★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK297 > 522.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
進次郎農相の化けの皮ズルズルはがれる…“コンバイン発言”で大炎上、これじゃあ7月参院選まで人気持たず(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/522.html
投稿者 赤かぶ 日時 2025 年 6 月 21 日 05:35:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 



進次郎農相の化けの皮ズルズルはがれる…“コンバイン発言”で大炎上、これじゃあ7月参院選まで人気持たず
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/373508
2025/06/19 日刊ゲンダイ


農業を、何もわかっていない(C)日刊ゲンダイ

 またしても、トンチンカンなことを言い出した。

 小泉進次郎農相は17日、高額な農機の購入がコメ生産者の負担になっているとして、コンバインなどのリースやレンタルを推進する考えを明らかにした。進次郎氏は建設業界を引き合いに出し「重機や建機のレンタルやリースを当たり前にやっている」と指摘。今後は農家に農機を販売しているJAグループと協議していくという。

 しかし、この発言は早速、ネットなどを中心に炎上。SNS上では<農業と建設業はちがう><収穫期にしか使わないものをリースして商売が成り立つか>など、ツッコミが入っている。

「コンバインの需要は収穫期に集中するから、必要な時期はみんな同じ。リースすればいいと簡単に口にしていますが、制度設計に無理があります。それに、借りられなかった場合のリスクが大きすぎる。やはり進次郎さんは農業のことがわかっていないのでしょう」(コメ業界関係者)

 他にも、進次郎氏は17日、コメの出荷・販売を手がける全国の事業者約7万社を対象に、実態調査を実施するとブチ上げた。販売量や在庫量の報告を求め、実態を把握することでコメ価格を低下させるつもりのようだ。

 しかしこちらもまた、実効性があるかは疑問だ。

「たしかに実態把握は重要ですが、全件調査というやり方が現実的なのかどうか。街のコメ屋さんまで調査するのは大変ですよ。コメの流通は複雑なので、調査には相当な手間がかかるはず。来月下旬のとりまとめを目指すというスケジュールもタイトだし、業者にも負担がかかります」(前出のコメ業界関係者)

 農水省の官僚はすでに、コメ高騰や備蓄米放出の対応に追われている。ただでさえ疲弊しているのに、7万社を調べるとなると、負担は相当重くなるはずだ。

 そもそも進次郎氏は、コメ価格の高騰について流通を目の敵にしているようだが、適切なのか。国会の答弁でも「ある大手卸の営業利益は対前年比500%くらい」と話し、“卸売りが儲けすぎている”との持論を展開した。

 しかし、帝国データバンクがきのう(18日)配信した記事によると「上場しているコメ卸の決算を見ても、これまで売上高に対して営業利益が非常に少なかった」ため、「少なくとも数字上は『儲け過ぎ』との指摘は当てはまらない」としている。

 案の定、次々と化けの皮がはがれはじめている。進次郎人気は来月の参院選まで持つのだろうか。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 赤かぶ[245591] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:41:57 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[259] 報告

2. 赤かぶ[245592] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:42:54 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[260] 報告

3. 赤かぶ[245593] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:46:32 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[261] 報告

4. 赤かぶ[245594] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:47:42 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[262] 報告

5. 赤かぶ[245595] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:48:21 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[263] 報告

6. 赤かぶ[245596] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:49:01 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[264] 報告

7. 赤かぶ[245597] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:50:06 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[265] 報告

8. 赤かぶ[245598] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:51:07 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[266] 報告
<△23行くらい>

9. 赤かぶ[245599] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:52:16 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[267] 報告

10. 赤かぶ[245600] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:53:54 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[268] 報告

11. 赤かぶ[245601] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:54:46 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[269] 報告

12. 赤かぶ[245602] kNSCqYLU 2025年6月21日 05:56:15 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[270] 報告

13. 赤かぶ[245603] kNSCqYLU 2025年6月21日 06:01:35 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[271] 報告

14. 赤かぶ[245604] kNSCqYLU 2025年6月21日 06:04:36 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[272] 報告

15. 赤かぶ[245605] kNSCqYLU 2025年6月21日 06:05:52 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[273] 報告
<△20行くらい>

16. 2025年6月21日 08:30:20 : xutrAnH8Uc : RTEwU1BmR3dDMEU=[5993] 報告
安倍と同じで子供の時から何の苦労もせず親の力と金で議員になり、世間のことなど全く知らない無勉強、無努力の人間が大臣になって政治などさせるほうがおかしい、脛に傷だらけの親に甘やかされ、ジャパンハンドラーのカバン持ちをしてきた進次郎が日本国民にために真剣に政治をするなど信じられない、所詮自己保身の為パホーマンスでしかない。こんな男をまたも総理候補などと御用マスコミが持ち上げるのはこの国の政治家がいかにアメリカに支配されているかの表れ。
17. 黒雪だるま[33] jZWQ4YK@gumC3A 2025年6月21日 08:45:18 : x9GjACWCHk : OGRNRjBudTQxb2M=[33] 報告
小鼠珍次郎よ、米の値を吊り上げる”大阪堂島”の金持ちの金儲けの博打オモチャである米先物は廃止にしねーの?
主食もまともに供給できない政府なんてーのはゴミ以下の存在だぞ?
そもそも主食を博打にすんなや!
18. 家須蓼伊[49] icaQe@T4iMk 2025年6月21日 10:15:27 : 9fasM0HJoI : a1dOWUZKZnhqNC4=[2] 報告
<農業と建設業はちがう>
だからどうしたと?

<収穫期にしか使わないものをリースして商売が成り立つか>
農家がそれを購入し、その支払のため出稼ぎしても追いつかないという話。


ちんち"ろ好かんけど、何の「ツッコミ」?
 

