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2018年11月10日23時10分 〜
記事 [原発・フッ素50] 東海第二 30キロ圏で避難計画難航  こちら原発取材班(東京新聞)
東海第二 30キロ圏で避難計画難航
http://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/847
2018年11月08日 こちら原発取材班 東京新聞


 11月末で運転開始から40年を迎える東海第二原発(茨城県東海村)は7日、20年間の運転延長が認められ、再稼働にまた一歩近づいた。全国の原発立地30キロ圏で最多の96万人が暮らし、自治体に課せられた事故時の避難計画作りは難航している。東海第二から北約9キロにある日立市塙山(はなやま)地区の住民団体は、市が想定する福島とは別に、独自に避難先を探し始めた。(山下葉月)




「避難先 自分たちで探す」日立の住民、選択肢増やす

 「冬場に雪が積もる福島県への避難は現実的ではない。住民にとって雪道の運転に慣れていない中で、移動するのは不安だ」。塙山地区の住民団体副会長で、市議の伊藤智毅さん(64)は住民の声を代弁した。

 市の計画案によると、住民は市内23地区ごとに、自家用車で常磐道などを通って福島県の17市町村に向かう。

 約7000人が暮らす塙山地区の避難先は、140キロ離れた福島県本宮市。冬場の積雪は20センチ以上に及び、「市中心部を走る国道もアイスバーンを起こしやすく、スノータイヤは必要になる」(同市の担当者)。

 伊藤さんは「実際、本宮に行ったが、細い道もあり、事故が起きたら、渋滞の恐れもある。スノータイヤを持っている住民も少ないと思われる」と懸念する。

 さらに東海第二が地震などで事故を起こした場合、事故収束作業が続く東京電力福島第一と、核燃料が残る福島第二原発も同時に被災すれば、本宮市の避難所が使えない可能性がある。

 そこで伊藤さんたちは「住民レベルでやれることからやりたい。避難先の確保は、結果的に行政の役に立つ」と思い立った。

 昨年末には、塙山地区の住民団体と災害時の支援協定を結んでいる仙台市宮城野区福住町の町内会に受け入れを打診。福住町の町内会長で獣医師の菅原康雄さん(71)は「コミュニティー同士だからこそ、同じ目線で必要な支援ができる。来たら当然受け入れます」と前向きだ。

 仙台も福島と同じ雪国だが、まずは選択肢を増やすことを優先する。伊藤さんは「雪が降らない地区でも避難所を探していきたい。まだ足りないので、少しでも増やせれば」と説明。その上で「そもそも円滑に避難できるような避難計画ができないのに再稼働させるのはおかしい」と訴えた。




避難計画策定は茨城県で3市のみ

 東海第二原発の場合、原子力災害対策特別措置法などで避難計画の策定が義務づけられている30キロ圏の自治体は、茨城県内の14市町村。住民が安全でスムーズに避難するための計画が作れるのかは、未知数の部分が大きい。

 茨城県は今年3月末までに計画を完成させたいと説明していたが、これまでに策定できたのは笠間市など3市のみ。この3市でさえ、地震などが重なる複合災害を想定しておらず、高齢者や障害者ら自力で逃げられない「要支援者」のバスの確保などが見通せない。

 日立市では、1月に開かれた住民説明会で「複合災害を想定してほしい」「避難所までの知らない道を運転することが怖い」と不安の声が相次ぎ、策定が延期となった。市は今後、住民へのアンケートで要支援者のためのバスの台数などを把握する。

 ほかの市町村も「実効性の確保に苦労している」(大洗町)などとしており、策定時期どころか、実際に作れるのかも怪しい。

 原発を所管する世耕弘成経済産業相は国会で「しっかりとした避難計画がない中で、再稼働が実態として進むことはない」と答弁。避難計画の観点からも、再稼働には疑問符が付く。



http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/536.html

コメント [原発・フッ素50] 人気ブロガー「丸の内OLレイナ」さん(26歳)が体調不良・脳の異常で引退宣言 典型的な被ばく症状である  魑魅魍魎男
4. 2018年11月10日 23:13:37 : o13ZfdjGeo : mjjRB4ab7A8[1]
なにこのクソ妄想記事
こういう何の根拠もない騒ぎ方するから原発推進に拍車をかけるんだよ
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/534.html#c4
コメント [アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
591. 中川隆[-13567] koaQ7Jey 2018年11月10日 23:13:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20461]

2018年3月25日 札幌第11回■詳報
櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!
「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html


札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。

この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。櫻井氏はその一部については、訂正を約束した。


傍聴券交付に252人の列
尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者は最多記録の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方で、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。

満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も加わっていた。櫻井氏側はいつもと同じ7人と新たに2人の計9人。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別傍聴席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。


午前10時32分、開廷。裁判長が証拠類の採否を告げた後、植村氏に証言台で宣誓をするように促し、尋問が始まった。尋問の前半は植村氏、後半は櫻井氏。自身の弁護団に答える主尋問、相手側からの質問に答える反対尋問という順で行われ、重要な争点についての考えが明らかにされた。この中で、櫻井氏のこれまでの言説には重大な誤りや虚偽があることがはっきりした。


植村氏の尋問

植村氏は、1991年当時の記事執筆の経緯と、捏造決めつけ攻撃による被害の実態を詳しく説明した(別掲・陳述書要約を参照)。質問は植村弁護団若手の成田悠葵、桝井妙子両弁護士が行った。主尋問は淡々と進み、予定の1時間で終わって昼休みに入った。

午後1時再開。植村氏への反対尋問が始まった。質問したのは、浅倉隆顕(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信敬(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同)の5弁護士。尋問は1時間40分にわたった。質問が集中したのは、植村氏が記事の前文で「挺身隊」「連行」という用語を使ったこと、また、本文でキーセン学校の経歴を書かなかったことについてだった。このほかに、記事執筆の開始・終了時間や、慰安婦関連書籍の読書歴、関連記事のスクラップの仕方など、争点とは直接関連のない質問も繰り返された。


植村氏は終始ていねいに答えたが、「吉田証言」についてのやりとりで、怒りを爆発させる場面もあった。
朝日新聞社は1997年に「吉田清治証言」(済州島で「慰安婦」を狩り出したとの証言)について調査チームを作り、検証作業を行った。当時ソウル特派員だった植村氏もチームに加わり、済州島での調査結果メモを提出した。安田弁護士はそのメモについて、2014年に朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会の報告書は「あなたの調査はずさん、という表現をしている」と言った。ところが同報告書には植村メモについて「徹底的な調査ではなかったようである」と書かれているものの、「ずさん」という表現は一切ない。
植村氏は、「名誉棄損裁判の法廷で名誉棄損発言をするのですか」と激しく抗議した。安田弁護士は植村氏の剣幕に圧されて「怒らないで下さい、謝ります」と述べ、そのまま尋問を終えてしまった。廷内のあちこちから失笑と溜息が聞こえてきた。


主任弁護人格の高池弁護士はこれまでの弁論ではほとんど発言しなかったが、今回は質問に立った。しかし、慰安婦問題や植村氏の記事について深く踏み込んだ質問はなかった。意外だったのは、植村氏が朝日新聞を早期退職して大学教授を志した理由や、植村氏が東京と札幌で提訴したことなど、訴訟の基本的な情報についての質問だった。植村氏が、自由な立場で研究と著作活動ができる場として大学教授の道を選んだこと、バッシング当時も現在も札幌市の住民であることを伝えると、高池弁護士は怪訝な表情を浮かべた。初めて知った、という表情に見えた。

植村氏の反対尋問が終わった後、岡山忠広裁判長とふたりの陪席裁判官から、植村記事の「(女子挺身隊の)名で」「連行」の意味、韓国内での「挺身隊」という表現や吉田証言の韓国内での影響などについて、質問があった。植村氏の尋問は午後2時50分に終わり、10分間の休憩に入った。


櫻井氏の尋問

午後3時、再開。櫻井氏の主尋問が始まった。櫻井氏は、林いづみ弁護士の質問に答え、慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけと基本的な考え、これまでに行った取材や研究内容を語った。自身の著述や発言に誤りがあるとの指摘についても釈明し、「間違いですからすみやかに訂正したい」と述べた。朝日新聞の慰安婦報道については、「海外で日本の評価を傷つけた」との持論を繰り返し、植村氏の記事についても「意図的な虚偽報道だ」とのこれまでの主張を繰り返した。主尋問は45分で終わった。


続いて植村側の川上有弁護士が反対尋問を行った。川上弁護士は、櫻井氏の著述の問題点を具体的に指摘し、取材や確認作業の有無を徹底的に突いた。ゆっくりと柔らかい口調はまるでこどもを諭す小学校教師のようだが、中身は辛辣なものだった。刑事事件を多く手がけてきたベテラン弁護士ならではの面目躍如である。

