★阿修羅♪ > 雑談専用40 > 567.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
日本政府は、“姫”が周王朝の国姓に由来することを隠すために天皇神話を洗脳。何のため?
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/567.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2013 年 8 月 23 日 12:07:44: VssSC.kx7zq3c
 

中国による周公東征が弥生時代の始まりだった!
弥生時代には成文化された漢文の記録があったのだ。
【姬】という字は周王朝の国姓!
それを隠すために捏造されたのが天皇神話「日本書紀」だ。

この史実を隠したいのは二者/理由も二つ。
一者は天皇/「日本書紀」を正史として信じさせることで、その地位を維持したい。
一者は米国/中国人を異民族として敵視させることで、米軍基地を維持したい。

     ◆◇◆

◆江戸時代初期の「日本書紀神代講述鈔」に、日本の倭漢通用の國称が「【姬】氏國」であったと記されている。
しかもその著者は、伊勢神宮外宮の権禰宜だった度会延佳。 
 ※「日本書紀神代講述鈔」度会延佳著 早稲田大学図書館所蔵 
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko01/bunko01_01786/bunko01_01786_0001/bunko01_01786_0001_p0003.jpg 
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%93%fa%96%7b%8f%91%8b%49%90%5f%91%e3%8d%75%8f%71%e7%e2 
 ※「度会延佳とは」世界百科事典他 
http://kotobank.jp/word/%E5%BA%A6%E4%BC%9A%E5%BB%B6%E4%BD%B3 

     ◆◇◆

◆江戸時代初期に写本された「日本書紀」の中の姫の字は、女偏に頤と書く【姬】だった。   
 ※【姬】書体のバリエーション 百度百科 
http://baike.baidu.com/albums/138106/5080631/1/0.html#0$
 ※「日本書紀 巻二十四」の清原国賢(1544-1614)による写しは【姬】http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_02450/ri05_02450_0012/ri05_02450_0012_p0017.jpg 
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_02450_0001/index.html 
  
     ◆◇◆  

◆姬の字は、第二次世界大戦後、訓読みに「ひめ」を当てたりして試行錯誤を重ねた後、昭和52年に姫の旧字としての括弧書きも外され、当用漢字から削除された。 
 ※『人名用漢字の新字旧字「姫」と「姬」』三省堂 
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2008/12/18/hime/

     ◆◇◆

◆日本の旧い人名に使われた【姬】の字は、プリンセスの意味ではなく、中国の百家姓の一つだった。 
 ※Hundred Family Surnames(百家姓) wikipedia 
http://en.wikipedia.org/wiki/Hundred_Family_Surnames#Family_names_in_the_Hundred_Family_Surnames

     ◆◇◆  

◆日本列島で本格的に水田稲作が始まった紀元前10世紀は弥生時代の開始年代とされる。
◆それはちょうど、紀元前1045年の姬姓周公による東征の後に当たる。 
◆その東征には、東夷諸国が含まれる。
◆当時の東夷とは、東方に住む民の総称で、漢朝以降に日本列島等を指すようになったとされる。
 ※「弥生時代の開始年代について」国立歴史民俗学博物館 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8#.E5.BC.A5.E7.94.9F.E6.99.82.E4.BB.A3.E9.96.8B.E5.A7.8B.E6.99.82.E6.9C.9F.E7.B9.B0.E3.82.8A.E4.B8.8A.E3.81.92.E8.AA.AC 
 ※「周公東征」百度百科 
http://baike.baidu.com/view/78021.htm#5 
 ※「周公東征」維基百科
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%85%AC%E4%B8%9C%E5%BE%81 
 ※「東夷」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
 ※「周朝」>国姓は【姬】維基百科
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AC%E5%A7%93

     ◆◇◆

以上から、弥生時代は、周公東征によって日本列島に逃げ込んだ東夷によって始まり、後に、周王朝のロイヤルファミリーである姬姓の人々も大陸を追われて日本列島にやってきたことが推し量れます。そして、倭漢通用の國称が、「【姬】氏國」になったと。

