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[雑談・Story40] 日本政府は、“姫”が周王朝の国姓に由来することを隠すために天皇神話を洗脳。何のため? 飯岡助五郎
18. ファイナルアンサー[1] g3SDQINDg2mDi4NBg5ODVIFb 2016年2月14日 16:49:42 : tHB0EgyjV2 : 49dqeCcwb1I[1]
まず最初に、殷墟の発掘から漢字を発明して広めたのは東夷だったことが判明しています。漢語は、言葉が通じない人々の間で筆談するための商用語として普及した可能性が濃厚と見られています。言葉が通じない人々とは、シルクロードの西から来た柵外の人々、つまり秦人達のことです。山東半島の付け根付近に、コーカソイドの居留地があったことも、発掘の結果分かってきました。日本へと渡来した彼等は、聖徳太子をはじめとした皇族に仕えて、秦氏を名乗っています。つまり、秦氏を従えた皇室の男系の祖先はコーカソイドです。皇統はスサノオと天照大神の誓約(神婚)によって誕生しましたが、スサノオ=天日矛=牛頭天王という暴風神は、大陸での名を蚩尤(兵主)と言い、インドのシヴァ(ルドラ)神とほとんど特徴が一致します。つまり、皇室の男系の祖先はコーカソイドに求めるのが妥当です。その証拠に、皇室が掲げる菊の御紋章(十六菊花紋)は中東の古い王家の紋章として知られ、ヘロデ門やイシュタル門やエジプトの王の副葬品にも認められます。いっぽうで、皇室の母系の祖先(天照大神)は縄文系で、鬼界カルデラの大噴火のとき(日本で稲作が途絶えた時期)に日本列島が噴煙と火山灰に覆われて大飢饉に陥ったときに、大陸東岸に疎開した一団を率いた日女神(丹生姫)の一族の子孫です。男系の継承を重んじる皇室の祖先が女神という伝承は、古い東夷が日本と同じ妻問婚の慣習を持っていたためです。卑弥呼の使者は古い周王朝の官職名を名乗っており、邪馬台国にとって重要な衛星都市国家と思われる伊都国王は、天日矛の末裔を名乗ります。日の巫女の王の一族は、黄帝由来の周王朝経由の姬姓(日本の国姓)を現代まで受け継いでいます。日本書紀は天照大神=神功皇后(息長大日女(ヒメ/姫)と言わんばかりの書き方をしていますが、明記を避けています。これは、編纂当時百済や高句麗を滅ぼした唐が倭国にも侵略の手を伸ばしてくる来る可能性があったためです。神聖な皇統母(皇祖神)のお家に害が及ばないように隠蔽したのです。万が一皇統が攻め滅ぼされても、息長氏さえ生き残っていれば、継体天皇のように息長氏の男子を再び天皇として、皇統を復活できると目論んでいたわけです。

今も息長氏の斎王家は日の巫女の神道(神体山の山頂から昇る初日の出を拝む太陽信仰至高の祭祀)奇日(クサカ)神事を伝承しています。日本という国号は日下(クサカ)から生まれましたが、冬至(古代の元旦)に神体山の山頂から昇る朝日が見える(日矛が射す場所)のことです。(※下の卑字を嫌って本と置き換えています)日本の国号の由来になった日の巫女の祭祀を女系継承する息長氏の斎王家こそが、姬姓を受け継いでいるのですが、天武天皇はこの一族を真人の筆頭としておきながら、外的から守るために皇統母のお家を隠蔽したため、日本書紀は国史の書とされながら、国姓を有するお家の祭祀や、国号が定まった経緯についてまったく触れていないのです。皇室よりも権勢をふるった藤原氏の祖先は、神功皇后(息長大姫)の審神者(付き人)とされており、日の巫女の王(真の斎王)が天照大神と精神を一つにして託宣した言葉を天皇に告げる神使の役目を担っていたため、天皇よりも力があるように見えただけで、実際には虎の威を借る狐にすぎなかったのです。外戚と言うなら、息長氏や和邇氏も権勢をふるって良い筈ですが、藤原氏のような立場にならなかったのは、天照大神の言葉を告げる審神者の一族ではなかったからです。息長は気長や都怒我や敦賀といった表記の揺らぎを持ちますが、古い東夷族が大陸で用いていた高天原言葉の、天日国の読みを音写したものです。つまり、息長斎王家とは、天日国(天照国)斎王家のことです。息長大姫が、大陸(唐土)に赴いて里帰りしたことは、奈良のどの由緒ある神社よりも真っ先に朝廷が正一位を贈った香春神社などにも伝承が残っています。香春神社は宇佐神宮へと発展して、皇統母(神功皇后)と祖王(応神天皇)を祀っています。

当代の天照国斎王家・御宗主・明姫(アカルヒメ)様も、崇敬会の会食の席で大陸からの里帰りのお話をなさったことがあります。黄帝の娘で太陽神の妭(ばつ)姫と暴風神の蚩尤が対決した神話が、日本では無難な天照大神とスサノオの神話へと変化しています。また、天岩戸伝説は、旱魃を起こす日の女神の幽閉伝説に対応します。大陸の高句麗国の東盟祭で使われる土坑は、九州などでもトンカラリン遺跡といった形で残っています。妭姫が幽閉された北の山は、天照国斎王家の故老の話では、天然の要害の五女山城址(高天原)とされています。その地には、五人の姫が軍隊に守られて住んでいたが、人々が困った時に地上へと天降りして救ったという伝承が残ります。地球規模の寒冷化によって、大陸で大飢饉と黄巾の乱に始まる大戦乱が起こると、同じ東夷の孔子が残した筏に乗って東海に浮かぶ(蓬莱/日本)へと疎開する教えに従って、豊葦原瑞穂の国と呼ばれた日本の湿地帯を農耕地へと開拓しながら、順次計画的に帰化していき、秦氏を名乗ったのです。姬氏は穴師(鉱山技師)を従えて、鉱業・製鉄・武器製造を掌握し、その軍事力でヤマト朝廷を興したのです。最盛期には吉野を中心に2万人の鉱山労働者を従えていました。女系継承されている姬氏の、同音の男系の分家が、皇室と同じぐらいの古さを持つとされる、宗教大国・紀州を表向き支配していた紀氏です。日本の高天原は丹生都比売(ヒメ)神社が残る標高四百mの隠れ里だった時代もあるそうですが、火災にあったため、重要なものはほとんど紀州の山中の廃坑を利用した神庫に移されているそうです。当代の天照国斎王家・御宗主・明姫様がお住まいの高天原は、豪邸条例が制定されている標高五百mの高台にある芦屋市六甲奥池住宅地へと変貌しているため、どれが神宮の建物か部外者には容易に判別がつかなくなっています。その宮の遥拝施設として建てられた廣田神社には、天疎向津姫=日向の日女(姫)神=天照大神に関する伝承が今日まで残っています。
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