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米国がベネズエラを植民地化できても戦略的に使えるのは先の話
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202601110000/
2026.01.11 櫻井ジャーナル
ベネズエラの確認石油埋蔵量は世界最大だが、生産量は多くない。ウゴ・チャベスの死後、ニコラス・マドゥロ政権は石油関連のインフラを整備せず、スクラップとして処分されてしまった。熟練労働者が国外へ流出したことも大きいとされている。もしアメリカがイランを軍事攻撃し、イランがホルムズ海峡を封鎖して石油の供給量が激減した場合、ベネズエラの石油で代替できるということはない。

生産量を増やすためには労働者を育て、生産に必要なインフラを建設しなければならないが、そのためには多額の資金が必要だ。1日当たり100万バレルの増産するためには約1000億ドルを要するとも試算されている。アメリカの企業が資金を負担できるとしても、建設にはそれなりの時間を要する。
ドナルド・トランプを信奉する人の中には、ベネズエラの石油をアメリカが押さえることで中国がダメージを受けるという人もいるが、そうしたことにはなりそうもない。少なからぬ人がそう考えているようだ。中国は石油を戦略的に備蓄している。
しかもマドゥロ大統領が誘拐された後もベネズエラ国内は平静を保っている。トランプ米大統領がベネズエラを「経営」することはできそうになく、石油の利権を奪うことは難しそうだ。アメリカ軍がベネズエラへ軍事侵攻した場合、戦争は泥沼化し、アメリカ自体が崩壊する可能性もある。
アメリカ政府に対し、ベネズエラへの軍事侵攻するように求めていたノーベル平和賞受賞者のマリア・コロナ・マチャドやマルコ・ルビオ国務長官はマドゥロ誘拐後、落胆していたようだ。マドゥロ政権がそのまま崩壊し、トランプがマチャドをベネズエラの大統領に据えるとでも思っていたのかもしれない。
トランプ米大統領はマドゥロ大統領を麻薬取引の元締めであるかの如く宣伝していたが、その根拠は示されていない。ベネズエラはラテン・アメリカの中で麻薬取引と関係の少ない国だ。コカインの密輸ルートのひとつは、コロンビアからホンジュラスなどを経由するもので、ホンジュラスのフアン・オルランド・エルナンデス元大統領は巨大な麻薬組織の中心的な存在だとされ、アメリカで懲役45年の判決を受けて服役していた。トランプ大統領はそのエルナンデスを昨年12月に恩赦、すでに釈放されている。
ラテン・アメリカで生産されるコカインのアメリカへの密輸が急増するのは、CIAがニカラグアで反革命ゲリラ「コントラ」を支援するようになってからだが、その前にはベトナム戦争における秘密工作に絡み、東南アジア(黄金の三角地帯)でケシを栽培、ヘロインを生産していた。アフガン戦争の際にはパキスタンからアフガニスタンにかけての地域でケシが栽培され、ヘロインが生産されていた。タリバーンの統治が始まるとアフガニスタン地域におけるヘロインの生産が急減した。
ニカラグアのソモサ体制をサンディニスタが倒したのは1979年。その後にコカインの流通量が急増したのだが、イギリスのオブザーバー紙によると、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトの側近たちも関係していた。ヘンリー・キッシンジャーの指示に従い、ピノチェトは1973年9月11日にサルバドール・アジェンデ政権を軍事クーデターで倒し、新自由主義を導入している。
CIAとコントラが麻薬取引に関係しているとする話を最初に伝えたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガー。ふたりは取材を通じ、マイアミのエビ輸入会社「オーシャン・ハンター」がコカイン取引に関係している疑いを持つ。コスタリカの姉妹会社「プンタレナス冷凍」から運ばれてくる冷凍エビの中にコカインが隠されているという噂を耳にしたのだ。この噂が事実だということは、後にアメリカ上院外交委員会の調査で明らかにされた。
その後、サンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者の書いたコカインとコントラを明らかにする連載記事『闇の同盟』が1996年8月に掲載された。
当初、有力メディアはこの記事を無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員はCIA長官だったジョン・ドッチに調査を要求し始めると状況は一変。ウェッブを誹謗中傷しはじめた。
コカインが蔓延していたロサンゼルスではジャーナリストや研究者だけでなく、警察官もCIAと麻薬との関係を疑っていた。1980年代になるとロサンゼルス市警は麻薬取引の中心人物を逮捕するために特捜隊を編成、87年に解散した。その直後からアメリカの司法省は麻薬業者ではなく警察官を調べはじめ、その警察官は1990年頃、税務スキャンダルで警察を追放されてしまう。CIAの存在に気づいていた特捜隊の隊員は目障りだったのだろう。
CIAとコカイン取引の関係を疑う声は広がり、ドッチ長官は内部調査の実施を約束せざるをえなくなる。そして1998年1月と10月、2度に分けて公表された。CIA監察室長による報告書、いわゆる『IGレポート』である。内部調査だという限界はあるが、10月に出た『第2巻』では、CIA自身がコントラとコカインとの関係を認めた。
APの記事はアメリカの議会を動かすことになり、上院外交委員会の『テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会(ジョン・ケリー委員長)』が1986年4月、麻薬取引に関する調査を開始。1989年12月に公表された同委員会の報告書でもコントラと麻薬業者との深い関係が明確に指摘されていた。
要するに、トランプ政権がマドゥロ大統領を誘拐する口実にした「麻薬取引」の話はナンセンスだ。しかもマルコ・ルビオと麻薬取引の話も指摘されている。
マルコの姉が結婚した相手のオーランド・セシリアは1983年にペット・ショップで働き始め、マルコもそこで雑用を任されたが、1987年に麻薬取引の容疑で逮捕された。ルビオが16歳の時の出来事だ。そのペット・ショップは麻薬業者のフロント企業で、セシリアは1989年に懲役35年の判決を受けている。コカインの売買はCIAのキューバ侵攻作戦に参加していた亡命キューバ人が中心になっていた。
その侵攻作戦は1961年4月にアメリカのB爆撃機がキューバの航空機部隊を空爆するところから始まる。その2日後に1543名の部隊がピッグス湾(プラヤ・ギロン)への上陸を試みた。この部隊の主力はグアテマラの秘密基地でCIAの訓練を受けた亡命キューバ人で、戦車、大砲、対戦車砲、自動小銃数千丁などとともに5隻の商船に乗り込んでグアテマラを出航、途中でニカラグアから来たCIAの改造上陸艦2隻と合流している。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)
しかし、この作戦に関する情報は事前に漏れていた。ルシアン・バンデンブロックがプリンストン大学で発見した記録によると、アレン・ダレスは作戦が成功する可能性が小さいことを理解、アメリカ軍をキューバへ軍事侵攻させようと目論んでいた。(Lucien S. Vandenbroucke, "The 'Confessions' of Allen Dulles: New Evidence on the Bay of Pigs," Fall 1984)
侵攻部隊の敗北が明らかになると、チャールズ・キャベルCIA副長官は航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したが、アメリカ軍が前面に出た侵攻作戦の要求は却下された。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1961年7月、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長、SAC(戦略空軍)のカーティス・ルメイ司令官、あるいはアレン・ダレスCIA長官などは大統領に就任して半年のケネディ大統領に対し、先制核攻撃計画について説明している。1963年の後半にはソ連を先制核攻撃する計画になっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できると信じていたのだが、ケネディは承認しない。そのケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。
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