★阿修羅♪ > bXYvdHNvRFNWMkk= > 100000
 
g検索 bXYvdHNvRFNWMkk=  
 
bXYvdHNvRFNWMkk= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/b/bx/bxy/bXYvdHNvRFNWMkk=/100000.html
[近代史5] グリム童話集 中川隆
2. 2021年10月21日 09:37:23 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[1]
【ゆっくり解説】本当は怖いグリム童話4選



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/911.html#c2
[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
38. 中川隆[-15919] koaQ7Jey 2021年10月21日 09:59:39 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[2]
雑記帳
2021年09月26日
オホーツク文化人のゲノム解析とアイヌ集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html

 オホーツク文化人のゲノム解析結果を報告した研究(Sato et al., 2021)が公表されました。古代ゲノム学は、過去の人口史の遺伝的特徴の片鱗を捉えることのできる強力な手法です。最近の古代ゲノム研究は多くのアジアの旧石器時代人と新石器時代人のゲノムを報告しており、ユーラシア東部におけるヒトの移住過程への新たな洞察を提供してきました(関連記事)。とくに、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)と、シベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)の少年個体(MA-1)と、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体(関連記事)の古代ゲノム研究は、ユーラシア東部の初期人口史を理解するうえで重要です。

 系統樹では、田園個体はパプア人およびユーラシア東部人口集団と一まとまりを形成しますが、MA-1とヤナRHSの2個体(ヤナUP)はユーラシア西部人口集団と遺伝的に密接です。詳細な経路はまだ議論の余地がありますが、これら古代人のゲノムは、ユーラシア東部への2回の過去の移住を示唆しています。一方は南方経路で、ユーラシア大陸南岸地域に沿って拡散し、もう一方の北方経路は、おそらくシベリアも含めてユーラシア中緯度の草原地帯を通って拡散しました。南方の移住の波は、アジア東部(本論文では、現在の中国と日本と朝鮮とモンゴルと台湾を含む地域として定義されます)および南東部の局所的人口集団に分化していったようです。北方の移住の波は南方の移住の波とおそらくはシベリアで混合し、チュクチ・カムチャッカ(チュクチ半島とカムチャッカ半島、図1a)の人口集団とアメリカ大陸先住民の起源となりました(関連記事)。さらに、新石器時代と青銅器時代以降の古代人ゲノムを分析したその後のいくつかの研究では、半島アジア大陸における新石器時代後の人口動態が明らかにされてきました(関連記事1および関連記事2)。

 日本列島に関しては、完新世人口集団である「縄文人」のゲノムが報告されており(関連記事1および関連記事2)、南方移住の波系統からの深い分岐が示唆されています。しかし、新石器時代以後の日本列島の人口集団の遺伝的歴史は、この期間の古代ゲノムデータの不足ため、依然として不明です。いくつかの以前の研究では、現代日本列島の人口集団はアジア東部大陸部人口集団および/もしくはアジア北東部(本論文ではロシア極東に相当します)人口集団からの遺伝子流動の影響を受けたものの、その詳細な起源と移住の仮定は不明なままと示唆されています(関連記事)。したがって、そうした過去の移住の遺伝的特徴の解明も、日本列島周辺の人口史の理解の向上に重要です。考古学的証拠で示唆されているように、新石器時代後に日本列島に起きたように見える過去の主要な移住事象の一つは、先史時代オホーツク人による日本列島北部での定住です。

 高度な海洋漁業と狩猟技術を有する先史時代狩猟採集文化であるオホーツク文化は、紀元後5世紀〜13世紀まで、オホーツク海の南部沿岸地域に分布していました(図1a)。オホーツク文化の最も重要な特徴である海洋資源への依存は、以前の動物考古学および同位体研究により明らかになりました。じっさい、オホーツク文化の遺跡の分布は明らかに沿岸地域に限られています(図1a)。この特徴は、日本列島における先住の縄文文化(紀元前14000〜紀元前300年頃)やその後の続縄文時代(紀元前3世紀〜紀元後7世紀)や擦文時代(紀元後8〜14世紀)とは大きく異なります(図1a)。

 アジア北東部におけるオホーツク文化とその近隣古代文化との間の関係の観点では、オホーツク文化の遺跡から発掘された土器や鉄器や青銅器の一部が、ロシアのプリモルスキー(Primorski)地域で発展した、紀元後6〜9世紀となるモヘ(Mohe、靺鞨)文化(図1a)遺跡で発見されたものと類似しています。さらに、オホーツク文化の遺跡から発掘されたセイウチの牙製の彫像や釣針は、オホーツク文化と紀元後5〜17世紀となる古代コリャーク(Koryak)文化(図1a)との間の相互作用を示唆しており、それはセイウチが現在では北極海とベーリング海にしか分布していないからです。しかし、考古学的遺物のこれら文化間の共通性がヒトの移住と移住なしの交易のどちらに由来するのかは、不明なままです。

 オホーツク文化人の起源は、考古学者と人類学者により長く議論されてきました。オホーツク文化人の骨格遺骸の形態学的研究は、アムール川流域周辺およびサハリン北部の現代人集団との類似性を示唆してきました。さらに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果は、形態学的証拠を裏づけます。mtDNAハプログループ(mtHg)Y1とG1bとN9bはアムール川下流人口集団間において高頻度で共有されており、オホーツク文化の骨格遺骸でよく検出され、オホーツク文化人のアムール川下流地域起源を示唆します。しかし、オホーツク文化人の包括的なゲノム規模データが欠けているため、最終的な結論にはまだ達していません。したがって、この研究の主な動機は、ゲノム規模データ分析に基づいてオホーツク文化人の遺伝的起源を理解することです。

 考古学的証拠に基づくと、オホーツク文化は紀元後13世紀頃に消え、その原因は依然として不明です。これと関連して、オホーツク文化とその後のアイヌ文化との間の関係が調べられてきました。考古学者たちは、アイヌとフィン人とニブフ人とサーミ人などユーラシア北部の民族集団間で広く観察される宗教的慣行である熊崇拝もオホーツク文化人により共有されていた、と考えてきました。他方、そうした宗教的慣行の痕跡は、アイヌ文化期より前の縄文時代と続縄文時代の遺跡では発見されていません。アイヌ文化の熊崇拝はイオマンテで見られ、これは熊を犠牲にしてその精神をカムイ(アイヌ文化の神聖な存在)の世界に送る儀礼です。オホーツク文化では、ヒグマの安置された頭蓋骨がいくつかの住居遺跡で発見されており、熊崇拝と関連した宗教的慣行が示唆されます。

 これは、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に寄与したことを示唆します。いくつかの頭蓋学およびmtDNA研究は、アイヌとアジア北東部人口集団との間の遺伝的類似性を示唆してきました。頭蓋測定に基づく統計分析では、アジア北東部人がオホーツク海沿岸に居住するアイヌにわずかな遺伝的影響を残した、と示唆されました。アイヌ現代人のmtDNAとY染色体DNAの分析は、ニブフ人とアイヌとの間の母系および父系遺伝子プールの類似性を示唆します。これらの知見は、アジア北東部から(北海道を中心とする)日本列島北部への遺伝子流動の可能性として解釈されてきました。さらに、古代のmtDNAと頭蓋非計測的変異の研究は、オホーツク文化人とアムール川下流人口集団との間の密接な関係と、アムール川下流人口集団からアイヌへのオホーツク文化人経由の遺伝子流動を示唆しており、これはオホーツク文化人がアイヌ文化の確立に寄与した、との考古学的仮説を裏づけます。

 しかし、これらの研究の形態学的もしくは遺伝学的指標は少なく、オホーツク文化人のアイヌへの遺伝的寄与について最終的な結論を提供できません。それは、こうした研究が統計的に人口集団の混合を評価できないからです。対照的に、統計的に人口集団の混合を評価できる現代人の最近のゲノム規模一塩基多型分析は、アムール川下流人口集団からアイヌへの遺伝子流動を検出していませんが、これはオホーツク文化人がアイヌに遺伝的に寄与したならば、予測されることです。したがって、さまざまな手法を用いた多くの研究がアイヌ集団の形成過程を解明する目的で行なわれてきましたが、オホーツク文化人がこの過程に遺伝的に寄与したのかどうかは不明なままです。

 オホーツク文化人の形成過程と、アイヌへの遺伝的および文化的寄与を調べるため、国際的な学際的調査団が、北海道の礼文島の浜中2遺跡の発掘に着手しました(図1a)。2013年に、重度の骨肥厚症の成人女性のよく保存された骨格遺骸(NAT002)が、オホーツク文化期の最終段階となる貝塚の上部表面で回収されました(図1b・c)。NAT002の較正放射性炭素年代は紀元後1060〜1155年(68.2%)と推定され、骨肥厚症は皮膚科学的観察なしの滑膜炎と痤瘡と膿疱症と骨肥厚症と骨炎(SAPHO)症候群と診断されました。

 本論文は、NAT002の全ゲノム配列結果を報告し、オホーツク文化人の起源に関する問題と、アイヌ集団への遺伝的寄与に関する問題を解決します。本論文はNAT002のゲノムをアジア東部および北東部の現代の人口集団および最近報告されたアジア北東部古代人と比較します。この古代人には、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の悪魔の門遺跡の7700年前頃の個体群(関連記事)や、プリモルスキー地域の新石器時代後個体群(関連記事)や、礼文島の浜中2遺跡に近い(図1a)船泊遺跡(関連記事)の縄文時代の女性個体(F23)が含まれます。また本論文は、NAT002の一部の骨で観察されたSAPHO症候群的骨肥厚症の遺伝的背景の特定も試みます。

 NAT002のDNA保存状態は良好で、平均深度35.03倍のゲノム配列が得られました。これは埋葬と寒冷な環境と比較的新しい年代(紀元後11〜12世紀)に起因すると考えられますNAT002はX染色体とY染色体にマップしたリード数の比から女性と推定され、これは形態学的およびアメロゲニン遺伝子に基づく以前の性別判定と一致します。以下は本論文の図1です。
画像


●NAT002と隣接集団との間の遺伝的関係

 アジア北東部人口集団に対するNAT002の遺伝的類似性を評価するため、49079ヶ所の一塩基多型で外群f3統計が計算されました。f3(ムブティ人;NAT002、X)では、NAT002は近隣地域のニブフ人とアイヌとウリチ人とF23に密接に関連しており、それに続いて密接なのが、イテリメン人(Itelmen)やコリャーク人(Koryak)を含むカムチャッカ半島人口集団、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人、オロチョン人(Oroqen)やダウール人(Daur)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)を含むアムール川上流人口集団です(図2)。以下は本論文の図2です。
画像

 49079ヶ所の一塩基多型に基づく主成分分析(図3)も、NAT002が遺伝的にニブフ人およびウリチ人と密接であることを示唆し、以前の形態学的およびmtDNA研究を裏づけます。以下は本論文の図3です。
画像