川上弁護士は、櫻井氏が書いた記事やテレビ番組での発言を突き付け、櫻井氏が主尋問であらかじめ認めていた間違いについて、畳みかけた。「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。櫻井側弁護団はその都度、証拠書面の提示を求めた。証言台上の書面を確認し終えた櫻井側弁護士は、自席に戻らずにそのまま立ち続けた。川上弁護士は「いつまでそばにいるんですか、証言誘導の誤解を招きますよ」と指摘した。そうこうするうちに、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。


櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。

月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。

川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。

櫻井氏、訂正を約束

では、櫻井氏はなぜ「訴状に40円で売られたと書かれていた」という間違いを繰り返したのか。
櫻井氏は、ジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)が出典であるとし、「出典を誤りました」と主張した。櫻井氏はこれまでに提出した書面でも、「宝石」の記事で金さんが「平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満洲(ママ)のどこかの駅でした」と語ったことを根拠に、「親に40円で妓生に売られた末に慰安婦になった」と主張してきた。だが、川上弁護士は、「宝石」の記事で、櫻井氏の引用部分の直後に、こういう記述があることを指摘した。

「サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父の間で喧嘩が始まり『おかしいな』
と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」
つまり、櫻井氏が出典である、と主張する「宝石」にも、養父が40円で売って慰安婦にしたという「人身売買説」の根拠となる記述はどこにもない。むしろ、養父も日本軍に武力で脅され、金さんと強引に引き離されたという証言内容から、櫻井氏が強く否定し続けてきた日本軍による強制的な連行を示す記述があるのだ。
この直後部分をなぜ引用しなかったのか。川上弁護士は、櫻井氏が自身の「人身売買説」に都合の悪い部分を引用せず、植村氏の記事を捏造と決めつけたことのおかしさを指摘した。そして、「櫻井さんは、訴状にないことを知っていて書いたのではないですか」などと述べ、同じ間違いを繰り返した理由を厳しく問い質した。櫻井氏は「訴状は手元にあり、読んで確認もしたが、出典を間違った」と、弁解に終始した。川上弁護士が紙誌名を逐一挙げて訂正を求めると、櫻井氏は「正すことをお約束します」と明言した。ただ、テレビについては「相手のあることなので」と語り、約束は保留した。


じつは、この問題は2年前からくすぶり続けている。2年前、第1回口頭弁論の意見陳述で植村氏は、WiLLと産経新聞の「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを指摘、「この印象操作はジャーナリストとしては許されない行為だ」と批判した。そして、櫻井氏は口頭弁論後の記者会見で「ジャーナリストですからもし訴状に書かれていないのであるならば、訴状に、ということは改めます」と誤りを認めた。しかし、WiLLでも産経新聞でも、訂正しなかった。そのため、植村氏は2017年9月、東京簡裁に調停申し立てを行い、産経新聞社が訂正記事を掲載するように求めている。その審理はまだ継続している。


櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。

この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。

櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。


櫻井氏の22年前の大ウソ
川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。

1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。

「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」

「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」

「まるっきりウソじゃないですか」

「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」

最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。


尋問終了後、岡山裁判長は今後の進め方について双方の意見を求めた上で、次回口頭弁論で結審すると宣言した。閉廷は予定通りの午後5時だった。


次回開催日は7月6日(金)。開廷は午後2時。この日、最終弁論で双方がまとめの主張を行って審理は終結し、9月以降に予想される判決を待つことになる。
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html

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【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた、悪夢のような判決」! 2018.11.9
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435438

 元朝日新聞記者の植村隆氏(現・「週刊金曜日」発行人)が1991年8月、朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり、植村氏が記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と株式会社新潮社、株式会社ワック、株式会社ダイヤモンド社を名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で、2018年11月9日、岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決を言い渡した。

 IWJは判決を受けた札幌地裁前の旗出し、続く判決報告記者会見を生中継した。

 以下に、記者会見の内容を速報で伝える。

弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士「不当で残念な判決だと考える。櫻井よしこ氏が3つの雑誌(週刊新潮、月刊WiLL、週刊ダイヤモンド)に書いた植村さんへの批判は、事実と異なる記事で、植村氏の名誉や社会的信用を毀損したことは認めながら、櫻井さんがそのような記事を書いた相当性が認められると。名誉毀損として、慰謝料を払わせるほどの違法はないとして、原告側の請求を棄却した。

 この訴訟の特徴は、著名なジャーナリストが責任ある言説をしていないことを問題にしました。当然行われるべき取材がなされないままで、櫻井さんは植村さんを攻撃した。

 櫻井さんの批判は、『言論の自由の中で違法とは言えない』という判決となっている。当然控訴して戦う」


▲伊藤誠一弁護士

■札幌地裁前 「不当判決」の旗出し

■「植村裁判札幌訴訟 判決報告記者会見」


◦日時 2018年11月9日(金)15:30過ぎ〜(旗出し:15:45予定)/16:30〜(記者会見)
◦場所 札幌地方裁判所前/北海道高等学校教職員センター(札幌市中央区)
◦主催 植村裁判弁護団

弁護団声明についての説明「櫻井氏の言論によって、植村さんの名誉が傷つけられたことは認定されています。この判決は『捏造』との表現をめぐるものです。ジャーナリストのずさんな言説を免責する判決は非常に問題がある」

植村隆氏「悪夢のような判決。言論で勝って、法廷で負けてしまった。

 櫻井さんは本人尋問で間違いを認め、訂正を出した。この法廷と今日の判決がどうつながるのか?

 北海道新聞のOB記者でソウル特派員だった喜多義憲さんは、私が書いた記事の3日後に金学順(キム・ハクスン)さんに直接取材されて、キムさんが『挺身隊だった』と言っていることも確認して記事を書かれている。当時私は喜多さんと全く面識なく、喜多さんも私の記事を見てなかった。

 当時を知っている他社の記者が、『捏造であるとか虚偽であるとか、そのものが理解を超えた、言いがかりのように感じました』と証言した。

 利害関係のない人物の証言が判決に一切評価されていない。ジャーナリストの皆さん、これは悪夢ではないですか。正義が法廷で実現されていないんです。

 そして、判決要旨に『ハンギョレ新聞以外の報道にも養父または義父が営利目的で金学順氏を慰安婦にしたことを示唆するものがある』とあるが、裁判長、ふざけるな。ハンギョレ新聞を読んだのか?ハンギョレ新聞には、『養父または義父が営利目的で金学順氏を慰安婦にしたことを示唆するもの』など、出ていません。

 こんな判決を許したら明日は他のジャーナリストが同じ犠牲を受けるんですよ。それは、皆さんかもしれません。歴史の事実に向き合おうとするジャーナリストに対する不当な攻撃なんです。私は徹底的に戦います。ありがとうございました」


▲植村隆氏

神原元弁護士「判決は櫻井よしこさんが、『金学順さんが人身売買によって慰安婦になったと信じたのかもしれない、さらに植村さんが知っていて書かなかった、と櫻井さんが信じたとしても仕方ない』という、とんでもない不当判決だ」


▲神原元弁護士

弁護団「20数年前の記事に対して、ずさんな取材をした櫻井さんに、やさしい判決」

神原弁護士「この判決は櫻井さんの記事が虚偽であることすら証明できないとし、櫻井さんの意図についてはふれていない。この判決では事実なんかどうでもいいことになっている」

上田文雄弁護士「この裁判は市民の関心が非常に高かった。しかし、残念ながら判決は不当。

 一般市民が酔っ払って言っている話とジャーナリストの発信は違う。倫理性や真面目さについて、非常に低い水準で裁判所は判断した。まっとうなジャーナリストに対する侮辱だ」

朝日新聞記者「真実性の部分は、本人尋問などで、『櫻井さんの書いていることは真実ではない』との心証を裁判官は持ったと思いますが、どうか」

弁護団「真実性には裁判所はふれていない。櫻井さんを免責するものとなっている」

質問者「真実性を捨象して判断するということは、櫻井さんを、ジャーナリストに対してというより一般の人として扱っていることになる」

植村氏「ジャーナリストと一般の人は違う。こんなずさんなことが櫻井さんだと免責される。強い疑問があります」

質問者「植村さんが受けた実害を判決は考慮していないように思える」

植村氏「私の大学との契約が攻撃されたり、娘の顔写真がさらされて警備までついた。櫻井さんが私を捏造記者だと繰り返し攻撃したことが原因のはず。法廷で間違いを認めたのは櫻井さん」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435438
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c591

