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[政治・選挙・NHK201] 報ステが驚異の大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ… 赤かぶ
54. 2016年2月27日 19:45:08 : i18NTt9Mjo : N@BJRskijpI[1]
2013.8.24 08:26
【中高生のための国民の憲法講座】
第8講 現憲法は「メードインUSA」 西修先生
http://www.sankei.com/life/news/130824/lif1308240024-n1.html

 日本国憲法は、どのようにして作られたのでしょうか。ここで一つ一つの出来事を述べる余裕はありませんが、日本国憲法の運命を決定づけた日、それは昭和21(1946)年2月13日のことです。

共産主義国になるのか!

 この日、外務大臣官邸に連合国軍総司令部民政局長・ホイットニー准将ら4人が『日本国憲法』という題のついた英文の文書をたずさえてきました。かれらを迎えたのは、吉田茂・外務大臣と松本烝治(じょうじ)・国務大臣です。

 ホイットニーがまず口を開きました。「松本大臣、あなたの烝治という名前は、初代大統領、ジョージ・ワシントンにちなんだそうですね」「はい、父がワシントン大統領を尊敬していましたので」

 うちとけた雰囲気は、そこまででした。ホイットニーが言葉を継ぎました。「ところで、あなたがたが先日、提出された憲法改正案は、自由と民主主義の文書として、受け入れることのできないものです。連合国軍最高司令官、マッカーサー元帥は、日本の事情が必要としている諸原理を実現する文書として、この草案をあなた方に渡すよう、私に命じました」

 2人の大臣がびっくり仰天したことは、いうまでもありません。まさか、総司令部で日本の憲法草案が作成されていたとは…。しかも、前文が付され、11章92カ条からなる完全に憲法典の体裁が整えられています。内容を見て、さらに驚きました。第1条に、天皇はシンボルと書いてある。「シンボルって何だ?」。第2章のタイトルは「戦争放棄」になっている。もう少し見ていくと、第28条に、土地は国有と定められている。「日本は共産主義国家になるのか?」。2人は、ただ呆然(ぼうぜん)とするだけでした。

日本弱体化の狙い

 しかし、ここで勝負がつきました。なぜなら、このときのマッカーサーの命令は、絶対だったからです。マッカーサーが「受け入れることのできないもの」を進めることはできません。

 この2月13日以降、「総司令部案」をいかに日本風に“脚色”するかが焦点となり、総司令部との間でその攻防戦が繰り広げられたのです。日本側の要求が通ったものもありました。たとえば、「総司令部案」では一院制でしたが、日本側の要求によって、二院制に改まりました。また土地の国有化(“赤い規定”と呼ばれていた)は、削除されました。これらは総司令部にとっては、「織り込み済み」で、どうしても推し進めなければならないと考えていたのは、天皇の権能縮小と戦争放棄の規定です。というのは、「日本が再び、米国と世界の平和に対する脅威とならないこと」が占領政策の基本にあったからです。

 こうして、日本国憲法は、米国の占領政策の延長線上で作成されたのです。施行からすでに66年を経たいま、日本人自身の目と頭と手で作り直そうというのは、当然のことです。               

2013.8.31 08:28
【中高生のための国民の憲法講座】
第9講 極東委員会という「屋上屋」 西修先生
http://www.sankei.com/life/news/130831/lif1308310027-n1.html

 日本国憲法の成立に際し、連合国軍総司令部(GHQ)のほかに強く関与した機関として、極東委員会があります。極東委員会は、日本の占領管理について連合国の最高の政策決定機関であり、昭和21(1946)年2月26日に発足してからは、GHQもその決定に従わなければなりませんでした。

GHQのお目付け役

 日本国憲法の作成に関しても、GHQを通じてかならず極東委員会の同意を得ることが必要とされていました。

 委員会(米、英、仏、ソ連、中国など11カ国=のちに13カ国=で構成)はワシントンにおかれ、その出先機関として連合国対日理事会(米、ソ連、中国、英連邦代表)が東京に設けられました。委員会のなかには、ソ連やオーストラリアなど、天皇制の存続に反対の態度をとっている国ぐにがありました。

 天皇を象徴として残そうという意思をもっていた連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥が、総司令部内で日本国憲法草案(総司令部案)の作成を急がせた大きな理由がここにあります。委員会が動き出す前に、既成事実を作ろうとして、2月13日に総司令部案を日本側に提示したのです。

 極東委員会は、総司令部が主導して日本国憲法が制定されて行くのを快く思っていませんでした。マッカーサーに対して、説明のため部下の派遣を求めましたが、マッカーサーはこの要請をことわりました。

