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アメリカやイスラエルはイランと平和的な関係を築く意志がない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202604110000/
2026.04.11 櫻井ジャーナル
イスラマバードでアメリカとイランの政府代表が協議するというが、イラン側は一貫して10項目の要求をアメリカやイスラエルに突きつけている。その中にはイランを侵略しないこと、今後もイランがホルムズ海峡の管理を続けること、ウラン濃縮を容認すること、全ての制裁を解除すること、イランへ賠償金を支払うこと、アメリカ軍の戦闘部隊が西アジアから撤退すること、イスラエルやアメリカはレバノンを含む西アジア地域での戦争を停止することが含まれている。
こうした項目をイスラエルやアメリカが呑むとは思えず、したがって戦争が終結するとも思えない。イランには米英金融資本の影響下にある富豪が存在しているが、革命防衛隊(IRGC)には約束を守らないアメリカやイスラエルとの交渉を拒否する人も少なくないようだ。アメリカが求めている停戦は、おそらく、例によってイランを攻撃する態勢を整えるための時間稼ぎだろう。ウクライナでもロシア政府を騙し、8年かけてキエフのクーデター政権を増強している。
戦闘でアメリカやイスラエルを圧倒しているイランやその同盟組織はこのまま進めれば良いのだろうが、追い詰められているアメリカやイスラエルは違う。ドナルド・トランプ米大統領は「今夜ひとつの文明が滅び、二度と復活することはないだろう」と宣言したが、これは核兵器の使用を意味していたと推測した人も少なくない。アメリカ軍の将校がそれを拒否したのかもしれない。
アメリカ政府は自分たちが望みを実現するため、核兵器を利用してきた。例えばドワイト・アイゼンハワーは大統領に就任してまもない時期にハリー・トルーマン政権が始めた朝鮮戦争を休戦させようと考え、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。休戦は同年7月に実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
アイゼンハワー政権で副大統領を務めていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争から抜け出すため、アイゼンハワーを真似している。カンボジアに対する秘密爆撃を実行しながら核兵器で北ベトナムを恫喝したのだ。(前掲書)
1973年10月、エジプトのアンワール・サダト大統領は同国とシリアの領土を支配していたイスラエル軍に対して奇襲攻撃を仕掛けた。サダトの背後にはヘンリー・キッシンジャーがいて、1972年7月にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出していた。キッシンジャーはそのサダトをアラブ世界の英雄に仕立て上げようと考えたという。
戦争は当初、キッシンジャーの思惑通り、エジプト側が優勢なまま進むが、ジェームズ・シュレシンジャー国防長官やトーマス・モーラー統合参謀本部議長などはこうした展開を懸念、統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を探りはじめる。
そうした動きをキッシンジャーは阻止、イスラエルのゴルダ・メイア首相がリチャード・ニクソン大統領と会うことも妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはこの時のキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)
イスラエルの敗北が濃厚になるとメイア首相の執務室では核兵器の使用について議論があり、その際、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。ソ連の情報機関は早い段階からイスラエルが核弾頭を使う準備をしている疑いを抱き、その情報をエジプトのモハメッド・アブデル・ガーニー・エル・ガマシ参謀長に伝え、さらにアメリカ政府へもイスラエルが核兵器を使う準備をしていると警告していた。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978)
結局、この時はイスラエルの機動部隊がスエズ運河を越えてエジプト軍の背後へ回り込み、エジプト陸軍の第3軍が窮地に陥り、戦況は逆転したとされている。今回はイスラエル軍に代わってアメリカ軍がイランを壊滅させようとしたのだが、失敗した。アメリカ政府は自分たちの戦力とイランの戦力を見誤り、無謀な戦争を始めてしまった。
1991年12月にソ連が消滅した時、アメリカにおいて軍事や外交をコントロールしていたネオコンはアメリカが唯一の超大国になり、他国に気兼ねすることなく、好き勝手に行動できる時代がきたと思った。そうした気持ちを具体的なプランにした文書が1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として作成された世界制覇計画にほかならない。
当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、そして作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツ。そのため、この指針は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
今のところ、トランプ政権はこのドクトリンを放棄していないが、その背後には19世紀から続くアングロ・サクソンの世界征服プロジェクトが存在している。そのプロジェクトを始動させたのは反ロシアで有名なイギリスの政治家、ヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)だろう。
彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿。この時期にシオニズムと帝国主義が一体化した。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査している。
イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
ディズレーリが書いた小説『コニングスビー』の中に、次のようなことが書いてある:
「(ジョン・)ハムデン(オリバー・クロムウェルの従兄弟)による最初の運動から1688年の最後の最も成功した運動(名誉革命)に至るまで、イングランドにおけるホイッグ党指導者たちの最大の目的はベネツィア共和国をモデルとした高貴な貴族制の共和国をイングランドに樹立することであり、当時のあらゆる思索的な政治家がそれを研究し称賛することだった。」

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