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悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 12 月 18 日 16:54:48: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 慰安婦問題解決なければ日本にとって負担=李大統領(ヨンハプ)米属人が在日に参政権よこせ世界の多くがしてるとほざいてる件 投稿者 木卯正一 日時 2011 年 12 月 18 日 02:12:30)

そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。

18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。


従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本

吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。

 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

 日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

 それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。


そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

 済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

 ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
 案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。


秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

 「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

 秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
 厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

   番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

  「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。

もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。

  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。

   韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。

   そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」


アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
   んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
   さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
   ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
   が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。

この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師


『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う


「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
 「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

 「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)

 『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
 
その1 
 秦稿112ページに次のような部分がある。

 松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

 まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒


その3
 秦稿118ページに次のようにある。

 宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。

 それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。

 宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。

つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html

従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのがこの詐欺師 秦郁彦の本なんだからね.

こいつらに頭はあるのかな?

要するに、自分が慰安婦だった事がばれると親族一同村八分にされて生きていけなくなるから、真実を言う訳にはいかないのさ。

吉田さんは優しいから、そういう事情を酌んで、あえて自分の真実の発言を自ら否定せざるを得なくなったんだ。

これが売春婦に対する待遇?


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/

日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。

http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm

   ,, - 'i': : : : :゙:'ヽ. ::              :::'' ,, -'':゙:゙:゙゙:':'ヽ-,, 
     'ヽ, |': :: ::(●| 'ヽ:::            .::'.'/ |:: : : : :(●| ゙''-,,,,,:
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          ゝ,,丶\::v || |:‖ -__w ヽリ゙リ゙|j:‖//  /   
           ゝ''ヽヽ::,, --v,‖ :リ,,リ,゙,,,,,::://ノ /  


________

参考

半月城通信
http://www.han.org/a/half-moon/

「従軍慰安婦」は商売か性奴隷か
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/top_5.htm

従軍慰安婦について〜昭和初期から戦中まで〜
http://www2.ocn.ne.jp/~adult/ianfu/index.html

◆ 美しい壺日記 ◆ [従軍慰安婦]「強制連行された証拠はない」は嘘
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-58.html

 

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コメント
 
01. 2011年12月18日 18:27:21 : 0y5nWD0jeQ
大いなる疑問なんだが、日本兵達がそれほどまでに飢えていたとすれば
当然ながらフィリピンやら他の各国でどうして「慰安婦問題」が無いのか。

なぜ「韓国」だけで起きたという事になっているのか。
おかしいよね。
何故韓国だけが「政府間で戦後交渉を合意、解決」した事を反古にするのだろうか。

元々が日本の兵の一員として「中国へ派兵」しているという事も言われ、中国でも
最近は虐殺を行なっていたのは韓国人達ではないか?ともいう中国人が居る位。
>南京大虐殺は朝鮮族の仕業アル7
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1316415590/l50

おれは否定も肯定も出来ないと思う。
戦争と言う「人を殺す」野蛮な行為を正当化した大虐殺行為なのだから。
ただ、そんな行為にウソを付け加える行為こそ卑劣と言わざるを得ない。

韓国は元々日本と同盟国扱い、というか日本が統治していたので韓国が日本と戦ったと言う事は
根本的に大ウソであり、韓国は裏切って世界を騙した訳なんだよね。
それでも日本は異議を唱えず賠償金を支払って「政治的に解決」しているのは国連でも認められている。
>日本の戦争賠償と戦後補償
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F

調べれば調べるほど、明らかにおかしな事ばかりが出てくる。

過去は既に政治的に日韓で解決している。
解決していないと騒ぐのは解決している「事実」を韓国人が知らないのか、それとも
日本がウソをついて国連での情報をねつ造しているのかのどちらか。

一体どっちですか?

>戦後補償問題
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/h-minami/note-sengohosyo.htm

>韓国、国連委で慰安婦賠償に努力求める
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1444.html
上記ブログ情報では、韓国軍はベトナム戦争時アメリカ軍の一員として派兵し、ベトナム人を
レイプしている事実が暴露されている。
「南京虐殺 韓国人」で検索して下さいな。


02. 中川隆 2011年12月18日 18:50:01 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


フィリピンやら他の各国でどうして「慰安婦問題」が無いのか。

いくらでも有るよ:

日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。

 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、

「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」

と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、

「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と認定している。

 一連の資料について林教授は

「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」

と話している。

http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/462.html

慰安婦強制動員を裏付ける文書…ソウル大鄭教授チームが発見


日本軍が慰安婦を強制動員したことを裏付ける公式文件が見つかった。これまで被害者の証言はあったが、慰安婦動員の強制性と暴力性について書かれた資料は極めて少なかった。

ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン、社会学)教授チームは12日、「1946年7月5日、オランダ軍情報部隊が日本軍の慰安婦強制動員と慰安所運営について作成した文書を確保した」と明らかにした。

「日本海軍占領期にオランダ領東インド西ボルネオであった強制売春に関する報告書」と題した文書は、その間、オランダ政府記録物保存所に保管されてきた。

この報告書は

「日本の特別海軍憲兵隊が路上の女性を連れて行き、強制的に身体検査をさせた後、慰安所に入れた」

「慰安所は厳格に統制・隔離された」

など、日本軍の蛮行が書かれている。

また

「女性が慰安所を脱出したという理由で母親が殺害されたケースもあり、慰安所の女性は脱出も考えられなかった」

「女性は特別許可を受けてこそ慰安所から外出することができた」

などと明らかにした。慰安所の女性の国籍は書かれていない。

報告書は

「1943年、日本海軍駐屯軍司令官はこの地域の日本人に対し、インドネシア・中国の女性と親しくするなという命令を下した。その代わりに公式的な慰安所を設置しろという命令も出された」

と記述している。

報告書によると、慰安所は当時、海軍専用と民間用の2つが運営され、 民間用慰安所は日本軍司令官の指揮で日本人事業者協会が運営責任を預かった。 以外な点は「慰安所で支払われた代金の3分の2が女性に入った」という部分。 これに続いて「女性は時々、一部のお金を受け、個人的な用途に使った」と書かれている。

鄭教授は

「慰安婦に代金が積み立てられていただけで、実質的には支払わられていなかったことを裏付ける証拠」

と指摘した。 報告書は日本人戦犯に対する尋問や関係者らの証言を基礎に作成された、と書かれている。


◇「安倍首相の妄言を覆す証拠」=鄭教授は

「当時オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)で行われた戦犯裁判のために作成された資料と推定される」

とし

「昆明の報告書より具体的に当時の状況が書かれている公式文書が初めて見つかった」

と説明した。

鄭教授は「安倍首相の『慰安婦を強制動員した証拠はない』という妄言を覆す証拠だ」と強調した。

04年公開された米戦略事務局(OSS)の報告書(45年5月作成)にも、当時中国南部の昆明で日本部隊を脱出し中国軍に投降した女性25人全員が‘強要と詐欺のため’性奴隷になったと明示されている。

これに先立ち、共同通信は11日、インドネシアで慰安所を運営した日本人が戦後オランダで行われた戦犯裁判で「軍部の指示によって民間慰安所を設置した」と証言した内容が見つかった、と報道した。 (クォン・クンヨン記者)

http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/437.html


南京が占領され、情勢が落ち着いてくると、日本軍は現地の売国奴を通じて「募集」、脅迫、騙しといった方法で中国の女性を集めて慰安所を設置し、商業ベースでの経営を行った。南京にかいらい政権がつくられると、今度はかいらい政権にこの仕事のための専門要員を派遣させた。

 日本軍自身も南京で慰安所を開設した。これは主として高級・中級将校のためのもので、軍部は中国に在留する日本の風俗店主にこれを委託した。こうした慰安所は主に市南部の夫子廟から大行宮の一帯に集中していた。この地区は南京の繁華街で、かつ日本当局が決めた日本人居留民が集中する「日本人街」の所在地でもあり、その上日本軍の兵営や多くの軍事機関にも隣接していたため、日本軍当局や日本の風俗店主の経営する「安楽ホテル慰安所」、「松下富貴慰安所」、「青南楼慰安所」などが集中していた。

 経盛鴻教授によると、多数の慰安婦が野獣のような日本軍将兵によって蹂躙
(じゅうりん)された。

多少なりとも不服従または反抗の様子を見せた女性には、

軽い場合で食事を与えず、

重い場合は、軍刀で乳房や手足を切り落とし、さらには犬に食いつかせるなどして、他の慰安婦の見せしめとした。

 1945年8月15日に日本が無条件降伏すると、南京当局は10月に日本軍が設置した「慰安所」を閉鎖し、看板をとりはずし、慰安婦となった内外すべての女性を解散させた。これをよって南京に8年間にわたって存在した日本軍慰安所と慰安婦制度は、ようやく完全に歴史のゴミ箱に送り込まれた。
 (南京8月9日発新華社)

http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/zt/qqq115/t206723.htm

慰安婦が公娼のように見えた理由  


そんな気持ちを察したのか、朝鮮の慰安婦から「死んじゃ駄目よ」と慰めの言葉を掛けられたのを覚えております。また、運城の陸軍病院に応援軍医として派遣されたときも皆と一緒に慰安所に行きましたから、結局六、七回は訪れているでしょうか。

 当時の軍人の目から見ると「慰安婦」は公娼のように見えたのです。料金を払いますし愛想もよかったからです。

然し彼女たちには本当のこと、つまり

「私は強制され連れて来られた」

とか、

「帰ろうとしても脅迫され帰れなかった」

などとは絶対に言えなかったのです。

相手は軍人、ましてや将校、「日本軍を談議する」とか、「戦争に協力しない」として憲兵隊に通報される。またにこにこして兵隊を迎えなければぶん殴られるが関の山。ここに落ちたら泣いても反抗しても同じ、することはしなくてはならない。だから性奴隷です。これが植民地支配の実情です。

 私は路安で一日に30人を相手にして急死した女性のことを聞きました。苦しくても逃げられなかったのです。

 しかし

「外出もできたから自由があった。お金を得たから奴隷ではない」

などと言う若いマンガ家や

「兵隊を拒否しなかったから商売だった」

という大学教授もおります。これらは植民地支配や戦地の軍支配の実体を何も知らない人たちの言うことです。「慰安婦」は正しく日本軍の性奴隷だったのです。


http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm

証拠を隠滅しておいて裏付けはないとは


当時の軍や政府が敗戦を目前にしてあらゆる機密事項を焼却したり廃棄したことは良く知られている。

政府・軍部が自ら証拠を隠滅しておいて「裏付けのある証言はない」とは!?


占領行政にかかわる資料は多くが敗戦時に廃棄されていますが、それでも研究者などの努力で軍や政府が「慰安婦」の連行や「慰安所」の設置に関与したことを示す文書がいくつも発見されています。

 「河野談話」が軍の関与を認めたのもそうした積み重ねの結果であり、安倍首相や「靖国派」が重箱の隅をつつくような議論で強制性を否定するのは、文字通り歴史の事実にそむくものです

日本軍「慰安婦」とされた女性たちの中には、相当高い比率で未成年の少女たちがいた。未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である。

日本軍「慰安婦」制度は、居住の自由はもちろん、廃業の自由や外出の自由すら女性たちに認めておらず、慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった。故郷から遠く離れた占領地に連れて行かれたケースでは、交通路はすべて軍が管理しており、逃亡することは不可能だった。公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、日本軍「慰安婦」制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった。

http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_ffb6.html


日本政府は、終戦時、閣議決定により公文書を大量に焼却した。現在残っている軍関係資料は、永久保存のために疎開させていた一部の文書や個人的に隠していた文書、戦場で米軍が没収した文書など全体のほんの一部です。

焼却した文書は、戦争犯罪に関する文書(慰安婦問題に限らず)で、これを処分した目的は、米軍からの追及を逃れるための証拠隠滅でしょう。そうでなければわざわざ処分する必要はないのです。

陸海軍の公文書が、敗戦時に焼却され大部分が処分されたことは、防衛庁も明らかにしています:


防衛研究所 史料閲覧室(防衛庁のページ )

防衛研究所では、戦史の調査研究と戦史の編さんを行うために、陸海軍にかかわる史料の収集を行いました。史料の大半は終戦時に焼却され、あるいは戦後の混乱により散逸してしまいました。焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、長い外交交渉の末、昭和33年4月にようやく我が国に返還され、その大部分が防衛研究所に所蔵されています。

軍だけでなく内務省などでも公文書の焼却が決定し、地方統監→府県知事→市町村の順に通達されました。すなわち国家的規模で公文書の焼却が行われたのです。奥野誠亮元法相は、自分と他3名で全国くまなくまわって公文書焼却の通達をしたと自ら語っています。


奥野

…その外(ほか)公文書は焼却するとかいった事項が決定になり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する、海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する、内政関係は地方統監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもわからないので、その際にそういう文書を見られてもまづいから、一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。それが何日に出発したか覚えてはいないのですが…。

入江 

十六日だと思います。

(『山崎内務大臣時代を語る座談会』1960年)

日本政府は、自ら証拠隠滅しておいて証拠はないと言っているわけですが、敗戦時に、証拠隠滅のための大規模な公文書焼却が行われたことからすれば、文書による証拠がないことを理由に元慰安婦の証言を否定することはできません。

http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070408/p1


「慰安婦」証拠ないのが当然 大村袈裟嘉(山梨県山梨市、79歳)


従軍慰安婦問題を巡る安倍首相の発言が、内外に波紋を広げている。狭義の強制性を問題にして証拠と証人が出てこないことを強調しているようだが、敗戦時の旧日本軍の厳しい証拠隠滅工作に従事させられた私には、証拠がなくて当然と思えるのだ。

私は16歳で海軍少年兵に志願し、18歳の夏に航空隊高等科演習生で敗戦を迎えた。実戦部隊ではなかった私たちの学校でも、秘密性が高い「軍機」や「軍極秘」はもちろん、秘密性が低い「秘」の修身の教科書さえ全部回収し、練兵場の隅に掘った穴で3昼夜燃やし続けた。

こうした証拠隠滅の指示や緘口令は、旧日本軍のあらゆる部門で出たはずだ。したがって、戦地での性や人権が絡む慰安婦問題で、証拠や証人が出てこないのもやむを得まい。

http://gpm.seesaa.net/archives/20070401-1.html


日本女性も騙されて慰安婦にされていた

当時も慰安婦の「強制連行」は違法であり、違法を指示する「公文書」などは在り得ない。100歩譲って在ったとしても、敗戦直後、国内外の至る所で証拠隠滅のためあらゆる書類を焼却処分したのである。

従軍慰安婦がいても当然だろうと思われる明らかな証拠がある。それはポツダム宣言を受け入れた直後から国政を与る為政者たちが、占領軍の日本進駐を見越してアメリカ軍将兵の性の捌け口としての慰安所を全国に設置することを検討していたのだ。

それは早くも敗戦の詔勅が出て3日の後のことだが、「占領軍の進駐時に合うように進駐軍将兵用慰安施設の設営を急げ」なる内務省通達が発令され、全国の警察に通達、設置を急がせたのだ。

そして27日には東京・大森で「小町園」が最初の慰安所を開業しているのだ。しかし、南方方面軍が進駐して来ると同時に性病を持ち込み、瞬く間に蔓延を広め、わずか3ヶ月で閉鎖に追い込まれることになった経過まで分かっているのだ。

「良家の子女を守るため」とした慰安所は、芸妓、公娼、私娼妓、女給、常習淫売者らを優先的に充足させ、足りない分には一般の募集まで行った事実が各地の警察の記録で保管されているのだ。当時の戦後の食べるにも事欠いた混乱した時代、応募せざるを得なかった家庭の子女を売春に走らせる結果を招いたとしても不思議ではない。それでも全国のアメリカ軍の日本子女への強姦事件は後を絶たず発生し続けたのが実態だ。(このことは敗戦後60年以上を経過した今日でも、沖縄でアメリカ軍人のレイプ事件が起こっていることを見ても理解出来るだろう)

http://dogmarion.cocolog-nifty.com/seso/2006/07/post_10db.html


『新日本女性に告ぐ!

 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。

女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


国連が慰安婦に対する調査結果をまとめ、日本政府に突きつけた。

で、しかたなく河野談話を日本政府は発表した。

日本政府が「強制的に拉致してまで女性を慰安婦にしろ」と言う命令を出したわけでは無いが、実際に拉致して日本兵の性の奴隷にしていた。

日本国民が餓死寸前な状態で慰安婦に支払える賃金が無かった、にも関わらず支払う当ても無いのに、慰安婦募集をし、★騙して無給で労働させた。
(無給で労働→強制労働)

8万〜20万にも慰安婦に詐欺行為をした日本政府は、他国に類を見ない、下種な輩。

力の無い、立場が弱い、女性を騙し、食い物にした日本政府&日本企業が世界から
非難されるのは当たり前。

国連(UN)のHP
http://www.comfort-women.org/coomaras.htm


03. 2011年12月18日 19:29:13 : RzqCBoHeak
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
これを読んでからものを言え。関東大震災時に朝鮮人がそこら中に火を放って10万人に日本人を殺害したのはどうなるのか? 少しは自分の悪質な遺伝子を反省してからものを書くべきだな。

04. 2011年12月18日 19:36:39 : E7MadxD0Tk
吉田証言が捏造なのは明らか。
1996年5月29日付週刊新潮インタビューで吉田本人が
「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」
と言っている。
本人が事実でない事を認めているのに、虚構じゃないとはみっともない人間だな。

05. 2011年12月18日 19:49:31 : PQxsgHPQTc
「従軍慰安婦」を書いた吉見義明ですら1997年1月3日の朝まで生テレビで「植民地での奴隷狩り強制連行は確認されていない」と吉田の証言の信憑性を否定しているのに、未だに信仰している時代錯誤の信者っているんだね。

06. 2011年12月18日 19:51:06 : oXjyYrHR4I
 韓国人よ、今現時点で日本で起こっている「統一教会による日本女性7千人以上の人身売買」をどうしてくれるのだ! 日本で起こる外国人の犯罪者のほとんどが韓国人である。何様のつもりか!

07. 2011年12月18日 20:06:30 : o9zQ2ZYUCA
だいたい韓国は売春婦が「売春の取り締まりは生存権の侵害」だと抗議デモを行う
ような国なのに何が「名乗り出られなかった」だよ。
全くお笑いとしか言いようが無い。

08. 2011年12月18日 21:17:47 : 7XRJFph6NA
現代の法律、価値観で当時を裁くか?
当時は当時の法律価値観です。
貧乏なら我が子を売るのも当たり前。
食えないから、子供や老人は間引く。

建て前では、政府軍部は関与は無い。
女衒が暗躍しただけでしょうが。


09. 2011年12月18日 22:40:32 : rk4DIdds5s
酷い虐待を受けたという割には長生きしている現元従軍慰安婦(自称)

10. 2011年12月19日 00:06:29 : M5vgfE5H8w
>>01です。
どうして今、この問題を大きくするのか?
いや、何故大きくしたいのか?
スゴイ疑問があるんだよね。

極東有事を煽っても全く動かない。
韓国の哨戒艇が沈没させられても、北朝鮮が迫撃砲を撃っても
まったく戦争の気配すら起きなかった。
つまり、北朝鮮の軍部がこれは戦争を企むやつらが居ると考察、中国へ
今後の対応を会議し、決して挑発に乗らない事が北朝鮮や韓国、中国自らが
極東有事を目論んでいる連中は矛先を変えた。

それが、日本や中国、韓国へ仕込んでいた虐殺問題、慰安婦問題という事。
つまり軍事的危機は煽ってもムダになった。
ならば民族意識を燃え上がらせ国家危機を国民自ら火をつけて煽ることで民族同士の
いざこざを大きくすればおのずと国家間での危機が訪れる。
あとは面白いように戦争を始めてくれるだろうね。

韓国は不条理な経済条約で脅されているとしたら、このタイミングでなぜ
持ち上がって来たのかストーンと理解出来る。
日本がアメリカに対してカネを渡さなくなり、しかもTPPまで反対し始めている。
あまりにも揃い過ぎた。

日本は決して感情的に攻撃してはならない。
それが韓国のバックに居る奴らを焦らす事にもなる。
韓国がもし自白すれば、日本や中国、ロシアやアジアは韓国を見捨てないと思う。
むしろ戦争を煽り危機を作るテロ国家を暴く事にもなる。

日本人は馬鹿じゃない。
韓国も挑発をすればするだけした後で事実を検証すれば国家の恥を末代までさらし
続ける事にもなる。
韓国もそろそろ気付くべきだろうね。
この先どうなっていくのか。

恐らく両国民同士が対立すれば、韓国の電子産業や日本の産業や米国債を握っている
日本が滅亡すれば借金がチャラどころが、米軍の兵器を両国が使って戦うんだから
これほど美味い話はそうそうあるもんじゃない。

だろ?


11. 2011年12月19日 04:30:48 : LYKfFPbeIE
301:名無しさん@12周年:2011/12/18(日) 00:03:39.97 ID:O8i6BAZT0
この2人が慰安婦問題を作り、後世の日本人を苦しめています。
現在の慰安婦問題は、反日となるとブレーキがかからない韓国社会の歪みの問題ですが、
端緒を作ったのは日本人です。そのウソを暴いた韓国人記者もいます。

【千田夏光氏】
最初に従軍慰安婦という言葉を作った。中国大連市生まれの元毎日新聞社のフリー作家。
著作「従軍慰安婦 正編」において挺身隊20万人のうち5〜7万人を占める
朝鮮人女性が慰安婦にさせられたと記述した(慰安婦20万人の主張はこの誤読)。
挺身隊に所属した女性が従軍慰安婦になった例は確認されていない。
軍医麻生徹男氏を、誤解に基づいて慰安婦制度の考案責任者のように記述したが、
後にこの誤りを認め、麻生氏の娘に謝罪した。

【吉田清治氏】
共産党から立候補歴あり。
著作「朝鮮人慰安婦と日本人」において、日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。
89年、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が、慰安婦狩りを行ったという
吉田証言を検証すべく行った取材結果を元に、吉田証言を捏造と報じる。
同紙は「道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と論評。
記事執筆者、許栄善記者は、歴史学者秦郁彦との面談で
「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と疑問を呈した。
96年、吉田氏は、週刊新潮のインタビューで、本に真実を書くことに利益がない、
事実を隠して主張を織り交ぜるのは新聞でもやっている、創作を交えたと発言。
98年、歴史学者秦郁彦氏に対し、人権屋に利用された私が悪かったと発言。


12. 2011年12月19日 06:37:54 : 3yHl5R260Y

そんな生まれてもいない過去のために1円だって税金を使って欲しくない。
すべて解決済みの問題を何度も持ち出して金をせびるたぁフテェ野郎だ。
そんなタカリしか考えない在日に参政権なんてとんでもない。

何をしてやっても連中は日本に感謝なんかしないよ、永遠に。

中川ってのは在日か? 日本の国益を害するような事を言うな。

どうだっていいんだよ。在日なんて全部まとめて本国に帰れ!!


13. 2011年12月19日 18:51:11 : 7XRJFph6NA
在日、文句あるなら帰化するか本国帰れ!
在日側と日本側の甘い在日特権があるのだろうが・・・。
寄生虫は駆除すべし!

14. 2011年12月19日 20:27:56 : r0FTW57FrI
今時、吉田清治証言が史実だと思っている痛い人がいるとはビックリ仰天です。


「慰安婦の首を切り落として煮た」だってさ。

バーカ(大笑い)


15. 2011年12月20日 14:27:28 : HCHi8XNjpU
>>14さん
>今時、吉田清治証言が史実だと思っている痛い人がいるとはビックリ仰天です。
本当にその通りですね。
本人でさえ実はウソだったと否定していると、先日のTVタックル内で三宅氏や青山氏などが
発言していました。
人権ガ〜って叫んでいる女性議員は事実でもねつ造でも関係なく終始、人権ガ〜発言でした。
で、この本人が否定している「吉田清治証言」を事実だと言っているのが韓国だけなんですよね。

本人が間違いを認めているのに、「いや、それは正しいのです」って言う思考って
普通じゃないですよね。

まぁ韓国は朝鮮戦争時、自国民を大量虐殺している事実もあります。
>韓国人同士の大虐殺(動画)
http://video.fc2.com/content/201112140yW71XnB/

日本も確かに自害を迫ったりしたけど、韓国はそれ以上にヒドく、日本の場合は
捕虜は恥だから自害するという事でしたが、韓国人は裏切り者が怖いから片っ端から
自国民でさえ怪しきは殺す行動を取りました。
中国南京大虐殺と言われる事件も、中国人でさえもしかしたら「日本兵としていた韓国人たちが
虐殺に関わっていた」と考える人が増えて来ています。

恥を知らない国家・国民性って怖いもの無しなのかも知れません。


17. 中川隆 2011年12月24日 14:44:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


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嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ


hangul 2007/08/04 00:59

ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。


○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。


○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。

 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。

つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1


産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。

 安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、

「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」

と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。


 安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。


 「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、

『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』

と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で

『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』

と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」

 http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20


 貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。

 加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。

 「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。


 従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。

 最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が

「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」

と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。


 東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が

「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」

と証言していたことも報じている。

 安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。

 731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。

 古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。

 重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21

秦郁彦が触れていない『吉田証言』


国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で

I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,

吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?

とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。

秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。

だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。

従軍慰安婦の悲劇


 『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。

一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。

この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。


 この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。

そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。

 下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。

そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。

(略)

 その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』


いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。

だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・


・・・彼が


「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」

と言うので、

「では全羅南道の話はすべて真実か」

と聞くと、

「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」

と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。

 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。


____

 吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、

『すべて真実か』

と聞くのも変だし、吉田さんが

『他の場所での話しが混ぜてある』

と答えるのも辻褄が合わない。

だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?


 まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?

それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?

やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?

吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

1991.5.22朝日新聞(大阪版)


 「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。

1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。

 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。

慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」

と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。


 吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。

86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)

 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。

従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、


私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。

そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。

下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。


 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/


Stiffmuscle 2007/08/02 22:37

慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、

「そんなことを言うな!」

と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。


逸話が証拠になるか?

と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。

海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。


hokke-ookami 2007/08/04 08:03

「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……

手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。

階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。

ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

Stiffmuscle 2007/08/02 15:25

吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。


クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。

にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

2. 元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由

「慰安婦」は商行為か?  上杉聰 


 〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を

「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」

と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。

現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。

だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。


 性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。

もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/03 23:01

「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……

韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。

うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。

秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。


__________

真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)


Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。

Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
 名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち

「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」

と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。

「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」

被害者が沈黙して語れない理由


軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。


各戦闘勢力からの圧力、

政府からの圧力、

家族からの圧力、もしくは

地域社会からの圧力、


これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。

暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。

性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、

結婚生活には不向きだと言われること、

経済的・社会的悪影響など−

のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。

虐待の現実

1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。

これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)

Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。

日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。

ふざけるな!と言いたいです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)

2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)

2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]


>慰安婦が白眼視された社会状況無視、

わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。

あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。

>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。

2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。

   ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。

   その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。

田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、

洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。

   もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。


  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。

韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。

そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」

男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」

男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・

結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」


アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」

ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」


(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん


このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。


さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

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3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない


吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。

吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。

自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :


朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3

私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317


吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」


吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定

若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。

娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・

女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html


「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。

吉田清治さんの戦争犯罪の告白


1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は


まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。

女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。

銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。

隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。

「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。

トラックは林の中に入って行った。

吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。

 城山浦のボタン工場でのことだ。

ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。

徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。

慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。

妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って

「朝鮮の女をどうするのですか!」

と日本語で抗議した。吉田は

「戦争のためだ、じゃまするな!」

と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。

この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・

尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb

 吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。

 そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。

 そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。

 証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?

私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。

ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。


_______


吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。


________


明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。

___________


はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、


「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」


と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。


 これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。


(1) 慰安婦狩りの命令は

西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田

のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。


(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。


(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)


このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。

繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。


それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。

________


あれ?

N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?


私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。

N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?


では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?

_________

まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:

吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …

多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。


吉見氏の意見は次のとおりです:

証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。

[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027


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4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。  しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。  

案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。  吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

Stiffmuscle 2007/08/03 23:11

『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。

 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』

この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・

Stiffmuscle 2007/08/03 23:29

秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。

秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。

1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史


 引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて

「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)

と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。


 この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に

「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」

と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評


反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"

慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?

著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。

この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。

また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。

いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。


期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治

日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。

肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。

秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。

元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。


なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute

今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。

この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。

秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。

代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。

この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。

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『済州島新聞の吉田清治記事』

秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用

1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。


 『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)

 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

 郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』

秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)


 『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。


 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』

産経の阿比留記者が引用した翻訳

で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。


 《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。

 城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。

 郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707

週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言

「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)

(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)


編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。

hangulさんからのご指摘

第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。

「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…

yamaki622 2007/08/02 10:29

済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/


ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。


阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘

西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。


わたしが疑問に思ったこと。

金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。

慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。

こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?

ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?


akira 2007/07/31 12:14

(新聞の全訳)(左から1列目)

 日帝済州で慰安婦205人徴発していた。

 日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋

 解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。

 ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
 この記録によれば

△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....


(真ん中の見出し)
 住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
 著者は当時山口県労務報国会動員部長.
 ”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...

(左から2列の下段)
 女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......

(左から3列目)
 ...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).

 わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。

 ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........

(左から4列目)

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。

 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)

※だいたいこんな感じの記事です。

コメント一覧

hangul 2007/07/31 00:56

第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。

最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。

「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。

hangul 2007/07/31 01:07

分かりにくかったかもしれないので補足を。


・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


・こりゃ歴史学者失格でしょう


akira 2007/07/31 08:59

しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。



Stiffmuscle 2007/07/31 09:04

やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。

もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。

2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。


hokke-ookami 2007/08/01 07:58

「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。

そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm

日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:10

しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:15

hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。



Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w

Stiffmuscle 2007/08/03 21:14

秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は

「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」

と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/02 17:39

「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。

それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm

をご覧ください。

hangul 2007/08/02 18:02

Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います

この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。

否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、

「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」

と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。

何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。

2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]


秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。


・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。

・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。

などを見出しており、なお研究中です。

2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]


秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。

その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

2007/8/6(月) 午後 9:07

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

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吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆

1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

【年表】秦郁彦と吉田清治

1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。

『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』

との吉田談

1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の

「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」

との内容を含む 
   
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。

吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。

1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。

「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述

1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
  
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802

秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ

碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html

hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』

秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208

秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345

yamaki622さんの『blog*色即是空』

秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1

金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1

『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん 

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070722/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1

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アホ?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/415.html



[12削除理由]:言葉遣い

18. 2011年12月24日 16:04:24 : CJ2A4jwins
>17

無駄になげーよ! 

真実だろうがなかろうが過去は精算されてんだよ。
日本から受け取った金で「なんたらの奇跡」を興して
経済発展したんだから後は韓国の国内問題だ。
いつまでも日本に乞食みたいにたかるなってこと。

中川さん、本当にシナやチョンがお好きなようだが
既に戦争での補償は終わった話なんだよ。

おまえらみたいなのがいるから乞食や売春婦や泥棒
や暴力団みたいな国(シナと南北朝鮮な)がつけ上が
るんだ。

そんなに何とかしてやりたいならあんたらが勝手に募金
でもして施してやれよ。 
民主党や社民党や共産党や朝日新聞だけでな。
税金は使うなってこと。


19. 中川隆 2011年12月24日 23:40:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


摺醴霾醴髏蠶蠶鸛躔か                    ベ∃壮鎧醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
勺儲靄靄醴醴醴蠶體酌偵Auru山∴          ベヨ迢鋸醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
∃儲霾ヲ露繍蠶髏騾臥猶鬱h  ご笵此∴        ∃f謳廱躔騾蔑薺薺體髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶
ヨ儲諸隴躇醴蠶歎勺尓俎赴  f蠶蠶蠢レ      ∴f醴蠶鬪扠川ジ⊇氾衒鑵醴蠶蠶蠶蠶蠶  
ヨ鐘諸薩讒蠢欟厂  ベ状抃  傭蠶蠶髏厂      .ヨ繍蠶蠶臥べ泣澁価価櫑蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶   
f罐諸醴蠶蠶歎      マシ‥…ヲ冖        .∴瀦醴蠶襲jJ鶴門門攤蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶    
加罐讒蠶蠶欟厂        ヘ              ∴f醴醴蠶甑欄鬮°f蠢蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶    
溷霾醴蠶蠶勸                        ∴ヨ繍醴蠶蠶鬮狡圷し醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶     
醴蠶蠶蠶蠶髟                        ベ湖醴醴蠶蠶蠶庇⊇⊇體髏髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶     
蠶蠶蠶蠶欟                          f繍蠶蠶蠶蠶蠶曲三三巛憫髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶        
蠶蠶蠶蠶歉                  澁畄_迢艪蠶蠶蠶蠶蠶蠶甜川⊇川川衍捫軆髏髏蠶蠶蠶蠶        
蠶蠶蠶蠶髟                コ醴蠶奴繍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶齡辷シジ⊇川介堀醴醴蠶蠶蠶蠶       
蠶蠶蠶鬮か                .ベ苛ザベ繍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶醯己に⊇三介f繙醴蠶蠶蠶蠶蠶       
蠶蠶髏鬮シ                        尽慵蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶自辷三沿滋鐘醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶       
蠶蠶醴勸                            氾隅髏蠶蠶蠶蠶蠶靦鉱琺雄躍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶醴訃                      ∴∴∴沿滋溷醴髏蠶髏髏韲譴躇醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
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従軍慰安婦は売春婦か?