コメント [政治・選挙・NHK253] 絶望的な連合の政策協定案  天木直人  赤かぶ
3. ゆでガエル[173] guSCxYNLg0eDiw 2018年11月10日 23:14:59 : I06kUeD8iM : Pokccs7o7wE[70]

■ 新宿区長選立憲民主党は連合の意向により全ての議員が選挙戦に関わっていない

  選挙戦の主体は自由党共産党でありそれに社民党 他は関わっていないとの事(選挙責任者 談)

  所詮立憲民主党も国民民主党も目糞鼻糞の類 野党共闘の考えはサラサラなし

  野党でないのに野党のふりをするこれらの議員次回参院選落選させよう

  
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/489.html#c3

記事 [経世済民129] ホトボリが醒めた頃合いを見計らい嘘デタラメをぬけぬけと繰り返すヘイト投稿者
「晴れ間」が予想通り削除したので、こちらも予告通りフォローアップ投稿に再掲する。

「晴れ間」が私のコメント削除した理由

>これは本当の「アラシ」です。こういうデマゴーグを優遇すると、阿修羅には自由闊達な意見は集まらなくなりますよ。国際板は全く不活発になってますよね。

・人をアラシ呼ばわりしながらまともな意見、反論は一切できない。
・デマゴーグとレッテル貼りするけど、根拠は明示できない。
・自由闊達な意見をと言いつつ、自分に都合が悪いだけで恣意的に削除する。

「晴れ間」は自身で嘘デタラメのヘイト投稿者であることを証明している。

以下、コメント再掲。

=======================================
最もらしいフリして結局いつものヘイト。
合いも変わらず卑劣で愚劣。

>阿修羅のイスラム擁護派(「ムスリム同胞団」関係者)
私はムスリム同胞団と無関係だから、別の誰かのことだろう。

ホトボリが醒めたと思わないようにね。
削除したらフォローアップ投稿に書く。

●投稿者「晴れ間」についての拙投稿まとめ
本人からまともな返答、反論が来たことは未だに無し

他人を「秘密警察」呼ばわりしながら、自分に都合の悪い事実を削除する(安倍晋三)の如き投稿者
http://www.asyura2.com/18/kokusai22/msg/201.html

いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/557.html

執拗にイスラムヘイトを繰り返す「晴れ間」への反論
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/440.html

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/385.html

コメント [政治・選挙・NHK253] 小沢一郎さんと橋下徹が会ったことの背景を考えてみる。(谷間の百合) 赤かぶ
23. 2018年11月10日 23:20:32 : PdDHSqpKj2 : ExsGc0XHp3o[1]
>実際、今回も野党支持者の間では
>「小沢に失望した」という声の方が大きい。

>オマエがどんな情報ソースを
>野党支持者サイドに持ってるって?(爆笑)

横槍に近いから反応しなくても結構だけど
(反応する価値も無いかもだが)此処やSNSでの空気を
感じた上では?呟き内容がポジティブか否かを
判断することが出来るAIはあるけど
勿論そのようなものは所持してないので
肌感覚だけど個人的に直近1,2日の呟き内容を
見ると決して反応はよろしくないよ。

それを工作員だの愚民だのと思うのは結構。
橋下を支持してる側の何人かは
「冗談よしてくれ」等と言うような呟きしていたな。
「安倍を倒せるならば」
君のような呟きも少数ながらあった。

Twitterでの検索ワードは「小沢 橋下」
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/492.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK253] 片山さつき地方創生相 珍答弁連発でも自民党は余裕「勝手に野党とやってて」〈dot.〉  赤かぶ
7. 2018年11月10日 23:21:04 : 4ImPab2nyM : PepI7W98esI[396]

税務調整での口利き(議員)はよく聞きますね。
元財務官僚の国会議員が金を受取ってやっているんだ。
口利きの根拠、メモが呈している。
「勝手に野党とやってて」?…、
まだまだ、口利きと100万円の裏付けが出てくるってことだな。

http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/483.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK253] 絶望的な連合の政策協定案  天木直人  赤かぶ
4. ゆでガエル[174] guSCxYNLg0eDiw 2018年11月10日 23:22:17 : I06kUeD8iM : Pokccs7o7wE[71]

■ 立憲民主党は連合の意向により裏では自公候補を支持している可能性大トロイの木馬政党まる出しです


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/489.html#c4

コメント [カルト19] シャン・共和の当選者と落選者が、民主の期日前と電子集計の不正を告発。自公サックスの四連勝も同じからくりである。 ポスト米英時代
1. 2018年11月10日 23:24:56 : 5pYyeCd9nA : C_zQeGtrqAE[264]
●テーマとは違いますが、カタヤマの写真が貼ってありますので、敢えてリンクします。

やのっち(。・ɜ・)d‏ @_yanocchi0519
https://twitter.com/_yanocchi0519/status/1061192059439083520
欧州ハザール代表の真っ黒マクロン閣下が、「米国はトランプに奪われてしまったので、欧州のハザール勢が団結して、大イスラエル帝国軍を創設する。」と提唱。隠れイスラエル軍=ISISがプーチンに潰されたので、代案を考えたようだ。
https://gamp.ameblo.jp/richardkoshimizu/entry-12418062959.html?__twitter_impression=true

本文とは関係ないけど、写真の人は誰??

●カタヤマの顔が崩壊しているのは、明らかな「顔面整形崩壊」ですね。カネをかけて美人になっても、悲惨な未来が待っています。そうじゃなくて、心から美しくなれば、外見も美人になれるのです。しかし、あれだけ生活保護者攻撃をやっておっては、心も大悪魔です。

バフォメット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88

●これがカタヤマの正体です。これからは、バフォメット・カタヤマと呼ぼう ! !
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/797.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK253] 小沢一郎さんと橋下徹が会ったことの背景を考えてみる。(谷間の百合) 赤かぶ
24. 2018年11月10日 23:27:51 : PdDHSqpKj2 : ExsGc0XHp3o[2]
>貴方に聞かせる為に書いたのがここのコメントなんですヨ?

他の人達も見るのに書くのかな?「どうせ陰謀論として
片付けられるから相手にされないだろう」ことを
見越して書いている可能性も無くは無いけど
「貴方に聞かせる為に書いた」此処の根拠弱すぎない?
やり取りしてきたとは言え会ったことのない
【貴方】の為に極秘情報を明かすのか?

小沢が汚くても極秘情報を流す人間は
流石に許さないのでは?もしかして
小沢が極秘情報を流すように君に依頼したとか?

ヒーラー同士=仲良しという訳でもあるまいに
(仲が良い部分は否定できない)
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/492.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK253] 絶望的な連合の政策協定案  天木直人  赤かぶ
5. ゆでガエル[175] guSCxYNLg0eDiw 2018年11月10日 23:29:03 : I06kUeD8iM : Pokccs7o7wE[72]

    ■ 日本政治のガン労働貴族連合彼らは日本をどの様にしたいのか?



http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/489.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK253] 小沢一郎さんと橋下徹が会ったことの背景を考えてみる。(谷間の百合) 赤かぶ
25. 2018年11月10日 23:32:27 : PdDHSqpKj2 : ExsGc0XHp3o[3]
個人的には>>9に同意かな

>盛り上がるのは押さえこみたいってことですね

その逆で話術で懐柔したいように見えるかな。
引き込んで丸め込む。マルチ商法とか
新興宗教の手伝いしてる人かな?
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/492.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK253] 絶望的な連合の政策協定案  天木直人  赤かぶ
6. ゆでガエル[176] guSCxYNLg0eDiw 2018年11月10日 23:36:12 : I06kUeD8iM : Pokccs7o7wE[73]

   ■ 福山哲郎(マネシタ政経塾出)が立憲民主党の幹事長に就任した謎が解けました


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/489.html#c6

コメント [原発・フッ素50] まんがイラスト ぼうごなつこさん 原子力発電は、こんな人たちによって成り立っているのです  赤かぶ
41. 茶色のうさぎ[-8782] koOQRoLMgqSCs4Ks 2018年11月10日 23:39:47 : d44dzatzlA : d@NHIRF74Dc[0]

 経産省の三分の一を占める共産党官僚と結託し・・・ <筑波大学名誉教授 中川 八洋

 ↓ 日米合同委員会 日本はアメリカの横暴を許すな!! 矢部宏治
https://www.youtube.com/watch?v=i3cfJTEa0yY <日銀も♪www

 ↓ 矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/414.html <赤かぶ 日時 2014 年 12 月 15 日

 ↓ 日本を日常的に操る真の「奥の院」は日米合同委員会です
http://www.asyura2.com/15/senkyo181/msg/550.html <笑坊 日時 2015 年 3 月 16 日

