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http://www.asyura2.com/acat/e/en/enl/enlWZ0RYUlBZZmM=/100000.html
[政治・選挙・NHK263] 参院選 124議席「当落」完全予測 ほくそ笑む安倍政権 安定過半数確保 1人区は「自民26勝6敗」(サンデー毎日) 赤かぶ
25. 2019年7月11日 14:07:59 : Dowt54F3FI : enlWZ0RYUlBZZmM=[1]

安倍自民党が圧勝するとデマをがなり立てる似非評論家には、数多く提訴され、
門前払いされ、メディアが黙殺を続ける不正選挙裁判について解説していただきましょう。

そして、お食事会の時にもらう足代の金額と、盆暮れに届けられる賄賂の金額と
それを含めて確定申告で税金を払っているか否かも問いただして下さい。

その後で、公文書の改竄が得意な安倍自民党が開票結果を改竄していないか否か、
どうしてこの選挙で圧勝できるのか、そのあたりを聞かせてもらいましょう。
まずは、田崎スシローからお願いしますです。次は、島田寿司だね!



http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/102.html#c25

[政治・選挙・NHK263] これが、新聞・テレビが死んでも「書けない」記事!  赤かぶ
39. 2019年7月23日 18:10:23 : Dowt54F3FI : enlWZ0RYUlBZZmM=[2]
>>30 その通りだと思う。
>>31 不正がないことを証明してみな。

森友問題でも100万円をもらったとの籠池発言に竹下亘が「総理を侮辱した」とか、訳の分からない理由で証人喚問を実施し、即座に谷サエコをイタリアへ赴任させた。そしてアキエ夫人や迫田らの証人喚問をどこまでも拒否し「妻に聞いたら渡していないと言った」と馬鹿の安倍が言う始末だ。おまけに100万円を持って返却しようとした籠池氏ばかりか籠池夫人まで裁判もなしに300日も投獄するという不法と権力私物化の安倍政権だ。そもそもが現行憲法を否定する安倍自民党・日本会議・カルト集団なのだ。

おまけに総裁選で「正直と公正」を掲げた石破茂に対し、「それは個人攻撃だ」と狂気の攻撃をする集団だ。あらゆる不正・隠蔽・改竄をやっておきながら、基幹統計を改竄する総務省が選挙結果だけは絶対に、何があっても改竄しないという保証はどこにもない。そして不正がないことを証明するには、裁判で再開票を命じ、公開の場で再開票・検票を実施する以外にないのだ。それを安倍政権と裁判所は拒否し、メディアも裁判の黙殺を続けている。そして選挙でも開票作業の詳細は決して報道されない状態が続いている。

〇何度選挙を繰り返しても悪政が終わらないとき、選挙そのものを疑う必要がある。
〇自動票数計算機を信じる人がいたら、脳みそを検査してもらう必要がある。(マイケル・ルッパート)
〇新自由主義は、あらゆる障害物を排除する。その1つが民意であり、真に公正な選挙である。

安倍の言う「100万円は渡していない」と同じく「選挙で不正は行われていない」は明らかに嘘である。そもそも公の場で期日前票の不正を告発している人がいるんだから、全面否定は空論に過ぎない。そして選挙での不正を証明する義務は有権者にはなく、公正であることを証明する義務を負うのは行政であり、それを命じるのが裁判所の役割だ。それくらいの常識は、前もって持ち合わせていただきたいものだ。
______________________________________________

>【拡散!】仙波敏郎氏が阿久根市の期日前投票で不正があったと講演会で爆弾発言!
http://etc8.blog.fc2.com/blog-entry-894.html

>ファシズムの初期兆候 http://www.jicl.jp/urabe/zakki/20170919.html
https://blog.goo.ne.jp/hitoshi1940/e/bb21e1b6078abc083bf2505393b3c037
1. 強力かつ継続的なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
2. 人権の蔑視(Disdain for Human Rights)
__ 中略 ___
12. 刑罰強化への執着(Obsession with Crime and Punishment)
13. 身びいきや汚職の蔓延(Rampant Cronyism and Corruption)
14. 不正な選挙(Fraudulent Elections)
______________________________________________

