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自民党総裁選の討論会はただの「発表会」 西村カリン ニッポン見聞考
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/378355
2025/10/02 日刊ゲンダイ ※後段文字お越し
なんと!「討論のない討論会」/(代表撮影)
自民党の総裁選で、5人の候補者の討論会を見て驚いた。なんと「討論のない討論会」だった。
「討論する」とは、異なる意見を戦わせること。相手の話を聞いた上で、異論を述べることだ。ところが、日本での政治討論会は異論や反論を避ける討論会。本来であれば、討論会とは呼べない「発表会」だ。他の候補者の意見を聞かず、自分がやりたい政策を説明するにすぎない。他の候補者が提案した政策に反対か賛成するかも言わない。候補者が間違ったことや嘘、誤報や非現実的なことを言っても、誰も「違う」と言わない。
「討論会」の司会をする記者も何も指摘しない。むしろ、候補者の誰かが突然、反論するようなことがあれば、司会者は本格的な討論にならないように介入する。5人の候補者に事前に通告された全く同じ質問をし、全員の回答を得た後で、次の質問に移る。司会者(記者)も他の参加者も全員が、言ったことを事実として受け入れてしまい、問題点を全く指摘しないし反論もしない。こういったパターンだ。
フランス人記者からすると異常に思うしかない。国民の前で政治家同士が議論することは、民主主義の一つの重要な柱だ。日本の民主主義には、その柱がない。本当の討論をしないのは政治家だけの問題ではない。日本では社会全体が議論や討論を避けがちだ。対立を恐れているからだ。
記者が事実を指摘しながら反論することや追加質問するのも民主主義の柱だが、その柱もない。政治家は選挙などでの公約で、近い将来のことを話すが、失敗した過去のことは隠す。その過去のことを取り上げるのは記者の仕事だ。
議論する能力を育てない教育も背景にあり、子どもは「討論」とは何かを全く知らない。テレビでの「討論会」を見ていたら、「討論」とは参加者全員が順番で同じ質問に答えることと思ってしまう。
マスコミの責任も重いと言わざるを得ない。討論会を設定するのなら、その目的は政治家が輝く番組を放送することではない。国民一人一人は投票前に自分の考えを整理するために討論会を見るはずだ。つまり、政治家の本当の能力が見えたり、本音を引き出すことこそが討論会の目標であるべきだ。残念なことに、日本でそうしたゴールを達成する政治討論会を見たことがない。
西村カリン ジャーナリスト
仏の公共ラジオ「ラジオ・フランス」とリベラシオン紙の特派員。1970年、仏で生まれ、2004年末から20年までAFP通信東京支局特派員。近著に「Japon,la face cachée de la perfection(日本、完璧さの隠れた裏側)」、初の小説「L'affaire Midori(みどり事件)」。
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