 ↓ 日米合同委員会−米軍が霞ヶ関を通して日本を支配する機関
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/c936512dc7482d0dad8521d9ca31e025

 ↓ 共産党が、表では弱者や労働者などの味方の振りをしているけれども、
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12142237342?__ysp=5ZCJ5LqV6Iux5YudIOWFrOiqjeWPluOCiua2iOOBlw%3D%3D

結論: 与党は、悪人だー♪ 共産党は、善人だー♪ <万年野党戦略www ばか

 まぁ、不正選挙なんて、関係ねー♪ 霞ヶ関は、善人だー♪ぷっ 長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/526.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK253] 絶望的な連合の政策協定案  天木直人  赤かぶ
7. 2018年11月10日 23:45:41 : I06kUeD8iM : Pokccs7o7wE[74]

自由党共産党社民党支持者は野党共闘をするにあたり高等戦術を取る必要性あり

それは立憲民主党国民民主党の候補者には投票するように見せかけて一切投票しない事


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/489.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK253] 小沢一郎さんと橋下徹が会ったことの背景を考えてみる。(谷間の百合) 赤かぶ
26. 2018年11月10日 23:49:40 : PdDHSqpKj2 : ExsGc0XHp3o[4]
「私の判断で、私が書き込んだことのアクションの責任は全て私が負う」

ネットでは開き直る人間が多いから言うだけマシだけどさ
顔も名前も晒してなくて責任を負う?どうやってと思うのは
自分だけ?腹を切るわけでもなしに間違いが露見した場合は
そのまま「〇〇そっ閉じ」のような感じで逃げ切るのは簡単
IPを変えれば今までとは違う自分を演出することは可能だしさ
尤も癖が抜けきらずに文体が似すぎていたら疑われるかもだが
確証がない限りは本人と決めつけられないでしょ?

言葉濁して悪いけどネットはホントに
糞みたいな連中が多いから言うだけは「マシ」だけど
現実世界の決意表明並みの緊張感があると
思っているのなら間違いなので
そこは勘違いしないように。

>私が書き込んだことのアクションの責任は全て私が負う

後さ仮にもこの内容が事実だとしても君が
内通している人間か否かは分からないよね?
例えば自分がネットで「〇〇日以内に〇〇で
地震が起きる」と投稿したところで自分が
神に等しい預言者になるわけでもないでしょ?

否定するようなこと書いたのは悪いけど
「悪魔の証明」に良い悪いもない。
此方が論理的に解釈することが出来ない
以上は採用しないのが原則でしょ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/492.html#c26

コメント [原発・フッ素50] まんがイラスト ぼうごなつこさん 原子力発電は、こんな人たちによって成り立っているのです  赤かぶ
42. 茶色のうさぎ[-8784] koOQRoLMgqSCs4Ks 2018年11月10日 23:50:31 : d44dzatzlA : d@NHIRF74Dc[-2]

 ↓ 日本共産党、犯罪、手口、正体です。 水俣 背後からの一刀、裏切り。 石牟礼道子さん
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/306.html <赤かぶ 日時 2018 年 9 月 11 日

結論: まぁ、勉強してください。 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/526.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK253] 日本の政治の崩壊を見事に見せつけた朝まで生テレビ  天木直人  赤かぶ
1. 2018年11月10日 23:51:28 : 8xYbMmzqCk : ZRmW11HLoAk[31]
 所詮は1%の飼い犬たちの番組なり。日米合同委員会の実態さえはぐらかす。本国米国の実態もタブー視!
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/498.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK253] 小沢一郎さんと橋下徹が会ったことの背景を考えてみる。(谷間の百合) 赤かぶ
27. 2018年11月10日 23:56:12 : PdDHSqpKj2 : ExsGc0XHp3o[5]
>言葉濁して悪いけど
修正:言葉を砕いて悪いけど
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/492.html#c27
記事 [昼休み54] 日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン (コーラン)」

日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」
http://islamjp.com/culture/koran_frame.html


▲△▽▼

クルアーン (コーラン)

クルアーン(قرآن qur’ān)あるいはコーランは、イスラム教(イスラーム)の聖典である。イスラームの信仰では、唯一不二の神(アッラーフ)から最後の預言者に任命されたムハンマドに対して下された啓示と位置付けられている。ムハンマドの生前に多くの書記によって記録され、死後にまとめられた現在の形は全てで114章からなる。

クルアーンは、読誦して音韻を踏むように書かれている。「クルアーン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味し、アラビア語では正確には定冠詞を伴って「アル=クルアーン」と呼ばれる。

英語では、Quran(Qurʾan)または、Koranと表記されるが、「コーラン」は、回教(回紇(ウイグル)に由来))と共に中国語「古蘭(または可蘭)」に由来する。 通常、日本ではコーランと呼ばれることが多い。

クルアーンの成立と正典化

クルアーンの成立経緯は、クルアーン自身とハディース(預言者ムハンマドの言行録)、およびムスリム(イスラム教徒)の伝承によれば、以下の通りである。

アラビアヒジャーズ地方の町マッカ(メッカ)の商人であったムハンマドは、40歳ほどであった西暦610年頃に、迷うところがあってしばしばマッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していた。ある日の瞑想中に突然、大天使ジブリール(ガブリエル)が彼のところにあらわれ、神から託された第一の啓示を与えた(この最初の啓示時期はラマダーン月のライラトルカドルという説がある[1])。

はじめムハンマドはこれをジン(魔人)に化かされたものかと思い怖れたが、やがてこれを真に神から与えられた啓示と信じて、自ら啓示を受け取って人々に伝える使徒としての役割を務めることを決意した。そうして啓示はムハンマドが死ぬまで何回にも分けて下された。

ムハンマド自身は文盲であったため、彼を通じて伝えられた啓示はムハンマドと信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承され、また書記によって記録され伝承された。また、啓示されたクルアーンの一部は、ムハンマドの生前から彼に直に接した信徒たちによって木の板や棕櫚の葉、石などに文字としてその都度記録されていたことはハディースなどでも伝えられている。しかし後にムハンマドに直に接し啓示を記憶した者たちが虐殺されはじめ、記憶を留めるためにクルアーンを一冊にする作業がはかられ始めた。このように書物の形にまとめられたクルアーンをムスハフという。

まとめられる以前は、イスラーム共同体全体としての統一した文字化が行われなかったため、次第に伝承者や地域によって内容に異同が生じたり、伝承者による恣意的な内容の変更や伝承過程での混乱が生じはじめて問題となっていた。

これに対し危機感が抱かれ、初代正統カリフのアブー・バクルの時期(632年 - 634年)に、ムハンマドの秘書を務めたザイド・イブン=サービト(英語版)によって、初のクルアーンの編纂が行われ、続いて、第3代正統カリフのウスマーンがクルアーンの正典化を命じ、650年頃、再びザイド・イブン=サービトを中心として、クルアーンの編纂が行われて1冊のムスハフにまとめられた。ウスマーンは公定ムスハフを標準クルアーン(ウスマーン版と呼ばれる)とし、それ以外のムスハフを焼却させた。このためウスマーン版を除くムスハフは現在までのところ発見されておらず、クルアーンに偽典や外典のたぐいは存在しないとされる。

1972年に発見されたサナア写本(英語版)には、ウスマーン版以前のものと考えられるクルアーンの断片が含まれており、従来、ウスマーン版以外のクルアーンの内容を伝えるものとして唯一のものとされてきた。しかし、2015年になってイギリス・バーミンガム大学に保管されてきたバーミンガムコーラン写本(英語版)に使われている羊皮紙を放射性炭素年代測定法で測定したところ、ムハンマドが生きていた時代に重なる568年 - 645年のものであることが判明し、ウスマーン版以前のものとしては現存する最古の写本であると考えられている[2]。この写本は2ページ現存しており、スーラの第18章から20章の一部が書かれている。

特徴[編集]

イスラム教における位置付け[編集]

クルアーンは、神がムハンマドを通じてアラブ人にアラビア語で伝えた神の言葉そのものであるとされ、聖典としての内容、意味も、言葉そのものも全てが神に由来する。

クルアーンが神の言葉そのものであることを信じることはイスラム教の信仰の根幹である。イスラーム神学では、クルアーンは神の言葉そのものである以上、神に由来するもので、神の被造物には含まれない。クルアーンを記した文字や本、クルアーンを人間が読誦したときにあらわれる音は、被造物である人間があらわしているので被造物の一部であるが、その本質である言葉そのものは、本来被造物の世界に存在しない神の言葉である。従って、神の言葉であるクルアーンが地上に伝えられていることそれ自体がムハンマドに対して神がもたらした奇跡であると主張される。

