<■773行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> <独自>日航機墜落事故40年 米ボーイング、修理ミスの理由説明「設置困難で部品切断」 2025/8/6 22:00 https://www.sankei.com/article/20250806-N5T7PWWI3JNLNMARNOECQE4U3Q/ 2025年8月12日で発生から40年になる日航機墜落事故を巡り、米ボーイング社は産経新聞の取材に応じ、事故原因とされる接合板(スプライス・プレート)を2枚使用した機体の修理ミスが起きた理由について 「設置することが構造上困難だったため」 と明らかにした。 当時の旧運輸省航空事故調査委員会の調査や、警察の捜査では担当者への聞き取りができず、2枚のプレートを使用した修理ミスが起きた理由は判明していなかった。 1985年8月に発生し、乗客乗員520人が犠牲になった単独機として世界最悪の航空機事故は、原因の更なる究明に向け一歩踏み出した。 墜落した機体はボーイング747型機。墜落事故の7年前1978年、別の事故で機体後部を損傷し、ボーイングが修理した。 機内の気圧を保つドーム状の部品 「後部圧力隔壁」 について、修理チームは下半分を新品に取り換え上半分と接合した。 このとき、接合部にあてるプレートが指示書では1枚だったのに対し、2枚に切断されたものが使用された。 隔壁はプレートを挟む形で鋲留めされたが、本来の仕様より強度が7割に落ち込み、最終的に墜落事故に繋がったと事故調の報告書で結論付けている。 だが、2枚のプレートを使用した理由は長く判明していなかった。 ボーイングは取材に 「プレートを所定の位置に設置するのが難しく、2つに切り分けて設置しやすくした」 と説明した。 ボーイングは昨年2024年9月、日航機墜落事故に関するページを公開し、この内容を示していた。 米連邦航空局(FAA)も、公式サイトで 「隣接する構造物との複合的な湾曲のため設置が困難だった」 と記載している。 当時、事故調の調査官として圧力隔壁を調べた斉藤孝一さん(80)は 「事故後の40年間で初めて出てきた情報で、大変驚いている」 「整備員たちが安全のために知るべき非常に重要な情報だ」 と述べた。 ボーイングは取材に際し、 「ご遺族の皆様に心よりの哀悼の意とお詫びを申し上げます」 と改めて謝罪した。 遺族らで作る「8・12連絡会」は 「修理ミスについて、1つ1つ事実が分かっていくことによって、その背景を明らかにしていくことができるはずなので、更に詳しく情報をオープンにしていってほしい」 とコメントした。日航機墜落は自衛隊の陰謀!? デマはなぜ消えぬ 正論2025年7月号 ジャーナリスト 葛城奈海 乗客乗員520名という単独飛行機事故としては世界最多の死者を出した日本航空123便墜落事故から、2025年8月12日で40年となる。 当時を知らない世代も増える一方、僅か4名だった生存者の1人、当時12歳の川上慶子さんが自衛官に抱えられながらヘリに引き上げられていく映像をご記憶の方も少なくないだろう。 昭和60(1985)年8月12日午後6時12分、羽田空港を離陸した日航ジャンボ機123便は、大阪伊丹空港へ向かう途上、異常事態が発生、午後6時56分、群馬県上野村の 「御巣鷹山の尾根」 に墜落した。 事故原因について、運輸省の航空事故調査委員会(当時)は、昭和53年に起こした 「尻もち事故」 後の不適切な修理で機体後部の圧力壁が壊れ、垂直尾翼や操縦系統が破壊されたと推定。 メーカーのボーイング社は、修理ミスがあったことを認めている。 事故機の生存者捜索・救助、ご遺体の搬送には警察や消防、地元猟友会らと共に、自衛隊が力を尽くした。 にもかかわらず、あろうことかその自衛隊が日航機を墜落させ、その証拠隠滅のために現場を火炎放射器で焼いたという 「陰謀説」 がいつしか流布されるようになった。 事故当時、第1空挺団の小隊長としてヘリからのリベリング(懸垂降下)でいち早く現場に入り、事故対処に当たった元陸上幕僚長の岡部俊哉氏の話を聞いていた私は、凄惨な現場で黙々と任務に邁進した自衛官たちの尊厳が踏みにじられていることへの憤りと、予備自衛官としての他、様々な形で自身も関わって来た自衛隊が事実に反して貶められることを食い止めたいという思いにかられた。 「御巣鷹の尾根」 登山道に、陰謀説を真に受けたと思われる慰霊碑が遺族によって建立されたと知るに及び、同説を放置したら既成事実化しかねないとの危機感が募った。 ■自衛隊OBらの反論 「自衛隊犯人説」 など余りに荒唐無稽で国民が信じるわけがないと当初は意に介していなかったOBたちも、危機感を抱き、反論を始めた。 産経新聞2025年4月1日付の「正論」欄で元空将の織田邦男氏が、事故当時、航空幕僚監部運用課員として事故発生から収束までの一部始終を、指揮中枢である空幕作戦室で目撃した立場から 「全くのデマだと断言できる」 とした。 元戦闘機パイロットである織田氏は、疑惑の発端となった自衛隊の 「現場到着の遅れ」 について、こう述べている。 【地上レーダーは低高度が見えないので墜落地点は特定できない。 最初に炎を発見した米軍C130輸送機、空自F4戦闘機からの位置情報は、TACAN(戦術航法装置)の情報である(GPSは未装備)。 TACANには、固有の誤差がある。 更に当該機と現場の距離が誤差となって加わる。 横田TACAN局から割り出せば位置情報に4km前後の誤差が生じることはやむを得ない。 航空では僅かな誤差だが、陸上行動では大きな障害となる。 特に山岳地帯では、4km違えば隣の尾根になってしまう。 山岳の道なき道の移動は4kmでも数時間かかる。 夜間で、暗視装置のない(当時)ヘリの山岳投入は危険なので中止した。 地上部隊の投入場所の決定が遅れ、結果的に現場到着が遅れた。 この遅れが 「何かがあるはず」 と臆測を呼び、連鎖して物語の創作に繫がったのだろう。】 私も狩猟その他で道なき道を進む困難さを度々味わってきた経験から、織田氏の特に山岳の道なき道の移動についての指摘は実体験として深く頷かざるを得ない。 2025年4月16日には、参議院議員会館1階講堂で 「JAL123便事故究明の会」 によるシンポジウムが開催された。 平日の16時からという時間帯にもかかわらず250名もの参加があり、壁沿いにずらりと補助席を並べてぎりぎり収容がかなうほどの盛況ぶりであった。 シンポジウムでは、まず基調講演として同会会長で元陸上幕僚長の岡部俊哉氏が、事故当時、第1空挺団の小隊長として現場で生存者捜索・救助、ヘリポート造成、遺体後送などの指揮を執った実体験を述べた。 岡部氏ら空挺団員は事故翌朝、現場にリベリング(ホバリングするヘリコプターから縄を垂らして降りる)で降着、生存者の捜索、救助に当たった。 