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コロンブスの日の問題とは米先住民の虐殺問題であり、ガザでの虐殺と根は同じ(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/319.html
投稿者 赤かぶ 日時 2025 年 10 月 15 日 02:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

コロンブスの日の問題とは米先住民の虐殺問題であり、ガザでの虐殺と根は同じ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202510150000/
2025.10.15 櫻井ジャーナル

 アメリカでは10月12日が「コロンブスの日」として祝われている。クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)が1492年10月12日にバハマ諸島のグアナハニ島へたどり着いたことを記念しての祝日だが、これは南北アメリカで大量虐殺と略奪の幕開けでもあった。

 その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されているが、1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子ども250人から300人がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少していた。ただ、主だった地域では90%を超す住民が殺されているので、100万人ということはないだろう。そして、生き残った先住民を「保留地」と名づけらた地域に押し込めるために「強制移住法」が施行された。

 ピート・ヘグセス戦争長官は今年9月25日、ウーンデット・ニーにおける虐殺に関与した20人の兵士に名誉勲章を授与すると発表した。この虐殺を実行した部隊を構成していた兵士の大半は戦闘経験がなく、誤射で味方の兵士を殺している。酩酊状態だったとも言われている。そうした兵士を「勇敢」だとヘグセスは主張、「勲章を受けるに値する」と宣言したのだ。

 こうした大虐殺を実行して土地や資源を奪ったアメリカはピューリタンの国である。ピューリタンはオリバー・クロムウェルの下、革命を成功させた後、仲間だった水平派を弾圧、それと並行してアイルランドやスコットランドを侵略、住民を虐殺している。17世紀の半ばのことだ。

 クロムウェルの私設秘書を務めていたジョン・サドラーはイングランド王ジェームズ1世と同じように、アングロ・サクソンをユダヤ人の「失われた十支族」の後継者だと信じていた。サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張している。

 ところで、「失われた十支族」は旧約聖書の記述からきているとされているのだが、それは読み手の解釈に過ぎない。旧約聖書によるとイスラエル民族の始祖はヤコブだとされている。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれているのだ。

 ユダヤ人ではない残りは「行方不明」だとされているのだが、旧約聖書を信じるある種の人びとは「失われた十支族」と呼ぶ。ただ、この支族が存在したとしても「ユダヤ人」ではない。そもそも旧約聖書の記述を裏付ける証拠はない。

 「神はイギリス人だ」と主張していたというクロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言した。海賊の国だったイングランドで金融や経済を彼らに任せるためだったともいう。

 これがシオニズムの始まりだが、ピューリタン体制が倒されるとシオニズムは放棄され、クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したという。その北アメリカで先住民は「民族浄化」された。

 19世紀からイギリスの支配層はパレスチナに注目、1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設し、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいうが、これはイスラエル軍の実行している。

 クロムウェルが侵略して以降、アイルランドはイングランドの植民地と化すが、その一方で抵抗運動が始まる。そうした運動を実行していたIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのがブラック・アンド・タンズ。そのメンバーは殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。

 1936年4月にパレスチナ人は独立を求めてイギリスに対する抵抗運動を開始するのだが、39年8月に鎮圧されて共同体は、政治的にも軍事的にも破壊された。いわゆるアラブ大反乱である。

 それに対し、イギリス政府は1938年以降、10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣した。植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練している。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。

 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃していく。

 シオニストはパレスチナから先住民を追い出し、イスラエルなる国を建てるため、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動、ハガナに協力する形でテロ組織のイルグンとスターン・ギャングは9日にデイル・ヤシン村を襲撃、その直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、村民254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。

 イギリスの高等弁務官を務めていたアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されてしまう。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしない。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎなかった。1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されている。国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。

 勿論、先住民を消滅させるだけでは新たな国を作ることができない。「ユダヤ人」を連れてくる必要があった。そこでシオニストは1933年8月25日、ドイツのナチス政権とユダヤ人をドイツからパレスチナへ移住させる目的でハーバラ協定を締結したのだ。

 1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃、多くの人が殺され、収容所へ入られ始めるが、この「水晶の夜」以降もユダヤ人はパレスチナへ向かわず、アメリカやオーストラリアを目指した。

 2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)を含む戦闘部隊がイスラエルを奇襲攻撃したが、その前にイスラエルがイスラム世界を挑発している。その舞台になったのはアル・アクサ・モスクだ。