しかし、日本の歴史が中国の歴史と一体化すると、たちまち天皇神話は信憑性を失い、日本に米軍基地を維持することが難しくなるわけです。
したがって、この史実を最も隠しておきたい人物は天皇であり、また、米国は天皇の地位を守ることで極東の基地を維持してきたことがわかるわけです。
そしてそれを隠し続けてきた日本政府は、天皇と米国の手先でしかないことがわかります。

日本国の主権者は、中国人と同族である日本国民ではなかったわけです。  
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年8月23日 13:32:03 : GWgfOtzy4g
あんた中華民族というのは存在せんのよ。太古支那人は欧州からきてたんじゃないの。北京人と上海人では頭蓋骨から違う異人種で言語は英語とトルコ語以上に違う。

そんなこと言ってたら人類皆兄弟だよ。

2000年たてば遺伝的に、みんな親戚だ。日本人は2000年で間たって天皇と全員親戚だ遺伝的に。これは遺伝学の常識。

なんたって支那は古今東西占領地だったろ。常に異民族が点と線を支配してたにすぎん。漢や唐の勢力圏なんてのは自己申告のいいかげんなものだ。支那歴史はほとんど捏造だろ。正史なんてないだろ。共産党が倒れて中華帝国がなくなれば歴史も再び塗り替えされる。


02. 2013年8月23日 15:43:45 : daPN7oBwAw
>>01 その通りだが、日本だって同じものよ。

なぜか、天皇家・石原家・橋下家の連中が

最古代アフリカエジプト文明からの渡来者であることを隠すために

出自が被差別部落だとか・出自が中国大陸と朝鮮半島だとかいう

中途半端歴史もどきどもの書き込みを放置してるし。

なんでSHOWTENOの時みたいに

ローマ教皇ピウス12世猊下に取り入って、寵愛受けて

上手く立ち回ることを敢えてしないんだろうか?

原子力帝国問題でも、現在の関係者たち、あまり上手な

工作員が送り込めてないみたいなにのはなぜなんだ?

「本物」どもはすでにHUCUCHIMA原発事故以前のとっくの昔に

発生した事故であぼーんしてて残りは影武者ばかりなりとか。


03. 飯岡助五郎 2013年8月23日 17:27:02 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
01さん

その通り、中国人は56部族あるようですね。
http://jp.showchina.org/15/11/200906/t349740.htm

>2000年たてば遺伝的に、みんな親戚だ。日本人は2000年で間たって天皇と全員親戚だ遺伝的に。これは遺伝学の常識。

遺伝学的には、まさにその通り。渡来してきた弥生人顔の天皇家は、大陸にも親戚がいっぱいいるわけです。

民俗の継承別に分けると、部族に分類できるようですね。

日本の民俗は、大陸では清王朝時代に廃絶した漢民族の文化を継承しているようですね。
http://www.cultural-china.com/chinaWH/Traditions/en/1735T3390.html
周の則天武后はどれも和装だし。
http://gb.cri.cn/mmsource/images/2010/08/25/85/14536666838619783801.jpg
http://www.youblook.com/manage/ZhinanImages/201111/2011113014272182.jpg
http://pic.miercn.com/uploads/allimg/120803/30_120803141634_1.jpg
http://tupian.wenxue360.com/meinv/img/wuzetian.gif

行政が全精力を上げて封印していることです。


04. 2013年8月23日 23:01:37 : 8CwITW1XME
度会延佳って、伊勢神道から仏教色を排し儒教を導入したという人物でしょ。
伊勢神道、別名で度会神道とも言うけど、これも、長い長いの日本の霊性の歴史からみたら、武士の時代というず〜っと後になって、のこのこ出てきた話。

その論点は、仏教まみれになった神道を、儒教を使って純化しようというもの。
こうしたある意味反動的な動機がもともとあって、仏教と袂を分かつためにいろんなネタが仕込んである。

こんな怪しげなものの、その一角にある文言を取りあげたって意味は無いよ。
おもしろがるネタにはなるかも知れないがね。

そもそも、
神道家なら、神道には教典というものが無いことぐらい知っているだろうに。
黙々と実践するなかにこそ道は顕れるもの。それを、仏教はどうだ、神道はどうだと、言説を尽くして言挙げするなぞ、論外だよ。