内容[編集]

アラビア語圏では、単に宗教的な解説書ではなく、文学としても第一級品であるといわれる。事実、書かれている(あるいは説かれている)文章の意味をあまり理解できない者でも、そのアラビア語の美しさに引かれて改宗した者も多くいたという。もともと、戦や争議において詩の優劣で勝敗を決めるという手法を方策の一つとして採用していたアラビア人達を説得するだけの優れた内容を持っていたことから、ムスリムの間ではクルアーン自体が普通の人間にはつくることのできないような優れた文学であることが、クルアーンが神の奇蹟であることの証明であると考えられている。

また、口語と文語の開きが大きくなった現在では、文章語の模範テキストであるとされ、出版物などはクルアーンの言葉(フスハー)で書かれることが多い。

クルアーンの各章は一度に下された啓示のまとまりであり、下された時期を基準として、ヒジュラ(イスラーム共同体のマッカからマディーナ(メディナ)への移転)を境とするマッカ啓示とマディーナ啓示に大別される。

マッカ啓示は、ムハンマドが啓示を受け始めた直後に属するものを含む。これらは非常に短いものも多く、内容は唯一神への信仰や終末に対する警告など宗教的情熱を伝える点が特徴的である。その少し後、イスラーム共同体が形成され始めてからは、信者に信仰を促すような啓示が多い。マッカ啓示で信仰的な信条に関する啓示が語り終えられたことから、続くマディーナ啓示では、イスラーム共同体の法規定や、信徒同士の社会生活に関して言及する啓示が多い。

クルアーンで描かれるアッラーフ(ヤハウェと同一の神)は、バスマラ(「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において」という意味の決まり文句)に象徴されるように慈悲深さ、優しさをその性質の基底としていることが強調される[3]。ただし、不義を行う者に関してはしばしば怒りをあらわにし、相応の懲罰を課す場面も見られ[4]、この点では旧約聖書の神の性格とも似る。

クルアーンと生き物[編集]

ラクダは複数扱い、雌、雄という語彙区分で多く登場する[5]。

ロバは2-259節、16-8節、31-19節、62-5節、74-50節の5か所に登場する[6]。

イヌは7-176節、18-18,22節に言及がある[7]。

蜘蛛は第29章の章題とされている。

構成[編集]

ウスマーン版のクルアーンは、全てで114の章(スーラ)からなり、スーラは節(アーヤ)に分かれている。各章はムハンマドに下されたひとつひとつの啓示であるが、長短は非常に大きなばらつきがあり、もっとも短い第108章「豊潤」には3節しかなく、もっとも長い第2章「牝牛」は286節ある。また、章の分け方とは別に、読誦するときに一度に読む目安となる分量ごとに全体を30等に分割したジュズウという巻に分かれており、ラマダーン月などに、1日に1巻ずつ読誦すると1ヶ月で全てを読誦できるようになっている。

章の構成は、第1章「開扉」を例外として、概して長い章から短い章へ向かう方針で編纂されており、時系列はばらばら。しかし、後代のウラマー(イスラームの学者の総称)らの研究によりおおよその推測がなされるようになった。そこでコーランの章を時期別に大きく三つに区分することができる。第1期はムハンマドが初めてアッラーフの啓示を受けてからの初期段階、第2期は大衆への伝道を進め、メッカにおける迫害が厳しくなった時期、第3段階はヒジュラ(ムハンマドがメッカの迫害を逃れてメディナへ遷都したこと)以降の啓示である。

それぞれの特色を述べると、第1期は啓示が押し並べて短い。この時期はムハンマド自身がイスラームの境地を見出そうとしているときであり、信奉者もごく少数の身内が主であった。初めてアッラーフの言葉を聞いた当初のものとされるコーランの記述を見ると、ムハンマドのアッラーフの言葉へ対する畏怖の念が強く出ているのが興味深い。啓示も神の創造と世界の終末を厳かに語り、アッラーフの権威付けを行っている。そして詩的で力強い。

第2期の特徴としては、約80章もの啓示が下り、分量が多いことと、内容が説話的であるということである。ただし、旧約聖書や新約聖書に比べると、コーランはストーリー性を重視していないきらいがあり、かなり端折ったりしている。このころになると一般大衆の信奉者が増え、危機感を持ったクライシュ族の迫害が始まる。ここで改めてイスラームの正当性を主張し、ムスリムの結束を呼びかけているのである。

第3期の特徴としては、一章あたりの啓示が長いこと。内容としては法制的で、イスラーム社会の規律についてしきりに述べている。クライシュ族の迫害を逃れ、メディナに逃れると、クライシュ族や現地のユダヤ教徒との対抗の必要上、イスラームの共同体であるウンマがここで形成される。そこで信徒の生活に深く介入し、きわめて政治的な啓示が述べられているのである。

目次(章別)[編集]

詳細は「スーラ (クルアーン)」を参照

1.開端(アル・ファーティハ)
2.雌牛(アル・バカラ)
3.イムラーン家(アーリ・イムラーン)
4.婦人(アン・ニサーア)
5.食卓(アル・マーイダ)
6.家畜(アル・アンアーム)
7.高壁(アル・アアラーフ)
8.戦利品(アル・アンファール)
9.悔悟(アッ・タウバ)
10.ユーヌス
11.フード
12.ユースフ
13.雷電(アッ・ラアド)
14.イブラーヒーム
15.アル・ヒジュル
16.蜜蜂(アン・ナフル)
17.夜の旅(アル・イスラー)
18.洞窟(アル・カハフ)
19.マルヤム
20.ター・ハー
21.預言者(アル・アンビヤーゥ)
22.巡礼(アル・ハッジ)
23.信者たち(アル・ムウミヌーン)
24.御光(アン・ヌール)
25.識別(アル・フルカーン)
26.詩人たち(アッ・シュアラーゥ)
27.蟻(アン・ナムル)
28.物語(アル・カサス)
29.蜘蛛(アル・アンカブート)
30.ビザンチン(アッ・ルーム)
31.ルクマーン
32.アッ・サジダ
33.部族連合(アル・アハザーブ)
34.サバア
35.創造者(ファーティル)
36.ヤー・スィーン
37.整列者(アッ・サーッファート)
38.サード
39.集団(アッ・ズマル)
40.ガーフィル
41.フッスィラ
42.相談(アッ・シューラー)
43.金の装飾(アッ・ズフルフ)
44.煙霧(アッ・ドハーン)
45.跪く時(アル・ジャーシヤ)
46.砂丘(アル・アハカーフ)
47.ムハンマド
48.勝利(アル・ファトフ)
49.部屋(アル・フジュラート)
50.カーフ
51.撒き散らすもの(アッ・ザーリヤート)
52.山(アッ・トール)
53.星(アン・ナジュム)
54.月(アル・カマル)
55.慈悲あまねく御方(アッ・ラハマーン)
56.出来事(アル・ワーキア)
57.鉄(アル・ハディード)
58.抗弁する女(アル・ムジャーダラ)
59.集合(アル・ハシュル)
60.試問される女(アル・ムンタヒナ)
61.戦列(アッ・サッフ)
62.合同礼拝(アル・ジュムア)
63.偽信者たち(アル・ムナーフィクーン)
64.騙し合い(アル・タガーブン)
65.離婚(アッ・タラーク)
66.禁止(アッ・タハリーム)
67.大権(アル・ムルク)
68.筆(アル・カラム)
69.真実(アル・ハーッカ)
70.階段(アル・マアーリジュ)
71.ヌーフ
72.幽精(アル・ジン)
73.衣を纏う者(アル・ムッザンミル)
74.包る者(アル・ムッダッスィル)
75.復活(アル・キヤーマ)
76.人間(アル・インサーン)
77.送られるもの(アル・ムルサラート)
78.消息(アン・ナバア)
79.引き離すもの(アン・ナーズィアート)
80.眉をひそめて(アバサ)
81.包み隠す(アッ・タクウィール)
82.裂ける(アル・インフィタール)
83.量を減らす者(アル・ムタッフィフィーン)
84.割れる(アル・インシカーク)
85.星座(アル・ブルージュ)
86.夜訪れるもの(アッ・ターリク)
87.至高者(アル・アアラー)
88.圧倒的事態(アル・ガーシヤ)
89.暁(アル・ファジュル)
90.町(アル・バラド)
91.太陽(アッ・シャムス)
92.夜(アッ・ライル)
93.朝(アッ・ドハー)
94.胸を広げる(アッ・シャルフ)
95.無花果(アッ・ティーン)
96.凝血(アル・アラク)
97.みいつ(アル・カドル)
98.明証(アル・バイイナ)
99.地震(アッ・ザルザラ)
100.進撃する馬(アル・アーディヤート)
101.恐れ戦く(アル・カーリア)
102.蓄積(アル・タカースル)
103.時間(アル・アスル)
104.中傷者(アル・フマザ)
105.象(アル・フィール)
106.クライシュ族(クライシュ)
107.慈善(アル・マーウーン)
108.潤沢(アル・カウサル)
109.不信者たち(アル・カーフィルーン)
110.援助(アン・ナスル)
111.棕櫚(アル・マサド)
112.純正(アル・イフラース)
113.黎明(アル・ファラク)
114.人々(アン・ナース)