 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は2023年4月に警官隊をイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクへ突入させ、同年10月3日にはイスラエル軍に保護された832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入してイスラム教徒を挑発している。

 ​この攻撃から数時間後、アメリカ政府は2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させた​。レバノンにいるヒズボラ、あるいはイランの軍事介入を牽制することが目的だとされているが、それほど早く艦隊を移動できたのは事前に攻撃を知っていたからではないかと考える人もいる。

 イスラエル軍は10月27日にガザへ3師団と数旅団を侵攻させたが、​中東のメディアによると、その作戦にはアメリカ軍約5000人が参加しているとする話も伝えられていた​。現在伝えられている話では2000人だとされ、そのほとんどが軍事顧問だというが、​ガザでの戦闘にアメリカ軍の特殊部隊が参加していることはクリストファー・マイヤー国防次官補が語っている。​

 イスラエル軍によるガザでの破壊と虐殺がハマスとイスラエルの停戦合意で終わるとは思えない。パレスチナでの大量虐殺は19世紀にイギリスが計画、虐殺を開始、それをイスラエルが引き継いだと考えるべきだろう。その背景には中東全域を支配しようという欧米支配層の長期戦略がある。「大イスラエル構想」もその戦略に重なる。

 「コロンブスの日」の問題、つまりアメリカ先住民の虐殺とガザでの虐殺は結びついている。



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コメント
1. 赤かぶ[251954] kNSCqYLU 2025年10月15日 02:08:20 : 5kbw07TWCU : UHA3TDlDVXlZa3c=[14] 報告
<△21行くらい>

2. 赤かぶ[251955] kNSCqYLU 2025年10月15日 02:12:37 : 5kbw07TWCU : UHA3TDlDVXlZa3c=[15] 報告

3. 赤かぶ[251956] kNSCqYLU 2025年10月15日 02:13:57 : 5kbw07TWCU : UHA3TDlDVXlZa3c=[16] 報告

4. 赤かぶ[251957] kNSCqYLU 2025年10月15日 02:30:47 : 5kbw07TWCU : UHA3TDlDVXlZa3c=[17] 報告
<■76行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

ガザ停戦に署名、人質20人解放 トランプ大統領「恐怖と死の時代終わった」【知ってもっと】【グッド!モーニング】(2025年10月14日)

2025/10/14 ANNnewsCH

 ガザで2年間続いた戦禍に、一つの節目が訪れました。ハマスが拘束し生存していた人質20人、すべてが解放されました。アメリカ・トランプ大統領は、「中東の歴史的な夜明けだ」と成果を強調しました。

■トランプ氏「この合意は必ず成功する」

 最愛の息子と再会し、喜びを爆発させる母親。イスラム組織・ハマスによるイスラエル襲撃から2年。人質がようやく解放され、家族や友人と再会を果たしました。

 日本時間13日午後3時すぎ、ガザ地区の和平合意の「第1段階」として、ハマスに拘束されていた人質の解放手続きが始まり、最初の7人がイスラエル軍に引き渡されました。

 イスラエル最大の都市・テルアビブにある“人質広場”には、数千人が集まり、喜びに沸きました。その後ハマスは、残っていた13人の人質も解放。生存者20人全員を解放しました。

 イスラエル側も交換条件として、刑務所に収監していたパレスチナ人およそ2000人を釈放。双方が和平合意の第1段階を前進させました。

 “人質広場”に掲げられたのは、イスラエル国旗に人質のプラカード。そして、和平合意を主導したトランプ大統領の写真です。

 街では「トランプ・フィーバー」が巻き起こり、イスラエルの国会では、万雷の拍手でトランプ氏が迎えられました。

トランプ大統領
「これは単なる戦争の終わりではありません。恐怖と死の時代の終わりであり、信仰と希望、神の時代の始まりです。私は新たな中東の歴史的な夜明けを確信しています」