生存者4名が消防団によって発見されたことを受け、ホイスト(縄を巻き上げること)によるヘリ収容を行った。 生存者は全員女性で、うち2人は母子であった。 収容はまず8歳の女児から毛布にくるんで行ったが、2番目に12歳の川上慶子さんを同様に包んでいた毛布をメディアの人間が剥いだという。 皮肉にも、その映像が世界を駆け巡ったが、一部メディアの倫理観の無さを表していると言えよう。 生存者のヘリ収容が完了すると、次に空挺団はヘリポートの造成に取り掛かった。 山の斜面に造成するため、作業は困難なものであった。 山側を切り崩した土を谷川に盛るという作業を夜を徹して行い、翌昭和60(1985)年8月14日にヘリポートが完成。 遺体の後送が開始された。 中にはシートベルトによって上下に分断されたご遺体をはじめ部分遺体が多数あったが、毛布でくるみ重ならないようにしてヘリの床に足の踏み場もないほど詰めて収容することを繰り返したという。 空挺団が撮影した5分ほどの映像も上映された。 まだ一部で煙の立ち上る現場にヘリからリぺリングで地上に降り立つ空挺団員たちの他、散乱する瓦礫、なぎ倒され、あるいは焼け焦げた木々や岩がちな急斜面、ボサ、消防団員などが映り込んでおり、現場の空気が鮮明に伝わってきた。 岡部氏はまた、任務終了から約1カ月、不眠、肉食不可、手にご遺体の感触が蘇る、窓の外にご遺体が並ぶ幻想を見るなど急性ストレス障害(ASD)に悩まされたことを告白している。 シンポジウム後段は、岡部氏を含めた関係者による以下の5つの陰謀説への反論であった。 @海上自衛隊護衛艦のミサイルが123便に衝突 A航空自衛隊のF4戦闘機が123便を追尾 B墜落現場の特定を遅延させた C証拠隠滅のため火炎放射器で現場を焼却 D海自出身の機長の遺体・制服を自衛隊が隠滅 これに対し、登壇者がそれぞれ以下のように回答した。 @海上自衛隊護衛艦のミサイルが123便に衝突 「陰謀説」 では当時ミサイルの実験中だった護衛艦「まつゆき」が相模湾で短SAMシースパロー(艦対空ミサイル)の垂直発射試験を行っており、123便の垂直尾翼周辺に異変を生じさせたとするが、当時「まつゆき」はまだ自衛隊のものではなかった。 当時は、石川島播磨重工(現IHI)が所有し、船長もスタッフも同社員で「公試」(船舶の海上試運転)を行っていた。 元海上自衛隊海将補の林祐氏によると、海上自衛官も「艤装員」として乗り込んではいたが、自衛隊が主導できる状況ではなかった。 また、当日相模湾で行っていたのは運動能力試験であり、そもそも武器は未積載であった。 A航空自衛隊のF4戦闘機2機が123便を追尾 墜落直前の123便を空自F4戦闘機2機が追尾し、最終的にミサイルで撃墜したという 「陰謀説」 に対し、実際に事故当日F4戦闘機の後席に搭乗して現場上空を飛んだ渡辺修三氏は 「そもそも自衛隊の武器・装備品の管理は徹底している」 「ミサイルで撃墜はあり得ない」 また、当時の出動について 「ダイレクトスクランブル(事前情報なし)で上がった」 「西側に指向されたのでなぜだろうと思っていたら、123便がレーダーから消えた所へ行くと判明した」 「現場には当日薄い雲がかかっていたが、その中に橙色の場所があった」 「確認のために雲を突き抜けていくと、炎の帯が1.5km〜2kmに渡って続いていた」 と証言した。 B墜落現場の特定を遅延させた 前述の織田氏同様、渡辺氏もTACAN(戦術航法装置)の機械的誤差および人的誤差に触れた。 帯状に燃えていた中で、最も燃えている所に合わせようと努力し、百里、横田、入間の3カ所から位置を割り出すべく通報したが、結果的にずれていた。 夜間だったことが、定点の割り出しを一層困難にした。 また、第1空挺団に対し、 「事故当日の夕刻、災害派遣待機命令が出ており、ヘリもエンジンをかけて待機していたにもかかわらず、それが解除された」 に対し、岡部氏は、そもそもそんな命令は出ていなかった、当直の陸曹に対し、命令が出ていないことを確認して就寝した。 C証拠隠滅のため火炎放射器で現場を焼却 「ガソリンとタールの混ざった臭いが漂っていた」 「ご遺体が2度焼きしたように激しく炭化していた」 という証言を基に 「証拠隠滅のために自衛隊員が火炎放射器(自衛隊では「携帯放射器」と呼称)で現場を焼却した」 という説に対し、岡部氏は、 「携帯放射器はそもそも高圧洗浄機の噴射と同様に広い面積を対象とするのには不適であり、燃料のゲル化油を作るなど準備に長時間要する」 「そもそもタールは使わない」 と反論した。 また、 「昨年2024年の羽田空港での事故を思い起こせば分かる通り、航空燃料の火力は非常に強く飛行機でさえ焼き尽くしてしまう」 というファシリテーターの元日興職員、空花正人氏の言葉には、なるほどと思わされた。 更に、事故当時陸自第13普通科連隊(長野県松本市)の一員として最初に地上から現場入りした小川清史元西部方面総監は、 「道の無い山を地図判読し笹や木を手で掴みながら登って行った」 「そんな状況で、もしそこに携帯放射器があったらノズルが邪魔で(笹や木に引っかかって)とても進めなかったはず」 「武器庫内にある携帯放射器を取り出す手続きは非常に厳密」 「燃料は業務隊が持っているため指揮系統が違い、一層手続きが複雑になる」 とし、何重もの意味であり得ないことを語った。 D海自出身の機長の遺体・制服を自衛隊が隠滅 事故機の機長が海自出身だったことから、 「陰謀説」 では 「ミサイルを誤射した」 海自の訓練との関係が仄めかされている。 自衛官が現場で真っ先に機長を発見し、目印のために棒で突き刺し、ヘリ内で搬送中の遺体から制服を剝ぎ取ったとする説に対し、岡部氏は 「現場検証で警察によって番号が付けられ、自衛隊は勝手にできない」 「自分たちがヘリポートを運用していたから、後送したご遺体は全て見ている」 「マスコミもいる中で、あり得ない」 と反論した。 ■「御巣鷹の尾根」の今 事故当時、捜索・救助等に当たった地元猟友会、消防団、警察、そして自衛隊などが道なき道を切り開きながら進んだ 「御巣鷹の尾根」 へは、現在ではすぐ近くまで車道が整備されている。 2025年4月末の冬季閉鎖解除を待って、2025年5月6日現場を訪ねた。 五月晴れの下、新緑から青葉へと変わりつつある若葉が輝く中、設置されていた 「熊よけの鐘」 を鳴らして入山。 スゲノ沢の水音を感じながら 「御巣鷹の尾根」 へと向かう。 参拝道を数十メートル進むごとに「水場」や小さな「山守地蔵」が目に入る。 斜面の急峻さを目の当たりにしながら、事故当時、道の無いこの場所に分け入った関係者らの苦労を想う。 しばらく進むといくつかのベンチが置かれた休憩スペースがあり、その先から斜面のあちこちにご遺族らが建てた墓標や石碑が点在する慰霊のエリアとなる。 