15. 銀の荼毘[1849] i@KCzOS2lPk 2025年8月26日 20:12:47 : 4svTLDJOPQ : Y3VvWGlYTzdpRVE=[1]
>>14
何回言っても→理解できん白痴やの。
少なくとも→公開掲示板で→事実関係に即した自説を披露するなら,
イギリスが→パレスチナ問題に関して発行した↓
↑後述する手順くらいは🟰理解して,その上で→自説を展開せよ↓
⑴ 1922〜39年に出された,中東問題に関する5つのイギリスの外交白書について。
1 1922年の白書は🟰チャーチル白書とも呼ばれ,バルフォア宣言はパレスチナをユダヤ人国家にするとは約束していないこと,パレスチナに自治政府をつくる援助をすること,ユダヤ人移民をパレスチナの経済が吸収可能な数に抑えることが示された。
※ バルフォア宣言が→ユダヤ人の国家を創設するという意味がないことは🟰イギリス政府の国際宣言となった。
2 1928年イギリスの植民地相によって覚え書が発表され,これも白書と呼ばれる。
ユダヤ人の「嘆きの壁」への通行権と,そこでの祈りの形態はオスマン帝国時代の状況の維持がなされるべきとの見解が示された。
※ この白書においても🟰ユダヤ人国家の建国は認められていない。
3 30年の白書は,イギリスの委任統治のもとで,アラブ側とユダヤ側の両方の主張を満足させるべきことを確認し,ユダヤ人の移民者数を一層きびしく制限すべきだとした。
アラブ側はこれを歓迎し,シオニスト側はこれを拒絶した。
シオニストはイギリスに働きかけ,31年 C.ワイズマンにあてたマクドナルド書簡で,ユダヤ人移民の制限を緩和させることに成功した。
4 1937年の白書では,ピール委員会の報告を取入れて,パレスチナを3分割する計画を表明。
しかし 1938年にこの計画は白紙撤回された。
5 1939年の白書は,ユダヤ人移民の数を,将来の5年間で7万 5000人に制限すること,ユダヤ人のパレスチナでの土地購入の制限,アラブ人口が多数を占めるなかでのパレスチナの独立などを表明。
※ この世に→パレスチナの国家を認めようとは🟰イギリスが言い出したこと。
シオニスト側はこれを拒絶し,イギリス委任統治政府と戦うことを決定した。
アラブ側は即時独立とユダヤ移民の全面禁止を主張し,態度を保留した。この白書の内容は,イギリスが委任統治を放棄するまでの基本路線となった。
↑
このように🟰イギリス政府とは,
ユダヤ人国家の建国は認めないけれども,
パレスチナは建国して良しとの→国際宣言を行っている。
↑
イギリスの誤りとは🟰ユダヤ人国家を建国させたこと←これは事実ではなく,
🟰パレスチナ国家なら建国を許可する←こう(パレスチナの定義すら曖昧だった時期に)宣言したことなのだ!
この世に🟰パレスチナ国家なんて歴史上🟰無かった。
しかし→イギリスがこんなことを言ったので🟰パレスチナの地にパレスチナという国家が正当に建国されるのでは??? このような→今につながる間違いが生じたのである。