 ADMIXTURE が2〜10の系統構成要素(K=2〜10)で実行されました(図4)。最小交差検証(CV)誤差はK=5の時に観察されました。NAT002は4つの遺伝的構成要素で混合された個体として表されました(図4)。緑色の構成要素(24.6%)は、広くアジア北東部人口集団で共有されています。青色の構成要素(15.8%)は、アジア東部人で広く共有されています。濃紺色の構成要素(33.2%)はF23とアイヌにおいてほぼ100%で観察されます。黄色の構成要素(26.4%)はイテリメン人およびコリャーク人に高い割合で共有されています。NAT002の構成要素の割合は、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団と似ています。以下は本論文の図4です。
画像

 次に、NAT002とアジア北東部人との間の系統発生関係を推測するため、NAT002とF23とSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)標本で観察される2556493ヶ所の多様体に基づくTreeMixが実行されました。NAT002とニブフ人とウリチ人は単系統性の一まとまりを形成し(図5a)、主成分分析およびADMIXTUREの結果と対応しています。2回の移住事象を想定した場合、遺伝子流動はF23からNAT002とニブフ人との間の共通祖先で観察されました(図5a)。

 F23とウリチ人との間、およびNAT002とイテリメン人との間でも大規模な残余が観察され、それらの間の遺伝子流動が示唆されます(図5b)。ウリチ人と「縄文人」/アイヌとの間の遺伝的類似性は以前に報告されていました(関連記事)。さらに、NAT002とアジア北東部の前期新石器時代人の悪魔の門個体群との間の遺伝的類似性が、外群f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、X)の計算により調べられました。検証人口集団間で、NAT002はニブフ人に次いで2番目位に高いf3値を示しました。この結果は古代人のゲノム間で共有された偏りの影響を受けた可能性がありますが、古代人のゲノム間の遺伝的類似性のそうした過大評価は、おもに配列の短さや死後の損傷の高頻度や比較された古代人2個体の不充分な深度に起因する可能性が高そうです。

 悪魔の門個体群のゲノムにおける参照の偏りの程度は、低い網羅率のため比較的強くなるでしょう。しかし、NAT002ゲノムにおける参照の偏りは、本論文の遺伝子型コール閾値として用いられた、選別の水準0および1の現代日本人のゲノムの30倍の網羅率よりもさほど強くありませんでした。したがって、悪魔の門個体群とNAT002との間の観察された類似性は、大幅に過大評価される可能性は低そうです。f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、NAT002)の高い値は、オホーツク文化人の起源がアムール川流域周辺にある、との仮説を裏づけます。他方、F23は低いf3値を示しており、日本列島北部からアムール川流域への「縄文人」系統の移住はおもに新石器時代後に起きた、と示唆され、ウリチ人における以前の混合年代を裏づけます。以下は本論文の図5です。
画像

 系統樹の接続形態を考慮すると(図5a)、f3(ムブティ人;NAT002、X)により示されるアムール川流域人口集団とNAT002との間の類似性は、密接な系統発生関係として解釈できます。これらの示唆された混合事象を確認するため、49079ヶ所の一塩基多型に基づくD(ムブティ人、X;ニブフ人、NAT002)検定が実行され、F23とアイヌとイテリメン人は有意な正の値を示しました(図6a)。古代人のゲノム間の共有された偏りのため、D(ムブティ人、F23;ニブフ人、NAT002)で観察された兆候の過大評価の可能性も考慮されねばなりませんが、F23とNAT002の参照の偏りは現代日本人の網羅率30倍のゲノムと比較してさほど強くないので、過大評価の程度はそれほど深刻ではないでしょう。混合兆候はD(ムブティ人、F23;アムール川流域集団、NAT002)とD(ムブティ人、イテリメン人;アムール川流域集団、NAT002)でも観察されました。この場合のアムール川流域人口集団とは、ウリチ人とオロチョン人とホジェン人とダウール人とシボ人(Xibo)です(図2)。これらの知見から、NAT002は3祖先的系統(アムール川流域集団、チュクチ・カムチャッカ集団、「縄文人」)間の混合個体だった、と示唆されます。

 次にqpAdmモデルを用いて、NAT002と関連する過去の混合事象についてのこの仮説が検証されました。オロチョン人とイテリメン人とF23が、それぞれアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の供給源人口集団の代表として用いられました。完全ランク付けモデルに対する提案された混合の尤度比検定(LRT)のP値は有意ではなく(P=0.14)、NAT002のゲノムはアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の混合として説明できます。アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の推定された祖先系統は、それぞれ64.9±8.0%、21. 9±6.4%、13.2±4.3%です(図6c)。

 アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団からの推定される祖先系統の割合の比較的大きな標準誤差は、これら供給源人口集団間の密接な関係に起因するかもしれません。じっさい、ADMIXTURE分析(図4)で観察された黄色と赤色の構成要素は、チュクチ・カムチャッカ人口集団(イテリメン人とコリャーク人とエスキモーとチュクチ人)間で支配的ですが、ニブフ人やウリチ人やオロチョン人やホジェン人やダウール人やシボ人などアムール川流域人口集団でも広く観察されます。構成要素のこの共有は、アムール川流域人口集団とチュクチ・カムチャッカ人口集団との間の混合か、両者の間で部分的に共有される遺伝的浮動の結果のようです。さらに、入れ子モデルへのLRTでは、あらゆる2方向混合モデルがNAT002ゲノムを適切に説明できない、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
画像


●在来祖先系統と混合年代の推定

 アムール川流域集団と「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の系統間の混合事象の順番を決定するため、NAT002ゲノムの在来祖先系統が推測されました。本論文の在来祖先系統推定は大陸内規模(つまり、アジア東部と北東部全参照人口集団)で行なわれましたが、NAT002ゲノムの大半は0.9以上の事後確率を有する3つの祖先的ハプロタイプの一つに分類できました。在来祖先系統の割合から計算された世界規模の祖先系統の割合は、アムール川流域集団が83.6%、チュクチ・カムチャッカ集団が10.0%、「縄文人」が6.4%です。

 ADMIXTURE(図4)とqpAdm(図6c)の結果を考慮すると、「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の祖先系統の堀合は過小評価されているようで、おそらくは参照人口集団における「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ個体の標本規模の小ささに起因します。「縄文人」は1個体(F23)のみで、チュクチ人やエスキモーなどチュクチ人口集団の5個体とともに、チュクチ・カムチャッカ参照人口集団におけるカムチャッカ人口集団の代表としてイテリメン人1個体のみが含まれています。

 本論文は、3系統間の混合年代を推測するため、単純な波動移住モデルを想定しました。アムール川流域系統の移住年代はNAT002の22世代前と推定されました(図7)。1世代30年と仮定し、NAT002の放射性炭素年代(900年前頃)を考慮すると、アムール川流域関連祖先系統の移住は1600年前頃に起きました。これは、以前の考古学的証拠により示唆されるように、オホーツク文化の始まりと正確に対応していますが、本論文の混合年代は1個体のみの祖先系統の領域の長さに基づいています。

 チュクチ・カムチャッカ系統と「縄文人」系統間の混合はNAT002の35世代前(1950年前頃)と推定され、縄文時代の後の続縄文時代(紀元前3〜紀元後7世紀)と対応します。本論文が把握している限りでは、その期間のカムチャッカ半島から日本列島北部へのヒトの移住を示す考古学的証拠は提示されていませんが、以前の古代DNA研究は縄文時代標本と続縄文時代標本との間のmtHg特性の変化を報告しています。カムチャッカ半島人口集団においてひじょうに高頻度で観察されるmtHg-G1bは、続縄文時代の標本の15.0%で検出されますが、縄文時代標本では検出されません。さらに最近の研究では、千島列島南西部に位置する択捉島のタンコウォイェ1(Tankovoye 1)遺跡(図1a)の続縄文時代標本と、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島現代人集団との間の遺伝的類似性が報告されました。これらの知見は、続縄文時代における千島列島を経由してのカムチャッカ半島から日本列島北部への移住の波を裏づけます。

 本論文は、混合していないアイヌの10個体を参照「縄文人」に追加することにより、類似の混合年代測定を実行しました。この場合、NAT002における「縄文人」祖先系統の割合は増加し、アムール川流域祖先系統が64.4%、チュクチ・カムチャッカ祖先系統が9.8%、縄文人祖先系統が25.8%と推定されました。しかし、推定された混合年代は、アムール川流域関連祖先系統の移住についてはNAT002の17世代前(1410年前頃)、「縄文人」系統とカムチャッカ系統との間の混合についてはNAT002の37世代前(2010年前頃)と大きくは変わらず、本論文の混合年代は中程度の堅牢性を有する、と示唆されました。以下は本論文の図7です。
画像


●アイヌ集団に対するオホーツク文化人の遺伝的寄与

 アイヌ集団の形成過程は長く議論されてきました。しかし、アイヌと縄文時代個体群との間の遺伝的類似性は以前の研究で確認されてきましたが(関連記事)、新石器時代後の人口動態に関する決定的な結論には至っていません。F23と比較して主成分分析では、アイヌ個体群はわずかにアジア北東部人に影響を受けていると示唆されますが(図3)、ADMIXTURE分析の結果では、アイヌ個体群はほぼ単一の祖先系統で表される、と示唆されます。
 したがって、縄文時代後のアジア北部人口集団からの遺伝的影響を確かめるため、D(ムブティ人、X;F23、アイヌ)検定が実行されました。その結果、アジア北部人口集団は有意に正の値を示しました。とくに、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島人口集団と、ホジェン人やオロチョン人やシボ人やダウール人などアムール川流域人口集団は強い兆候を示しました。以前の研究では、アイヌとカムチャッカ半島人口集団との間の遺伝的類似性が報告されました。

 アイヌ集団の形成過程をモデル化するため、qpGraphを用いて混合図が作成されました。まず、NAT002やF23やSGDP標本群を含む混合図が作成されました。アムール川流域系統と「縄文人」系統とカムチャッカ半島系統の間の混合事象の順序は、混合年代の結果にしたがって決定されました。図における最低のf4統計のZ得点は-2.1でした。次に、足場図(scaffold graph)にアイヌを追加することにより、アイヌ集団の形成過程が検証されました。アイヌは「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の間の混合人口集団と仮定したモデルが、検証されたモデルの中で最適でした(図8a)。

 しかし、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定しない別のモデルも許容されました(図8b)。最低のf4統計を考慮すると、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定する最初のモデル(図8a)が最も可能性の高いシナリオですが、混合図の枠組みでは2番目のモデル(図8b)を明示的に却下できませんでした。この二つのモデル間の顕著な違いの一つは、「本土」日本人からアイヌへの混合割合で、最初のモデルでは29%、二番目のモデルでは44%でした。以前の研究はmtHg頻度に基づいて、近世アイヌ集団における「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の混合割合が推定されました(関連記事)。その研究では、アイヌへの「本土」日本人の遺伝的寄与は28.1%と推定され、本論文の最初のモデルと近くなっているので、最終的な結論には至りませんが、本論文の最初のモデルが最も可能性の高そうなシナリオとして支持されるようです。以下は本論文の図8です。
画像