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/539.html#c39

[戦争b22] 飢餓、自殺強要、私的制裁−−戦闘どころではなかった旧日本軍(日経ビジネス) 肝話窮題
2. 2019年8月18日 17:03:57 : Dowt54F3FI : enlWZ0RYUlBZZmM=[3]

以下、参考までに_____

>太平洋戦争戦跡地 戦没者の60%強140万人は餓死であった
2013年9月 Minade Mamoru Nowar
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html

出典:藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行
第3頁・第4頁

はじめに−戦没者の過半数は餓死だった

第2次世界大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)において、
日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。

敗戦直後の1945年9月、東久邇内閣が発表した陸海軍人の戦没者数は50万7,000人に
すぎなかったが、調査がすすむとともにその数が増えつづけ、
1977年に厚生省が明らかにした数字では、「軍人・軍属・准軍属」の戦没者230万人、
外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。

なお調査や遺骨収集はつづいており、正確な数は依然として明らかにされていないが、
現在では、日本軍人の戦没者230万人というのが、政府が明らかにしている概数である。

この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、
いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。

「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、
飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。

栄養学者によれば、飢餓には、食物をまったく摂取しないで起こる完全飢餓と、
栄養の不足または失調による不完全飢餓があるとされている。

この戦争における日本軍の戦闘状況の特徴は、補給の途絶、現地で採取できる食物の
不足から、膨大な不完全飢餓を発生させたことである。そして完全飢餓によって起こる
餓死だけでなく、不完全飢餓による栄養失調のために体力を消耗して病気にたいする
抵抗力をなくし、マラリア、アメーバ赤痢、デング熱その他による多数の病死者を出した。

この栄養失調に基づく病死者も、広い意味で餓死といえる。
そしてこの戦病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。

戦死よりも戦病死の方が多い。

それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、
この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。

悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と
特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。

大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。
そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である。

出典:藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行
第5頁〜第9頁
目次

第1章 餓死の実態

1.ガダルカナル島の戦い
@無謀な陸軍投入
A餓島の実情
Bガダルカナル戦が示したもの
Cガダルカナル以後のソロモン群島
D孤立したラバウル

2.ポートモレスビー攻略戦
@無謀な陸路進攻計画
Aスタンレー山系越えの苦闘
B退却戦とブナ、ギルワの終末

3.ニューギニアの第18軍
@現地を知らない大本営
A死の転進行軍
Bアイタベ作戦
C極限状況下の第18軍

4.インパール作戦
@20世紀の鵯越え(ひよどりごえ)作戦
A惨憺たる敗北と退却
Bシッタン河谷の後退
Cビルマ戦線の死没者の割合

5.孤島の置きざり部隊
@戦理に反した守備隊配備
Aとり残された守備隊
Bメレヨン島の惨劇
Cウェーク島の飢餓地獄

6.フィリピン戦での大量餓死
@揺れ動く決戦構想
A餓死への道程
Bフィリピン戦の特徴
C住民への加害行為

7.中国戦線の栄養失調症
@世紀の大遠征
A架空の兵姑線
B補充員の苦難
C中国戦線での死因

8.戦没軍人の死因
@戦没者の総数
A餓死者の割合

第2章 何が大量餓死をもたらしたのか

1.補給無視の作戦計画
@作戦が他のすべてに優先する
A情報の軽視

2.兵站軽視の作戦指導
@対米英開戦と兵站
A兵要地誌の調査不足と現地自活主義の破綻
B後方を担った馬の犠牲

3.作戦参謀の独善横暴
@幕僚が戦争も作戦も決めた
A作戦屋の強硬論
B人間性を欠いた作戦

第3章 日本軍隊の特質

1.精神主義への過信
@日露戦後の軍事思想
A白兵主義の欠陥

2.兵士の人権
@軍紀と服従
A無視された人権
B生命の濫費で勝利を購う

3.兵站部門の軽視
@差別されていた輻重兵科
A経理部への差別
B軍医部の地位向上策

4.幹部教育の偏向
@精神重視の教育と幼年学校
A幼年学校出身者の要職独占とその弊害

5.降伏の禁止と玉砕の強制
@日本軍の捕虜政策とその転換
A戦陣訓と捕虜禁止
B命令された「玉砕」

________________

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/781.html#c2

[戦争b22] 飢餓、自殺強要、私的制裁−−戦闘どころではなかった旧日本軍(日経ビジネス) 肝話窮題
3. 2019年8月18日 17:24:08 : Dowt54F3FI : enlWZ0RYUlBZZmM=[4]

