27. 2022年1月16日 15:14:50 : 3uLVfFaTMc : V2MybE92enFhTGM=[1]
自公維新に国民立憲に統一幸福みな同じだろうで自分だけ今だけ金だけ単細胞動物の集まりだけなのか。
NWOが壱番屋の新自由主義経済でやりたい放題のイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、バチカン、欧州王侯貴族も根っこは同じで本意は道に落ちている石ころまでも全部俺のものなんだろう。
おのれ生意気な下郎め我が命に背くのか、、、いてまえ、、、というような感じでしか無いな。
極最近まで中国やロシアは徹底的に自国民を殺されて経済社会も破壊されたから今のところは建前で生きているのかも、、、?。
リビア、イエメン、ウクライナ、シリア、イラク、イラン、アフガン、ベネズエラ、キューバなどには露骨なかつ単純な作り出された自由と民主主義を守るという不思議な戦闘状態の真っ最中で悪党にされて一方的にやられている状態なんだろう。
実は武士階層内部がさらに3階層に別れ、武士階層間で激しい差別構造があった。
美意識を理由としては武士階層を弁護できない。
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/387.html
投稿者 4958 日時 2003 年 11 月 05 日 02:46:12:qN5rUjyhBZCOk
このような形で論文は結ばれている。
日本風俗図会集から大名行列の絵が引かれているが、たしかにcクラスは裸足だ。
時代劇を見ることがあったら、cクラスである足軽の足を見て欲しい。
もし、わらじなどを履いていたとすると、時代考証がまちがっていることになる。
足軽以下は裸足だったのだ。
注目すべき指摘のひとつは日本の近代革命の本質が、支配者層内の対立が主力となっていたという点。
また、現代の組織文化は江戸の藩組織文化の延長線にあるのでは、との指摘だろう。
つまり藩という官僚組織のシステムが、今日のあらゆる組織の母系(matrix)になっているという点だ。
士農工商というクラス構造の中でさらに武士階層が厳しい3クラスに分かれていた。
もちろんトップに天皇がいた。
事ほど左様に、日本のヒエラルキー構造は厳しく構築されていた。
武士が武士以外の階層の人間を問答無用で殺傷できるだけでなく、武士が武士を問答無用で切り殺すことが法令上許されていた。
なんと、非人間的な社会原理なのだろうか。
わたしは、戦後に生まれ育ったことのありがたさを死ぬほど思う。
切り殺される恐怖から逃れているからだ。
権力の発生は武力を持つものと持たないものというクラスを誕生させ、人間と人間の間には真の意味での信頼や協力の関係は発生しない。
信頼や協力の原理が存在しない社会は、心底寒々しい。
実際、武力の脅威に晒されて生活するのは到底耐えられない。
阿修羅で天皇制や武士といった支配層を、美学がある、またはノブレス・オブレージなどといって美化する人たちには強い疑問を感じる。
たとえば、ノブレスなんとやらは、あくまで、権力ヒエラルキーを容認する立場のものの見方である。
もし仮にこうした権力ヒエラルキーないし特権階層を病理と見定めているなら,このノブレスなんちゃらの概念それ自体を否定する必要があるだろう。
これは一つのセットの考え方なのだ。
ノブレスの考え方など持ち込むから、特権階層を思い上がらせ、ひずんだ美意識をよりもたせるようになるのである。
また、人に一方的に他人に土下座を強要したり、外を歩くのに裸足を強制したり、問答無用で切捨て御免などという人間として倣岸不遜・夜郎自大の態度に生きる人間に美学を感じるという人は根本から精神が腐敗しているとしかいいようがない。
それがいかに根腐れした考えか自覚ができないなら、人間をやめることをおすすめする。餓鬼なのだ。
そしてこの倣岸不遜さ・夜郎自大さで、アジア進出を図ったものである。
アジアを襲った日本の軍人は「武士」ぶった餓鬼である。
アジア・アフリカを襲い苦しめた白人の餓鬼ぶり・傲岸不遜ぶりと、同質のものであり、何の違いもない。
またトップが無責任化し、意思決定機構が空洞化する傾向をもつことは、官僚制において不可避の病理であることを改めて、確認させられる。
http://www.asyura2.com/22/senkyo285/msg/194.html#c27