このスレッドを見るような方々は、文書・文献こそが大事だと思うんだろうが、日本はもともと言挙げせぬ国と言って、そうしたものを慎んでいた国柄だよ。

もっとも、すっかり外来の中国文化に染まってしまって、こうした言論喧しい御仁が、時代を下るほどに出てくるわけだがね。

そうした断片が、これまた困ったチャンに拾われて、こうしてオカシな記事になる。
困ったもんだ。


05. 2013年8月23日 23:47:38 : F1Sr2Hx0Nj
03>>人類みな兄弟 、それが理想よ、中国人もアメリカ人もアフリカ人も日本人もみな兄弟だ、いつかそんな世の中がきますように、ア−メン、神様よろしく。

06. 2013年8月25日 15:00:43 : WrBl7tYjLY
周の始祖の息子の太伯の子孫であるとする説が存在

倭人は、呉の太伯の子孫
AD2〜6世紀、中国(六朝や南朝)の歴史書には「倭人」がやってくると口をそろえて「われらはお国の太伯という王の子孫であると言う。」と書かれている。
『晋書』(3〜4世紀)の記録だが唐代に集録
倭人自ら謂う・・・「呉の太伯の子孫であると」
『梁書』武帝『諸夷伝』
中国に来た倭人たちは「呉の太伯の子孫であると言う。」


07. 飯岡助五郎 2013年8月27日 10:51:36 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
06さんへ

そうなんですか、
そのとおりでしょう。

日本書紀には、呉織(くれはとり)、漢織(あやはとり)という機織の技術者集団の渡来が記されていますね。
http://kotobank.jp/word/%E5%91%89%E7%B9%94

現代に生きる誰も、ご先祖様のチンコとマンコの数は、渡来人による混血が始まった3000年前の弥生時代に遡ると、天文学的な数に上ります。その中の一人に、大陸で栄枯盛衰を繰り広げた数多の王朝の皇族が居てもおかしくはありません。なぜなら、力と権力のあるものは、女性を戦利品として略奪し、強姦して子を生ませてきたからです。
そんな中で姬姓は、大陸の王朝の皇室として渡来した最初の姓だったことでしょう。

ただし、漢字が成立する以前、東海の島々は、大陸にとって、生活道具を発明し天文学が始まった文明発祥の地域だったようです。結縄を記録や伝達手段として使っていたといいます。日本書紀の弘計天皇の項にも、出雲に結縄の習俗が遺っていたことが記されていますね。取結縄葛者が強い縄を建材として使っていたと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E7%BE%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%A4%A9%E6%B0%8F

ま、日本列島も大陸も朝鮮半島も、色んな習俗を継承するチンコとマンコが混血を生んできたということでしょう。
それなのになぜ、誰と誰が、どんな目的で、日本列島における混血の史実を隠し捏造する必要があったのか、日本国民は勇気を持って受け止めなければならないと思いますね。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/jomon/jomon-f.html


08. 2013年8月27日 12:35:52 : B5CFrRcF0b
飯岡さん
お久しぶりにお声を掛けさせていただきました。興味深いご投稿をいつも楽しみに見させていただいています。

少し前から(文字化けしないか心配ですが)、滇字(てんじ)が気になっています。西アジア発になるのかもしれませんね、甲骨文字から発展したといわれる、漢字の前の字体ですね。中国大陸の今は少数民族となりあちらこちらに散らばり存在していると見られている、姫姓(元姫姓含みます。→たとえば何という姓に今は変化したのか興味がつきません)ですが、現在もまだ、昔血を分けた兄弟たちが、中国大陸にはたくさんいるはず。姫姓に限らず、春秋時代の百姓もですね。

周王朝は、呉越にもつながり、遡れば夏(夏后)王朝にも通じると理解しています(間違いましたら指摘して下さい)。大変に興味深いことです。投げ出した中国語もいつかは再開したいです。中国は、日本文化人にとり、戦前まで「ヨーロッパ人にとっての古代ギリシア」のように、まぶしく輝く存在であったのです。それが今は・・・ 

「○○○と△△△」とは、あまりに直接な表現で、引いてしまいました(笑)が、まさにその通りですね。家事中なので、長くは書けませんが、この種のお話、また楽しみにしています。御礼申し上げます。急ぎ失礼いたしました。