それぞれを結ぶように小道や金属の階段が付けられているが、一筆書きで全てを回れるような道筋ではなく、いくつもの枝道に分かれており、全てを回るには相当な時間を要する。 その最も手前、つまり慰霊に訪れた人のほぼ全員が目にする位置に、件の慰霊碑はあった。 台座中央に置かれた石碑(写真1)には 「日航機墜落事故 真実の仮説」 として 「加害者 N総理・自衛隊幕僚長」 「事故原因(墜落) 自衛隊曳行標的機・衝突、N総理 撃墜殺害 指示、自衛隊 ミサイル撃墜・墜落」 などと記され(写真2)て、事故当日、搭乗前に撮影された高校生と中学生の兄妹の写真が並べられた下には 「*N総理・自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」 との文言がある。 その左右には、事故機で共に旅していた2家族の犠牲者の名前が彫り込まれた石碑が並ぶ。 名前が彫られた石碑の裏を見ると建立は平成19年とあったが、中央の石碑がこの場所に確認されたのは昨年2024年だという。 よりによって、こんな 「最も目に付く位置」 に 「陰謀説」 が真実であるかのような石碑が、 「ご遺族によって」 建立されているという現実を目の当たりにし、私自身の衝撃が更に深まった。 先へと進み、いくつもの墓標や石碑の前を通りながら、尾根上に開けた 「昇魂之碑」 に到着。 壮絶な最期を迎えた520名の御霊の安からんことを祈った。 周囲一帯はとても美しく整備されており、水仙、馬酔木、標高の高さ故にまだ残っていた山桜、これからまさに咲かんとする石楠花など百花繚乱の様相を呈していたが、その中で白いヘルメット姿の若者5〜6名が手に箕などを持って活動していた。 聞けば、日航職員が休暇を使ってボランティアに来ているのだという。 「昇魂之碑」 の少し奥には、 「遭難者遺品埋没の場所」 や観音像などがあったが、特に印象的だった場所が3カ所ある。 まず、「祭壇」だ。 入口にたくさんの千羽鶴が下げられた木造の小屋のような建物内に置かれている。 祭壇や壁面には写真や千羽鶴が所狭しと並べられ、掲げられている。 犠牲者の1人、坂本九さんの 「上を向いて歩こう」 のレコードジャケットもあった。 線香を手向けお参りをさせて頂いた後に1つ1つ見ていくと、祭壇中央に目を引く額があった。 というのも、その額内に収められている布が赤いのだ。 そこに筆書きと思しき書体で 「故川上英治、川上和子同志へ」 「闘いのなかばで倒れた同志の遺志を受け継ぐことを誓って、霊にささぐ」 と日本共産党群馬県委員会委員長をはじめとする党員と思しき署名が寄せられていた(写真3)。 同志として名を連ねている故人は、救助された慶子さんのご両親だ。 「祭壇」 の中で、そこだけ異質な空気を醸し出していた。 2つ目は、 「沈黙の木」 と札が下げられていた場所だ。 当初、随分昔に大木が倒れた跡のように見え、だいぶ風化しているので何の事だろうと思いながらよく見ていくと、一部の断面や、しゃがんで覗いた下の方に炭化した部分が明確に残っていた。 40年の時を超え、事故による火災の残滓がそのまま存在している。 まさにここが 「現場」 であったことを実感した瞬間だった。 「沈黙の木」 を覗き込んでいると、 「御巣鷹の尾根管理人」 の黒沢完一氏が声を掛けて下さった。 同氏が指を指しながら説明してくれたところによると日航機は隣の尾根に接触(その部分の樹木が抉られたことからU字溝と呼ばれており、現在でもV字型に樹木の空際線が抉れている)、高天原山に上下が逆さになった状態で墜落した。 機体後部はスゲノ沢に滑落、そこから4名の生存者が救出されている。 3つ目は、更にその奥にあった 「X岩」 だ。 岩には実際に白く 「X」 と大書されている。 傍らに立つ石碑には 「日航機墜落事故対策の記録」 と題し、延べ5万5117人が135日間に渡って活動した群馬県警が 「第4現場」 と呼んでいたこのエリアで救援・捜査活動を行う際、基準とした場所であることなどが刻まれていた。 下山して次に17km離れた 「慰霊の園」 に向かった。 「御巣鷹の尾根」 に向かって合掌した姿の慰霊塔の奥には納骨堂があった。 最後まで身元確認が叶わなかった120以上のご遺骨が納められているという。 事故処理の支援を通じて事故の凄まじさ、ご遺族の悲しみを目の当たりにした上野村村民が、2度とこのような事故が起こらないように願い、永遠に霊を祀り慰めることが村民の責務だと考え、有志が土地を提供して建設されたという。 資料館で上映されていた事故当時の映像によって、事故現場の特定および生存者の捜索・救助に向かった地元猟友会が8名、消防団員が160名だったこと、身元不明遺体を役場の2階に仮安置したこと、事故の翌年1986年7月には慰霊のための登山道を整備し、1986年8月の1周忌には納骨が行われたことなどを知った。 いずれにも当時の黒澤丈夫村長の強いリーダーシップを感じた。 余談だが、黒澤村長は、元海軍の戦闘機乗りであった。 ■自衛隊犯人説を既成事実化させるな 自衛隊犯人説が広がった背景に、元日航職員のノンフィクション作家、青山透子氏による著書の存在がある。 彼女の著書のうちの3冊(いずれも河出書房新社)が公益社団法人全国学校図書館協議会による 「選定図書」 に指定されていた。 「選定図書」 とは、図書館などに相応しいお勧めの本として複数の選定委員の推薦を受けた図書のことで、年間約7000点が選ばれている。 加えて、本年2025年1月に亡くなった経済アナリストの森永卓郎氏が著書やYouTube番組などで自衛隊の関与を指摘したことで、ここ1年ほどで同説が一気に広がった印象だ。 こうした本が図書館や書店に並べば、国を守る自衛隊という組織に対する印象が著しく貶められ、結果として、ただでさえ募集難に喘ぐ自衛隊へ追い打ちをかけることにもなりかねない。 何より看過できないのは、遺体や燃料などの臭気漂う凄惨な事故現場で、黙々と任務に邁進した自衛官たちの尊厳を踏みにじっていることだ。 陸上自衛隊OBでもある佐藤正久議員は2025年4月10日の参院外交防衛委員会で 「自衛隊員の名誉に関わる問題だ」 「多くの人命救助に当たった隊員に対する侮辱だ」 と問題視した。 これに対し、中谷元・防衛大臣は 「自衛隊が墜落に関与したことは断じてない」 「しっかり対応したい」 と語った。 周知の通り、中谷元・防衛大臣も陸自OBだ。 かつての同僚の名誉を守るためにも、また今まさに日々の任務や訓練に勤しむ現在の自衛隊員の士気を落とさないためにも、そして未来の自衛隊の誇りのためにも、この問題を軽視せず、防衛省を挙げて真摯に対応することを心から願う。 御巣鷹の尾根で、件の慰霊碑以外にも1つ気にかかる石碑があった。 登山口から歩き始めてほどなく 「すげの沢のささやき」 と標識の立つ場所があった。 