19. サヨナラ自民党[110] g1SDiINpg4mOqZavk30 2025年6月21日 10:24:05 : 4pJdackMaf : UDJQVHJ1NUdKMnM=[46] 報告
親父と一緒で、発言の一つ一つが場当たり的で、軽薄の一言につきる。
こんな男が、次の総理候補ナンバーワンなんですと。
どこまで日本人は単細胞なんだか…
20. T80BVM[1600] VIJXgk9CVk0 2025年6月21日 10:40:08 : 1H3QxATScY : QUU5cmFKbzFRMDI=[38] 報告
>進次郎人気は来月の参院選まで持つのだろうか

なんでヒュンダイは珍次郎の心配してやるのか?
「持ちそうにない」とハッギリ書くと、ド腐れ政府に怒られるのか?www
まああれだな
中出し孕ませ婚でレジ袋の珍さんも、自分のアタマで考えて答弁をするわけがないのだ
つまり、ヤツが農業を知らないのではなく、台本を書いて読ませる脳衰省の汚厄人が農業を知らないのだ
よって、財務省解体だけではなく、全省庁を解体しなければダメだ
それを実現できる可能性がある政党は、れいわ新選組だけである

以上

21. エレ爺[-706] g0eDjJbq 2025年6月21日 11:05:06 : XgeYiV1tnA : SEx6V3hXZk92Lk0=[3073] 報告
<△28行くらい>
>投稿者 赤かぶ 日時 2025 年 6 月 21 日 05:35:55:
>2025/06/19 日刊ゲンダイ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/373508
>日刊ゲンダイDIGITAL > 政治・社会 > 政治ニュース > 記事 進次郎農相の化けの皮ズルズルはがれる…“コンバイン発言”で大炎上、これじゃあ7月参院選まで人気持たず 公開日:2025/06/19 15:25 更新日:2025/06/19 15:25

きょう(令和7年2025/06/21(土):半ドン)の「総合 アクセス数ランキング(瞬間)令和7年2025/06/21 11:01更新」のトップ記事は、

いつもの、

日刊ヒョンデ、いや日刊ヒュンダイ、いや日刊ゲンダイ

の、

2日前の、

政治ニュースの、

コレですか・・・

>小泉進次郎農相は17日、高額な農機の購入がコメ生産者の負担になっているとして、コンバインなどのリースやレンタルを推進する考えを明らかにした。

まあ、いいんじゃないの。

特に、問題なのは、田植え機なんだけどネ。

>建設業界を引き合いに出し「重機や建機のレンタルやリースを当たり前にやっている」

そう、JAだけが「当たり前じゃない」んですよ。

>コンバインの需要は収穫期に集中するから、必要な時期はみんな同じ。

じゃ、ないんですよ。

宮古島(沖縄県)と宮古市(岩手県)の収穫時期は、数か月、違うんですよ。

最近、ベトナム産のキャベツや台湾産の人参が、日本に入って来てますが、

ベトナムや台湾の「2毛作」の収穫時期とも違うんですけど・・・

アホな記事を載せる日刊ゲンダイ!

まあ、無期限の不安と恐怖、何でしょうけど、ね・・・

https://www.youtube.com/watch?v=1IEVgdRyfpU
>【ミリシタ】「Brand New Theater!」【ユニットMV(39人ライブ/ゴージャスアピール版)】

22. ゆでガエルまあクン[-750] guSCxYNLg0eDi4LcgqCDToOT 2025年6月21日 11:14:10 : XgeYiV1tnA : SEx6V3hXZk92Lk0=[3074] 報告
>>21

>2毛作

JAは、2季作とか2期作とか、別な言葉を使ってますけど、ね。

>無期限の不安と恐怖、なんでしょうけど
https://www.youtube.com/watch?v=p0YNJsZHjHc
>モランボン楽団 勝利は代を継いで・・・

JAの改革は、不可避ですね・・・

日刊ゲンダイも「覚悟」を決めて下さい!

https://www.youtube.com/watch?v=p0YNJsZHjHc
>モランボン楽団 勝利は代を継いで

23. T80BVM[1602] VIJXgk9CVk0 2025年6月21日 11:58:32 : 1H3QxATScY : QUU5cmFKbzFRMDI=[40] 報告
ああ、ちょっと訂正

>ヤツが農業を知らないのではなく、台本を書いて読ませる脳衰省の汚厄人が農業を知らないのだ
⇒ヤツが農業を知らないのは当然だが、台本を書いて読ませる脳衰省の汚厄人も農業を知らないのだ

しかしあれだな
中出し孕ませ婚でレジ袋の珍さんは、「作況指数」をやめるとかナントカ
おシャンティフーラの記事です
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/#post-386659
Q それで得するのはだーれ?
A 堂島先物取引所のコメ相場で儲けようと企む、クズとかダイハン民国人とか

おまけ
農協解体を目論むヤカラは、中出し孕ませ婚でレジ袋の珍さんを応援している
攪乱工作などムダだ、バレバレだ、わ寺系のオマエのことだよwww

以上

24. [4464] iKQ 2025年6月21日 15:57:00 : 98JSTOY8rw : Y1BVNkdjbG9YLkk=[965] 報告

 たたかれる   進次郎

 たたく     ゲンダイ

 どっちも どっち だよねえ〜〜

 

25. 減らず口減らん坊[1436] jLiC54K4jPuMuILngvGWVg 2025年6月21日 16:03:57 : CGZisvi2es : cWRYeG01cUNCVC4=[130] 報告
ま、馬鹿の進次郎に期待する「普通の日本人」が、其れと同類の馬鹿だったという事だっただけの話だ
馬鹿が馬鹿を呼び、馬鹿は馬鹿を選ぶ
結果、日本は滅んだ
うまく行くはずの無い国だった
それだけの話だな
26. たぬき和尚[1850] gr2CyoKrmGGPrg 2025年6月21日 16:20:07 : ZGAvq8lUL6 : RGlkdUxULi93MEE=[1245] 報告
炎上しているチンジロウだが、一回落とされたふりをして、そこから起死回生の逆転弾を打つこともあるので要注意。親父がそうだった。
田中真紀子外務大臣を更迭したことでガクンと支持率が下がった。そこまではうなぎ昇りだったので「さしもの小泉も終わりか」と思っていたら、あっと驚く電撃訪朝と金正日が日本人拉致を認め、被害者5人が帰国するという大逆転満塁弾が飛び出す。支持率は大きくV字回復し、頃合いよしとみた親父は、郵政民営化法案が参院で否決されたのを見て衆院解散するのである。