●HLA型とNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性

以前の研究では、HLA(ヒト白血球型抗原)B遺伝子、とくにHLA-B*27アレル(対立遺伝子)が、SAPHO症候群と強く関連している、と報告されました。したがって、以前の研究によりSAPHO症候群として推測されたNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性を調べるため、HLA-VBSeqとHLA EXPLORE を用いてNAT002のHLA型が決定されました。HLA-VBSeqでの型別における上位2つの平均深度はHLA-B*40:02:01(平均深度22.93倍)とHLA-B*40:06:01:01(平均深度12.57倍)で、NAT00がB*40:02:01とB*40:06:01:01の異型接合体だったことを示唆します。しかし、B*40:06:01アレル特有の配列はTARGTとHLA EXPLOREでは検出されませんでした。おそらく、HLA-VBSeqで識別されたB*40:06:01:01はHLA-C遺伝子座に由来するリードのミスマッピングで、それは、HLA-Bエクソン3におけるB*40:06:01特有の置換部位を含む100塩基対配列が、IMGT/HLAデータベースのリリース3.43.0におけるHLA-C配列とひじょうに高い同一性を示すからです。

他の古典的なHLA遺伝子も、HLA-VBSeqとTARGTとHLA EXPLOREで分類されました。HLA-VBSeqの結果から、NAT002はA*02:01:01(平均深度30.74倍)とC*15:02:01(平均深度33.33倍)とDQB1*05:03:01(平均深度35.07倍)の同型接合体で、DRB1*14:05:01(平均深度7.36倍)とDRB1*14:54:01(平均深度12.93倍)の異型接合体と示唆されました。しかしHLA-DRB1については、DRB1*14:05:01アレルはTARGTとHLA EXPLORE分析では検出されませんでした。これも、HLA-VBSeqのミスマッピングの結果と推測されます。

HLA 領域でNAT002の同型接合体と異型接合体を確認するため、NAT002配列データの別のアレル頻度が調べられました。HLA領域を含む約1000万塩基対におよぶ領域で、中間的な別のアレル頻度の明らかな欠如が観察され、ROH(runs of homozygosity)が示唆されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています。

6番染色体上でROHが観察される領域と他の領域との間の類似した配列深度を考えると、アレルの脱落である可能性は低そうです。HLA-DRA・DRB1・DRB5・DRB6を含むHLA-DR領域(参照ゲノムhs37d5では、HLA-DRB3・DRB4が含まれません)における比較的多い部位は、HLA-VBSeq分析でも示唆されているように、この領域におけるNAT002の異型接合体を示唆している可能性が高そうです。しかし、これらの部位の配列深度は他の部位よりも顕著に高く、この領域への配列のミスマッピングを示唆します。したがって最終的に、NAT002はA*02:01:01とB*40:02:01とC*15:02:01とDQB1*05:03:01の同型接合体と結論づけられますが、HLA遺伝子座で1個体が同型接合体であることは一般的に稀です。

本論文が把握している限りでは、SAPHO症候群とHLA-B*40アレルとの間の関連は充分には解明されていませんが、以前の研究では、SAPHO症候群の日本人患者6人のうち3人でHLA-B61(B*40:02やB*40:03やB*40:06などいくつかのHLA-B*40アレルを含む血清型)が検出されました。さらに、HLA-B*40アレルは、強直性脊椎炎や反応性関節炎や未分化脊椎関節症の危険性アレルの一つと報告されてきました。これらの疾患はSAPHO症候群と類似しており、骨肥厚症を伴う疾患でもあります。したがって、HLA型はNAT002における骨肥厚症への遺伝的感受性を部分的に説明できるかもしれません。ニブフ人ではHLA-B*40アレルが高頻度(1998年の研究では25.5%、現在のアレル頻度データベースでは31.2%)です。

NAT002とF23との間では、共有されるHLAアレルは観察されませんでした。F23では、A*24:02:01とB*15:01:01とC*03:03:01が同型接合体です。したがって、HLA遺伝子の観点では、同じ礼文島で発掘されたNAT002とF23との間の遺伝的関係を議論できません。しかし、NAT002とF23は両方、HLA 領域では同型接合体とみなされました。これは、おそらくNAT002とF23が小さな人口規模しか維持できなかったひじょうに小さな島で暮らしていた、という事実に起因するかもしれません。


●アジア東部/北東部人において高頻度で観察される形質の推定表現型

アジア東部/北東部人口集団と他の人口集団との間で顕著に異なる頻度を示す形質と関連するいくつかの一塩基多型について、NAT002の遺伝子型に基づいてNAT002の表現型が推測されました。NAT002は、耳垢の表現型を決定するABCC11遺伝子の一塩基多型(rs17822931)でAアレルの同型接合体を有しており、乾燥した耳垢だったと示唆されます。以前の研究では、オホーツク文化標本では乾燥した耳垢が高頻度(83.9%)と報告されました。

NAT002はADH1B遺伝子の一塩基多型(rs1229984)とALDH2遺伝子の一塩基多型(rs671)でGアレルの同型接合体を有しており、それぞれアルコールとアセトアルデヒドの代謝率と関連していて、アルコール耐性が示唆されます。アルコール不耐性のアレルは、アジア東部新石器時代農耕民に遺伝的影響を受けた人口集団において、シベリア人を含む他の人口集団よりも高頻度を示します。NAT002の推定されるアルコール耐性は、アジア東部農耕民よりもシベリアの狩猟採集民において高頻度で観察される表現型と関連しているようで、アジア北部人口集団とのNAT002の遺伝的類似性に対応しています。


●まとめ

 北海道の礼文島の浜中2遺跡の先史時代オホーツク文化個体である、NAT002の高網羅率ゲノムが得られました。本論文の集団遺伝学的分析の結果から、NAT002と、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団との間の密接な関係が示唆され、以前の形態学的およびmtDNA研究の結果を裏づけます。系統樹におけるNAT002への外部分枝の長さ(図5)は、現代のニブフ人およびウリチ人と同等で、死後損傷もしくは不充分な深度に起因する本論文の配列データの間違った遺伝子型呼び出しの小さな影響を示唆します。

 NAT002のゲノムは、日本列島北部周辺の3系統(アムール川集団、「縄文人」、カムチャッカ半島集団)間の過去の混合事象を裏づけます。これらの混合事象で最古となるのは、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間だったようです。混合年代測定に基づくと、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間の混合は続縄文時代となる2000年前頃に起きた、と仮定されます。本論文が把握している限りでは、続縄文時代におけるカムチャッカ半島から日本列島北部への移住を示唆する考古学的証拠は報告されていませんが、本論文の結果は以前の遺伝学的研究と一致します。さらに、歯冠測定に基づく以前の形態学的研究も、続縄文時代におけるアジア大陸部から日本列島北部への移住を示唆していますが、移住の起源はカムチャッカ半島ではなくアムール川流域と推定されました。この混合事象を明らかにするには、続縄文時代標本のさらなるゲノム研究が必要です。

 アムール川関連祖先系統の移動は、以前の考古学的証拠により示唆されたように、オホーツク文化の始まりに相当する1600年前頃に起きた可能性があります。本論文のゲノム研究は、アムール川流域からの移住の波が北海道におけるオホーツク文化開始の契機だった、との仮説を裏づけます。他方、アイヌ集団の形成過程へのオホーツク文化人の遺伝的寄与に関しては、最終的な結論には達しませんでした。

 本論文の限界の一つは、オホーツク文化期の1個体(NAT002)のみに由来するゲノムデータに依存し、NAT002が先史時代のオホーツク文化人を代表できると仮定していることで、NAT002が他地域からの移住個体である可能性を完全には排除できません。炭素と窒素の同位体比からは、NAT002が同じ遺跡で発掘された先史時代オホーツク文化個体群の変異内に収まり、NAT002が礼文島のオホーツク文化の一般的な食習慣だった、と示唆されます。しかし、この事実はNAT002がこの地域で生まれたことを証明できません。以前の研究では、女性のコラーゲン代謝回転率が、思春期には0.060±0.040で、成長停止後は0.041±0.010だった、と報告されています。したがって、NAT002が移民だとしとても、移住後に充分な時間が経過した場合には、炭素と窒素の同位体比で移住前の食習慣が反映されないでしょう。

 ストロンチウム同位体分析はNAT002の出生地を明らかにできるかもしれませんが、日本列島北部周辺のストロンチウム同位体の地理的分布図は利用できません。NAT002が先史時代オホーツク文化人を代表できるのかどうか調べる別の方法は、オホーツク文化個体の多くの標本を分析することです。したがって、複数のオホーツク文化標本を用いてのさらなるゲノム研究が、環オホーツク海地域周辺の人口史を明らかにするには必要です。さらに、本論文は特定の偏りのない混合年代測定において単一波動の移住モデルを想定しました。将来、オホーツク文化期のさまざまな時間区分の時点の複数個体のゲノムが、その詳細な移住様式(たとえば、単一、複数、継続)を明らかにできるかもしれません。環オホーツク海地域周辺の人口史についての提案に加えて、本論文は1000塩基対より長いDNA分子が特定の理想的な条件下でほぼ千年残存することも示唆しており、古代DNA研究への追加の洞察を提供できるかもしれません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、オホーツク文化遺跡の1個体(NAT002)の高品質なゲノムデータを報告しており、たいへん意義深いと思います。本論文が指摘するように、NAT002がオホーツク文化集団を表しているとは断定できないものの、その可能性は高そうです。オホーツク文化集団は、続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合により形成された、と推測されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合は、考古学的裏づけはまだないようですが、mtDNA研究ではその可能性が示唆され、今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合は、オホーツク文化が始まった1600年前頃に起きたと推定されており、オホーツク文化が遺伝的に異なる集団間の混合により形成されたことを示唆します。もちろん本論文が指摘するように、こうした混合事象が1回だけではなく、複数回起きたり継続的だったりする可能性も考えられます。

 オホーツク文化集団とアイヌ集団との遺伝的関係については、本論文では決定的な結論には至りませんでしたが、アイヌ集団の形成において、オホーツク文化集団が一定以上の遺伝的影響を残した可能性は高そうです。本論文で提示された最も可能性が高い混合モデルに従うと、遺伝的にほぼ「縄文人」の構成の擦文文化集団(69%)とオホーツク文化集団(31%)が混合し、この混合集団(71%)と「本土」日本人集団(29%)が混合したことにより、現代アイヌ集団が形成されました。江戸時代のアイヌ集団94標本のmtDNA分析によると、「本土」日本人型は28.1%を占めます(関連記事)。これは、江戸時代においてアイヌ集団と「本土」日本人集団との混合がすでにかなり進んでいたことを示唆します。

 擦文文化集団が遺伝的にほぼ「縄文人」で、本論文のモデルが妥当だとすると、江戸時代アイヌ集団のゲノム構成は、単純計算で50%弱が擦文文化集団に由来することになります。以前の研究では、現代アイヌ集団のゲノムにおける「縄文人」構成要素の割合は66%と推定されていますが(関連記事)、その10〜15%はオホーツク文化集団と「本土」日本人集団に由来するかもしれません。その意味でも、遺伝的にアイヌ集団を「縄文人」の単純な子孫と考えることはできず、「縄文人」以外の遺伝的影響はかなり大きかった、と考えるべきでしょう。