09. 2013年8月27日 21:27:47 : WrBl7tYjLY
ついでに言うと、神武とかが奪取した土地が、九州の由布院盆地

(日本書紀)
神武天皇三一年(辛卯前630)四月乙酉朔》夏四月乙酉朔。

@皇輿巡幸 A因登腋上嗛間丘 B而廻望国状曰 

C妍哉乎国之獲矣 <D妍哉 ・・・此云鞅奈珥夜)

E雖内木錦之真■国 F猶如蜻蛉之臀呫焉

G由是始有秋津洲之號也 真迮国=狭い国。
A福間山
Eゆふの狭い国で、トンボ(蜻蛉)が交尾(臀呫)したよう〔形〕
由布院分地の形は福間山から見るとまさしくこの歌の様です。

そこは、後には、秦国があった。(隋書東夷伝)
そこの人は、風俗・言語とも夏華人とほぼ同じとあります。
これは、見逃され(無視し)てきました。


10. 飯岡助五郎 2013年8月28日 00:59:57 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
08さんへ
ありがとうございます。
>滇字
雲南省に遺る字ですか?
https://isp.moe.edu.tw/upload/docs/ntct/pic/%E9%9B%B2%E5%8D%97%E6%9D%B1%E5%B7%B4%E6%96%87%E5%AD%97%E4%B9%8B%E5%9B%9B.jpg

似てますね、神代文字と。

09さんへ
そうなんですか、興味深いですねぇ。いろいろと辻褄が合いますねぇ。


11. 2013年8月28日 19:55:21 : WrBl7tYjLY
09ですが。ついでに日本書紀の解説です。

この話を聞くと、日ュ同祖論者かとおもわれますが、そんなことはなく

あくまで、謎のまま。では、

CDの妍哉をアナニヤ(鞅奈珥夜)と呼び習わしています

が、現在でも意味不明です。皆さん適当な訳をしています。

もしこれを、中東方面のアラム語〔ヘブル語もか〕などの古い言い方で【結婚】の意

味があるアナニーサ」であるなら、アキツ(とんぼ)のトナメ(交配)を歌う歌の頭に付

けることばとして、正に相応しいことばであると理解できます。


「国の姿形を眺めて初代天皇が感動して歌った、記念すべき歌の頭に付いているアナ

ニヤが、やがて国を歌う時には必ず付けられる枕詞になった」と

いうことで、日本書紀の出典が多岐にわたり、しかも合成であるという仮説が成り立

つでしょう。(イザナミ・イザナギの結婚の場面でも同じ)

最後に私の疑問ですが、8世紀の『日本紀』の記録者達がなぜこの結婚を意味する言

葉を使用できたのかです。ひとつの仮説として、インテリ編纂者たちは、唐の書物を読みふけり
『俺様は景教の聖典を読める。だからこの単語を使用できたからかっこいいだろう」なんて競って書いたのかもしれません。

ちょうど日本のアメリカかぶれの連中が「アジェンダ」を盛んに口走るように、競って引用していたともいえます。

実際『日本書紀』はその現象が多発しています。



12. 2013年8月29日 12:37:09 : V3DZQtnCJ2
>>11. さん、横からすまないが、

>日本書紀の出典が多岐にわたり、しかも合成であるという仮説が成り立
>
>つでしょう。(イザナミ・イザナギの結婚の場面でも同じ)

何を回りくどく考えているのかが不明ですな。

普通に考えて、日本紀神代巻のイサナギ・イサナミの国生みの段に出る「妍哉」が原点なのでは?。加えて、その個数と位置にも、なにがしかの意味が仕掛けてあるという点でも、こちらが原点。

日本は、今のお役人さんもそうだけど、前例踏襲主義が美習。それを古いコトバで「ためし」と云った。
為政者は聖なる場面でこの「妍哉」を使ってきたというだけの話。

それと、中東方面のアラム語のコトバ云々のお話も、日本がその原点かも知れないよ。
旧約聖書の物語自体が、日本からの脱出組がかの地でなした神話だという説があるようにね。