こいつは次男坊だし親父のDNAはあまり受け継いでいないように見えるが、鬼が出るか蛇が出るかの小泉家の一族である。油断してはいけない。

27. 第n次嫌々期(仮)[3181] keaCjo6fjJmBWIr6gWmJvIFq 2025年6月21日 18:57:04 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[14608] 報告
農協が委託されて収穫してたりしますが、何か問題がありますか?
農協を攻撃したいのでしょうが、見え見えです。

国民の敵、国賊小泉一家の進次郎を潰しましょう。

28. 秘密のアッコちゃん[1647] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月21日 20:11:27 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1085] 報告
<■430行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<独自>中国軍機の異常接近時、日中がホットライン使用せず 緊急事での機能不全、露わに
2025/6/21 18:10
https://www.sankei.com/article/20250621-7U7VEDXLSJKPBJOBBXKJGI3L6M/
中国軍戦闘機が2025年6月7、8両日に海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した際、日中両政府が防衛当局幹部間のホットライン(専用回線)を使用していなかったことが2025年6月21日、分かった。
日中のホットラインはこれまで交流行事での使用にとどまっており、偶発的な衝突に繋がりかねない事案発生時に機能しづらい実態が浮き彫りとなった。
複数の日中外交筋が明らかにした。
日本政府は今回の異常接近に関し
「偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
(林芳正官房長官)
と批判してきたが、ホットライン使用には至らなかった。
防衛相経験者は
「空の出来事は事態の推移が早く、ホットラインで協議するのは難しい」
と明かす。
防衛省によると、太平洋に進出した中国海軍の空母「山東」を海自のP3Cが監視していたところ、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7日に約40分間、2025年6月8日に約80分間に渡ってP3Cを追尾した。
J15はミサイルとみられるものを搭載し、P3Cに約45メートルまで異常接近した他、同じ高度で前方を横切るなど危険な動きを見せた。
昨年2024年、海自の護衛艦「すずつき」が中国領海を一時航行した際や、中国軍機が日本領空を初めて侵犯した際もホットラインは使われなかった。
ホットラインは使用前に毎回、当局間で協議するなど内部の運用規定があるとされ、日本政府が使いたくとも中国側が拒否すれば機能しない。
中国は日本への領海侵入や領空侵犯を繰り返すなど威嚇を強めており、偶発的な衝突に発展しかねない事案が今後も続く可能性がある。
日本としては対話の実効性を確保すると共に、抑止力向上のための防衛力強化が欠かせなくなっている。

ホットライン
不測の軍事的衝突を回避したり、相互の信頼醸成を図ったりするための専用電話回線。
日中間では2023年3月に開設した。
防衛当局の幹部同士が直接連絡を取り合うもので、自衛隊と中国軍の相互通報体制
「海空連絡メカニズム」
の柱に位置付けられている。
日本政府はホットラインの使用の有無を原則公表していない。

中国空母「遼寧」「山東」から戦闘機やヘリ520回発着 防衛省発表、太平洋で同時活動
2025/6/18 0:11
https://www.sankei.com/article/20250618-EIK4T6WFGNO5PGYX53ZJF5ADEM/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月17日、太平洋で初の同時活動が確認された中国海軍の空母「遼寧」と「山東」が2025年6月8〜16日にかけ、艦載する戦闘機やヘリコプターを計約520回発着させたと発表した。
防衛省は
「遠洋での作戦遂行能力の強化を狙っている」
と見て動向を注視している。
防衛省によると、遼寧は2025年6月8日以降、硫黄島(東京都)の南東約650キロの海域から南西に進みながら発着艦を計約290回実施した。
山東は9日以降、沖ノ鳥島(東京都)周辺を時計回りに航行しながら計約230回発着艦した。
山東を巡っては、2025年6月7〜8日、艦載のJ15戦闘機による海上自衛隊のP3C哨戒機への接近が確認され、日本政府が抗議した。
遼寧は一連の航行の中で、中国が制海権確立を目的に伊豆諸島や米グアムを繋ぐ海上ライン
「第2列島線」
を中国空母として初めて越えた。

<主張>戦闘機の異常接近 無法中国に強く抗議せよ 
社説
2025/6/17 5:00
https://www.sankei.com/article/20250617-6KZ7YTWVYFLZRPSYB4MBMW7XXU/
中国の空母「山東」から発艦したJ15戦闘機が太平洋上空で、警戒監視任務中の海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した。
現場は沖ノ鳥島西方で、中国軍戦闘機は2025年6月7日は約40分間、2025年6月8日は約80分間に渡って海自哨戒機を追尾した。
両日とも約45メートルまで近づき、2025年6月8日には海自機の前方約900メートルを横切った。
いずれも極めて危険な常軌を逸した飛行で容認できない。
自衛隊機の警戒監視活動は国際ルールに沿っており何の問題もない。
中国はジェット戦闘機がプロペラ機の哨戒機に異常接近した非を認め、謝罪すべきだ。
船越健裕外務事務次官は中国の呉江浩駐日大使に深刻な懸念を伝え、再発防止を求めた。
これに対し、中国外務省の報道官は中国側の活動は国際法と国際慣例に完全に合致していると唱え、日本側が
「近距離偵察」
という
「危険行為」
をやめるよう求めた。
盗人猛々しいとはこのことだ。
反省しない中国軍は挑発を繰り返しかねない。
自衛隊の吉田圭秀統合幕僚長は会見で、
「警戒監視を厳正に実施していく」
「抑止の意志と能力を堅持していく」
と表明した。
国を守る上で極めて妥当な発言だ。
自衛隊に期待したい。
情けないのは石破茂首相と岩屋毅外相だ。
異常接近は領空侵犯に匹敵する問題だと捉えるべきだ。
深刻な懸念ではなく、断固とした抗議の意を首相や外相が示さなくてどうする。
外務次官より下のレベルの中国側への申し入れは2025年6月10日から始めたが、次官の申し入れは防衛省による事案発表の翌日の2025年6月12日だった。
首相や外相を含め、怒りをきちんと示せないようでは国を代表する資格はない。
米国のグラス駐日大使はSNSで
「中国軍戦闘機による危険極まりない行動が、自衛隊機に搭乗する隊員の命を危険に晒した」
「意図的な加害行為だ」
と中国を非難した。
本来、日本の首相、閣僚、政治家が言うべきことである。
異常接近当時、「山東」と「遼寧」の2つの中国空母が西太平洋に初めて同時展開していた。
「遼寧」は中国空母として初めて、小笠原諸島から米領のグアム島を結ぶ第2列島線の東側でも行動していた。
太平洋の守りにも一層力を入れなければ日本は危うい。