 また、本論文でも改めて指摘されているように、アイヌ集団の重要な文化要素と考えられる熊崇拝の痕跡が、縄文時代と続縄文時代で見られないことも、オホーツク文化がアイヌ集団の形成に及ぼした重要な影響を示唆します。アジア北東部集団間の遺伝と文化の相関関係を検証した最近の研究でも、音楽でアイヌとコリャーク人とが比較的近いと示されており、アイヌ集団にアジア北東部集団が文化的影響を与えてきた、と示唆されます(関連記事)。アイヌは非縄文文化から多くの影響を受けて成立したのでしょう。

 しかし、まだ擦文文化集団の古代ゲノム研究が進んでいないとはいえ、本論文の結果からは、擦文文化集団がアイヌ集団の最も重要な祖先となった可能性が高いと考えられ、文化的にも、オホーツク文化およびその後継のトビニタイ文化の消長からも、オホーツク文化集団に対する擦文文化集団の優位が示唆されます(関連記事)。その意味で、アイヌを遺伝的にも文化的にも単純に「縄文人」の子孫とは言えないとしても、アイヌは鎌倉時代に北海道に侵略してきた外来集団といった、現代日本社会の一部?で根強く支持されているかもしれない言説(関連記事)は的外れだと思います。

 「縄文人」は、今ではアイヌなど一部の集団にしか遺伝的影響を残していないため、本論文の系統樹(図5a)で示されているように、アジア東部現代人集団との比較では特異な集団に位置づけられます。しかし、「縄文人」はユーラシア東部の人類集団間の複雑な相互作用により形成されたと考えられ、当時は「縄文人」のようにアジア東部現代人集団とは遺伝的に大きく異なる複数の集団が存在した、と考えられます(関連記事)。最近、「縄文人」に関する研究が大きく進展しており(関連記事)、今後は「縄文人」の時空間的にさらに広範囲の古代ゲノムデータが蓄積されていき、アイヌ集団との関係など日本列島も含めてユーラシア東部の人口史の解明が進むことを期待しています。


参考文献:
Sato T. et al.(2021): Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biology and Evolution, 13, 9, evab192.
https://doi.org/10.1093/gbe/evab192

https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c38

[近代史3] アイヌ民族は12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した? 中川隆
6. 中川隆[-15918] koaQ7Jey 2021年10月21日 10:00:49 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[3]
雑記帳
2021年09月26日
オホーツク文化人のゲノム解析とアイヌ集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html

 オホーツク文化人のゲノム解析結果を報告した研究(Sato et al., 2021)が公表されました。古代ゲノム学は、過去の人口史の遺伝的特徴の片鱗を捉えることのできる強力な手法です。最近の古代ゲノム研究は多くのアジアの旧石器時代人と新石器時代人のゲノムを報告しており、ユーラシア東部におけるヒトの移住過程への新たな洞察を提供してきました(関連記事)。とくに、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)と、シベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)の少年個体(MA-1)と、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体(関連記事)の古代ゲノム研究は、ユーラシア東部の初期人口史を理解するうえで重要です。

 系統樹では、田園個体はパプア人およびユーラシア東部人口集団と一まとまりを形成しますが、MA-1とヤナRHSの2個体(ヤナUP)はユーラシア西部人口集団と遺伝的に密接です。詳細な経路はまだ議論の余地がありますが、これら古代人のゲノムは、ユーラシア東部への2回の過去の移住を示唆しています。一方は南方経路で、ユーラシア大陸南岸地域に沿って拡散し、もう一方の北方経路は、おそらくシベリアも含めてユーラシア中緯度の草原地帯を通って拡散しました。南方の移住の波は、アジア東部(本論文では、現在の中国と日本と朝鮮とモンゴルと台湾を含む地域として定義されます)および南東部の局所的人口集団に分化していったようです。北方の移住の波は南方の移住の波とおそらくはシベリアで混合し、チュクチ・カムチャッカ(チュクチ半島とカムチャッカ半島、図1a)の人口集団とアメリカ大陸先住民の起源となりました(関連記事)。さらに、新石器時代と青銅器時代以降の古代人ゲノムを分析したその後のいくつかの研究では、半島アジア大陸における新石器時代後の人口動態が明らかにされてきました(関連記事1および関連記事2)。

 日本列島に関しては、完新世人口集団である「縄文人」のゲノムが報告されており(関連記事1および関連記事2)、南方移住の波系統からの深い分岐が示唆されています。しかし、新石器時代以後の日本列島の人口集団の遺伝的歴史は、この期間の古代ゲノムデータの不足ため、依然として不明です。いくつかの以前の研究では、現代日本列島の人口集団はアジア東部大陸部人口集団および/もしくはアジア北東部(本論文ではロシア極東に相当します)人口集団からの遺伝子流動の影響を受けたものの、その詳細な起源と移住の仮定は不明なままと示唆されています(関連記事)。したがって、そうした過去の移住の遺伝的特徴の解明も、日本列島周辺の人口史の理解の向上に重要です。考古学的証拠で示唆されているように、新石器時代後に日本列島に起きたように見える過去の主要な移住事象の一つは、先史時代オホーツク人による日本列島北部での定住です。

 高度な海洋漁業と狩猟技術を有する先史時代狩猟採集文化であるオホーツク文化は、紀元後5世紀〜13世紀まで、オホーツク海の南部沿岸地域に分布していました(図1a)。オホーツク文化の最も重要な特徴である海洋資源への依存は、以前の動物考古学および同位体研究により明らかになりました。じっさい、オホーツク文化の遺跡の分布は明らかに沿岸地域に限られています(図1a)。この特徴は、日本列島における先住の縄文文化(紀元前14000〜紀元前300年頃)やその後の続縄文時代(紀元前3世紀〜紀元後7世紀)や擦文時代(紀元後8〜14世紀)とは大きく異なります(図1a)。

 アジア北東部におけるオホーツク文化とその近隣古代文化との間の関係の観点では、オホーツク文化の遺跡から発掘された土器や鉄器や青銅器の一部が、ロシアのプリモルスキー(Primorski)地域で発展した、紀元後6〜9世紀となるモヘ(Mohe、靺鞨)文化(図1a)遺跡で発見されたものと類似しています。さらに、オホーツク文化の遺跡から発掘されたセイウチの牙製の彫像や釣針は、オホーツク文化と紀元後5〜17世紀となる古代コリャーク(Koryak)文化(図1a)との間の相互作用を示唆しており、それはセイウチが現在では北極海とベーリング海にしか分布していないからです。しかし、考古学的遺物のこれら文化間の共通性がヒトの移住と移住なしの交易のどちらに由来するのかは、不明なままです。

 オホーツク文化人の起源は、考古学者と人類学者により長く議論されてきました。オホーツク文化人の骨格遺骸の形態学的研究は、アムール川流域周辺およびサハリン北部の現代人集団との類似性を示唆してきました。さらに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果は、形態学的証拠を裏づけます。mtDNAハプログループ(mtHg)Y1とG1bとN9bはアムール川下流人口集団間において高頻度で共有されており、オホーツク文化の骨格遺骸でよく検出され、オホーツク文化人のアムール川下流地域起源を示唆します。しかし、オホーツク文化人の包括的なゲノム規模データが欠けているため、最終的な結論にはまだ達していません。したがって、この研究の主な動機は、ゲノム規模データ分析に基づいてオホーツク文化人の遺伝的起源を理解することです。

 考古学的証拠に基づくと、オホーツク文化は紀元後13世紀頃に消え、その原因は依然として不明です。これと関連して、オホーツク文化とその後のアイヌ文化との間の関係が調べられてきました。考古学者たちは、アイヌとフィン人とニブフ人とサーミ人などユーラシア北部の民族集団間で広く観察される宗教的慣行である熊崇拝もオホーツク文化人により共有されていた、と考えてきました。他方、そうした宗教的慣行の痕跡は、アイヌ文化期より前の縄文時代と続縄文時代の遺跡では発見されていません。アイヌ文化の熊崇拝はイオマンテで見られ、これは熊を犠牲にしてその精神をカムイ(アイヌ文化の神聖な存在)の世界に送る儀礼です。オホーツク文化では、ヒグマの安置された頭蓋骨がいくつかの住居遺跡で発見されており、熊崇拝と関連した宗教的慣行が示唆されます。

 これは、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に寄与したことを示唆します。いくつかの頭蓋学およびmtDNA研究は、アイヌとアジア北東部人口集団との間の遺伝的類似性を示唆してきました。頭蓋測定に基づく統計分析では、アジア北東部人がオホーツク海沿岸に居住するアイヌにわずかな遺伝的影響を残した、と示唆されました。アイヌ現代人のmtDNAとY染色体DNAの分析は、ニブフ人とアイヌとの間の母系および父系遺伝子プールの類似性を示唆します。これらの知見は、アジア北東部から(北海道を中心とする)日本列島北部への遺伝子流動の可能性として解釈されてきました。さらに、古代のmtDNAと頭蓋非計測的変異の研究は、オホーツク文化人とアムール川下流人口集団との間の密接な関係と、アムール川下流人口集団からアイヌへのオホーツク文化人経由の遺伝子流動を示唆しており、これはオホーツク文化人がアイヌ文化の確立に寄与した、との考古学的仮説を裏づけます。

 しかし、これらの研究の形態学的もしくは遺伝学的指標は少なく、オホーツク文化人のアイヌへの遺伝的寄与について最終的な結論を提供できません。それは、こうした研究が統計的に人口集団の混合を評価できないからです。対照的に、統計的に人口集団の混合を評価できる現代人の最近のゲノム規模一塩基多型分析は、アムール川下流人口集団からアイヌへの遺伝子流動を検出していませんが、これはオホーツク文化人がアイヌに遺伝的に寄与したならば、予測されることです。したがって、さまざまな手法を用いた多くの研究がアイヌ集団の形成過程を解明する目的で行なわれてきましたが、オホーツク文化人がこの過程に遺伝的に寄与したのかどうかは不明なままです。

 オホーツク文化人の形成過程と、アイヌへの遺伝的および文化的寄与を調べるため、国際的な学際的調査団が、北海道の礼文島の浜中2遺跡の発掘に着手しました(図1a)。2013年に、重度の骨肥厚症の成人女性のよく保存された骨格遺骸(NAT002)が、オホーツク文化期の最終段階となる貝塚の上部表面で回収されました(図1b・c)。NAT002の較正放射性炭素年代は紀元後1060〜1155年(68.2%)と推定され、骨肥厚症は皮膚科学的観察なしの滑膜炎と痤瘡と膿疱症と骨肥厚症と骨炎(SAPHO)症候群と診断されました。

