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[政治・選挙・NHK206] 小沢一郎「安倍政権の退陣を実現していく絶好のチャンス」 「みんなで力を合わせ野党共闘、必ず選挙は勝つ!」 赤かぶ
21. 2016年5月29日 23:57:22 : tejS6UbSas : 0RFfsmYO25I[1]
「しんぶん赤旗」に登場した自民党元重鎮

独特の紙面づくりをする「しんぶん赤旗」は時折、「宿敵による身内への批判」を語らせる手法を使う。政界を引退した自民党元重鎮への相次ぐインタビューだ。

2009年6月27日付の「しんぶん赤旗」には、自民党元幹事長で、官房長官だった野中広務の「特別インタビュー」が大々的に掲載された。表題は「憲法・戦争・平和」で、見出しは「いま日本がおかしい」だった。

野中広務にとって共産党は、長く革新府政が続いた地元の京都府で宿敵だった。その宿敵との恩讐を超えて自民党批判に加担する姿勢は、何とも痛ましい。

野中広務は2003年の衆院選に出馬せずに政界を引退。その後もメディアに「ご意見番」のように出演し、自民党への苦言を呈してきた。しかもインタビューの掲載当時は麻生太郎政権の末期で、近いうちの衆院選が確実な状況だった。自民党の政権陥落が囁かれていた時期でもあり、まさに共産党の選挙戦略に乗った形となった。

野中広務はインタビューの中で、「『宿敵』だったあなた方(「しんぶん赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います」と語り、次のように続けた。

「正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです」
「去年あたりから『蟹工船』ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義国家になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います」

野中広務は2011年3月に自民党に離党届を出したが、「しんぶん赤旗」のインタビューに応じた当時は、れっきとした自民党員だった。政界を引退したとはいえ、かつての重鎮が他党の機関紙にわざわざ登場して身内を攻撃することは、反党行為でもある。

「しんぶん赤旗」が、歴史認識や憲法改正、外交・安全保障政策などで安倍晋三政権を批判しているのは言うまでもない。第2次安倍政権発足後の2013年1月20日付の「しんぶん赤旗」日曜版に登場したのは、自民党の元幹事長で、やはり官房長官も務めた加藤紘一だった。

野中広務と同じで、またも「保守派でさえ反対することを推し進める安倍」とのイメージを拡散させる戦略があることは明らかだった。

加藤紘一は、安倍が慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野洋平官房長官談話」の見直しを表明したことへの批判を展開。「しんぶん赤旗」日曜版は1ページを割き、慰安婦問題について「世界の常識は『人道の罪』として河野談話見直しの動きに国際社会が批判を強めているとの特集記事を組み、加藤紘一の見解は紙面中央に「右バネききすぎ外交上問題」の見出しで大きく掲載された。「しんぶん赤旗」関係者によると、加藤紘一は同紙のインタビュー要請に「元官房長官」「前衆院議員」の立場で応じたという。

「近隣諸国やアメリカの関心は、軍の強制連行があったかなかったか、といった狭い議論ではありません。全体として人権侵害があり、それを否定することなど考えられないと見ているのです」

加藤紘一は慰安婦募集の「強制性」が裏付けられなかったことにはフタをして、慰安婦問題を「人権問題」だと強調することで、共産党支持者らに「安倍政権批判」「日本叩き」を焚き付けているようなものだった。

そもそも、加藤紘一は官房長官時代の1992年、慰安婦問題への軍の関与に初めて言及する談話を出した「当事者中の当事者」である。この談話を手土産に訪韓した首相、宮沢喜一が韓国大統領に8回も謝罪し、翌1993年の河野談話へと発展したのだ。その後もこの問題で、加藤紘一は自身の見解の訂正などは一切しておらず、「河野談話の生みの親」が見直しを快く思っているはずはない。インタビューなどするまでもなく、何のニュース性もない記事だったのである。

「保守も反対している」という論法

共産党は2013年4月28日付の「しんぶん赤旗」日曜版に「改憲論者も怒った」という見出しで改憲論者の憲法学者で慶大教授(当時)の小林節を登場させ、憲法改正の発議を緩和する96条改正の動きを「憲法破壊」だと言わせた。

共産党はこれまで「護憲派」だけに頼って憲法改正反対を主張してきたが、「保守系」の論客や政治家をも取り込んで改憲阻止の世論を広げていくという戦略をとった。小林節はその後、SEALDsの集会などにも出席するようになった。

次に登場したのは自民党元幹事長の古賀誠だった。2013年6月2日付の日曜版でインタビューに応じ、憲法96条改正に真っ向から反論したのである。

古賀誠も2012年12月の衆院選前に政界から引退していた。古賀誠と加藤紘一は「保守本流」を自負する自民党派閥「宏池会」に身を置いていたが、古賀誠もまた革命政党の機関紙で身内の足を引っ張るがごとく吠えた。しかも古賀誠は議員引退後も「宏池会名誉会長」の肩書を保持し続けている。安倍内閣で外相を務める現宏池会会長、岸田文雄の面目丸つぶれだろう。

共産党関係者によると、古賀誠は、「しんぶん赤旗」編集部からの憲法改正問題をテーマにしたインタビューの要請に二つ返事で応じたという。共産党は当時、「しんぶん赤旗」の紙面で「憲法改悪反対」の大キャンペーンを展開しており、古賀誠もそれに乗った格好だ。

志位和夫は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長」を務めたこともある古賀誠が援護射撃してくれたことがよほど嬉しかったようだ。2013年5月28日に自身のツイッターで、古賀誠の登場を”前宣伝”し、「書記局長時代に論争し、凄みと信念を感じたものです」と持ち上げた。

古賀誠のインタビュー記事は「しんぶん赤旗」日曜版の1面と2面に分けて大きく掲載され、「96条改憲に大反対」「憲法の平和主義は『世界遺産』という大見出しがつけられた。ちなみに1面隣のトップ記事は「アベノミ苦ス 悲痛な叫び」という見出しで、安倍が進める「アベノミクス」を徹底批判している。つまり、この日の1面は、古賀誠のインタビュー記事とセットで安倍政権攻撃一色だったのだ。

古賀誠はインタビューで次のようにも述べた。

「いま、96条を変えて憲法改正手続きのハードルを下げるということが出ていますが、私は認めることはできません。絶対にやるべきではない」「戦後の長い期間、国政の場で、自由民主党と日本共産党は、立場や政策は違っても、それぞれが自負も誇りも持って活動してきた、と私は思っています。離合集散する政党はたくさんあり、照る日や曇る日もあったが、その中でぶれずにやってきた。私に言わせると自民党と共産党こそが『二大政党』だと思っています」

むろん政治家がどこで、どんな見解を披露しようが自由であり、バッジを外した元議員の発言を自民党としても制限することは難しいかもしれない。ただ、野中広務にしても古賀誠にしても、「憲法改正」を綱領に掲げ、「日米安保」を堅持してきた自民党内で長い間権力をふるってきた面々である。

思想が変わったのであれば、これまでの自身の議員活動、政治家人生全てが誤りだったと認めなくてはならないはずだ。そのような覚悟がないのであれば、「私のような大先輩に相談もなく、若い安倍が好き勝手にやっている」という年寄りの愚痴にしか聞こえない。

その垂れ流された愚痴が、「保守の意見も聞く」開かれた共産党のイメージ戦略に一役買っていることに、彼はなぜ気付かないのだろうか。

http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/721.html#c21

   

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