事故当時、米国・国家運輸安全委員会(NTSB)の委員長だったジム・バーネット氏が講演会で述べた言葉が石碑に刻まれているのだが、その内容はここでは置く。 引っ掛かったのは、説明板の文章の中の以下の文言だ。 「日本の、運輸省・航空事故調査委員会の調査報告書は、原案がNTSBに送られ、同氏の承諾を得た後に初めて、発行された」 NTSBが報告書作成に 「協力」 したのではなく、その 「承認」 を得て発行されたという辺りに、何かしら情報操作や隠蔽があるのではないかと疑念が沸くのは私ばかりではないであろう。 これに象徴されるように事故後の情報公開の在り方に、 「陰謀説」 を生み出しかねない隙があったことは否定できない。 ことは防衛省だけに収まる話ではない。 政府の責任において、自衛隊を貶める様々な疑念を晴らすべく情報公開の在り方も見直すべきだ。 現状では、自衛隊は 「無実の罪」 着せられ名誉を毀損されている被害者と言えよう。 「自衛隊犯人説」 が増幅されれば、自衛隊の弱体化、ひいては日本国の国防力の低下に繋がる。 これによって利するのは誰か。 そもそもこの問題も、日本を弱体化するという大目的をもって行われている世論戦であるかもしれない。 その可能性も念頭に、甘く見ることなく対処する必要があろう。 具体的には、政府が著者を名誉棄損で訴え、証拠を出させるなどの法執行が必要なのではないか。 法廷という公の場で白黒はっきりつけさせる。 傍観するのではなく、 「国としての意思を示す」 と政府が腹を決めるべき事態であると私は思う。 「陰謀説」 を決して既成事実化させてはならない。 「選挙時のSNS規制」に走るメディアの危うさ 正論2025年7月号 政策シンクタンク 原英史 ■「自衛隊関与説」と反論 政府は、言論市場の 「統制役」 になるべきではない。 一方で、言論市場に 「プレーヤー」 としては参加できる。 政府に対して不当な批判がなされた時は、反論できる。 むしろ積極的に反論すべきだ。 実際には政府は、反論に及び腰になりがちだ。 これは、反論すると野党やメディアから 「言論弾圧だ」 といった反発を受けることを過度に恐れるためだ。 このため、例えば原発処理水を巡る経過のように、不当な報道や情報発信の一方的な拡散が起きてしまう。 この関連で最近気になったのは、昭和60年の日航機墜落事故に関して、今年2025年4月に国会でなされた質疑だ。 日航機墜落に関しては以前から、自衛隊が関与したとの説があった。 最近もノンフィクション作家の青山透子氏らが著書で唱え、亡くなられたタレントで経済アナリストの森永卓郎氏が日本経済低迷の要因と指摘した。 青山氏の著書につき、佐藤正久参議院議員が2025年4月10日の参議院外交防衛委員会で取り上げ、 「多くの人命救助に当たった隊員に対する侮辱だ」 と問題視した。 これに対し青山氏は翌日、ウェブサイトで抗議文を公開し、 「権限濫用による表現の自由、言論への弾圧」 だと批判した。 まず、私は 「自衛隊関与説」 には余り興味はない。 一方で、通説に抗して異説を唱えることは、社会にとって貴重だと考えている。 かつて地動説が異説だったことを思い出すまでもなく、真実が封印されている可能性があるのだから、異説は大事にしないといけない。 その前提で、国会質疑を見て、青山氏の著書にも目を通した。 佐藤議員の質疑は真っ当な内容だ。 「自衛隊関与説」 について、 「政府が間違いと認識しているなら、しっかり反論せよ」 という指摘だ。 防衛省が適切に反論し、また、全国学校図書館協議会の選定図書への指定について文科省から問題指摘すべきと求めている。 一方で、本を発禁処分にせよといった内容ではない。 これに対し、青山氏が 「言論弾圧」 だと批判しているのはおかしい。 政府への批判に対する反論、あるいは国会議員が政府に 「反論せよ」 と求めることは、 「言論弾圧」 ではない。 言論市場において、プレーヤーに 「反論を受けない権利」 はなく、政府を批判した時でも同じだ。 どちらが説得的かは、 「言論の自由市場」 において判断されたらよいことだ。 日航機事故 「御巣鷹の尾根」への登山道に「自衛隊撃墜説」を伝える慰霊碑は本当にあった 記者の「暴論」 矢野将史 2025/5/4 14:00 https://www.sankei.com/article/20250504-U5K7OD4BNNP2DE7DTSUDDQUIVY/ 乗員・乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から、今年2025年8月で40年を迎える。 国会審議で先日、自衛隊が加害者であるかのような言説が流布されていると知り、驚いた。 墜落現場となった群馬県上野村の 「御巣鷹の尾根」 への登山道には、自衛隊撃墜説を 「仮説」 として伝える慰霊碑もあるという。 登山道が冬の閉鎖期間を終えたGW前半、慰霊登山をしてきた。 その慰霊碑については、自民党の佐藤正久参院議員が2025年4月10日の参院外交防衛委員会で、日航機墜落事故について 「加害者はN総理と自衛隊幕僚長と書かれている」 「(御巣鷹山を)登る人はみんな見ている」 「(政府や自衛隊が)慰霊碑を作った人にアプローチして『事実誤認だ』と言わないと」 「国民の信頼がないと自衛隊は動けない」 などと訴えた。 ■「登る人はみんな見ている」 これに対し、中谷元防衛相は 「実際に碑があり、もし記載があるとすれば、全く事実無根だ」 「大変遺憾に思う」 「私や自衛官が正確な情報を発信していく」 「このような情報は偽情報である」 と答弁した。 本当にそのような碑があるのか。 記者は慰霊登山のため、上野村の中心部から車で林道のような山道を30分ほど進み、午前中に登山道入り口に辿り着いた。 そこから約20分登った山小屋近くに、 「日航機墜落事故 真実の仮説」 と記された慰霊碑はあった。 一部に、次のように書かれていた。 慰霊碑の「仮説」と記された部分 「※加害者 N総理・自衛隊幕僚長」 「※事故原因(墜落) 自衛隊 曳航標的機・衝突 N総理 撃墜殺害 指示 自衛隊:横田基地・着陸禁止 自衛隊 ミサイル撃墜・墜落」 「仮説」 とはあるが、ギョッとする内容だ。 慰霊碑は、事故の犠牲者5人の名前と哀傷歌が刻まれた2つの碑に挟まれていた。 亡くなったのは10代が4人、30代が1人と記されている。 上野村役場総務課は 「その碑があるのは知っているが、役場では、個々の墓標や碑について、誰が、いつ建てたかについては把握していない」 「ご遺族の方が設置したのではないか」 「昨年にはあった」 と語る。 ■中谷防衛相「事実無根」 単独機として世界最大の航空機事故の調査は、旧運輸省の事故調査委員会が行った。 