いつも不思議なのは、こうした理屈好きの方々はどなたも、外から日本に来たという理屈ばかりで、その反対がないのは何故なんだろうね。
そうした無意識の前提条件を誰が設定したのかの方が興味があるがね。


13. 飯岡助五郎 2013年8月29日 14:15:02 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
11さんへ
興味深い視点でのコメント、ありがとうございます。
考えを整理するいい機会になりました。

>妍哉をアナニヤ(鞅奈珥夜)と呼び習わしていますが、現在でも意味不明です。皆さん適当な訳をしています。

アナニヤは、キリスト教聖書のカタカナ表記としてよく目にする人名ですね。
・使徒言行録5章のアナニヤは、「神を欺いた」と言われただけで絶命した男の名。
・使徒言行録22章のアナニヤは、「主を支えた」男の名。

さて、このアナニヤのヘブライ語の意味ですが、「主を助ける/主に同情する」の意味のようですね。
Ananias is a Hebrew name that means "compassion for God"http://en.wikipedia.org/wiki/Ananias

したがって、5章のアナニヤはその名において存在価値がなくなったことがわかります。

なお、当時、イエスは、ユダヤ教徒の間で、律法(モーセ五書)上どういう存在だったのかということを忘れてはならないでしょう。
イエスは、婚約者がありながらその婚約者によらない児として生まれた子であり、母親であるマリアは妊娠中に処刑されなければならない立場にあったことを。

申命記22章23節
もし処女である女が、人と婚約した後、他の男が町の内でその女に会い、これを犯したならば、
申命記22章24節
あなたがたはそのふたりを町の門にひき出して、石で撃ち殺さなければならない。これはその女が町の内におりながら叫ばなかったからであり、またその男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたはこうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?&cmd=search&trans=jc&book=deu.old&chapter=22&vers=23&flag_back=1
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?&cmd=search&trans=jc&book=deu.old&chapter=22&vers=24&flag_back=1

したがって、アナニヤの名は、律法(モーセ五書)に反し私生児イエスを主として支援した者の名であり、主を欺いては存在し得ない名だということです。


>もしこれを、中東方面のアラム語〔ヘブル語もか〕などの古い言い方で【結婚】の意味があるアナニーサ」であるなら、アキツ(とんぼ)のトナメ(交配)を歌う歌の頭に付けることばとして、正に相応しいことばであると理解できます。

「I wed(私は結婚しています)」をヘブライ語に翻訳すると、ana-nisaの発音で「אני נישא」があります。


>「国の姿形を眺めて初代天皇が感動して歌った、記念すべき歌の頭に付いているアナニヤが、やがて国を歌う時には必ず付けられる枕詞になった」ということで、日本書紀の出典が多岐にわたり、しかも合成であるという仮説が成り立つでしょう。(イザナミ・イザナギの結婚の場面でも同じ)

私なら、素直に、アナニーサではなく、アナニヤを当てます。「主を助ける/主に同情する」という意味で。


>最後に私の疑問ですが、8世紀の『日本紀』の記録者達がなぜこの結婚を意味する言葉を使用できたのかです。

@まず、日本の倭漢双方で認めた國称に、「女子国/姫氏國」があったことを留意します。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko01/bunko01_01786/bunko01_01786_0001/bunko01_01786_0001_p0003.jpg
Aそして、日本書紀を書いた人は、神武東征を賛美していることも留意しておきます。
B @とAを併せた出来事にヘブライ語のアナニアを冠すると、国の成り立ちが浮かび上がります。

東征されて強姦された女子国日本の女主人に同情して、生まれた子を天皇とする国ができたということになりましょうか。
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/503.html

【アナニヤ】日本書紀からは、ユダヤ教徒の篇者ならではの発想が滲み出ているように感じられますね。

●日本で初めて天皇と称されたのが天武天皇だったことは周知のことでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.A7.B0.E5.8F.B7
その称号が日本の大宝律令(701年)で決定した当時を、大陸側の伝承から振り返ると、天武天皇の実父は離散ユダヤ人祭司族の唐の二代皇帝(天河汗)だった可能性が浮かび上がります。
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/176.html
また実母は則天武后、蛇神様である道祖を崇拝する道教の道士でしたから、天皇の称号を諡号として贈る事で、ユダヤ教を封じようとしたことが窺えます。
しかし、則天武后(在位690−705)が705年に崩御すると大陸も離散ユダヤ人が統治する唐の國称にもどり、日本側も古事記(712年献上)やら日本書紀(720年)を、離散ユダヤ人が編纂したのではないかと推察しています。