 本論文は、NAT002の全ゲノム配列結果を報告し、オホーツク文化人の起源に関する問題と、アイヌ集団への遺伝的寄与に関する問題を解決します。本論文はNAT002のゲノムをアジア東部および北東部の現代の人口集団および最近報告されたアジア北東部古代人と比較します。この古代人には、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の悪魔の門遺跡の7700年前頃の個体群(関連記事)や、プリモルスキー地域の新石器時代後個体群(関連記事)や、礼文島の浜中2遺跡に近い(図1a)船泊遺跡(関連記事)の縄文時代の女性個体(F23)が含まれます。また本論文は、NAT002の一部の骨で観察されたSAPHO症候群的骨肥厚症の遺伝的背景の特定も試みます。

 NAT002のDNA保存状態は良好で、平均深度35.03倍のゲノム配列が得られました。これは埋葬と寒冷な環境と比較的新しい年代(紀元後11〜12世紀)に起因すると考えられますNAT002はX染色体とY染色体にマップしたリード数の比から女性と推定され、これは形態学的およびアメロゲニン遺伝子に基づく以前の性別判定と一致します。以下は本論文の図1です。
画像


●NAT002と隣接集団との間の遺伝的関係

 アジア北東部人口集団に対するNAT002の遺伝的類似性を評価するため、49079ヶ所の一塩基多型で外群f3統計が計算されました。f3(ムブティ人;NAT002、X)では、NAT002は近隣地域のニブフ人とアイヌとウリチ人とF23に密接に関連しており、それに続いて密接なのが、イテリメン人(Itelmen)やコリャーク人(Koryak)を含むカムチャッカ半島人口集団、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人、オロチョン人(Oroqen)やダウール人(Daur)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)を含むアムール川上流人口集団です(図2)。以下は本論文の図2です。
画像

 49079ヶ所の一塩基多型に基づく主成分分析(図3)も、NAT002が遺伝的にニブフ人およびウリチ人と密接であることを示唆し、以前の形態学的およびmtDNA研究を裏づけます。以下は本論文の図3です。
画像

 ADMIXTURE が2〜10の系統構成要素(K=2〜10)で実行されました(図4)。最小交差検証(CV)誤差はK=5の時に観察されました。NAT002は4つの遺伝的構成要素で混合された個体として表されました(図4)。緑色の構成要素(24.6%)は、広くアジア北東部人口集団で共有されています。青色の構成要素(15.8%)は、アジア東部人で広く共有されています。濃紺色の構成要素(33.2%)はF23とアイヌにおいてほぼ100%で観察されます。黄色の構成要素(26.4%)はイテリメン人およびコリャーク人に高い割合で共有されています。NAT002の構成要素の割合は、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団と似ています。以下は本論文の図4です。
画像

 次に、NAT002とアジア北東部人との間の系統発生関係を推測するため、NAT002とF23とSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)標本で観察される2556493ヶ所の多様体に基づくTreeMixが実行されました。NAT002とニブフ人とウリチ人は単系統性の一まとまりを形成し(図5a)、主成分分析およびADMIXTUREの結果と対応しています。2回の移住事象を想定した場合、遺伝子流動はF23からNAT002とニブフ人との間の共通祖先で観察されました(図5a)。

 F23とウリチ人との間、およびNAT002とイテリメン人との間でも大規模な残余が観察され、それらの間の遺伝子流動が示唆されます(図5b)。ウリチ人と「縄文人」/アイヌとの間の遺伝的類似性は以前に報告されていました(関連記事)。さらに、NAT002とアジア北東部の前期新石器時代人の悪魔の門個体群との間の遺伝的類似性が、外群f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、X)の計算により調べられました。検証人口集団間で、NAT002はニブフ人に次いで2番目位に高いf3値を示しました。この結果は古代人のゲノム間で共有された偏りの影響を受けた可能性がありますが、古代人のゲノム間の遺伝的類似性のそうした過大評価は、おもに配列の短さや死後の損傷の高頻度や比較された古代人2個体の不充分な深度に起因する可能性が高そうです。

 悪魔の門個体群のゲノムにおける参照の偏りの程度は、低い網羅率のため比較的強くなるでしょう。しかし、NAT002ゲノムにおける参照の偏りは、本論文の遺伝子型コール閾値として用いられた、選別の水準0および1の現代日本人のゲノムの30倍の網羅率よりもさほど強くありませんでした。したがって、悪魔の門個体群とNAT002との間の観察された類似性は、大幅に過大評価される可能性は低そうです。f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、NAT002)の高い値は、オホーツク文化人の起源がアムール川流域周辺にある、との仮説を裏づけます。他方、F23は低いf3値を示しており、日本列島北部からアムール川流域への「縄文人」系統の移住はおもに新石器時代後に起きた、と示唆され、ウリチ人における以前の混合年代を裏づけます。以下は本論文の図5です。
画像

 系統樹の接続形態を考慮すると(図5a)、f3(ムブティ人;NAT002、X)により示されるアムール川流域人口集団とNAT002との間の類似性は、密接な系統発生関係として解釈できます。これらの示唆された混合事象を確認するため、49079ヶ所の一塩基多型に基づくD(ムブティ人、X;ニブフ人、NAT002)検定が実行され、F23とアイヌとイテリメン人は有意な正の値を示しました(図6a)。古代人のゲノム間の共有された偏りのため、D(ムブティ人、F23;ニブフ人、NAT002)で観察された兆候の過大評価の可能性も考慮されねばなりませんが、F23とNAT002の参照の偏りは現代日本人の網羅率30倍のゲノムと比較してさほど強くないので、過大評価の程度はそれほど深刻ではないでしょう。混合兆候はD(ムブティ人、F23;アムール川流域集団、NAT002)とD(ムブティ人、イテリメン人;アムール川流域集団、NAT002)でも観察されました。この場合のアムール川流域人口集団とは、ウリチ人とオロチョン人とホジェン人とダウール人とシボ人(Xibo)です(図2)。これらの知見から、NAT002は3祖先的系統(アムール川流域集団、チュクチ・カムチャッカ集団、「縄文人」)間の混合個体だった、と示唆されます。

 次にqpAdmモデルを用いて、NAT002と関連する過去の混合事象についてのこの仮説が検証されました。オロチョン人とイテリメン人とF23が、それぞれアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の供給源人口集団の代表として用いられました。完全ランク付けモデルに対する提案された混合の尤度比検定(LRT)のP値は有意ではなく(P=0.14)、NAT002のゲノムはアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の混合として説明できます。アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の推定された祖先系統は、それぞれ64.9±8.0%、21. 9±6.4%、13.2±4.3%です(図6c)。

 アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団からの推定される祖先系統の割合の比較的大きな標準誤差は、これら供給源人口集団間の密接な関係に起因するかもしれません。じっさい、ADMIXTURE分析(図4)で観察された黄色と赤色の構成要素は、チュクチ・カムチャッカ人口集団(イテリメン人とコリャーク人とエスキモーとチュクチ人)間で支配的ですが、ニブフ人やウリチ人やオロチョン人やホジェン人やダウール人やシボ人などアムール川流域人口集団でも広く観察されます。構成要素のこの共有は、アムール川流域人口集団とチュクチ・カムチャッカ人口集団との間の混合か、両者の間で部分的に共有される遺伝的浮動の結果のようです。さらに、入れ子モデルへのLRTでは、あらゆる2方向混合モデルがNAT002ゲノムを適切に説明できない、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
画像


●在来祖先系統と混合年代の推定

 アムール川流域集団と「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の系統間の混合事象の順番を決定するため、NAT002ゲノムの在来祖先系統が推測されました。本論文の在来祖先系統推定は大陸内規模(つまり、アジア東部と北東部全参照人口集団)で行なわれましたが、NAT002ゲノムの大半は0.9以上の事後確率を有する3つの祖先的ハプロタイプの一つに分類できました。在来祖先系統の割合から計算された世界規模の祖先系統の割合は、アムール川流域集団が83.6%、チュクチ・カムチャッカ集団が10.0%、「縄文人」が6.4%です。

 ADMIXTURE(図4)とqpAdm(図6c)の結果を考慮すると、「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の祖先系統の堀合は過小評価されているようで、おそらくは参照人口集団における「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ個体の標本規模の小ささに起因します。「縄文人」は1個体(F23)のみで、チュクチ人やエスキモーなどチュクチ人口集団の5個体とともに、チュクチ・カムチャッカ参照人口集団におけるカムチャッカ人口集団の代表としてイテリメン人1個体のみが含まれています。

 本論文は、3系統間の混合年代を推測するため、単純な波動移住モデルを想定しました。アムール川流域系統の移住年代はNAT002の22世代前と推定されました(図7)。1世代30年と仮定し、NAT002の放射性炭素年代(900年前頃)を考慮すると、アムール川流域関連祖先系統の移住は1600年前頃に起きました。これは、以前の考古学的証拠により示唆されるように、オホーツク文化の始まりと正確に対応していますが、本論文の混合年代は1個体のみの祖先系統の領域の長さに基づいています。

 チュクチ・カムチャッカ系統と「縄文人」系統間の混合はNAT002の35世代前(1950年前頃)と推定され、縄文時代の後の続縄文時代(紀元前3〜紀元後7世紀)と対応します。本論文が把握している限りでは、その期間のカムチャッカ半島から日本列島北部へのヒトの移住を示す考古学的証拠は提示されていませんが、以前の古代DNA研究は縄文時代標本と続縄文時代標本との間のmtHg特性の変化を報告しています。カムチャッカ半島人口集団においてひじょうに高頻度で観察されるmtHg-G1bは、続縄文時代の標本の15.0%で検出されますが、縄文時代標本では検出されません。さらに最近の研究では、千島列島南西部に位置する択捉島のタンコウォイェ1(Tankovoye 1)遺跡(図1a)の続縄文時代標本と、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島現代人集団との間の遺伝的類似性が報告されました。これらの知見は、続縄文時代における千島列島を経由してのカムチャッカ半島から日本列島北部への移住の波を裏づけます。

 本論文は、混合していないアイヌの10個体を参照「縄文人」に追加することにより、類似の混合年代測定を実行しました。この場合、NAT002における「縄文人」祖先系統の割合は増加し、アムール川流域祖先系統が64.4%、チュクチ・カムチャッカ祖先系統が9.8%、縄文人祖先系統が25.8%と推定されました。しかし、推定された混合年代は、アムール川流域関連祖先系統の移住についてはNAT002の17世代前(1410年前頃)、「縄文人」系統とカムチャッカ系統との間の混合についてはNAT002の37世代前(2010年前頃)と大きくは変わらず、本論文の混合年代は中程度の堅牢性を有する、と示唆されました。以下は本論文の図7です。
画像


●アイヌ集団に対するオホーツク文化人の遺伝的寄与

 アイヌ集団の形成過程は長く議論されてきました。しかし、アイヌと縄文時代個体群との間の遺伝的類似性は以前の研究で確認されてきましたが(関連記事)、新石器時代後の人口動態に関する決定的な結論には至っていません。F23と比較して主成分分析では、アイヌ個体群はわずかにアジア北東部人に影響を受けていると示唆されますが(図3)、ADMIXTURE分析の結果では、アイヌ個体群はほぼ単一の祖先系統で表される、と示唆されます。
 したがって、縄文時代後のアジア北部人口集団からの遺伝的影響を確かめるため、D(ムブティ人、X;F23、アイヌ)検定が実行されました。その結果、アジア北部人口集団は有意に正の値を示しました。とくに、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島人口集団と、ホジェン人やオロチョン人やシボ人やダウール人などアムール川流域人口集団は強い兆候を示しました。以前の研究では、アイヌとカムチャッカ半島人口集団との間の遺伝的類似性が報告されました。

