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https://logmi.jp/main/social_economy/333288
長いが、読む価値がある記事。
「・・・少し前、日本の学校で「いい子」はどういう子だったか。
文句を言わない子です。文句を言うとダメです。
ここで言ういい子の基準は、自分の頭で考えたかや心がどう動いたかではありません。周りとの足並みがまず優先されます。波風立てずに円滑にことを進めることが正義とされている。これが日本の「態度主義」と呼ばれるものです。・・・」
そんなことが論じられている。
そんな子たちが、今成人し、社会ではこれからの日本の担い手と見做され、選挙権を得ても政策に興味を示さず、「いい子」を演じ続けているのかな・・・。
「戦前」もこうだったのかな・・・。
そんな思いにさせられる。
以下に記事の全文を転載する。
【3行要約】
・野党の批判が「悪口」と呼ばれる風潮が広がり、職場でも正当な指摘が封じられつつあります。
・ 組織開発の勅使川原真衣氏は、「態度主義」が蔓延する現在、批判を悪口とラベリングする動きが権力側の秩序を守る論破術になっていると指摘します。
・ ビジネスパーソンは「コト」に焦点を当てた批判の習慣を持ち、陰口ではなく表の議論で軌道修正する力を守るべきだと氏は訴えます。
■「批判は悪口」論 選挙総括で浮かび上がった、気になる空気
西村志野氏(以下、西村):ここからは前半レギュラーの「ラジマガコラム」。水曜日は、勅使川原真衣さんの『勅使川原真衣の「今日もマイペースで」』。今日はどんなお話でしょうか?
勅使川原真衣氏(以下、勅使川原):批判を悪口と呼び始めたことが気になっています。武田さんも昨日の「ゴールデンラジオ」でお話しされていたと思います。少し違う着眼点からお話ししてみたいと思います。
自民大勝、中道大敗など総括がいろいろ出ています。その中で気になるのは、中道がいかに自民を批判しても、大人が悪口を言っているようにしか聞こえなかった論です。
武田砂鉄氏(以下、武田):そういうものが、いろいろなところで出てきていますね。
勅使川原:産経新聞の記事は有名かと思います。「他人の悪口ばかり聞きたくない」が今回の選挙結果。「批判型野党とオールドメディアの終焉」という記事です。野党は批判するものなんですけどね。
そういう記事が出たり、日本テレビ系列の番組で、山里亮太(南海キャンディーズ)さんらが、似たような趣旨のことを「他責」や「揚げ足取り」という言い方で語っていました。
批判は直ちに後ろ向きで、他責で人の話ばかりしている。要するにこれは悪口だという構図のようです。いかがでしょうか。
武田:世の中は政治の話だけでなく、いろいろなものに対して批判して、それを検証して改善してきた歴史の積み重ねがあります。それによっていろいろなものの生活は改善してきたんですけどね。
■「悪口」は新手の論破 「人としてどうなの論法」と日本の「態度主義」
勅使川原:そう思います。批判を悪口と呼ぶことで、私たちが得るものと失うものがあるはずです。今日は悪口と陰口の違いも整理しながら、空気を解剖してみます。
社会学の観点から見ると、悪口という言葉は非常に興味深いラベリングです。悪口と言った瞬間に、その発言の内容の検討や構造の分析、事実の確認は切り離されます。「それは悪口だよね」というのは新手の論破です。議論が強制終了してしまいます。
批判を悪口と呼ぶことで守られるものの一つは、今、権力を持っている側にとっての快適さや秩序にほかなりません。お気づきのとおり「悪口ばかりで嫌だね論」は、内容ではなく態度を問題にしています。私は勝手に「人としてどうなの論法」と呼んでいます。
武田:人としてどうなの論法。
勅使川原:人としてどうなの系の話は、最近多い気がします。政治まで人格化して語っていいのでしょうか。これは政治の話だけではないのがポイントです。日本社会を広く覆っている価値観だと言えます。
少し昔の話をすると、学校はどうでしたか。日本の学校で「いい子」はどういう子だったか、私なりに整理してみます。
まずは文句を言わない子です。文句を言うとダメです。小学校でよくあったのが「いいですか」と聞かれて「いいです」と言う。本当は「嫌です」でも「嫌です」はダメなのです。空気を読み周りに合わせるのが大事でした。