14. 2013年8月29日 18:44:13 : WrBl7tYjLY
飯岡様
久しぶりに面白い仮説を披露していただきましてありがとうございます。

とても面白い読み物ができそうですね。

<離散ユダヤ人が編纂


彼らが変体漢文(和化)漢文を書けたのでしょうか?

朝廷にあらゆる宗教を受け入れていたソグド人(ユダヤ教、景教、ミトラ教等)商社が品物を持ってきたのは可能性大です。
商社名をボーイトーフといいます。
証拠が残っています。
彼らの知恵を借りたのでしょうか?
ますます謎が深まりましたが。


15. 2013年8月30日 01:13:54 : GTkwlZwCIk
飯岡さん
御質問へのご回答が遅れ申し訳ありません。

>滇字
雲南省に遺る字ですか?

の御質問に関して、答えは「はい」です。
中国のサイトより滇字の御紹介を大変にどうもありがとうございます。興味部会です。滇の国に関しては、日本でも放映されたことがあるようです。
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&NR=1&feature=fvwp


12さん、
太古の昔、日本(または日本を含むズンダランド?)からの脱出組が西に達して戻ってきた可能性も考えています。しばらく前にはイネは、雲南省(苗族やナシ族など長江の民に関係する地域)が源では無いかと言われてきましたが、思い至るのが遅過ぎました。10年程前に放映されたNHKスペシャル 日本人はるかな旅 第4集 「イネ、知られざる1万年の旅」 から、一部を文字起こしでご紹介させて下さい。どちらにせよ、歴史の真実を政治的思惑で歪めることは、あってはならないことだと考えます。日本では、日本史は、史学科ではなく「文学部」であるのがが何とも・・・ 個人的には、考古学が遥かに正直だと思います。

※NHKスペシャル 日本人はるかな旅 第4集 「イネ、知られざる1万年の旅」 
(稲作の始まりは)弥生ではない。中国の稲作の発祥の地とされる雲南の古代米(炭化米)より雲南での稲作の始まりはおよそ4000年前であったということが着きとめられた。(雲南省大墩(とん)遺跡出土) 文字起こしの要点を一部抜粋して。

・・・ところが日本列島の稲作の歴史のほうが、雲南よりはるかに古いことが判ってきた。島根県の頓原町にある縄文時代の遺跡です。最近縄文時代の遺跡から、稲作をうかがわせる痕跡が次々と発見されている。1000年も古い稲作の跡・・・島根県板屋V遺跡(島根県頓原町) イネの細胞の一部、プラントオパール。ガラス質であるため、何千年も経ても土に溶けずに残っている。また、岡山市朝寝鼻貝塚 岡山や島根など、西日本の9箇所の縄文遺跡でイネのプラントオパールが見つかっている。朝寝鼻貝塚のプラントオパールは6000年前のものだった。高橋護教授 ノートルダム清心女子大(考古学) 「確実に日本の稲作が、今日に続く稲作が開始されたのは、恐らく、縄文早期末〜前期初頭=約6000年前)、今日まで途切れることなく続いていると考えています。」

これまで弥生時代に始まると考えられていた日本の稲作は、中国の雲南省よりもさらに古く、6000年前の縄文時代に遡ることが明らかになったのです。

雲南省から長江を下ること2000キロあまり湖南省(ぎょくせんがん)遺跡で1995年、稲作の起源に関する大きな発見があった。玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき): 湖南省道県 また続きますが、略します。


16. 2013年8月30日 01:17:01 : GTkwlZwCIk
申し訳ありません。15です。
慌ててしまいまいました。
文字の訂正です。

誤:興味部会です。
正;興味深いです。

に。


17. 飯岡助五郎 2013年8月30日 01:26:44 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
14さんへ

>彼らが変体漢文(和化)漢文を書けたのでしょうか?