「日本が先に中国を誘発したと言う人が政府の中に…」国民・榛葉氏 中国ヘリの領空侵犯で
2025/6/13 10:10
https://www.sankei.com/article/20250613-GXY4GJ5GC5EOXMHREAEMTUNI7Q/
国民民主党の榛葉賀津也幹事長は2025年6月12日の参院外交防衛委員会で、中国軍戦闘機が海上自衛隊機に異常接近するなど
「特異な」(中谷元・防衛相)
事案が続く現状に対し
「海から空にフェーズが変わった」
「相当危機感を持った方がいい」
と強調した。
その上で
「政府の中に
『先に日本が動いたせいで中国を誘発した』
などと、まことしやかに言う人がいる」
「中国の認知戦に完全に陥っている」
と指摘した。
■「心に入ってくるのが認知戦」
中国を巡っては2025年5月3日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で海警局艦船の艦載ヘリコプターが領空侵犯した。
中国ヘリによる領空侵犯は初めて。
2025年6月7、8日には中国空母艦載機が海自哨戒機P3Cに45メートルまで接近した。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。
前者の場合、日本の小型民間機が先立って尖閣に接近しており、中国側は
「日本の右翼分子が操縦する民間機が釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)の領空に侵入した」
と主張。
後者も
「日本の艦艇や軍用機が中国の正常な軍事活動に対し接近して偵察していることが根本原因だ」
などと正当化した。
榛葉氏は同委で、質疑前日に
「変な夢」
を見たと語り始めた。
中国のヘリが尖閣諸島上空を飛行中にエンジンが不具合を起こし、不時着─。
「中国軍が人命救助を目的にババババっと尖閣に行って…」(榛葉氏)。
そこで目が覚め、考え込んでしまって寝られなかったのだという。
榛葉氏は、
「極めて心配なのが与党」
「政府の中でも
『日本の民間機による尖閣周辺での飛行が事態を誘発した』
『先に日本が動いたせいで中国の領空侵犯を誘発した』
と、まことしやかに言う人がいる」
「まさに中国の認知戦に完全に陥っている」
と疑問視した。
■尖閣に公務員常駐は「今こそやるべきでは」
岩屋毅外相は
「中国の認知戦の罠に陥っているとの指摘は当たらない」
と反論したが、榛葉氏は
「中国はサラミをスライスするように日本の心の中にも入ってくる」
と重ねて訴えた。
次に榛葉氏は
「私の大好きな自民党」(榛葉氏)
が、政権交代前後の平成24年衆院選、平成25年参院選で
「尖閣諸島への公務員常駐」
を掲げていたが、平成26年衆院選以降の公約から抜け落ちている状況を疑問視し、
「今こそやるべきではないか」
と促した。
岩屋氏は当時、党安全保障調査会長を務めていたが、同委ではこう答弁するにとどめた。
「尖閣を安定的に維持管理するため、様々な選択肢はあるが、どの方策が真に効果的なのか、戦略的観点から、総合的に判断していかねばならない」
榛葉氏は公務員常駐も
「選択肢の1つか」
と尋ねたが、岩屋氏は
「今それを採用するかは別にして、様々な選択肢の1つではある」
と語った。
■「絶対に戦争をさせない」
榛葉氏は、尖閣有事も台湾有事も起こさせないためには、米国との緊密な連携が何よりも大事だと指摘し、
「絶対に戦争をさせない」
「そのための抑止力をどう構築し、我が国が主体的にコミットしていくのか」
「自衛隊と共に、米国と共に考えていくべき」
と述べた。

