★阿修羅♪エイズミステリー第3章

献辞 謝辞 序文
第1章 「ゲイ」の癌という神話
第2章 ストレッカーとの出会い
第3章 癌ウィルス学者とその使命
第4章 動物実験者とエイズ
第5章 B型肝炎ワクチン試験(1978-1981年)
第6章 「ゲイの疫病」
第7章 アフリカとハイチのつながり
第8章 エイズの世界的蔓延
第9章 エイズの政治学
第10章 エイズをめぐる陰謀
第11章 エイズと世界の狂気
エピローグ 参考文献 解説(中川米造)

第3章 癌ウィルス学者とその使命

 エイズウィルスが発見されたことによって、癌ウィルス学者は、アメリカに
おける医学の新しい巫女として祭り上げられることになった。その結果、現在
ではエイズの検査、監視、研究、治療、そして予防などの政策は、国家レベル
でも地方レベルでも、これらエイズウィルス学者の意見に大いに左右されてい
る。また彼らは、さまざまな賞を受賞する栄誉にも浴してきた。

 こういったウィルス学者と密接な関係にあるのが、米国公衆衛生局や大きな
勢力を有する医療機関の、高い地位にある疫学者たちである。さらにこれらの
グループは、わが国でもっとも有力な製薬会社とも手を結んでいる。

 要するにこういった連中が、エイズとの戦いの先頭に立っているのである。

 これらの仲間のある者が、まったくの無名から一躍医学の世界に名を轟かせ
るまで、10年とかからなかった。だが、彼らが寄ってたかって成し遂げたこ
とも、また名声も、エイズという疫病の急激な蔓延がなかったらありえなかっ
たことなのだ。

 1970年代の初めに開始された「癌との戦い」は、勝利をみぬままいつし
か忘れ去られ、こっそり姿を変えて「エイズとの戦い」としてよみがえった。
ヒトの癌の原因も治療法も見つけだすことができな
かった、その同じ科学者の多くが、今度はエイズウィル
ス攻撃の指揮を取っているとは、何とも皮肉な話であ
る。

 いわゆる「癌との戦い」が公式に始まったのは、1971年12月23日
に、当時の大統領リチャード・ニクソンが「全国癌法」にサインしたときから
である。ニクソンをはじめ多くの政治家が、国を挙げて癌と取り組むのに政府
援助を惜しまぬ決意をしており、この総攻撃によって恐ろしい病気をやがて撃
退できるだろうとの期待がもたれた。役人たちは、1976年のアメリカ建国
200年祭までには癌の治療法が見つかるだろうという、希望的な観測を抱い
ていた。

 新たに制定された「全国癌対策プログラム」の初代の責任者に任命されたの
は、ニクソンの信用が厚かった若いウィルス学者、フランク・ラウシャーであ
る。ラウシャーを頭に頂いたのであれば、癌ウィルス学者と免疫学者が政府主
導の癌戦争の前面に踊りでてくるのは、当然のなりゆきともいえた。

 癌の原因はウィルスではないかという意見を、癌ウィルス学者たちが真剣に
唱えはじめたのは、1950年代にさかのぼる。しかし70年代になっても、
彼らはその理論を証明することができないでいた。「癌ウィルス」という考え
は、癌は接触等によってうつる伝染病ではないと大学の医学部でたたきこまれ
てきた医師たちから、顧みられなかった。ウィルス学者が癌の動物実験を行っ
たにもかかわらず、医師たちは、ウィルスは癌の原因ではないと頑なに信じこ
んでいた。

 1950年代と60年代には、ほとんどの医師たちはまた、癌の原因や治療
や予防に免疫系はいっさい関与していないと信じていた。しかしながら、60
年代に癌の化学療法がしだいに増えるにつれ、彼らは、癌に対する生体予防に
免疫系が大きな役割を果たしているという免疫学者の主張に、耳を傾けるよう
になった。

 70年代も後半になると、圧倒的に不利な条件があったにもかかわらず、癌
ウィルス学者たちは有力な政府機関の経済的援助を受け、またラウシャーのよ
うな人物の政治的引き立てもあって、医学の最前線に立つようになった。
彼らは、ウィルスがヒトの癌に関与していることを
なんとしても証明しようと決意を固めていた。

 顕微鏡で簡単に見られる細菌と違って、ウィルスは非常に小さいので、ふつ
うの光学顕微鏡ではその姿を見ることはできない。10万倍以上の倍率を持つ
電子顕微鏡ではじめてその姿をとらえることができるのだが、感染した細胞の
中でウィルスを特定するのは技術的に難しいことが多い。しかもウィルスは
(細菌と異なり)生きている細胞のでしか増殖しないこ
とが、ウィルス研究をいっそう複雑なものにしている。

 さらにまた、実験用動物をある種のウィルスに感染させるのにも困難が伴
う。ウィルスのなかには、接種してから動物に病気を発現させるまでに長い期
間を要するものがある。これまでも、実験が終了する前に他の原因で
動物が死んでしまったために、失敗に終わった接種の実験例が数多くあった。

 1950年代の終わりに、実験室で組織細胞を培養する新しい技術が開発さ
れたことから、ウィルスの増殖と研究は長足の進歩を遂げた。試験管の中で、
生きている細胞にウィルスを植えつけることが可能になり、はじめてウィルス
学者は感染のようすを直接観察することができた。

 そこで驚いたのは、新しく組織培養された「細胞系」のなかに「不死身」の
ものがあったことである。適切に栄養を与えておくと、その細胞は際限なく生
き続け、増殖を繰り返す。

 組織細胞の培養技術は、癌とウィルスの研究に革命的な変化を(と同
時に混乱を)もたらした。このあたりの事情は、マイケル・ゴールド
の『細胞の共謀』("A Conspiracy of Cells", 1968)に詳しく
述べられている。

 ヒトの組織細胞培養の歴史は、1951年に悪性の子宮頚管癌で死んだボル
ティモア生まれの若い黒人女性、ヘンリエッタ・ラックスに始まる。放射線照
射や手術など、医師たちはあらゆる手をつくしたが、ヘンリエッタの子宮頚管
にできた腫瘍は急速に体じゅうに広がり、8ヶ月を経ずして彼女は死亡した。

 しかし、ヘンリエッタの癌の一部は生き残った。手術の際に、彼女の悪性腫
瘍の小片が、組織細胞培養を専門にする研究所に送られたのである。

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