あとは途中で「負け筋だな」とか「違うな」と思っても、やめることはあまりできませんでした。「最後までやり抜く子」が教育目標になっているケースも多いです。
ここで言ういい子の基準は、自分の頭で考えたかや心がどう動いたかではありません。周りとの足並みがまず優先されます。波風立てずに円滑にことを進めることが正義とされている。これが日本の「態度主義」と呼ばれるものです。
武田:態度主義。
勅使川原:態度は評価の第一義になっています。学校での望ましい行動や規範は、その後の社会も支配しています。
■批判を封じると陰口が増える 1on1でも「最近、髪切った?」で終わる職場
勅使川原:政策の矛盾や権力の問題点、制度の欠陥を批判すると、直ちに悪口ばかりで感じの悪い人と言われませんか。それで一蹴されると不当な構造を問えません。
指摘すると「あの人感じ悪いよね」と言われるのなら、やはり控えてしまいます。止められない決定が積み重なっていくのが最大の懸念です。これは失うものだと思っています。
ちなみに思考実験をしてみます。批判が直ちに悪口と呼ばれてしまうとどうなるでしょうか。
武田:しなくなりますよね、批判を。
勅使川原:しなくなります。でもモヤモヤは消えないわけです。多くの人はどうするか。表では言わないけれど、陰で言うことになるのではないでしょうか。
武田:陰で言う。
勅使川原:悪口論が乱用されると、悪口は一見すると減るはずですが、陰口は増えるはずです。
武田:別のところで吐き出す。
勅使川原:別のところで絶対に吐き出す必要があります。職場で言えば、会議では表だった反対意見は誰も言わない。喫煙所やSNSの裏垢はどうでしょうか。言いたい放題やっているケースもあります。会社側が上司との「1on1」という制度を用意していても、最近は心理的安全性を確保しろとも言われます。
ネガティブなフィードバックをしたらやる気を削いでしまうのではないか。ハラスメントと言われるのではないかと考えて、1on1でも何も言わない。「最近、髪切った?」という話をして終わってしまうケースもあります。
何が起きるかというと、軌道修正の機会を失ってしまうのです。双方にとって「言わぬが花」状態でズレたままになります。陰で、軌道修正が必要な方は評判を落としていきます。
武田:それは最悪ですね。
■「センスが悪い」「私の感想です」 巧妙化する批判無効化の手法
勅使川原:最悪ですよね。批判を悪口と見なす社会は、陰口を増やすことになります。その陰口がどれくらい健全な社会の醸成に役立つかは一考に値すると思います。
武田:一見、すごく良い言葉やポジティブな言葉が溢れているけれども、剥がしたところや裏側ではジメジメしている。そうであれば、きちんと言うべきことはおかしいとおかしいと表で言えと。
勅使川原:表のほうが健全だと思います。物事は変わっていかないので、裏で言っても。まだあります。批判を悪口と呼ぶ社会の懸念ですが、こういう手法も出回りそうです。悪口を明確な悪い言葉で言わないケースです。「頭悪いよね」というのは、悪口だとすぐに言われるようになるとします。
こういうのはどうでしょうか。「趣味悪いよね」とか「センスないよね」論法です。
武田:グサッときますね(笑)。
勅使川原:実際に起き始めています。今回の衆院選の中盤以降にトレンド入りしたハッシュタグですが「#ママ戦場止めてくるわ」がありました。非常に話題になりました。若き論客たちがSNS上で「なんて悪趣味なハッシュタグなんだ」と言っていました。ある番組では「煽動だ」「戦争を煽動してどうするんだ」という言い方をされていました。
ぺこぱのシュウペイさんや松陰寺太勇さんらは、あるネット番組で語っていました。「選挙に行くという意味なら、選挙に行ってきますと言えばいいじゃないか」という発言もありました。これは批判への批判、すなわち悪口ではないかという気もします。
彼らはこう言うと思います。「これは悪口ではありません。センスの悪さを自分の感想として言及しているだけです」。この感想問題は、西村博之(ひろゆき)さんを思い出します。「それってあなたの感想ですよね」と言って論破していた時期がありました。その時代を思うと隔世の感があります。