自衛隊機に中国軍機接近 統幕長「偶発的衝突 誘発の可能性も」
2025年6月12日 19時22分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250611/k10014832861000.html
防衛省は、今月2025年6月、太平洋上空を飛行していた海上自衛隊の哨戒機が、中国軍の戦闘機から接近されたり前方を横切られたりしたと、2025年6月11日夜に発表しました。
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
防衛省によりますと、今月2025年6月7日と8日、日本周辺の太平洋の上空で警戒監視を行っていた海上自衛隊のP3C哨戒機が、中国軍のJ15戦闘機から追尾されたということです。
戦闘機は中国海軍の空母「山東」の艦載機で、追尾された時間は、2025年6月7日がおよそ40分、2025年6月8日がおよそ80分だったとしています。
いずれの日もおよそ45メートルの距離まで接近された他、2025年6月8日には哨戒機の前方およそ900メートルを戦闘機が横切ったということです。
「山東」は2025年6月7日午後には沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を、2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行していたことが確認されています。
今回の飛行で哨戒機の搭乗員や機体に被害はなかったということですが、
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
中国軍の戦闘機は、2014年5月と6月にも東シナ海上空で監視飛行中の自衛隊機に異常に接近していて、日本政府が中国に抗議しています。
防衛省は今回、公表が発生から数日後になったことについて
「搭乗員からの聞き取りやデータの解析を慎重にしていたため」
としています。
■統合幕僚長「偶発的衝突 誘発の可能性ある深刻な行為」
吉田統幕長は2025年6月12日の定例の記者会見で
「中国軍のミスによって接近をされたという認識は持っていない」
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある深刻な行為だ」
と述べました。
また、中国海軍の空母2隻が初めて同時期に太平洋に進出していることなどを踏まえ、
「中国軍の活動区域が拡大し、軍事活動が活発化していることについては我々としても警戒しないといけない」
「危機感は高まっていると認識して頂いて結構だ」
と述べた上で
「自衛隊として隙のない態勢を示し、力による一方的な現状変更の試みを阻止するという意思と能力を示していくことが大事だ」
と述べました。
一方、自衛隊と中国軍の偶発的な衝突を防ぐため両国の防衛当局どうしが直接連絡を取り合う
「ホットライン」
を今回使用したかどうかについては
「回答を差し控える」
として明らかにしませんでしたが
「中国と直接的な意思疎通を図る必要性は高まっていると思う」
と述べ、対話が重要だという認識を示しました。
■官房長官「中国側に深刻な懸念表明 再発防止厳重に申し入れ」
林官房長官は2025年6月12日午前の記者会見で
「中国軍の行動の意図について確たることを申し上げることは差し控えたいが、中国軍機による特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性があることから 政府として外務省の船越事務次官から呉江浩駐日大使をはじめ外交と防衛のルートで中国側に対し、深刻な懸念を表明し再発防止を厳重に申し入れた」
と述べました。
その上で
「政府としては中国側と引き続き様々なレベルで意思疎通を行うとともに我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、今後もわが国周辺の海空域での警戒・監視活動などに万全を期していく」
と述べました。
■中国外務省報道官「日本の接近偵察が根本的な原因」
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の会見で
「中国が関連する海域や空域で行っている活動は国際法や国際的な慣例に完全に則ったものだ」
と述べた上で、今回のケースについては防衛当局どうしが意思疎通を行っていることを明らかにしました。
その一方で
「強調したいのは、日本の艦艇や航空機が中国の通常の軍事活動に対して接近偵察を行っていることが海と空の安全リスクを引き起こす根本的な原因だということだ」
「日本に対して危険な行為をやめるよう強く求める」
と述べ、日本側を非難しました。
■中国軍のJ15戦闘機とは
防衛省によりますと、中国軍のJ15戦闘機は空母の上でも発着できる艦載機でロシア軍の艦載機のSu33戦闘機を模倣したとされています。
各国の艦艇や航空機の情報をとりまとめている2017年から2018年の
「ジェーン年鑑」
によりますと、飛行可能な距離は最大でおよそ3500キロとされています。
空母を飛び立った後、任務を行って再び戻ってこられる範囲を示す
「戦闘行動半径」
は明らかにされていませんが、防衛省関係者は空母が今回よりも日本に近付いた場合には、東京を含め本州が
「戦闘行動半径」
に入る恐れがあるとしています。
■中国軍の戦闘機 ミサイルを装着か
防衛省は、今月2025年6月8日に海上自衛隊のP3C哨戒機が中国軍のJ15戦闘機に追尾された際の写真2枚を公開しました。
このうち、戦闘機の前方から撮影した写真では、機体の左翼の下にミサイルとみられるものが装着されているのが確認できます。
防衛省によりますと、ミサイルとみられるものは、前日の2025年6月7日の飛行でも確認されたということです。
また、もう1枚の写真は、哨戒機の左側から戦闘機を撮影したもので、戦闘機は哨戒機から非常に近い距離をほぼ同じ高度で飛行していたことが分かります。
防衛省によりますと、2025年6月8日に戦闘機が哨戒機の前方およそ900メートルを横切った際は、哨戒機の左側から右側に向けて飛行したということです。
防衛省はこの横切りについて
「運用上必要ないもので、戦闘機のエンジンから出る排気によって哨戒機の飛行に影響が出た恐れもあった」
としています。
■追尾は7日と8日 日本周辺の太平洋上空で
防衛省は、海上自衛隊の哨戒機が中国軍の戦闘機に追尾されたのは
▽今月2025年6月7日が午前10時半ごろから11時ごろにかけてのおよそ40分間
▽今月2025年6月8日が午後2時ごろから3時ごろにかけてのおよそ80分間で、いずれも日本周辺の太平洋上空だったとしています。
防衛省関係者によりますと、このうち2025年6月7日に追尾されたのは中国海軍の空母「山東」が航行していた周辺の空域だったということです。
「山東」は、2025年6月7日午後1時ごろには、沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたことが確認されています。
また、2025年6月8日に追尾されたのは2025年6月7日に追尾された空域よりも東側で、沖ノ鳥島よりは西側だったということです。
防衛省によりますと哨戒機を追尾した戦闘機は2025年6月7日が1機、2025年6月8日が2機で、2025年6月8日については2機のうち1機が至近距離まで接近したり哨戒機の前方を横切ったりしたということです。
■中国空母2隻 同時期に太平洋に進出
防衛省関係者によりますと、中国海軍の空母「山東」は今月2025年6月6日ごろ南シナ海から台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過して太平洋に進出しました。
防衛省によりますと今月2025年6月7日の午後1時ごろには、ミサイル駆逐艦や補給艦など他の4隻の艦艇と共に沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたのが確認されています。
その2日後の2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行し、「山東」から戦闘機やヘリコプターの発着が行われたということです。
防衛省関係者によりますと発着が行われた海域は本州の紀伊半島から南に1000キロあまりの距離だったということです。
また、「山東」とは別に中国海軍の空母「遼寧」も2025年6月5月下旬以降日本周辺で航行を続け、戦闘機など艦載機の発着も確認されています。
防衛省によりますと、「遼寧」は2025年5月25日に沖縄県の尖閣諸島沖の東シナ海で航行しているのが確認され艦載機の発着も行われました。
その後、2025年5月26日から27日にかけて沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に進出し、今月2025年6月7日には日本の最も東にある小笠原諸島の南鳥島の南西およそ300キロの日本のEEZ=排他的経済水域内を航行しているのが確認されました。
その翌日の2025年6月8日にはEEZの外側の公海上で艦載機の発着が行われ、周辺には中国海軍のミサイル駆逐艦や補給艦などの艦艇7隻も確認できたということです。
中国が現在運用している空母は「遼寧」と「山東」の2隻で、同時期に太平洋に進出したのは今回が初めてとなります。
中国は
▽南西諸島から台湾、フィリピンに至るいわゆる「第1列島線」と
▽小笠原諸島からグアムなどに至るいわゆる「第2列島線」を有事が起きた際の防衛ラインの1つと位置づけ、アメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているとされています。
防衛省は今回、「遼寧」は初めて「第2列島線」よりも東の海域に進出したとしていて、「山東」についても「第2列島線」の周辺まで進出したことを公表したのは初めてだとしています。
防衛省は中国が空母の運用能力や遠方での作戦遂行能力の向上を図っているとみられるとしています。
2隻の空母などは2025年6月12日も太平洋上での航行を続けているということで、警戒と監視を続けています。
■“「能力見せつける」戦略的メッセージの可能性も”
元空将 武藤茂樹さん
航空自衛隊で司令官を務めた元空将の武藤茂樹さんは、中国軍の戦闘機の飛行について
「高度差なしの45メートルという距離は航空自衛隊が警戒監視で飛行する場合の相手との距離より1桁分近く、極めて近い距離で衝突の危険性を孕む」
「前を横切る飛行も非常に危険で、中国軍機の飛行はアンプロフェッショナルな行為だと言える」
と話しています。
その上で考えられる意図としては
「空母の活動に関する情報を取られないよう空母の付近で活動するP3Cの活動を継続して監視し、近づかせないためのものだった可能性がある」
「日本に対して能力を見せつけるという戦略的なメッセージの可能性もある」
と指摘しています。
防衛省が公表した中国軍機の写真にミサイルとみられるものが確認されたことについては
「中距離ミサイルと短距離ミサイルを搭載していることが分かる」
「いずれも空対空戦闘用のミサイルでP3Cは当然射程に入るが、航空自衛隊が行う領空侵犯などへの対応でも2種類のミサイルを搭載しているので、中国側がどのような任務で飛行したかによって脅威度は変わってくる」
と話しています。
また、今回空母2隻が太平洋で確認されたことついては
「以前は東シナ海や南シナ海の大陸に近い所で運用されていたが、このところ第1列島線の外側に出て太平洋上で運用する状況になり、今回は更にそこから離れて小笠原諸島に近い所で運用している」
「中国は第1列島線から第2列島線の所でアメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているが、空母の運用範囲が広がっていることは戦略を実行する能力が着実に上がっていることを示している」
「大陸から遠距離の場所でも十分な航空戦力の運用ができているかどうかはよく見ておかなければいけない」
と述べ、警戒監視を続けることが重要だと指摘しています。
■防衛省関係者「今までとは違う動き 危機感持たないと」
今回の中国軍の空母や艦載機の動向について防衛省関係者は
「日本は九州や沖縄の南西地域を中心に防衛力を強化してきたが、南鳥島や沖ノ鳥島など小笠原諸島周辺だとレーダーや基地などの防衛基盤が限られるため警戒が難しい」
「今回の空母の展開は今までとは違う動きで、危機感を持たないといけない」
と話しています。
また、別の防衛省関係者は
「いわゆる『第2列島線』上にある硫黄島を東西に挟む形で2隻の空母がいるのはアメリカと日本に対する圧力を感じる」
「『第2列島線』の所までアメリカ軍を寄せつけないようにするための牽制ではないか」
と話しています。