つづき_______________

第1章 餓死の実態
8.戦没軍人の死因

@戦没者の総数
第2次大戦(日中戦争を含めてアジア太平洋戦争)における日本軍の戦没者の総数、その中での戦死、戦病死などの割合は、戦争が日本の敗北に終わったこともあって、正確に数えることはきわめて難しい。多くの戦場が玉砕(全員死亡)に終わるか敗退してしまったので、記録がほとんど失われている。さらに降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に関連書類の大量焼却が指令された。

このため陸海軍の各部隊どころか、市町村役場の兵事関係書類まで焼いてしまったところも多い。軍事と戦争に関する史料が、根こそぎ破棄されてしまったのである。このため戦没者の数にしても、数字に大差がある状況で、戦後日が経つにしたがって、調査がすすみ、その数が増えていくという状況にある。

調査不十分の結果もあり、敗戦直後の1945年9月の第88臨時議会に東久邇内閣が報告した数字は、太平洋戦争の戦没者陸海軍人50万7000人、一般国民の死者24万1,000人、合計74万8,000人という少ないものであった。

その後調査がすすむにつれて数は増えつづけている。77年に厚生省援護局があげた数字では、37年7月いらいの、日本の戦没者は、軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人、合わせて約310万人となっている。

この軍人軍属の戦没者230万人という数字は、それより13年前の64年に、厚生省援護局が公表した地域別陸海軍人戦没者数の合計212万1,000人よりは約18万人多いが、それはその後の調査の増加分を含んでいるからであろう。

この地域別陸海軍人戦没者数を次に掲げる。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/1123Senshishasu.jpg


この数字は、地域別ではこれより新しい公式数字はないが、1977年の数字より約18万人少ないだけでなく、地域によっては現在判明している数よりも過少である。

日本人全体の戦没者総数についても同様である。政府はそれ以後、ずっと戦争の犠牲者310万人という数を使いつづけているが、原爆による犠牲者だけについてみても、毎年、その数は増えつづけているのだから、この数ももっと多く修正されるべきであろう。調査をいっそう重ねて、正確な数に近づく努力が必要である。

この日本人の死者数310万人、そのうち軍人軍属の戦没者230万人という数字は、その後、日本政府が、毎年8月15日の戦没者慰霊祭などの場合に、公式にいいつづけている数字である。

この戦没者数には、朝鮮、台湾などの植民地出身者約5万人が含まれているので、正確にいえば日本人の死者総数ではない。また実際には、この数字は過少だという批判がある。

また、日本人の死者数だけをとり上げるのも公平ではない。日本の侵略の対象となったアジア諸国の膨大な戦争被害に目を向けなければならないだろう。

ただしアジア諸国民の死者数については、日本人の場合以上に正確な資料に乏しく、集計も困難である。
何の数字も発表されていない国もあるという状況の中で、最大の被害国である中国では、抗日戦争期の軍人の死者380万人以上、民間人の死者1,800万人以上、計2180万人以上という政府見解がある。

フィリピンでは、死者111万1,938人という数字を政府が公表している。そのほかに、フランス領インドシナの餓死者200万人、インドネシアの被害者100万人、シンガポールの華僑(現地で帰化した中国人)虐殺の被害者5万人という数字もある。

したがって、総計では約3,000万人の犠牲者が出ているであろうと推定される。
つまり戦争犠牲者の総数は不明確であり、さらに今後の調査が必要だということである。

A餓死者の割合
軍人の戦没者230万人のうち、戦死、病死などの死因別はどうなっているかについては、公式の統計はまったくない。陸上自衛隊衛生学校が編纂した『大東亜戦争陸軍衛生史』は、公刊の衛生史に当たるといえるものだが、その中では次のようにいっている。

今次大東亜戦争においては、敗戦により、特に統計資料はいっさい焼却又は破棄せられ、まとまったものは皆無の状況である。従って、全戦争期間を通じ、戦傷戦病はどの位あったかということは、全く推定するよしもないのである。

