|
<■96行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 太陽を崇拝し、牡牛の犠牲を捧げるミトラ教の特徴のひとつは、救世主(メシア)思想と結びついていることです。この思想は苦難にある民衆を惹きつける力が強いため、ミトラ教の思想はあらゆる宗教に取り入れられていくわけです。 古ミトラ教では、三人の神(アフラ・ミトラ・アバムナバート)を崇拝していたのが、拝火教のゾロアスター教(古ミトラ教から分離)により、善神アフラマズダと悪神アーリマンの二元論になっていくわけです。この二元論が、天国(極楽)と地獄の思想を創り出して行くわけです。しかし、三人の神の三原論は、ユダヤ・キリスト教(父と子と聖霊)や日本の神社(三者祭)に受け継がれていくのです。 ローマ帝国での布教を成功させたミトラ教も、新興宗教であるユダヤ・キリスト教がユスティニアス帝と結びつくことにより、311年にユダヤ・キリスト教の寛容令が出ることにより、その組織はユダヤ・キリスト教徒達により地上から抹殺されていくわけです。そして、ミトラ教に替わって、392年にユダヤ・キリスト教はローマの国教となるわけです。ここに西方におけるミトラ教は歴史から消え去るのです。 しかし、東に向かったミトラ教は、時の勢力のある宗教組織の内部に入り込むことにより生き延びていくわけです。 ミトラ教の特徴を整理すると、太陽崇拝、牡牛を犠牲とする祭儀、救世主思想、秘教占星術、イニシエーションの密儀、七つの位階、そして火による密儀等です。 東に向かったミトラ教は、紀元前五世紀にインド(シャカ国)でゴーダマ・シッダルタに出会うのです。 ブッダと言えば、宗教にあまり興味がないひとは、ひとりしか存在していないと思っているかもしれませんが、ブッダとは、「モーセ」と同じに、固有名詞ではなく一般名詞なのです。ですから、ブッタは複数人いたわけで、ゴーダマ・シッダルタ=ブッダだけではないのです。 釈尊(釈迦牟尼ブッダ=釈迦族の聖者であるブッダ=ゴーダマ・シッダルタ)以前にもブッダは六人居たらしのです。さらにブッダは如来(修行を完成したひと)とか阿羅漢(尊敬に値するひと)などとも呼ばれていたようです。 釈尊がブッダになるために、以下のような真理を悟ったと言われています。「幸福とは、聖なる真理を見ること、聞くこと、そして一人心の内に安らぎを体得することである。幸福とはこの世の情と欲とを乗り越えることである。自我意識を乗り越えることこそ、間違いなく最大の幸福である。」 釈尊はその教えを書き残してはいません。では何故その教えが今日まで知られているかと言えば、それは愛弟子のアーナンダが釈尊の教えを全て暗記していたからと言われています。 江戸時代、大阪商家生まれの町儒学者の富永仲基が、法華経をはじめとする、いわゆる大乗仏教関係の経典は、すべて後世のひとによる創作物であって、釈尊の説法をアーナンダが記憶していたものではない、と「出定後語」という書籍のなかで述べました。
江戸時代は、仏教は庶民統制の道具として権力側から優遇されていたわけですから、仏教の闇を暴露するその書籍は当然無視されました。 ひとの脳力は、時空を越えてシンクロ(同調)するようです。紀元前の思想家出現ラッシュと同じに、日本国における大乗仏教仏典の疑問に後れること数十年、ヨーロッパで聖書について疑問を持ったひとたちが出現するのです。 その「仏典」と「聖書」の疑問についての流れが、二十世紀になり、「仏典」と「聖書」との共通性が指摘されるのです。その基本的疑問は、大乗教仏典と新約聖書の成立年度が前後することと、釈尊とキリストの「説教の内容」と、それぞれの「奇跡の物語構成」が同じだということです。 説教の共通点としては、「憎しみは憎まないことで乗り越えよ。」、「求める者には、だれにでも与えなさい。」、「無条件の愛を求める命令に従う者は誰でも神の子となる。(神に近づく)」等です。 奇跡の共通点としては、「荒れる水面上を歩く釈尊とキリストの奇跡」、「数人分の食事で多くの弟子のお腹を満腹にし、更に食べ残させる奇跡」等です。 国際交易商人が活躍するガンダーラで、大乗仏教は紀元一世紀に突然出現するのです。ギリシヤ風仏像が出現すると同時に、大乗仏教の経典群も同時に出現するのです。経典成立順序としては、般若経系、維摩経、法華経、華厳経そして無量寿経、阿弥陀経などですが、その中で一番古いと言われる般若経でも紀元前一世紀までがせいぜいで、多くは紀元五十年から書き始められたようです。 そして、経典についての疑問は、それらの経典は用語の使用が稚拙なサンスクリットで書かれていることです。 それに対して、新約聖書は、キリスト時代に使用されていたアラム語(シリア語)ではなく、何故にギリシャ語で書かれているのでしょうか。 釈尊は、弟子達に「教え」を、敵対宗教であるバラモン(カースト制度の祭祀階級)達の言葉であるサンスクリットで伝えることを禁じていました。釈尊が使用した言葉は、パーリ語とは少し違う「マガダ語」であったわけです。大乗仏教はサンスクリットで、小乗仏教は「マガダ語」に似ているパーリ語を使用して経典を作成しているのです。 何故、大乗経仏典はサンスクリットで書かれているのでしょうか。 どうも、国際交易国ガンダーラで紀元一世紀、突然出現した大乗仏教は、仏像もその経典群も国際的な情報をもとに創作されたようです。 仏像に関連する蓮華台とは、そもそもどこからもたらされたのでしょうか。元々、釈尊の存命の時は、仏像など存在しなかったのですから、インドのものではないでしょう。 蓮の花は、古代エジプトでは、太陽の母であったのです。蓮は日の出と供に花が開くので、古代エジプトのひとたちは、太陽は蓮の花から生まれると考えたようです。 仏像には、太陽に関するものがもうひとつあります。それは、後光の日輪です。この後光はキリスト像やイコンにもあります。さらに、キリスト教には、マルタクロス(太陽の輝き)を模倣した十字架もあります。 仏教とキリスト教は、表向きは太陽信仰ではありません。 では、何故それら太陽信仰神の象徴であるものが、それらの宗教組織がプロパガンダに利用しているのでしょうか。 そこで考えられることは、それらのふたつの宗教は、太陽信仰神の経典や物語を参考にして創作されたのではないか、と言うことです。 シルクロードは、ガンダーラから東に向かえば、中国の長安を越えて、海を渡り日本列島の奈良に辿り着けます。そして、西に向かえば、ギリシャを越えてローマに辿り着けます。そのシルクロードは、東西の物品だけではなく、文化や宗教も国際交易商人達により運ばれて行くわけです。 神輿の黙示録(1)(日本人とは何者か) http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/829.html
|