中野洋昌国交相は、佐藤氏の国会質問があった翌日(2025年4月11日)の記者会見で、事故調査委員会が昭和62年6月に公表した航空事故調査報告書を引用して、事故原因は米ボーイング社による 「後部圧力隔壁」 の不適切な修理に起因するとし、 「様々な角度から調査解析を行い、専門家による審議の上、ほぼ間違いないという結論に至ったため、強い推定を示す『推定される』という表現を使用している」 と説明した。 記者は前述の慰霊碑を確認した後、 「御巣鷹の尾根」 を目指した。 急な登山道を息を切らし、熊除けの鐘を鳴らしながら、30分ほど登ると、墜落現場に立つ 「昇魂之碑」 があり、遺族が設置した 「空の安全を祈って」 という鐘、犠牲者520人の名前が記された 「慰霊碑」 などがあった。 静かに手を合わせた。 そこに至る登山道脇の斜面やスゲノ沢には、木や石でできた墓碑がいくつも立ち並んでいた。 遺体が発見された場所付近だという。 墓碑には犠牲者の名前が記され、遺族らによる花や千羽鶴、人形、風車、個人的な手紙などが供えられていた。 ■犠牲者や遺族の無念 遺族有志のメッセージにはこうあった。 「あなたやってきましたよ きこえますか 見えますか あなたと話したい あなた言いたいことは…」 「さよならも言えずに旅だったあなたたち やすらかに永遠の祈りをささげます」 この御巣鷹の尾根で520人の人生が突然断ち切られ、遺族らの人生も大きく変わったことが実感として伝わってきた。 事故から40年経っても、その無念さ、理不尽さ、事故への疑問を抱え続けている遺族は多いことだろう。 同時に、事故直後、標高1500メートル以上の尾根と谷が連なる墜落現場に向けて、道なき道を進んで必死の捜索・救出活動を続けた消防団員や警察官、自衛官の苦難も理解できた気がした。 恥ずかしながら、記者は整備された登山道を登るだけでも膝がガクガクになった。 航空事故調査委員会は現在、運輸安全委員会という組織に再編された。 同委員会は平成23年7月、 「日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説」 を発表している。 遺族などから様々な疑問が寄せられる中、 「できるだけ分かりやすく説明するため」 に作成したという。 この解説には後半で、 「ミサイル又は自衛隊の標的機が衝突したという説もありますが、根拠になった尾翼の残骸付近の赤い物体は、主翼の一部であることが確認されており、機体残骸に火薬や爆発物等の成分は検出されず、ミサイルを疑う根拠は何もありません」 とも記されている。 ■事実に基づかない言説は修正を 犠牲者と遺族の無念に心を寄せながら、事故への疑問には真摯に向き合い、事実に基づかない言説は修正していく努力が必要だと感じた。 日航機墜落事故に「自衛隊関与」という陰謀説拡大の記事が読まれています、政府の対応は 2025/5/1 11:11 https://www.sankei.com/article/20250501-3B3JOK7GFZGVBJ333KKOVLED7E/ 昭和60年8月12日に起きた日本航空機墜落事故を巡り、自衛隊の関与を唱える陰謀説が書籍やインターネットで流布されていることを紹介した記事が産経ニュースで読まれています。 政府は強く否定し、正確な情報発信を行う方針を明らかにしている。 陰謀説を唱える書籍の中にはベストセラーになったものも。 今年2025年4月16日には事故現場で生存者捜索に当たった自衛隊OBらがシンポジウムに参加し、書籍などで指摘される陰謀説のうち5つの点に反論した。 この問題は2025年4月10日の参院外交防衛委員会でも取り上げられた。 自衛隊OBの佐藤正久参院議員(自民党)が、自衛隊の関与を唱える書籍が全国学校図書館協議会による選定図書に指定されているとして、是正を訴えた。 佐藤氏の指摘に対し、中谷元防衛相は 「自衛隊が墜落に関与したことは断じてない」 と陰謀説を強く否定し、対応を約束した。 中野洋昌国土交通相は2025年4月11日の閣議後記者会見で、旧運輸省の事故調査委員会の航空事故調査報告書を引用する形で、事故原因は機内の気圧を保つ役割がある 「後部圧力隔壁」 の不適切な修理に起因するものだと説明し、 「正確な情報を発信していきたい」 と述べた。 民間でも陰謀説は問題視されている。 防人と歩む会の葛城奈海会長は、 「これを放置しては、慰安婦問題における吉田清治証言同様、嘘が真になりかねない」 と警鐘を鳴らした。 事故当時、航空幕僚監部の運用課員として、発生から収束まで一部始終を指揮中枢である空爆作戦室で目撃していたという元空将の織田邦男氏(麗澤大学特別教授)は、 「全くのデマだ」 と断言。 陰謀説を 「情報戦」 とみなし、その対応は 「国民一人一人が高い情報リテラシーを持つことが何より重要である」 と訴えた。 2025年4月29日、墜落事故の現場となった 「御巣鷹の尾根」 に向かう登山道が冬の閉鎖期間を終え、開通。 遺族や関係者は慰霊のため尾根を訪れ、墓標の前で静かに手を合わせた。 日航機墜落の陰謀説唱える書籍は「図書館協議会選定図書」 自民の佐藤正久氏が是正訴え 2025/5/1 9:55 https://www.sankei.com/article/20250501-H5D7UDNLZVNKZAERNHNE2ZS3WA/ 昭和60年の日本航空機墜落事故に自衛隊が関与したという 「陰謀説」 を巡っては国会でも取り上げられた。 2025年4月10日の参院外交防衛委員会で、自衛隊OBの佐藤正久氏(自民党)は自衛隊の関与を指摘する書籍が全国学校図書館協議会による選定図書に指定されているとして、 「何も知らない子供たちが推薦図書として図書館で触れることで国土交通省や防衛省が否定する事実を本当のことのように受けてしまう」 と述べ、是正を訴えた。 選定図書に選ばれているのは作家、青山透子氏の著書3冊(いずれも河出書房新社)。 選定図書は小中学校などの図書館が蔵書構成する上で参考になり、同団体は 「正しい知識や研究成果」 「科学的に正確」 などの選定基準を設けている。 野中厚文部科学副大臣は、佐藤氏の訴えに対し 「図書自体が児童生徒の健全な教養の育成に資する必要がある」 「懸念について防衛省の動向も踏まえ、団体に伝えていく」 と答弁した。 自衛隊の関与を指摘する書籍は、経済アナリストの森永卓郎氏(今年2025年1月死去)らも出版している。 ◇ 産経新聞は青山氏に対し、中谷元・防衛相が自衛隊の関与は 「断じてない」 と発言したことへの見解を書面で求めた。 これに対し青山氏は河出書房新社を通じて後日取材に応じる意向を示した。 日航機墜落に5つの陰謀説 「自衛隊と隊員への冒瀆だ」当時捜索のOBが反論 2025/5/1 8:36 https://www.sankei.com/article/20250501-EWVJEC535BOPPNUXV2G4MZCO2M/ 昭和60年の日本航空機墜落事故に自衛隊が関与したという 「陰謀説」 が流布されていることに、当時事故現場で生存者捜索にあたった自衛隊OBらは 「自衛隊と隊員への冒瀆だ」 と憤っている。 