聖書とクルアーン[編集]

聖書とクルアーンの関係[編集]

ムスリムの信仰箇条である六信のひとつには啓典(キターブ)があるが、啓典はクルアーンのみではない。啓典とは、神が預言者を通じて人類の各共同体に下した啓示を記した教典のことで、クルアーンも、クルアーン以前に神がムハンマド以前の預言者たちに下した啓典があったことを明言している。聖書の各テキストはこれらが後の世に伝わった物であるとされ、旧約聖書のムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)、ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)や新約聖書のイーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)はイスラム教ではクルアーンに並ぶ四大啓典に位置付けられている。ただしこれは、タウラート、ザブール、インジールだけを聖典として認め、それ以外のヨシュア記などを聖典として認めないという意味ではない。ダーウード、スライマーン、アイユーブ、ユーヌスなどクルアーンに登場する預言者の中にも、サムエル記や列王記、ヨブ記、ヨナ書など、タウラート、ザブール、インジール以外の書に主に登場する聖書の登場人物も存在する。あくまでクルアーンの中で言及されているのはタウラート、ザブール、インジールのみであると言う事に過ぎず、その三点以外を否定するような教えは特にイスラームの中には見られない。その一方で、聖典とされているタウラート、ザブール、インジールも現存するものは元々の形とは異なるとされている。

クルアーンそのものの記述では、啓示された当時の旧約聖書や新約聖書は「真理を照らす光」などと書かれており、元々は同じ神からの啓示であったにもかかわらず、現在の聖書が人間の手によっていかに変えられてしまったか、ということを示唆している。

このようにクルアーンを見る限りにおいて、啓示された当時の聖書が誤っているとの記述は一つもない。啓示された当時の聖書が人の手によって変えられてしまった結果、神はクルアーンを啓示したためで、「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」と宣言している箇所が数多くある[8]。そればかりではなく、「ユダヤ教徒もキリスト教徒も天国へ行く」との記述もある[9]。現在のイスラム教徒に色濃く見られる「イスラムを他の宗教よりも優位に位置づける」とする思想は、第一聖典のクルアーンには見られない[10]。

しかし現状では、伝統的な解釈においてはクルアーンを除く3つの啓典は神の言葉を歪曲して完全に伝えていないとされ、神の言葉そのものであるクルアーンに比べると不完全なものであるとされている。現在、イスラム圏のいくつかの国では聖書は禁書とされている。啓示された当時の聖書を「クルアーンと並ぶ聖典」としていたが、現在の人の手が入り、どれが神の言葉かわからなくなってしまった聖書を「禁書」としている。ハディースでは、クルアーンの聖句と、各地に伝わるムハンマドの言行とが、項目ごとに収録されている。聖書には人の手が入ってしまった以上、「聖書よりもクルアーンが優れている」、「ユダヤ人から聖書の話を聞いてはならない」との記述が出てくるようになる。クルアーンでは逆に「聖書について聞きたいことがあればユダヤ、キリスト教徒に聞け」と命じている[11][12]。

ただし現在ではムスリムの間に宗教多元主義論者が多く、彼らはただ単にムスリムはクルアーンを啓示として尊び、キリスト教やユダヤ教をはじめとする他の宗教はそれぞれの啓示を尊ぶのであって、優劣はないとしている。これはむしろクルアーンの原典に書かれた考え方に近いとも言えよう[要出典]。

聖書とクルアーンの記述の食い違い[編集]

詳細は「聖書の説話とクルアーンの関係」を参照

ユダヤ教徒とムスリムとの関係が悪化した原因として、ユダヤ人がイスラムに改宗せず、それどころかムハンマドを嘲笑したことが歴史で語られる。これは、ムハンマドが預言者であるにもかかわらず、彼らの知る人の手で改ざんされてしまった旧約聖書の内容とムハンマドの語る旧約の内容があまりに聖書と食い違っていたからである。

以下はその実例である。
3つの時代と場所が混ざり合う「これ長老たち、このわし(=エジプト王ファラオ)のほかにはお前たちの神はないはず。さ、ハーマーン(=ハマン)、泥に火をつけてくれい。わしに高殿(=バベルの塔)を造ってくれい。ムーサー(=モーセ)の神のところまで昇って見せるわ。どう考えてもあれは嘘つきにきまっておる」―コーラン28:38ここでは「バベルの塔」「モーセ」「ハマン」が同じ場面でコーランの中では登場する。しかし旧約聖書では、それぞれの時代と場所は大きく異なる。「バベルの塔」は紀元前2100年頃のメソポタミアのことで、旧約聖書の「創世記」に出てくる。「モーセ」(英語表記ではモーゼスと言う)は紀元前1240年頃にエジプトで生まれた。彼がイスラエルの民を約束の地カナン(現在のパレスチナ)に連れて行くことが旧約聖書の「出エジプト記」に書かれている。そして「ハマン」はペルシアの王に仕えていた、紀元前485 - 465年頃の人物である。旧約聖書の「エステル記」は、ハマンによるユダヤ人滅亡計画から民族を救った人物、すなわちペルシア王妃であったエステルと、彼女の養父であったモルデカイの話である。ユダヤ人にとって、「モーセ」と「ハマン」の時代を混ぜこぜにすることはありえない。モーセの出エジプトを記念した宗教行事が、ユダヤ最大の祭りである「過越しの祭り」である。またハマンの圧政から救われたことを記念する祭りが「プリム」である。いずれも現在も続く重要な祭りである。その時代にない名称が登場する「汝(=モーセ)の去った後、我ら(=アッラー)が汝の民を試練にかけた。例のサマリア人がみなを邪道に迷いこませた」―コーラン20:87(85)コーランでは、モーセの死の直後(紀元前2100年頃)すでに「サマリア人」の名称が登場している。コーランによれば、モーセの民を不信仰に陥らせ、偶像崇拝の罪を犯させた犯人が「サマリア人」である。だがこれは、年代的に矛盾している。なぜなら、紀元前721年に北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたあと、アッシリアからの移民と現地のユダヤ人との間に生まれた人々が「サマリア人」と呼ばれるようになったからである。人物が入れ替わる「タールート(=サウル)が軍勢をひきつれて出で立つ時、彼は言った。『いいか、アッラーはお前たちを川でもっておためしになるぞ。その水を飲む者はわしの兵ではない。その水を味わおうとしない者はわしの兵だ。ただし掌で一掬いだけ汲む者は別だが』と」―コーラン2:250(249)「ギデオンの戦士」の話が、コーランでは「サウル王の兵士」として語られている。「ギデオン」とは、古代イスラエル王国ができる前の士師と呼ばれる英雄である。ホテルや旅館、病院に聖書を置く活動をしている「ギデオン協会」の名前は、これに由来する。また「サウル王」とは紀元前10世紀の人物であり、古代イスラエル王国の初代の王である。人物の死期が異なる「いよいよ我ら(=アッラー自称)が彼(=ソロモン)に死の断を下した時も、さすがの彼ら(=精霊たち。ちょうどその時有名なソロモンの神殿の建設中で精霊たちはみな苦役に服していた)も全然その死に気がつかなかった。ただ一匹の土蛆がいて、それが彼の杖(=ソロモンの死体はその杖に寄りかかってあたかも生あるものの如くであった)を喰っていただけのこと。彼がばたりと倒れた時(=一年かかって蛆が杖を喰いつくし、ソロモンの死体は倒れた、がその時、神殿は完成していた)、精霊どもやっと気がついて、ああ、目に見えぬ世界の事情がわかっていたら、なにも屈辱的な苦役をいつまでも続けるのではなかったに、という次第」―コーラン34:13(14)、ハディースにも引用あり。死の時期によって全く異なる歴史が展開する人物として、ユダヤの歴史の中ではソロモン王がその代表である。若い頃のソロモンは、熱心なヤーヴェ信仰の信者であり、旧約聖書においても「箴言」「伝道者の書」「雅歌」などがソロモンの手によるとされている。しかし晩年の彼はヤーヴェ崇拝のみならず、他の宗教をも認める宗教的寛容政策を採った。旧約聖書に述べられたユダヤ教側の主張によれば、神(ヤーヴェ)はその罰として、古代イスラエル王国を南北に分断したとする。旧約聖書には次のようにある。「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである[13]。対して、コーランの記述を正当とした場合、神殿建設のさなか、つまりソロモンが非常にヤーヴェへの信仰に熱心だった時期に彼が死んだならば、イスラエルの南北分裂はなぜおきたのかに関して、ユダヤ教・キリスト教において展開された神学的説明とは相容れない。
当時(から現代に至るまで)現実にユダヤ教徒・キリスト教徒の間で使われている聖書は、歪曲・改竄が繰り返されたことで啓示された本来の内容から離れており、それゆえにクルアーンとの食い違いが生じるとする。「本来の」聖書の内容は新約・旧約ともにクルアーンとは原理上矛盾しない。故に最後の預言者であるムハンマドに下されたクルアーンが「確証」するべき「聖書」とは、現存するユダヤ教徒・キリスト教徒の聖書ではなく、「本来の」聖書であるとする。