 アイヌ集団の形成過程をモデル化するため、qpGraphを用いて混合図が作成されました。まず、NAT002やF23やSGDP標本群を含む混合図が作成されました。アムール川流域系統と「縄文人」系統とカムチャッカ半島系統の間の混合事象の順序は、混合年代の結果にしたがって決定されました。図における最低のf4統計のZ得点は-2.1でした。次に、足場図(scaffold graph)にアイヌを追加することにより、アイヌ集団の形成過程が検証されました。アイヌは「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の間の混合人口集団と仮定したモデルが、検証されたモデルの中で最適でした(図8a)。

 しかし、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定しない別のモデルも許容されました(図8b)。最低のf4統計を考慮すると、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定する最初のモデル(図8a)が最も可能性の高いシナリオですが、混合図の枠組みでは2番目のモデル(図8b)を明示的に却下できませんでした。この二つのモデル間の顕著な違いの一つは、「本土」日本人からアイヌへの混合割合で、最初のモデルでは29%、二番目のモデルでは44%でした。以前の研究はmtHg頻度に基づいて、近世アイヌ集団における「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の混合割合が推定されました(関連記事)。その研究では、アイヌへの「本土」日本人の遺伝的寄与は28.1%と推定され、本論文の最初のモデルと近くなっているので、最終的な結論には至りませんが、本論文の最初のモデルが最も可能性の高そうなシナリオとして支持されるようです。以下は本論文の図8です。
画像


●HLA型とNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性

以前の研究では、HLA(ヒト白血球型抗原)B遺伝子、とくにHLA-B*27アレル(対立遺伝子)が、SAPHO症候群と強く関連している、と報告されました。したがって、以前の研究によりSAPHO症候群として推測されたNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性を調べるため、HLA-VBSeqとHLA EXPLORE を用いてNAT002のHLA型が決定されました。HLA-VBSeqでの型別における上位2つの平均深度はHLA-B*40:02:01(平均深度22.93倍)とHLA-B*40:06:01:01(平均深度12.57倍)で、NAT00がB*40:02:01とB*40:06:01:01の異型接合体だったことを示唆します。しかし、B*40:06:01アレル特有の配列はTARGTとHLA EXPLOREでは検出されませんでした。おそらく、HLA-VBSeqで識別されたB*40:06:01:01はHLA-C遺伝子座に由来するリードのミスマッピングで、それは、HLA-Bエクソン3におけるB*40:06:01特有の置換部位を含む100塩基対配列が、IMGT/HLAデータベースのリリース3.43.0におけるHLA-C配列とひじょうに高い同一性を示すからです。

他の古典的なHLA遺伝子も、HLA-VBSeqとTARGTとHLA EXPLOREで分類されました。HLA-VBSeqの結果から、NAT002はA*02:01:01(平均深度30.74倍)とC*15:02:01(平均深度33.33倍)とDQB1*05:03:01(平均深度35.07倍)の同型接合体で、DRB1*14:05:01(平均深度7.36倍)とDRB1*14:54:01(平均深度12.93倍)の異型接合体と示唆されました。しかしHLA-DRB1については、DRB1*14:05:01アレルはTARGTとHLA EXPLORE分析では検出されませんでした。これも、HLA-VBSeqのミスマッピングの結果と推測されます。

HLA 領域でNAT002の同型接合体と異型接合体を確認するため、NAT002配列データの別のアレル頻度が調べられました。HLA領域を含む約1000万塩基対におよぶ領域で、中間的な別のアレル頻度の明らかな欠如が観察され、ROH(runs of homozygosity)が示唆されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています。

6番染色体上でROHが観察される領域と他の領域との間の類似した配列深度を考えると、アレルの脱落である可能性は低そうです。HLA-DRA・DRB1・DRB5・DRB6を含むHLA-DR領域(参照ゲノムhs37d5では、HLA-DRB3・DRB4が含まれません)における比較的多い部位は、HLA-VBSeq分析でも示唆されているように、この領域におけるNAT002の異型接合体を示唆している可能性が高そうです。しかし、これらの部位の配列深度は他の部位よりも顕著に高く、この領域への配列のミスマッピングを示唆します。したがって最終的に、NAT002はA*02:01:01とB*40:02:01とC*15:02:01とDQB1*05:03:01の同型接合体と結論づけられますが、HLA遺伝子座で1個体が同型接合体であることは一般的に稀です。

本論文が把握している限りでは、SAPHO症候群とHLA-B*40アレルとの間の関連は充分には解明されていませんが、以前の研究では、SAPHO症候群の日本人患者6人のうち3人でHLA-B61(B*40:02やB*40:03やB*40:06などいくつかのHLA-B*40アレルを含む血清型)が検出されました。さらに、HLA-B*40アレルは、強直性脊椎炎や反応性関節炎や未分化脊椎関節症の危険性アレルの一つと報告されてきました。これらの疾患はSAPHO症候群と類似しており、骨肥厚症を伴う疾患でもあります。したがって、HLA型はNAT002における骨肥厚症への遺伝的感受性を部分的に説明できるかもしれません。ニブフ人ではHLA-B*40アレルが高頻度(1998年の研究では25.5%、現在のアレル頻度データベースでは31.2%)です。

NAT002とF23との間では、共有されるHLAアレルは観察されませんでした。F23では、A*24:02:01とB*15:01:01とC*03:03:01が同型接合体です。したがって、HLA遺伝子の観点では、同じ礼文島で発掘されたNAT002とF23との間の遺伝的関係を議論できません。しかし、NAT002とF23は両方、HLA 領域では同型接合体とみなされました。これは、おそらくNAT002とF23が小さな人口規模しか維持できなかったひじょうに小さな島で暮らしていた、という事実に起因するかもしれません。


●アジア東部/北東部人において高頻度で観察される形質の推定表現型

アジア東部/北東部人口集団と他の人口集団との間で顕著に異なる頻度を示す形質と関連するいくつかの一塩基多型について、NAT002の遺伝子型に基づいてNAT002の表現型が推測されました。NAT002は、耳垢の表現型を決定するABCC11遺伝子の一塩基多型(rs17822931)でAアレルの同型接合体を有しており、乾燥した耳垢だったと示唆されます。以前の研究では、オホーツク文化標本では乾燥した耳垢が高頻度(83.9%)と報告されました。

NAT002はADH1B遺伝子の一塩基多型(rs1229984)とALDH2遺伝子の一塩基多型(rs671)でGアレルの同型接合体を有しており、それぞれアルコールとアセトアルデヒドの代謝率と関連していて、アルコール耐性が示唆されます。アルコール不耐性のアレルは、アジア東部新石器時代農耕民に遺伝的影響を受けた人口集団において、シベリア人を含む他の人口集団よりも高頻度を示します。NAT002の推定されるアルコール耐性は、アジア東部農耕民よりもシベリアの狩猟採集民において高頻度で観察される表現型と関連しているようで、アジア北部人口集団とのNAT002の遺伝的類似性に対応しています。


●まとめ

 北海道の礼文島の浜中2遺跡の先史時代オホーツク文化個体である、NAT002の高網羅率ゲノムが得られました。本論文の集団遺伝学的分析の結果から、NAT002と、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団との間の密接な関係が示唆され、以前の形態学的およびmtDNA研究の結果を裏づけます。系統樹におけるNAT002への外部分枝の長さ(図5)は、現代のニブフ人およびウリチ人と同等で、死後損傷もしくは不充分な深度に起因する本論文の配列データの間違った遺伝子型呼び出しの小さな影響を示唆します。

 NAT002のゲノムは、日本列島北部周辺の3系統(アムール川集団、「縄文人」、カムチャッカ半島集団)間の過去の混合事象を裏づけます。これらの混合事象で最古となるのは、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間だったようです。混合年代測定に基づくと、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間の混合は続縄文時代となる2000年前頃に起きた、と仮定されます。本論文が把握している限りでは、続縄文時代におけるカムチャッカ半島から日本列島北部への移住を示唆する考古学的証拠は報告されていませんが、本論文の結果は以前の遺伝学的研究と一致します。さらに、歯冠測定に基づく以前の形態学的研究も、続縄文時代におけるアジア大陸部から日本列島北部への移住を示唆していますが、移住の起源はカムチャッカ半島ではなくアムール川流域と推定されました。この混合事象を明らかにするには、続縄文時代標本のさらなるゲノム研究が必要です。

 アムール川関連祖先系統の移動は、以前の考古学的証拠により示唆されたように、オホーツク文化の始まりに相当する1600年前頃に起きた可能性があります。本論文のゲノム研究は、アムール川流域からの移住の波が北海道におけるオホーツク文化開始の契機だった、との仮説を裏づけます。他方、アイヌ集団の形成過程へのオホーツク文化人の遺伝的寄与に関しては、最終的な結論には達しませんでした。

 本論文の限界の一つは、オホーツク文化期の1個体(NAT002)のみに由来するゲノムデータに依存し、NAT002が先史時代のオホーツク文化人を代表できると仮定していることで、NAT002が他地域からの移住個体である可能性を完全には排除できません。炭素と窒素の同位体比からは、NAT002が同じ遺跡で発掘された先史時代オホーツク文化個体群の変異内に収まり、NAT002が礼文島のオホーツク文化の一般的な食習慣だった、と示唆されます。しかし、この事実はNAT002がこの地域で生まれたことを証明できません。以前の研究では、女性のコラーゲン代謝回転率が、思春期には0.060±0.040で、成長停止後は0.041±0.010だった、と報告されています。したがって、NAT002が移民だとしとても、移住後に充分な時間が経過した場合には、炭素と窒素の同位体比で移住前の食習慣が反映されないでしょう。

 ストロンチウム同位体分析はNAT002の出生地を明らかにできるかもしれませんが、日本列島北部周辺のストロンチウム同位体の地理的分布図は利用できません。NAT002が先史時代オホーツク文化人を代表できるのかどうか調べる別の方法は、オホーツク文化個体の多くの標本を分析することです。したがって、複数のオホーツク文化標本を用いてのさらなるゲノム研究が、環オホーツク海地域周辺の人口史を明らかにするには必要です。さらに、本論文は特定の偏りのない混合年代測定において単一波動の移住モデルを想定しました。将来、オホーツク文化期のさまざまな時間区分の時点の複数個体のゲノムが、その詳細な移住様式(たとえば、単一、複数、継続)を明らかにできるかもしれません。環オホーツク海地域周辺の人口史についての提案に加えて、本論文は1000塩基対より長いDNA分子が特定の理想的な条件下でほぼ千年残存することも示唆しており、古代DNA研究への追加の洞察を提供できるかもしれません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、オホーツク文化遺跡の1個体(NAT002)の高品質なゲノムデータを報告しており、たいへん意義深いと思います。本論文が指摘するように、NAT002がオホーツク文化集団を表しているとは断定できないものの、その可能性は高そうです。オホーツク文化集団は、続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合により形成された、と推測されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合は、考古学的裏づけはまだないようですが、mtDNA研究ではその可能性が示唆され、今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合は、オホーツク文化が始まった1600年前頃に起きたと推定されており、オホーツク文化が遺伝的に異なる集団間の混合により形成されたことを示唆します。もちろん本論文が指摘するように、こうした混合事象が1回だけではなく、複数回起きたり継続的だったりする可能性も考えられます。