2025年4月16日には参院議員会館で開かれた 「JAL123便事故究明の会」 によるシンポジウムで、書籍などで指摘される陰謀説のうち5つの点に反論した。 同会は昨年2024年8月に設立。 会長を務める岡部俊哉元陸上幕僚長は事故当時、陸上自衛隊第1空挺団の小隊長として生存者の救助、ヘリポートの造成などの指揮を執った。 陰謀説@「海上自衛隊護衛艦の訓練中のミサイルが123便に衝突」 自衛隊の関与を指摘する書籍は墜落原因について、当時巡航ミサイルの実験中だった護衛艦「まつゆき」が相模湾(神奈川県沖)で123便の垂直尾翼周辺に異変を生じさせたとする。 だが、まつゆきの就役は事故翌年の昭和61年3月。当時は石川島播磨重工業(現IHI)が所有する船舶だった。 元海上自衛隊海将補の林祐氏は 「(海自の)乗組員も『艤装員』として乗り込んでいたが、石川島播磨の船長が指揮を執り、スタッフが運航していた」 と述べ、自衛隊が主導できる状況ではなかったと説明した。 123便は事故発生当時高度7・3キロに達した。 林氏は当時の対空ミサイルなどが 「そう飛翔するものでない」 と述べ、まつゆきに搭載された発射ランチャーについて 「発射することはできない」 「コントロールシステムが異なる」 と指摘した。 陰謀説A「航空自衛隊のF4戦闘機2機が123便を追尾」 墜落直前の123便を空自F4戦闘機2機が追尾していたとの目撃証言を基に、最終的にF4がミサイルで墜落させた─とするものだ。 追尾などの動きは公式記録にない。 また、F4パイロットとして当時現場に出動した渡辺修三氏はミサイルなど装備品管理は徹底されているとし、 「帰投してミサイル1本なかったら一大事だ」 と述べた。 陰謀説B「墜落現場の特定を遅らせた」 渡辺氏は、地上で上空の戦闘機パイロットと連携する要撃管制官からの誘導で日航機がレーダーから消えた午後6時56分過ぎに墜落現場とみられる場所にF4で向かい、1・5〜2キロに渡る帯状の炎を確認したと証言する。 ただ、正確な墜落地点は把握できなかった。 渡辺氏は操縦士に対し、最も炎が強い所を中心に旋回してもらったが正確な位置をつかむのは難しかったという。 陰謀説C「証拠隠滅のため火炎放射器で現場を焼却」 墜落現場では消防団員らが 「ガソリンとタールの混ざったような臭い」 と感じたという証言がある。 これを基に 「証拠隠滅」 のために自衛隊員が火炎放射器(携帯放射器)で遺体やミサイルの痕跡を焼却したと流布されている。 当時陸自第13普通科連隊(長野県松本市)に所属し救出作戦に参加した小川清史元西部方面総監は 「火炎放射器を取り出す手続きは幾重で容易ではない」 「注入する燃料を保管するのは業務隊で、指揮系統が異なり、より一層手続きに時間と書類が必要となる」 と反論する。 また、携帯放射器の燃料であるゲル化剤を大量のドラム缶で入手して、一晩で搬入、焼却、撤収するのは不可能だと指摘する。 そもそも燃料にタールは使われないという。 陰謀説D「海自出身の機長の遺体・制服を自衛隊が隠蔽」 書籍では、事故を巡って123便の機長が海自出身であることから、 「ミサイルを誤射した」 とされる海自の訓練との関係が示唆されている。 自衛隊員が事故現場で機長の遺体を真っ先に発見、目印のため棒で突き刺し、ヘリコプターの移動中、不都合なものを取り除くため制服などを外した─というものだ。 これに対し、岡部氏は 「現地は多くの数の人が作業していた」 「機長の制服を身に着けた遺体が発見されれば(現地にいた)マスコミの写真に写っている」 「空想で言われた話としかいいようがない」 と語った。 日航機墜落事故40年、拡散される陰謀説 「自衛隊の関与は断じてない」政府が強く否定 2025/5/1 7:00 https://www.sankei.com/article/20250501-IBAEULDM6ZNXPFOXSJL26PTXKE/ 「自衛隊がミサイルを誤射した」 「撃墜の証拠隠滅を図るため乗客らの遺体を焼却した」−。 昭和60年8月の発生から今年で40年となる日本航空機墜落事故を巡り、自衛隊の関与を指摘する 「陰謀説」 が書籍やインターネット上などで流布されている。 ベストセラーになる書籍もある中、政府は自衛隊の関与を強く否定するなど対応を進めている。 「陰謀説」 を唱える主な著者は、複数の目撃証言を繋ぎ合わせて描写。 例えば、自衛隊は墜落現場に先駆けて到達し証拠隠滅を優先したため生存者を見殺しにしたと主張している。 昨年には事故現場への登山道に犠牲者の名前と 「自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」 などと記された 「慰霊碑」 の設置が確認された。 123便の墜落原因に関して運輸省の航空事故調査委員会(当時)は、過去の不適切な修理で機体後部の圧力隔壁が壊れ、垂直尾翼や操縦系統が破壊されたと 「推定される」 とした。 メーカーのボーイング社は修理ミスがあったと認めた。 中谷元・防衛相は2025年4月10日の参院外交防衛委員会で 「自衛隊の関与は断じてない」 と明言し、対応する考えを示した。 中野洋昌国土交通相は2025年4月11日の記者会見で 「様々な角度から調査解析を行い、(事故原因が圧力隔壁であることは)ほぼ間違いないという結論に至ったため、強い推定を示す『推定される』という表現を使用している」 と説明した。 事故は昭和60年8月12日夕に発生した。 羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の 「御巣鷹の尾根」 に墜落。 乗員・乗客524人のうち女性4人を除く520人が死亡した。 日航機墜落40年を前に慰霊 御巣鷹への登山道開通 2025/4/29 23:07 https://www.sankei.com/article/20250429-AZVN2ULQANICPPDG5E5BH23IR4/ 1985年に520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故の現場、群馬県上野村の 「御巣鷹の尾根」 に向かう登山道が2025年4月29日、冬の閉鎖期間を終え、開通した。 今年2025年8月で事故から40年となるのを前に、遺族や関係者が慰霊のため尾根を訪れ、墓標の前で静かに手を合わせた。 遺族らで作る 「8・12連絡会」 事務局長の美谷島邦子さん(78)は次男、健君=当時(9)=を亡くした。 墓標にこいのぼりや花を供え 「亡くなった人のその後を私たちは生きてきた」 「もうすぐ40年となるが、安全や命を守ることを目指して活動したい」 と力を込めた。 