論客自体が先に「これは私の感想なんです」と言って、相手の口を封じてしまう。批判を封じるという、批判の無効化バリエーションの進化系だと思っています。
あと、最近気になるのが、いろいろなことを言った後に最後に「自戒を込めて」とSNSで書けば、何でも相手を殴っていいと思っている人がいらっしゃる気がします。これも似たような感じかなと思うわけです。
武田:僕もよく思いますし、書いたこともありますが、批判するのは良くないと思うというもの自体が、なぜ批判ではないのかと本当によく思います。自分はこういう意見を持っています、そちらはこういう意見を持っていますということで、勅使川原さんの言う通り表に出た場所できちんと言い合えばいいと思うんですけどね。
勅使川原:批判していいはずですよね。
■コトにフォーカスせよ トーンポリシングと「意地悪やなあ」という罠
勅使川原:では、どうしたらいいのか。批判の公共性をどう守るかという話をしてみます。基本的には、何が正しいかという話では拉致があかないと思います。相手には何が伝わり、何が伝わらなかったのか。これを考えて軌道修正を重ねていくことに尽きるのではないでしょうか。
正しさは人の数だけあるので、正義で議論はできません。何か問題提起したいときは、人となりや人格、正義の話にしないで、コトにフォーカスすることを訓練づけた方がいいと思います。議題をテーブルに置いて、感情抜きで一回議論することです。
私もけっこう言ってしまいますが「ちゃんと」とか「しっかり」話すとか「前向きに」とか。言っていそうでよくわからない曖昧な指標は、議論の際は避けた方がいいと思います。これだけでも批判の公共性は多少は増すのかなと思います。
ただ、ここで注意したいのが「言い方に気をつけよう系」の落とし込みです。これは雑で危険だと思います。
武田:よくありますね。
勅使川原:怒っている人に対して「もっと穏やかに言ってくれたらこちらも聞く耳持つのに」というもの。これは典型的なトーンポリシングという考え方ですよね。口調を理由に中身を退ける技法と紙一重になってきます。これではダメです。
思い出すのは2018年だったと思います。当時議員だった山尾志桜里さんが、待機児童問題の件で安倍晋三元首相と衆院予算委員会で質問していました。そのときに「いつまでに減らすんですか」という質問を何度もしました。
安倍さんは何をしたかというと「そんなに興奮しないでください」と言いました。場内は爆笑でした。麻生太郎さんが抜かれていましたけど、めちゃくちゃ笑っていました。これは結局、何が起きたかというと質問逃れをしただけなのです。
トーンポリシングは非常に危険です。冒頭の話ではないですが、感情は残るものです。感情は吐き出し口を持っておいた方がいいと思います。なくせないものなので。信頼できる方に話すのもいいですし、身近にいなければChatGPTでもいいじゃないですか。話を受け止めてくれます。黙って聞いてくれますね。
もっと人々には優しさをとか、思いやりがあれば違うのではないかという議論も出やすいです。そちらもあまり役に立ちにくいアドバイスです。特に優しさは非常に恣意的なものです。
2月10日の「リハック」という番組で、石丸伸二さんもすでに使っていました。開票速報のときに、爆笑問題の太田光さんが責任を問う質問をしました。それに対して、高市早苗さんが「意地悪やなあ」と答えました。
武田:あれは本当に、まさに勅使川原さんの今言っている返し方ですよね。
勅使川原:あれについて、さらに石丸さんがリハックという番組でこう言っていました。
「やろうとしているのにうまくいかなかったら責任取りますかと言われたらズレますよね。あれは僕も意地悪な聞き方するなと思いますよ。僕が言われたらめっちゃ仕返ししますけどね。今なんと仰いました?逆に質問しますけどって必ず殴り返しますけど。高市さんは優しいし真摯だから」。
武田:殴り返すんだ、石丸さんは。でも高市さんは優しいと。
勅使川原:優しいからできないみたいです。意地悪論は、批判と悪口くらい曖昧で雑な区分です。わかるようでわからない言葉を見つけたら、相槌を打つ前に「と言うと?」と。私もけっこう使うようにしています。わからないことは聞く。これは定石だと思います。わかった気にならないことです。
