30. 銀の荼毘[1856] i@KCzOS2lPk 2025年8月28日 13:29:50 : 2atwjjVbf6 : MTREOGxHcHVkajY=[1]
日高見連邦共和国時代から🟰楽老の手口は,
「チャーチル白書を論駁」とか,
実際→その瑕疵を挙げることすらできていないのに,
恰も→チャーチル白書に→バルフォア宣言として→ユダヤ人国家をイギリスが建国するとか←それを証明したかのように語る口調こそ,
常日頃より→詐欺を生業としていることを窺わせるものと言えよう。
チャーチル白書が,
※バルフォア宣言に記載された→ユダヤ人ナショナルホームとは🟰独立国家を意味しないよ,
※ナショナルホームとは🟰オスマン帝国時代に←→ユダヤ人が自治政府としていた(イシューブ)のような組織の設置を認め,
※そこに,ヨーロッパで迫害されているユダヤ人が→移住できるよう→この受け入れを助けるものだよ。
↑このように発布された事実について,
火病楽老の(自称反駁)は🟰何も否定できていないからである。
この→一方的にユダヤ人に不利で→ヒジャーズ(アラブ人というのは嘘・債権者はヒジャーズ王国ハシム家)に有利と思われるチャーチル白書の受け入れについて,
不利なはずの国際シオニスト会議
受け入れます。このように対応。
有利なはずのヒジャーズ・ハシム家・ファイサル1世
拒否←このように対応している。
理由は,
1922チャーチル白書の発行の直後より,
サウジアラビアの→ヒジャーズ侵攻軍事行動は始まっていて,
翌年には→イスラム教最高位の(聖地メッカ)は🟰サウジアラビアに占領されてしまうだけでなく,
イギリスは→1923→サウード家と(ジッダ条約)を締結して🟰旧ヒジャーズ領のサウジ自国領化を→完全に認めてしまったからである。
聖地を失ったヒジャーズ側は,
それでも→イギリスとは喧嘩別れせず,
↑※自国領内に※自国管財として←認められないと🟰オスマン帝国時代の方が🟰ヒジャーズとして優位であった←→イギリスに味方せず,オスマンに味方した方が良かったという現実に晒され,(メッカに代わるイスラムの聖地),これを要求した。
↑これが,第一次中東戦争,このとき🟰アブドゥラ1世が語った↓
↑「エルサレムをヒジャーズ領に」と→代替え提案要求を🟰イスラエルに認めさせようとしたという🟰中東戦争の開始理由なのだ。
悪辣マスコミ白痴パヨクは🟰エルサレムが,ユダヤ/イスラム両方の聖地だから云々,
↑嘘である!
【イスラム教の聖地は🟰メッカ・カアバ聖殿】他には無い,
1923,ヒジャーズに侵攻したサウジアラビアに奪い取られた。
↑これが🟰普遍な真実。
フサインマクマホン密約
2. 英国としては聖地(メッカのこと)へのすべての外部による攻撃性に対し,
侵略者の不可侵を確約します。
3. 万が一侵略が起こった時,
英国はアラブ族に陛下のアドバイスを与え,
彼ら(侵略者たる第三者・この時想定される唯一の侵略者とはサウジアラビア)にとって,
いかなる境界線が,
それらのいろいろな国境線として,
最も合法的な見極めとなるかについて,
あなたがそれを立証することを助けます。
↑
ファイサル1世は🟰チャーチル白書の受け入れを拒絶した。
これが,その理由なのだ。
パレスチナは🟰関係無い。