日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。


研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。

名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東

*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1

朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。


慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名

*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』



コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。


Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。


Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1


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クマラスワミ報告


日本陸軍のために戦地で売春婦を提供する「慰安所」の開設は、上海における日華紛争にともない早くも1932年に始まった。これはいわゆる「慰安 婦」の利用が広まり普通の現象となるほぼ10年前のことであった。その現象が、第二次世界大戦が終わるまでに日本軍の支配した東アジア全域のものとなった ことには疑いないからである。最初の軍事的性奴隷は日本の北九州地域の女性たちで、陸軍の指揮系統の一人の要請で長崎県知事によって送られた。/訳注1慰 安所制度を公式に設置したことの理由付けは、そのように制度化され、それゆえに管理された売春サーヴィスは、陸軍の占領地から報告される強姦の件数を低下 させるであろうということであった。

1937年に日本の皇軍が暴力的結果を伴いつつ南京を占領したとき、日本の当事者たちは軍の規律と士気の状態について考えざるをえなくなった。 1932年当初に導入されたような慰安所計画が復活した。上海の方面軍は業界とのコネを利用して、1937年末までに軍の性的サーヴィスのために出来る限 り多くの女性を手に入れた。

これらの女性や少女たちは、上海と南京のあいだにあった軍直営の慰安所で使われた。この慰安所は後の時期の慰安所の原型となり、利用規則とともにそ の写真が残されている。軍による慰安所の直営は、この現象がもっと広まるとともにより安定してきた環境では、慰安所の基本の形とならなくなった。慰安所を 経営し所内の業務を引き受けたがっている民間業者が沢山いた。かれらは陸軍によって軍人に準じる身分と階級をあたえられた。軍は輸送と慰安所の全般的な監督についての責任をもちつづけたし、衛生や全体の管理は軍の責任であった。

戦争が続き東アジア各地を拠点とする日本兵の数が増えるにつれて、軍事的性奴隷にたいする需要も増大した。そこで徴集のための新しい方法がつくりだ された。そのうちには東アジアの多くの地域、とくに朝鮮における詐欺と暴力の頻繁な利用が含まれていた。名乗り出た多くの朝鮮人「慰安婦」の証言は、強 制や騙しが頻繁に用いられたことを明らかにしている。(大部分は朝鮮人である)かなりの数の被害女性たちは証言のなかで、自分たちの徴集に責任のあるさま ざまな業者や現地の協力者が用いた詐欺と甘言について語っている。

1932年に国家総動員法が制定されたが、戦争末期の数年までは完全に実施されなかった。日本政府が同法を強化するにつれ男も女も戦争努力に貢献す ることを要求された。このこととの関係で女子挺身隊が設立されたが、それは表向きは工場で働いたり、あるいはその他の日本軍を補助する戦争関連業務にあた る女性たちを手に入れるためであった。しかしそれを口実として多くの女性たちが騙されて軍事的性奴隷にされているとして、挺身隊と売春との結び付きがす ぐに噂となった。

最後に日本人は軍の増大する需要を満たすため、暴力と露骨な強制に訴えてより多くの女性を手に入れることができた。数多くの被害女性たちが語っ ているのは家族に加えられた暴力である。家族は娘の連行や、ときには暴力でつれ去られるまえに両親の目の前でおこなわれた強姦を阻止しようとした。ヨ・ボ クシル(YoBokSil)の事例調査では、彼女は多くの少女のように家からつれ去られたが、其の際誘拐に抵抗をこころみたため父親が殴られた。

慰安所の地理的な所在地は戦争の進行とともに広がったように思われる。日本軍が駐屯した所にはどこにでも慰安所があったようである。その一方では、 公娼の存在にもかかわらず日本の内地でさえ「慰安婦」の利用が進み、既存の施設を利用できない人々のためにいくつかの慰安所が開設された。

慰安所が中国、台湾、ボルネオ、フィリピン、太平洋諸島の多く、シンガポール、マライ、ビルマおよびインドネシアに存在したことは、多くの資料 から分かる。慰安所の活動が行われていた当時の記憶がある人、なにかの形でこの制度の運営に関わっていた親類や知人があった人など、さまざまな人々の証言 が記録されている。

日本帝国のさまざまな場所にあった多様な慰安所規則類の記録といっしょに、いろいろな状況下での慰安所や「慰安婦」自身の写真さえ保存されている。 徴集方法の証拠として役立つ文書記録は僅かであるが、この制度の運営の実態は時を経て残った記録類により広範に立証できる。日本の軍部は売春システムの詳 細を細かく記録したが、それをたんなる一つの遊興施設とみなしていたようにみえる。上海、日本の沖縄その他の地方、中国およびフィリピンにあった慰安所の 規則はまだ残っており、なかでも衛生規則、利用時間、避妊、女性にたいする料金およびアルコールと武器の禁止を細かく規定している。

これらの規則類は、戦後に残された文書のうちでももっとも罪深いものである。それらは日本軍がどの程度まで慰安所にたいし直接の責任があり、その組 織のあらゆる側面と深く関わっていたかを疑いの余地なく明らかにしている。そればかりでなく、慰安所がいかにして合法化され制度化されたかをも明白に示し ている。「慰安婦」が適正に扱われるようにすることに多くの注意がはらわれたように見える。アルコールと刀剣類の禁止、利用時間の規定、合理的な料金、 その他礼儀作法または公正な取り扱いらしいものを課そうとする試みは、実際に行われたことの野蛮さ、残酷さと鋭い対照をなしている。このことは軍事的性奴 隷制のシステムの異常な非人間的性格を照らし出すのに役立つだけである。このシステムのなかで、筆舌に尽くしがたいほど心を傷つけられることもおおい状況 の下におかれながら、大勢の女性たちが「売春」に身をゆだねつづけることを強制されたのである。

戦争の終結も、引き続き「慰安婦」として使役されていた女性の大部分にとっては救いとならなかった。多くの人が退却中の日本軍によって殺された か、もっとおおかったのはただ運命に任せて遺棄されたからであった。ミクロネシアの事例では、一夜で70人の「慰安婦」が日本軍に殺されたが、それは女は 邪魔だと考えたり、前進するアメリカ軍の手に落ちたら面倒なことになると思ったためであった。

最前線にいた被害女性の多くが、兵隊といっしょに特攻をふくむ軍の作戦に加わることを強制された。しかし一番おおかったのは、故郷から遠く離れ、 「敵」の手でどんな目にあうか分からない所で自活するように放置されたことであった。自分の居場所すら分からず、ほとんど金を持たず無一文のものもおお かった。証言によれば「稼いだ」金を少しでも受け取ったことのある女性はごく僅かだったからである。マニラの場合のように撤退した女性のうちからは、悲惨 な状況と食料不足による死者が多くでた。


徴集

第二次世界大戦の直前及び戦争中における軍事的性奴隷の徴集について説明を書こうとする際、もっとも問題を感じる側面は、実際に徴集がおこなわれた プロセスに関して、残存しあるいは公開されている公文書が欠けていることである。「慰安婦」の徴集に関する証拠のほとんど全てが、被害者自身の証言から得 られている。このことは、多くの人が被害者の証言を秘話の類とし、あるいは本来私的で、したがって民間が運営する売春制度である事柄に政府をまきこむた めの創作とまでいって退けることを容易にしてきた。それでも徴集方法や、各レベルで軍と政府が明白に関与していたことについての、東南アジアのきわめて多 様な地域の女性たちの説明が一貫していることに争いの余地はない。あれほど多くの女性たちが、それぞれの目的のために公的関与の範囲についてそのように似 通った話を創作できるとはまったく考えられない。

日本の直接管理下にある最初の慰安所は1932年に上海におかれたが、その開設にたいする公的関与については第一級の資料がある。上海戦の指揮者の ひとり岡村寧次中将(上海派遣軍参謀副長)は軍慰安所の最初の発案者であったことを、回想記のなかで告白している。/5日本軍による強姦がきわめて高率で 頻発し、対策として長崎県知事により大勢の女性が現地に送られた。/訳注2彼女たちが日本から送られたという事実は軍のみならず内務省をもまきこむ。内務 省は知事と、後に軍に協力して女性の強制徴集の際に重大な役割を果たすことになる警察とを支配していた。

1937年の南京事件の結果、軍規を改善しなければならないことが日本人に明らかとなり、「慰安所設置」が復活した。北九州のおなじ地域に業者が送 られた。売春宿からの自発的応募が不十分であったので、彼らは表向きは軍の料理人や洗濯婦という給料のよい仕事を世話するといって土地の少女たちを騙す手 にでた。そういう仕事の代わりに彼女たちは上海と南京のあいだにあった慰安所で軍事的性奴隷とし働かされ、このセンターが将来の慰安所の原型となった。

戦争の後期になると、軍は慰安所の運営と業務にたいする責任の大部分を民間の業者に譲りわたした。軍の代理人が業者に接近したことも、業者がすすん で軍に許可を求めたこともある。軍が売春業を経営するのは適当でないと考えられたし、民間業者の施設にしたほうが軍隊にはもっと「ふさわしい」と思われ た。しかしどの程度まで民間人が関わったか、また正確にはだれが慰安所の開設に着手した責任があったかは、地域によって異なったが、徴集の実行はますます 政府の側の責任となった。しかしごく最近まで日本の当局者が、強制徴集と欺瞞におけるかれらの役割、または徴集のプロセスでの実際上の責任を全く認めよう としなかったために、軍事的性奴隷として使役された女性たちの獲得のプロセスに関する情報は大部分が被害者自身の口から得られたものである。

しかし前述のようにこの情報は元「慰安婦」の話のなかに沢山あり、無理なく明確な像がえられる。徴集について三つのタイプが識別できる。すでに娼婦 であった女性と少女の自発的応募、料理屋のあるいは軍の料理人または洗濯婦として給料のよい仕事で女性を騙す、および最後に日本の支配下にある国々での大 規模な強制と奴隷狩に匹敵する女性の暴力的連行。

より多くの女性を求めて軍のために活動していた民間業者たちは、日本人と協力して活動する朝鮮警察のメンバーと同様に、村にやってきて給料のよい仕事の約束をして少女たちを騙すことがあった。あるいは1942年に先立つ数年間は、朝鮮警察が村に来て「女子挺身隊」を募集した。このことは徴集を日本の当局により是認された公的なものとし、一定程度の強制を意味するものともした。もし「挺身隊」として推 薦された少女がそれを断った場合には、憲兵隊または軍警察がその理由を取り調べた。実際に「女子挺身隊」は日本軍に、上記のように偽りの口実で「戦争努力 に参加する」よう地方の少女たちに圧力を加えるため地方の朝鮮人業者と警察を利用する機会をあたえた。

一層多くの女性が必要になった場合には、日本軍は暴力やむきだしの武力、狩り出しに訴えた。そのうちには娘の誘拐を阻止しようとした家族の殺害が 含まれていた。国家総動員法が強化されたことで、これらの手段をとることは容易になった。この法律は1938年に公布されたが、1942年までは朝鮮人の 強制徴集に適用されなかった。/9多くの軍「慰安婦」たちの証言は、徴集に際して広範に暴力と強制が用いられたことを証明している。さらに戦時中におこ なわれた狩り出しの実行者であった吉田清治は、著書のなかで、国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩に加わり、その他の朝鮮人とともに 1000人もの女性たちを「慰安婦」任務のために獲得したと告白している。

文書資料はまた、地方住民全体の統制を保つうえで家族を利用できるので、役人や地主たちの娘は徴集を免れたと述べている。村々から集められた少女た ちはたいへん若く、大部分が14歳から18歳のあいだであった。少女たちを獲得するために学校の組織が利用された。現在、軍「慰安婦」問題に関心を高める ために活動している尹貞玉(ユン・ジョン多く)教授は、幸いにも両親の配慮によって学校から連れ出されるのを免れた。しかし教授は、そのようなやり方で性 病に冒されていない、就学年齢の処女が徴集された事実を証言している。

多くの少女たちは、若く世間知らずであったために、よい就職を世話するという申し出を疑いもせず、強制連行に抵抗できなかった。そして多くの場 合、売春とか性行為について全く何も知らなかった。徴集の実行に信頼する村の巡査、役場がしばしば関わっていたという事実は、彼女たちを一層無防備にし無 力にした。そのうえ売春にともなう汚名は、戦争が終わらないうちに苦役から帰ることのできた女性たちがその経験を話し、それによって他の少女たち に危険を警告する道を絶った。女性被害者のほとんどが、ぞっとする経験を隠し社会に再復帰することに懸命だったのである。

「慰安所」における状態

元「慰安婦」たちの証言によれば、彼女たちが日本軍兵士に奉仕するため要求された条件はほとんど一貫して恐るべきものであった。宿泊設備や全般的な待遇は場所によってまちまちであったが、おかれた環境の悲惨さと残酷さについてはほとんど全ての女性被害者が証言している。慰安所そのものは場所により、進撃中に日本軍 が接収した建物であったり、「慰安婦」の宿泊専用に軍が作った間に合わせの建物であったりした。前線地帯ではテントまたは一時しのぎの木造の掘っ建て小屋 がしばしば慰安所になった。

敷地は鉄条網で囲われ、厳重に警護され巡視されていた。「慰安婦」の行動は細かく監視され制限されていた。女性たちの多くは宿舎を離れることを許 されなかったと語っている。毎朝決められた時間に外を散歩することを許されたものもある。調髪のためとか、映画をみるために臨時外出を認められたことを覚 えているものもいる。しかし、実質的な行動の自由ははっきりと制限されており、逃亡はほとんど如何なるときでも不可能であった。

慰安所自体は、通常一階か二階の建物で、食堂または受付が下にあった。女性たちの個室は裏側か二階にあるのが普通で、たいていは狭く窮屈な間仕切り から成っていた。僅か6フィートか8フィートと小さいことも稀でなく、ベッド一つがやっと置ける部屋であった。そのような状況のなかで「慰安婦」は一日に 10人から30人もの男を相手とすることを求められた。いくつかの前線地帯では女性たちは床のうえの布団で眠り、おそろしい寒さと湿気に晒されなければな らなかった。個室は多くの場合一枚の畳か、床まで届かない筵で仕切られているだけであったので、物音は部屋から部屋へ筒抜けとなった。

典型的な慰安所は民間の業者が管理し、女性たちの世話をする日本人または時により朝鮮人の女性が一人いることがおおかった。軍医が衛生検査をおこ なったが、「慰安婦」の多くの記憶では、これらの定期検査は性病の伝染を予防するためのもので、兵隊が女たちに負わせた煙草の押し焦げ、打ち傷、銃剣に よる刺傷や骨折でさえもほとんど注意を払われなかった。そのうえ女たちの休み時間はほとんどなかった。現在残っている規則の多くで規定されている自由時間も、居続けようとしたり規定外の時間に来たがる将校たちによりしばしば無視された。何日にもわたり女たちは次にやってくる男を迎える前に身を清めるのが やっとという有り様であった。

食べ物と衣類は陸軍により支給された。しかしながい間、食べ物はいつも不足していたと不満を漏らす元「慰安婦」が何人もいる。ほとんどすべての場合 に女たちは「奉仕」にたいし支払いを受け、料金の代わりにチケットを集めることになっていたが、戦争が終わった時になんらかの「稼ぎ」を持っていた者はご く僅かであった。こうして戦争が終われば自分や家族が自立するのに十分な貯えを持てるかもしれないというほんのささやかな慰めでさえ、日本軍の敗退後には 無意味なものとなった。

奴隷的状況の苛酷さと残虐性は、性的虐待の根強く永続的なトラウマ(精神的外傷)にくわえて、多くの軍事的性奴隷の証言のうちによく現れている。彼 女たちはいかなる人格的自由も持たず、兵士からは暴力で残忍に、慰安所経営者と軍医からは無関心に扱われた。前線に近いこともまれでなかったため、彼女た ちは敵襲や爆撃、死の脅威にさらされた。おなじ状況は慰安所の常連の兵隊たちを今まで以上に残忍にし攻撃的にした。

そのうえ病気と妊娠にたいする恐怖がいつもあった。実際「慰安婦」の大多数はある程度性病にかかっていたように思われる。病気の間は回復のための休 みをいくらか与えられたが、それ以外はいつでも、生理中でさえ彼女たちは「仕事」を続けることを要求された。ある女性被害者が特別報告者に語ったところで は、軍事的性奴隷として働かされていたときに何度も移された性病のため、戦後に生まれた彼女の息子は精神障害者となった。このような状況はすべての女性被 害者たちの心に深く根付いた恥の意識と合わさって、しばしば自殺または逃亡の試みという結果をひきおこした。その失敗も確実に死を意味した。

歴史の記述から得られる情報を補足するために、特別報告者はソウルと東京に滞在中に歴史家たちと会い、慰安所が開設され、女性たちが軍事的性奴隷にするために徴集された状況についての情報を求めた。

特別報告者は東京の歴史家、千葉大学の秦郁彦博士が「慰安婦」問題にかんする幾つかの研究、とくに済州島での「慰安婦」の状況について書いた吉田清治の著書に反論したことを指摘して多く。博士の説明では、彼は1991〜92年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際 には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。議論の裏付けとし て秦博士は、1937年から1945年にかけての慰安宿のための朝鮮人女性徴集システムの二つのひな型を示した。どちらのモデルも朝鮮人の親たち、朝鮮人 村長および朝鮮人ブローカーたち、すなわち民間人たちが日本軍のために性奴隷として働く女性たちの徴集に協力し、役割を果たしたことを知っていたことを明 らかにしている。秦博士はまた大部分の「慰安婦」は日本陸軍と契約を結んでおり、月あたり兵隊の平均(15〜20円)の110倍(1000〜2000円) もの収入を得ていたと信じている。

特別報告者はまた東京の歴史家、中央大学の吉見義明教授にも会った。彼は特別報告者に日本の皇軍の文書のコピーを提供した。それは朝鮮人「慰安婦」 の徴集にたいする命令や規定が日本軍当局により、あるいは当局が知っていて実行されたことを裏付けるものであった。吉見教授はまた原文書の詳細な分析を示 したが、それは師団や連隊の後方参謀や副官が派遣軍から指示をうけ、憲兵を使って占領地の村長や地方の有力者に命じ、軍事的性奴隷として使役する地域の女性を徴集するのが普通であったとするものであった。

慰安所の開設にたいする日本軍の決定的な関与と責任を例示するために吉見教授はさまざまな文書に言及した。特別報告者も例証として日本陸軍の広東駐 屯第21軍の1939年4月11〜21日の「旬報」に言及しておきたい。そこには軍の統制下で将兵のための軍慰安所が操業しており、約1000人の「慰安 婦」が同地内の10万と推定される兵士を相手にしていると書かれている。特別報告者に渡された他の同様な文書からは、陸軍省からの指示に基づいて「慰安 婦」施設にたいする厳重な統制システムが維持されていたことが明らかにされている。これらの命令は、性病の蔓延防止を目的とする衛生規定のような事柄にも 配慮していた。

特別報告者はまた、性奴隷徴集のため普通に行われたもう一つの方法として、各派遣軍から朝鮮に派遣された業者で、彼らは憲兵と警察の協力または支持 を得て軍事的性奴隷として朝鮮人女性を集めたと思われるという情報を得た。これらの業者は普通、軍司令部により指名されたが、師団、旅団または連隊が直接 おこなうこともあったようである。さらに吉見教授は、日本政府によって全ての公文書が公開されておらず、防衛庁、法務省、自治省、厚生省および警察庁の文 書庫にまだ眠っているものがあるかもしれないので、徴集の詳細を文書で裏付けることはきわめて困難であると主張した。

これまで述べたことにかんがみて特別報告者は、第二次世界大戦終結50周年にあたる1995年の真相調査団は格別に意義あるものとなり、戦時中の軍 事的性奴隷に関連する未解決の問題の解決を助け、また暴力の被害者である少数の生存女性たちの苦しみを終わらせる助けとなるものとなろうと考える。

特別報告者が、平壌で元「慰安婦」の世話をしている医師チョ ウ・フン多く(ChoHungOk)博士の助言を求めたのに対し、博士は、これらの女性は多年にわたり毎日毎日何回もの強姦に耐えなければならなかった結果、その人生の大半を肉体的にも心理的にも全体として衰弱した状態におかれていたことを確言した。チョウ博士はさらに、女性たちが体に負った目に見える肉体の傷痕に加えて、精神的苦痛がその生涯を通じて彼女たちを苛んでおり、こちらのほうがもっと深刻であることを強調した。同医師はさらに、女性たちの多くは不眠、夢魔、高血圧および神経過敏に悩まされていると証言した。女性たちの多くは、移された性病により生殖器や泌尿器が影響を受けたため、不妊手術を施さなければならなかった。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる


戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)

ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。
日本のピーの前には百人くらい、
ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、
朝鮮ピーは八十人くらいだった。

これを一人の女性で処理するのだ。

僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思って はなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。

僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。

(彼女がナニカを排泄する様子の描写)

とてもこの世のこととは思えなかった。第一これから八十人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。

兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。よく従軍慰安婦のバイショウのことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが・・・・

やはり「地獄」だったと思う。だからバイショウはすべきだろうナ。

(「水木しげる伝〜戦中編〜」によれば、彼女たちはこの後、病院船でココポを離れたが、途中潜水艦にやられ、全員が死亡したという。)

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.html


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    ',    ', ! | !  Y´`ヽ‐、    \> //|   l   || ,ヽ! !  l
    ヽ   ヽヽl l   Yrゝ〉ヽ}   / \l l !  |    ||' / l   ',

ネットウヨの従軍慰安婦問題に関する知識はこんなものです(笑) - 解決不能

598 名前:名無しさん[] 投稿日:2007/11/10(土) 10:53:51 ID:i/n9clPt

あったあった。

娼妓取締規則(明治三十三年十月内務省令四十四号)


娼妓になるためには、自ら警察に出頭して娼妓名簿への登録を申請することが必要でした(第二条三条)。

また、もしも本人の意に反して、強いて娼妓名簿の登録申請をさせた者は、拘留または科料に処されたのです(第十三条六項)。

その上、娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出れば、何人といえども妨害できませんでした(第五条六条)。

以上のことから、当時の公娼制度では「年齢制限」「拒否の自由」「廃業の自由」が認められていたことがわかります。

それに対して軍慰安所では、慰安婦が自由意思かどうかの確認などをした形跡はありません。

強制ではなくて自由意志だというのであれば就業の登録などの史料が残っているはずだよな?


慰安婦は借金を返済するまで身柄を束縛されていました。

それはネトウヨが大好きな「日本人捕虜尋問報告書 第49号」(北ビルマのミッチナ慰安所)からも裏付けられます。

「1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める
旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」
(吉見資料集p445)

つまり、廃業の自由などはなく借金を返済するまで拘束されていたのですから、明確な娼妓取締規則違反です。

すなわち、違法な売春行為をさせていた事になります。

624 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 10:56:56 ID:pz4FUxKC
>>598

軍の直接経営じゃないから、軍に資料が残らないだろうに。何を勘違いしているのかね。


____

先ほども指摘しましたが、誰も軍と限定していません。

具体的に指摘してやらないと、理解できないようです。

634 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 10:58:37 ID:+DaT2cut
>>598

従軍慰安婦って、一般の娼妓と同じ扱いだったんですか?

戦地まで行くというのに。

660 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 11:01:06 ID:pz4FUxKC

売春業者が集めて戦地の近くで営業していたから、基本的に民間の業務だったのさ。

________


こういう事例はご存知ないようで。


日本軍は、民間業者を使わずに、直接慰安所を経営したこともあった。

「昭和十三年七月五日附在上海総領事発信在南京総領事宛通報要旨」
「陸海軍ニ専属スル酒保及慰安所ハ陸海軍ノ直接経営監督取締ニ属スベキ」
(吉見資料集p181−182)

 独立攻城重砲兵第二大隊長「状況報告」(昭和13年1月20日)
「慰安設備ハ兵站ノ経営スルモノ及軍直部隊ノ経営スルモノ二ケ所アリテ」
(吉見資料集p195−196)

 セレベス民政部第二復員班長(海軍司政官)
「セレベス民政部第二復員班員復員ニ関スル件報告」(昭和21年6月20日)
「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」
「婦女ノ募集並ニ雇傭契約ハ主トシテ民政部嘱託(帰還)及実業団員(帰還)之ヲ行ヒ」
「売淫施設ニ関スル調査報告」(第二軍司令部)
「部隊ニ於テ経営ス」「『ケンダリー』ハ海軍少尉、『アモイト』ハ海軍少尉、
『バウバウ』ハ派遣隊長(官氏名不詳)希望者ヲ募集シ経営セリ」
(吉見資料集p365−375)


彼らが全く資料に目を通していない実態が明らかになりました(笑)

こんな有様で捏造だ情報戦だなどといっているのですから、実に御目出度い(笑)

661 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 11:01:11 ID:bOrvmf2S
>>598

借金で縛られるのなんて現代でも同じじゃねーかw

ましてや軍が直接雇用してねーのに軍に資料が残るかよw


____


廃業の自由を認めなかった時点で違法なのです。

現代でも廃業の自由が認められていないとしたら、それも違法です。

違法行為は現代であろうと過去であろうと非難されるべき行為なのですが、

どうも彼らには法律を守ろう、守らせようとする意思が欠けているように見受けられます。このような国士様に日本の未来を任せるのは甚だ不安ですね…。

742 名前:名無しさん[] 投稿日:2007/11/10(土) 11:09:57 ID:i/n9clPt

史料が全部燃えた、処分された
燃やす必要が無い史料をわざわざ燃やしたり処分する必要は無いよな?

768 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 11:12:43 ID:eGYWhDvF
>>742
燃やされたという証拠をどうぞ。

てか、処分しようと思ってもこの手の書類って、どこかしかにバックアップが有る筈なんだけど。

786 名前:名無しさん[] 投稿日:2007/11/10(土) 11:14:37 ID:i/n9clPt
>>768
逆だ逆!
騙したり、強制連行(軍人関与)して慰安婦としたのでは無かったとして就業契約などの史料が証拠になるわけでしょ

それならわざわざ焼却したり燃やしたりする必要が無い。

812 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 11:18:40 ID:/39C7lF8
>>786
女衒と就業者が交わした証文とか多数のこってるよ。

当時は事前に借金させてその証文と抱き合わせが通例だから・・・

っで、上のほうで自由意志で警察にうんぬん・・・ってあるけど、自由意志じゃなくて積極的就職活動だから・・・


_____

自由意志でつれてこられたのではない方もいらっしゃいますし、ウソの条件で騙されてつれてこられた方もいます。何より、強制的に借金を負わせて廃業の自由を与えていないとしたら娼妓取締規則違反なのですが、どうやら理解出来ていないようです。

808 名前:ネットウヨ 投稿日:2007/11/10(土) 11:17:39 ID:p/fKhQb1
>>786
売春婦の許可のような如何でもいい資料が有ったとしても
法廷保存期間が過ぎれば焼却されるだろ、倉庫スペースの無駄だし


_____

では何故「支那渡航婦女の取扱に関する件」などの資料は残っているのでしょうか?それこそ焼却されたというソースをどうぞ(笑)

こういう史料は有った方が否定派に有利になるのですが、探さなくてよろしいので?(笑)


828 名前:名無しさん[] 投稿日:2007/11/10(土) 11:21:02 ID:i/n9clPt
>>808
実際、1937年後半以降、日本・朝鮮・台湾から中国に渡航する時は、警察(または軍)の許可が必要でした。

次の資料からもわかります。慰安所の設置が急増するのは1938年に入ってからですから、業者が勝手に慰安婦を連れて行くことなどできないはずです。

慰安婦とされた女性も、一人ひとりこのような調査をうけた。そのときに、彼女たちがどのようにして集められたか、本気で調査すれば警察がつかめなかったはずがない。違法行為を承知で渡航のための身分証明書が発給されたことになる。

884 名前:名無しさん[] 投稿日:2007/11/10(土) 11:28:54 ID:i/n9clPt

朝鮮半島における慰安婦募集の広告

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/29/

(右)1944年10月27日字 「毎日新報」慰安婦募集広告 
(左)1944年7月26日字 「京城日報」慰安婦募集広告

■デマ広告という批判に何の反論もできない「THE FACTS」のメンバーたち

意見広告「THE FACTS」では、日本は国際法を遵守し「21歳以上」の女性だけを慰安婦として募集したと主張しています。

ところが共通するメンバーが執筆した『情報戦「慰安婦・南京」の真実』の表紙には、1944年の新聞に載せられた「慰安婦募集広告」が掲載されているのですが、「THE FACTS」の主張に反し、

募集年齢がそれぞれ「17歳以上」「18歳以上」となってるいるのです。

これに対するレスは皆さんの予測どおり、「強制連行の証拠じゃない!」「強制連行は無かった!」で埋め尽くされているのですが、ここで取り上げられているのは国際法違反かどうかなのですけどね…。

話を逸らそうとしてるのか、ネトウヨの貧弱な頭脳ではオーバーフローしてしまうのか、何が問題にされているのか全く分からないご様子。教えて上げましょう。

『婦女および児童の売買禁止に関する国際条約(1921年 』)では、未成年の場合は本人の承諾があろうとも売春目的での人身売買は禁止されています。

つまり、ネトウヨはこれが国際法違反であった事に全く反論できていないのです。

http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20071111/p1

従軍慰安婦の給料は高給だったのか ?


lunakkoさん

私の主張は、「慰安婦が高給取りであった」の一点です。 そして、ni0615さんが自分の説を補強?、私の説を否定するために軍票の話を持ち出してきただけです。


zames_makiさん

ですが、それはありえません。結論として0円でしょう、
理由は慰安所経営者が騙し取っていたからです。

現在の元慰安婦の証言でお金を貰ったとしている人はほぼ0です。

文玉珠の26145円は給料ではなく、チップです。

給料は貰っていたか否か?については、証言の中で明確に述べていませんが、朝鮮人慰安婦43人の証言を統一的に調べた研究者、尹明淑はもらっていないと判断しています。従って今ある資料から言える文玉珠の「給料」は不明です。


lunakkoさん

そうですね。文玉珠さんの場合はチップです。私も文玉珠さんがそう証言している。と書いてから気付きましたが、そこを指摘するあなたに感謝します。

>現在の元慰安婦の証言でお金を貰ったとしている人はほぼ0です。

証言は証拠にならないのはよくご存知のはずです。証拠がない限り、給料がいくらだったかはわからないのではないですか?では、

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html


「多くの楼主は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしたため、彼女たちは生活困難に陥っていた」(日本人捕虜尋問報告)

と書かれている資料について、説明していただけますか?

多額の請求とは、どれくらいでしょうか?

給料が0円ならば、多額の請求をされても払えないと思うのですが。

また、多額と書いてあるし、「食料、その他の物品の代金として」と書かれていますので、絶対に払われているはずです。たとえ、それが「付け」であってもです。
また、文玉珠さんは、二回慰安婦をされたといっておられますが、何故ですか?二回強制連行されたのですか?

最後に、あなたは、文玉珠さんは その「労働」でなんらかのお金を得ていたことは確かでしょうね。と書いておられるのに、その証拠が「実力者に気に入られるようにした」と書いてあります。

その場合、もらえるのは「チップ」ですよね?「労働」はどういう意味ですか?


noharaさん

>>>証言は証拠にならないのはよくご存知のはずです。

何故でしょうか?


lunakkoさん

証言は証拠になるのですか?

もしそうであるのならば、「私があなたに貸した1億円を返してください。」
私が証言しているのです。これが証拠です。


crescent2007さん

>>私が証言しているのです。これが証拠です。

当たり前です。証拠になります。あなたの証言も証拠になりますよ。しかし、補強証拠がないので誰も信用してくれないでしょう。信用するかしないか、の問題です。

「元慰安婦の証言は証拠にならない」という主張は、「元慰安婦の証言は信用できない」と言ってるのと同じだということをまず理解してください。


しかしこの三段論法には唖然としますが、このコミュニティでさえこのレベルでこうやって切り込まれてくるのですから、逆に言えば、その論法がそれだけ蔓延していることの証左ともいえるのでしょう。

議論の前提になる知識すら欠如している、と突き放してはいけないのでしょうが、次から次へと同じ論者がどうせ現れるのは確実です。そのレベルでの議論は軽くいなしつつ、このコミュニティはその存在意義を果たしていただければと思います。僭越ながら。


115: zames_maki

ステップ2:慰安婦は給料をもらったのか?

私が掲げた検討ステップは以下です

@考える上で資料は何か?(慰安婦の受領書はあるのか?証言は信用できるのか?)

A慰安婦には毎月、性交の代価として金が渡されたのか?

B慰安婦は、いつまで働き、慰安所を離れる時、金は渡されたのか?

C慰安婦に渡された金の種類は何か?(軍票?日本円?現地通貨?)

D渡された金は幾らなのか?

Eその金の実質的な価値はどの程度なのか?

F朝鮮人慰安婦は朝鮮に帰国したが、渡されたその金は使えたのか?

ステップ@考える上で資料は何か?

(慰安婦の受領書はあるのか?証言は信用できるのか?)


結論:慰安婦の受領印のある受取証は存在せず、慰安婦の証言が参考になる。少なくとも研究者の調査した慰安婦の証言は信用でき、重要な資料である。


ステップA慰安婦には毎月、性交の代償として金が渡されたのか?