「日本の接近偵察が根本原因」 中国外務省、海自哨戒機への異常接近で責任転嫁
2025/6/12 16:10
https://www.sankei.com/article/20250612-BJDD4K7YXFJPFHRHFWX2YLAMNY/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の記者会見で、中国軍の戦闘機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機に異常接近していたことに関し、
「日本の艦艇や軍用機が、中国の正常な軍事活動に対して接近して偵察していることが海空の安全に関するリスクを引き起こしている根本原因だ」
と述べて反論した。
日本側に
「危険行為」
をやめるよう求めると主張した。
林氏は、中国軍戦闘機の活動に関して
「関係する海空域で活動を行うことは国際法と国際慣例に完全に合致している」
という従来の主張を繰り返した。
同時に、今回の異常接近に関して
「両国の国防部門が既存のルートを通じて意思疎通を保っている」
とも表明した。
日本の防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で2025年6月7、8日に警戒監視を行っていた海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
中国軍機の異常接近は平成26年以来だった。

中国軍機、海自機に45メートルまで接近 太平洋上、防衛省は深刻懸念と再発防止申し入れ
2025/6/12 0:30
https://www.sankei.com/article/20250612-QI4MIQM44ZOKLMCIIFPO5VP4VA/
防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
防衛省によると、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7、8日に警戒監視を行っていたP3Cに異常接近した。
2025年6月7日は約45メートルの距離まで接近され、2025年6月8日には針路前方約900メートルを横切った。
自衛隊機や隊員に被害は出ていない。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。