墜落地点の尾根に立つ 「昇魂之碑」 は事故翌年の1986年に建てられた。 尾根の管理人、黒沢完一さん(82)によると、昇魂之碑が傾いているのが確認され、補強工事が今月2025年4月17〜25日の日程で行われた。 黒沢さんは 「開山の前に工事が完了して良かった」 と話した。 事故は1985年8月12日、羽田発大阪行き日航123便ボーイング747が墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。 日航機墜落事故をめぐる陰謀論に危機感 直球&曲球 葛城奈海 2025/4/17 13:00 https://www.sankei.com/article/20250417-QVEEP7E63ROW7BYUYFLZ6MWMSQ/ 乗員乗客520人死亡という単独飛行機事故としては世界最多の死者を出した日本航空123便墜落事故から、2025年8月12日で40年になる。 群馬県上野村の 「御巣鷹の尾根」 に墜落した事故機の生存者捜索・救助、遺体の搬送には警察や消防、地元猟友会らと共に、自衛隊が力を尽くした。 僅か4人だった生存者の1人、当時12歳の少女が自衛官に抱えられながらヘリに引き上げられていく映像をご記憶の方も多いだろう。 ところが、驚いたことに、2025年4月1日付の本紙『正論』欄で元空将の織田邦男氏が言及し、2025年4月10日の参院外交防衛委員会で佐藤正久議員が問題視した通り、あたかも自衛隊が墜落事故の加害者であるかのような言説が流布されているのだ。 佐藤議員によれば、陰謀論の元ネタとなった書籍が、 「全国学校図書館協議会選定図書」 に選ばれていたばかりか、事故現場の登山道に 「自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」 と書かれた慰霊碑が建立されているとのことで、私も大いに危機感を抱いた。 これを放置しては、慰安婦問題における吉田清治証言同様、噓が真(まこと)になりかねない。 ましてやその本が学校の図書館に並ぶとなれば、募集難に喘ぐ自衛隊へ追い打ちをかけることにもなろう。 何より看過できないのは、遺体や燃料などの臭気漂う凄惨な事故現場で黙々と任務に邁進した自衛官たちの尊厳を踏みにじっていることだ。 陸上自衛隊第1空挺団の小隊長として現場で生存者捜索・救助、ヘリポート造成、遺体後送などの指揮を執った岡部俊哉元陸上幕僚長は、自衛隊が証拠隠滅のために火炎放射器で現場を焼却したかのような 「陰謀説」 に物理的にも時間的にも 「あり得ない」 と断言する。 同氏は、任務終了後、約1カ月、急性ストレス障害(ASD)に悩まされたことを告白している。 地獄絵図のような真夏の山中で、身を粉にして任務に邁進した自衛官たちへの冒瀆は、断じて許されるべきではない。 虚実入り交じった情報があふれる現代にあって容易なことではないが、真実を見極められる高い情報リテラシーを身に付けたいものである。 ◇ 葛城奈海 かつらぎ・なみ 防人と歩む会会長、皇統を守る会会長、ジャーナリスト、俳優。 昭和45年、東京都出身。 東京大農学部卒。 自然環境問題・安全保障問題に取り組む。 予備役ブルーリボンの会幹事長。 近著に『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社新書)。 御巣鷹の日航機墜落事故 「自衛隊が撃墜説」に国交相「正確な情報発信する」 2025/4/11 12:53 https://www.sankei.com/article/20250411-7Z4Z3ZGMEZPRRC53VQIG3TPBK4/ 1985年に発生した日本航空機の御巣鷹墜落事故について、原因を 「自衛隊による撃墜」 などとする言説が書籍やインターネットで流布している問題に対し、中野洋昌国土交通相は2025年4月11日の閣議後記者会見で、 「しっかりと正確な情報を発信してきたい」 と述べた。 問題を巡っては2025年4月10日の参院外交防衛委員会で、自民党の佐藤正久参院議員が指摘。 中谷元防衛相が 「自衛隊が墜落に関与したことは断じてない」 と否定し、 「しっかり対応したい」 と回答している。 2025年4月11日の会見で中野氏は、旧運輸省の事故調査委員会の航空事故調査報告書を引用する形で、事故原因に言及。 機内の気圧を保つ役割がある 「後部圧力隔壁」 の不適切な修理に起因するものだとし 「様々な角度から調査解析を行い、専門家による審議の上、ほぼ間違いないという結論に至ったため、強い推定を示す『推定される』という表現を使用している」 と説明した。 その上で 「国会や会見を通じ、政府として責任ある立場にあるものが正確な発信をしていくことは重要だ」 と述べた。 事故は1985年8月12日夕に発生。 羽田発大阪行きの日航機123便が離陸後に機体トラブルに見舞われ、群馬県上野村の 「御巣鷹の尾根」 に墜落。 乗客乗員524人のうち520人が死亡し、単独機としては世界最悪の被害となった。 報告書によると、当該機は78年に別の事故により、後部圧力隔壁が損傷し、米ボーイング社が修理した。 しかしその過程で不適切な措置が取られ、求められる仕様よりも強度が低下していた。 1985年8月12日午後6時24分、当該機は離陸から約12分後、疲労が重なっていた後部圧力隔壁が破損し、機内の空気が機体後部に噴出。 垂直尾翼や翼を動かす油圧系統が破壊され、操縦不能に陥った。 パイロットらは左右のエンジンの出力差を駆使するなどして機体の制御、立て直しを図ったが機体は迷走。 トラブルから約30分後の同6時56分、墜落した。 事故調査委は1987年6月、後部圧力隔壁の修理ミスを原因と推定する報告書を提出した。 ただ内容が専門的で難解との批判もあり、後の国交省の運輸安全委員会は、事故犠牲者の遺族と連携をとりながら2011年7月、報告書の 「解説書」 を作成。 報告書とともにホームページで公開し、 「自衛隊の関与説」 についても否定している。 御巣鷹事故「自衛隊が撃墜」、偽情報を自民佐藤正久氏が問題視 中谷元防衛相「対応する」 2025/4/10 16:09 https://www.sankei.com/article/20250410-YVB6ML6KJVAG7K6M6GPSYM47DM/ 自民党の佐藤正久参院議員は2025年4月10日の参院外交防衛委員会で、日本航空機の御巣鷹山墜落事故を巡り 「自衛隊が撃墜した」 との言説が書籍などで流布されているとして 「自衛隊員の名誉に関わる問題だ」 「多くの人命救助に当たった隊員に対する侮辱だ」 と問題視した。 中谷元防衛相は 「自衛隊が墜落に関与したことは断じてない」 「しっかり対応したい」 と語った。 ■「火炎放射器で証拠隠滅」 事故は昭和60年8月12日夜に発生。 群馬県・御巣鷹山に日航123便が墜落し520人が死亡した。