これを示す書類資料は存在しない。従って研究者の調査した慰安婦の証言を参考とする。


尹明淑(日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 明石書店 2003:一橋大学社会学博士論文を出版したもの)は十分な証言の得られた42人の証言を様々な項目について、横断的にまとめている。そこで、性交の代償に金を受け取ったとしているのは7人である。

『軍直営の軍隊慰安所にいた軍隊慰安婦(10人)の場合、料金の支払方法はさておいて一人も軍隊慰安所からの給料はなかったのである。

また軍専属および軍利用の軍隊慰安婦の場合、(略)29名(証言しなかった3名を除く)のうち約76%の22名が全く給料を支給されていない。しかも食事や衣類などを軍が支給していた軍直営を除き、軍専属や軍利用軍隊慰安婦の場合は、経営者が食事や衣類の他、化粧品や日常品を調達して与え、その代金は帳簿上の収入から差し引かれて軍隊慰安婦の借金になる仕組みになっていた。』

また朱徳蘭(台湾総督府と慰安婦 明石書店 2005:台湾中央研究院、九大文学博士)は同様に台湾人慰安婦約60人を調査し多くについては自分で直接面接している。慰安婦になった経緯や給料を調査している。

そこでは前借金を受け取ったものは数人いるが、性交の代償に金を受け取ったとしているのは少ない、報告書に具体的に面接内容が記載された18人中では体の代償に金を受け取ったのは3人である。

 更に現在名乗り出ている、中国人、インドネシア人、フィリピン人、オランダ人の元慰安婦で金を受け取ったとしているものは、ほぼいないと言って良い。

これらの事をあわせると、日本人以外の慰安婦については性交の代償に金を受け取ったものは全体の内のごく僅かであり、多くはまったく金は受け取っていないとまとめられよう。

これは、これら外国人慰安婦の多くが、徴募過程はともかく、慰安所では暴力的に無理に慰安婦をやらされており、日本軍兵士の相手をする代償に金を受け取るというような取引や契約といった関係ではなかった為であろう。簡単に言えば、一部を除けば、ほとんどはただ何もわからずただ毎日無理に性交を強いられていた、とまとめられるからである。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/10

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醴醴醴雛雛醴齟II)ii'。:. .                           .: (.(II泪讃雛拒i'。:::、:.'_(.(,(浴I|||讃醴醴’ .
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元兵士が語る「大東亜戦争」の真相 涙流していた「慰安婦」


 「この出入証を見てください。「慰安所」は日本軍と関係なかったなんて言わせません」

松原勝さん(81)=千葉県我孫子市=は「南国寮出入証」を手にして言います。

 南国寮は、西太平洋のトラック諸島に浮かぶ夏島(現デュプロン島)にあった「慰安所」。トラック諸島は世界最大の環礁の中にある島々で、天然の要塞として、日本軍の基地になっていました。


海軍が出入証を

 「慰安所」の出入証には海軍発行を示す赤い2重の波線がありました。「慰安婦」の存在は政府も認めた事実です。


政府は1993年8月、河野洋平官房長官(当時)談話を出し、軍の関与を認めました。従軍慰安婦問題は、中学校の教科書7社全てで記述されるようになりました。 しかし、来年春から使われる歴史教科書では、「従軍慰安婦」の用語が消えます。中山文科相は

「従軍慰安婦や強制連行等の言葉が教科書から減ってきて本当に良かった」(04年11月)、

「そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」(05年6月)

等の発言を繰り返してきました。 松原さんはこうした動きに怒ります。

「「慰安婦」にされた女性たちは、戦地に無理やり連れてこられ、やりたくもないことをさせられていた。凄惨な境遇だった」

 松原さんはトラック諸島で、第4海軍施設補給部に所属、軍属として働いていました。基地への物資の補給や、飛行場や港湾の整備等のほか、「慰安所」の管理も施設補給部の仕事でした。南国寮、南星寮という2つの「慰安所」がありました。 松原さんが南国寮を知ったのは1943年の11月。高床式の建物でした。

「「慰安所」は軍人、軍属だけが使える場所でしたから、海軍が出入証を発行していました」

 長い廊下の両脇に10ずつ部屋があり、突き当たりにトイレがありました。部屋には番号がついていて、「慰安婦」にされた女性たちが1人ずつ入っていました。7割ほどが朝鮮半島から連れてこられた人で、3割ほどが日本人でした。

「そんな建物が南国寮には3棟ほどありました。南星寮も合わせればトラック諸島には100人以上の「慰安婦」がいました」

 小さな部屋の中にはゴザが敷かれ、厚さ20センチほどのマットが置いてありました。それがベッドでした。

男たちが列を作って順番を待っていました。南国寮が開いていたのは、夕方から夜10時まででした。

体も心も病んで

 「高級将校のメードとして雇うと言われて連れて来られた」

「レストランの給仕にしてやる。高い給料を払うと言われた」

松原さんは女性たちからそんな話を聞きました。だまされて無理やり連れて来られたのです。


 「「慰安婦」の女性たちは、月に1度、性病の検査を受ける日以外に休みはありません。1日に10数人もの相手をさせられていました。女性たちの体は傷つき、心も病んでいました。受けた傷は計り知れない」

「女性たちは、日本軍によって自由も尊厳も奪われ、「希望がない」と涙を流していたんです。彼女たちの青春を取り戻すことはもう出来ない。その女性たちの存在や軍との関係を歴史から消すような動きは絶対に許せない」

http://www.geocities.jp/kfujioka0515/shougen2.htm

【韓国】 「慰安婦は結局だまされて来た、お金も払われたかどうか」〜旧日本軍軍属が語る従軍慰安所、衝撃の実態[04/22]


「今考えてみれば、彼女たちはどれほど恐ろしかったか・・・」

松原勝(85)氏はインタビューの途中何度も深呼吸をした。淡々と説明していったがやはり感情の 動揺は隠せなかった。千葉県我孫子市議市民団体「あびこ平和ネット」会員の彼は65年前、帝国 海軍軍属(軍務員)として太平洋戦争に参戦した。 松原氏は記者に会うやいなや持っていた手提げ鞄から当時の資料を取り出す。そして彼は上着 の中の財布から黄色くなった名刺大の証明書をテーブルの上にそっと下ろした。「これがその時使っ た軍慰安所出入証です。」

http://www.jpnews.kr/imgdata/jpnews_co_kr/201004/2010042353436575.jpg

▲松原氏が発給を受けた慰安所出入証.1943年11月に発給を受けたという。

「慰安所を利用する時にはこの出入証を持っていかなければなりません。私たちの部隊の近所に は二ヶ所ありましたよ。一つがここに書かれている'南国寮慰安所'でありまた、一つは'南星寮慰安 所'でした。」

松原氏は「南国寮と南星寮は従軍慰安婦らが集まっている施設で軍人、軍属らの性的欲求解決 のための施設として使われました」と話す。

彼ももちろん南太平洋トラック諸島一帯に配属された 1943年から'南国寮'を数十回にかけて利用したという。

「初めは18〜25才程度になる従軍慰安婦らが各慰安所に5、60人程度ずつおりました。44年か らはもっと増えました。最後の頃は多分、各々70人程度ずつになったかと思います。日本人慰安婦がその中で10%程度で、残りは全部朝鮮から来た慰安婦でした。」 (中略)

http://www.jpnews.kr/imgdata/jpnews_co_kr/201004/2010042353273992.jpg

▲慰安所実態を最初に肉声証言した松原勝氏。


-出入証は日本軍ならば誰でも支給されましたか?

「いいえ。そうではありません。出入証は私のように軍務員だけもらいます。軍人はこれを見せなくても軍服を着ているからあえて証明する必要がないですね。出入証は必要ありません。私たちは 私服も着るからこういう出入証の発給を受けるのです。一般人らと区別するためですね。」


-料金は支払うんですか?

「はい。」

-いくらぐらいでしょうか?

「よく思い出させませんが...1、2円程度であったようですね。いや、多分1円だったようです。」


‐日本右翼の論理で、慰安婦が売春を通じて相当な金を儲けたといいますが?

「(手を振って)それはお話になりませんね。軍人がどれだけお金を持っていますか。」

-料金は慰安婦に直接渡しますか?

「いいえ。料金所があります。夏島にあった慰安所、なので南国寮、南星寮は二つとも思ったより 長い一階建てのテント5、6棟がずっと並んだ形態です。1つのテントには普通10個で12個程度部屋があって慰安所周囲には鉄柵のようなものが張られています。正門に行って出入証を見せれば入ることができます。一番最初に部屋番号札を受けなければならないんですが。その番号札 をあたえる所が料金所という所です。」

-料金は直接渡さなかったのですね。

「お金は料金所に出します。他の所は分からないが南国寮はそうしました。とにかくそのようなシステムを考えてみればそのお金が実際に慰安婦に渡されたかどうかは誰も分からないですね。」

http://toppmun.paslog.jp/article/1621254.html

トラック島の慰安所


 作家の窪田精に『トラック島日誌』という作品がある。著者自身が戦争中の政治犯の受刑者の一人として経験した事実を書きつづった作品である。このなかにおなじ船でトラック島に送られる朝鮮人慰安婦の投身自殺の話が出てくる。

 船が南にすすむにしたがい、船倉のなかの暑さはますますひどくなってきた。それにサイパン島沖をすぎるころから、波が荒らくなっていた。そんなある日、女たちの一人が海に投身自殺をした。女たちのうち何人かは、これから送られてゆく南方の島でのほんとうの仕事の内容を知らされず、だまされてつれてこられたのだということだった。投身自殺の原因もそのことと関係があったようである。

それはさいしょ、「みどりが死んだ」というふうに、船倉の私たちにつたわってきたが、死んだのは紺のゆかたを着た年上の女のほうだった。すでに夕食のすんだ後で、夜にはいってからだった。


 「あのみどりという女、朝鮮人だとよ」

 配食当番で食器洗いに甲板に出ていた連中が帰ってきて、話しあっていた。

 「なんだ。朝鮮ピーか」〔原文のママ〕

 「みどりというのは商売用の源氏名さ、本名は李英愛というんだ。

死んだ女は本当の姉で、みどりがアイゴ、アイゴと声をあげて、甲板で泣いていた……」


 みどり、いや、李英愛の姉の自殺の話はすぐに船倉じゅうに広がった。死んだのがあの白いワンピースのみどりの方でなく、なぜ年上の姉のほうであったのか──。
 〔中略〕

 島の北端に位置しているこの陸上基地から、さらに北東の方向へ、海岸ぞいの道をぐるっとまわって、ちょうどコブ山の裏側になる元島民部落メッチデー村には、『南風寮』という海軍の慰安所ができていた。T部隊の看守たちにも、希望者には南風寮出入証が発行されていて、富沢看守の出入番号は、ちょうど一〇〇番だったのだ。

「日曜日にいくとたいへんだ。みんな、どの室のまえにも行列していてな。うしろのものが『はやくやれえツー!』といって、どなるんだ。うかうかしちやァおれねえや」

 富沢看守はそんなふうにいって、顔をしかめ、青隊〔青色の囚人服を着た隊〕たちを笑わせた。

 富沢看守の話では、南風寮には二十人あまりの女性がいるということだった。そのうちの半数以上が平洋丸で、私たちといっしょに送られたきた女たちである。〔中略〕

 しかし私たちは、そんな富沢看守の話をきくたびに、南方にくる途中の平洋丸のなかでのできごとを思いだしていた。夜の甲板で暗い海をみつめて、アイゴ、アイゴと声をあげて泣いていた白いワンピースのみどりという名の少女──李英愛のことが思いだされてくるのであった。


「まだ十七、八のこどもだったがな」

「あのみどりの室のまえにも行列がつづくのかい。どういう事情でこんな島に送られてきたのかしらないが、むごい話だな」


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 受刑者たちが南方に送られて基地設営や飛行場建設などの強制労働に従事させられた事実はあまり知られていないが、トラック島は、これらの囚人部隊と強制連行された軍用慰安婦たちとが、おなじ島で日本海軍最大の前方基地の将兵たちに奉仕するための役務を強制された、ただ一つの島であった。これが戦争中のトラック島のもう一つの顔であった。

http://kyoto-gakusyuu.jp/tusin07/070628.htm


「あなたが碑を建てて下さってありがとう. 私もおまいりさせていただきました. ひょっとしてあなたはパラオの前にいたトラック島で,昭和19年2月17日,18日の激しい空爆後,ある壕内の慰安婦がまとめ殺しにあった事実を知っていたのですか」

「そ,そのこと……ほんとうですか」

せわしく空を裂く眼づかいで,彼女は問いかけた.


「現地司令部から,殺しの命令を受けたのはS少尉です.

二人の兵に女たちは娼婦なのだと,それに島の玉砕に女たちは足手まといになるし,上陸する米軍に知られては恥だとか,そのような考えを示したようでした.

殺された女は関西の慰安婦です. 少尉たちの機銃で死んだ女たちは,申しあわせたように,カミソリを握っていたようです」

海軍の南交社と関西八遊郭で組織された三立会とで組まれた女たちは,平陽丸でトラック島に送られたのである.

やはり兵を相手の慰安婦渡世は,虐げられた苦界であるのを,彼女は知っているのだと思った.

なみの慰安婦は軍権者にとって, 獣なみの存在でしかなかったこともである.

【出典:山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』】

http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070809/p2


トラック島・慰安婦の抹殺措置


大根拠地の大きな慰安所のボスたちは,賄賂で結託した基地の主計将校と絶えず連絡をとっていた. かれらの賄賂には三種類の狙いがあった.

(1)有利な条件を得るため
(2)安価な軍物資を貰い受けるため
(3)最悪の状態に備えて情報を得るため, つまりいちはやく逃げ帰るためである.

ことに前線では,ただ事ならぬ事態が起こりつつあるだけに,なおさら賄賂は緊要なものとなった. しかし彼らは緊迫する戦況については,オクビにも出そうとしない.

アメリカ軍がマーシャル群島に大空襲を行い,マキン・タラワ両島の玉砕(1943年11月25日),クェゼリン・ルオット両島の玉砕(1944年2月4日)という切迫した危機が迫ったとき,トラック島のピー屋のオヤジは毎日,頻繁に基地の主計本部や司令部へお百度を踏んだという. 日本内地へ送り帰してくれと哀願するためである. うす穢ない根性の彼らは,つい先日までは「軍要員」の腕章をつけて,女たちの前で"愛国"をぶって,これみよがしに振舞ってきて,今度は"非戦闘員"だから日本へ返してくれと催促したのだ. 戦争と兵隊に売春をぶっつけて金儲けに血眼になっていた彼らは生命の危機に対しては極めて敏感であり,卑怯なほど小心翼々と立ち廻った.

しかし,太平洋の島々の軍は,彼らの要求どおりに送り帰すはずもなく,次のように繰返したという.

(わざわざ運び返すような閑な船が軍にはないというんだ.

女どもには親方のお前から,いざというときの覚悟をよく申し渡しておけ—

潔く玉砕するンだ. たかが女郎じゃないか)と.


なかば軍の嚇かし,なかば本音であろう. そこでピー屋のオヤジの猛烈な賄賂の効き目もあって,周辺の情勢が切迫する前に,一部のオヤジと慰安婦だけが,強引に割当てられた輸送船と輸送航空母艦の船底にもぐりこんで引揚げることができた. その第一陣は『朝日丸』で帰国した(昭和18年12月). それは将校用の何軒かの女郎屋のオヤジと抱えの慰安婦であった.

つまり,この基地でも普段,主計将校らに賄賂の出し足りなかった女郎屋だけが取り残されたのだ.

(しかし,乗船した連中の一部は途中のサイパンに下船させられ,のちに玉砕の巻添えを喰った.)


壊滅的な大空襲が続き,眼玉の青い米兵が上陸すると聞いた日本人慰安婦たちは

「うちら,カミソリで咽喉切って死んでしもたる」

とつぶやき,ある女はシュミーズ姿で泣き崩れて

「バカ,おトウさんのバカー,うちらだまして,こんな所へつれて来たりして」

と慰安所のオヤジを口汚く罵った. おなじ慰安婦でも,朝鮮から騙されてきた女たちには,こんな泣き喚きすら洩らせなかったであろう.


トラック島は,アメリカ側では"日本の真珠湾"とか"太平洋のジブラルタル"と呼んだほど日本海軍の太平洋最大の根拠地である. この基地の安全確保をはかるために,開戦直後に日本軍はラバウルまで進んだ. ラバウルをめぐるソロモン海戦(消耗戦)も結局はトラック根拠地を守るためのものだった.

トラックは大根拠地だけに,料理屋,慰安所が軒をならべ,第四艦隊の将兵は女体のサービスにひたりきっていた.

そして2月17日午前5時前,米軍機第一次70機がトラックに殺到した. 米軍の爆撃は九波におよび,延べ450機,トラック基地は早朝から夕方まで火と煙に包まれた. 翌2月18日,米機はトラック港上空を乱舞し,逃げまどう艦船をシラミつぶしに沈めた. 二日間の空襲で撃墜された日本機は約300機,ほとんどの艦船は撃破され,貯蔵食料2000トンと1万7000トンの燃料を詰めたタンク3個が炎上し,陸上だけで約600人が死傷した. トラックに近接中の輸送船団は1200人と共に海没した. トラック空襲と同時に,同島の東方にあるエニウエトク島(守備兵力3980)が艦砲射撃を受け,20日米軍が上陸,生存者34人を残して全滅した.

トラック島の天地を轟かす大空襲が始まると,慰安婦たちは裏山のパンの樹の茂みに掘られた防空壕に逃げ込んだ.

だが,慰安婦のボスは,賄賂用の紙幣束を抱えて,かなり離れた滑走路へ向けて走りだしたという. そこにはいつでも離陸できるよう爆音を立てた逃走用の中型軍用機が一機,待機していたからである.

嘘八百で女を集めて"お国のため"ぶった女郎屋のオヤジという存在は,臆病にして狐のようにすばやく,根性が汚い. サイレンが鳴りだすと,自分だけは助かろうと必死になって飛行場へかけだし,そこが駄目だと知ると

「あ,わしはここで死ぬのか,ああ,あ」

と嘆声をあげ,さらに脱走の船を求めて軍港の方へ駆け出す有様である.

2月17日,18日は間断なく猛爆が繰返されたあとに,ついに島全体が炎に包まれた. 空も海も照明弾で青白く輝き,飛行場も要塞も高射砲陣地も,椰子とパンの巨木さえも,すさまじい轟音と共に吹っとび,すべてが燃え上がった. 施設の大半は灰燼に帰した.

慰安所の第一南月寮,第二南月寮,第三南月寮,これらの三軒が薄赤い夜空を背景に,なにか妖花の花の踊りのように炎上した. 女たちは避難防空壕にもぐりこんでいた. 防空壕は現地人を使って掘った,洞穴に近い粗末な構築物だが,100人ほどの女を収容できるほどの大がかりなものだった. おなじく残存司令部とその兵隊は,辛うじて地下深くの防空壕の中にひそんで芋虫のように生きていた.

このとき,軍の参謀と若い将校たちは,慰安婦らを足手まといと考えたらしい.


こんどはトラック島が死戦場 → 玉砕の番


と判断したからである. そして女たちを抹消する手段を講じたのだ.

このときの模様を,トラック島の慰安婦について詳しく触れている西口克己の『廓』は,次のように描いている.


「その空襲の途切れた合い間に,密命を受けた志田少尉は二名の兵をつれて,女たちの入った洞穴へ近づいていく.

(いいか,問答無用だ. 決して言葉をかけてはならんぞ. 黙って始末するんだ.

あいつらは素人娘ではなくて商売女だ.

敵が上陸してきたら何をするか知れたものではない---国辱だ. わかったな)


緊張した少尉のささやき声に,二名の兵士は無言でうなずいた. 靴音を忍ばせて壕の入口に接近した少尉は,もう一度軽機をかまえ直した後,するどく笛[笛→西口『廓』では口笛]を吹いた.

壕の内部に果たして女たちがいるかいなか確かめるためだった. 壕はしーんとしていた. つづいてもう一度,今度は低く,君が代を吹いた.

突然,それまで何の反応もなかった壕の中から,獣の悲鳴にも似た異様なすすり泣きが一せいにわき起こったかとおもうと,暗闇にもそれと判る防空頭巾を被った5,6人の女たちがバラバラと取り乱した姿で入口からとび出してきた.


ダダダダ,ダダ--間髪を入れず,少尉の軽機が火を噴いた.

ほとんど叫び声を上げる暇もなく,女たちはキリキリと体をもむような姿勢で,地面へぶっ倒れてしまった.

同時に,少尉も兵も,猛烈な勢いで壕の入口へ突進し,次の女が飛び出してくる前に,真暗な洞穴の内部へ向けて,盲滅法な機銃掃射を加えていた.

洞穴に反響して耳を聾するばかりの凄まじい銃弾の響きにまじって,とぎれとぎれの鋭い悲鳴や,うめき声がしばらくつづき,やがて気狂いのように撃ちまくっていた少尉がようやく引き金を止めたとき--ガランとした壕の内部には……文字どおり死の沈黙がしーんと凍りついたように立ちこめていた.

それでももだ用心深く,ものの2,3分間もジッときき耳を立てていた少尉は,このときになって初めて用意していた懐中電灯で素早く壕の内部を照らし出してみた.……

露出した土壁にヤモリのようにへばりついて血しぶきを上げている女,
荒削りのパンの木の支柱にすがりついたままガックリと首を折っている女,
やや離れて一かたまりの肉布団のように折り重なって死んでいる女,
抱き合ったまま死んでいる女,
丸太ン棒のように転がっている女—

およそざっと照らしただけでも, 6,70人もの女たちが完全に事切れて血まみれの姿で死んでいた. しかも,ふと少尉が気づいたことには,それらのすでに死骸となった女の何人かの片手に顔剃り用のカミソリがしっかりと握りしめられていたのだった.

こうした種類の商売女にとっての唯一の武器ともいうべきその小さなカミソリは,……あちこちに投げ出されていた.

よし,任務完了,

"ははは"こんどは俺たちの死ぬ番だ,引き揚げろ,

昂然といい捨ていい捨てた少尉と二名の兵士は駆け戻って行った.」


だが,トラック島に,予期された米軍の上陸作戦はなく(同時に"玉砕"という名の悲劇もなく)素通りする形になった. トラック島の慰安婦の悲劇は,決してこの島に限ったものではない. いたるところの島の女たちが,この種の仕打ちに遭わされたのは確かである.


トラック島から,いちはやく日本へ引揚げてきた慰安所経営のボスらは,女たちの人命は念頭に置かず自己の金銭欲から絶えず嘆いたとか.

(わしはトラック島じゅうゲンくそ悪い島へ, 一生かかって貯めこんだ銭を捨てに行って来たようなもンや)

と. これが彼らの,よだれまじりの愚痴だったそうである.

http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070809#p1

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朝鮮人「慰安婦」の証言

12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした

 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。

(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)

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拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
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12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。

 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。

(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101201.html

             /        /  イf它メミー-       ヽ
            /        // {い辷彡ク―- 、 \     ヽ
          /       / / >=≠=ー-   \ \ヽ _    丶
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       !′      / l   ′| l|   l| |l  | |ト、  | l | l >      |
      !       /  川  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | | |       |
      {        〈  川  |l kヘ 八   | |/,,斗=ミk j | ! |       |
     \::      ヽノ川  |l_|孑テミ\ | l〃 弋ヅ゙} ' 从 |:      |\
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。

○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました

守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

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ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


    ヽ|′  ノ  /ヽィl   ′| l|   l| |l  | |ト、  | l | l〈″ ::.::.::. 〈|
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ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html

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キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


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朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2


            l. l  l   ,.!       }   !  !   l   l.l:.lj::lj::::} ヽ
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            ''T"  l l X `弋,刃``ヾl/ /'弋_刃ヽ l/ l'ノ,!/└ ' !  l
           l   l l l l ハ     ,       /,イ l_ノ      !
            l   l / / l /`'ゝ、   _ _     //1 l ri.      |  i
              l  ,/ /,' ,'/   .r` 、 ‐    ,. //' ! ト リ      |  l
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  丶ヽ l  7ー'        ,イ !       1        \|l/  ノ
   ヽ `! /        /   l        l           | /
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李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。

十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。

 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


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            /// /    リ !|       礼jハ/ ノ::;人/
     ., =='′ // /  /' ゙ ヽヽ`、 丶、′ `゙,.イ公 '´
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郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。

 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。

 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。

 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。

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    /!            ',       i    │
    | !             ',       ;    !
    ', !             ',      ',    !
    ハ              !       ',´  !
    |',ヽ                 .!      ./i   ',
    { ', ヽ            !       / i   ',,
―――) ', v        し'  l______/_ノ  ,r ヘヽ、,,,、_ ___
     し.', (          /     / 、' ゝ \,\\`i,
       ヽ         /      Y .ヘ〜弋  ト、ト、ト'
        \ _ ._ ,/         \_)   `-' \.)'


やはり従軍慰安婦に一番近いのはこれかな:

1989年、女の子が41日間渡って監禁され、計100人ぐらい(少しでも関った人を含めて)に強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。(深く関ったのは5,6人)ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。


468 :名無しさん@自治スレにてローカルルール議論中:2008/12/30(火) 13:29:14 ID:ESwy0TF30

少年達は床に全裸の順子を寝かせ膣にオロナミンCの空瓶2本を突っ込んだ。
そして3キロの鉄アレイを持ち出し順子の腹の上1メートルにかざした。
少年

「ここから鉄アレイ落としたら瓶が割れて膣の中がグチャグチャだぜぇ。ヒヒヒヒヒ」

順子
「いやああああ!やめて!やめて!」


少年
「やめなああいギャハ!」

鉄アレイは順子の腹へ落ちた。2本の瓶は割れなかったが鉄アレイとぶつかる音か甲高く響いた。


少年
「おもしれえ!おもしれえよおおおお!!」

少年
「おれにもやらせて!おれにもやらせて!」


少年達は何度も鉄アレイを落とし膣から鳴る音を聞いて笑い転げた。 やがてこの方法の虐待に飽きた少年達は別の虐待を始める。

そして膣に入れた2本の瓶は忘れ去られたまま順子は絶命しコンクリート漬けにされた。

467 :名無しさん@自治スレにてローカルルール議論中:2008/12/30(火) 13:24:28 ID:ESwy0TF30

AはCとDに対し「道具を万引きして来い」と命令。CとDはホームセンターへ向かい、ペンチや鉄アレイなどを調達。

C「いいものパクってきやしたぜ」

少年達は順子の服を脱がせ、CとDが両足を押さえ、順子の股を開かせた。
Bは電気ドライバーを取り出し、コンセントに差し込む。


B「グヘへへこれを入れてやるぜ」


順子は両足をバタバタさせたが、CとDはガッチリ押さえる。

ウイーンと電気ドライバーが回転する。そして電気ドライバーは膣に入った。
順子は痛がって大暴れするが、Bは無理矢理電気ドライバーを突っ込む。

悲鳴とともに膣が血が飛び散り、順子の膣は破壊されていく。


そこにAはペンチを持ってきて、乳首をひねり潰す。

乳首からも血が飛び散り、乳首も膣も使い物にならなくなっていった。


裁判記録から一部引用

お尻の穴に花火を入れ爆発させ、膣やに直系3センチの鉄の棒を何度も強引に突っこみ、性器や尻の穴を完全に破壊

(途中、膣をタバコの灰皿代わりにされる。

重い鉄アレイを身体(裸体)を数十回にわたって殴られ、まぶたに熱いろうそくをたらされ、

●陰毛を剃り、女性器に異物を挿入 

●ライターのオイルで皮膚を焼いた 

●肛門に瓶を挿入し思いきり蹴った)

 

手足を縛り、

膣にマッチ棒(ライター)を入れられ、点火し、燃やされ、
膣の中や裸体をライターで火あぶり、苦しさのあまり何度も気絶する。

その恐怖や苦しみや痛みは想像を絶する!

(この時ストレスと恐怖のあまり髪が全部抜け落ちていく)

しかし、犯人どもは哀れみの情など一切見せず、引き続き、陵辱、暴行を行う

大勢の男にかなり大量の精液を飲まされ(フェラチオで)、

500ccの尿を飲まされた。

ゴキブリも食わされたそうである。

また女の子の悲鳴や激しいリンチの音は監禁されている部屋の中で音楽をボリュームいっぱいで流しているため、外に届かない。

恐ろしい事に、監禁されていることを知ってた人は計100以上いるが、誰も通報しない。

(死体が発見されるまで)そして最後はひどく殴られ失禁して)死んだ。

(殺された)死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。

死体には髪がなくなっていた。

死体の陰部にはオロナミンC2本、入っていた。

なお、死体は手足を縛られた状態であった。


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                            ヽ ヽ-‐、   イ ヽ   }、゙  ノ
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◆陰毛を剃り、陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける。

◆ゴキブリを食べさせる。

◆性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入。

◆性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割った。

◆両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。

◆小指の生爪を剥がす

◆左乳首はペンチのようなもので潰す。

◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる。

◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる。

◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。

◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。

◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。

◆ダンベルを1メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。

◆揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。

◆あまりの恐怖に脳が縮小していた。

◆最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがて、ほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。

◆遺体の乳房には20本位の裁縫針が入っていた。

◆歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。

◆あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。

                ___
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初期

・強姦に加わった人間は100人超。強姦回数は400回を越える。

・全ての強姦が生。中出しに飽きると口内発射、顔面発射でフィニッシュ。

・過度の強姦で失神した場合は水をぶっかけ、息を吹き返させる。


中期以降

・膣にシンナーを入れ、キュウリやニンジンを出し入れする。

・肛門で爆竹や花火をして遊ぶ。

・床に複数のガビョウを置いて、その上に背負い投げやパワーボムで投げる。

・膣にオロナミンCのビンを入れる。破壊した肛門にもオロナミンCを入れる。

・膣に入ったオロナミンCの上に鉄アレイを何度も落とし、音を楽しむ。

・音楽に合わせてストリップショーをやらせる。

・ゴキブリ、ウンコを食べさせ、尿を飲ませる。

・体にオイルをまき、ライターで火をつけヤケドさせる。

・ヤケドでかぶれた肌を更に焼いたり、蹴ったりする。

・真冬に裸でベランダに出す。

・焼き鳥の串を肛門や膣に入れる。

・仰向けに寝かせて口の中に鎌や木刀を入れて顔を変形させる。

・裸にして竹刀や鉄の棒で毎日殴る。床に寝かせて竹刀をノドに押し付ける。

・膣を灰皿代わりにしてタバコを吸う。

・タバコの吸殻も膣に入れる。

・ハサミで膣に傷つけ大流血させる。

・乳房と乳首にマチ針を刺し、上から蹴りを入れる。

・乳首をペンチで潰す。

遺体の状況

・肛門と膣の中にはオロナミンCが入っていた。鉄アレイで割られた破片もあり。

・顔面は殴られた傷や腫れで識別は全くつかない状態。

・体中がヤケドとアザだらけで髪の毛はなかった。

・性器と肛門は完全に破壊。

現場検証の際、床、壁のみならず、天井にまで血が飛び散っていた。目鼻口の位置が判らぬほど膨れ腫上り、御両親でさえ判別しがたいほどに変わり果てていた。解剖の結果


頬骨・顎の骨が砕ける

ほぼ失明状態 片目においては完全失明

鼓膜が破損し、聴覚不機能

歯茎に付いている歯が一本もない

子宮・肛門は最も損傷が酷く、他の人体部より激しく腐敗、

文字通り完全に破壊され双方の壁は引き裂け、区別が無くなり、中にはタバコの吸殻、花火、瓶2本

頭髪は過度の恐怖により抜け落ちていた

脳が縮小していた(あまりの辛さに耐え切れず、脳自身が死を選択・命令する現象)

彼女が最後に言った言葉は「助けて下さい」ではなく「もう殺して下さい」であった

          ヽ  /  /,..-、                    ヽ   _   _         _
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/                                 j          l                ,  、
                                              ,'                    ,'   ヽ
ヘ                                        /                イ     /}
 ヽ                                          ,                 イ     イ/
ヽ、 ` - ,,_                                イ_         _ ,,..   ´   _,, イ/
  ヾミ .,,_ ` -  _                         _  - ´    ̄     ̄     _,, -(> ´
    `( ¨'' -   ,,_''  -   ,, __ ,,     -‐   ''            _,,  -‐≦ _,, - ''.´
      ` ''' ‐-=二 ̄二ニ===─────----───====ニ二 ̄ ニ= '' .¨´
                ̄ ¨'''         ──     '' ¨  ̄


825 名前:可愛い奥様 [2007/07/09(月) 00:04:36 ID:YEn3APa60]

乳に針二十本くらい入ってた、は2ちゃんで最近知ったが
どれほど恐ろしいことをやらかしてくれたのかと唖然としたよ。

782 :可愛い奥様 :04/07/30 12:11 ID:jzYoiJZc

他板で、裁判で提出される陳述書(?というのかな、犯行の内容が記載され読み上げられるもの)の内容が当時、関係者の判断で大幅削除されていたという情報有り。 真偽のほどは分からないけど色々な板&スレッドに張り巡らされた、少女に対して行われた犯行を列記したコピペがあったでしょう。 あれ以上の凄惨なことが、山ほど行われていたらしい。

それを裁判ですっかり読み上げてしまうと、社会的に重大な影響があるとして削除した模様。

あれ以上って・・・ 何?


787 :可愛い奥様 :04/07/30 12:45 ID:lKdghwk/

いくらでも思いつくよ。

お尻にウイスキービンを突っ込んだとか(あまり書いてないけどこれは本当)

栗タンをハサミでちょん切ったとかビラビラを噛み切ったとか

指を包丁で落としたとか、

目にロウソクをたらすとか、ボールペンを突き刺すとか

乳首をかみそりで落とすとか 

体中を小刀で(死なない程度に)サクサク刺すとか

歯をひっこ抜くとか

膣に手を突っ込んで子宮口をこじ開けるとか


これって蛆がわいたとかのグロ系漫画ではよく書かれてること。
あいつらなら実際にやりかねんよ。


788 :787 :04/07/30 12:47 ID:lKdghwk/

つーかなにをしても良い 生餌が手に入ったなら787に書いたようなことをしない、と考えるのは変。 やってるだろう、って思うのが(グロマニアの)普通だ。

ただしあまり血が出るようなことはしていないはずだから(血の始末が大変なのと直ぐ死んじゃうから)四肢の切断は無かったと思う。


789 :可愛い奥様 :04/07/30 12:54 ID:s2tiwsxN (BR>>787

担当した検察官のインタビューによれば、事件の全貌は余りにもムゴすぎてその真実をすべて論告に記載することは社会的影響力が強すぎるため内部でもかなり揉め、かなりの部分を削除したらしい。

裁判資料をみれば判るが時系列に分析しても所々抜け落ちている期間や状況がある。 で、少年裁判であるということもあり、この内容でも十分に極刑で戦えるだろうという所まで削ってあるとの事。

解剖医学の人間も同様にコメントしており、裁判資料に書かれた発見時の少女の状況から推測すれば論告に書かれている以上の拷問を受けていたと考えられる、との事。

…相当酷い事してるのは確か。

そもそもタバコの火を押し付けた火傷が化膿して、腐敗臭が酷かったから少年達が辟易して強姦がおさまった(立たなくなった?)らしいし。 その後は暴行だけになったって陳述されてる。

http://2ch-library.com/news/concrete/ms/1089851471.html

・順子さんはフェ〇チオ行為に最適な様に前歯を全部抜かれていた
http://yomi.mobi/read.cgi/human7/human7_ms_1173571086/633

43 名前:マッチョ [2006/12/21(木) 02:34:00 ID:h2T1I9iXO]
>>13
歯茎の感触の為に、全部ぬかれるんだよな…
ひでぇ話だ

55 名前:ビッチ [2006/12/21(木) 02:47:24 ID:KbX735R+0]

歯茎フェラは最高らしい。
やくざの貢物女がされるとか聞いたことある。

http://yomi.mobi/read.cgi/anime/anime_news_1166634573


                                           ,. -―._====>ミ'ヽ、
                                        ,.ィ,. -‐''二 ̄  ___   `゙'(
                                         //x‐''"´ ァ‐''"´_二ニ-――=-ミ、
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                                 _z=/ :////=,/ // ̄/フTメ==、_,.イ´   _,. -‐
                               // Y /// /-ノ とテ斧ミメx、  `Х ,.ィ''"´
                                  レ'/ Y :/ /イ:/´。``':ミテメミト/ /   u  ,.ィ
                                   /´/ノ:/, ' .l{   :::::::::::ヾ(゙///      ,.l /
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            ,,. '"      _,.          Y  ./ ,.ィ/.とノ     ヾヽ.ヽ    ::::::::::ヾヾミメ,_,.ノl!_
           ,. '"    u  /         ヽ、(   {:l/ ./l      、 ヾ,、}    ::::::::::::.Yi芽.l-‐|
        ,. '"  _,.っ,,.__o゚ノ            ヽ`゙'ー--‐'".:::::l         ノ'       ::::::::ノ'"}lメ! ,レ
    ,. ,. -‐''"´ -::r=:、:.、  ``丶、      u     ヽ.   / .:::::::l、   ι´´   _     ::::U '゙’-ィ-/
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94名無しさん@お腹いっぱい。2007/12/03(月)16:19:47 ID:cdN0qNtO

この事件、昔の知り合いが見てたらしい。 彼の方から話切り出してきたんだが、綾瀬だし、おそらくこの事件で間違いない。

彼が見たときは、プロレスごっこやってたらしい。犯人たちって格闘技が結構好きだったこともあるんだろうな。と言っても、女一人だから話にならなかったとは思うが。

ただ普通の技だけじゃなくて、がびょうや釘を床に置いて、合体パワーボムとか、背負い投げやってたって言うのが恐ろしかった(しかも上半身は裸)これって想像しただけでヤヴァイ。がびょうだぞ。

ハサミやドライバーで額を連打して流血させたとも言ってた。

ネタだと思ってたんだが、これって実話だったんかよ。

その後、女は死んだとか言ってたし。 ちなみに彼はレフェリーやっててふざけてカウント数えたりしただけだからパクられずに済んだとの話。


702 :可愛い奥様 :04/07/29 17:23 ID:+n16jRAd

確か肛門に花火入れられて火つけられて学園天国の曲に合わせて踊らせたんだよね。 本当鬼畜以外に言葉が見つからない。


213 名前:可愛い奥様 [2007/04/21(土) 19:36:52 ID:ZqugGkGj0]

被害者の遺体が性器にビンが二本刺さったままだったって話を読んで

あいつら生前の彼女の性器にロケット花火仕込んで爆発させたから括約筋が完全になくなって腸液が垂れるのをビンに入れようと思ったんだなと。

彼女の膿の臭いを嫌がり部屋にいつかなくなったといってたけど本当は膿の臭いより、尿や便の臭いが嫌だったんだなと・・・。

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慰安婦強制連行を証言する吉田清治
http://www.youtube.com/watch?v=yBOJT-N0GWI

吉田清治は、一時、右翼や旧軍人からの脅しやいやがらせで、知人宅に身を寄せたこともあったと言う。

「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。
デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」

http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html



20. 2012年4月02日 23:18:54 : TVulukuiHU
週間新潮のインタビューで吉田はこう言います。
「秦さんらは私(吉田清治)の書いた本をあれこれ言いますがね。
まあ本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグなぶぶんがあってもしようがない」

真面目な新聞社はいい面の皮です。
1998年の秦教授と吉田との電話での会話です。
「『あれは小説だった』と声明を出してはどうか?」
「人権屋に利用された私が悪かった。しかし私にもプライドがあるし、このままにしておきましょう」

「このままにしておきましょう」だと!!???

