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新聞・テレビが権力者や強い者にますます文句が言えなくなっている今こそ、週刊誌が生き残るチャンス 週刊誌からみた「ニッポンの後退」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/382381
2026/01/04 日刊ゲンダイ

国会の追及ネタになるのも週刊誌(黒川検事長の賭け麻雀)/(C)日刊ゲンダイ
「この国に言論・表現の自由はない」
こう書くと、「そんなことはない。おまえが連載している日刊ゲンダイを見ろ。安倍晋三元首相が『ゲンダイを見れば、この国に言論の自由があることがわかる』と言ったじゃないか」という批判が返ってくるだろう。
しかし、考えてほしい。SNSを見ればわかるように、この国には「言いっ放し」の自由はあるが、真の言論の自由はない。そう私は考える。
昔の週刊誌には言論の自由があふれていた。あの田中角栄がこう言った。
「新聞や放送局は俺が頼まれごとをしてやっているから、社長とは電話で話がつく。だが、週刊誌は何とかならんのか」
徒党を組まない、記者クラブには入れないから、政治家たちの愛人問題も、相撲の八百長事件も、長嶋茂雄と息子一茂との確執も、司法がファッショ化していることもすっぱ抜けた。
私事で恐縮だが、現代編集長のとき、当時“剛腕”と恐れられていた小沢一郎の「隠し子」疑惑をすっぱ抜いたことがあった。掲載に踏み切るまで何度も悩んだ。しかし、権勢をふるっている政治家のあるまじき“愚行”を報じることには公共性、公益性があると判断した。皮肉なことに、この疑惑を証明してくれたのは、夫・小沢へ「離縁状」を叩きつけた元妻であった。
「宇野宗佑首相が愛人・神楽坂芸者に“三本指”」「山崎拓幹事長や中川秀直官房長官のドロ沼愛人問題」「黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀」など、政治の暗部に切り込んだスクープは週刊誌の華である。
週刊誌屋の「志」は、自分たちが面白いと思ったことには、リスクなど考えずに突き進んでいくことだ。
数々の新雑誌を世に出しマガジンハウスの時代を築いた木滑良久はこう言っている。
「とにかく、自分が面白いと思うことだけが信ずべきことなんだ。それだけがホンモノだから、だから他人にも通じるんだ。独断でない判断はないし、偏見でない意見なんて実際あるかね」
最近の週刊誌を眺めていて、各誌の編集長や編集者が心からやりたいことを追いかけて記事にしているとは、到底思えない。
安倍政権あたりから顕著になってきた新聞、テレビ幹部たちと権力との癒着。朝日新聞の政権批判はか細く、読むに堪えない。デマと偏見の塊であるSNSなどに週刊誌の代わりができるはずなどない。
部数を気にせずやりたいことをやれと言えば、「週刊誌バブル人間のたわ言」だと言われるだろう。だが、新聞の多くが政権忖度紙になり、テレビは本当に大事なことを何一つ言わない今、週刊誌が生き残る道は必ずある。
それには「権力に迎合せず、常に弱者の立場に立ち、声なき声に耳を傾ける」ことである。
過激なポルノ写真を掲載したり、卑猥な言葉で権力者を批判して訴えられた雑誌「ハスラー」編集長・ラリー・フリントの裁判で、彼の弁護士はこう言った。
「不快でなければ、自由はなんの意味もなさないのです。自由は社会の中で嫌悪感を表すものをじっと我慢してきました。誰が不快になるか構わず、すべての言論に自由がなければ、自由はなんの意味もなさないのです」(「ラリー・フリント」徳間文庫)
権力者たちに不快感を与える記事作りは週刊誌にしかできない。この国に言論の自由があると幻想を抱いている連中に現実を見せてやれ。真の言論の自由を取り戻すのだ。
新聞、テレビにできないことをやる。週刊誌の原点に今こそ立ち返り、生ぬるいこの国のマスメディア状況を打破してほしい。ニタニタ笑って本心を隠す女性宰相の化けの皮を剥ぎとってほしい。
私に残された時間は少ない。週刊誌もなかなかやるじゃないか、そう思って逝きたいものである。 (文中敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)
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