アメリカがイスラエルを支援していることも問題がある。このような大量虐殺は早急に停止させなければならない。いったいいつまでこういうことを続けるのか?こんなことではいつまでも戦争や紛争や大量虐殺が続く。このままだと世界大戦が起きる。作業所に行くのはなぜなのかというと、いろんな理由があるが、私の場合には、生活保護課、援護課の職員と会うのを避けるためでもある。保護課、援護課の職員は、非常に頻繁にアパートにやってくる。その理由は、密かに黙って内緒のアルバイトをしていないか、どこかで働いていないか、別の住まいがあるのではないかと調査するためだ。連絡事項を伝えるということもあるが、ほとんどはあまり意味はない。つまり、嫌がらせが目的である。そのときには必ず不快なことを言う。暴言を吐き、脅し、からかい、侮辱する。しかも、ガンガンと平気でドアを叩く。わめきちらし、脅迫し、嫌がらせをする。人が気にしていることを言い、からかう。相手が抗議したり、反論すると、さらにそれをからかい、挑発する。明らかに相手を怒らせて反撃させるのが目的である。だから作業所に行く。作業所ならば少なくとも一応は安全である。作業所にはまず来ない。来ないはずだった。しかし、今度の担当者は、いきなり作業所にきた。どこまで人を馬鹿にして見下しているのかと思う。こんな職員はもうどうにもならない。常に自分は正しい。あなたは間違っているとし、論破するだけが生きがいで、常に他者を非難することしかしない。どこまでも果てしなく傲慢であり、横柄であり、威張り腐る。人を人とも思わず。無限の横柄さで凌駕する。つまりは、何も話はできない。相手の言うこと聞かない。常に自分が正しいつもりなので柔軟性にかけ、ただ威張り散らすだけの存在。誰も注意しないし、説教もしない。反省も謝罪もないし、そんな余裕もゆとりもない。自分の状態もわからない。福祉ではなく、嫌がらせの担当だ。だから誰も相手にしないし、相手にしてもしょうがない。つまり自分は正しいと主張するだけで、それは正しくない。福祉はそういう場所ではない。福祉は、正しいかどうかではなく、相手に寄り添うことである。それが嫌なら、他で働けば良い。だが、どんな職場でも、それではだめだ。農業や漁業でも、自分は正しいと主張しても、どうにもならない。同じ内容を伝えるのにも、言い方というものがある。誰からも指摘されないなら、改善されない。
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