優しさを盾に批判を退けるような社会では、批判の場そのものが縮小していくはずです。現に非常に危険だなと思うのは、高市さんはすでに「野党の質問時間はそんなにいらない」と仰っています。これに困るのは批判された側の自民党ではありません。私たちであり、社会のほうだと思います。甘く見ないほうがいいですね。
■揚げ足取りのすすめ 民主主義はもともと面倒くさい
武田:最近、揚げ足を取るという言葉は非常に悪く使われます。あえて言うならば、揚げ足って取る必要があると思うのです。日常会話でお前ああ言っただろうこう言っただろうということではありません。
それだけ政治家など、非常に大きな力を持っている人たちが何を言うのか。何を言わないのかというのは、こと細かにチェックしていくべきです。言葉尻を捉えるとか揚げ足を取ると今はすごく悪い言葉として使われますが、その言葉を細かく見ていったらどうでしょうか。
あの時はこういうことを言っていたのに、こういうことを言わなくなりましたよねとか。ここの表現はなぜ出てきたんでしょうねということを細かく捉えることは、すごく重要なことだと思います。それをせずに「言葉尻を捉えて、でもあの人は気合入ってるから」とか「優しい人だから」となって、その言葉が溶けていってしまう感じが、非常に心地悪い状況になっていると思います。
勅使川原:このラジオだけでも萎縮しないでやっていきたいなと思いますね。批判を悪口と呼び始めた社会が何を守っているのか。今一度お伝えすると、多数派や体制側の秩序です。権力者側の円滑さは守っているでしょう。その代わりに手放しているもの。これはまさに修正する力だと思います。
あるいは声なき声に耳を傾けることも、なかなかしにくいです。でもこれが、本来の政治の役割なんですよね。民主主義はあえて考えると、最初から面倒です。時間もかかりますし遅いです。先ほどの揚げ足ではありませんが、感じが悪く一瞬見えることも多々あるのが民主主義なのです。
なぜならば、すべからく私たちは違うからです。違いのある人というのは優劣の差じゃありません。まずもって違って生まれてきていますので。そういう違いのある人同士が一緒に生きるというのは、あまり美しくありません。美しい多様性は幻想的な話であって、楽ではありません。
揉めることもたくさんあります。揉めちゃいけないとなると、何もできなくなってしまいます。「悪口でしょう」と一蹴するのではなく、ぜひそこから先の議論を。
具体的には「どの違いを理不尽だと今感じているんですか」ということをちゃんと問う。あるいは「どの点について、あなた様は一方的に割りを食っているような気分になっているんですか」というのは、福祉を考える上では基本的な質問になると思います。
わからない表現であれば「と言うと?すみません、ちょっとわからなかったんですけど」と返せる。このほうがよっぽど健全な社会ではないでしょうか。
武田:これだけ圧倒的に選挙で勝利をして、これから国会が始まるときに。勅使川原さんの言ったこの悪口とか陰口という言い分が、どこまで侵入してくるか。「それは悪口じゃないですか」ということが、意地悪やなで返したわけだからね。
そういうことが国の中心まで入り込んでくると、そこでのコミュニケーションの質が気になっちゃう。それを世論が支援するんだとしたら、どうなるかなと思ってしまいますね。
勅使川原:東大の教育学系研究科の先輩の、二瓶(美里)さんという教授が朝日新聞の記事を出していました。若者が最近はルールを守るべきであるとか、大きな権力には従うべきだという意識調査結果が出ている。ゆえにこの自民大勝につながったのではないかと書いていらっしゃいました。
私の中ではまったくつながらないのです。ルールを守っていなかったのは誰ですか。
武田:そうですよね。ルールを守っていなかったからこそ、大変な目に遭って選挙を繰り返したりすることになったわけです。
勅使川原:それを指摘したら、悪口と言われてしまうのが現在地かなと思います。
西村:このコーナーはポッドキャスト「PodcastQR」でも配信しています。ぜひチェックしてください。ラジマガコラム、『勅使川原真衣の「今日もマイペースで」』でした。
記事の転載はここまで。
私のコメントは無し。
一度、「いい子」を演じてみようかと・・・。
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