事故原因について航空事故調査委員会は昭和62年6月、報告書を公表し、後部圧力隔壁の不適切な修理に起因するとしている。 佐藤氏によれば、問題の書籍は駿河湾で対空ミサイル訓練を行っていた護衛艦が日航123便を誤射し、撃墜の痕跡を隠すため、墜落地点の特定を遅らせた上、墜落現場で自衛隊が火炎放射器で証拠を隠滅したと指摘しているという。 佐藤氏は書籍について 「ベストセラーになり、ユーチューブで拡散されている」 と述べ、 「墜落の後、徹夜で尾根を踏破して危険を顧みず現場で多くの人命救助に当たった隊員に対する侮辱である」 と対応を訴えた。 ■推薦図書に…場内ざわめく この書籍が全国学校図書館協議会の推薦図書に選ばれていると指摘されると、委員会室がどよめく場面もあった。 佐藤氏は文部科学省にも対応を求め、野中厚文科副大臣は 「懸念を当該団体にしっかり伝えていく」 と応じた。 更に、御巣鷹山の登山道に建立された慰霊碑には 「自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」 と記されているという。 佐藤氏は碑の写真を示して 「放置したままでいいのか」 「慰霊碑を作った人にアプローチして事実誤認だと言わないと(いけない)」 と訴え、中谷氏も 「しっかりと対応していきたい」 と語った。 <正論>「御巣鷹」に見る情報戦への脆弱さ 麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男 2025/4/1 8:00 https://www.sankei.com/article/20250401-766VLI7YBZOPRPRZLLAXQK5VBU/ ■現代ハイブリッド戦争 ウクライナ戦争の停戦交渉が行われている。 この戦争の特徴として、開戦前から今なお続く熾烈な情報戦がある。 2014年3月、ロシアはクリミア半島を 「ハイブリッド戦争」 によって無血併合した。 ハイブリッド戦争とは 「高度に統合された設計の下で用いられる公然、非公然の軍事・非軍事・民間の手段を使った戦争」 である。 情報戦はハイブリッド戦争の主要手段であり、インターネットが発達した現代では国家をも動かす力がある。 2016年1月、ドイツで 「アラブ系難民が13歳少女をレイプした」 というニュースがロシア系メディアで報道され、SNSで拡散していった。 偽情報であることが判明するが、難民排斥運動は過熱し極右政党が大躍進する結果を生んだ。 情報戦に加え威嚇・恫喝の軍事行動を組み合わせることで、相手の思考・感情・記憶に直接働きかける 「認知戦」 も現代戦の1つである。 台湾併合を目指す中国は、台湾周辺で海上封鎖やミサイル発射訓練などを繰り返し、台湾住民に対して敗北感を植え付け、抵抗断念を図る。 2022年に岸田文雄政権で策定された国家安全保障戦略では 「情報戦への体制の強化」 を掲げ、偽情報を収集分析し、正しい情報を発信するとしているが緒に就いたばかりだ。 次の事例からも分かるように日本人は情報戦に対しては脆弱と言わざるを得ない。 ■日航機墜落事故を巡る噓 40年前の1985年8月12日、日航123便が御巣鷹山に墜落した。 後にこの事故に関し 「自衛隊が撃墜したかのような本が出ている」 という噂を聞き、読んでみた。 要約するとこうだ。 123便は自衛隊のミサイル誤射によって正常な飛行が困難になり、誤射の証拠隠滅を図るため、空自戦闘機が出動して撃墜し、更にその証拠も消すため、墜落現場で陸上自衛隊が火炎放射器で証拠を焼き払ったというものである。 荒唐無稽と笑ってはいられない。 ノンフィクションとして書かれベストセラーになっているという。 またこれを真実と信じている人が多くいるというから驚いた。 筆者は事故当時、航空幕僚監部の運用課員で、事故発生から収束まで一部始終を指揮中枢である空幕作戦室で目撃していたので、全くのデマだと断言できる。 死臭漂う地獄絵図のような現場で懸命に生存者の捜索に携わった多くの自衛官を知っている。 彼らの多くがPTSDに苛まれた。 このようなデマは、黙々と災害派遣にあたった自衛官に対する冒瀆である。 この怒りはひとまずおく。 これは情報戦に対する日本人の脆弱性を示す。 「誰があの520人を殺したのか」 と感情に訴え、結論ありきで読者を引き込む。 そして5種の断片、つまり @事実 A誤解 B推測、臆測 C曖昧な伝聞情報、目撃情報 D捏造 を都合よく組み合わせ、 「自衛隊による撃墜、証拠隠滅」 へと誘導する。 噓を並べても、所々に事実が入っていれば容易に全体を信じ込ませることができる。 これが情報戦の肝である。 著者の意図はともかく、結果的にロシアの情報戦の相似形となっている。 常識的に考えれば、 「自衛隊による撃墜、証拠隠滅」 などあり得ない。 自衛隊の行動には、自衛官を含む多くの関係者が関わる。 こんな犯罪行為があれば隠し通せるわけがない。 だが、自衛隊を知らない人は、創作されたナラティブ(物語)を容易に信じてしまう。 情報戦の恐ろしさである。 ■情報戦に敗北しないため 筆者は元戦闘機操縦者でもあり、文中の誤りを全て指摘できる。 ここでは紙幅の関係上、疑惑の発端となった 「現場到着の遅れ」 についてだけ述べる。 地上レーダーは低高度が見えないので墜落地点は特定できない。 最初に炎を発見した米軍C130輸送機、空自F4戦闘機からの位置情報は、TACAN(戦術航法装置)の情報である(GPSは未装備)。 TACANには、固有の誤差がある。 更に当該機と現場の距離が誤差となって加わる。 横田TACAN局から割り出せば位置情報に4km前後の誤差が生じることはやむを得ない。 航空では僅かな誤差だが、陸上行動では大きな障害となる。 特に山岳地帯では、4km違えば隣の尾根になってしまう。 山岳の道なき道の移動は4kmでも数時間かかる。 夜間で、暗視装置のない(当時)ヘリの山岳投入は危険なので中止した。 地上部隊の投入場所の決定が遅れ、結果的に現場到着が遅れた。 この遅れが 「何かがあるはず」 と臆測を呼び、連鎖して物語の創作に繫がったのだろう。 我が国に情報戦が仕かけられた場合、同様なパターンで容易に敵の罠に嵌まってしまう可能性がある。 情報戦に敗北しないためには思い込みに符合する情報に飛びつくのではなく、情報を疑う姿勢、そして些事に拘泥せず、全局を俯瞰して判断できる能力が必要である。 情報戦への対応は、政府主導の 「正しい情報発信」 に頼るのではなく、国民1人1人が高い情報リテラシーを持つことが何より重要である。
[18初期非表示理由]:担当:スレと関係が薄い長文多数のため全部処理。自分でスレを建てて好きな事を投稿してください
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