お前のおかげで無用な贖罪意識を持たねばならなかった日本の子ども達にすまないと思わないのか!
お前のおかげで韓国で八回も謝罪せねばならなかった宮沢首相にすまないと思わないのか!
お前のおかげで謝り続けた細川首相、村山首相、橋本首相、果ては天皇陛下にまで謝罪をさせて良心は痛まないのか!
何より、過去は過去として静かに暮らしていた元慰安婦の女性達の人生をムチャクチャにしたことを人間としてどう思うのか!
「私にもプライドがある」だと?ふざけるな!!!

吉田清治 本人が嘘だと認めているのに、それを否定するのは、馬鹿?
http://www.youtube.com/watch?v=CulV1Cx6nZA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=cmphs0RjZ4M
うそつきは韓国の国技


21. 2012年4月02日 23:24:49 : TVulukuiHU
韓国は売春国家、儒教が厳しいなんて嘘。
売春婦がデモをする国家ですよ!!
http://www.youtube.com/watch?v=8KuWsy5f33c

22. 中川隆 2012年4月12日 20:41:01 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

                  r〈沙夊ァ
             ,x)水.ゞムイ´Xx,`   、
           ,xXXXxxxxXXXXXXx,. ` 、
           /ァ''^"´,   `^''xXXXXX,.  ヽ.
         / ´    !       l `xXXXX,    ),
.        /     l      l   `xXXX,.   ),
         ′     l.     l l   `xXX{.   |
.        !  / /  i| i   ! l / ! ,仆、 `XxL  |
       l /,/ | _|小、!   |/)' |/,斗∨ |XXマk !
       ! 〉l ∨ |≧t圦  リ_>チ〒ァ、} ! };;ト、 }}
.       l l 从. ト、ト弋リゝ\{ イ弋リノ' ノ ノ/l;;|,リノ'|
        | ‖ ', マヽ`ー'      _,ノ / /|;! ||. i   な〜に♪
       l |  ', '込 ""  、  "" _,ノ,/ / l! ノ' |
        !十!l´', マ价x、 ー -' , イ/ /`l!ー'く、 i
.       ,´ヽ! !l ', ∨从 > .ィ /../ / l!.:.:.:.:.:ヽi
.       i.:.:.:.:.:.:.:.:!l )ヘ,.∨》,. ≫‐≪ // /《 l!.:.:.:.:.:.:.:;.i
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“吉田清治 本人が嘘だと認めているのに、それを否定するのは、馬鹿?”

吉田清治は右翼や某組織から脅迫されて、自分の過去の発言を否定させられただけさ。もし、否定しなかったら家族はこういう目に遭うからね:


244 名前:名無しさん:07/11/20 19:42

平和言われてる日本でも裏では

若い女二人裸にして檻の中で殺し合いさせながら皆で賭けて観戦したり、

横浜では薬浸けにした女を奴隷にして売り出してたりするんやから。

ちなみにその場で締まり具合チェックできるらしい。 会員なるのに何十万、参加費用何万とかやから変な性癖持ってるの金持ちが多いよ。 買われた子がどんな扱いされるかは本人しかわからん。


249 名前:名無しさん:07/11/21 18:26

入会五十万、参加三十万やったかな?
奴隷は何千万。

83 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 15:26

SMクラブとか風俗関係が暴力団と手を組んでやってるみたいだよ。暴力団自体は奴隷を提供して店から借金分の金をもらってるだけらしいよ。 上にあったけどマグロ漁船と同じ仕組み。暴力団はめんどくさいことは嫌いなようです。

15 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/04 18:47

借金返されへんやつをSMクラブのショーに出すって話は聞いたことあるで。


19 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/05 18:16

15>聞いたことあるよ。

  大阪のミナミのSMクラブで年に何回かあって参加費10万ぐらいかかるらしいよ。でも客にサービスもめっちゃいいんだって、  
俺でも知ってるってことはかなり有名みたいだけど参加したやついないの?

46 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 20:45
19>
アメ村の近所にあるよ。
見学だけなら3万、カメラの持ち込みは15万、ビデオは禁止で何名か招待されてる人もいるみたい。 俺はバイトの連れに教えてもらって参加したんだけど、えげつなかったで。

会場は普通のクラブみたいなとこで地下にあった。 ドデカイ扉の前にホストのような男がいて金を徴収して中に通してくれる。

十字架のような×の張り付け板と椅子みたいなやつとかSMの道具が用意してあって真ん中がステージになってる。回りを囲むように立ち見になってって調度ストリップ劇場みたいな感じやった。


49 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/05/07 20:55

HERMES?

52 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:08

7時半スタートで30人ぐらい客が入ったら始まってヒョロヒョロの男が×の板に鎖でつながれて客がひとりステージに招待されて

「この奴隷の運命は今このお客様に託されています。どのカードを引くか緊張の瞬間です」

というアナウンスが流れてなんかトランプみたいなカードを引いてた。 なんて書いてたのかは忘れたけど

「奴隷のチンポに皆様で画鋲を刺して下さい」

という風に司会者が話して一人一本ずつ画鋲をもらって順番に刺していきました。俺の番の時には亀頭はすでに全部押しピンが刺さっていて金色だったので普通に根元に刺したのを覚えています。

これで一人目が終わりで同じように二人目がでてきてまたカードを引いて、今度は万力でチンポを潰すというのがでて、つれによると一晩に一回は出るらいけどこれが一番悲惨な刑らしい。

大股開きで椅子に座らされて口にマウスピース見たいなんを噛まされて何故かビンビンに勃起してるチンポをかなり大き目の万力(コマがついてて押してきた。)に挟まれてレバーをグルグルまわしていってた。 客の中から

「あと少しあと少し」

と合唱が起こって最後にはペチャンコになった。万力を緩めたらみんな前に押しかけていってドキドキの瞬間。

チンポをぺっちゃんこでシワシワになって真っ黒っぽくなってた。 形はなんとなくわかる程度やけど血はそんなに出てなかったと思う。 男は気絶してて、すぐに担架で運ばれて行った。

そうそう、奴隷はみんな借金持ちやねんて、男はマグロ漁船かこれしか無いらしい。マグロはあんまり無いのでこれで借金を返すらしい。実際どうか知らんけど。エグイのは事実。


65 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:35

さっき書くの忘れてたけど万力でチンポ潰す前に挟んだまま鉄の串を亀頭から根元にめがけて突き刺してた。 俺はあれ見た瞬間、血の気が引いてめまいがした。

80 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/05/08 06:05

SMショーに出演されて、性器破壊されるだけで
借金帳消しになるって、いくらぐらいの相場なのよ?


53 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:16

俺も大阪やけど聞いたことあるな。 女のSMショーはもっと安いんやろ?

ハンマープライスみたいなんで一番高い値をつけた人が実行できるらしいで。

最初は鞭打ちから始まって最後はクリトリスをペンチで潰すのでそれが一番人気で50万とかなるらしいで。

実行した人にはそのときのビデオがもらえるとか聞いたけど。


56 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:18

53>そうそう。ハンマープライス見たいなんが主流らしいな。


207 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 15:49

乳房をペンチでねじ切られる時の女の声は人間の声ではない。 屠殺場の豚以上の獣の断末魔の叫びです。

テープを10年以上昔に、族の同級生に聞かせてもらった。 今でも夢を見る。
あんなもの聞かなきゃよかった(;;)


209 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 16:32
>>207
クリトリスを切断されるときの声も、尋常じゃないそうだ。


280 名前: 248です 投稿日: 02/06/17 23:34

医者に数百万支払って、適当な病名をつけてもらい、すべてが終わるらしいです。

429 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:46:18 ID:Di85uiWP0 [3回発言]

治療という形にすればいい。


302 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/19 23:58

基本的には指詰めて病院いくのと同じ扱いにしてます

63 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:30

名古屋ですけどなんか同じような話を聞いたことがあります。


79 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 04:56

HERMESは知らんがそういうショーは現実にあるよ。 だって俺見たもん。
ミナミの店で聞いたら大抵知ってるんじゃないかな?


84 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 15:30

タイの風俗で性器破壊ショーが流行ってるって連れのツアコンが言ってった。
http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


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       |i .i l  :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
    :. |i∧ ', :{ ,ィjモト \  イjミトイイV :.  な…
       .|  :メヽ.', `ozZ}      izN。ハ::{     なんなんですか?
      :. |  :ヾ_! ゝ "゙゙    '  `゙ ハ.:', :.   ここ、どこですか?
      |  :.:_イ .:.ヽ.   (二フ , イ :.:.:!:.ヽ     なんであたし
   :.  / rィイ | :.:.ヽ: >r/`(ノ .:.::.}ヽ、\:.   ここに居るんですか?
      / ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
 :.  / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^`  |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
   / /  ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{   ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
  ./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、  : : : l:.:.: .ハ ',
  { /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.}
  V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄  ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{  リ
    ヽ:.:{、.:.V     : : ヘ     : : {: : :/:.::∧|
     ヽ! )人    : : :人      : : : / \! :.
      "  ヽ : : : : :/イ{     :.ノ: : : :.\ :.
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16 名前: このスレ読んで思い出した 投稿日: 02/05/04 19:01

拷問じゃないんだけど、10年くらい前によく行っていた雀荘で知り合った暴力団のおっさんは俺と知り合う7年くらい前まで人身売買をやっていたらしい。ヤクザ仲間が拾ってきた家出娘やDQN女の身辺を調べて足が付かないようなら海外に売り飛ばすそうだ。

どうやって運び出すのか、どこの国へ売り飛ばしたのかは教えてくれなかったよ。それと売られた後のことはよくわからないらしかったけど長く生かしておくと情に訴えたり逃げ出したりしてろくなことがないらしくわりと早いうちに殺されるらしいと言っていた。

>>2>>10のようなことされて殺されたのだろうか?


50 名前:名無しさん:07/03/03 21:16

以前ヤクザ屋さんでアジア系の女の子、金持ちに売っぱらってるおっさん居てたんやけど、

売る時には女の歯を全部抜くって。

身元付けへん様にするんと、男性器をしゃぶり易くする為や言うてた。


女買う奴の中には、手足切断で興奮する奴も居てるし、死姦でしか興奮できへん奴も居てるみたいやな。

おっさん、赤ちゃんでしか興奮できへん奴が客に居てるとかで、貧民地区から赤ちゃん貰ってきてたわ。そのおっさん嘘言うてるかもしれへんけど、5年前にブラジル行ったまま、行方不明になったわ。

http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


13 名前:140cm台の彼女募集中 [2006/12/21(木) 02:13:02 ID:EVJLBsof0]

この前フィリピン人の少女が総入れ歯外して汚いおっさんにフェラしてる動画見たときは本気で吐きそうになった

まだ10代なのに総入れ歯なんだぜ


43 名前:マッチョ [2006/12/21(木) 02:34:00 ID:h2T1I9iXO]
>>13
歯茎の感触の為に、全部ぬかれるんだよな…
ひでぇ話だ


55 名前:ビッチ [2006/12/21(木) 02:47:24 ID:KbX735R+0]

歯茎フェラは最高らしい。
やくざの貢物女がされるとか聞いたことある。

http://yomi.mobi/read.cgi/anime/anime_news_1166634573


91 :/名無しさん[1-30].jpg:2007/11/21(水) 22:36:23 ID:LvI0+RcF0

入れ歯外して口にローション含んでフェラすると すげー気持ちいいらしいよ

http://mimizun.com/log/2ch/ascii/1166650631/


バブルの頃からこの不景気日本衰退に至るまでの陰で実は実力ある創業者系や地域で古くからの富裕層等のブルジョワ日本人階級一家が次々と苛め抜かれた挙句に行方不明になっていた、まるでロスチャイルドの計画通りに。

創○が、創○に電話盗聴等おかしな事をされているとこのブルジョワ被害者達がいくら訴えても、無関心な近所住民やハニートラップや児童ポルノで創○に弱味を握られたOBの息のかかった全国警察網の支援で、予めターゲットブルジョワの客との商談価格交渉等やりとりの情報を入手し当該客のニーズをきちんと調べる等して自分達でより良い条件を提示して横取りし逼迫させて遂には家の敷地を切り売りする程に追い込んで家の両側を挟むように創○員の家を建てて囲い込み嫌がらせ三昧風評操作三昧、

ターゲットブルジョワが詐欺師紛いの胡散臭い商売をしている等と風評操作をし、そうして挙句に借金苦に陥り夜逃げした云々という事にして拉致し臓器密売ルートに流し自分達で財産をそっくり頂いてしまう等していたようです。

ブルジョワ一家の残った家族には秘密朝鮮人ルートで保険金をかけ、息子さん達は今回の市川海老氏事件と繋がる暴走族に追い回させ白昼堂々に何人かで金属バットを持って家に乗り込もうとしたり麻薬を使って軽い通り魔犯や地域の変質者に仕立て上げ

娘さん達は権力者の弱味を握る為等に催す地下レイプショーに引きずり出されて生きたまま内臓を引きずり出され断頭され硫酸で溶かされたりして行ったりしていたようです。


北朝鮮絡みで有事の際はいつでも爆発や海底ケーブル切断に動くと言っている極東会のK俣K也という構成員等が、「秘密組織」であるという事とFEMAクーデター日本乗っ取りに向けた北関東「少女」連続誘拐殺人をきちんと窺わせる、

「秘密組織 人妻いじり」
「秘密組織 幼女いじり」
「秘密組織 思考性交」

々という下品極まりないスレッドを2ちゃんねるに立てていた。

少女誘拐や小学校襲撃の影の真犯人は彼らでプチエンジェル事件や北関東県境少女連続誘拐殺人等の黒幕でもあり、六本木森ビルと繋がるような彼らが誘拐した少女達でレイプ殺人ビデオを作っていて顧客リストにその関係ビルの元首相の名やおそらく平沢や亀井のような警察超上層の名があった事は阿修羅にも嘗て投稿されていました。

後藤組のほか、極東会と繋がりが強いので住吉会も核心の1つなのかも知れません。

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/125.html




[12削除理由]:言葉遣い

23. 2012年5月09日 13:49:42 : YDhc0DRWJ6
んで、どうしたいの?

24. 2012年5月10日 12:18:54 : EaixQbt7gw
性奴隷が朝鮮に集中している理由をまず知りたい。同じ植民地の台湾にない理由。満州にない理由。東南アジアにない理由。日本国内にない理由。
朝鮮人はマン毛が少ないから日本兵の好みだったという答えはなしねw

25. 2012年5月10日 12:32:53 : EaixQbt7gw
どうして韓国人は、吉田を捕まえるとか報復するとかしないの?
殺してかまわないよ。やったことが事実なら殺される権利がある。生きながらに肉を削り取るやつでやってw日本人は全員賛成すると思う。鬼畜吉田清治、なんで生かしておいたのかわからない。
金九何とか言う殺人鬼が英雄になる国でしょう。高々警官を一人殺してその血を顔に塗ったとかいう馬鹿。
吉田を殺して首を晒して肉片を遺家族に配ったら日韓の国民が喝采する。

26. 2012年5月10日 12:35:56 : EaixQbt7gw
吉田清治は実行犯なんだぞ!!生かして置くな!!

27. 2012年5月23日 00:06:43 : CQMDZzrk6Y
嘘しかつかない朝鮮人の言うことなんか信じるわけないだろw


28. 中川隆 2012年5月28日 10:53:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


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朝鮮人の言うことが誇張表現ではなかった例

■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)

 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。

 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)

当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm


           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
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    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
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r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
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つい最近まで奈良県にもあった慰安所


日本の農村は怖い _ 奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件(1997年5月4日)の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

セイジとナツエ夫婦は、行商と日雇いの肉体労働でなんとか食いつないでいた。

 やがて長女カンが生まれ、次女が生まれ、三女が生まれ、長男誠人が生まれ、さらに四女が生まれた。

 セイジは、家族が増えるたびに板切れで斜面に家を継ぎ足した。その為、彼らの家は一瞬3階建てに見えて、斜面に1階建て3棟が階段状に連なっている。素人の造作で更にあばら家感が増している。

 区入りできないのでは茶畑も持てないし区有林の使用権利もない。集会にも呼ばれないし、役員選出の投票権もない。けれども負担だけは負わされる。区の奉仕作業もやらされるし、負担金は最低ランクながら支払わされる。

 30年住み続けても、扱いは変わらなかった。

 実をいうと、ここが旧弊に囚われた隔絶された排他的集団かというと、そうでもない。梅林は観光地で、都市生活に疲れて「田舎暮らし」を求めて移住してきた都会人もいる。村人は排斥するでもなく普通に受け入れて付き合っていて、寛容な顔も持っている。 だが、その顔は丘崎家にだけは一度も向けられなかった。日本が経済大国になろうが昭和から平成になろうが、丘崎家は不変だった。
 

 極貧かつ孤立の暮らしだがセイジは愛人を作った。当然ながら夫婦仲は冷めた。

 ナツエは子育てをしなかった。7歳から働かされていて、子育てという概念すら知らなかった。されたことも見たこともないものはできない。

 家事も知らないから家の中はホコリと土だらけだった。家具もまったくない。生活用品は土だらけの床に直接置いてある。

 一家団欒もなかった。料理をなんとか覚えた長女カンが作りおきしたおかずを各々が食べたい時間に勝手に食べる。

 家族の会話もない。みんなたまたまひとつ屋根の下で息しているだけの家族だった。


セイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。集落に住まわせてやっているから。

缶ジュースかミカン数個を置いていく。

隣り合う部屋で幼い誠人はそれを聞いていた。


姉カンが成長すると、村にある居酒屋の賄いとして働くようになった。
 
今度はカンのもとにかわるがわる男たちが通ってきた。

隣り合う部屋で少年誠人はそれを聞いていた。


 カンは未婚のまま子を産んだ。父親は誰ということもないままだった。

 (ナツエもカンも抵抗はしなかった。既に抵抗する術を持たなかったからか、そこに自らの存在意義を見つけたからか、それはわからない。おそらく、抵抗すること自体わからなかったのではないか?産まれたときからそんな境遇で、それが当然だと)


 こうして何重苦もの荒んだ家庭で少年誠人は育った。そして、日本には義務教育制度があり、国籍住民票の有無に関係なく子どもは小中学校に行かされる。誠人は当然のようにひどい目に遭った。

 小3のとき、公民館で放火騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」と噂が立った。なぜなら「丘崎の息子やから」

 村祭りで金が盗まれた、ビニールハウスでボヤ騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」なぜなら「丘崎の息子やから」

 川で遊んでいると石を投げつけられた。なぜなら「丘崎の息子やから」

 「あの子と遊んだあかん」親たちは子ども達に言い聞かせる。なぜなら「丘崎の息子やから」


 当たり前だが、少年誠人はめっきり暗い性格になった。中2で不登校になった。そのまま学校には二度と行かなかった。友だちもできず、家にこもった。 担任教師は誠人に冷淡で、卒業まで数度しか様子を見に行かなかった。法廷で誠人は「不登校は担任のえこひいきと体罰がひどかったから」と証言した。

 卒業式も行かなかった。担任に命じられてしぶしぶ同級生が卒業証書を届けると、誠人はそれを破って焼いた。

 裁判では、村の住民、同級生たち、当時の担任も証人として出廷したが「そんな差別はなかった」と口をそろえて否定した。だが、新潮45の記事を書いた中尾幸司は 取材中に聞いた、村人の「嘲笑まじりの」証言を次のように記録している。

 「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いから、どうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が“朝鮮がっ! ”って吐き捨てるように蔑むのを聞いとるしね」


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。確かに一部にはそれがあるものの、それだけではない。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。

 部落差別、在日差別、職業差別、貧困、村八分、いじめ──丘崎家は戦後日本の暗部を網羅したかのごとく背負わされた。しかも一家はどのカテゴリにも入れずどこにも属すことができない。だから解放や同和の互助も、被差別への支援も、救済も彼らだけをすり抜けていった。 こうして一家は、オリジナルの下層民として「創造」されたのだった。

 ここで疑問が出てくる方もいるかもしれない。どうしてそんな目に遭っているなら村から逃げなかったのか?と。 村から出なかったのが悪い、外で自立しなかったのが悪い、どこに住むかは自由、どう生きるかは自己責任と必ず自己責任論を掲げたバッシングが出てくる。

 だけど、それは孤立し虐げられ続けることが人の心の芯をどう破壊するか理解できていない。または、する必要もない幸せな人か、要領よくいつも踏みつける側にいて、 「いじめられっ子にも非がある、ぼくらも被害者」 と嘯く人だ。


 ナツエにはこの嵩集落以外に行くところがなかった。集落の男たちの慰み者になるのなら、街に出て風俗でも稼げる。文盲で常識的な知識すらないナツエにはそれがわからなかったし、集落の者たちからは

「ここを出て行ったらお前らは生きて行かれへんぞ」

と言われ続けながら差別を受けていた。とりあえず、ここでは生きていける。虐げられ続けたものの心は自尊心すら破壊され、洗脳されていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html

308:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 07:59:39 ID:1p9ofrxo

ムラの奴らは丘崎一家を人間扱いしてなかったんだろ。
その辺の虫ケラと同等レベルにしか思ってなかったんだろな

335:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:22:35 ID:IQl2cStV

丘崎一家は飼われてたんだよ。 月ヶ瀬の住民に。

魂を売った見返りに、民生委員の被害者家族に生保かなんかを斡旋して貰ってたんじゃないの?

月ヶ瀬の住民も酷いが、丘崎の両親も情けない。

336:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:55:56 ID:CfnrJJBg

村民は何のために丘崎を飼ってたの?

飼うからには、飼う側に利益がないと邪魔な人間を飼ったりしないと思うが。
犬や猫などのペットは心を癒す愛玩動物だし、牛や豚などの家畜は乳や肉を売って利益を得る。

村民にとっての、丘崎一家を飼う目的は何?


343:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:39:03 ID:IQl2cStV
>>336
飼って住民のストレスの捌け口にしてたんでしょ?

男は虐げられ、女は性の玩具。

「人権を守れ」と立派なこと宣う部落民が人権を蹂躙してどうするんだよwww


344:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:31:36 ID:CfnrJJBg
≫343
なるほど、サンドバッグ&性処理の道具ね。

708:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:27:51 ID:RqBVorhl

丘崎家は生活保護じゃねーよ。

両親は土方、姉は居酒屋勤め、

それ以外に母と姉が村人達の性処理の相手してて(売春)、

村人から飼われてたんだよ。

売春は暗黙の了解。 お互いもちつもたれつの関係。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 22:41:27.66 ID:wYVT3CC/

一番の原因は母ちゃんが慰み者にされてたからじゃ無いのか?


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:10:51.60 ID:???

一番かどうか知らんが、歪むだろうなぁ、そりゃあ。


普通の風俗は基本的に、来たい客が楽しく遊んで、

女が金を得る商売と割り切れるからまだいいが、

丘崎の母ちゃんは差別されてただろうし、オモチャだもんな。

しかしそんなンが日常だった村って今も正常に機能してんのかね。
代わりのはけ口かありそうで嫌だわ。


645:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 23:50:56 ID:???

差別・村八分して人格踏みにじっておいて、
一方では金で母と姉を肉便器にするなど、
自分らを都合よく飼い殺し扱いしていた村人達への復讐だな。


646:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:35:55 ID:???

両親が隣村にいられなくなった理由…

母が村の有力者と出来ていたのが、奥さんにばれて追い出された。
しかし逆に、月ヶ瀬では村人達の肉便器になることで居住を許されてた。
女の穴を共有するのが月ヶ瀬の習俗。

673:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:24:19 ID:???

しかし姉はともかく母親はかなりのオバサンだろ。

都市部ならマニアの客も付くだろうが、相手も歳がいってるにしても田舎でよく稼げたな。
年齢の割りにルックスはかなり良かったのだろうか?

674:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:55:54 ID:???
>>673
外部からの見知らぬ客ではなく、
母親が20代の頃から関係が続く数十年来の馴染み客(村の衆)

事件当時の母親は50代後半だから、その頃は60代70代のじいさん相手にしてたんだろうよ。

不特定多数の客をとる都会の売春婦と同等に考えるな


732:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 18:05:56 ID:VMVne5te

月ヶ瀬にドライブに行ったことあるけど。
山、川、梅林しかなくて、コンビニすら無くて寂しい所だった。

あんな所に住んでたら、鬱になりそう。 とにかく、山奥の超ど田舎。
ああいう土地の住民て、普段は何が楽しみなの?

あんな超山奥だと、家でテレビ見て晩酌するぐらいしか、すること無いじゃない。

734:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 20:53:17 ID:???
>>732
月ヶ瀬住民の楽しみは、

自分以下の人間を見下して差別し村八分にすることが唯一の鬱憤晴らし


735:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 02:15:18 ID:ae4eW/XC
>>734
で、酒飲んでセクスな。

736:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 05:11:13 ID:???
>>735
で、チョンB女を肉便器にして中出ししてな


737:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 02:13:16 ID:RMl7zJI0
>>736
で、また酒飲む

647:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:48:06 ID:bn7G1Ow6 B、

チョン、差別、村のならわし、
肉便器、貧困、文盲、
あばら家、トイレ無し地面掘って排泄、山奥…

つくづく嫌な環境だなこりゃ


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 18:17:00.33 ID:XckXsGMP

以前「新潮45」の記事で読んだんだけど、丘崎の家は便所がなくてその辺でする
もんだから、近所の人は「もう臭くてかなわんかった」と言っていたという。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 18:50:48.51 ID:???

丘崎家を「くそぅてくそぅて(くさくてくさくて)」と言ってた村の男

何の用事で丘崎家に行ってたのかな?wwww

丘崎の同級生とかじゃなくて、かなり年上の男のようだったけど


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 05:28:55.21 ID:???

村に住まわせてやるかわりに丘崎母や姉を強姦してたんでしょ、村人が。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 07:53:37.84 ID:???

母や姉を性奴隷にしていたなんてどこソースよ?

住民が毛嫌いしていたというのに、掘建て小屋でセックス?


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 08:50:54.05 ID:???
>>124
それがしてたんだよ。 丘崎家のあのバラック小屋で。

執拗な差別と肉体関係、

それがこの事件を取り巻く村社会の不思議さと、陰湿さを際立たせている。


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 06:39:00.44 ID:???

あのじいさんってテレビで見た限りでは普通のいい人に見えたけど…
あの人も丘崎の姉母を肉便器にしてたって本当だろうか。

709:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:34:14 ID:RqBVorhl

で、何故 民生委員の爺さんの孫娘を丘崎が殺したかって?

母親を肉便器にした張本人が、その爺さんだったからさ。

丘崎は、その怨みでジジイの孫娘殺したんだよ。


278 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 03:56:25 ID:???

丘崎母親を肉便器にしてたのは、被害者中学生少女の祖父な。

乞食のような丘崎一家を月ヶ瀬に住んでもいいと許可し、物置小屋だったボロ小屋に住めるように持ち主に仲介を依頼したじいさん。

そこまで世話してやったのは母親の肉体が目的だから。

丘崎はそのジジイのことを心の底から憎んでた


648:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:01:24 ID:???

犯人の両親に格安家賃の貸家を世話して住まわせ土方の職を紹介したのが、被害女子中学生のじいさんなんだよな。

犯人母と被害中学生じいさんの関係…

なるほどな。復讐の意味はそういうことな


284 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 06:31:27 ID:???

ジジイと丘崎一家は親戚みたいな人間的付き合いじゃねーよ。

飼い殺しなのさ。

飼い殺しの意味わかる?

母と姉は村人達に肉便器にはされてたけど金銭はもらえず、せいぜいミカンかジュース程度。

住まわせてもらうことの代償が肉便器になること。

肉便器として扱ってはいても村の奴らは全員、丘崎一家を人間としては扱ってなかったのだよ。

例えて言うならホームレス女にオニギリ一個与えてHして、やり終わると唾を吐きかけ蹴飛ばしてゴミをぶつけるようなもん。

シベリア抑留で強制労働させられた日本人みたいな扱いと思えばいい。

739:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 07:09:46 ID:???

小さい丘崎に、母親と民生委員の爺さんが見せつけながら、セックスしていてたんだろうな。

16 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/09(土) 19:05:12 ID:???

丘崎の母と姉は、村人達の肉便器にされることで村への居住が許された。

土地を持たず国籍にも問題のある乞食同然の一家にとって、それは生きていくためには仕方の無いことであった。

自宅に代わる代わる訪れる村の男どもに母と姉が体をまさぐられている間、子供だった丘崎誠人はその屈辱に堪えていた。

差別されている者ども(月ヶ瀬の中のB民)が、さらに自分達より下の者を虐げることで憂さ晴らしをしていた構図。 村の有力者の娘を殺害することで、丘崎誠人は長年にわたって鬱積していた恨みを晴らした事件。

66 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/29(金) 21:23:59 ID:cexANW65 [1/1回発言]

未だに前時代的な風習を続ける山奥の小さな集落。 まるで明治時代。

夜這いもひそかにまだ残ってそうだね。

弱者が女房娘を強者に差し出すことで、村に住むことを許されるみたいな…

やれやれ、つくづく陰惨な土地だね。

72 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 12:58:24 ID:DXNYTpOb [3/4回発言]

しかし、関係持っておきながら人間扱いしないって酷い話だな。
情ってモンはないのか。

73 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:02:06 ID:???
>>72
人間と認めて交際してたんじゃなくて、性欲処理だけのために利用してたんだろ。
東南アジアへ回春旅行する男みたいなもん。
東南アジア女性を養う気も入籍する気も無い。 マソコだけが目的。

丘崎母姉はただの肉便器にしか思われてなかった。

74 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:41:55 ID:DXNYTpOb [4/4回発言]
>>73
なんか嫌だなぁ…

アヘアヘ腰振ってフィニッシュしておきながら人間扱いしないとは。

そんならヤギとヤッときゃイイのにな。


207 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/08/11(水) 19:40:41 ID:???

長女は村の飲み屋の人気者で中々セクシーだったそうだ。

その長女が外で垂れていたのを、張り込みのカメラマンが盗撮して、仲間内で画像をまわしたと、下品な話には事欠かない事件だったな。。。。

454:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 21:48:44 ID:???

そもそも同和地区内部での差別ってあるの?


455:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:02:42 ID:???
>>454
何世代も前からの土着民は仲間意識が強いのだろうけど。
丘崎一家はよそからの流れ者だし、しかも在日朝鮮人だからね。
村八分状態だったろうよ。


351:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:50:26 ID:???

少数の人間を生け贄にして集団の団結を計るのは昔からのやり方だからね
その生け贄に逆襲されるのもまた仕方が無いんじゃないの

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:14:32.70 ID:???

村民達は丘崎一家を見下して差別していたくせに、実は逃げられないように飼い殺ししてたんじゃないだろうか?って。

無学で国籍の怪しい乞食一家が転居してきて、対等な仲間としては受け入れがたいけど、ストレス解消に役立つサンドバッグが出来たぞいいアンバイだなと。


村で放火や盗難事件が発生すれば全て丘崎に罪をなすりつけ、

セックスしたくなったら丘崎母姉で性欲処理して、

むしゃくしゃしたら丘崎にみんなで石をぶつけ…


いじめる相手がいなかったら村民達は困るんじゃないの?

丘崎の母は小学校すら行ってなくて文盲ってことだから、一般的な知識も情報もなかったと思う。 村民達に


「町に出てもおまえらの仕事あらへんで」

「村から出たらおまえら生きていけへんのや」


と巧みに言いくるめられてたんじゃないかって。

この一家は頭悪そうだし、生活設計とか将来の計画とか出来なさそう。 どうやったら村から出て行けて、町で人生再出発出来るかなんて考えつかなかったんじゃない?