預言者[編集]

クルアーンには計25人の預言者が登場し[14]、そのうち20人が「聖書」と一致するヘブライ預言者であるという指摘がある[15]。

詳細については「預言者#クルアーンで預言者として登場する全25人」を参照

クルアーンの翻訳[編集]

翻訳の是非[編集]



ナスフ体によるクルアーンの章句。10世紀に訳されたタバリーの『大タフスィール』ペルシア語版(写本は18世紀のもの)。アラビア語各単語とそれに対応する朱字のナスタアリーク体によるペルシア語の訳文。タフスィールの一種。


中国語によるクルアーンの訳文。
クルアーンは、アラブ人のムハンマドを通じてアラブ人の共同体に対して与えられた啓典であったので、布教の対象も当初はアラビア語を理解できるアラビア半島の住民に限られており、翻訳をめぐる問題も発生しなかった。

しかしクルアーンは単なるアラブ人に対する啓典ではなく全人類に与えられた最高で最後の啓典と位置付けられていて、それを根幹とするイスラム教の共同体も、アラブ人に留まらず全人類が内包されるべきものと位置付けられていたので、やがてアラビア語を解さない人々に対しても布教が行われるようになる。のちにイスラム教が東南アジアなどに布教されるようになる段階に至るとクルアーンの翻訳に対して積極的な意見を持つ者もあらわれた。しかしウラマーたちの間では「クルアーンがムハンマドに対してアラビア語で伝えられた」ことが重視され、翻訳されたものは神の言葉そのものであるクルアーンを正しく伝えられないとする解釈がなされるようになった。そのため、アラビア語で書かれたもののみが「クルアーン」であるとみなされるようになり、現在に至っている。

広く誤解されているが、クルアーンを翻訳すること自体は禁じられていない。7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である(これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。

かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。
中国
中国で初のクルアーン全訳が出たのは、民国16年(1927年)[16]という説がある(漢族の鉄錚という翻訳者による『可蘭経』)。これはアラビア語からではなく、坂本健一が1920年に出した『コーラン経』(ロッドウェルの英訳からの重訳)からの重訳といわれる(つまり三重訳)。その後、民国21年(1932年)に、ムスリムである王静斎によるアラビア語からの本格的全訳『古蘭経訳解』が完成したという[17]。
日本
日本語訳は、古くは前述の坂本健一や大川周明によるものがあるが、現在では井筒俊彦や藤本勝次らによる翻訳、ムスリムである三田了一や中田考による翻訳などがある。

「クルアーンの日本語訳」も参照

クルアーン解釈学(タフスィール学)[編集]

それでは、アラビア語で書かれたクルアーンの章句が他の言語に翻訳されたことが全くなかったかというと、もちろんそうではない。

預言者ムハンマドの死後、イスラームの拡大・拡散に伴い、それまで自明とされて来たアラビア語で書かれたクルアーンの意味や啓示された章句の背景についても、新たな世代やアラビア半島以外の非アラブの異邦人たち、さらに新たにムスリムになった人々にも説明し、各々の意味の解釈を提示する必要が生じ始めた。これらクルアーンに関する研究は、最初期にはハディースの集成によって啓示の経緯や意味内容をまとめることにはじまり、やがてアラビア語の文法学的解釈、神学的解釈などが付け加わり、クルアーンの解釈について学問的に体系化されていった。これらクルアーンの解釈に関する学問をタフスィール学 علم التفسير ‘ilm al-tafsīr と称している。イスラームの社会において「クルアーンの章句をアラビア語以外の言語で説明する」伝統は実際に存在したが、これらはこのタフスィール学の範疇として認識されてきた。

預言者ムハンマドの教友には、アラブ人以外の人々も何人か確認されている。その代表的な人物にイスファハーン近郊出身と伝えられるペルシア人ムスリムの祖、サルマーン・ファールスィー Salmān al-Fārsī がいる。伝承によれば、ムハンマドの側近として活躍していたサルマーンは、ある時イエメン在住のペルシア人ムスリムたちからクルアーン第1章(開扉章)の翻訳を求められた折に、「慈悲深く慈愛遍くアッラーフの御名によりて(bi-smi Allāhi al-Raḥmāni al-Raḥīmi )……」というバスマラの部分を、ペルシア語で「(bi(によって)−nām(名)-i yazdān(神)-i bakhshāyanda(憐れみ深い)……」という風に逐語的に翻訳したといわれており、アラビア語を解さない者のために当初からこのような処置が行われていたようである。

しかしながら、ムスリム側の認識に立った場合、上記のようにクルアーンはそもそも朗誦されることを前提としており(クルアーンの読み方については「クルアーン朗誦学」も発達した)、意味と朗誦の旋律を含めて統語論的体系の異なる他の言語に全てを完全に翻訳することは不可能である。そのため、クルアーンについて外国語訳を行う場合、飽くまでも意味を近似的に説明するだけしかできないことから、「翻訳」( ترجمة tarjama)の名称は避け、「各々の言語によるタフスィール」あるいは「タフスィール的翻訳( ترجمة تفسيرية tarjama tafsīrīya)」と呼びうるものになる。一般的に「クルアーンの英訳」「クルアーンの日本語訳」と呼ばれる物は後者の「タフスィール的翻訳」に分類される。

クルアーン解釈書・注釈書は単にタフスィール تفسير Tafsīr と呼ばれ、クルアーンの個々の章句や節について、諸々のハディースや学説に基づいた注釈、解釈などの解説が附される。アッバース朝時代に入って、アラビア語によってさまざまなハディース集成書やタフスィールが編纂されたが、アラビア語で書かれたタフスィール書がペルシア語などで翻訳されたりもした。「タフスィールそのものの翻訳」については、例えば10世紀後半、サーマーン朝第8代君主マンスール・ブン・ヌーフ(マンスール1世)の要請によって中央アジアのウラマーたちが行った、タバリーの大タフスィール、『解説集成』( جامع البيان Jāmi‘ al-Bayān)のペルシア語訳が存在する。また、ペルシア語によるタフスィールとしては、12世紀半ばにジャマールッディーン・アブールフトゥーフ・アル=フサイン・アッ=ラーズィーによって著された『愛の歓喜と心の魂』( Rawḥ al-Jinān va Rūḥ al-Janān )がある。これは現在の刊本でも全13巻に渡る大著であり、ペルシア語タフスィールとしては最も優れたものであると評されている。

『愛の歓喜』の場合、まず、章句中の各々のアラビア語文の節の下にペルシア語による訳文が添えられ、その後に各々の単語や文章などについてペルシア語による解説が詳しく述べられる。サーマーン朝のマンスール1世が編纂させたような「大学者が著したアラビア語によるタフスィール」の翻訳以外にも、ラーズィーの『愛の歓喜』のような「各々の言語によるタフスィール」の例もさまざまにあり、ペルシア語以外にもオスマン語やチャガタイ語、マレー語など、その土地その土地の言語によるタフスィール書も史上多数著された。近代以前において、土地ごとの信仰のあり方や宗派毎のクルアーン章句の解釈はさまざまであったものの、タフスィール学の発達もありアラビア語を母語としない非アラブ系のムスリムでも、クルアーンの内容を把握することは可能であったのである。

クルアーンとイスラム法[編集]


イスラーム法

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主な法概念

クルアーン • シャリーア
ハディース • スンナ
イジュマー • キヤース
イジュティハード
シューラー • イフティラーフ
アクル • ラーイ • フィトナ
ズィンミー• フィクフ
マズハブ