<独自>南鳥島に警戒レーダー配備を検討 防衛省、中国空母進出受け手薄な防空態勢を強化
2025/6/11 19:31
https://www.sankei.com/article/20250611-N5CTWFP4NBL2VODYVZPLN3SD6Q/
防衛省が外国機の領空侵犯と領空接近を監視する航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーを南鳥島(東京都)に配備する案を検討していることが2025年6月11日、分かった。
台湾有事の際に米海軍の接近を阻止するため中国が設定したという防衛ライン
「第2列島線」
を中国海軍の空母が初めて越えるなど海洋進出を強める中、警戒監視態勢を強化する。
一方、太平洋島嶼部への戦闘機部隊の配備や防空識別圏(ADIZ)の設置は行わない方針だ。
令和4年12月に策定した防衛力整備計画には、太平洋の離島などに移動式レーダーの整備を進める方針が明記された。
太平洋では、硫黄島を除く小笠原諸島や伊豆諸島にレーダーがなく、防空態勢が手薄な状況が続く。
南鳥島には海上自衛隊の隊員らが常駐するが、民間人は住んでおらず、防衛省内で
「レーダーを設置しやすい」
との声がある。
同島では地上から軍艦を狙う陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾の射撃場を整備する計画もある。
防衛省は太平洋に進出する中国軍機を捕捉するため、沖縄県の北大東島でも移動式レーダーを整備する。
レーダー網の拡充を急ぐ背景には、中国軍の海洋進出の勢いが増していることがある。
中国海軍の空母「遼寧」は今月2025年6月7日、ミサイル駆逐艦などを伴い、南鳥島の南西約300キロに位置する日本の排他的経済水域(EEZ)内を航行した。
空母「山東」も太平洋側に進出し、実戦訓練を行った。
中国の空母2隻が太平洋で活動するのは初めてで、自衛隊幹部は
「今後ますます活動範囲を広げていくだろう」
と危惧する。
日本は台湾有事を念頭に、南西方面での防衛力強化に力を入れてきたが、太平洋の守りは後回しとなっていた。
太平洋戦争中には米空母から発艦した爆撃機で東京などが空襲され、大きな被害が出た。
防空態勢に穴が空いたままでは、中国軍機が領空侵犯などで威嚇を強める可能性もある。

「日本に理性的取り扱い望む」「国際法と合致」 中国が空母の第2列島線初通過で主張
2025/6/9 18:19
https://www.sankei.com/article/20250609-KU2W262E7BJGDO4YIM55M56NGI/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月9日の記者会見で、中国海軍の空母
「遼寧」
が小笠原諸島やグアムを結ぶ
「第2列島線」
を初めて越えたと日本側が発表したことについて、
「中国の軍艦の関連海域における活動は国際法と国際慣例に完全に合致している」
と主張した。
林氏は
「中国は一貫して防御的な国防政策を実行しており、日本側は客観的、理性的に取り扱うよう望む」
と注文を付けた。
中国軍は、日本周辺で空母の活動を活発化させている。
昨年2024年9月には遼寧が、中国の空母として初めて沖縄県の西表島と与那国島の間の接続水域を航行した。

中国空母「遼寧」、南鳥島沖に初進出 防衛省、艦載機やヘリの発着艦を確認
2025/6/8 22:27
https://www.sankei.com/article/20250608-RF5DZVZNXZJBLBNQGWZ4EVFEAI/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月8日、中国海軍の空母
「遼寧」
が2025年6月7〜8日、南鳥島(東京都)の沖合の太平洋を航行し、搭載する戦闘機やヘリコプターの発着を確認したと発表した。
防衛省によると、中国の空母が同海域まで進出したのは初めて。
中国海軍が日本周辺での活動を拡大、活発化させているとして情報収集や警戒監視を強化している。
防衛省によると、2025年6月7日午後6時頃、南鳥島の南西約300キロの排他的経済水域(EEZ)内で、遼寧がミサイル駆逐艦など3隻と共に航行しているのを確認。遼寧は更に南西に進み、2025年6月8日に発着艦を実施した。
遼寧は2025年5月下旬、沖縄周辺の東シナ海や太平洋で発着艦を繰り返した後、太平洋を南進。
その後、南鳥島沖に北上してきたとみられる。
遼寧は旧ソ連製空母を改修し、2012年9月に就役した中国初の空母。
船首に傾斜がついたスキージャンプ式の甲板を備える。
昨年2024年9月、沖縄県の西表島と与那国島の間を通過し、中国空母として初めて日本の接続水域を航行したことが確認された。

中国海警船は4倍増、比国は6隻のみ 鹿児島で国内初の日米比合同訓練、結束確認
2025/6/16 19:15
https://www.sankei.com/article/20250616-OKBN2U47ERKVHGAP2J5BXOOD24/
海上保安庁は2025年6月16日、米国、フィリピンの両沿岸警備隊と行う国内初の共同訓練を前に、鹿児島県内で歓迎式典を開いた。
3カ国共同訓練は昨年、マニラで初めて開催。
東シナ、南シナ両海への進出を強める中国を念頭に、日米比の結束を示し、力による現状変更に対抗する構えだ。
訓練は2025年6月20日、鹿児島・錦江湾で実施。
参加する巡視船は海保の「あさなぎ」(6千トン)、比国は日本が供与した「テレサ・マグバヌア」(2265トン)、米国は「ストラットン」(4500トン)。
九州南方の公海上で船舶同士が衝突したと想定し、連携して情報伝達や捜索救助、火災消火の手順を確認する。
中国は離島を巡る領有権争いを激化させている。
中国の海上保安機関である海警局の船舶は東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)へ年間を通じて接近。
南シナ海では軍事拠点化を進めるスプラトリー(中国名・南沙)諸島で、海警局船の比船舶への妨害行動が頻発に起きている。
海保によると、広範囲に活動できる1千トン級船舶は、2012年に中国は日本より少ない40隻だったが、2023年までに推定159隻と4倍に。
日本は51隻から75隻と1.5倍増にとどまる。
さらに2018年、海警局は軍事組織の一部へ編入された。
比国は詳細を明らかにしていないが、海洋監視に使用できる大型船舶は極端に少ない。
米国が2019年までに海軍へ供与した3隻の他、日本も2022年に2隻供与するなど現在は計6隻とみられる。
日本は2028年までに5隻を追加供与する予定。
比国の海上法執行能力の構築は、中国と対峙する日本と同盟国・米国にとって急務となっている。


[18初期非表示理由]:担当:スレと関係が薄い長文多数のため全部処理。自分でスレを建てて好きな事を投稿してください

29. 楽老[5942] inmYVg 2025年6月21日 20:57:31 : BOk6mbQWFk : M0VzdzM0ajlEbjY=[398] 報告
【「コンバインの需要は収穫期に集中するから、必要な時期はみんな同じ。リースすればいいと簡単に口にしていますが、制度設計に無理があります。それに、借りられなかった場合のリスクが大きすぎる。やはり進次郎さんは農業のことがわかっていないのでしょう」(コメ業界関係者)】