 オホーツク文化集団とアイヌ集団との遺伝的関係については、本論文では決定的な結論には至りませんでしたが、アイヌ集団の形成において、オホーツク文化集団が一定以上の遺伝的影響を残した可能性は高そうです。本論文で提示された最も可能性が高い混合モデルに従うと、遺伝的にほぼ「縄文人」の構成の擦文文化集団(69%)とオホーツク文化集団(31%)が混合し、この混合集団(71%)と「本土」日本人集団(29%)が混合したことにより、現代アイヌ集団が形成されました。江戸時代のアイヌ集団94標本のmtDNA分析によると、「本土」日本人型は28.1%を占めます(関連記事)。これは、江戸時代においてアイヌ集団と「本土」日本人集団との混合がすでにかなり進んでいたことを示唆します。

 擦文文化集団が遺伝的にほぼ「縄文人」で、本論文のモデルが妥当だとすると、江戸時代アイヌ集団のゲノム構成は、単純計算で50%弱が擦文文化集団に由来することになります。以前の研究では、現代アイヌ集団のゲノムにおける「縄文人」構成要素の割合は66%と推定されていますが(関連記事)、その10〜15%はオホーツク文化集団と「本土」日本人集団に由来するかもしれません。その意味でも、遺伝的にアイヌ集団を「縄文人」の単純な子孫と考えることはできず、「縄文人」以外の遺伝的影響はかなり大きかった、と考えるべきでしょう。

 また、本論文でも改めて指摘されているように、アイヌ集団の重要な文化要素と考えられる熊崇拝の痕跡が、縄文時代と続縄文時代で見られないことも、オホーツク文化がアイヌ集団の形成に及ぼした重要な影響を示唆します。アジア北東部集団間の遺伝と文化の相関関係を検証した最近の研究でも、音楽でアイヌとコリャーク人とが比較的近いと示されており、アイヌ集団にアジア北東部集団が文化的影響を与えてきた、と示唆されます(関連記事)。アイヌは非縄文文化から多くの影響を受けて成立したのでしょう。

 しかし、まだ擦文文化集団の古代ゲノム研究が進んでいないとはいえ、本論文の結果からは、擦文文化集団がアイヌ集団の最も重要な祖先となった可能性が高いと考えられ、文化的にも、オホーツク文化およびその後継のトビニタイ文化の消長からも、オホーツク文化集団に対する擦文文化集団の優位が示唆されます(関連記事)。その意味で、アイヌを遺伝的にも文化的にも単純に「縄文人」の子孫とは言えないとしても、アイヌは鎌倉時代に北海道に侵略してきた外来集団といった、現代日本社会の一部?で根強く支持されているかもしれない言説(関連記事)は的外れだと思います。

 「縄文人」は、今ではアイヌなど一部の集団にしか遺伝的影響を残していないため、本論文の系統樹(図5a)で示されているように、アジア東部現代人集団との比較では特異な集団に位置づけられます。しかし、「縄文人」はユーラシア東部の人類集団間の複雑な相互作用により形成されたと考えられ、当時は「縄文人」のようにアジア東部現代人集団とは遺伝的に大きく異なる複数の集団が存在した、と考えられます(関連記事)。最近、「縄文人」に関する研究が大きく進展しており(関連記事)、今後は「縄文人」の時空間的にさらに広範囲の古代ゲノムデータが蓄積されていき、アイヌ集団との関係など日本列島も含めてユーラシア東部の人口史の解明が進むことを期待しています。


参考文献:
Sato T. et al.(2021): Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biology and Evolution, 13, 9, evab192.
https://doi.org/10.1093/gbe/evab192

https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/538.html#c6

[近代史5] エジプト人の起源 中川隆
5. 2021年10月21日 10:10:00 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[4]
【ゆっくり解説】「ピラミッド」の未だ解明しない謎の数々を解説
2021/10/17
https://www.youtube.com/watch?v=x_vXmOhlIm0

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/282.html#c5
[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
10. 2021年10月21日 11:12:03 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[5]

>おいお前うっぺつ川事件の後全て動画は警察が消させた。その後加害者1人がPCに保存してた動画をまた拡散したことは知ってるよな?これも警察の供述調書にあるんだけどな?


失踪後に明らかになっただけだろ
サアヤさんが知っていたら警察に行って対処してもらっていたよ。


>覚せい剤の入手先は?
>そこソースと一緒に具体的にお願いします

覚醒剤は創価ヤクザしか手に入らないから、極導会から加害者か母親が貰ったんだろ
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c10

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 岸田文雄 中川隆
3. 中川隆[-15917] koaQ7Jey 2021年10月21日 12:01:27 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[6]
衆院選、始まる。「餓死か泥棒しかない」という声を政治はどう受け止めるのか
ハフポスト日本版 2021/10/21

衆院選を前にして、発足わずかの岸田内閣がさっそくボロボロだ。

10月8日の所信表明演説では「分配なくして次の成長なし」とブチ上げていたのに、その3日後にはなぜかそのフレーズが「成長なくして分配なし」に変化。

また「新自由主義からの転換」という巨大花火も打ち上げていたのに、金融所得課税強化は見送り。

そうして選択的夫婦別姓は、いつのまにか検討すらしない方向のようだ。

そんな岸田首相に関して、非常に腑に落ちる言葉に出会った。「週刊金曜日」10月15日号の中島岳志氏と山本太郎氏の対談だ。ここで中島氏は、岸田首相を「彼が一貫しているのは、ぶれることのみ」と評している。

「目の前にいる人に合わせるっていうだけの人で、それで嫌われないということによって出世していく」

確かにまったくその通りで、そんな処世術によってとうとう総理大臣にまで登りつめたのだから、なんだか今の時代を象徴しているようである。

さて、そんな「ブレる男」岸田首相、所信表明演説で「人生百年時代の不安解消」や「働く人への分配機能の強化」「中間層の拡大」「少子化対策」などと言っているが、その一番の近道は、誰が考えても安定した雇用ではないだろうか。

最近、国税庁が2020年の「民間給与実態統計調査」の結果を発表したが、それによると、正社員の平均年収は496万円であるのに対し、非正規は176万円。男女別で見ると、非正規男性は228万円、非正規女性は153万円。強調したいのは、今や働く人の4割が非正規であり、女性は半分以上が非正規ということ。2000万人を超える人々が、平均すれば100万円台の年収しか得ていないことである。

「少子化が問題だ」と言うのであれば、岸田首相はこの額で子育てできるかどうか、考えてみればいいだけのことだ。

ちなみに40代、ロスジェネの私は、同世代の非正規の人々から「正社員として長く働けるなら、結婚や出産について前向きになれる」という言葉をもう、うんざりするほど聞いてきた。仕事さえ安定していたら、1年後、5年後、10年後を予想してライフプランを立てることができる。

しかし、ロスジェネの中には、20年以上前の90年代から今に至るまで、ずーっと「3ヶ月先の生活がまったく不明」という人が多く存在する。非正規化によって生み出された層だが、「たかが雇用形態」が結婚や出産という人生の選択肢に大きな影響を及ぼしていることを政治はこれまで完全に放置してきた。

それだけではない。非正規ゆえ、ローンが組めない、賃貸物件の入居審査に落ちるなど、もはや「身分制度」のようになっていることをどう考えているのか。非正規は、もはや雇用だけの問題ではまったくないのだ。だからこそ、「中間層の拡大」とか言うのであれば、ここに目を向けてほしいのだ。というか、自民党政治が長年かけてここまで非正規を増やし続けてきたのだ。誤った政策の犠牲者に対して「自己責任」と言い続けるだけで放置してきた罪は、絶対に問われなければならないと思う。

さて、私がこの一年半目撃しているのは、そんな非正規層の中からコロナが「トドメの一撃」となり、深刻な貧困状態に陥ったり、住まいを失ったりしている人が続出していることだ。

「新型コロナ災害緊急アクション」に「ホームレスになった」「所持金が尽きた」とSOSメールをくれるほとんどが、非正規。ついでフリーランスや自営業。

しかし、支援団体に出会えた人はまだ幸福と言える。そのような情報にたどり着けず、自ら命を絶っている人は確実に存在するし、ひっそりと路上に出て、空腹から窃盗などをして捕まる人も出ている。コロナによる貧困ゆえに起きた事件。思えばこの一年半、そんな事件を多く見聞きしてきた。

例えば20年4月には横浜で不動産業者の女性を刺し、バッグを奪ったとして20代男性が逮捕されている。男性は新型コロナの影響で仕事がなくなり、ネットカフェにも泊まれなくなり路上生活になっていた。

20年8月には、福岡で30歳の女性が恐喝未遂で逮捕されている。真珠販売店でカッターナイフを店員に向け、現金を脅しとろうとした容疑だ。女性はコロナでうどん屋の仕事を失い、たちまち家賃を払えなくなり、公園で寝泊まりする日々に。紙に「食べ物をください」と書いて路上に立つこともあったという。事件を起こした時の所持金はわずか257円だった。

20年11月には熊本県で53歳の男性が、本屋でコミック一冊を万引きして交番に自首、逮捕されている。男性は5月まで機械製造会社で派遣で働いていたもののコロナによる不景気で契約を打ち切られ、「家と食べ物に困っていて、警察に捕まりたかった」と話したという。

一方、昨年にはコロナで生活苦に陥ったベトナム人実習生を風俗で働かせたとして経営者が逮捕されているし、家畜窃盗に関与した疑いで外国人が逮捕された事件もあった。

どれもこれも、「公助」がマトモに機能していたら、決して起こらなかった事件だろう。

ちなみに、コロナ禍で犯罪自体は減少している。20年の犯罪は17.9%減。特に「窃盗」は21.6%も減っている。外出の機会が減ったことで、犯罪そのものも減ったようである。

3・11の時、暴動や略奪が起こらなかったことが世界から驚かれたように、この国では、どんなに生活が厳しい人が増えても、途端に盗みが増えて治安が悪くなることはなかった。

しかし、このまま放置しておけば、そんな「日本の神話」だって崩れかねないだろう。そうして一度悪くなってしまった治安をもとに戻すには、膨大なコストがかかる。

だからこそ、公助が必要なのだ。今のように「若いから」と追い返されたり時に人格を否定されるのではなく、助けを求めたら「大変でしたね」と手が差し伸べられるような、そんな福祉が必要だと思うのだ。

