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[政治・選挙・NHK248] 昭和と同じ…国会は一度狂えばどこまでも狂う人の集まりだ 怒怒哀楽劇場 井筒和幸氏・映画監督(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2018年7月28日 18:26:59 : 1tNbEwENeU : wES0s3awf6s[1]
>首相以下、戦争指導者の面々は本当はどう思っていたんだか。「もう終結させよう。和平交渉だ」となんで皆で声を上げなかったのか

歴史無知の反日左翼の戯言。

1945年7月のポツダム会議の前から、

日本政府は和平を求めている意向を、繰り返し示していた。

ヤルタ会議が1945年2月に催されたが、

その翌月に、日本の重光葵外相が東京駐在のスウェーデン公使と会って、

本国政府に和平の仲介を求めるように要請した。

ここから進展はなかったが、日本が和平を求めている決意を、

はっきりと示したものだった。

日本は原爆投下の2週間前に、

ソ連に対して和平の明らかな意向をもっていることを知らせていたが、

トルーマンも、バーンズ、スティムソンも、日本の外交電文を傍受解読して、

承知していた。

>最後の原爆の悲劇を回避できなかったのか

そもそも、ポツダム宣言が出されたのは1945年の7月26日だが、

トルーマン米大統領が日本への原爆投下を命令したのは、

その2日前の24日である。

ポツダム宣言を拒絶したから原爆を落とされたのではない。

フーバー大統領は回想録のなかで、占領下の日本を訪れた時に、

マッカーサー元帥と3回にわたって、余人をまじえずに会談したが、

「日本との戦争をもたらした事について、

ルーズベルトという狂人(マッドマン)1人に責任があった」と述べたところ、

「マッカーサーも同意した」と、回想している。
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/401.html#c7

   

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