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マッハ10のミサイルにテロ組織で対抗するNATO諸国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202601100000/
2026.01.10 櫻井ジャーナル
ロシア軍は1月8日から9日にかけて、マッハ10を超えるスピードで飛行するウクライナを中距離弾道ミサイル「オレシニク」でウクライナの西部にあるリビウの地下ガス貯蔵施設を攻撃したようだ。その貯蔵容量は170億5000万立方メートルで、ウクライナで貯蔵されている全容量の50%以上に相当するという。12月28日から29日にかけてウクライナ軍が91機のドローンでノブゴロド州にあるロシア大統領の公邸を攻撃したことに対する報復だとされている。
西側諸国ではウクライナ軍によるロシア大統領公邸に対する攻撃を否定、捏造だとする声もあがっていたが、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)のイゴール・コスチュコフ長官はドローンの残骸から回収したマイクロチップをモスクワ駐在アメリカ大使館の武官へ引き渡している。その後、アメリカ政府からマイクロチップに関するコメントがなく、本物だったと推測できる。NATO/ウクライナ軍がロシア大統領の公邸を狙ったことは間違いないだろう。
オレシュニクが初めて使われたのは2024年11月21日。ドニプロにあるロケットや人工衛星を製造するユージュマシュ工場を攻撃したが、その後は使用されていなかったようだ。NATOとの全面戦争を想定、保有数を増やしているとも言われていた。2024年11月の攻撃は、その2日前にNATO/ウクライナ軍がアメリカ製ATACMSでロシア深奥部を攻撃したことへの報復だとも言われた。
ロシア軍は1月6日、ドニェプロペトロフスクにあるアメリカン・バンジ社のオレイナ石油採掘工場、トランスカルパチアにあるフレックスの工場、オデッサの海洋ターミナルに対する攻撃を実施した。パトリオット防空システムで守られたターミナルの爆発は協力で、巨大なキノコ雲が発生したとされている。NATO兵器が保管されていた可能性が高い。
そして1月7日、アメリカの沿岸警備隊の巡視船はスコットランド北西の公海上でロシア船籍のタンカー「マリネラ(ベラ1)」を拿捕した。このタンカーの乗組員はロシア人2名、ウクライナ人17名、ジョージア人3名、インド人3名。その攻撃に対してロシア外務省は深刻な懸念を表明したが、ロシア外務省によると、アメリカ政府はロシア人2名を解放した。これはロシア政府の要請に応えてのことだという。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウクライナの戦況は日々ロシア軍が優勢になっている。戦争を継続しようと必死なEU諸国のエリートはアメリカを引き込み、ロシアと戦わせようとしているが、そうなってもロシアを通常の戦闘で打ち負かすことはできそうにない。そこで始められたのがテロ攻撃だ。
アメリカSO(OSSの一部門)とイギリスSOEは1944年にレジスタンスを抑え込むためにゲリラ戦部隊のジェドバラを編成、大戦後にはそれを核にしてアメリカやNATOの内部に破壊工作部隊を作った。大戦後、この部隊を基盤にして秘密部隊のネットワークが組織される。そのネットワークの中で最も活発に活動したグラディオはレジスタンスの人気が高かったイタリアの組織。NATOが誕生するとネットワークはその中へ入り込み、1951年からCPC(秘密計画委員会)の下で活動するようになる。1957年にはCPCの下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が創設された。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)
グラディオは1960年代から80年代にかけての時期、極左集団を装って爆弾テロを繰り返し、社会的な緊張を高めて治安体制を強化した。いわゆる「緊張戦略」だ。このテロ攻撃には西側の情報機関が協力している。人びとは恐怖から軍事予算の増大を容認するようになり、治安システムの強化も受けれるようになった。「安全と安心」の代償として主権は放棄され、福祉はなおざりにされる。結果として社会的な弱者は基本的権利を奪われ、集会、結社、言論の自由は保障されなくなった。
NATOの秘密部隊ネットワークは極秘にされていたが、1972年2月に子どもがイタリア北東部の森に設置していた兵器庫を偶然発見する。それから1週間後にはイタリアの準軍事警察であるカラビニエッリの操作感が近くで別の複数の武器や弾薬の保管庫を発見、その中にはC4と呼ばれるプラスチック爆弾も含まれていた。
武器庫が発見された翌月、不審な自動車をカラビニエッリの捜査官が調べはじめたところ爆発して3名が死亡、その2日後に匿名の電話が警察にあり、「赤い旅団の犯行だ」と告げる。その主張が正しいかどうか不明だったが、多くの人はこの情報を信じた。1978年3月にアルド・モロ元首相が誘拐されるが、その犯人とされたのがトレント大学の学生が組織した左翼グループ、赤い旅団だ。
誘拐される日、モロは「歴史的妥協案」に関する書類をスーツケースに入れて国会へ向かった。コミュニストの入閣を決意していたという。その途中、モロのリムジンが交差点に近づいた時に外交官ナンバーをつけたフィアットが進路を妨害、リムジンは急停車を強いられる。
フィアットから降りた2名と道路で待ちかまえていたアリタリア航空のパイロットの制服を着た4名が銃撃を開始、5名の護衛を殺害した。襲撃グループは合計91発の銃弾を発射しているのに対し、護衛側は2発を撃ち返すのがやっとだった。その際、モロは無傷だ。モロの死体が発見されたのはその2カ月後のことである。(Daniele Ganser, "NATO's Secret Armies, Frank Cass, 2005)
学生のグループにできることではないのだが、しかも赤い旅団を創設したリーダーであるレナト・クルチオやアルベルト・フランチェスキーニは1974年9月に逮捕されて刑務所の中だった。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991)CIAとグラディオの連絡役だったオズワルド・ル・ウィンターによると、赤い旅団は西側の情報機関に深く潜入されていたという。
1972年2月にペテアノ近くの森で兵器庫が発見されたものの、途中で捜査は中断する。それを知ったフェリチェ・カッソン判事が捜査の再開を決めたのは1984年のこと。そしてジュリオ・アンドレオッチ首相はグラディオの存在を否定できなくなり、1990年10月に「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。
アンドレオッティ内閣の報告書によると、グラディオが正式な組織に昇格したのは1956年。幹部はイギリスの情報機関で訓練を受け、軍事行動に必要な武器弾薬は139カ所の保管場所に隠されていた。そのひとつが偶然、見つかってしまったわけだ。秘密工作を実行するのは独立した部隊で、それらを統括していたのはサルディニア島のCIA。
イタリアで報告書が公表された月にギリシャのアンドレア・パパンドレウ元首相もNATOの秘密部隊が自国にも存在したことを確認、ドイツでは秘密部隊にナチスの親衛隊に所属していた人間が参加していることも判明した。そのほかの国でも秘密部隊の存在が認められている。
この秘密部隊のネットワークはヨーロッパでコミュニスト、あるいはコミュニストを容認する勢力が拡大することを防ぐために活動してきたが、その中にはナチの人脈が含まれている。このネットワークがクーデター後のウクライナをコントロールしてきたとも言える。
もしソ連が侵攻してきた場合はゲリラ戦を展開することになっていたようだが、現在、ウクライナで行われている戦争でロシアの勝利が確定したなら、テロ活動を展開することになるだろう。すでにCIAやMI6はそうした活動を始めている。

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