漢字の字音字典を、隋の「切韻」から、唐の「唐韻」に改めたわけですから、漢字を改定した人々といってもいいでしょう。

唐の二代皇帝(在位626−649)の尊号は、「天可汗」。
http://baike.baidu.com/view/416291.htm
「可汗」は、鮮卑アルタイ、柔然、突厥、ウイグル、モンゴルなどの民族の統治者の尊号です。
http://baike.baidu.com/view/61136.htm#sub7739490
http://baike.baidu.com/view/65576.htm?fromId=33184
しかも、二代皇帝の時代は、まだ、ムハンマドが聖遷(622)したばかりで、ウイグルもイスラム教に改宗する前のこと。なお突厥については、ユダヤ教徒(猶太教)であったこことが記録されています。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%90%A8%E4%BA%BA


>彼らの知恵を借りたのでしょうか?

可汗が唐のロイヤルファミリーです。
そして、その唐からは、大勢の技術者や学者が渡来してきたわけです。
日本の宮殿が唐の建築家の指揮で建設されたように、日本書紀もまた、智慧を借りたのではなく、編集長として直接編纂を指揮したと考えるのが自然ではないでしょうか。



18. ファイナルアンサー[1] g3SDQINDg2mDi4NBg5ODVIFb 2016年2月14日 16:49:42 : tHB0EgyjV2 : 49dqeCcwb1I[1]
まず最初に、殷墟の発掘から漢字を発明して広めたのは東夷だったことが判明しています。漢語は、言葉が通じない人々の間で筆談するための商用語として普及した可能性が濃厚と見られています。言葉が通じない人々とは、シルクロードの西から来た柵外の人々、つまり秦人達のことです。山東半島の付け根付近に、コーカソイドの居留地があったことも、発掘の結果分かってきました。日本へと渡来した彼等は、聖徳太子をはじめとした皇族に仕えて、秦氏を名乗っています。つまり、秦氏を従えた皇室の男系の祖先はコーカソイドです。皇統はスサノオと天照大神の誓約(神婚)によって誕生しましたが、スサノオ=天日矛=牛頭天王という暴風神は、大陸での名を蚩尤(兵主)と言い、インドのシヴァ(ルドラ)神とほとんど特徴が一致します。つまり、皇室の男系の祖先はコーカソイドに求めるのが妥当です。その証拠に、皇室が掲げる菊の御紋章(十六菊花紋)は中東の古い王家の紋章として知られ、ヘロデ門やイシュタル門やエジプトの王の副葬品にも認められます。いっぽうで、皇室の母系の祖先(天照大神)は縄文系で、鬼界カルデラの大噴火のとき(日本で稲作が途絶えた時期)に日本列島が噴煙と火山灰に覆われて大飢饉に陥ったときに、大陸東岸に疎開した一団を率いた日女神(丹生姫)の一族の子孫です。男系の継承を重んじる皇室の祖先が女神という伝承は、古い東夷が日本と同じ妻問婚の慣習を持っていたためです。卑弥呼の使者は古い周王朝の官職名を名乗っており、邪馬台国にとって重要な衛星都市国家と思われる伊都国王は、天日矛の末裔を名乗ります。日の巫女の王の一族は、黄帝由来の周王朝経由の姬姓(日本の国姓)を現代まで受け継いでいます。日本書紀は天照大神=神功皇后(息長大日女(ヒメ/姫)と言わんばかりの書き方をしていますが、明記を避けています。これは、編纂当時百済や高句麗を滅ぼした唐が倭国にも侵略の手を伸ばしてくる来る可能性があったためです。神聖な皇統母(皇祖神)のお家に害が及ばないように隠蔽したのです。万が一皇統が攻め滅ぼされても、息長氏さえ生き残っていれば、継体天皇のように息長氏の男子を再び天皇として、皇統を復活できると目論んでいたわけです。