 マッカーサーは、総司令部案を基にして帝国議会で進められている審議を妨げられたくないと思ったのです。なにやかやと干渉してくる極東委員会と連合国対日理事会を毛嫌いしていました。

マッカーサーの『回想録』に、次のような記述があります。「極東委員会は単なる討論会の域をほとんど出ず、また連合国対日理事会がおこなったことは、ただじゃまをすることと、悪口をまきちらすことだった」

極東委員会による産物

 こうして、極東委員会は、全過程を通じてなかなか主導権を握ることができませんでしたが、審議が大詰めを迎えた貴族院の段階で、自分たちの主張を通すのに成功しました。それは第九条と深いかかわりのある文民条項(第66条2項)の導入ですが、そのことについては、後日、お話いたします。

 このように、日本国憲法の制定について、GHQと極東委員会の同意がかならず必要とされていたこと、しかもその間で主導権争いが演じられていたことは、ぬぐい去ることのできない事実です。外部勢力の干渉のもとで生まれた日本国憲法は、やはり異常と言わざるを得ません。

 日本国憲法をどう改正すべきか、ということについて、詳しく勉強したい方は新刊『憲法改正の論点』(文春新書)をお読みいただければと思います。各国憲法との比較、日本国憲法の成立過程などの話も満載です。

2013.9.7 13:10
【中高生のための国民の憲法講座】
第10講 現行憲法作成者それぞれの言い分 西修先生
http://www.sankei.com/politics/news/130907/plt1309070013-n1.html

 連合国軍総司令部(GHQ)民政局で日本国憲法の原案を作成した人たちは、どんな人たちだったのでしょうか。一般にやや誤解があるようです。

 その一つは、素人の軍人たちによって作られたというものです。たしかに参画した25人の多くは軍人でしたが、いわゆるたたき上げの軍人は少数でした。すでに人類学や政治学の博士号を取得していたり、ハーバード大ロースクール修了者などトップレベルの経歴をもつ人たちが大半でした。

日本に通じていない人

 その意味で、西欧的な民主主義観を十分に体得していました。ただ憲法の専門家は一人もおらず、日本の事情に通じていた人たちもほとんどいませんでした。

 私は、1984年から85年にかけて、民政局で日本国憲法の原案を作成した8人にインタビューしました。そのときの何人かの声をお伝えしましょう。

 チャールズ・ケーディス氏(民政局次長で原案とりまとめの中心人物、当時40歳、陸軍大佐、ハーバード大ロースクール修了)「たいへん挑戦的であり、とても困難な作業になると思いました。というのは、9日間で仕上げなければならず、そのとき、私たちの手もとには役に立ちそうな資料が非常にとぼしかったからです。日本国憲法が一度も改正されていないことは、昨年、はじめて知りました」

 オズボーン・ハウゲ氏(32歳、海軍中尉、セント・オラフ大卒、「国会」の章担当)「自分には、荷が重すぎて、その任に堪えることができるか不安でした。私は、日本国憲法は暫定的な性格のものと思っていました」

作成者「正当性」に疑義

 ミルトン・エスマン氏(27歳、陸軍中尉、プリンストン大大学院で政治学博士取得、「内閣」の章担当)「私は不幸なことだと思いました。なぜならば、外国人によって起草された憲法は、正当性を持ち得ないと感じたからです」

 リチャード・プール氏(26歳、ハーバーフォード大卒、「天皇」の章担当)「私たちは、天皇に権限のある地位ではなく、意義のある地位を与えるべきだと考えました」

 ベアテ・シロタ女史(22歳、5歳から10年間滞日、ミルズ大卒、「人権」の章担当)「私は、自分の滞日経験から、女性の地位を高めようと思いました。また家族は人類社会の基礎であるという条項を起案しました」

 ジョージ・ネルスン氏(ロックフェラー財団研究員、陸軍中尉)「私は、英国の著名な政治学者の著書にヒントを得て、天皇に『象徴』の語をあてたとはっきり覚えています」

 インタビューを通じて私が強く印象に残ったのは、かれらは与えられた任務を全うすべく尽力したということです。そして非常に驚いたのは、ほぼ全員が日本国憲法は改正されているとばかり思っていたということです。自分たちの作った憲法案は、あくまで「暫定的」だと認識していたのです。

                   ◇

【プロフィル】西修

 にし・おさむ 早稲田大学大学院博士課程修了。政治学博士、法学博士。現在、駒沢大学名誉教授。専攻は憲法学、比較憲法学。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『図説日本国憲法の誕生』(河出書房新社)『現代世界の憲法動向』(成文堂)『憲法改正の論点』(文春新書、最新刊)など著書多数。73歳。

http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html#c54

   

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