もうどうでもよくなって、そういう生活から抜けだそうって気持ちすら持たなかったかもね。 学の無い情弱一家ってことでしょうね。 息子はヘタレだから、東京や大阪で行き詰まって帰郷してしまったし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:35:22.30 ID:YAtNVMoT

丘崎母に旦那は居る。けれども未入籍の事実婚。
丘崎父も日本人と朝鮮人のハーフで流れ者。
丘崎が自殺した時は丘崎の両親は三重でひっそり暮らしていた。

貧困な両親には墓を建てる金がなく、丘崎の遺骨は両親の家に置いたまま。
けれど、当時で両親は70代半ばくらいだったので、今は生きているかどうか…


丘崎姉は未婚で子を産んでいる。子の父親は誰だか明らかにされていない。

もしかすると関係を持っていた村の誰かの子かも知れない。
事件後、月ヶ瀬には居られなくなり、大阪に移り住んだらしい

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:27:59.36 ID:YAtNVMoT

新潮文庫の記事によると、母親は文盲。
突然疳癪を起こしたりすることからみても知的障害か、あるいは精神障害を患ってたような感じではある。

最初は自分の祖父が婆さんと間違えたみたいにドサクサに紛れて夜中に手をつけたらしいことを匂わせる記述もある。

丘崎母にとって、自分が生きるためには犬猫のような交尾は必要、かつ当り前であって、そこに倫理観やら羞恥心やらの価値観はなかったのかも知れない。

教育を全く受けてないのだから、猿やイノシシと同じで野生のまま…
だから村中の男と関係を持つことに、悔しいだとか悲しいという感情を抱くことなく
生きる為に交尾を重ねていたのではなかろうか。

539 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 10:09:23 ID:???

丘崎一家は出ていかなかったんじゃなくて、出ていけなかったんじゃないかと思うなぁ。 村の人達が出ていかせなかったというか。

つまり、集団の中で敵を設けると集団がまとまりやすく一致団結するみたいに村に丘崎一家という「最底辺の敵」を敢えて設けて、村の結束を強固にする役割にしてたのかな、と。

事実、村の男たちが丘崎家の女を共有することで秘密を共有し、ボヤ騒ぎが起きた時も
最終的に丘崎のせいにして問題が収まってる。他にも水面下ではいっぱいあるんじゃないか。 B地区特有の世間に対しての鬱憤も、丘崎一家をサンドバック代わりに解消してた気もする。

でも万が一、丘崎一家がいなかったとしたら、自分もターゲットにされるかもしれないというある種の恐怖感さえ生まれてくる。 いじめのターゲットを設けることでその他がまとまり、設けてる間はとりあえず自分は安心みたいな学校や職場のいじめの構造と全く一緒な感じがするんだよなぁ。

結局、あの村にとって丘崎一家は必要悪だったように思う。 丘崎一家には


「この村にいるからこそ家にも住めて仕事ももらえ、食べることが出来るんだ」


と言い続けて見えない恐怖に怯えさせれば、簡単に御することは出来そうだし。

541 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 12:34:37 ID:???
>>539
同意。
精神的圧力と物理的圧力で丘崎一家は、村から逃げられないようにされてたと思う。

仮に逃げようと思ったにしても日中はばれるから夜中に逃げるしかない。
しかし街灯の無い真っ暗な山奥から徒歩でどうやって奈良市内の町まで出る?
あんな山奥から徒歩ではとても無理。

一家が夜逃げを決行して歩いて逃げるたとしても、途中で誰かに気付かれ村人達に連れ戻されリンチ等の制裁を加えられそう。

じゃあ夜逃げではなく、普通に「町に引っ越したい」と正式に言ったとて許してはもらえなかっただろうね。 役場は転出手続きを拒否し、バスは乗車拒否するかも。 家財道具を運ぶトラックも出してくれない。

>>539さんが言うように、

「町に出たってお前ら住む場所も仕事もあらへんで。

お前らはこの村にいるからこそ、家に住めて仕事させてもらって食べていけるんや」


とか言いくるめられそう。

542 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:05:25 ID:aAvPWP8W [3/4回発言]
>>539
考えられますね   なんか村の連中に洗脳されてそう。 

長い期間、屈辱受けてメタメタに傷つけられていたら逃げようとか嫌だとか言う考えないかもね 
 
もういいや みたいな。まして、子沢山でお金もなければ絶望的でしょうね。
 
丘崎父は、以外と人のいいところあるかもね。


しかし、この村の男ども最低だね 読めば読むほどむかついてくる 

家族で住んでる家に押し寄せて肉体関係なんて・・ 丘崎父は、どんな思いだったんだろう。 丘崎姉は初めての時、どんな思いだったんだろう。 


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 21:06:55 ID:???

家を買えるお金がない

かといって新規に家を借りる時に必要になる保証人がいない

犯人をかばうつもりはないが村民が悪い


286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 09:46:03 ID:???
>>265
全く当たってる。他から来た人には猫なで声、しかし中へ入ってみるとイジメ体質。
村八分制が根強く子供にまで染み透っている。


660:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 00:41:27 ID:???

引っ越せばよかったとも思うけど
こういう村の人がおいそれと引越しさせるものなのかも疑問。

憂さ晴らしのための差別の生贄として丘崎を逃がさないような気もするけど

村人相手に売春できた辺りも、「そういうため」に用意されてた感じがしてならない

自分より下を置けば安心できる、またそういう対象があると村をまとめやすいし

ところでこの被害者宅には「座敷牢」があったって話だけどw

家族にそういう人がいて、それを閉じ込めるためのものね


253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 22:22:10 ID:nC9t4TrN

丘崎が勤めをやめて竪穴式住居に舞い戻ってきたのは母親と姉と近親姦関係にあったからだろう。

姉の子供というのは実は丘崎との間に出来た子供なんだよ。

丘崎逮捕の前からその噂は立っていたし、村人もその事実をほのめかすようなことを言っていたけど、丘崎の母親と姉は村の公衆便所だったので村人もあまり語りたがらないんだな。


殺された娘の家からは檻が出てきたな。

殺された娘の兄というのが精薄でずっと檻に閉じ込められて生きていたと言うんだな、それが発覚するのを恐れて殺された娘の家が捜査に非協力的だったので逮捕が遅れてそのうちに事件が(意図的に?)報道陣にリークされてTVが丘崎の家に押し寄せたというのが真相。

ここまでは報道関係者なら誰でも知っている。
俺も当時現場行ってたからわかる。

ダム工事のあとにあの村に住み着いた朝鮮人は丘崎の家だけではなくて他にも数軒あったらしいのよ、家も残っていたから結構最近まで住んでいたらしいんだけど、どこに消えたのか誰も言わないのよ。

丘崎の親父が「みんな殺されてしもうた」みたいなことを言っていたけど誰も追及しないでうやむやになってしまったな。

その家族がどこに消えたのかはわからないのだけど、失踪したのは親だけで遺棄された子供は村の家のゴミ箱を漁ったり、ネズミみたいなもんを焼いて喰ってたりしてしばらく村にいたらしい。


これ昭和60年代の話だよ。

戸籍も無い奴隷みたいなのが、あの村にはまだいるんじゃないかって話もあった。
昭和30年代までは農奴というのは東北とかにいたらしいねえ。


543 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:38:43 ID:???

平成の時代にあっても
白装束で樽の棺桶を運ぶとか
与力制度が残るとか
不気味な村だね


544 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 19:15:40 ID:???

丘崎父は丘崎母と世間一般でいうところの恋愛関係らしきもので事実婚に至ったわけではなく、押し付けられたんじゃないだろうか、と個人的には思ってる。

両方とも朝鮮人の血が混じってるし、小屋も二軒は用意できないし、

「二人とも似たようなもんだし、いいから一緒に住んどけや」

みたいな。 村人からすれば、分散してるより一か所にまとまってくれてた方が管理しやすいし。 子供だって丘崎父の子かどうかも分からないし、丘崎以外の子が池沼かどうかも分からないけど、さすがに村の男が堂々と家に入ってきて当り前のように家族に手をつけられたら、丘崎父の立場としては居た堪れないだろうね。

だけど村の人に反抗するわけにもいかず、結果的に愛人の元に逃げた、て感じかも。

丘崎母を受け入れたのではなく、受け入れざるを得なかった、そうするより他に道がなかった、またそれ以外の道を探す能力もなかったのが丘崎父と言う男なんじゃないかなと思ってみたりみなかったり。


337:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:03:46 ID:dZk7MMd1

田舎の村社会って、陰湿で怖いな。
河瀬直美さんも、この事件のような村社会の闇に迫って欲しい。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:44:08.55 ID:???

月ヶ瀬村は丘崎に復讐されたんだよ。

住民たちがこの犯人の母親や姉妹を性欲処理の道具として蹂躙して来たという事件記録が、ネット上で大分消えている。

http://2chnull.info/r/archives/1191711689/1-1001
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1296636852/
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1127680911/


571 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:07:51 ID:???

夜ばいは主に西日本の農村に根付いた風習で高度経済成長期直前まで続いていた。
都市部には遊郭(赤線)があるけど山奥の農村には無いからね。

女房の妊娠中とか独身青年の性欲処理。
山奥の農村では性風習が開放的だったってこと。


569 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:06:48 ID:gMNnjzq5 [3/5回発言]

長女や母と関係もった村のキモ男たちはどういうつもりなんだろう 

昔から、その近所に住んでたわけで下手したら親族やらも住んでいるわけでしょ 

風俗店へ行くって考えはないのかね 安くて近所で済まされる場所みたいな感覚なのか 
お金はどのくらい払ってどのくらいの頻度、人数だったのだろうか

私が思うには、シャワーなんて浴びないで汚い手と臭い息でスボンだけ下ろしてサーッと。  金額にして千円くらい。

「今日は五百円に負けろよ。柿持って来てやったんだからよ。」

みたいな。


570 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:45:46 ID:???
>>569
山奥の村って夜這いの風習があったから、自分の亭主や息子・兄弟がよその女と交わってもあまり気にしないんじゃない?

戦前の山奥では長男の嫁が妊娠しない場合は次男と嫁を交わらせして、跡取りを産ませたとか聞くよ。


月ヶ瀬の男達は丘崎母と姉には現金は払わなかったらしい。 あくまで


「俺達が相手してやってるおかげでお前ら一家はこの村に住めるんやからな。感謝しろ」


の上から目線。 ただでやり逃げの奴もいただろうし、物を持って来てもせいぜいミカン3〜4個か、缶ジュース2本程度。


月ヶ瀬村からソープのある町までは車で遠方まで行かないといけないし、金がかかるから丘崎母姉で済ませてたんだろうね。


それこそ、>>569が言うように

村の男は服を着たまま、ズボンを少しだけずりおろして大急ぎで処理って感じで。

572 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:14:39 ID:???
>>569
人数や頻度までは知らないけど、男どもは重ならないように男どうしで示し合わせてたのでは?

夜這いにもルールがあったそうだよ。
権平は月曜日、熊八は火曜日、杉作は水曜日ってな具合にさ


573 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:18:38 ID:gMNnjzq5 [4/5回発言]

じゃあ血筋とかわかんないよね。 
代々あの一族は●の血筋を引くサラブレッドでなんてよく言われてるのも実はいい加減なのだろうか?  

津山殺しもヨバイが発端ですよね。


574 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:37:24 ID:???
>>573
跡取り息子は身内の血縁で産んでたそうだよ。
長男の嫁不妊

嫁が次男と交わって出産
又は、長男が次男(三男)の嫁と交わって生まれた子供を実子とする


明らかに亭主との間に出来てない子供も一応は出産してばあさんとか親戚が預かって養子養女として育ててたそうだよ。

「私のお父さんとお母さんはどこ?」

と聞かれたら、もう死んだよと嘘でごまかす。 農村は働き手がたくさんいる方がいいから、他人の血の入った子供でも大事に育ててたんだって。

578 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:01:37 ID:gMNnjzq5 [5/5回発言]

一族間で血縁を結んだ場合、障害者が産まれる確率が高いと聞きました。 
昔は婦人科で検診してエコーで見るなんてなかったから、産婆さんが殺したりしたんでしょうね。  


夏江は、自宅で産んだのかな。誰も産後を手伝ってくれず。汚い鼠が這いずる埃だらけの家で。 村のババアどもは、自分の旦那とやってるような女をケアするわけないよね。


579 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:52:50 ID:???
>>578
昔は奇形が生まれたら、産婆さんか母親が処理(間引き)してたそうだね。
知的障害児は三歳ぐらいにならないと判明しないから、そういう子は倉や座敷牢に閉じ込めたり、崖から突き落としたりしてた。


581 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 22:49:47 ID:???

次女と三女の体が村人に手をつけられなかった理由を知りたい

考えられることとしては
かなりの醜女、超肥満体、病弱、知的障害、身体障害
マジで理由は何だろうね?

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  / /   {    }             ∨


586 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:26:34 ID:UuTsfdSX [1/1回発言]
>>581
次女も三女もやられてたんじゃないかな 未成年だからさすがに面には出なかったわけで 
だって村から逮捕者が出ちゃうし

母や姉のを昔から見てたら、結構抵抗無いのかも 
村の鬼畜ジジイどもが、手をつけないとは思えないなあ  

まだ生きてるんでしょ 鬼畜ジジィどもは 許せないね

583 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:26:01 ID:???

長女と次女三女は歳が離れているのかもよ。
長女と誠人は一回り程度の年齢差っていうから13歳ぐらいの差と仮定して。
本に書いてある母親と長女が村人達と昵懇云々は誠人が少年時代のことだから

誠人が12歳のとき長女は25歳
次女が誠人の2歳上と仮定すると14歳で、
三女が誠人の2歳下と仮定すると10歳

村にはたまたまロリがいなくて熟専は40代母親の体で遊び、
成人女好きは25歳の長女で遊んだって感じ?

誠人が25歳で殺人事件起こした頃は、母親は60代で長女はアラフォー。

さすがに村人達もその頃には、母・長女のくたびれた体に飽きていて
若い愛人作ったりソープに行くようになってたのかもね。


725 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 01:21:05 ID:???

丘崎誠人がもし今も生きてたとしたら38歳で、
長姉は一回り違うので現在46歳、
母親は現在70歳と思う。


事件当時(1997年5月)
誠人25歳
母親57歳
長姉33歳


肉便器にされてたのは、丘崎の出生前〜少年時代らしいので、
母親がまず最初に肉便器にされてて(30代)
母が40代になった頃には20代の長姉も手をつけられてたみたい。

584 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:35:04 ID:???

金と時間惜しさに以前は丘崎母・長姉で済ませてきた男どもも汚い家での性欲処理がだんだん不快になっていって途中でやめちゃったのかもね。

それより金を出して綺麗な部屋で綺麗な姉ちゃんと一緒に風呂に入ってサービスしてもらう方がいいやと…


587 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:32:57 ID:???

丘崎が25歳で事件を起こしたことを考えると、B地区と言えど通常の教育を受けた、丘崎と同世代の男達はやっぱり同世代の女達や、他地区や他県で就職して普通に恋愛するだろうな

丘崎でさえ車も持ってるんだから、もちろん他の若い男達も持ってるだろうし

昔の因習そのままに、丘崎母や姉に肉欲をぶつけてきたのはその上の世代、つまり丘崎母と同世代、もしくはそれ以上の年齢の男達かもしれない

そう仮定すると、まだ子供だった次女三女に手を出すには年を取り過ぎて幸いにも手をつけられずに済んだ、て可能性も考えられるわけだ
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/




[12削除理由]:言葉遣い

29. 2012年8月15日 00:54:55 : Px2k2jnifQ
あほらし。全部シナチョン自身の文献にも載ってる自分らの戦争文化ジャン。

30. 2012年8月15日 09:32:37 : NlJlUmzZok
吉田清治が嘘つきなのは周知の事実。
だって証拠がないもん。すべて証言のみ、しかも証言がころころ変わる。
中川隆っていう嘘つきも吉田同様無名だけど、
そろそろ目を覚ましたら?
あ、無理か、そこまで頭良くないもんね。

31. 2012年8月15日 16:14:47 : 7AkNhPuohE
利用されているだけなんだけど、左翼って中韓で「良心的日本人」と持て囃される
のが好きだよね。 

32. 2012年8月16日 03:43:31 : 4gTncArJAk
>>この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
>>あったかも知れないという印象でした。
結局肝心な部分は 印象 なんだよ
これがこういう人たちのやり口

33. 2012年8月17日 09:12:00 : F3UcBP68aE
コメントしようと、しようと、したら、間違って、カーソル移動の際、
マウスパットが、触れて、『この投稿・コメントに拍手』を、
クリックしてしまいました・・・。拍手、全2人中!!
2人目 2012年8月17日(金) ゲストさんの、拍手は、無効です!!

何が、言いたかったかと、言うと、
原文の話しではなく、このページの記事を、書かれた方は、
結局、資本主義を、憎み、いみ嫌う、自分の主張を、やり方を、
押し通したい!!資本主義社会を、捏造でも、ぶっ壊して、
共産主義を、実現したいと、モクロンデ〜ル、
共産主義の、支持者の方に、見えます・・・。

韓国って、日本みたいに、資本主義で、同じ発想の、持ち主の様に、
北朝鮮よりは、話が、通じる相手に、一見、見えますが、
それは、表面的なことで、塗装を、剥がせば、下から、、、
本当は、共産主義を、好む、人達が、出てきて、
実際は、大統領が、偉い訳、ではなく、
その共産主義を、好む、実力者が、支配してる!!気がします・・・。

たまたま、戦後、戦勝国である!!
今、国連で、常任理事国に、なってる!!
当時、北は、共産主義ソ連・中国が、統治して、
南は、資本主義の、アメリカが、統治したから、
今から、64年前に、韓国という国が、建国した訳ですが、、、

表面上は、アメリカに、逆らわず!!
儒教とか、いうやつだから、なのか・・・!?
上と、見なす相手には、弱く、言いなりになるか・・・!?
ただ、いえない性格又は、気質か・・・!?
どうでも、いいですが、、、
一様、表面上は、そうゆう、資本主義体制を、とってきてますが、
本当は、そんな風に、なってるのが、納得いかない人ばかりで、
あとから、資本主義社会の、民主主義の代表者である!!
その人達、影の、共産主義者が、
憎き!!
大統領をォ〜、暗殺!!しちゃってる!!的な、、、
感じに、見えます・・・。
身の危険を、感じた!!李大統領の、発言は、その人達に、
殺されない様に、する為の、
『仲間だよォ〜!!』って、アピールする為の、
媚った!!発言に、見えます・・・。

なぜ、そんな、一国の、大統領が、そんなこと、言うのか・・・!?

理由:共産主義を、好む人は、最初は、親切で、親しい感じで、寄って来て、
親しくなった後で、その相手が、自分とは、違う、裏切り者と、見なした場合、
もしくは、こっちが、見なされた場合、、、
残虐で、悲惨な方法で、リンチ殺人したり、陰湿な、嫌がらせや、
付きまといをしたり、悪口を、言いふらしたり、する類の、
思考回路の、持ち主が、多い様に、見えます・・・。
デモするのも、好き!!(悪口の一種、但し、事実ではない!!内容〜を、言いう)
『カヨワイ、可哀想な、私達を、イジメルなぁ〜!! 権利を、ヨコセ〜!!金ヨコセ〜』みたいに、あと、街中、部屋の中に、スローガンの、書かれた、
紙を、貼りたがる!!(笑)
紙を、作って、壁や、街に、貼ってる!!
本人が、一番、やってないけど、、、

それと、被害者ぶってるけど、
実は!!犯罪を、犯した、
ご本人『加害者』犯人で、

他人に、その経験を、話す時は、
『加害者』犯人として、では、なく!!
なぜか・・・!?
可哀想な、「被害者」に、
役柄が、変更されてて、気が付けば、
本当の、被害者が、『加害者』犯人に、変更されてて、、、

『加害者』犯人の、立場で、現実に、見てきてるから、こそ、
その場に、いないと、分からない、細かい部分も、話すから、、、

知らない人が、聞くと、『この人は、嘘は、言ってない!!』って、
思うけど、、、実は、ただの、加害者でした!!
みたいな、パターンが、後から、出てくる!!
みたいな・・・。

直接、犯人じゃなくても、
その、犯人の、親しい、関係者とか・・・。

感情的で、、、
ムキに、なり易い性格の人多し!!に、見える!!(笑)

この、記事の、タイトルの、
『悪質な嘘は止めようね_吉田清治証言は虚構じゃない』
の〜、
『悪質な嘘は止めようね』の、『止めよう』に、((『ね』))を、
つけてる所が、いくら、電子機器が、表示する文章でも、
書いた人の、雰囲気、普段の性格、考え方、想像してる事や、
話し方などが、伝わってくると言うか、なんか・・・!?
失礼ですが、若干、文章を、読む、前から、気持ち悪い、感じの人だと、
思ったのと、怒りやすい性格の人だなぁ〜
(いつも、腹に、怒りを、溜めてる人)と、

検索した際の、一覧で、この、タイトルが、上から、4番目に、
表示されてるのを、見て、思いました・・・。

よく、デモしてる、共産主義の旗掲げてる人と、同じ、言い回しだし(笑)
あと、この、吉田清治って人も、
日本共産党から、立候補して、選挙に出たみたいだし、
やっぱ、共産、繋がりですか・・・!?

きっと、『なんとか、この、資本主義社会を、ぶっ壊して、
我々の、共産主義を、ひろめるぞォォォ〜〜〜!!おぉぉぉーーー!!!』
と、ムキに、なってる!!今の、ではなく、まだ、脳ミソが、
20世紀前半の、共産主義大好き!!の、ままの、人の、生き残りか・・・!?
その、発想を、時代の流れも、判断せずに、継承してる!!方に、、、
見えます・・・。(笑) 今の、北朝鮮も、韓国も、、、
あえて、言うなら、北朝鮮より、かえって、韓国の方が、そういう、危険人物、
多そうな、気がします・・・。
そういう、種類の、人って、、、
その相手から、反撃されると、意外と、弱いけど・・・。
まぁ〜
そんな、感じです・・・。
もっと、言いたいこと、ありますが、この辺に、しときます。
では、失礼いたします。(笑)


34. PAL 2012年8月18日 14:38:16 : cO5XmSo4kZcx2 : d9vv0D24eY
長文過ぎて読む気がうせるけど、吉田の自身の本の内容を否定する発言は、強制されたもの...までは読んだわ。
ちっとはまともなものを読めるかとおもったら根拠のないことを長文でゴリ押しするなんてみっともないまねやめたらどうです?

35. 2012年8月18日 17:04:50 : AOne8kmHmY
まあ日本人も沢山いますから
中には性悪な連中も沢山居ることでしょう。
だから絶対なかったとは言い切れませんが
どんな話でもそうですが
話には思わぬ尾ひれが付くものです。
話が伝わる内にだんだんオーバー表現になり過激になる。
その方が面白ですからね。
話した方も嘘だとは言えなくなって更に話が膨らむ。
特に女性は強かですからね。
常に被害者で可哀想なヒロインを演じたがる。
逆に男は強い男を演じたがって
やってもいない事をやったように吹聴してしまう。
参加していないのにその場に居たよう作り話をしてしまう。
どなたでも覚えがあるのではないですか?。
手柄話や体験談の類は
ほぼ眉唾物と思っていた方が間違いないですよ
自分の知る限り
本当に戦いに赴いた人や
壮絶な体験をした人は
もっと発言に慎重ですよ

でも色々この問題の始まりを記した物を読んで見ると
A新聞の記事や壊滅寸前の某左翼政党の女党首が関わっているようなのですが
これは本当何でしょうか?。
韓国がそれに乗っかったと言う事らしいですが。
敵は内部にありというのは本当かもしれませんね。

それにしても朝鮮戦争などは
戦死者より自国民同士の処分合戦での死者の方が多いのではないでしょうか。


36. 2012年8月19日 02:06:22 : 7liTOSXpGQ
吉田も「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めてるよ。

37. 2012年8月23日 20:01:20 : HNPlrBDYLM

家族を殺すとヤクザから脅迫されたら嘘も付くさ。

吉田さんは、脅迫されるずっと前に独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で大枚をはたいて「謝罪の碑」を建てた。

嘘付きがそんな無駄な金を使う訳ないだろ。


38. 2012年8月24日 19:13:58 : z9IKfvCbPE
韓国軍は、日本軍ではなかったとすれば、占領された国の女性がそのように
取り扱われたということになる。

一方、史実として韓国軍は日本軍の命令で動いていたとすれば、日本は
同盟軍の女性を慰安婦としていたということになる。

戦争なので、占領された国であれば、基本的に謝罪は必要ないだろう。
ひどいことをしたことはしたが、戦後に謝罪すべきことか?
ならば、戦死した人へも同様に謝罪するのか?
まさか、慰安婦の方が死よりも罪が重いなんてことはないだろ。

一方、同盟国の女性になにをしたんだ!っていうことであれば、
韓国が怒るのもうなずける。

ただし、戦争に勝利したなんてバカなことは理屈が合わない。
また、同盟国が残した鉄道や日本軍の保有品を捌いて儲けた
韓国財閥は泥棒だから、これは朝鮮人の恥じゃないのか?

同盟国ならば、日本に返すべきだろう。

韓国の立場を見ると、都合の良い解釈で戦後50年以上を積み重ねている。

ま、竹島は韓国には存在しないと国として回答しているということは、
海外知識が異常に欠落している、相手国の状況を理解する材料が欠落している
国ってことですから、それを公に、朝鮮人は優秀だって思っていること事態
が滑稽だね。

韓国では、グレーゾーンは金で解決する習慣がある。
話し合いは意味がない。
怒鳴りあって、相手が何を言っているのか聞かないのは、朝鮮人としては普通だ。
理屈なんてものは意味がなく、年齢と男女、つまり年上の男性が言ったことが
全てなんだから、そういう教養や理屈は意味がない社会では、言った者勝ちという
文化や習慣が根付いていても不思議はない。

今の韓国を見ていると、他民族と共存できる要件を備えていない。

グローバル韓国ってのは、その民族性から、どうやっても不可能で、夢や
あこがれにすぎないってこと。

だから、世界中で韓国人は嫌われるんだね。



39. 中川隆 2012年8月25日 20:27:50 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

朝鮮人の見た日本人の姿
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/405.html

中川隆_アジア関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak50/msg/909.html


40. 2012年8月26日 02:56:33 : DItWlTU7oA
韓国も国内問題の責任をいつまでも日本に転嫁して
いないで、いいかげんに自立したらどうなんだ
竹島にしても、慰安婦少女像にしても
あのパフォーマンス! 恥ずかしくないんだろうか
韓国はベトナム戦争で何人のベトナム女性を強姦したのか
自分たちがやったことを良く考えてみろよ
いくら日本を責めてもその罪は一生消えないよ
韓国が国として成長することができるなら
そのうちに自分たちの言ってきたことに
赤面する日がくるよ

41. 2012年8月26日 05:57:32 : jvKpfwC58M
韓国朝鮮人は上から下まで頭がイカレテル。一連の報道で良く分かるだろ。まともな話ができる相手じゃない。火病を患ってる精神病患者の集まり、適当に相手することだ、百害あって一利なし。

42. 中川隆 2012年8月27日 20:02:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

朝鮮人の見た日本人の姿


 日本統治のせいで朝鮮の古き良き文化が堕落した

淫売婦が日本の最大の輸出品となっているのは、衆目の認めるところである。日本人の行くところ、いかなる土地でも売淫の市が開かれないところはないが、わが国においてはとくに甚だしい。その淫風は、わが国古来の礼俗を破壊し、わが人命を害し、風紀を乱すことこのうえないものになっている。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

日本国内どこの大衆浴場でもみられる風景を、はじめて見る韓国人が驚くことがある。日本の銭湯の番台は、男女に分かれている脱衣場のどまんなかの高台で両方を眺望することができるからである。われわれの知る「男女七歳不同席」の儒教の原則は、日本では通じないのだ。
[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本のテレビでは、昼間でも女性の裸が見られる。それどころか、主婦向けの朝の番組でも、女性の上半身ヌードをよく見かける。(略)

夜11時過ぎると、成人用ビデオ女優がパンティー姿で現れ、服を着た男性タレントとセックスする素振りを見せる。

ただそのものズバリを見せないだけのことで、これではまるごとポルノ映画だ。むしろポルノ映画以上のいやらしい身の動き、そして水準以下の幼稚なセリフがテレビには溢れている。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]


この地球上、女性を裸にして金を儲けようとしない国は一つもないといっても、いいすぎではない。(略)だが日本の場合は、その異常さに問題がある。

彼らが好む対象は幼児であったり、体の一部に支障のある女だったり、あげくには知能の低い白痴女だったりする。一言でいって、社会的、精神的意味で徹底的に弱い者をセックスの対象と考えるのだ。

セックスに異常な関心をもっている日本人は多くのマスメディアを通して、女性をただのおもちゃとして売り、買い、もてあそぶ。そんなものを見る時私は日本社会独特の非人間性に怒りを感じる。弱者を残忍かつ執拗にもてあそぶ日本の一面を見たような思いがするからだ。[同]

(日本という)出版大国の底辺にはものすごい量の低質、ポルノ本が乱舞している。(略)以前、韓国のスポーツ新聞がこのような方向に流れたと言って物議をかもしたことがあるが、日本のスポーツ新聞を見ると本当に韓国は道徳君子の国だということを再度感じる。
[金永明『日本の貧困』1994]

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  ヽ


日本女性の多くが韓国の女性に比べて顔がまずく、特に歯並びが悪い女性が大部分で、これは日本の風土病の一種ではないかと思われる程である
[シン・ピョン『日本の地、日本の風』1990年]


我々と異なり、日本人には歯並びがひどく悪い人が多い。専門分野ではないから確言はできないが、先天的に我々より歯並びが悪い民族であるようだ。
[金燦「一事一言」朝鮮日報 1994年11月8日]

                        _イf它メミー-  ヽ、
                     / {い辷彡ク―- 、 \\
                    / / >=≠=ー-   \ \ヽ、
                      ///   ′    ヽ ` 、\ヽ i
                  / / /  l   |   l     \  l `l
                  l/  / l l|   l| |l  | |l   l ト、|  |
                  l   ′| l|   l| |l  | |ト、  | l | l  |
                   |  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | |  |
                  |  |l kヘ 八   | |/,,斗=ミk j | !  |
                  |  |l_|孑テミ\ | l〃 弋ヅ゙} ' 从  |
                  |  lヘド _ゞソ         ̄  l /| |
                  |  l 八 '''''  、   """" / / l  |',
                  |  {  ヽ    __,    イ l| .|   .| ',
                   i  |   i ヽ   `ー'   /i |ノ /   | ! どぉ、あたし綺麗でしょ
                    |  l   l  ,l` ー ´  .l j  |    | .i
                    !.  |  レイ       八| |   .| .i
                   ,. -─一'´|   |_       / / ./._  | i
                 /      |   | `ヽ、    厶-| /  `丶、 |
               ′      \ !           | /       `ヽ、
                i.    '、                !'          ',
              '.    ,'         丶 〃 "       /   ′
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                  _,/ー─'゙´        `ー─\ _
            _, - ‐─ '´                    ` " 'ー‐- 、
         _, - ´                                   `゙


日本が三国の圧力に屈服すると、朝鮮では明成皇后[閔妃]を中心に日本の勢力をくいとめるためにロシアに接近する動きがあらわれた。これに日本は、彼らの勢力をばんかいするために軍隊を先頭にして宮中に侵入し、明成皇后を殺害する野蛮な行為を犯した。これを乙未事変という(1895)。
[中学国史 1996年版]

刺客は、各部屋をすみずみまであまねく捜索し、ついに王后を刺して弑逆した。遺体は緞衾につつみ、松坂の上に安置し、殿庭から鹿園の林の中に運び出し、遺体の上に薪をのせて油をそそぎ、これを焼いた。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

八月二十日、ニ、三十人の日本の大陸浪人が、景福宮の閔妃の寝所に踏み込んで斬殺した。それは三浦の命令であった。一国を代表する公使が、外国の王妃斬殺計画の首謀者になるとは、世界史でも稀な事件である。しかも、斬殺した屍体に石油をかけて、王宮の庭で焼いてしまうという蛮行を重ねた。
[金両基『物語韓国史』1989年]

                                    {}
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                         / _,. -,ト! {   |'"r'´ i.|
                       /,r‐'" _,,_  !   'i `ー-' }
                       /  `ヽヾ,  ~ヽハ  ヽ  :., ヽ
                       i、   冫゙゙    ゙ヽ  \ ':, ヽ
                       \   (,~( i ゝ ,,、、、;ヽ   \ `、\
                        \、'゙ゞ;f´~ ,,rt‐_、\   ゙:、.  ヽ、
                         ヽ、 ゙ソ  " ̄ ゚´ ヽ   ヽヾ、、.゙ゝ
                            ヽ ヽ-‐、   イ ヽ   }、゙  ノ
                              \しノ _,/=; ハ    ゞ=‐'
                                 丿o∞゚o、    ヾ|ソ´
                                 ,r=:;_;;:===ヾ     !
                              ,.r'´ 、 r'~     ヾ、    /
                          c';    i'  、C;    i!、  /
                           !    、      ill;ヽ/
                              ヽ、  ゝ、    ,;ソヾ/
                           冫''"~"''-===彳 /    _,..,  ,. -‐- 、
                         /         ,r'    /   ̄    `'、
                             /        /    丿         ゙'L
                        /  ノ     _;{     / ,. -''"ヽ、     ]
                      ,.ノ;;        ,,;;''ヘ,  ,/  ,r'゙    )     {
                       _, .-‐'" ;;;;i     ,,;;''"   i,,,ノ /,. -、 ,r'.      i
                _, -‐'     ;;;!     ,;;''"゙´    l‐_,イ´:::::::::::':,(        ゝ
             _-‐ヾ.       ;;lλ _;;''"        |::::::::::::::::::::::::::ノ      ,「
           ,. ‐'"`ヾ::ヽ __,,,,.... -‐'''":::ソ           !:::::::::::::::::::::::::::ゝ_人'ゾL,ノ
       _,,r',,,...--‐‐''''":::::::::::::::::::::::/           ノ:::::::::::::::::::::::::::::::::':,
       ∧:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/_         /::r' ̄ ̄ヽ ー-‐'"ソ、
      / ':,:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,'::::::::::ヽ、      /::丿        ゙,r')
      /  '、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::/~゙゙~'ヾ:::::`ヽ、  ,;ノr'´    _    ヽソ.
     /   '、:::::::::::::::::::::::::::::::/     ゙ヾ:::::ヽ;/'´   _,‐''"   ̄`~「´|
     /    '、:::::::::::::::::::::::::::/        `'::::;;;;ヽ、  /  | ||    | | |
     '‐-==._'、::::::::::::::::::::::::i'         ,,へ:;;::ヽ,/    | ||    | | |
     | ||   ~゙''゙' T' ̄ ̄ ̄}       ,ノ`   ヾ::丿     | ||    | | |
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     | ||    | | |       ~゙'ーー‐'''"                | | |


少女の柳寛順は日本の警官や憲兵の銃剣の前にたってもひるまず、後に韓国のジャンヌ・ダルクと称えられた。彼女は水原の警察でひどい拷問にあいながら、「独立万歳」を叫びつづけ、殺されていった。[同]