「推定するよしもない」としているこの衛生史は、戦死と戦病死の割合については、ごく初期の対南方進攻作戦のものをあげるだけで、その後の状況については沈黙している。

とくに、後半期の南方の餓死者続出の惨状や、中国における戦争栄養失調症の多発などについては、まったく触れるところがないのである。これは、病死が多数発生するのは軍医として恥だという感覚からかも知れない。しかし戦争の衛生史としては、もっとも重大な問題を欠落させているというほかはない。

くりかえしていうが、日本軍人の戦没者230万人の内訳は、戦死よりもはるかに病死が多いのである。これは衛生、給養上の大問題であり、戦争衛生史ならば第一にとり上げて、その原因を分析すべき事態なのである。

それでは、一体、餓死者の割合はどの位だったのだろうか。今までみてみた各戦場別に、その割合を推定してみよう。そのさいの、各地域別の基礎数字は、厚生省援護局の1964年作成のものを使うことにする。実数はこれよりはいくらかずつ多いはずである。

@「第1章1 ガダルカナル島の戦い」でとり上げたのは、ソロモン群島のガダルカナル島とブーゲンビル島、それとビスマルク諸島の主島ニューブリテン島のラバウルの諸部隊である。厚生省の統計ではソロモン群島の戦没者8万8,200人、ビスマルク諸島は3万500人、計11万8,700人となっている。

ガダルカナル島の場合、方面軍司令官は、戦没者2万人、戦死5,000人、餓死1万5,000人と述べている。ブーゲンビル島では、タロキナ戦以後の戦没者約2万人は、ほとんど餓死であったと推察される。そのほかのニュージョージア、レンドバ、コロンバンガラなどの中部ソロモンの諸島の場合も、ほぼ同じような比率であったろう。

したがって、ソロモン群島の戦没者の4分の3に当たる6万6,000人が餓死したと考えられる。ラバウルの場合、ほとんど戦死はなく、栄養失調と薬品不足のためのマラリアによる病死であるから、ビスマルク諸島の3万500人の戦没者の9割、2万7,500人は広義の餓死に数えてよかろう。したがって、この方面の餓死者は9万3,500人を下らない数に上るであろう。

A「2ポートモレスビー攻略戦」と「3ニューギニアの第18軍」でとり上げたのは、いずれも東部ニューギニアの戦場である。厚生省の調査では東部ニューギニアの戦没者は12万7,600人となっている。

各部隊の報告や回想では、いずれも戦没者の9割以上が餓死だったとしている。仮に9割として計算すると、実に11万4,840人が餓死したことになる。この多くの若い生命が、密林の中で万斛(ばんこく)の涙をのんで倒れていったのである。

B「4インパール作戦」のインパールはインド領だが、作戦を担当したのはビルマ方面軍であり、ビルマ戦の一部といえる。厚生省の調査では、ビルマ(含インド)の戦没者は16万4,500人となっている。

これは4節であげた陸軍のみの戦没者18万5,149人と異なっており、航空部隊、海軍を加えれば、さらに数が増えるはずである。そこで述べたように、この78%、14万5,000人か、それ以上が病死者、すなわち餓死者であったと推定される。

C「5孤島の置きざり部隊」では中部太平洋の島々とり上げている。厚生省調査では、中部太平洋の戦没者24万7,200人となっているが、この中には、上陸した米軍と戦って玉砕したマキン、タラワ、クェゼリン、ルオット、ブラウン、サイパン、グアム、テニアン、ペリリュー、アンガウルなどの諸島が含まれている。玉砕した島以外の各島は、米軍にとって不必要なために無視され、戦線の背後に取り残された。

その中では、比較的島の面積が広く、ある程度の農耕地もあり、現地自活が可能だったポナペ、モートロック、ロタ、トラック、玉砕した2島以外のパラオ地区、ヤップ地区の島の守備隊は、とにかくにも敗戦時まで生き延びることができた。しかし、いっさいの補給が絶たれ、自給の手段もなく、餓死を待つばかりとなった島も多い。

45年4月14日の海軍軍令部調によると、この時点で餓死を待つばかりだった島は、ウォッゼ、マロエラップ、ミレ、ヤルート、ナウル、オーシャン、クサイ、エンダービ、バカン、メレヨン、ウエーク、南鳥島で、なお3万6470人が生き残っていた。その人々は、地獄の苦しみを味わった後に、6〜7割が最後を遂げることになるのである。

