43. 新共産主義クラブ[-10393] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年6月16日 05:42:59 : GBMvsdFdKY :TOR cWZYQTAvampCd0U=[1]
>「オレは物事を深く考えるのが苦手なんでね」
いや、戦争がおこなわれているのを知ったら、「誰が興業主で、脚本の意図は何か」、解答者を引っ掛ける難問のクイズが出題されたと思って、自分でよく考えてください。
競馬や競艇やスポーツの観戦ではないので、間違っても、どちらかの当事者を全力で応援するのは、絶対にやめてください。命を擦り減らします。
「T80BVM」さんのお爺さんの世代の人達は、「イラン・コントラ事件」というのを記憶しているはずです。
イスラム革命後、イラクと戦っていたイランが、不倶戴天の敵だと思われていた、イスラエルや米国と、裏で手を握り合っていたことを知り、「T80BVM」さんのお爺さんの世代の人達は、皆一斉に腰を抜かしました。
◆ イラン・コントラ事件
イラン・コントラ事件(イラン・コントラじけん、Iran-Contra Affair)は、アメリカ合衆国のロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団に捕らえられているアメリカ人の解放を目的としてイランと裏取引をした上に、アメリカ国家安全保障会議から同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。1986年に発覚するや、アメリカ国内のみならず世界を巻き込む政治的スキャンダルに発展した。イランゲート(Irangate)といわれた。
《イスラエルの活動イランへの支援》
この頃のイスラエルは、アメリカによる極秘裏の支援が開始される以前からイランを支援し、武器を密輸出していた。イラン革命の直後にイラクに攻撃されたイランは、国際的には敗北必至と判断され、実際に戦死者はイラクをはるかに上回っていた。
革命後のイランは「反イスラエル・反シオニズム」が国是であったが、戦争敗北の恐れから、イスラエルからの武器援助を快諾した。戦争時、イランの武器輸入総額は半分がイスラエルからのものであった。そのイスラエルが販売する武器は、友好国であるアメリカや西欧諸国の軍が使用する数多の最新兵器であった。
アメリカ政府はこれに目をつけ、人質解放のために、身代金としてアメリカの武器をイランへ輸出するように要請した。これは、イランとの武器貿易を公式にしたいイスラエルにとって望むところであり、アメリカはイスラエルによるイランへの武器輸出を承認し、密貿易は公式な間接貿易となった。これによって人質の一部が解放されたが、その頃からイスラエルはアメリカの代理人としてイランへ武器を輸出することを渋るようになった。そのため、アメリカ政府は直接、イランに対して武器を密輸出するようになったが、これが発覚してスキャンダルになってしまった。