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◆石破氏の「反省」◆
石破首相が、8/15に於ける戦没者慰霊に於いて「反省」を述べた。それに続いて戦後80年談話を出すかどうかが議論の対象となっている。安倍元首相は、バランスよく70年談話を出して終止符を打った。それに上乗せして何を今更語るのかという事が言われている。
そもそも、先の大戦の位置付けについて議論は定まっていないが、筆者はパリ平和条約(1928年締結、1929年批准・発効)とその直後の1931年の満州事変の評価が焦点であろうと考えている。欧米列強が植民地争奪戦争を繰り広げ、遅れて来た日独が不戦条約以降もその継続を試みた事をどう捉えるかだ。平和条約に於ける「侵略戦争」の定義自体が曖昧で満州事変はギリギリセーフで、リットン調査団の報告をやり過ごし国際連盟脱退に至らずばそこで国際秩序がほぼ確定した可能性はある。しかし、松岡洋祐外相は脱退を決め、その後通洲事件を経て1937年の盧溝橋事件で大陸に引き込まれて行き、八紘一宇を掲げ最終的には米国を中心とした連合国との戦いとなり、1945年に2発の原爆投下を受け敗戦に至った。
これらについての評価は様々であるが、その過程でアジア諸国に於いて流血と破壊を齎した事は確かであり、それについて反省と謝罪を表明する事自体は筆者には人として自然な事と思われる。
しかしながら、慰霊の式典でそれを述べる事は不適切であろう。また、80年談話として表明するには、諸外国による戦前戦中戦後の様々な行為、先の大戦に至る迄の日本のアジア諸国の産業基盤の構築、結果としてのアジアの欧米植民地支配の終焉と合わせ見れば、少なくとも日本の「反省」だけ述べるのであれば著しくバランスを欠くと思われる。(なお、天皇陛下による「反省」の表明は主に日本国民に向けたものであり、石破首相の発した明らかに対外的なものとはベクトルが異なると言えるだろう)
◆原罪と贖罪◆
さて、石破首相が主要選挙3連敗でなお首相の座に固執するのかは、主に80年談話で「反省」を表明したいからと推察される。それにはキリスト教徒(長老派教会)としての原罪意識とアジア侵攻植民地支配への贖罪意識が融合したものと思われる。(蛇足で言えば洗練されたスタイルとは言えない者が異性に親密になるための左傾化も加わろうか)
この原罪意識と贖罪意識の融合は、統一教会のビジネス・モデルに通ずる。それを以て、日本に於いて他との差別化を図り多額の献金を集め実質韓国へ送金していた。なお、他の新興宗教について言えば、創価学会は折伏による強烈な布教活動と芸能界への浸透に取り信者数のスケールメリットにより創価経済圏をも形成し公明党を通じ政治へも干渉した。幸福の科学は教祖の故大川隆法氏の著作や講演を基に信者を増やし、執行幹部には例えば源頼朝の前世認定等のコストゼロの称号を与え、寵愛を失えばそれを剥奪する信長の「平蜘蛛の茶釜方式」により勢力を伸ばした。
話が逸れたが、石破首相に話を戻すと原罪意識と贖罪意識に拘るのは自由だが、それらは個人の趣味でやってもらいたいという事に尽きる。元々他責をした過去を省みて一層自責を感じるという日本人的な感覚が欠落しているのに加え、キリスト教的原罪意識と贖罪意識の融合である種の使命感を抱いているのではないかと推察される。でなければ、3連敗でなお首相の座に居座るという事は出来まい。
石破首相のその行く着く先は具体的に何であろうか? 筆者は、暫し石破首相に成り切って想像してみる。
曰く「習近平氏の率いる中国を中心としたアジア版NATOを形成し、米国を牽制し得る一つの核としなければならない。そのパワーバランスにより世界に平和が齎され、日本も米国に舐められない国となり楽しい日本が実現するのだ。私、石破茂は、それを成就するための一翼を担う事により、キリスト者としての原罪を償いアジア侵略者としての贖罪を果たすのだ。」と言う辺りか。
だが繰り返すが、これらの事は趣味のプラモデルの世界でジオラマの中でやって頂きたい。もし石破首相の構想が実現した暁には、アジアは中国によって牛耳られ、人民共和国の一省と自治区に組み込まれ、民主主義は廃止され二級共和国民として苛烈な扱いを受けるだろう。
石破氏の楽しい日本、「その楽しい」主体は少なくとも日本人ではなく中華人民と中共政府となるのではないか。
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