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https://www.jiji.com/jc/article?k=2026010300194&g=pol
憲法には変えてはいけないものがある。
それは「憲法の理念」といわれるものだ。
何故なら、憲法の理念を変えることは、新しい理念に基づいた新しい憲法を作ることになるからだ。
日本国憲法の理念を変えれば、それは日本国憲法ではなくなるという理屈だ。
その「憲法の理念」、日本国憲法では、その前文に高らかに謳われている。
そこに謳われているのは、「日本国憲法の三大原則」と言われるもの。
即ち、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権の尊重」
これらを変えることはできない。
そして、「・・・われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
と宣言している。
この原則は「永久に変えてはならない」ことを憲法の条文でも明記している。
即ち、9条「・・・永久にこれを放棄する。」
即ち、11条「・・・侵すことのできない永久の権利として・・・」
以下に記事の全文を転載する。
憲法改正を巡る自民党と日本維新の会の姿勢の違いが鮮明になってきた。改憲を目指す点は共通しているものの、「現実路線」を掲げる自民に対し、維新は「タカ派」色の強い国防軍明記などを主張し、互いに譲る気配はない。改憲勢力の一角をなしてきた公明党は冷ややかで、自維の連立で改憲はかえって遠のいたとの見方も出ている。
「公明と連立を解消したことで、保守カラーを出しやすくなった」。自民前改憲実現本部長の古屋圭司選対委員長は昨年12月21日、岐阜県内で開いた会合でこう語り、改憲へ意欲をにじませた。
公明は与党時代、自衛隊明記に柔軟な姿勢を示しつつ、はやる自民に待ったをかける「ブレーキ役」を担った。しかし、公明が政権から去り、改憲に前のめりな維新が自民と組んだことで、保守派からは改憲への動き加速に期待感が漏れる。
実際、自民、維新の連立政権合意書には改憲に向けた当面のスケジュールが盛り込まれた。9条改正などをテーマとする両党の条文起草協議会を2025年の臨時国会中に設置した上で、26年度中に緊急事態条項案の国会提出を目指すと明記しており、協議会は既に複数回開かれている。
もっとも、ここにきて浮き彫りになりつつあるのは9条を巡る両党の隔たりだ。自民はかつては国防軍保持の明記を目指していたが、現在は戦争放棄を定めた1項、戦力不保持を記した2項を堅持した上で、9条の2を新設して「自衛隊を保持する」と定めることを求める立場に転じた。
これに対し、維新は2項を削除し、国防軍保持を書き込むことを主張。「専守防衛」から「積極防衛」に転換し、集団的自衛権行使を全面的に容認することも提唱している。党内には徴兵制を復活すべきだとの声もあり、自民関係者は「維新に比べて自民はいかに現実的か」と語った。
改憲案を巡る両党の合意は当面見通せないが、仮に折り合えたとしても、国民民主党や公明を加えた改憲勢力は発議に必要な3分の2を衆院で割り込む。公明は与党の改憲論議に距離を置いており、斉藤鉄夫代表は平和主義の変質につながるとして「少し乱暴過ぎる」と突き放している。
連立合意書は条文起草委員会を衆参両院憲法審査会に「可及的速やか」に常設するとも明記。しかし、両会長ポストを握る立憲民主党は与党への対決姿勢を強めており、「時期尚早だ」とにべもない。閣僚経験者の一人は「維新との連立で改憲への道筋は見えなくなった」と漏らした。
記事の転載はここまで。
自衛隊に絡めて憲法9条の形骸化を目論む動きが止まない。
そもそも、日本国憲法は「自衛権」について触れている条文はない。
近代立憲国家の憲法は何れも「人は誰もが生まれながらにして「生存権」と、その生存権が侵された時の「抵抗権」という「自然権」を持つ」とする自然権思想に立脚している。
日本の憲法も例外ではない。
「生存権」と「抵抗権」という「自然権」を持つ人々が集まって作り上げた国家も、当然「生存権」と「抵抗権」を「国家の自然権」として持つ。
自然権だから剥奪も放棄もできない。
「自衛権」は「抵抗権」という自然権を読み替えたものだ。
国が「自衛権を有する」ことは憲法に書くまでもない大前提ということなのだ。
時に、憲法9条の規定が自衛権をも放棄しているとの論調を目にすることがあるが、間違いだ。
