94. 新共産主義クラブ[-10214] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2025年7月29日 20:54:18 : iaa58lYb16 :TOR REZCbjQ1RU9henM=[1]
>>86 は、誰でも中学校や高等学校の歴史の授業で学習するような程度の事柄を、さも物知り顔で書いてしまった気がするため、「何を言っているのか理解できない」と言われると、かえって戸惑ってしまいます。
>>86 での「奴隷」という言葉は、必ずしも身体的に拘束されていたり、人身売買されていたり、私的に所有されている人間を意味するだけでなく、自分の意思で自由に農耕地から離れることができない農業労働者の意味で用いました。
産業革命以前の近代までの戦争においても、農耕地とそこで働く農業労働者とをセットで獲得して支配地域を拡げることは、戦争の主な目的だったと思います。
古代においても、奴隷として使うための戦争捕虜を獲得することだけを目的とした戦争は少なかったようです。
産業革命以降の戦争においては、地下資源の獲得が、戦争の主な目的に加わるようになりました。
上の記述で、理解できない部分や、間違っていると思われた部分がありましたら、質問してください。
◆ 中国の奴隷制
《殷から春秋時代》
殷から春秋時代殷王朝は、戦争奴隷を労働力・軍事力の基盤として、また葬礼や祭祀における犠牲として、非常に盛んに利用していた。商(殷)までは奴隷制社会であったことは定説となっているが、いつまでが奴隷制時代であったかは諸説あり、奴隷制から封建制に変革されたとされる周の易姓革命、ないしは、殷程ではないにせよ実質的には奴隷が生産力の主力となっていた春秋時代までが奴隷制時代と考えられる範疇として議論されている。いずれにせよ、中原とは文化の異なる民族(蛮夷戎狄)との戦争で捕虜とした奴隷が過酷な労役に就かされたと考えられている。
《前漢》
漢の高祖劉邦の最初の行動の一つは、戦国時代に奴隷となった農業労働者を解放することだった。だが家内奴隷の地位はそのままだった。しかし、奴隷の人口は増え続け、およそ人口の60%が奴隷になって、貴族の領地に住んでいる平民も家内奴隷と同じ扱いだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6
◆ 古代ギリシアの奴隷制
奴隷は主として農業労働で使われたが、また石切場や鉱山でも使われ、家庭内の使用人・召使いとしても使われた。
ホメーロス、ヘーシオドス、またメガラのテオグニスにおいては、奴隷はドゥモース(δμώς)と呼ばれていた。この用語は、一般的な意味を持っているが、しかしとりわけ戦利品として獲得された戦争の捕虜を指している。(換言すれば、財産としての奴隷である)。
◆ 古代ローマの奴隷制
《農場の奴隷》
ローマが覇権大国になると、大土地所有による奴隷制農場が盛んになり、ラティフンディウムの成立を見る。新たにローマの支配下となった国の多くの農地が国家所有となり、それを奴隷を多数所有するローマの貴族や富裕者が借り上げ、使い捨ての奴隷の過酷な労働により、多大な収益をあげたのである。
《奴隷の購入》
奴隷は戦争捕虜や奴隷が産んだ子供が主であったが、中にはローマ市民を含む自由人が経済的理由で自らを売って奴隷になったり、同様の理由で売られた子供が奴隷となることもあった。