全体として、この地域の戦死、病死の割合は半々とみてよいだろう。
すなわち、12万3,500人が病死、餓死していたといえる。

D戦場別でみれば、もつとも多い50万人の戦没者を出したのがフィリピンである。「6フィリピン戦での大量餓死」でも述べたように、その8割までが餓死だったとみてよいだろう。

決戦場とされたレイテ島で戦った部隊でさえ、各隊の報告によれば、その半数は餓死だったのだから、そのほかの、ルソンやミンダナオで持久戦を戦った大部分の部隊は、住民がすべて敵の中で、飢えとの戦いを強いられた。50万人の中の、40万人が餓死者だったとみることができよう。

E中国本土。厚生省の分類で中国本土とされているのは、日中戦争開始いらいの中国戦線での戦没者で、フィリピンに次ぐ大人数の45万5,700人となっている。37年の上海の戦いや、38年の漢口攻略戦などでは相当数の戦死者を出したが、全体としてみれば、戦線の広がりの割には戦死はそれほど多くはない。

「7 中国戦線の栄養失調症」で述べたように、栄養失調に起因する、マラリア、赤痢、脚気などによる病死が、死因の3〜4割を占めていた。

そして、もっとも多くの死者を出した44年からの大陸打通作戦では、過半数が病死となっている。全体としては、戦死と病死の比率は、ほぼ半々と考えられる。すなわち、中国戦場では22万7,800人が、栄養失調を原因とする病死であろう。

Fその他の地域の中で、沖縄の8万9,400人と小笠原諸島(硫黄島を含む)の1万5,700人は、玉砕したので、ほとんどが戦死である。

次に、ソ連、旧満州、樺太千島は、降伏前後のソ連軍との交戦で大きな損害を出しているので、その死因の多くは戦死で、病死はとくに降伏後に多く、2割の計2万1,000人と見積もることにする。

さらに、モルッカ・小スンダ(含西ニューギニア)とされている地域も、ビアク島をはじめ玉砕した島が含まれている。戦闘によるのではなく補給の欠乏で戦力を失った部隊も多い。この地域の病死者は全体の5割、2万8,700人と推定する。

それ以外の、日本本土、朝鮮、台湾、南方では仏領インドシナ、タイ、マレー・シンガポール、ボルネオ・スマトラ、ジャワ・セレベスの諸地域でも、合計で23万3,500人の戦没者を出している。これらの地域でも、戦争末期には栄養失調が広がっており、とくに、降伏して捕虜になってから給養不足に陥った地域もあった。

この戦没者はほとんどが病死であるが、その半分は栄養失調に基づくものと推定してよいだろう。すなわち、11万6,700人が、広い意味での餓死である。

今までに、各地域別に推計した、病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で127万6240人に達し、全体の戦没者212万1,000人の60%強という割合になる。

これを77年以降の戦没軍人軍属212人万という総数にたいして換算すると、そのうちの140万人前後が、戦病死者、すなわち、そのほとんどが餓死者ということになる。

中部太平洋諸島における太平洋戦争中の日本軍軍人・軍属の戦没者は約25万人といわれる。

ソロモン諸島国・ガダルカナル島ホニアラ(NASA衛星画像)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0316Guadal2.jpg

ソロモン諸島及びビスマ−ク諸島における太平洋戦争中の日本軍軍人・軍属の戦没者は約12万人といわれる。

2008年4月11日、NHK衛星第2放送から『兵士たちの証言 ガダルカナル繰り返された白兵突撃』が放送された。日本陸軍が最も得意としたといわれる【白兵突撃による夜襲】の悲惨な状景と、その後のジャングルにおける悲惨な餓死の状景が、生き残った兵士たちの証言と共に放送された。

射撃なしで、相手を銃剣で刺し殺す、白兵突撃戦法のあまりにもの愚かさ、戦うための食糧すら準備せず、「敵の食糧を奪って食え」という方針のあまりにもの無謀さは、日本陸軍の最高指導者たちと、高級参謀たちの【無謀と愚かさ】を端的に示すものである。かれらの【無謀と愚かさ】の犠牲となってガダルカナル島で戦死した約5,000人、餓死した約1万5,000人の犠牲者たちに深い哀悼の意を表したい。・・・・・・・・

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http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/781.html#c3

   

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