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※紙面抜粋
※2025年8月15日 日刊ゲンダイ2面
談話を出さずに途切れる「反省」…語り部がいなくなる「戦後」への懸念
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/376214
2025/08/15 日刊ゲンダイ ※後段文字お越し
「80年談話」は発出されなかった/(C)共同通信社
政府による80年談話は見送られるが、これは「政争」以上に重要な意味を持つのではないか。ただでさえ、戦争経験者がいなくなり、平和が理念ではなく、経済合理性で語られる今、反省と不戦の誓いを新たにする政府談話が打ち切られれば、ますます風化に拍車だろう。石破首相の断念が歴史の分岐点になる不安。
◇ ◇ ◇
節目となる戦後80年目の8月15日──。結局「80年談話」は発出されなかった。戦後50年、60年、70年と、10年の節目ごとに出されてきた「戦後談話」はプツリと途切れてしまった。
10年に1度、日本のトップがあの戦争を「反省」し、不戦を誓うことは、国内だけでなく、戦前、日本が侵略したアジア諸国に対しても「日本は二度と戦争をしない」というメッセージになっていた。
なのに、石破おろしに血道をあげる“裏金集団”旧安倍派の圧力に屈し、石破首相は「80年談話」を出すことを断念。さらに、閣議決定を経ない「首相見解」さえ出せるのかどうか、分からなくなっている。旧安倍派を中心とする非主流派は、「談話」はもちろん、「見解」も出させないつもりだ。
これで「戦後談話」の慣行は途絶え、もう二度と「談話」は出されないだろう。
しかし、いままでつづいていた「談話」が、政争の具にされ、途絶えるなんて、これほど愚かな話もないのではないか。
法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言う。
「石破首相は、圧力をはねつけてでも80年談話を発表すべきでした。50年、60年、70年と首相談話を発表してきたのに、ここでやめたら、“やめた”ということが大きな意味を持ってしまい、周辺国に誤ったメッセージを送ることにもなりかねない。それに、日本も世界もキナ臭くなっているいまこそ、戦争がどれほど悲惨か、歴史に向き合い、平和のメッセージを発することに意味があったはずです。戦前、なにがあったのか、事実をねじ曲げる“歴史修正主義”もはびこりはじめています。せめて石破首相は“首相見解”だけは絶対に出すべきです。もし、首相見解も出せないようだったら、すぐに首相を辞めるべきです」
旧安倍派を中心とする非主流派は、醜い政争によって「戦後談話」が途切れたことを、どう思っているのか。その意味が分かっているのか。
世論の8割がメッセージを望んでいる
安倍元首相の「70年談話」で、戦後の総括は尽きている、屋上屋を架す必要はない──というのが、「80年談話」を潰した旧安倍派議員の言い分らしい。
しかし、はたしてそうなのか。10年も経てば国際情勢も大きく変わる。時代状況に合わせて、時のトップがメッセージを発するのは当然のことだろう。
もし、「80年談話」は不要というのなら、「70年談話」だって要らなかったのではないか。「戦後談話」の意義は、村山元首相が発表した「50年談話」に尽きているからだ。
村山談話のキーワードになった「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」は、小泉元首相の「60年談話」でも踏襲され、主語を曖昧にはしたが、安倍元首相の「70年談話」でも引き継がれている。
しかも、石破が焦点を当てようとしたのは、「70年談話」からスッポリ抜け落ちていることだったという。
1月末の衆院予算委で首相は「なぜ、あの戦争を避けることができなかったのか。検証するのは80年の今年が極めて大事だ」と語っている。
日本が戦争をはじめた経緯について、70年談話は「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」と記しているが、その理由については触れていない。
石破は「なぜ政府や議会が戦争を止められなかったのかを突き詰めないと同じ過ちを繰り返す」と、考えているという。
「どうして戦争を止められなかったのか」「どうすれば戦争を防げるのか」──というメッセージを大きく打ち出せば、「80年談話」は屋上屋にならなかったはずである。
「石破首相は、軍事オタクの防衛族、軍拡派ですが、戦後2年間スマトラに抑留された父親の影響か、“反戦平和論者”という一面があります。終戦と言わず、敗戦と呼ぶのも特徴です。本人はシンポジウムで『あえて敗戦後と言うのは、終戦と呼んでは事の本質を間違えるからだ』と説明しています。政治の師も、強い“反戦意識”を持っていた田中角栄ですからね。70年談話を“聖典”にしたい安倍派議員は、リベラル的な要素のある石破首相には、絶対に80年談話を出させたくなかったのでしょう」(政界関係者)
世論調査でも、約8割が首相が談話やメッセージを出すことを望んでいる。どうして石破は、旧安倍派の圧力に屈して「80年談話」の発表を断念してしまったのか。
戦争を知っている人がいなくなる
「談話」は途切れた…(C)日刊ゲンダイ
「戦後談話」には、戦争の記憶を次世代につないでいくという役割もあった。
「談話」が途切れたことで、この先、戦争の記憶はどんどん風化していくに違いない。
なにしろ10年後には、戦争を体験した人、戦争の記憶が鮮明に残っている人は、ほとんどいなくなっているはずである。「80年談話」は、ある意味、戦争を知っている人が残っている間に出せる最後の「戦後談話」だったということだ。
「いまや戦後生まれが、人口の約9割です。戦争の語り部は、年を追うごとに減っている。意識的に語り継がなければ、戦争の記憶はどんどん風化してしまうでしょう。風化させないためにも、首相は『80年談話』を発表して、あの戦争を反省し、不戦を誓うべきでした」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
日本近代史を専門とする駒大教授の加藤聖文氏が、毎日新聞(13日付)でこう語っていた。
<戦後80年を迎え、戦争体験者の証言の聞き取りは限界に近づいていると感じる><戦後60年ごろまでは、当時20歳以上で社会に出ていた人たちがまだ多くいた。彼らは、社会全体を冷静に俯瞰することができ、戦争の悲惨さだけでなく複雑さも語ることができた>
もはや戦争を語れる人がいなくなっているというのだ。
田中角栄は、「戦争に行った人がこの国の中心にいる間は大丈夫。そうでなくなったときが怖い」と語っていたそうだ。戦争を知っている人が社会からいなくなったら、この国はどうなってしまうのか。
「80年談話」の断念は、歴史の分岐点になる恐れがある。
過去を振り返ると、日本は80年周期でレジームチェンジが訪れているという。「シン・ニホンパブリックアフェアーズ」代表の小原泰氏が、東洋経済オンラインで詳細に分析している。
明治維新から敗戦までが80年、そして「戦後80年」の2025年から新たなレジームチェンジが起きようとしているという。
2022年末、「徹子の部屋」に出演したタモリは、23年が「新しい戦前」になると発言して話題となった。
日本は「戦後」が終わり、まったく新しい時代に突入した可能性がある。ヤバイ時代にならないようにするためにも、「80年談話」を発表し、戦争の記憶を風化させない必要があったはずである。
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