この一年半、住まいも仕事も所持金も失った人たちの声に、相談会などで耳を傾けてきた。彼ら彼女らの言葉を要約すると、「餓死か自殺かホームレスか刑務所か」という「最悪の四択」になる。この中で、もっとも「公的」っぽいのは刑務所だ。そんな社会は、はっきり言って終わっている。

さて、衆院選公示の前日、厚労省で「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」の記者会見をした。

昨年4月に始まったこの相談会は、10月23日で10回目を迎える。2ヶ月ごとに開催される相談会では私もずっと相談員をしてきた。相談会ではこれまで1万人以上の悲鳴を受けとめてきたのだが、コロナ禍が始まってから時間が経てば経つほど労働相談は減り、生活苦の相談が増えている。同時に増えているのは相談者における無職者の割合だ。

そんな相談会に寄せられる相談を、昨年8月から「貧困研究会」が分析をしているのだが、事態の悪化が如実に表れているのは預貯金額だ。例えば昨年8月に電話してきた人の預貯金額は、平均値で232万円。しかし、直近の今年8月には、平均額が67万円まで下がっていた。中央値は昨年8月で16万円。今年8月で0円。

また、今年8月に電話をくれた中で、預貯金額について回答があった226人のうち、54.9%の124人が預貯金・手持ち金が0円。10万円までが全体の71%を占めている。

この電話相談では国の対策についての評価を聞いているのだが、今年8月、「全く評価しない」が43.3%で過去最高となった。「評価しない」は25.4%。実に7割近くが国の対策を評価していないのだ。

一方、最近目立つのは、緊急小口資金、総合支援資金などの貸付金をすべて借り切ってしまい、どうにもならないという相談だ。例えば以下のようなもの。

「緊急小口も総合支援資金も利用し、合計155万円。年を越せない。餓死か泥棒しかない」(男性)

貸付金を借り切った人には「生活困窮者自立支援金」という制度があるにはあるが、支給額は一人世帯で6万円が最大3ヶ月。はっきり言って焼け石に水だし、支給要件が厳しいことから以下のような声もある。

「緊急小口、総合支援資金で200万円借りたが生活できない。自立支援金は要件満たず。派遣で働いているが、もうすぐ期間3年で終了となる」(女性)

そもそも困窮者に給付ではなく貸付をするという支援策自体、最初から無理があることは多くの人が指摘していたことだ。一方、8月と言えば第5波の真っ只中だったので、コロナに感染した人からの相談もあった。

「コロナに感染した。症状が治れば働いていいと言われているが、家賃が払えない」

「一人親方。コロナにかかって今日で12日目。ホテルに空きがなく自宅療養。酸素飽和度は一時90にまで下がった。昨年一時仕事が半減し、その後復調していたが、コロナに罹患して今は無収入。収入減った際に、特例貸付を枠いっぱい借り、サラ金等から合計200万円の借金がある。毎月の保険料も払えない」

このような事例が報告された記者会見の場で、700件以上の駆けつけ支援をしている「新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸大作さんは、最近の傾向に触れた。

7〜9月にかけて、「住まいがない」「所持金が尽きた」などSOSメールをくれる人の65%が20代と若年化していること。生活保護申請同行に至っては、4割が女性であること。シェアハウスからの追い出しも見られること。また、一年前に支援し、生活保護に繋げた人たちの多くが、今も仕事が見つかっていないこと。正社員になっている人はゼロであること。また、ここに来て生活保護の申請を追い返す「水際作戦」が増えていること。

そうして、厳しい生活の中、やむにやまれず万引きをしてしまい、捕まる人が出ていることについても触れた。

もちろん、罪は償わなければならない。しかし、経済的に追い詰められて万引きすれば「前科者」となり、生活再建はさらに茨の道となってしまう。万引きを考えるくらいなら役所に行って助けを求めればいいと思うが、役所の中には助けを求める手を振り払うところもある。ある意味、刑務所より役所の窓口の方がハードルが高くなってしまっているなら、それはセーフティネットが機能しているとは到底、言えない。

このような限界状態の支援の現場を、どれほどの政治家が知っているだろうか。

さて、そんなコロナ禍で始まった衆院選。

なんとかして、岸田政権に大きな打撃を与えたい。

***

© ハフポスト日本版
(以下引用)

「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」

10月23日(土)10:00〜22:00

(無料・全国いっせい)

TEL: 0120-157930

https://www.atpress.ne.jp/news/272016

住まい、生活保護、労働、借金、学費などについて、弁護士、司法書士、社会福祉士、労働問題の専門家などが無料で相談にお答えします。お気軽にご相談を。

(以上引用)

(2021年10月20日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第572回:衆院選、始まる。「餓死か泥棒しかない」という声を政治はどう受け止めるのか。の巻(雨宮処凛)』より転載)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E8%A1%86%E9%99%A2%E9%81%B8-%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B-%E9%A4%93%E6%AD%BB%E3%81%8B%E6%B3%A5%E6%A3%92%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%A3%B0%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E5%8F%97%E3%81%91%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B/ar-AAPLqMN
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1709.html#c3

[近代史4] 簡単!便利!じゃがいもの皮むき 中川隆
3. 2021年10月21日 12:30:19 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[7]
じゃがいもの皮を簡単にむく方法をやってみた



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1251.html#c3
[近代史5] テレビ・新聞による情報操作と Google・Appl・Facebook・Amazon による検閲・言論統制に歯止めがかからない 中川隆
22. 2021年10月21日 15:23:47 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[8]
トランプ氏、新たなSNS立ち上げへ 「トゥルースソーシャル」
朝日新聞社 2021/10/21

 フェイスブックやツイッターのアカウントを停止されているトランプ前米大統領は20日、新たなソーシャルメディア(SNS)を立ち上げると明らかにした。

 新たなSNSはトランプ氏が会長を務める新会社トランプ・メディア&テクノロジーグループが運営する。同社によると、SNSの名称は「トゥルース(真実)ソーシャル」。招待制のベータ版アプリを11月に立ち上げ、来年の第1四半期には一般の利用開始を予定している。同社は、定額制の動画配信サービスも開始するという。

 トランプ氏は声明で「巨大IT企業の暴政に対して立ち上がるために、新たなSNSを立ち上げる。タリバンがツイッターで存在感を示しているのに、あなた方が大好きな大統領は沈黙を強いられている。これは容認できないことだ」と訴えた。

 トランプ氏のフェイスブックやツイッターのアカウントは、1月の米議会襲撃事件後、さらなる暴力を扇動する恐れがあるとして運営する各社によって停止された。トランプ氏はこれを不服として、ツイッター社などを相手取って複数の訴訟を起こしている。

 トランプ氏は5月、自らのコメントを投稿するページを自身のサイト内に開設したが、1カ月足らずで閉鎖していた。(ワシントン=大島隆)

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E6%B0%8F-%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AAsns%E7%AB%8B%E3%81%A1%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%81%B8-%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/ar-AAPLVuC
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/513.html#c22

[リバイバル3] 富士山登山を「ニコ生」中継中に滑落か 救助隊が捜索 中川隆
73. 中川隆[-15916] koaQ7Jey 2021年10月21日 17:38:32 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[9]
富士山滑落事故 バラバラ遺体で発見 完全ノーカット版
2021/07/02



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1012.html#c73
[番外地10] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる 中川隆
1. 中川隆[-15915] koaQ7Jey 2021年10月21日 19:02:46 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[10]
ジニ係数は0から1までの数字で表され、以下のように定義されている。
完全に所得分配ができている(格差がない)状態→0
1つの世帯がすべての所得を独占している(最大の格差が生じている)状態→1

近年、日本において所得格差の拡大が問題視されている。1999年は0.472であった当初所得のジニ係数は、2017年には0.5594にまで上昇。格差は着実に拡大中だ。
2016年のデータによると、日本のジニ係数0.339に対し、先進国の平均は0.297、新興国の平均は0.462であった。日本の所得格差は、「ほとんどの先進国よりも大きい」というのが現状である。

▲△▽▼

資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/104.html#c1

[番外地10] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる 中川隆
2. 中川隆[-15914] koaQ7Jey 2021年10月21日 19:11:49 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[11]
ジニ係数は0から1までの数字で表され、以下のように定義されている。
完全に所得分配ができている(格差がない)状態→0
1つの世帯がすべての所得を独占している(最大の格差が生じている)状態→1

近年、日本において所得格差の拡大が問題視されている。1999年は0.472であった当初所得のジニ係数は、2017年には0.5594にまで上昇。格差は着実に拡大中だ。

ジニ係数の一般的な目安は「0.5」と言われており、この数値を超えると所得格差がかなり大きい状態となる。
日本のジニ係数は右肩上がりの状態にある。特に当初所得の格差は急速に広がっており、2005年にはついに基準となる0.5を超えてしまった。

ジニ係数の2つの種類
ジニ係数には「当初所得ジニ係数」と「再分配所得ジニ係数」の2つが存在する。
当初所得ジニ係数とは、純粋に前年の所得を対象に計算して求められた数値である。一方で再分配所得ジニ係数とは、社会保障料および税金の控除をおこない、年金や医療、介護などの社会保障給付をくわえた所得から求められる数値を示している。

2016年のデータによると、日本の再分配所得ジニ係数0.339に対し、先進国の平均は0.297、新興国の平均は0.462であった。日本の所得格差は、「ほとんどの先進国よりも大きい」というのが現状である。

▲△▽▼

資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/104.html#c2

[番外地9] GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する 中川隆
3. 中川隆[-15912] koaQ7Jey 2021年10月21日 20:38:37 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[13]
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
需給で大事なのは生活必需品の需給だけ、不要品や高級品まで入れたすべての商品の需給に意味は無い
労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えない
労働生産性というのは賃金額の事だよ、地方の生産性が低いというのは地方の賃金が安いというだけの事だ。
GDPというのは企業や金持ちの所得の事だ、労働者の所得とはあまり関係しない。
やっても やらなくてもいい仕事ばかりの需要・供給は生活必需品の需要・供給とはあまり関係しない。
消費者物価指数というのは高級酒や高級車や贅沢品の価格を反映する物価で、生活必需品の価格とはあまり関係しない。

従って、労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えないのです。

金利が上がらないのは日本だけでなく世界中で起きている現象で、階級社会が完成して内需が壊滅したのが原因です。
奥の院は今 資本主義をグレートリセットして地球人口を3億人まで減らそうとしています。

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。

理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです。

今は世界中が階級社会になってしまって内需が壊滅したので資本主義の時代はもう終わったと言われています。
銀行から金を借りて新規事業をやっても儲からないですからね。
それで資本主義のグレートリセットをやらないといけないという結論になったのです。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

GDPが増えても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。

当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。


日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=20L9UD0qtwc

中国の元高為替操作によるコストプッシュ インフレが始まった
日本にも悪性の物価上昇が迫っている!
https://www.youtube.com/watch?v=ZhTgq_eGaI4

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/869.html#c3

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > bXYvdHNvRFNWMkk= > 100000  g検索 bXYvdHNvRFNWMkk=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。