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[戦争b11] 日本人は知らない原爆投下の真実 金剛夜叉
151. 何が真実か[138] ib2CqpBejsCCqQ 2016年6月01日 23:54:33 : 5TG2jgThUE : gCUkt6nV4jQ[1]
>148
>花谷正 一人だけの証言などとは 一度たりとも言っていないぞ

こちらが言ったことは花谷正の証言があったとしても侵略にすることはできないということ。

満州国を20か国が認めている、バチカンも認めた。リットン報告は侵略としていない。東京裁判では溥儀の嘘で侵略になったが、「紫禁城の黄昏」が証拠として採用されていれば溥儀は満州国皇帝になる意思があった、それを日本が支援した。
満州は清朝の故郷であり、溥儀が故郷に帰って皇帝になることは歴史的に正当、満州人待望のことであった。

何が侵略か?

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1931_manshu_jihen.html


引用
満州事変に対するもっとも国際的権威のある証拠は何かといえば、それはリットン委員会の報告書であるといえよう。

  リットン報告書

リットン報告書は、満洲事変の直後に国際連盟の代表として五ヶ国から派遣されたリットン調査団が、何ヶ月もかけて調査したもので、日本から見れば不満な部分はあるが、一応、国際的な見解といえる。その報告書に「これは侵略戦争と簡単に言えない」と書いてある。日清戦争の頃から日本は満洲に対する特別の権利
があって、その後、権利が複雑に絡み合っているため、侵略とは言えないと言っているのだ。
当時の国際連盟の代表たちが判断して侵略ではないと言っているものを、東京裁判では共同謀議の一環とした。これは極めて無理がある見解で、パール判事もそこを鋭く突いている。

東京裁判の「日本が満洲を侵略した」という主張については、「紫禁城の黄昏」が裁判の証拠に取り上げられればまったく問題がなかった。

  紫禁城の黄昏

これは清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の家庭教師であったイギリス人、レジナルド・ジョンストンの著書で、そこに満洲侵略の事実など存在しないことが明瞭に記されているからである。
清朝というのは満州族の帝国であって、清朝時代、支那人は満洲人に支配さえていた民族だった。だから辛亥革命というのは、正しくは辛亥独立運動というべきだ。
そして満洲国は、独立運動を起こされてしまった清朝皇帝溥儀が、命からがら日本の公使館に逃げ込んだのが始まりだった。彼が、自分の故郷の土地である満洲に国を建てたいというのを、日本が助けたのだ。そうしてできた満洲国を20ヶ国以上の国々が国として認めているのは歴史的事実である。当時は今のように独立
国が多くなかったので、満洲国は十分に独立国として世界に通用する資格があった。パチカン教皇庁もその独立を認めたのだから。
しかし、この主張は一切、認められなかった。「紫禁城の黄昏」が証拠として採用されなかったからだ。
採用されなかった理由の一つはジョンストンが亡くなっていること。もう一つは、「紫禁城の黄昏」には溥儀が序文を寄せているのだが、それを溥儀が「書いた覚えがない」と証言したことだった。書いた覚えがないのなら出版されたときに言うべきだろう。東京裁判での溥儀の発言は嘘であることが明白である。
溥儀は他にも偽証をした。自分が日本の公使館に逃げ込んで、国と作りたいと熱烈に訴えてきたことは周知の事実でありながら、捕まってソ連にいたために、「自分は嫌だったが日本によって皇帝にされた」と証言した。この偽証によって、東京裁判は満洲事変を侵略と決めつけた。
後年、溥儀自身が東京裁判での証言が嘘であったことを認めている。

引用終わり



http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/489.html#c151

   

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