主な法学者

アブー・ハニーファ
イブン・ハンバル
イブン・タイミーヤ
マーリク・イブン・アナス
シャーフィイー
ジャアファル・サーディク

主な法学派

ハンバル学派
シャーフィイー学派
マーリク学派
ハナフィー学派
ジャアファル法学派

イスラム法学では、クルアーンは神の言葉そのものであるという性質上、イスラム法(シャリーア)のもっとも重要な法源であり、イスラーム法体系における憲法にあたる。

しかしクルアーンは宗教の信仰に関して語る部分も多く、ムハンマドの死後、最後の啓示が下されてから何十年も経つと、拡大したイスラーム共同体の現状に対して十分に対処できない面が大きくなった。そこで、生前のムハンマドに直に接していた教友たちから口伝えによって伝承されてきたムハンマドの言行をハディースとしてまとめ、クルアーンに欠けた部分を補ったり、クルアーンを解釈する助けとすることが始められた。ムスリムにとって、ムハンマドは神の意志をもっとも完全に体現し、語り実行していた存在であるとみなされるので、ハディースに伝えられるムハンマドの言葉や行動は、人間であるムハンマドに由来する神の被造物のひとつであるけれども、神そのものに由来する内実の意味を含んでいたとされる。そこで、ハディースを用いることで法源としてクルアーンを補うことができる。

スンナ派における法源学では、第一のクルアーン、第二のハディースに第三のイジュマー(合意)、第四のキヤース(類推)を加えて四大法源とする。イスラム法学では、上位の法源では解決できない問題に限って下位の法源をあたることが許されるため、クルアーンに反する法規定が存在することは原則としてありえない。これは、法源にイマームの見解を重視するシーア派でも同じである。

しかし近代には、西洋のキリスト教社会から押し寄せた近代化の波が、クルアーンに基づくイスラム法と近代社会の間の齟齬を一気に拡大させることになった。これに対してムスリムたちは、サウジアラビアのように厳格なイスラム法学派(ワッハーブ派)を適用してイスラーム法に基づく社会の再構築をはかることもあったが、多くのイスラム法学者は四大法源に基づきつつもイスラム法を柔軟に解釈して現代社会に適合させていき、また多くの国の政府はイスラム法に加えて政府や議会が制定する西洋的な近代法をイスラーム法に付加させて対応した。イスラム法のいっさいを廃止しヨーロッパから持ち込んだ近代法一本に改めたトルコはその極端な例である(世俗主義)。こうした西洋文明の衝撃に対して行われてきたイスラーム法の変容に対する異議申し立てがイスラム主義(いわゆるイスラム原理主義)であり、彼らの多くは政治的にはクルアーンなどを法源とする伝統的なイスラーム法(シャリーア)によるイスラム国家の建設を主張している。

クルアーンの研究[編集]

クルアーンはムスリムにとって信仰の根幹にあたるため、その読誦法や、章句の意味解釈はウラマー(学者)の修めるイスラム諸学のひとつとしてクルアーン学を発展させることになった。また、ヨーロッパのキリスト教徒の学者たちも、十字軍の遠征などによってイスラム世界との接触が深まると、敵であるムスリムの信仰を知るためにクルアーンの研究を始めるようになった。十字軍がはじまって50年後の1143年にはチェスターのロバートによってラテン語の注解がなされている。

クルアーンの研究においては、クルアーンにみられる、神の自称が「我ら」であったり「彼」であったりという統一感のなさや、宿命論と行為の自己責任の問題などでみられるしばしば矛盾する記述は大きな問題となり、議論の対象となった。ムスリムの学者たちはハディースを用いたりして、この問題を解決して解釈しようとしてきた。前近代においてムスリムがクルアーンの矛盾に対するときの根本的態度には、彼らの信仰の基礎であるクルアーンの啓示全てが神の言葉であるという確信にあった。

これに対して、非イスラーム教徒のキリスト教徒の学者たちは、特に古い時代において、聖書のみが神の言葉であるという宗教的信条からクルアーンが神に由来するとはみなさず、ムハンマドの著作物であるとみなした。しかし近代に入り、ヨーロッパで聖書の文献批判的研究が始まると、聖書がこれまでキリスト教徒が考えていたように神の言葉そのものではなく、複数の編者がまとめた教典が編集されてできたものであるという認識が共有されるようになった。

非イスラム教徒やリベラル・ムスリムの学者たちは、クルアーンの各章を年代的に分けて内容を分析した。例えば最初期の啓示は、意味的には内容が非イスラム教徒には支離滅裂とも感じられるものが多く、啓示を受け始めた直後のムハンマドの混乱した精神状態を反映しているという解釈がなされた。また、マッカ啓示とマディーナ啓示を比較すると前者は終末論的な色彩が強く、後者は法規定に関する言及が多いのは、イスラム教の信徒たちがヒジュラを境に、マッカにおける先鋭的な新興教団から、マディーナを支配する一種の国家に変化したためとみなされた。また、キリスト教やユダヤ教の扱いに関して、初期の啓示ではこれらに友好的な態度を見せているのに、マディーナにおける後期の啓示では強い敵対心を示しているのは、一神教の先輩であるユダヤ教がムハンマドのイスラム教団と直接に接触する中で、イスラムを異端視したり、イスラーム共同体と政治的に衝突したことが原因であるとした。そして、マディーナ啓示において旧約聖書に由来する預言者の物語が増えるのは、彼がマディーナに住むユダヤ教徒から旧約聖書の内容を学んだためだ、と考えられた。クルアーンの伝承がしばしば旧約聖書や新約聖書と食い違うのは、ムハンマドの得た情報が不完全だったとか、あるいは無学な彼が勘違いをおかしたためだと断定された[18]。

このように非イスラム教徒やリベラル・ムスリムが行ってきた議論はクルアーンを合理的に解釈して説明したが、しかしこれはクルアーンを神に直接に由来する奇蹟だとする教条的・保守的イスラムの信仰との対立を生んでいる。また、売り上げ的には世界のベストセラーのひとつであるが作者が誰かという問題がある。歴史的にみればムハンマドであるが、イスラム教徒の間では現在でもアッラーフであるという意見が主流である。

クルアーンの編纂(書物としての成立)についての研究が対立を生む場合がある。1993年、カイロ大学アラビア語科助教授ナスル・アブゼイド(en:Nasr Abu Zayd)が発表した「口頭で伝承されたクルアーンのうち、何を含めるか、どの口語で書くべきなのかが正統カリフ時代に激しい論議を生んだ」という研究が「無神論的」であると批判された。その内容が問題視され、原理主義的な教授陣の反対によりナセルは教授就任を拒否された。ムスリム同胞団員の弁護士は彼をカーフィル(背教者)とし、よってムスリム女性と婚姻を続けることはできず、夫人と離婚しなければならないと訴え出た。1994年、裁判所は訴えた弁護士が婚姻関係については第三者であるという理由で一度は退けたものの、第二審で逆転。イスラム教徒なら誰にでも宗教を擁護し、訴え出る権利があるとした。ナセルは背教者であり離婚すべきとの判決が下された。その後、過激派の指導者がナセルへの制裁を認める発言をするなど危険な状況となり、彼はイブテハル・ユーニス夫人とともにオランダに亡命することになった[19]。

クルアーンをめぐる諸問題[編集]

イスラム教徒にとって神のロゴスであるクルアーンは、アッラーフ自身の一部とも言うべき位置を占めており、したがってそれへの批判はアッラーフ(およびそれを奉ずるイスラームという宗教自体)への冒涜に等しいとする解釈が主流である(なぜなら、クルアーンの謎の言葉には、神の正体などが書かれているとされるからである。謎の言葉とは、意味が不明の言葉で、神のみが意味を知っている言葉である)。そのため、イスラームは他の宗教よりも絶対的に優越している完全な教えという信念ともあいまって、クルアーンに対してそのような見解を持たない非ムスリムがクルアーンの批判を行うことや、クルアーンをムスリムほど丁重に扱わないことに対し、非ムスリムからすれば理不尽とも思えるほどの憎悪を抱くイスラム教徒も存在している。そのような言動の存在自体を許せないという勢力もあり、現にイスラム世界のいくつかの国家ではイスラーム法に基づき、クルアーンへの批判やその損壊などを犯罪とし、非ムスリム・ムスリム問わず犯人を死刑を持って取り締まる場合もある。2008年6月にはパキスタンでクルアーンを焼き、ムハンマドを批判したとしてムスリム男性が死刑判決を受けている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/314.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 宗教関係投稿リンク 中川隆
36. 2018年11月10日 23:58:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20464]
日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン (コーラン)」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/314.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/459.html#c36

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