これこそがプロパガンダ
JA全農であればこそ、地域、コメの品種、気候、等々を勘案して農機のリースが可能なはず。
既得権益に守られてノウノウと無駄飯を食っているからこその発言だ。

稲は元々熱帯性作物
非常に苦労してようやく北海道にまで耕作適地を広げてきた。
タイやベトナムで猛暑だから品質が悪くなったなんて言うニュースがあったか。
既得権益に守られて時給10円などとお涙頂戴を演じているから稲作技術が低下しているのだ。
昔は優秀な農家は反収1トンを誇った。
今は皆無。反収600kgを上げるのが精一杯
福岡正信の「わら一本の革命」によると水田の除草も這いつくばるのでなく、水位調節でよく、雑草の中での籾入り泥団子の乾田作付けなどの技術も、
ところが、各地の農業試験場を廃止して技術が廃れただけでなく、技術の蓄積を米国農業に捧げたのが実情だ。

    

30. にゃん太郎[180] gsmC4YLxkb6YWQ 2025年6月22日 06:02:24 : OBTRPrM0Ls : NmNFSGk4VVg1VEk=[25] 報告
自公立による年金改正としてはスンズロ劇場は大成功だと思う。
審議最少で法案僅か10日で通した年金改正案。
このために用意されたスンズロ議員は次のステージへ
スンズロ総理。。
そして財務省主導の自民公明立民の大連立…
世は正に大増税時代w

31. 秘密のアッコちゃん[1649] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 10:56:54 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1087] 報告
<■914行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<産経抄>沖縄戦終結から80年
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-VSBMGT3RUVNXJAABK33BSLYR64/
羽化してから数時間で命を終えるカゲロウは、はかなさの象徴として歌に詠まれることも多い。
<壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ>。
芥川龍之介の死を悼み、親しかった斎藤茂吉が手向けた挽歌だ。
▼35年の生涯を駆け抜けた作家の面差しが命短いカゲロウの姿に重なり、寂寥(せきりょう)感が長い尾を引く。
かの羽虫には口がない。
餌を取るということを知らず、子孫を残すためだけに空を漂う。
歌人の小池光さんが
「片道燃料で出撃した戦艦大和のよう」
と、例えていたのを思い出す。
▼その大和は沖縄戦に向かう途中で、米軍機の攻撃により沈んだ。
昭和20年4月7日である。
沖縄本島では第32軍将兵や義勇隊などが戦い、本土からは2500機以上の特攻機や空挺隊が出撃した。
日本は軍民合わせ約18万8千人が亡くなっている。
▼沖縄を、我が国を、子や孫らのあすを守るため、身を盾にして奮戦した人たちである。
米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。
明日2025年6月23日は、沖縄での組織的な戦闘が終わってから80年の節目、戦没者に哀悼の誠を捧げる
「慰霊の日」
である。
▼沖縄戦を巡っては、今も尚、本土防衛の
「捨て石」
などと自虐的な歴史観で語られることも多い。
沖縄戦の特攻には、関東や東北など各地から多くの若者が出撃して散華した。
国を守る戦いに、本土も離島もなかった証しである。
英霊への冒瀆を看過することはできない。
▼尖閣諸島をはじめ我が国近海では、中国の威圧的な動きが目に余る。
長きに渡り積み重ねた
「戦後」
に唾する相手には外交努力だけでは十分でない。
防衛力を高めることが国民と国土を守ることに繋がる。
子孫に明日を託した英霊への、それが答えになる。

<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。


[18初期非表示理由]:担当:スレと関係が薄い長文多数のため全部処理。自分でスレを建てて好きな事を投稿してください

32. 第n次嫌々期(仮)[3191] keaCjo6fjJmBWIr6gWmJvIFq 2025年6月22日 16:06:01 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[14618] 報告
珍次郎が農家の実態を知らないのは今に始まったことじゃありませんけど。

農家は、台風の時期、秋の長雨の合間、適度に晴れが続いた時を狙って、収穫するのですよ。
台風で稲が倒れて水に漬かってしまえば、モミから発芽しちゃったりします。
晴天続きである程度モミが乾いている必要もあるのです。
天候にものすごく左右されるのです。
時期としてはどのあたりと、地域によってある程度は決まると思いますが、細かい日程までは絶対に決められません。
日本列島、南から北へとリースで渡り歩くのは難しいと判断します。

そこで、近隣のコンバイン所有農家さんへの農協を通じた委託なわけです。

33. から最[1] gqmC543F 2025年6月22日 23:29:29 : OOeq0HYzoE : WU90MlBnamRTZkU=[2] 報告
あほ進次郎:さつま閥:プロテスタント

下痢:長州閥、カトリック

どっちも糞

皇室、薩長は明治から最悪の売国奴

34. アホさらしの刑[1] g0GDeoKzgueCtYLMjFk 2025年6月22日 23:30:22 : OOeq0HYzoE : WU90MlBnamRTZkU=[3] 報告
バカ発言をする前に、それを止める人間がいない。

このアホ進次郎は、部下から見放されているw

35. 赤かぶ[245798] kNSCqYLU 2025年6月23日 04:57:07 : Opexvnbdmg : eXdJaHN2ZEJkQy4=[466] 報告

36. 位置[1463] iMqSdQ 2025年6月24日 07:37:14 : f4UDsj0Syk : ZGl2MlJnTnhOTjI=[91] 報告
目を向けている相手が生産者や消費者では無く、販売者や経営者というトコに、親父同様のカスである証明である。

畑の雑草一本刈った事すらないような輩に、農水大臣やらせる事自体が、既に間違っているのだが。

37. 銀の荼毘[1638] i@KCzOS2lPk 2025年6月24日 12:48:21 : qES2oYTYIs : NnM1RWwycXlPblk=[1] 報告

ラウンドアップの使用を強要する🟰JAは←潰せば良い。


▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK297掲示板 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★事前登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK297掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
政治・選挙・NHK297掲示板  
次へ