 現地に乗り込み、自らが主導したことで停戦が達成されたと、成果をアピールしたトランプ氏。

「イスラエル人とパレスチナ人にとって、長く苦しい悪夢はついに終わりました」

 演説の最中、野次を飛ばしたイスラエルの国会議員が退出させられる一幕も…。それを見たトランプ氏は「実に素早い対応だ」と述べました。

 演説を見た街の人からは称賛の声が上がっています。

イスラエル人
「この地域全体が小さな一つの場所となり、誰もが自由に訪れ、移動できることを心から願っています。演説を聞いて、実現可能だと感じました」

 その後、トランプ氏はエジプトを訪問。ガザでの戦闘終結と今後の和平を協議する首脳級の国際会議に出席し、ガザ停戦に関する文書に署名しました。

「信じられますか?この和平合意に至るまで実に3000年かかりました。この合意は必ず成功するでしょう」

(「グッド!モーニング」2025年10月14日放送分より)

[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp

5. 朝鮮天皇不法選挙下日本[1] kqmRTpNWjWOVc5ZAkUmLk4m6k_qWew 2025年10月21日 19:35:29 : 5M5UBlBVMw : dzRkMUliN0szTzY=[1] 報告
<▽34行くらい>
1243年In 1243 All men were 鏖 Atil

1243年金張汗国サライ建国、ハザール王国完全に滅亡
ここに歴史家の言う「タタールの軛」が始まった。
https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha201.html

首都アティル住むアシュケナジー・ユダヤ人男性は全員がモンゴル兵により
鏖(皆殺し)された。

「東欧系ユダヤ人は250〜420人が創始者」ゲノム解析で判明
https://wired.jp/2014/10/02/ashkenazi-jewish-population-has-distinctive-yet-similar-genomes/

バグダードの戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
多くの歴史的記述がモンゴル軍の残虐行為を詳述している。バグダードの市民は逃げようとしたがモンゴル軍に捕らえられ、女は幼児から老婆に至るまで徹底的に強姦され、子供から老人に至るまでことごとく虐殺された。14世紀の歴史家ワッサーフは「死者は数十万人であった」と記述している。

「モンゴル軍によって虐殺された人の血でチグリス川は赤くなり、次に、捨てられた書物のインクでチグリス川の水が黒くなった」と生存者は証言した。


インディアンは南方中国人の顔立ちをしています。

モンゴル兵と同じ東洋系の顔立ちだった北南米のインディアンは

ユダヤ人フリーメイソンが創ったアメリカや南米で大虐殺されました。

もしも、タタールの軛であるモンゴル兵による
アシュケナジー・ユダヤ人大殺戮さえなければ
それから200年後以降から始まった大航海時代に起こった
北南米のインディアン大虐殺もなかったはずです。

彼らは血塗られた自らの祖先の歴史を葬り去り
彼らの祖先の歴史は忘却の彼方へ沈んだが為に
ユダヤ民族に刻まれた祖先の潜在的な記憶である「トラウマの爆発」で
定期的に祖先がされた大虐殺を他民族に繰り返し行う様になってしまったのです。


 世界遺産伽耶古墳形式の朝鮮人墓と匈奴グルガン墓

6. 朝鮮天皇不法選挙下日本[2] kqmRTpNWjWOVc5ZAkUmLk4m6k_qWew 2025年10月21日 20:21:15 : 5M5UBlBVMw : dzRkMUliN0szTzY=[2] 報告
追記

Q.モンゴル平原の「土饅頭墓」とは?

A.モンゴルや中国の内モンゴル自治区、中央アジアなどの
ステップ地帯 に多く見られる伝統的な埋葬法の一つです。

Q.現代に残る土饅頭墓

A.モンゴルや内モンゴルの草原には、今でも多くの土饅頭墓が点在しています。


・エスキモー犬と韓国在来犬(珍島犬・済州島犬)のHbA型遺伝子の共通点

HbA型遺伝子は寒冷地適応の犬群に多い傾向があり、北極圏のエスキモー犬や朝鮮半島の在来犬(珍島犬や済州島犬など)に高頻度で観察されます。

研究によると、エスキモー犬や朝鮮の在来犬には、HbA型(北方型)ヘモグロビン多型が非常に高い頻度で見られることが報告されています。

これは遺伝的に彼らが「北方型犬群」として分類される根拠の一つです。

モンゴル・シベリア・朝鮮半島・北極圏にまたがる広域な北方地域の犬たちは、この血液型の遺伝子型が共有されていることが多く、遺伝的にある程度の繋がりを示します。

 エキスモー犬と珍島犬は同種・北海道犬と沖縄犬は中国原産種同種

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