ソウルで独立運動が展開された日、まだ年のいかない女学生が、右手に国旗をもち「万歳」を叫んだ。

日本兵は、剣をもち、その右手を切りおとした。女学生はさらに左手で旗をあげて「万歳」を叫んだ。

日本兵はまたその左手を切りおとしたが、女学生はなお「万歳」の連呼をやめなかった。
日本兵はその頭をつき刺してこの女学生を殺した。[同]


日本兵二名が左右にあって、一人は女学生の手をきつくにぎり、一人は竹針をたばねて頭に刺した。しかし、それでもなお屈服せず、激烈となり、かえって日本人を怒りののしった。

日本兵はいよいよ怒り、刀をぬいて唇をさこうとしたが、長官が引きとめ、「顔の表面は傷つけてはいけない」と言った。[同]

日本の野蛮人どもは、女学生のうち美貌の者何人かをえらび、輪姦をかさねた。(略)

日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて盧永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(苽)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。

そこでまた他の十字架にうつし、四肢と頭髪など五ヵ所を縛り、天空に架けて仰臥させ、膏薬を火に溶かしたものを頭髪と陰門と左右両腋とにねばりつけ、冷却させた後に強い力で急に引っぱった。髪の毛も皮膚もともに剥げおちて、血があふれるように流れ、大地を染めた。

日本の野蛮人どもは、大笑してこの残虐を楽しんだ。[同]


平壌では、拘留され入獄した女学生に対し、日本の野蛮人どもは、焼きごてをかの女らの陰部にあて、「男は何人いるか」など質問し、拷問を加え、いいしれぬ恥辱を与えた。[同]

朝鮮人女子は、監獄に入るとかならずはだかにされて訊問を加えられた。すでに判決をうけた女学生も、かならず日本人の姦淫暴虐をうけた。(略)

女子をはだかで仰臥させ、その腋毛、陰毛をぬいた。

また膏薬を煮解かし、女子の陰部にそそぎ、冷却して固まってから、いきなりこれをぬきとった。その陰毛はことごとく脱落した。[同]

                l  /´     `, ,'-´ /`' ',  ` ` .、 ` 、 ̄ ̄ `、       `、     ヽ ̄    / ,
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   `く        /  , r .'´  〉、              .\/  )'´  ∨三∧, '     ,_イ´   // \


1942年から始まった朝鮮での徴用の無慈悲さに就ては今更に喃々喋々を要しないであろう。戦時中朝鮮の官憲は日本への食糧供給を確保する為の「米穀供出」に狂奔し農家の糞溜の底まで目を光らした。

「労力供出」も之に劣らない方法、例えば市場とか村落をトラックを以て急襲して手あたり次第に捕えては頭数を揃えるとか、徴用逃亡者の為に山狩りをするとか等々の奴隷狩りを彷彿させる方法が取られた。
[朴在一『在日朝鮮人に関する綜合調査研究』1957年]

とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。

日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの「朝鮮人狩り」をおこなった。
[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

日帝が太平洋戦争末期の一九四五年、教師らを動員、一二歳の国民学校少女までも挺身隊に引きずっていった事実が一国民学校の学籍簿で確認された。

この学籍簿には七六年に廃校になったバンサン国民学校(戦前の京城第二公立小学校)六年制の担任だった池田正枝(六八・日本生駒市居住)氏が過去、子供たちを挺身隊に送った後、良心の呵責を感じて昨年八月、日本フジテレビの取材チームとともにバンサン国民学校卒業生学籍簿を保管中だったソウル江南区逸院洞永禧国民学校を訪問し発見した。

一四日、永禧国民学校が公開した池田氏が直接作成した学籍簿には、池田氏が担任だった六年生四班(女学生班)生徒七〇名余りのうち一名が四四年二月二五日に、五名が七月二日に富山不二挺身隊として出発したと記録されている。[朝鮮日報 1991年1月15日]


私自身が絶対に許せないのは、その悪の制度化だ。人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。

強姦が犯罪なら、日本は集団的強姦を制度化したまれな国である。

私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。おそらく日本はその血の代価をこれからずっと払い続けねばならないだろう。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]
http://www7.plala.or.jp/juraian/panil.htm


        ヾミア(三三三三三三三三三三三三∨ハ.'//ヽ     , ', ̄‐ ´  ̄ ̄ ` ` ‐ - 、
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                ,_、`ヾミ(/// ,イ三三三三三三,' i   ,'  ,' ∠>、'_'´,r´_ ,r'  ,r' , ,'' ,'  i i
              ,ィ圭ア',ヘ、`/巛、/ ,イ三三三三三三、,',','',   ,' ,' `仍不、 _`‐- , r ' ,', '  ,'   ii
             ,ィ圭/`/ィ圭ア、,'、巛,`く=三三三三三三 ,',' i i   ,' ,',' //`弋乃  ̄´   _、, ' , ,'     '
          ,ィ圭ア'/ィ圭ィ圭ア l l`くミ(三三三三三= ,' ,' i ,'  ,',' ,'   '//     , r ', ∨´, ','     '
          Vミ'彳'ィ圭ィ圭/l  ヽ>`ヾミ(三三三三,' ,', ,'i ,'  ,'' ,'          _ -'_',´乂,' , '  ,' ,'
          `くィ圭ィ圭ア/  \,イ   ,∠ヾミ(三三',' ,',i ,'i ,'  ,' ,'i           衍う,'/,', ','  , ' ,'
            ヾミ圭アハ、  //  , '    ` ヾミ(三i ,'=i =i,'  ,',' '    くー, ´ //`ソ'イ, r' , ',' , '
     _ _      ヾミィ圭ア,イ` l , '       ヾミ>、i'三=,'  ,' iiヽ、',    ´     /´, -´ , ',イ,','
 ̄  ̄     ̄ ` ‐,、-,-弋 _ ハ_ /,'          ヾミ>三'  ,'',i i三≡、- , - ― -, ' ´,' , ', r 7','=,'/、'
            ,'   , ' ,' , '`-,'            ヾミ', ', 'ヽ三', 三三三三,r'_,- ' ,', ' ,' , r'´,','='//,>、
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43. 2012年8月28日 08:04:46 : ou20FNWaCU
ここまで読んでも軍が強制的に拉致して慰安婦を強制的に連れてきた証拠は
まったく見出せないのだが。


慰安所があったことは否定しない。

軍事産業の会社にいて、中韓に出張した経験がある祖父もそう話していた。


当時の日本には女衒と呼ばれた人身売買のブローカーが存在し、
祖父によればこの女衒、韓国では韓国人、中国では中国人の女衒が元締めで、
彼らの中には軍服を模した服装をしていた人物がいたそうだ。
この女衒の社会はピラミッドの形を擁していて、
女衒に無断で慰安所を軍が設置するなどは不可能であり、
用地を提供することはあっても、軍が経営に直接介入することなど
出来るはずはない、と祖父は語っていた。

この女衒のシステムを良しと言っているわけでは決してない。
就業実態は劣悪だったろう。
それは容易に想像できるし、
親に売られて女衒に強制的に連れていかれた女性もいたかもしれない。

しかしこの当時の悲惨な状況を
物証に乏しい現代で、想像を交えて容易に判断したり、
当時の社会的背景を無視して、現代の慣習や法に照らし合わせて判断することは
まさに法の執行の原理原則に反する行為だと思う。

慰安所設置を軍が指示したという記述がありましたが、
祖父曰く、戦場が比較的静かな地域では、慰安所は完全に独立した
繁栄を極めた街の中にあったそうで、
逆に戦場が険しくなってきた戦後間近には、
慰安所を守るために軍の施設内に移転させたこともあったそうで、
これを一概に、軍の指示で慰安所を誘致して経営したと言えるだろうか。

日本はGHQの要求もあり、
1946年1月 女性を前借金で拘束する人身売買を禁じる
1956年5月 法律第118号により売春を禁じる
と、戦後早くから人身売買や売春を禁じる法を施工した。

人権に関しても、国際法を厳守し、完璧とは言えないかもしれないが、
理想社会は作ってきたはずだ。

我々は方を厳守しなければならない。
繰り返すが、法の原理原則で、過去に遡って現代の法で判断してはいけない。

当時の軍に、法を逸脱した行為があったことは否定しません。
それを当時の法に照らし合わせ、断ずる確実な物証があれば別ですが、
それがないのであれば、過度な想像で断ずることは控えるべきだと思います。
それが日本の国益になってもならなくても、です。


44. 2012年8月28日 08:16:42 : ou20FNWaCU
>42. 中川隆さん

>私自身が絶対に許せないのは、その悪の制度化だ。
>人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。


連行したのが日本の軍であるという客観的な証拠はありますか?
もしあればお示しください。

それに、娼婦の存在を良とするわけでは決してありませんが、
戦地に娼婦を招いたり尋ねたり、レイプなどの性犯罪やまたは慰安所を設置することは
残念ながら、ベトナム戦争、朝鮮戦争の他、
湾岸戦争やイラク戦争など、現代の戦地で実際に行われていたことであり、
日本だけの慣習では決してありません。

過去において、日本を含むすべての戦地でのそれを否定するのであれば賛同できますが、

日本だけが突出してそれらを行ってきたという決め付けによる論調は、
現実を見ずに断じており、フェアではないと思います。


45. 2012年8月28日 08:47:36 : ou20FNWaCU
43 女衒に関する追記


性犯罪の被害者が被害状況を詳細に出来ない真理的要因は十分理解できます。
同じように、この女衒に売られて連れていかれた方々もその保護者も同様です。

わたしはこの女衒社会の実態を調査したことがありますが、
(27人(日本人20人挑戦籍7人)の方にお会いしました)
売られていった方々が戦後に親と再会し、
親は何ら釈明できずに、時代が悪い 戦争が悪い 社会が悪い 国が悪い などとし
経済的理由で子供を売ったという事実を子供に告白した保護者は皆無でした。

これをわたしは 優しい沈黙と嘘 と認識しました。

悲惨な時代にあって、親子関係が修復するのであれば、
当然、許容される嘘と思ったのです。

しかしそれが個人を超え、国家に対する賠償など、個人の範疇を超えてしまえば、
個人の告白の他に、客観的事実の認定がなされなくてはならず、
事実の認定が出来ないものに関しては、ある程度の許容範囲は認めるべきですが、
請求権を失うことになるとしても、厳密でなければなりません。

中川隆さんもご存知のように、慰安婦の証言の中には、
吉田証言のフィクション部分をそのまま供述されている方も多数いらっしゃいます。

或いは、証言が二転三転し、もはや検証不可能な方もおられます。

日本国としては、韓国の最高裁判決にもあったように、
日本国に対して個人の賠償権は消失しております。
〈韓国最高裁 主文 抜粋〉
慰安婦被害者が損害賠償を受けるためには、
韓国政府を相手に損害賠償を請求するか、
韓国政府が日本政府と交渉をしなければならない。

アメリカの最高裁も根拠となる部分での差はありますが判決は同様です。

これらの判断の決定打となったのは紛れもなく日韓基本条約の議事録で、

・日本政府は、韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う
・韓国政府は、個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しいとし、現金合計21億ドルと各種現物返還を請求した。

この部分については韓国政府や韓国の司法も尊重しているようです。
※日本企業への賠償請求は可という荒業判決はありましたが

法を厳守するのが国民の責務ですし、
法の厳守の元では、例え、慰安婦の方々の請求を退けることになったとしても、
日韓基本条約は守らねば国際社会は成り立ちません。

何もしなくて良いといっているわけではありません。

慰安婦の事実認定が困難な方に対しても、日本統治の際のお詫びとして、
これまで行ってきたODA等や通貨スワップ協定などの国交間問題は別にして、
既に行われていることですが、民間で基金を設立したり、またはそれを拡大したり、
韓国の反発はあるでしょうが、法的には請求先は韓国政府なのですから、
それを支援したりと、出来ることはまだあると思います。


状況証拠を見て語った意見=右翼・ネトウヨ
という根拠のない決め付けによる意見はまったく建設的ではありませんし、
冷静に情報を精査して見極めていく必要があると思います。


46. 2012年8月28日 09:41:57 : ou20FNWaCU
>42. 中川隆さん
>人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。


強要があったかなかったかは別にして、
戦場での慰安役に関しては44で述べたとおり、
日本が突出して行っていたわけではありません。


ではこと売春に関してはどうでしょうか。

売春の合法性(2000年現在)


オーストラリア
オーストラリアでは売買春そのものは合法で、一部上場している売春宿もある。
ライセンスを受ける必要がある。

ニュージーランド
オーストラリアの法改正を受けて、ニュージーランドでも合法化された。
ライセンスを受ける必要がある。

オランダ
2000年に16歳以上の売春が完全に合法化された。

デンマーク
フランス
スイス
ドイツ
ギリシャ
ハンガリー
チェコ
ベルギー
スイス
フランス
ドイツ
スペイン
ギリシャ
デンマーク
チェコ
チリ
ブラジル
合法。
殆どの国ではライセンス要。
オーストリアなどでは外国人が働くために売春ビザが存在する。

イギリス
組織的なものは違法、個人の売春自体は合法。

アメリカ
ネバダ州では合法。
売春婦の組合が存在します。


これらの国では売春は合法だが組織的な売春は違法としている国もありますが、
実態はどの国にも組織的な売春ブローカーが存在します。
組織的な売春を罰する法律はありますが、
いたちごっこでなかなかなくなりません。

重要なことは、働く女性の自由意志が尊重されているかどうかですが、
売り上げに対する一部の上がりの強要や、
暴力による強制労働など、
個人の集合体の組合化して組織を免れているケースがあり、
自由意志は極めて不可能なケースがある、という国が殆どです。
※ですので組織的な売春は禁じています。

ちなみに、友人の風俗ライターによると、
日本では売春は当然違法ですが、実際には吉原など組織的なものがありますね。
そこで働く女性達に自由意志があるかどうかですが、
実態としては、上がりを収めることは義務、金額はその店で一定、
辞めることは自由、辞めたあとの顧客誘導は可、のようで、
欧米と比べ、かなり自由度の幅は広いようです。
まぁ違法ですが。


この状況を良しとしているわけではありませんが、
実態として、娼婦となる場合はライセンスが必要な国は多く、
娼婦を強要する事例は各国でかなり多く報告されており、

>娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。

この意見には相当な異議があります。


つまり何が言いたいかと言いますと、
その国のその場の社会的背景や法を無視して
個別の価値観で事象を断じることは出来ない、ということです。


47. 2012年8月28日 10:17:31 : ou20FNWaCU
プロパガンダか史実か アメリカ下院決議

アメリカ下院の慰安婦に関する日本への謝罪要求の決議ですが、
何故かどこも報じないのですが、

下院の最終報告では、
・国際法に反する下院の決議は憲法違反
・国として直接関与したとはいえない
・プロパガンダの様相が強い
としています。

フィリピン・オランダでの慰安婦決議も同様ですね。


一方裁判ではアメリカでもフィリピンでもオランダでも
慰安婦側敗訴が決定しています。


アメリカ下院の決議を例にとりますと
下院の決議とは上院に提議される種のものではなく強制力もなく意思表示です。
アメリカ下院の最初の報告書を作成した人物は、
日韓基本条約の詳細すら知りませんでしたし、
吉田証言そのものを証言としたものも採用しています。
そしてどの慰安婦サイドも日本の反証には一切答えず、下院も受付ませんでした。
結果的に、冒頭で書いたように、下院の最終報告では
慰安婦が強制連行されたという訴えじたいが確定しないという結果に終わりました。

アメリカという国はおもしろい国で、
このような議決があると反日で盛り上がりますが、
日韓基本条約の詳細や、慰安婦の証言の精査を行うにつれ、
下院の最終報告のほか、マスコミも「プロパガンダ」と位置づけ、
下院の決議を提議した議員と在米中国人と在米韓国人の有権者との
お金で繋がった関係を暴露し、下院決議からたった数ヶ月でそれを批判したりします。


もともと下院の議決、これは事実認定を目的とした裁判ではありません。
そして下院の最終報告に関して、意図的なのかどうか、
知らない・知りたくない方が多すぎます。

このサイトにあるいかなる記述も、強制連行と国の関与に関して、
客観的証拠と呼ぶには乏しいですし、
固定観念や思想を捨てて、
客観的証拠を突き合わせて論じることが必要だと思います。


48. 中川隆 2012年8月28日 20:38:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

林博史・関東学院大教授が米国の新聞で発表した論文である。

 それによると、第二次世界大戦直後の東京裁判において、オランダ、フランス、中国などが提出した資料に、日本軍に強制的に連行され、従軍慰安婦として働かされたことを示す資料がたくさんあるということだ。それによると、地元警察に捕まってそのまま日本の収容所に連れて行かれて慰安婦にされた話や、現地の女性を拘留した理由として、売春宿に入れるための口実だったと日本軍が答えた調書などが数多く残されているとのことだ。

 ここでのポイントは二つある。まず、東京裁判での資料なのだから、これは公文書だということ。そしてもう一つは、日本はサンフランシスコ講和条約によって東京裁判を受け入れたということだ。つまり日本は、従軍慰安婦の強制連行を公式に認めていたわけだ。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/78/index2.html


慰安婦関係の資料は終戦時に証拠隠滅の為にすべて焼却処分されたんですね。

しかし、どうしても抹殺されないで残ってしまうものがあって、それで強制連行がばれてしまったという事です。


49. 中川隆 2012年8月28日 20:50:33 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

強制性示す新資料
研究者ら公表 東京裁判で証拠採用

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 旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。

関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。

 資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。

 林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。

 オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。

拘束の理由について

「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」

と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。

 公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。

 林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。

 吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_05_0.html


50. 中川隆 2012年8月28日 20:54:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

「従軍慰安婦」問題 日本軍の強制示す公文書
3点の大要(邦訳)

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 林博史関東学院大学教授は十七日、外国特派員協会での記者会見で「従軍慰安婦」問題についての新資料七点を発表しました。一九四六?四八年の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書などです。これらは、同裁判で検察陣を構成した各国の政府機関が作成し、裁判の証拠書類として採用された公文書です。「慰安婦」が日本軍によって強制的に連行され、性行為を強要されたことを示しています。


 これらの資料のうち、

(1)インドネシア駐留オランダ陸軍大尉の報告
(2)日本陸軍中尉の宣誓証言
(3)「慰安婦」を強制された女性(オランダ人)の尋問調書―

の三点の大要を紹介します。


 証拠書類は英文と邦訳文があり、ここで紹介するのは邦訳文です。カタカナはひらがなに、旧字体は新字体に直してあります。また適宜、改行してあります。


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特警隊が婦人 捕まえた

 資料(1)/オランダ印軍情報部J・N・ヘイヂブロエク陸軍大尉の報告「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」(一九四六年七月五日付、インドネシア・ボルネオ島<カリマンタン>ポンティアナック)
 (PD<検察側書類番号>5330/EX<法廷証拠番号>1702)

 一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。

 彼は同時に公式の慰安所を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。

 海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。

 日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。

 海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主として各兵曹長によって行はれました。

 一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の尽力によって集められました。

 上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。

 私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。

抵抗運動家の娘に強要

 資料(2)/オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書(一九四六年一月一三日付、インドネシア・モア島)
 (PD5591/EX1794)

 問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。

 答 私は兵隊達の為に娼家を一軒設け私自身も之を利用しました。

 問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。

 答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。

 問 幾人女がそこに居りましたか。

 答 六人です。

 問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。

 答 五人です。

 問 どうしてそれ等の婦女たちは娼家に入る様強ひられたのですか。

 答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。

 問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。

 答 左様です。

 問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。

 答 八ヶ月間です。

 問 何人位この娼家を利用しましたか。

 答 二十五人です。

常に拒絶をしたが無力
 資料(3)/イエ・ベールマンの尋問調書(一九四六年五月一六日付、インドネシア・ジャワ島マゲラン)
 (PD5770/EX1725)

 私は一般被抑留者としてムテラン収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇(ジャワ)人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。

 私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私達を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私達は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲランへ輸送され午後四時に到着しました。

 我々はテウグランと称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。

 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。

 其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。

 私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。

 其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。

 其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html


51. 中川隆 2012年8月28日 21:11:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

日本の心臓部で広がった慰安婦問題糾弾の声

(東京=聯合ニュース) チェ・イラク特派員= 「日本の裁判所の資料にも、旧日本軍の慰安婦強制動員の事実が出てくるのに、安倍晋三総理と政府はこれをなぜ無視するのか本当におかしい。」


17日午後、日本の心臓部である東京の千代田区有楽町のあるビル。200人余りのマスコミ人と市民たちが殺到した中、安倍総理の軍隊慰安婦の強制動員に関する不正発言に対する批判の声が続出した。発言の主人公は、韓国やフィリピンなどの被害国の国民ではなく、加害国の日本の著名な大学教授たちだった。


吉見義明中央大教授は、


「官吏たちが直接慰安婦を強制動員しなかったからといって、政府や軍の責任がないと言えるのか」、

「慰安所は日本軍によって維持され拡張された。軍隊が慰安所を監督し統制した。
軍隊が民間業者を通して慰安婦を動員したと言っても、軍隊が一次的な責任者であることは明らかだ」

と指摘した。 彼は、

「慰安所は事実上組織的な'性奴隷'だ。慰安婦たちは強圧による拉致や誘拐で募集され、監禁された」

とし、

「安倍総理は、狭義の強制性という言葉を動員して強制動員を否認しているが、
中国の山西省での裁判資料やフィリピンの女性たちの証言、オランダ政府の資料などを見れば、日本軍や官吏による強制動員が行われたことは明らかだ」

と語った。


林博史関東学院大教授も、最近日本のマスコミを通して公開された、日本の東京裁判の資料の中に、慰安婦の強制動員を認めた検察調書があったことに言及して、

「オランダ政府の場合、少なくとも65名が慰安婦として強制動員されたと確認した。各国が作成した公文書や判決でも、強制連行の事実が認定されている」

と指摘した。 続いて彼は、

「こういう資料を安倍総理や日本政府がなぜ無視しているのか、本当におかしい」

と声を高めた。林教授は特に、

「先月公開された国会図書館の靖国神社の資料で、慰安所を経営していた人物が,靖国神社に合祀されていることが明らかになった。

また、戦犯裁判所で有罪判決を受けて処刑された軍幹部もまた靖国神社に合祀された」

とし、

「女性たちを誘拐した人や戦犯で処刑された人物が靖国に祀られているのは深刻な問題だ。日本政府は反省すべきだ」と要求した。
http://www.labornetjp.org/news/2007/1176865497721staff01/view



52. 中川隆 2012年8月28日 21:19:05 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』


既報のように、日本軍による「従軍慰安婦」の強制動員を示す資料が確認された。

関東学院大学の林博史教授が4月17日、日本外国人記者協会で会見を行い 公表した資料は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。

以下、資料の内容を紹介する


【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日

 一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。

海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。

 一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。

 其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。

 特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。

 幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。

 彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。

 私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。

 バタビヤ 一九四六年七月五日
 ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
 J.N.Heijbroek陸軍大尉
 蘭印軍情報部

(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。

 


【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書

調書

 本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。

 問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。

 答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
 一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略)

 [証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]

 答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。

 問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。

 答 それは私は知りません。

 問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。

 答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。

脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。

 問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。

 答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
 (以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)

 (訳注)上杉大尉やハナ機関などには漢字が当てられているが、「音訳」と但し書きがついているものはカタカナ表記に直した。


 

【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日

 問 貴方の氏名、年齢は?
 答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。

 問 貴方の所属部隊は?
 答 タナカ部隊ハヤシ隊
 (略)

 問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
 答 私でありました。

 問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
 答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。

 問 何故殺されたのですか。
 答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。

 問 誰がその殺すことを命令したのですか。
 答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。

 問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
 答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。

 問 誰が貴方の手助をしたのですか。
 答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略)

 問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
 答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。

 問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
 答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。

 問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
 答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。

 問 幾人女がそこに居りましたか。
 答 六人です。

 問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
 答 五人です。

 問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
 答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。

 問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
 答 左様です。

 問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
 答 八ヶ月間です。

 問 何人位この娼家を利用しましたか。
 答 二十五人です。
 (以下略)

(訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。

 

【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日

 私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。

 私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。

(略)

 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。

私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。

 一九四四年二月の終り頃か三月の始頃に私は事務所へ出頭する様に命じされました。其処にはタキグチと言ふ日本の一将校が居ました。彼は私が受けた待遇に関して私の訴を根拠として事件を調査すると約束しました。彼は亦私達を抑留者収容所へ送還するために極力努力することを約束しました。彼は兵卒や下士官や一般日本人に対して娼家を閉館して私達のために直に情況を改善して呉れました。

 (訳注)証言者は、証言時、27歳。


 

【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日

 一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。

 日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。

 (訳注)この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとらえていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。

 


【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
 四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。

(略)

 ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。

 (訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。

 

【資料7】(PD2220/EX353)
中国桂林
軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」
一九四六年五月二七日

 敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。

長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し、(以下略)

http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02


53. 中川隆 2012年9月01日 08:49:18 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

10. 2012年8月30日 20:02:14 : HNPlrBDYLM

従軍慰安婦強制連行の証拠は65年前に法廷に提出されて、関係者も全員 強制連行が普通だったのを認めていたよ:

(上の資料)


17. 2012年8月31日 16:11:14 : VEJ1Ve5Z6E
>>10
ボルネオ島って事はインドネシアか
で、韓国に関しては?

韓国の証拠だけピンポイントに無いってか
それは、あまりにもおかしいぞ



18. 2012年8月31日 19:42:10 : HNPlrBDYLM
吉田清治の強制連行の話はすべて真実だったのさ。
朝鮮は儒教の国だったから、慰安婦だったのが世間にわかると兄弟や家族も結婚できなくなったんだ。

それが吉田清治が強制連行した正確な場所と日時を書けなかった理由。



19. 2012年8月31日 19:59:26 : ms7EkHlgdk
韓国の人口当たりのレイプ率が日本の10倍以上なのは「韓国の女性は些細な事でも『レイプされた』と訴えるから」なんだそうだよ。
なんともご立派な「儒教の国」だねw


20. 2012年8月31日 20:07:38 : kFGC7xohUs
>>18
その「儒教の国」とやらは売春婦が売春取り締まりの強化に反対して
「生存権の侵害だ」と大統領府や議会に集団で抗議デモする韓国とは
全く無関係なのは間違い無いな。




21. 2012年8月31日 21:06:37 : HNPlrBDYLM

日本人が日韓併合時代に朝鮮の儒教文化を破壊し尽したから、あんな国になったのさ。




22. 2012年9月01日 01:26:21 : SlAqTPWc3g
>>21
>日本人が朝鮮の儒教文化を破壊し尽したから、あんな風になったのさ。
つまり「戦後、慰安婦だと名乗り出られなかった」などと言うのは全くのデタラメ
だと自分で認めるわけだ。
簡単に墓穴を掘ってくれてありがとうw


23. 2012年9月01日 08:43:08 : HNPlrBDYLM

慰安婦の世代迄の朝鮮人は儒教道徳の世界で生きていた。
慰安婦の子供の世代からキリスト教とアメリカ文化の方が儒教より遥かに影響力が大きくなった。

それで朝鮮人は精神のバランスを崩したんだよ。

http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/150.html?c23#c23


54. 2012年9月07日 22:14:55 : 7H3tip4e0Y
この中川隆なる朝鮮人は反日法で逮捕すべきだな。明らかなるウソ捏造。はやく朝鮮へ帰国すべきだ。

55. 2012年9月09日 15:44:26 : 46PoD8M3QM
虚構かそうでないかは検証できないのでは

56. 2012年9月10日 22:54:46 : BnZEbGDBC6
在日コリアンの焼肉パチンコ闇金マネーでいくらもらったのかねタカシクソは笑

57. 中川隆 2012年9月11日 20:21:12 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


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慰安婦強制連行は東京裁判で日本軍関係者が全員認めたので、既に決着が付いています。日本軍は一般住民の虐殺、組織的略奪、食料・女性の現地調達を沖縄を含む全地域でやっていました。 朝鮮だけ例外だったという事は有り得ません。

そして、それを指示したのは昭和天皇だと言われています。 昭和天皇は自分が戦犯にならない様に徹底した証拠隠滅も指示した様ですね。

子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍の上層部にすべて肩代わりさせるのを目的にして行われましたから、昭和天皇が言い逃れができない731部隊や中国・朝鮮での戦争犯罪はなるべく取り上げないという方針だったのです。

沖縄・朝鮮・台湾には日本の役所が有ったので、慰安婦関係の資料は完全に焼却して証拠隠滅は完璧に行われました。 一方、他地域は焼却できなかった資料が幾つか残ってしまったので、東京裁判でも止むを得ず強制連行を認定したのですね。

何れにしろ日本政府は東京裁判で慰安婦の強制連行を認めたので、世界の歴史学会でもそれが結論になってしまいました。 そして、アメリカの教科書に取り上げられた慰安婦問題も東京裁判の結論に基づいて記述されています。

アメリカ人の常識

ニューヨークタイムズは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であるとしている[102]。
慰安婦のほとんどが家庭から拉致され最前線に連行された10代の朝鮮女性であるとしており、アメリカ軍の場合とはこの点で大きく異なるものであるとしている[39]。

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている[109]。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている[109]。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている[109]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6

韓国、中国の従軍慰安婦の女性が日本政府を相手取ったアメリカでの訴訟の法廷での日本の反論が

「この種の問題はサンフランシスコ講和条約で解決済み」

という内容になっています。サンフランシスコ講和条約では東京裁判の妥当性を認めていますので、今の日本政府も慰安婦強制連行を認めてしまった事になります。

いずれにしろ、日本政府は既に慰安婦は強制連行されて逃げたらリンチで残虐に殺されたという事実の追認をしてしまったのです。


[12削除理由]:言葉遣い

58. 2012年9月12日 18:00:58 : 69mRESzt7U
>中川

>慰安婦強制連行は東京裁判で日本軍関係者が全員認めたので、既に決着が付いています。
>そして、それを指示したのは昭和天皇だと言われています。


東京裁判の議事録、主文、など、一通り熟読したが、
東京裁判のどこを読めばそんな記述が出てくるんだ?

こういういい加減なことを事実として平然と公にする輩がいるから
歴史はねじ曲がる。


>アメリカの教科書に取り上げられた慰安婦問題も東京裁判の結論に基づいて記述されています。

これも嘘だ。
アメリカの教科書に慰安婦が登場したのは韓国のロビー外交や後にアメリカ憲法違反を理由に批判された下院決議以降のこと。
東京裁判で慰安婦が論点になった事実はひとつもないし、日韓基本条約の交渉時にも、両国でその話題が出たこともない。
つまり認識されていなかった。


嘘を書くなよ嘘を。


59. 中川隆 2012年9月12日 19:57:26 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

悔しかったら、これを否定してね:


林博史関東学院大学教授は十七日、外国特派員協会での記者会見で「従軍慰安婦」問題についての新資料七点を発表しました。一九四六?四八年の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書などです。これらは、同裁判で検察陣を構成した各国の政府機関が作成し、裁判の証拠書類として採用された公文書です。「慰安婦」が日本軍によって強制的に連行され、性行為を強要されたことを示しています。

林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』

http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02


林博史・関東学院大教授が米国の新聞で発表した論文である。

 それによると、第二次世界大戦直後の東京裁判において、オランダ、フランス、中国などが提出した資料に、日本軍に強制的に連行され、従軍慰安婦として働かされたことを示す資料がたくさんあるということだ。それによると、地元警察に捕まってそのまま日本の収容所に連れて行かれて慰安婦にされた話や、現地の女性を拘留した理由として、売春宿に入れるための口実だったと日本軍が答えた調書などが数多く残されているとのことだ。


ここでのポイントは二つある。まず、東京裁判での資料なのだから、これは公文書だということ。そしてもう一つは、日本はサンフランシスコ講和条約によって東京裁判を受け入れたということだ。つまり日本は、従軍慰安婦の強制連行を公式に認めていたわけだ。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/78/index2.html


60. 2012年9月12日 21:59:14 : CAExljXbqn
東京裁判の公文書なのに、今さら新発見するとか有り得ないだろ。

61. 2012年9月15日 00:12:24 : CE6tJlQ6iw
>>59(中川隆さん)
その前段は、2007年に林教授が発表した資料ですが、
後段は、その資料を「発見」したことについて述べた、同年の大前研一のコラムです。
コラムの中で述べているように、大前は判決も資料も読んでいないので、「日本は、従軍慰安婦の強制連行を公式に認めていたわけだ」と誤解しています。
実際は、林教授が自らのホームページで「東京裁判で『慰安婦』制度が裁かれたとまでは言えない」と残念がっているように、
それらの資料は、個々の戦争犯罪(暴行、強姦など)を立証するものであっても、東京裁判で慰安婦制度が裁かれたことを立証するものではなく、東京裁判の判決で慰安婦制度が断罪されたわけでもないのです。
あくまで、個々の戦争犯罪を裁くにあたっての資料に過ぎません。
もし、大前の認識のように、日本が東京裁判で慰安婦の強制連行を受け入れていたなら、慰安婦問題は何の議論も起こさないですよ。
少し考えればわかることでしょう。

62. 中川隆 2012年9月19日 22:11:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

女性の現地調達と慰安所の設置は昭和天皇が自ら指示したものでしょう。

東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍に押し付けるのが目的で行われた様ですから、従軍慰安婦や虐殺命令の事を隠すのは当然でしょうね。


63. 2012年9月21日 13:05:01 : os0qzZPUQk
女性の現地調達と慰安所の設置は戦時処置としては当時「別段変わったことではない」兵の士気高揚に野放しの「労働者の楽園」もあったがw
虐殺命令は主に「ゲリラ狩り・パルチザンの事前処置」として当時から陸軍参謀本部が発案していた。現場と上層からは敬遠されたが。
まじめに実行したのが京都の第16中隊。上海から南京までの「露払い」が虐殺の実態。宮様の近辺の安全確保が理由。シンガポールで強行したのが「作戦の神様(笑)」

どちらもトップが直々に指示するような内容じゃない。

東京裁判で慰安所の件が見送られたのは連合国が「同じぐらいスネにキズを持つ国」
だったから、オランダにいたっては「オマエが言うな」のレベルだった。
この時点で認めれば植民地独立祭りの欧州には非常に都合が悪かった。


64. 中川隆 2012年9月22日 01:04:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

日本は占領地域で組織的な略奪をして、財宝を朝鮮経由で内地に持ち帰っていますから、昭和天皇が主導したのは間違いないですね。

慰安婦強制連行も南京大虐殺も731部隊も昭和天皇が直々に命令したものだから、みんなが必死に否定しようとするのですね。


65. 2012年9月22日 21:17:14 : kzC4Ayrgl6
さて、「組織的な略奪をして」「朝鮮経由で内地に持ち帰っ」た財宝は今どこにあるのだろう?上野には台湾の故宮博物館をしのぐお宝があるのだろうか。ワシは見たことないけど…
というか、「慰安婦強制連行も南京大虐殺も731部隊も昭和天皇が直々に命令」って、頭大丈夫?何か湧いてない?
そこまで妄想がキツいと、今までの発言すべてに信憑性なくなるんじゃないかい。

66. 中川隆 2012年9月22日 22:41:16 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

天皇家の財産は戦後すべて国有化された訳じゃないからね。

天皇家存続・昭和天皇の戦争犯罪の免責と引き換えにすべてアメリカに没収された。 マッカーサーも昭和天皇から大金貰ったから昭和天皇が頼んだ通りに上手く演技してくれたのさ。詳細は:

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html


67. 2012年9月23日 02:32:10 : xvbVxRJcLM
なるほど、メトロポリタンミュージアムには中韓のお宝がザクザクあるということですか? あんまり聞いたことないけど‥
するとすべての黒幕は、ユダヤの大富豪かフリーメーソンあたりですかね?