そもそも、憲法9条は自衛権とは全く無関係だ。
憲法9条でわれらは何を放棄し、国家権力の何に縛りをかけたのか。
憲法9条は日本の主権の及ばない国外に向かっての、そして国外での、威嚇を含めた武力の行使を永久に放棄し、禁じている。
このことが憲法9条の本質だ。
そのことを担保する為に、戦時国際法で国外での武力の行使と相手軍人の殺傷を認められている「軍隊」を持たないこととし、同じく戦時国際法の適用を受ける「国の交戦権」を時の政府に認めないとした。
そのことを記述した2項の方が、権力の暴走を防ぐために重要な意味を持つ。
2項の削除は憲法9条の削除に等しい蛮行だ。
そのことは、憲法の理念に真っ向から対立する。
一部の人たちには、そもそも自衛権を振りかざせば、万能の免罪符、何をやってもいいとの誤解がある。
国が自衛権を持つということと、海外での武力の行使を永久に放棄していることは矛盾するものではないと認識しなければならない。
自然権思想においては「生存権」という自然権を誰しもが生まれながらにして有している。
この「生存権」は誰も侵してはならない。
同時に、その「生存権」を脅かされたとき、人はそのことに抗い、そのことを排除する「抵抗権」を、これも自然権として誰もが有している。
しかし、その「抵抗権」の行使によって相手の「生存権」を侵すことは、当然これも許されない。
「生存権」はいかなる状況においても、侵してはならない。
そこに条件を付けた瞬間に、それはもはや自然権とは言えないものに変貌する。
その考えに立てば、生存権を守るための自衛の行動を認められていると言いつつも、海外へ出て行って相手の生存権を侵すことまでは認めていないと理解できるだろう。
自衛隊の自衛行動は、主権国家の警察権の行使、警察力の行使に相当する。
従って、自衛隊は警察同様、国内法により権限が与えられている。
一方、「軍隊」に与えられている権限は国際法によるものだという大きな相違がある。
活動領域についても警察力の行使は国内に厳格に限定されているが、「軍隊」となれば軍事力の行使が可能な領域は国内に限定されない。
警察力が外国で行使された場合は国際法では主権侵害であり、軍事力であればそれは戦争ということになる。
またそもそも自衛隊の身分は特別公務員、軍隊を持たない日本では軍人ではないために戦時国際法における軍人として扱われることはない。
諸外国が自衛隊を軍隊と見なそうが、国内法的にはそれを許さない。
憲法9条が認めないとした「国の交戦権」。
政府解釈は,「・・・1958(昭和33)年以来,「交戦権」とは,戦いを交える権利という意味ではなく,交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって,相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領,そこにおける占領行政,中立国船舶の臨検,適性船舶のだ捕等を行うことを含むものであり,このような意味の交戦権が否認されていると解している。……なお,国際法上も,交戦権は,通常,右に述べたような意味に解されている」という趣旨で,こんにちまで一貫している。・・・」
即ち、憲法9条に従えば、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などは、以ての外の犯罪ということになる。
自衛官がトマホークの発射ボタンを押し、他国の軍人、民間人を殺傷すれば、殺人犯として裁判員裁判にかけられ、絞首刑により死刑と断罪される。
そういう規定の憲法9条に、そこに唐突に自衛隊を持つと追加したところで何の意味があろうか。
あまりの意味の無さが、憲法9条を形骸化する稚拙な意図を際だたせる。
国の最高法規としての憲法の品格を棄損するだけでしかない。
そのことを理解すれば、憲法9条2項を削除し、「国防軍」を明記するなどというのも世迷言だということが腑に落ちよう。
憲法9条2項こそが、権力の行使に縛りをかけ、暴走を防ぐものといわれる「憲法」の真骨頂といえるものだ。
そもそも、憲法9条は1項と2項から成っていて、不可分のものであり、2項のみを削除することはできない。
何故ならば、2項の冒頭に「前項の目的を達するため、・・・」と書いてある通り、2項を削除すれば1項の目的が達成できなくなる。
すなわち、憲法9条が形骸化されることを意味する。
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