今も息長氏の斎王家は日の巫女の神道(神体山の山頂から昇る初日の出を拝む太陽信仰至高の祭祀)奇日(クサカ)神事を伝承しています。日本という国号は日下(クサカ)から生まれましたが、冬至(古代の元旦)に神体山の山頂から昇る朝日が見える(日矛が射す場所)のことです。(※下の卑字を嫌って本と置き換えています)日本の国号の由来になった日の巫女の祭祀を女系継承する息長氏の斎王家こそが、姬姓を受け継いでいるのですが、天武天皇はこの一族を真人の筆頭としておきながら、外的から守るために皇統母のお家を隠蔽したため、日本書紀は国史の書とされながら、国姓を有するお家の祭祀や、国号が定まった経緯についてまったく触れていないのです。皇室よりも権勢をふるった藤原氏の祖先は、神功皇后(息長大姫)の審神者(付き人)とされており、日の巫女の王(真の斎王)が天照大神と精神を一つにして託宣した言葉を天皇に告げる神使の役目を担っていたため、天皇よりも力があるように見えただけで、実際には虎の威を借る狐にすぎなかったのです。外戚と言うなら、息長氏や和邇氏も権勢をふるって良い筈ですが、藤原氏のような立場にならなかったのは、天照大神の言葉を告げる審神者の一族ではなかったからです。息長は気長や都怒我や敦賀といった表記の揺らぎを持ちますが、古い東夷族が大陸で用いていた高天原言葉の、天日国の読みを音写したものです。つまり、息長斎王家とは、天日国(天照国)斎王家のことです。息長大姫が、大陸(唐土)に赴いて里帰りしたことは、奈良のどの由緒ある神社よりも真っ先に朝廷が正一位を贈った香春神社などにも伝承が残っています。香春神社は宇佐神宮へと発展して、皇統母(神功皇后)と祖王(応神天皇)を祀っています。

当代の天照国斎王家・御宗主・明姫(アカルヒメ)様も、崇敬会の会食の席で大陸からの里帰りのお話をなさったことがあります。黄帝の娘で太陽神の妭(ばつ)姫と暴風神の蚩尤が対決した神話が、日本では無難な天照大神とスサノオの神話へと変化しています。また、天岩戸伝説は、旱魃を起こす日の女神の幽閉伝説に対応します。大陸の高句麗国の東盟祭で使われる土坑は、九州などでもトンカラリン遺跡といった形で残っています。妭姫が幽閉された北の山は、天照国斎王家の故老の話では、天然の要害の五女山城址(高天原)とされています。その地には、五人の姫が軍隊に守られて住んでいたが、人々が困った時に地上へと天降りして救ったという伝承が残ります。地球規模の寒冷化によって、大陸で大飢饉と黄巾の乱に始まる大戦乱が起こると、同じ東夷の孔子が残した筏に乗って東海に浮かぶ(蓬莱/日本)へと疎開する教えに従って、豊葦原瑞穂の国と呼ばれた日本の湿地帯を農耕地へと開拓しながら、順次計画的に帰化していき、秦氏を名乗ったのです。姬氏は穴師(鉱山技師)を従えて、鉱業・製鉄・武器製造を掌握し、その軍事力でヤマト朝廷を興したのです。最盛期には吉野を中心に2万人の鉱山労働者を従えていました。女系継承されている姬氏の、同音の男系の分家が、皇室と同じぐらいの古さを持つとされる、宗教大国・紀州を表向き支配していた紀氏です。日本の高天原は丹生都比売(ヒメ)神社が残る標高四百mの隠れ里だった時代もあるそうですが、火災にあったため、重要なものはほとんど紀州の山中の廃坑を利用した神庫に移されているそうです。当代の天照国斎王家・御宗主・明姫様がお住まいの高天原は、豪邸条例が制定されている標高五百mの高台にある芦屋市六甲奥池住宅地へと変貌しているため、どれが神宮の建物か部外者には容易に判別がつかなくなっています。その宮の遥拝施設として建てられた廣田神社には、天疎向津姫=日向の日女(姫)神=天照大神に関する伝承が今日まで残っています。


19. 2018年2月04日 13:32:24 : Sotv8Xtbqs : uZTVqb234hk[1]
魏志倭人伝は、姫氏倭人伝でしたか。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)|(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(なしでも可能。あったほうが良い)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト

 次へ  前へ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 雑談専用40掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

▲上へ      ★阿修羅♪ > 雑談専用40掲示板
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