いやいや、なかなかステキな妄想力ですね。

そういや、日光にある昔の御用邸を見たことあるけど、世界一の大富豪にふさわしい壮麗な建物だったかなぁ?
いやいや、アホにはそうは見えないけど、イギリスのノーフォークにあるサンドリンガムハウスやヤルタ会議でおなじみのクリミアのリヴァディア宮殿、ご存じベルサイユの小トリアノン宮殿にも勝るとも劣らない贅をこらした建物に違いない。
天皇陛下は東京に来て昭和天皇で三代目で、まあ江戸っ子の仲間入りですからね。羽織の裏地に凝るような渋い贅沢があったのかも?


68. 2012年9月23日 17:29:42 : 0IhLUUrg4I
吉田清治って、「告白本は創作を含む」って謝罪したんじゃ?
本人が、嘘書いたって認めてるんだから、あんたがガタガタ言うことないでしょ。

69. 2012年9月23日 17:38:27 : HNPlrBDYLM

吉田清治は右翼から家族を殺すと脅迫されて

『私が今迄書いた事はすべて嘘でした』

という嘘を言ったんだろ。


70. 2012年9月23日 22:17:47 : LWcJ2Rp8kk
苦しい言い訳だな。
そもそも女なんぞ誘拐するまでもなく、広告一つでいくらでも調達できる。
韓国から不法入国してくる現代の慰安婦を見たことがあるかね?
どう教育が進んでも、どう豊かになっても、売春婦の供給源には事欠かないのだ。
女衒でもあるまいし何で誘拐する必要があるか。

71. 2012年9月23日 22:27:31 : DZ75MIlfoA
誰も慰安婦がいなかったとか慰安所がなかったとは言ってない・・・という基本はわかってるんでしょうね?

72. 2012年9月23日 22:45:55 : HNPlrBDYLM

広告一つでいくらでも調達できる普通の売春婦は性病持ちが多いので、昭和天皇は 12、13才の少女を強制連行させたんだよ。

73. 2012年9月24日 02:03:50 : GA9O5JOtZM
>広告一つでいくらでも調達できる普通の売春婦は性病持ちが多いので、昭和天皇は 12、13才の少女を強制連行させたんだよ。
そりゃ、どこのエロ小説のあらすじだよ。
ま、有り難いことにこんなことを言ってくれているから、「いわゆる従軍慰安婦という嘘」が明らかになるわけだ。

74. 2012年9月24日 08:08:58 : HNPlrBDYLM

日本人は汚い売春婦を嫌ったのさ:

F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた


75. 2012年9月24日 09:26:48 : Lermtj3sZM
悪趣味なSM小説の筋書きだな。脳みそ腐った連中らしい妄想だ。
そういう極端なバカ話からも「いわゆる従軍慰安婦という嘘」が炙り出されるな。

76. 中川隆 2012年9月24日 20:04:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

昭和天皇は15才以下の少女しか売春婦として使えないという信念が有ったのさ:

日本統治のせいで朝鮮の古き良き文化が堕落した

淫売婦が日本の最大の輸出品となっているのは、衆目の認めるところである。日本人の行くところ、いかなる土地でも売淫の市が開かれないところはないが、わが国においてはとくに甚だしい。その淫風は、わが国古来の礼俗を破壊し、わが人命を害し、風紀を乱すことこのうえないものになっている。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

天皇一族は売春業者

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。


貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html


1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

そこで福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」


という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。

(福沢諭吉全集 第15巻)


1900年初頭から天皇の命令の下、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」


という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。


日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。


天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」

(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。


「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。

天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607



77. 2012年9月25日 09:35:24 : cGKpiHJaK6
どーでもいいけど、売春婦が好きだね、この人。
なんか頭の中で変な妄想をこねくり回しすぎて、真実味の欠片も無いものになっていることに気がつかなきゃ。


78. 中川隆 2012年9月25日 23:47:00 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

心配しなくても昭和天皇の犯罪記録はいくらでも有るからね:


昭和天皇は主席検事キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った(?)。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


田中隆吉は、すぐに、主席検事キーナンに親しいボディーガードとなった。二人は、両者に共通するフランス語を使い、田中はバーボンをあたかも「特級酒」ように楽しむことを覚えた。田中が出版した回顧録によれば、キーナンは田中を日本暮らしのガイドのように使った。

もし、キーナンが女性関係を望んだ時は、彼はただ会話に「Je suis fort. (私は強い)」 とだけ言えば、田中は電話をかけてその段取りをととのえた。

実際、田中は何事にも明るく、靴を脱ぐのを嫌うキーナンが、靴のまま畳の間に入り込んでも問題を起こさないような、そんなくつろぎの場をも手配した。キーナンは、アメリカ人将校と日本の上流婦人との間の関係を良しとしていなかった。彼はよく言った。

「私もちょっとしたあそびは好きだが、素人に手を出したりはしない。それはよくない。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

マッカーサーの部下職員の宿泊所として徴用された旧東京記者クラブでは、22人のメイドと電話交換手が、夜、そうした職員の部屋で過ごしているところを発見された。占領後半年までに、少なく見積もっても、半分以上のアメリカ軍将校たちが日本人の愛人を持つと見られていた。

 10月、幣原内閣が発足しようとする頃、特殊慰安協会はその供給について、下士官と将校を分離し、50万人の占領軍全体がすべて同じように魅力的なサービスが受けるのは難しいと強調し始めた。そしてその日より、下士官には下級のホステスバーが、兵卒には「ウィロウ・ラン」となり、上等な老舗旅館は将校向けとなった。つまり、もはやだれもが十分に満足しえるものではなくなっていた。

みごとな庭園を持つ豪奢な別荘の幾つかにはアメリカ式浴室が設けられ、そして人々の視界からは消えた。米軍士官にもっとも人気のあったのは、東京中心部のネオン街にある、招待客のみを受け入れる、プライベートクラブだった。

 そうしたクラブの筆頭が「大安」で、裕仁の弟、海軍大佐の高松宮の親友、安藤明が経営しており、戦時に便乗して暴利を稼いできていた。

トラック運送あるいは建設業界のボスとして、最初の占領軍の着陸に際し、厚木基地のまたたくうちの修復工事を成し遂げて名を売っていたのが安藤だった。

そのクラブ「大安」では、米軍の高級将校に、活発で英語の話せる貴婦人を紹介し、夜ごと、その記念にと、御木本の真珠のネックレスが贈呈されていた。

彼の気前の良い商風は、幾度も彼を倒産の崖淵に追い込んでいたが、地下商売で大当たりを上げては再起していた。そして最後に短期の刑務所暮らしをした後は、引退して安楽な生活を楽しんだ。

 そうしたクラブとは別に、内閣官房楢橋渡や東久邇元首相の別荘では、極めて興味深い享楽が繰り広げられていた。東久邇のパーティーの様は余り記録に残されていないが、楢橋のそれは、見るからに露骨な誘惑そのもので、今日。老いたアメリカ人将軍たちが当時を思い出して顔を赤らめるものとなっている。

楢橋は熱海に別荘をもっていた。熱海の入江や山々、そして名高い温泉やホステスたちと、当地はその持ち味をあえて強調する必要もなく、かつ、楢橋は名うてのもてなし上手だった。その裕福な弁護士は、戦争中、北京で最大かつ最も儲けの良い情報収集源ホテル〔北京飯店〕を経営していた。

その彼の部下の鳥尾〔鶴代〕子爵夫人が、コトニー・ウィットニー准将に仕える将官〔民政局次長チャールス・ケーディス〕の愛人となった。ウィットニーは、連合軍最高司令部民政局を動かし、日本の法制改革の草案作りをしていた。その元ホテル経営者の楢橋は、自分と自分の「貴婦人」たちが、最後にはウィットニーの部下たちすべてを「とりこ」にするだろうと豪語していた。

 性的わいろに加えて、さらに特異な投資機会も存在していた。

マッカーサーの会計担当ハロルド・R・・ルース大佐は、占領軍将兵たちは、毎月、支払われる給料より800万ドルも余計に故国に送金をしているとの報告を行った。

日本人が中国から略奪してきた数々の骨董品は、日本産の秘蔵品とともに、米国へ送られる雑のうの中に入れられていた。

天皇の叔父、東久邇宮自身も骨董業を手がけ、後になって、要職にあるアメリカ軍士官たちに安売りし過ぎて破産したと、よく語っていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm



79. 中川隆 2012年9月25日 23:52:32 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


 『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

 この売春施設の目的は性のハケ口を設けることによって、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」とも言うべきものであった。が、実際は占領軍によるレイプ事件は日常茶飯事であった。

 さてRAAであるが、東京の大森を皮切りに各地に作られ全盛期にはそこで働く「パンパン」と呼ばれた女性は7万人を数えるようになった。しかしその後占領軍兵士が持ち込んだ性病が蔓延し、GHQは21年3月10日慰安所への兵士の立ち入りを禁止し、RAAは崩壊する。パンパンの彼女たちの多くは私娼となって街で客を求めるようになる。

 そのころ吉原はというと、戦時中に東京大空襲で焼け野原になるも政府の援助によってすぐに復興。そして終戦を迎えると、前述のRAAの慰安施設となる。

 GHQは占領軍のRAAの立ち入りを禁止すると同時に、日本政府に対して公娼廃止を求める。日本政府はこれを受けて公娼を廃止するが、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。

 赤線地帯は吉原や新宿二丁目など戦前は貸座敷があったところが指定され、風俗営業取締法(以下風営法)によって「カフェー喫茶」などが営業されていた。この「カフェー喫茶」であるが、もちろん「喫茶」といってもただ単にお茶を飲むのではない。かつて花魁として働いていた女性が今度は女給という呼称で売春をしていたのである。その後赤線は朝鮮戦争の特需景気により営業する店が急増した。そのころの泊まりの料金は1000〜3000円。

 赤線が一応風営法というかたちで許可をとっていたのに対し、その許可を取らないで売春行為をしていたのが青線である。青線は表向き料理屋の形をとっているが客と交渉が成立したときは店を閉め売春をする。青線のほうが基本的に価格は安く、比較的所得・階層の低い人が利用していたと言う。

 しかし、赤線・青線地帯もやがて崩壊する。昭和33年4月1日売春防止法(以下売防法)が施行される。これはこれまで黙認してきた売春行為を禁止するものであった。なぜこの次期に売防法が公布・施行されたのか。それは日本が国連に加盟するためである。国連は昭和24年「人身売買及び売春行為の搾取禁止のための条約」を決議しており、国連に加盟するためには娼婦をなくすことが必要であったからである。

 売防法について、赤線で働いていた女性は猛反対していた。もし赤線がなくなれば彼女達は生きる術を失うことになる。政府は何も生活の保障や仕事の斡旋などはしてくれない。東京では「東京都女子従業員組合連合会」を結成し、売防法に反対するビラまきなどを行った。

 しかしながら売防法は施行され、そして吉原をはじめとする赤線地帯は消えていったのである。職を失った女性たちは、厚生施設に通い手に職をつけようとした者もいたが、白線・黒線と呼ばれる結婚相談所の形をとった売春組織で働く者もいたし、それ以外の性風俗で働く者もいた。 
http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


記録には「慰安所が開設されて以降予想通りに大繁盛だった。慰安婦たちは...昨日の敵に自らを売ることに抵抗があり、言語や人種の違いなど彼女達にも最初は大きな戸惑いがあった。しかし彼女達は高額の賃金を受け取り、徐々にその仕事を受け入れるようになった」と書かれている。

 政府の財源で運営された「保養慰安協会」(RAA) の援助の下に、警察と東京の業者は売春宿のネットワークを設立した。1945年8月28日、東京の南隣の厚木へ進駐軍の先行隊が到着、その日の夕暮れまでに軍は最初の売春宿を見つけることになる。

 RAAの情報課長だった鏑木清一氏は「私はRAA幹部と共にそこに急いで向かったが、路上に500-600人の米兵が列を作っているのを見て驚いた。アメリカの自治警察が兵達をコントロール出来ない状態だった」と1972年の回想録でそう書いている。

 警察と民間によって運営されていたとしても、このシステムは戦時中の海外の日本軍によって設立された慰安所を手本にしている。

 鏑木氏はまた「進駐軍の兵は前払いでチケットとコンドームを与えられた」と書いている。最初のRAAの売春宿「小町園 - The Babe Garden」は当初38人の売春婦だったが、必要に迫られててすぐさま100人に増員した。女性一人当たりが一日に15-60人を相手にした。

 アメリカ人の歴史学者ジョン・ダウアー氏の著書『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本』によると、売春婦との一回が15円で、タバコ一箱の半額であり、「突然の高需要のために売春宿の運営者は、認可された売春婦でない女性をやむなく公募した」とある。

 戦争で身内を失った小町園の滝田ナツエさん (当時19) は、事務職募集広告で応募したが、空いてる唯一の職が慰安婦であると言われ、仕事につくように説得された。1952年の占領終了後に出版された鏑木氏の回想録によると、滝田さんは売春宿開業の数日後に列車に身を投げたとのことだ。「最悪の犠牲者は...『新日本女性』の広告に応募して来た、未経験の女性であった」とダウアー氏は書いている。

 鏑木氏によると、1945年の末までに35万人の米軍が日本に駐留し、米兵のためにRAAは最高時7万人の売春婦を雇っていたとある。そのためにそこに日本人以外の慰安婦が海外から来たと言う説があるが、それに関する明確な証拠はない。

 広島歴史研究所の田中利幸教授は、鏑木氏の提示した数字は根拠に乏しいとしているが、RAAはそのごく一部であり、公式記録に載っていない民間売春業者の数は更に多いであろうとしている。田中氏が発見した記録によると、米駐留軍幹部は、進駐軍の相手をする慰安婦のためにペニシリンを日本政府に提供し、RAAの売春宿のそばに予防施設を作り、兵隊達に使用を許可したとある。

 旧日本軍のための慰安婦と、進駐軍のために募集された慰安婦の類似性を駐留軍幹部は見過ごさなかった。GHQ衛生福祉厚生部のヒュー・マクドナルド上級士官の1945年12月6日の回想録によると、日本の慰安婦はしばしば強要されていたことを米進駐軍は把握していたと言う。「貧困の極致の両親に促され少女は契約を無理強いされた。時には自ら進んで家族のために犠牲になったとあるが、しかしながらそれは情報提供者の主観であり、かつてよりは一般的ではなくなったにせよ、都市部では少女の奴隷化の習慣はまだ存在している」と書いている。


RAAの崩壊

 従軍牧師達の苦情と、売春宿の発覚が米国に帰国後の進駐軍に不名誉となる懸念から、1946年3月25日、マッカーサーは全ての売春宿や慰安所その他の売春所への立ち入り禁止を指令し、間もなくRAAは解散した。

 マッカーサーの主な心配事はモラルの問題ではなかった。田中氏によると、進駐軍の米兵の1/4以上がその時点までに性病に感染していたとのことだ。「全国規模の立ち入り禁止令は、15万人以上の日本人女性を突然失職させた」と田中氏は2002年の性奴隷に関する著書でそのように書いている。元慰安婦の大半が兵士相手の違法ビジネスを続けたが、その多くが性病を持ち貧困であったとある。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/?mode=m&no=2

これで昭和天皇の本職が売春婦斡旋業だというのが良くわかったろ。

日本女性ですら騙して売り飛ばす昭和天皇が、朝鮮の少女だけ大切に守る訳無いだろ。


80. 2012年9月26日 01:07:08 : Lermtj3sZM
ずいぶん長文を書いているけど、「私未亡人です。お金あげます」のスパムメールぐらいの信憑性しか感じられないよな。
いくらでもあるのは「オタクの下品な妄想」だね。

81. 中川隆 2012年9月26日 19:57:24 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

阿修羅に来るB層君は時代から20年は遅れてるね。 これが現在の常識:

『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)より抜粋・引用します。

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。

「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

中略

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。

「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」

福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。

中略

至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。

中略

日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。

中略

片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

同じ手口を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からアヘンの輸入であった。皇室と三菱は、三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起きる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国はこのアヘンの金でできた。

天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、昭和天皇は木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。1938年12月に興亜院がつくられ、阿片政策を統括した。その翌年から「土薬公司」ができた。日本でもケシ栽培をし、朝鮮に送り込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。阿片政策はこの辺にしたい。

多くの軍人たちが、三菱と三井のアヘンの利益の一部を貰って遊興にあけくれた。マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で1946年3月28日の出来事を書いている。

「東条が自殺を企てたその家は、岩崎家からの贈物で、東条一家には三菱財閥の情深い当主から現金、株券その他で一千万円の額があるという報道が行なわれた。」

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825#1156452744


82. 2012年9月27日 02:32:00 : CNYSwv45XM
おいニダよくみとけ

http://www.youtube.com/watch?v=bW7BxpUkCoM


83. 2012年9月27日 23:40:22 : sq3PF54m4g
都合の良いソースを列挙して、「これが真実だ」ってな物言いする連中って、
ソース自体の信憑性に付いては調べないんだよな。

そんなのは単にパーツの並べ替えだよ。


84. 2012年9月27日 23:51:30 : HNPlrBDYLM

慰安婦が起こした裁判では強制連行が有った事自体は認めている。

それが日本政府の公式見解だという事さ。


85. 2012年9月28日 00:26:28 : kzC4Ayrgl6
>阿修羅に来るB層君は時代から20年は遅れてるね。 これが現在の常識:

昔を知る世代からすれば、まあ何というか非常に懐かしいタイプの「デマ」なんだよな。

30〜50年前はマスコミや出版界に中共や北朝鮮とかの工作員がそうとう浸透していたらしく、ずいぶん日本皇軍やら戦前の財閥の「旧悪を曝いて」いたんだよ。
そんで、その一方では「理想国家建設に邁進する中国や北朝鮮」も褒め称えていて、純真な少年だったオイラはずいぶん信じ込まされていたっけ。

理想国家だったはずの中国や北朝鮮の化けの皮は最早すっかり剥がれているよな。
そう、曝かれたはずの旧悪ももちろん真実とは遠くかけ離れたもの、つまり嘘やデマでしかなかったわけで‥

ま、このスレの話は極端に荒唐無稽で下劣なんで、今のご時世、騙される人間はまずいないだろう。


86. 2012年9月28日 08:03:34 : HNPlrBDYLM

日本の裁判官は全員、日本軍が慰安婦を強制連行した事を正しいと認定している。

素人が出る幕は無いだろ。


87. 2012年9月28日 13:18:27 : kzC4Ayrgl6
なんだろ。この芸のなさは‥
かけらも真実の無いことを断定しても、信憑性は無いぞ。

88. 中川隆 2012年9月28日 19:39:18 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

軍人さんが強制連行した事をペラペラ話しちゃったんだから、今更否定するのは無理だよ:


従軍慰安婦強制連行 白馬事件


   現在、国際的に「従軍慰安婦」関係の責任者処罰が問題になっています
が、過去にグアム島やジャワ島などでは「従軍慰安婦」の関係者である日本軍
人や民間人が処罰されたケースがありました。中でもジャワ島での事件は規模
も大きく、別名「白馬事件」とも呼ばれていました。今回はこれらを紹介しま
す。

   最近、この裁判記録が発掘(92.7.21 朝日)され、ついでオランダ政府
の報告書(94.1.24 )が公表されました。さらに慰安婦にされたオランダ女性
の手記が発表され、その全容がかなり明らかになりました(オフェルネ著「レ
イプされた女の叫び」、『福音宣教』47巻5号、1993年5月)。

   ことの始まりは日本軍のジャワ島占領にさかのぼります。占領後、日本
軍は旧宗主国のオランダ人などヨーロッパ系住民を敵国人として抑留所に拘束
しました。

   そのかたわら、日本軍はここの占領地でも慰安所を設けました。しかし
「性病管理がなされている軍慰安所」の数が不足気味だったためか「駐屯軍に
性病が広がって」しまいました。

   また一方、占領地では例によって「駐屯軍の住民に対する行為がすでに
住民の反感を買って」いたため(裁判記録)、日本軍は新たに本格的な軍慰安
所を1944年2月に設けました。場所はジャワ島中部の州都スマランです。
   日本軍はこの軍慰安所開設に必要な慰安婦を集めるのですが、その対象
として手っ取り早く目をつけたのが抑留しているオランダ人女性でした。その
際、軍司令部は自由意志の慰安婦だけ雇うように指示を出しましたが、それに
反して、担当の南方軍幹部候補生隊は17歳以上の女性を無理やり連行してし
まいました。

その連行された一人が、先ほどの手記を書いたオフェルネさんです。彼
女は修道女になるためにフランシスコ会の教育大学で学んでいるとき、抑留所
に拘束されました。

   彼女によれば、抑留所は悪臭・汚物・ネズミ・下水などにまみれるなど
環境は劣悪で、その上、飢え・暴力・病気、さらには重労働が横行するひどい
所でした。

さて、強制連行された彼女たちは、すぐ慰安所に送られました。そこの
食堂で恐怖にうち震え泣き叫んでいた少女たちはやがて一人ずつ無理矢理引き
ずり出されていきました。彼女たちは激しく抵抗しましたが屈強な軍人たちの
力には到底かなうはずがありません。

   オフェルネさんも自分の番が来たとき、激しくもがき抵抗しました。し
かし「蹴っても、叫んでも、抵抗しても無駄」でした。そうした彼女の「反抗」
に業を煮やした軍人は刀を抜いて彼女の身体に突きつけ、彼女を裸にし、刀で
身体を撫でまわしました。

   こうした人間を世間ではよく「ケダモノ」と言いますが、これは適当で
はないと思います。ケダモノは強姦はしません。相手が合意しないと最終的に
はあきらめます。ケダモノは人間のようにレイプなどの恥ずべき行為は決して
しません。

  余談はさておき、ここの軍慰安所にいたヨーロッパ系の女性2ー300
人中少なくとも65名は「売春を強制された」とオランダ政府報告書は結論づ
けました。

   ところで、この軍慰安所はわずか2ヶ月で閉鎖になりました。閉鎖は、
この慰安所に娘をとられた抑留所のリーダーのねばり強い努力のたまものです。
たまたま視察に来た日本陸軍省の大佐に彼が直訴したのが功を奏しました。し
かし、このときは関係者の処罰は行われませんでした。日本軍の明確な指令違
反は黙認されたままでした。兵士たちに性のはけ口を提供するという行為は当
時にあっては戦意高揚のために軍律違反でも容認されたものと思われます。

   しかし、こうした日本軍本位の行為は国際的に許されるはずはありませ
ん。終戦後、関係者の軍事裁判がオランダにより1948年バタビヤで開かれ
ました。中心人物の陸軍少佐が死刑になった他、10人が懲役刑になりました。
しかし、裁判ではアジア人慰安婦に対する罪は裁かれませんでした。あくまで
もオランダ人などヨーロッパ系の女性に対する罪のみを対象にしました。(吉
見著「従軍慰安婦」、岩波新書 1995)


   インドネシア人や朝鮮人慰安婦に対する罪まで範囲を広げると問題が大
きくなり過ぎるため自制したのでしょうか。それとも、自国民の権益しか眼中
になくアジア人を軽視したためでしょうか。ちょっと惜しい機会を逃したよう
です。

   他方、グアム島での裁判資料は、95年11月に「朝鮮人強制連行真相
調査団」によりアメリカの国立公文書館で発見されました。その記録によると、
処罰されたのは日系の民間人で、当時、日本軍が占領していたグアム島で19
42年2月、現地の女性二人に

「本人の同意を得ることなく売春を強制した」

というものでした。この被告は反逆罪にも問われており判決は死刑でした。

   これに対応する関連資料が法務省で発見されました。それによると同被
告の起訴理由は「婦女を慰安婦として日本軍にあっせんした」と記され、慰安
婦の強制が日本軍のためであったことが確認されています(共同通信ニュース
速報、95.11.27)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm011.html#No.108


89. 2012年9月28日 20:01:35 : HNPlrBDYLM

『軍司令部は自由意志の慰安婦だけ雇うように指示を出しましたが、それに
反して、担当の南方軍幹部候補生隊は17歳以上の女性を無理やり連行してし
まいました。』

要するに、強制連行が昭和天皇の指示だというのがわかると後で問題になるので、担当の南方軍幹部候補生隊に自己責任で強制連行しろと命令したという意味でしょう。


慰安婦にされた女性たち−オランダ
 


 旧オランダ領東インドは今日のインドネシアです。太平洋戦争で、日本軍はこの地を1942年に占領し、オランダ人を抑留・捕虜にしました。民間人9万人、軍人4万人が収容所にいれられたのです。

 一部の日本軍関係者は、収容所に抑留されたオランダ人女性と混血女性を慰安所に強制的に連行して、そこで日本の将兵に対する性的奉仕を強いました。その代表的な事例がスマラン慰安婦事件です。基金の資料委員会の報告書に収められた論文によれば、1944年初頭中部ジャワのアンバラワとスマランにあったアンバラワ第4または第6収容所、アンバラワ第9収容所、ハルマヘラ収容所、ゲンダンガン収容所からオランダ人と混血女性約35人が連行され慰安婦にされました。これを推進したのは南方軍幹部候補生隊の将校たちでした。
 

 アンバラワ第4または第6の収容所から連行された女性の証言によると、ここでは、1944年2月23日、収容所中庭に17歳から28歳までの女性全員が並ばされ、その後1人づつ収容所事務所に出頭させられました。翌24日、20人が事務所に呼び出されました。その上で2月26日、17人が選び出され、スマラン市内の建物に連れて行かれ、同意書に署名を強要されました。同意書は日本語で書かれていましたので、署名した人には何もわかりませんでした。ハルマヘラ収容所では、11人が連行されましたが、3名が返されました。ゲンダンガン収容所では、年上の女性たちが志願することで、若い女性たちが選ばれるのを免れたようです。約35人の女性は、2月26日ないしはその2−3日後、スマラン市内の4箇所の慰安所に送り込まれたのです。それは、日の丸、青雲荘(または双葉荘)、スマラン倶楽部、将校倶楽部の4つです。

 これらの収容所以外では、オランダ人側が強く抵抗し、若い女性たちが連行されるのを防いだということが知られています。
 スマランの事件は、東京から収容所を視察に来た将校が、オランダ人から訴えをうけ、女性たちが意思に反して慰安婦にさせられていることを知って、報告したことで、軍上層部が知るところとなりました。ジャカルタの軍司令部の命令で、慰安所は営業開始2ヶ月で閉鎖され、女性たちは解放されました。しかし、慰安所のいくつかはその後混血女性を使って同じ場所で再開されました。

 これより先、1943年12月ないし44年1月には、同じ中部ジャワのムンティラン女子収容所からも、日本軍関係者はマゲランにある慰安所に女性を集める行動に出ていました。収容所のオランダ人リーダーにバーで働くのにふさわしい若い娘の名簿を作成させました。1月25日、日本人はこの名簿の女性たちを集めて、身体検査をし、15名を選び出し、連行しました。しかし、オランダ人側が強く抵抗したため、日本側は身代わりになる志願者を出すようにいい、その結果、元売春婦であったという評判の女性たちが志願しました。再選考がおこなわれて、13人が慰安所に送られたのです。

 戦後、収容所のオランダ人を強制的に慰安所に連行していった日本軍将校たちはBC級戦犯裁判で裁かれました。1948年2月14日バタビヤ臨時軍法会議はスマラン慰安婦事件の被告13人のうち、岡田陸軍少佐に対して死刑、11人に最高20年、最低2年の禁固刑を言い渡しました。ムンティランの事例は検察側が訴追しようとしましたが、成功せず、不問に付されました。

 オランダ政府は1993年に「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」を出しています。(全文はこちら)それによると、日本軍の慰安所で働いていたオランダ人女性は200人から300人に上るが、うち65人は売春を強制されたことは「絶対確実である」とのことです。

http://www.awf.or.jp/1/netherlands.html


90. 2012年9月28日 20:05:45 : HNPlrBDYLM

憲兵が連行、売春強制 慰安婦でオランダ新史料 '07/5/11

 【ベルリン11日共同】太平洋戦争時の従軍慰安婦問題で、日本占領下のインドネシアで憲兵らが直接、女性を連行して慰安所で売春を強制したことを記述
したオランダ政府の公文書が十日までに見つかった。旧日本軍による「狭義の強制性」を否定した安倍晋三首相の発言の矛盾を裏付ける新史料として注目され
る。

 公文書は、戦争犯罪問題を調査しているベルリン在住ジャーナリストの梶村太一郎氏が入手した未公開の約三十点。一九四四年にインドネシアのマゲランや
フロレス島で起きた集団売春強要事件の被害者の宣誓証人尋問調書に記述されていた。マゲランの事件についてはオランダ政府報告書が「最も悪名高い事件」
と指摘している。

 マゲランの事件に関し、東京裁判に証拠として提出された四六年五月の調書では、当時二十七歳のオランダ人女性が、憲兵に衣服をはぎ取られ慰安所に連行
されたと証言。抵抗したが手も足も出ず、売春させられたとしている。

 女性抑留所に収容されていた目撃者の四八年三月の調書によると、抑留所を訪れた日本人が少女らを病人に仕立てて診療所に収容するよう指示。そこで選ば
れた少女らが慰安所に連行され売春を強要されたと、この目撃者は詳細に証言した。

 梶村氏は「被害者は連行され売春させられており、安倍首相の言う『狭義の強制性』の典型的な例だ」としている。


ーーーーーーーーーーーーーーーー
TBS
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3559706.html
ページ更新時間:2007年05月11日(金) 07時08分
オランダ人慰安婦、被害者証言明らかに


 第2次大戦中、日本占領下のインドネシアで、オランダ人女性らが軍の慰安婦とされた問題で、戦後、被害者が裁判で証言した内容などが明らかになりまし
た。  これはドイツ・ベルリンに住むジャーナリスト、梶村太一郎さんらの調査で明らかになったものです。

 梶村さんらは、1944年、日本占領下だったインドネシアのフローレス島にオランダ人女性らが連行され、慰安所で売春婦として働かされた事件などにつ
いて調べていました。

 インドネシアでの慰安婦問題は、戦後、オランダ軍による戦犯裁判の記録などから概要は知られていましたが、今回、初めて被害者の尋問調書の内容が明ら
かになったということです。

 その中には、健康診断という名目で若い女性が集められ、そのうちの17人が軍の慰安所に強制連行されたこと、また、1週間で100人の兵士の相手をし
ないと捕まって殴られたなどという証言もあり、梶村さんらは「軍による強制売春だったことをさらに裏付ける史料だ」と話しています。(11日05:
12)
http://blog.goo.ne.jp/arai647/e/276b210e841f80912301b4ac2aba3783


91. 中川隆 2012年9月29日 11:57:58 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

「わたしの友人オヘルンの写真があそこにあるね。本当に勇気のある友人だった」

今月8日、オランダのハーグで開幕した「韓国・オランダ・ドイツ性奴隷展」(北東アジア歴史財団主催)を訪れたブルーフさん(86)は、旧日本軍の元慰安婦だ。日本軍がオランダの植民地だったインドネシアを占領した1942年春、ブルーフさんの家族はジャワ島中部のスマランにあった収容所へ連行された。それから2年後のある日、日本軍は

「病院や事務所で働く事務員を募集」するとして、若い女性30人を選んだ。

ブルーフさんはほかの女性14人とともに、上流階級の居住地区にある「仕事場」へ連れて行かれた。そこは日本軍の将官のための公娼街だった。

60年余り前のことだが、ブルーフさんはこの経験を忘れていない。

「日本軍にとっては快楽を求める場所だったが、わたしには恐怖と悲しみ、恥辱(ちじょく)が満ちた地獄以外の何物でもなかった」。

彼女は反抗する意欲も無くし、ただ早く無傷で解放されることを祈るだけだったという。3カ月後、ようやく解放され収容所へ戻った彼女は、着ていた服を収容所へ戻るバスの窓から投げ捨てたという。「自分の体を汚された」というのがその理由だった。

ブルーフさんは長い間、日本軍の慰安婦だったことを誰にも話さなかった。

90年代に入り、まず韓国の元慰安婦たちが立ち上がり、オランダでも友人のオヘルンさんが口を開いたことで、ブルーフさんも勇気を出し告白した。ブルーフさんはオランダの「対日道義的債務基金」(SJE)の助けを借りて証言集を発行し、日本の戦争責任の認定や補償を求める裁判に証人として出廷した。オランダ人の元慰安婦は約300人とされ、このうち10人ほどが生存している。

「日本の人々が過去を反省し、責任を認めることに消極的な様子を見ていると、怒りを覚える」。ブルーフさんは澄んだ目で「わたしが体験した悲劇を繰り返さないためにも、日本が犯した罪について若い世代へ伝えていきたい」と語った。
http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/895782.html

2007/2/9

米国下院外交委員会アジア太平洋地球環境小委が15日、下院で日本軍従軍慰安婦聴聞会を開く。

第2次世界大戦当時、慰安婦として連行されたオランダ人女性が証人として出る。オーストラリアに住むヤーン・ルーフオヘルンさん(84)が主人公だ。彼女は「慰安婦問題に対して日本政府が公開で謝罪しなければならないという内容の慰安婦決議案が米国下院で成立してほしい」とし、下院外交委の証人出席要請を快諾した。



「あのとき、あの恐怖、絶対忘れない」

ヤーンさんは1941年12月、日本が太平洋戦争を起こしたとき、オランダ領東インド諸島(インドネシア)ジャワ島に暮らしていた。日本軍は4カ月後、ジャワを占領し、ヤーンさんの家族を含むオランダ人たちを収容所に入れた。そして2年後21歳のヤーンさんを含むオランダ人女性100人をジャカルタ南ボゴールに連行した。そこで彼女らは日本軍の性の奴隷になるという話を聞いて驚愕した。

ヤーンさんは2001年、オーストラリアABC放送とのインタビューで

「あのとき、私たちが『ジュネーブ協定違反』と叫ぶと日本軍はにやにや笑った」

と回想した。ヤーンさんらはそのとき、日本式の名前を1人ずつ与えられた。ヤーンさんには何かの花の名前が付けられたが、記憶から消してしまった。彼女は過去を隠して暮らした時代、花が嫌いだった。慰安婦生活を思い浮かべるからだ。英語が分からなかった2人の娘に、誕生日のプレゼントとして花をくれると言われても素直に笑えなかった。ヤーンさんは慰安所に入ってから少し立って髪の毛をすべて刈ってしまった。

「はげ頭のように見えれば日本軍が嫌がるだろう」

と思ったからだ。しかし日本軍はそんな姿にもっと好奇心を感じたようだと彼女はABC放送で明らかにした。それとともに

「あのときのあの恐怖を絶対忘れることができない」と話した。

ヤーンさんは92年、慰安婦出身韓国人女性3人が日本政府に公開謝罪を要求したのをテレビで見て、自分も過去を明らかにして闘争しなくちゃいけないと決心した。それで同じ年の12月、東京で開かれた日本の戦争犯罪聴聞会に出て証言した。



「証言でおびただしい反響起こす」


ヤーンさんはオーストラリアの放送で

「日本は私たちが死ぬことを願っているが、私は日本政府が慰安婦被害者たちに謝罪と補償をするまで闘争する」

と言った。そんな彼女が米下院で証言すれば波紋は大きく広がるだろう。下院のある関係者は8日

「ヤーンさんと韓国人キム・クンジャ、イ・ヨンスさんが証言すれば米国人は『当時の日本軍はそれほど残忍だったのか』と思うだろう」とし「彼女らの証言で慰安婦決議案の下院成立の可能性は高くなる」と話している。
http://japanese.joins.com/article/460/84460.html?sectcode=&servcode=500

1944年2月、オランダ領東インド(インドネシア)で起りました。事件の首謀者として死刑となった岡田慶治少佐の「青壮日記」と題した獄中日記によれば、州庁で希望者を募って慰安所を作ろうという構想を聞いた熊崎中将が、宮野スラマン州長官に話をつけたと切り出す。熊崎中将がジャカルタの第16軍当局から本人の許諾を条件に構想の認可を得て計画を策定し、岡田は上官の池田大佐や大久保大佐に命じられ実施面を担当したのでした。。

 岡田は、州庁が作成した希望者名簿を元に数ヵ所のオランダ人抑留所から35人の女性を連れだし、1944年3月1日、将校用の慰安所を開設した。岡田は、希望者を慰安婦にしたのであって強制連行したのではないと裁判において主張しています。。

 しかし、裁判記録によれば、女性たちは「強制連行だった」と証言し、ある抑留所では、リーダーが抵抗して徴集を断念した事例が挙げられてもいます。また、自殺した大久保大佐が、岡田には「若干、強引な言動があった」と遺書に書き記しているのも決定的です。

 岡田は、州庁の杜撰な希望名簿を信じて「手違い」が生じたのを、独断先行による「強引な言動」で埋め合わせたのかも知れない。しかし、オランダ人慰安婦たちが戦後、対日協力者のレッテルを張られるのを恐れて告発に回ったとも考えられます。

 なお、この裁判は杜撰な点も多く、例えば、その「強制連行」があったとされる期間、東京に出張して不在だった池田省三大佐は、シオウテンという名の検察官らに拷問を加えられて発狂させられたあげく起訴されて、「懲役15年」の判決を受けている。この戦犯裁判は敗者に対する報復裁判の色合いが濃いと言えましょう。

 この慰安所はわずか2ヶ月後、第16軍当局の命令で閉鎖となっています。この理由を、94年のオランダ政府報告書は、

「娘を取られた抑留所の親が視察に来た陸軍省の大佐に直訴したため」

と説明しています。しかし、当時第16軍当局で勤務していた鈴木博史大尉は、

「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞きこみ、山本第16軍参謀長へ伝えると、山本は『まずい、すぐ止めさせろ』と怒り、翌日に閉鎖命令が出た」

と回想しています。どちらにしても、すでに裁判は終結しており、関係者は処罰されています。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4069300.html

オランダの軍事裁判の報告を調査した吉見義明によれば、

当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。)

複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。


3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。

しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。)しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。

終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。また、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された)。


としている。

一方、オランダ人女性の強力な抵抗により若い女性が連行されることを防いだ抑留所(スモウォノ・バンコン・ランペルサリ)もあった。年上の女性たちが志願することで、若い女性が助かった事例もあった。また、以前に日本人と関係があった「道徳観念に乏しい」女性達のリストを作り若い女性の身代わりとさせたケース等もあり、これらの身代わりとなった女性は「志願者」と呼ばれた(この件では戦犯裁判で無罪)。

1994年のオランダ政府の報告書では、インドネシア各地の慰安所で働いていた200〜300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に(most certainly)強制売春の犠牲者だったとされている。

1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動が始まった。これに対し日本政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」を「終了」した。

しかし2007年、オランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」[9]と述べ、日本側の償い事業の継続を求めた。

また同2007年、米国議会での慰安婦聴聞会にこの事件の被害者・証人としてたったジャン・ラフ・オハーンは、 当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、

「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。 彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」

「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」

と証言し、

「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張。

「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。

「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けるとした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6


オランダ人慰安婦
http://www.youtube.com/watch?v=FA84tRAG-i0
http://www.youtube.com/watch?v=Bm-QIRhtq-M
http://www.youtube.com/watch?v=EOTNQfS23zY

ネトウヨはいつも「慰安婦はただの朝鮮人の売春婦だったDEATH〜〜www」なんて言ってますが、皆さんは韓国だけでなく台湾でも対日非難決議が採択されたことを知って­ます?

台湾だけでなく中国もフィリピンも東南アジア諸国もオランダも欧米諸国もみんな日本の従軍慰安婦問題を非難しています。なぜならこれらの諸国の女性たちも日本軍性奴隷にさ­れてしまったのが事実なのですから。この時点で既にネトウヨの言う「日本軍慰安婦=朝鮮の妓生」論は破綻していますね。

良識派の皆さんや韓国の皆さんも、さも韓国人女性だけが日本軍慰安婦にされていたかのような誤解を与える言及の仕方をするのは色々な意味でやめましょう。

しかしながら、この期に及んでも都合の悪いことは見えないふり、聞こえないふりしてスルーするのが毎度お馴染みのネトウヨ・クオリティ。それなのに「俺たちは歴史の真実を­知っているDEATH〜〜〜wwwww」とかぬかすのは全く片腹痛いですね。ネットで幅を利かせる「Japanese nationalism」がいかに病理に満ちているのかがわかるようですね。

こういうネトウヨみたいなのがいつまでも日本でデカい顔してのさばっているから中国や韓国が反日をやめようとしないのがわからないのかなあ。今後、もし台湾や東南アジア諸­国までもが忘れかけていた反日感情をまた思い出したりしたらネトウヨや右翼言論人のせいだな。

以下、ネトウヨがどうしても直視できない現実についてのリンクをいくつか紹介。都合の悪い相手を「在日」と思い込まなければ正気を保てない人たちにはあまりにも残酷な現実­でしょうね。

台湾、慰安婦で日本に謝罪要求 - 立法院が決議
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111101000463.html

憲兵が連行、売春強制 - 慰安婦でオランダ新史料
http://www.47news.jp/CN/200705/CN2007051101000223.html

各国の対日「慰安婦」決議
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-09.htm

ネット右翼の妄言録
http://www.geocities.jp/ondorion/now/mougen.html

ネットウヨのガセビアを指摘するスレ その5
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1172996871/

ネトウヨがよくばら撒いている嫌韓コピペのデタラメを指摘。「在日の生活保護がどうたら」とか「日本統治時代の朝鮮の人口がどうたら」とか「ごくごく一部の抵抗はあったが­上から下までみんな日本に憧れ、日本人になろうとしたのだ〜」とか。
http://www.geocities.jp/ponnitisuki/copipe.html

ちなみにネトウヨの南京大虐殺否定論がどれほどインチキなのかを検証してくれるサイトはこちら。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10053587358.html


【ネトウヨ涙目】もはや誤魔化せない従軍慰安婦問題の真実
http://www.youtube.com/watch?v=f3YMripanwI


92. 2012年9月29日 12:13:13 : HNPlrBDYLM

事態がこうなってしまったらもうこれ位はやらないと、日本はアジアから抹殺されるね:


1.昭和天皇の墓を暴いて、遺体を火炙りにする。

2.天皇制を廃絶

3.皇室財産をすべて没収してアジアの被害者に分配


93. 2012年9月30日 22:11:48 : BnZEbGDBC6

中川隆は 慰安婦捏造に躍起な在日団体や韓国団体から金をもらって工作コメントをしているようです♪


容量が無駄なので朝日新聞同様書き込み規制すべきではないでしょうか?


94. 2012年10月04日 16:14:59 : ENeexxnZrs
民潭の同士のみなさん活動ごくろうさまです。この調子で日本をもっと貶めましょう。証拠はなくても大丈夫。あったことは事実なんです。証拠はいらない。
生意気な日本人を懲らしめるのは、みなさんの義務です。
在日帰化組の国会議員の先生達も頑張っています。朝鮮系の企業も日本転覆に尽力してくれています。
日本のマスコミも朝鮮企業電通のコントロールで思うがままです。
パチンコ屋がCMやめるぞ!と脅すだけでテレビ局は震え上がります。
このチャンスを生かして、日本を衰退させましょう。
テレビのコメンテーターもこっち側の在日多数で間抜けな日本人を、洗脳できます。在日同胞の地道な努力がやっと実を結ぶ時がきました。

95. 中川隆 2012年10月14日 03:02:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

東ティモールにおける日本軍性奴隷制


 四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。

■証言

 1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。

日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。 

◇エスメラルダ・ボエさんの話

 ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。

 それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。

 性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。

 東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。

 午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ

 私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。

 兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。

 私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。

 日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。

 兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。

 心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)

◇マルタ・アボ・ベレさんの話

 エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。

 私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。

 昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。

 あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。

私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。

 あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。

 もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。

 私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。

 あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。

 仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)

【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】

 ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて

「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」

と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)

 ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。


◇エルメネジルド・ベロさんの話

 日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。

 日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。

 ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。

 慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。

中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。

 私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。

 ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。

 日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)

【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】


◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話

 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。

 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。

その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。

私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、

「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」

と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)


◇リム・ファ・ニエさんの話

 私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。

母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは

「しばらくすれば使いものになるだろう」

と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。

 慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。

 賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。

 その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。

 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)

◇ガブリエル・ラランジェラさんの話

 私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。

一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。

 日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。

 慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


96. 2012年10月15日 00:38:50 : HEGvSbNv7g
河野談話は、韓国がこの件で二度と騒がないからと裏で約束して発表。
そして約束をまんまと反古にされた良い例でしょ。

もう日本の政治家は朝鮮に対して甘い顔するな。あいつらはつけあがるだけだよ。


97. 2012年10月28日 09:44:01 : LoIam2IfnQ
伝聞とこじつけの結論ありきの内容に終始。ひきこもりの妄想みたい。

98. 2012年11月20日 11:56:54 : KYzIJPQNgQ
東ティモールの住民の証言なんて当てになりません。

日本人は、左翼に騙されないように。

東ティモールは、ポルトガルの植民地解放政策後、即時独立を唱え、旧ソ連やキューバから軍事的支援を受け、「東ティモール独立戦線」が1975年に東ティモール民主共和国の独立を宣言。東ティモール独立戦線は、社会主義インターナショナルに加盟している。

左翼は、日本を貶め、国民に罪悪感を与え、その隙をねらって侵略しようとする売国奴である。

天皇に関する売春あっせん容疑とか、明治天皇すり替え問題とか、物的証拠に頼らず伝聞もしくは言語証拠による中傷は、南京大虐殺一つとっても明らか。

だいたい戦争時において、強姦などを行うと地元住民を敵に回し、ゲリラに手を貸して、自ら墓穴を掘るので、日本軍は軍規に関して厳しかった。

その証拠に、従軍慰安婦をわざわざ日本や朝鮮などで高い金を払って公募し、現地に連れて行った。

もし強制連行による現地調達で足りるならば、公務員の5倍の給料を払ってわざわざ船に乗せて連れてくるわけがない。

この手の証言が、共産主義国や、共産主義者に言論を牛耳られている韓国に限られるのはなぜか。

従軍慰安婦問題は、共産主義者による侵略工作の一種だ。


99. 2012年11月20日 12:13:50 : KYzIJPQNgQ
朝鮮における従軍慰安婦に関しては、韓国人の学者が3人調査の結果、軍による強制連行の証拠はないと判明した。
http://www.youtube.com/watch?v=xLh--sK1ago

台湾人も従軍慰安婦はすべて志願であった証言。
http://www.youtube.com/watch?v=zqFjU1BAJBU


100. 中川隆 2012年12月03日 20:14:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


>台湾人も従軍慰安婦はすべて志願であった証言。

志願したのは看護婦だったんだけどwww


台湾の元「従軍慰安婦」被害者証言
「看護婦に」とだまし連行

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 「慰安婦は“性奴隷”ではなく、公娼(こうしょう)である」―。自民、民主両党の「靖国」派国会議員が米紙(六月十四日付)に掲載した全面広告の一節です。自らの意思で行ったかのように史実を偽り、強制はなかったと主張しています。旧日本軍の「従軍慰安婦」被害者たちは戦後六十二年をへて、今度は戦争を知らない国会議員らによって、再び傷つけられています。(本吉真希)

 戦前、日本の植民地下にあった台湾から阿媽(あま=おばあさん)六人が来日し、六月二十八日、東京都内で証言しました。

 養母と茶摘みをして生計を立てていた盧満妹さん(80)は、「十七歳のとき、看護婦にならないかとだまされて中国の海南島へ連れて行かれた」。台湾より給料がいいともいわれました。

 盧さんは日本兵の相手をさせられ、妊娠。八カ月の身重になるまで解放されませんでした。台湾に帰り、男の子を出産しましたが、マラリアにかかり、三十八日目に子どもは亡くなりました。

 「十七歳だった私が本当に自分の意思で行ったのでしょうか」と盧さんは訴えます。

 日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。

 ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。

 翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。

 陳樺さん(82)はフィリピンで看護助手を募集しているといわれました。「ナカムラ」という日本人が養父に出国の同意を執拗(しつよう)に迫りました。養父が断ると、「多くの看護婦が死を恐れずに戦地に赴いた。陳家も国のため、兵士のため、何かすべきだ」と繰り返しました。養父は同意せざるを得なくなりました。

 フィリピンのセブ島に着き、「慰安婦」として来たことを初めて聞きました。「(連行された大きな建物が)慰安所とわかり、一緒に来た子たちと泣いた」といいます。

 黄呉秀妹さん(89)は四〇年から約一年、中国広東省で被害を受けました。「具合が悪くても拒否すれば刀を取り出し、脅迫した。私は子どもを産めない体になった。いまも体がボロボロです。安倍首相は私たちの悲劇をご存じでしょうか。日本政府に謝罪してほしい」

 「慰安婦」被害者の証言は参加者に衝撃を与えました。初めて証言を聞いたという大学四年生の女性は「そのまま無視してはいけないと思った」と感想を語りました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-05/2007070514_01_0.html

日本軍が1931年から1945年の第二次大戦中に占領地や植民地で女性を性の奴隷として扱ってきた、いわゆる「従軍慰安婦問題」は、この10年の間に世界各国で取り上げられるようになった。1991年より、韓国、フィリピン、オランダ等の被害者が次々と名乗り出て、日本政府に対し謝罪と賠償を求め、日本で裁判を起こすようになったのである。今年7月中旬には、台湾の元慰安婦も裁判を起こし、11月2日に東京地方裁判所で審理開始のはこびとなった。

「他の国と比べて、台湾の行動開始は確かにやや遅れました」と王清峰弁護士は認める。その主な原因は、日本人によって当時の資料が隠滅されてしまっていたことにある。「韓国と比べて、台湾の元慰安婦たちは自分の経験を語りたがりません」と言うのは、中央研究院中山人文社会科学研究所の朱徳蘭さんだ。台湾植民地史におけるこの悲惨な経験は、未だにきちんとした解明や整理がなされていないと彼女は指摘する。

1985年に国史館から出版された『日本在華暴行録』には、日本軍が中国東北地方や上海、雲南などで慰安所を設置し、朝鮮半島や中国の女性を無理矢理連れて来て慰安婦とした事実が1章にわたって述べられている。だがそこには「台湾の売春業者」が関与したことが触れられるにとどまり、詳しい事情については述べられていなかった。

台湾人慰安婦問題の本格的な浮上は90年代まで待たねばならなかった。1991年8月、韓国の金学順さんが、「第二次大戦中に日本軍によって慰安婦にさせられた」と名乗り出て、それが日本政府の言うような「自ら志願して」といったものではなく、強制的かつ計画的に徴用されたのだと訴えた。金学順さんの突きつけた証拠は明白なもので、それまで韓国の元慰安婦に対して「賠償、謝罪の必要なし」「記念碑は建てない」と繰り返してきた日本政府に、大きな一撃を加えることとなった。国際的な世論が高まる中、韓国と同じく植民地であった台湾にも同様の事実があったのではないかと、注意の目が向けられるようになったのである。

1992年2月、日本の伊東秀子国会議員が防衛庁図書館で、台湾で慰安婦を募集する電報3通を発見し、これが台湾人慰安婦の歴史的事実究明の発端となった。その後、台湾の女性団体「婦女救援基金会」が慰安婦問題についてのホットラインを設置し、調査に乗り出した。その結果、7年間で計400本以上の電話が寄せられ、自ら名乗り出た被害者は、今も健在のケースで41件に上るという。

20世紀の終末を迎えたアジア各国では、第二次世界大戦に対する反省をめぐり、「歴史の生き証人」が名乗り出るというケースがよく見られる。彼らの証言が歴史研究を進めたり、時には従来の歴史的叙述を覆すこともあった。慰安婦問題がちょうどそれに当たる。

今日歴史学者たちが用いる「慰安婦」という呼称は、その上に「従軍」とつけて呼ばれるのが一般で、軍隊とともに移動した「従軍公娼」という意味である。台湾大学で歴史を研究する李国生さんの論文「戦争と台湾人」によれば、この制度ができたのは1932年の上海事変の後で、当時の日本兵が上海のあちこちで女性にみだらな行為に及ぶのを見かねた日本軍の岡村寧次参謀長が、兵士の性的欲求を解決するため「慰安所」を軍に設置するよう命じたのだという。慰安所が最初に集めたのは、日本の売春婦や酌婦たちであった。

当時植民地であった朝鮮や台湾の女性を慰安婦として強制的に徴集し始めたのはいつからなのか、その解明は今後の研究を待たねばならない。が、中央研究院の朱徳蘭さんの推定では、1942年の真珠湾攻撃の後、台湾が本格的に第二次大戦の戦火に巻き込まれるようになった頃が、ちょうど台湾人慰安婦が大量に徴集され始めた時期であろうという。

「高雄に着いた時には、すでに夜が明けていました。そこで沖縄から来た10名余りの女性と合流し、船に1週間ほど揺られ、どこかに上陸した後、またトラックに載せられました。そして到着したのは、椰子の木で作られた大きな建物で、一人に一部屋あてがわれました。来る前に聞かされていた『軍の売店で働く』という話は全くの嘘だったと、そこで知ったのです」(婦女救援基金会による調査・ケースA)

「あそこで私たちは、毎回目をじっと閉じて耐えていました。兵隊と恋愛するなどということはありません。ベテラン慰安婦に『あんたたちは軍の慰問に来たのだから、軍人さんをお慰めして、お国に奉仕しなくてはいけない』と言い聞かされました。同情してくれる日本兵もいましたが、私たちを打つ人もいて、恐ろしい思いをしました」(婦女救援基金会による調査・ケースB)

「日本兵には悪い人がいて、まるでアリをひねりつぶすかのように平気で人を殴るのです。私たちは鍋に放り込まれた魚も同じで、煮るなり焼くなり彼らの思いのままでした。ある日、一人の日本人に『こんにちは』と挨拶すると、いきなり叩かれました。その人は酔っていたのです。急いで部屋に逃げ込んで鍵を掛けると、外から突き刺された刀の刃が戸板からにゅっと出て来て、慌ててもう一方の出口から逃げて便所に隠れました。それでも後で慰安所の主人に、その日本兵に謝るよう言われました。その時以来、叩かれた私の片耳は聞こえません」(婦女救援基金会による調査・ケースC)

台北市婦女救援基金会の調査によれば、当時、台湾人慰安婦が軍人への「慰安」の仕事をさせられたのは、1日に3回から20数回と開きがあるが、最高で1日60回というケースもあった。病気になっても生理でも、たとえ妊娠中や産後でも休ませてもらえず、多くの女性が刃の脅しの下に強要されたのである。

慰安婦に徴集された時の年齢は、16歳から25歳前後に集中しており、最小年齢が14歳、最高が40歳となっている。多くは家が貧しく、学校教育も受けていなかった。料亭や酒場、旅館で芸者などとして働いたり、レストランの女給をしたことのある人も多くいたが、それでも3分の1は家事や農作業に従事している人たちだった。

ほとんどの人は、性的奉仕をするために海外へ行くのだとは事前に知らされていなかった。「徴集の際に伝えられた仕事の内容は、食堂で料理を運んだり酌をする、或いは兵隊のために洗濯や料理をする、芝居を演じたり、看護をする、といったものだった」と、婦女救援基金会でケースワーカーを務める江美芬さんは、レポートの中で述べている。

また、李国生さんは「慰安婦は、日本軍が第二次大戦中にアジアに残した醜い歴史の傷痕であり、中国大陸から海南島、香港、フィリピン、インドネシア、ビルマ、沖縄、朝鮮半島、台湾など、およそ日本軍の駐留した所には全て慰安婦がいた」と指摘する。

太平洋戦争で日本が海外へと送り出した部隊は総勢350万人にも及ぶ。それに伴って、中国、台湾、朝鮮半島から女性たちが強制的に徴集されて行ったのである。朱徳蘭さんらの推計によれば、強制的に慰安婦にされた人の数は、朝鮮半島で10数万人、日本人が2万人、台湾からは少なくとも1200人、そして中国大陸からは20万人を超えるだろうという。

戦力増強が目的で、他国から一般の女性を集めてきて強制的に従軍売春婦にする。これは、日本が戦争のために国家の力で、弱者である女性を虐げたことにほかならず、だからこそ非難されるべきなのである。「これは国家というメカニズムを通して、強姦を合法化かつ制度化したものだ」と李国生さんは論文で述べている。「こんなことをした国は、歴史上おそらく他に例がないでしょう」と言うのは、朱徳蘭さんだ。更に非難されるべきなのは、日本政府が未だに心から過ちを認めていないことだと、朱さんは指摘する。

日本の学者や政治家の中には、「90年代になって次々と発表された元慰安婦の証言、例えば『強制徴集だった』などというのは根も葉もない作り話だ」と考えている人が今でもいると、朱徳蘭さんは言う。例えば「慰安婦は性的奴隷などではなく、民間の斡旋業者によって戦地に連れて行かれた売春婦だった。韓国では、斡旋業者のほとんどは韓国人だった」とか「戦時中の日本軍による暴行などはでっちあげだ」と、かつて東京大学の藤岡信勝教授も述べている。

このような発言に対し、アジア各地の女性団体は一生懸命闘ってきた。1992年からは、韓国、フィリピン、日本、台湾等の女性団体が協力し、アジア各国の元慰安婦を結集して「慰安婦問題アジア連帯会議」を行ってきた。すでに5回を数えるが、毎回元慰安婦が名乗り出ている。「ほとんどの人が乗せられたのは軍艦で、慰安所の建物は軍からの提供、管理方法も軍が決め、病気の時は軍医が診る。斡旋をした業者も、慰安所管理者であるママさんも、みな日本軍と深い関係がありました」と言う、婦女救援基金会事務局長の何碧珍さんは、各国の元慰安婦の証言を集めた上で、日本政府の「慰安婦は民間業者による経営の売春だった」とする見解に強く反論する。

少数ながら日本にも戦争責任を追及する良心的な学者がいる。彼らは各国に先んじて研究成果を発表し、日本政府に異議を唱えてきた。1992年には中央大学の歴史学者である吉見義明教授が、第二次大戦時の慰安婦徴集と渡航に関する軍の文書を公開し、日本軍が関与していた事実を示した。この指摘により日本政府は、軍による慰安所設置関与の事実を認めざるを得なくなったのである。93年には当時内閣官房長官であった河野洋平氏が慰安婦問題についての談話を発表すると同時に被害者に対し謝意を表し、続く94年にも、首相であった村山富市氏が被害者に対し口頭でお詫びを述べるにいたった。これらはいずれも日本政府がやむを得ず行った善意の表明なのである。

ただし、善意は善意でしかない。台湾籍元日本兵の問題と同様に、補償問題については日本政府は譲らず、日本外務省の見解では、戦後補償問題はすでにサンフランシスコ条約で解決済みであるとして、「民間から募金する」という形でのみ補償を行いたいとするにとどまっている。「つまり政府は表に立ちたくないということです」と婦女救援基金会の何碧珍さんは言う。

この日本政府の態度を「過ちを認めないに等しい」と捉えた台湾の元慰安婦たちは、考えた末に今年7月、東京地方裁判所に訴えて出ることにしたのである。

一方、台湾でも慰安婦についての研究は進められている。今年7月中旬、中央研究院の朱徳蘭教授が発表した「台湾拓殖株式会社に関する記録」も、慰安婦史料を整理した成果の一例と言える。

台湾拓殖株式会社(以下「台拓」とする)というのは、日本が当時の南下政策の下に作った官民合弁の企業だった。朱徳蘭さんの調査によれば、1939年、日本軍が海南島上陸を果たした後、台湾総督府の命令を受けて台拓は海南島の開発を任せられる。その業務はあらゆる方面に及んだが、特に初期は占領軍の事務所や食堂、宿舎、そして海軍慰安所などの建設に携わった。

朱徳蘭教授の調査によって、海南島で日本政府は慰安所建設を行っただけでなく、慰安所の経営にまで介入していたことが明らかになった。それによれば、1939年台湾総督府調査課の木原課長が台拓の高山理事に委託して芸者や売春婦90名を海南島に派遣させ、同時に営業資金として3万円を融資していたことがわかる。ただし「台拓が業者に直接資金を提供するのは『いろいろ宜しくないと思われる』として、福大公司を通して進めることはできないものかと問い合わせています」と、朱徳蘭さんは記録を引用する。

「福大公司というのは、台拓が中国大陸福建で開発を行なうための会社でした」と朱さんは説明する。そして、今回公開された資料の付録の中には、福大公司の株主名簿と株主総会出席者の記録が含まれているが、その中には、意外にも今日の台湾政財界で活躍する辜顕栄氏や林熊徴氏、陳啓峰氏などの一族や、基隆の名士である顔欽賢氏の一族の名が見られるのである。これらファミリーが所有した株は少ないものであったとは言え、資料発表当時はマスコミによって「慰安所投資、四大ファミリーが株主」と大きく取り上げられた。

しかし「四大ファミリーが福大公司の株主だった」というのは、今日でも一般の人が株を買い、ある会社の株主になるのと同じことで、これによって彼らが戦時政策に荷担していたとするのは歴史的に見て公平ではないと、ある歴史研究者は指摘する。朱徳蘭さんも、現在発見されている資料からは四大ファミリーが慰安所経営に直接関与していたとする証拠は見つかっていないと学術的立場から説明する。ただし朱さんは「四大ファミリーが戦争協力者であったことは疑いの余地がありません」と言い、これら富豪が植民政権下で微妙な役割を担っていたことがうかがえる。

こうした歴史的研究だけでなく、台湾人元慰安婦についての究明は、女性の権利にとっても意義深い。

慰安婦として経験は、被害者にとって終世癒し難い心身の傷となって残った。婦女救援基金会のケースワーカーである江美芬さんによれば、慰安婦として働かされた人の多くは、男たちによる蹂躪にさらされただけでなく、戦時中は飢えや凍え、命からがらの引き上げ等を経験し、帰国してみれば家族は離散、前途も絶たれているという辛苦をなめてきたのである。先住民の中には海外へと遣られることのなかった人たちもいたが、故郷で性的奉仕を強要されたことにより周囲の人々に知られ、更に辛い思いをしたと言える。「今まで生きてこられた人はみな生命力の強いおばあさんたちばかりですよ」と江美芬さんは言う。

「台湾に戻ってからは夜眠れず、よく居間でタバコを何本も吸い続けていると、母に『馬鹿な子だよ。そんなに深く考えるものじゃない』と言われて、涙がぽろぽろこぼれました。母は『泣いていても仕方がない。過去のことはみな過ぎ去ったのだから』と言ってくれましたが、それでも涙は止まりません。悲しかったのは、きれいだった自分の肉体が人に踏みにじられ、まるで道端の雑草のように価値のないものになってしまったことでした。全ては終わったと思いました」(婦女救援基金会による調査・ケースD)

ほとんどの人は慰安婦としての経験により健康を害し、戦後も苦しんできた。婦女救援基金会の調査によると、慰安所での粗末な食事から胃病を患ったり、日本兵に殴られて難聴になったり、脊椎の痛みに苦しんでいる人もいる。更に多くの人が卵巣や子宮に異常が見られ、約6割の人が不妊症になった。「彼女たちの生活は孤独、老い、貧困、病という言葉そのものです」と王清峰さんはたとえる。

更に痛ましいのは、慰安婦の経験が彼女たちの心に与えた傷であろう。何碧珍さんによれば、相談に来たばかり頃の彼女たちには、性的犯罪の被害者と同じように「自己非難」の心的態度が見られた。多くの元慰安婦たちが子供を産めないことや男性を嫌いになったことで一生独身でいることを決意し、また結婚したり同棲したりしていても家庭生活が幸せだとは言い難い、と江美芬さんも指摘する。数十年にわたり秘密を胸に抱え続け、他の人に自分の過去を知られたのではと常にびくびくして暮らしている。「彼女たちの心に負担をかけているのは、自分は『けがれている』とか『商売女』というような伝統的な固定観念です」と、江美芬さんは内在化された傷の深さを説明する。

また、王清峰弁護士は次のように語る。これまで我々は、おおよそ戦争というものには殺戮や強奪、強姦、放火といったことがつきものだと考えてきた。これを当然とする態度こそが、慰安婦のような悲劇を繰り返すことになるのだと。

王弁護士によれば、慰安婦問題の摘発はもちろん日本軍の非理性的行為を浮き彫りにできるが、更に重要なのは、このような非理性的な行為は戦争にはつきものだという考えを無くすことだという。「こういった悲劇は今後も起こり得るのです。最近のユーゴスラビアやルワンダでの内戦、インドネシアでの華人に対する暴動など、すべて女性が巻き添えになってきました」というのだ。

各国の女性団体の努力により、国連人権委員会はすでに、日本軍の慰安婦を一種の「軍隊の性的奴隷」と認め、人権を侵しているうえに、婦女子の人身売買を禁じる国際法にも違反した戦争犯罪だとして、被害者への国家賠償を日本に要求した。日本政府は未だに明確な回答を避けているものの、「昨年ローマで国際刑事法が可決され、一般の人々の性的虐待も戦争犯罪になることが示されました。慰安婦問題の摘発が国際的にも女性の権利にとってプラスに働いたことは明らかです」と王清峰さんは語る。

50年も沈黙を守ってきたおばあさんたちにとって、つらい過去と再び向き合うことは確かに勇気の要ることだった。が、「一回また一回と集まりを重ねるごとに、自分たちの不幸な運命を嘆くだけだったのが、徐々に家族や友人に話すまでに態度が変わっていきました。タバコを片手に涙にくれる状態だったのが、皆で歌を楽しむまでになったのです」と言う何碧珍さんは、彼女たちの変化を見て社会的支援の力というものをつくづく感じた。「彼女たちは、このような目に遭ったのは自分のせいだとはもう思っていません。あの出来事を恥じるべきなのは自分たちではないということを徐々に理解したのです」と何さんは語る。
http://www.sino.gov.tw/jp/show_issue.php?id=200018901120J.TXT&table=4&cur_page=1&distype=text

慰安婦の台湾からの徴集ですが、台湾の場合は朝鮮と重なる部分と、台湾独自の特徴があります。

 一つには、盧満妹(ル・マンメイ)さんや黄阿桃(ホァン・アタオ)さんのように看護婦の仕事とか炊事の仕事だと言われたり、蘇寅嬌(スゥ・インジャオ)さんのように働き口があるとか、高賓珠(ガオ・バァオチ)さんのように日本軍に奉仕活動をすると言われたなど、朝鮮からの連行と同様、詐欺的連行が多く見られます。この場合もやはり、貧困層の女性がターゲットにされています。また、李淳(リ・チュン)さんのように区役所の仕事に応募して慰安所に連行されたといった役場が関与したケースや、鄭陳桃(タン・チェンタオ)さんのように警察に学校に行く途中で連行された拉致的な連行もありました。

 台湾においてもやはり満21歳未満の未成年の女性の連行が多かったのですが、イワル・タナハさんのように13歳という若年で連行された女性もいます。イワル・タナハさんやイアン・アパイさん、トヨ・カゲさんなど原住民族の女性の場合、巡査に部隊の作業だと集められ、その後「慰安婦」にされたケースが複数見られます。漢民族の女性は国外に移送されたケースが多く、現住民族の女性の場合、日本軍の部隊の作業だと言われて地元の部隊で「慰安婦」にされたのも特徴の一つです。


 1920年代、台湾総督府は日本人の海外における経済力を高めることを目的として、海外渡航管理の簡略化を打ち出し、日本人および台湾人が中国大陸および南方で経済活動を行なうことを奨励した。日中戦争勃発前後、台湾総督府には武官を専任するようになった。こうした武官たちは積極的に南進政策を推進し、日本軍占領地の治安維持および経済建設に協力していった。そのため、海外渡航管理のさらなる簡略化が進められ、それに伴い多くの日本人および台湾人が日本軍占領地へと赴き、現地の産業経済活動に参加した。台湾における花柳界も、こうした時代背景により華南地区への市場拡大に乗り出した。こうした動きと並行して、日本軍は軍人の現地婦女への強姦、性病の蔓延、情報漏れを防止し士気を高める等を目的に、軍人および軍関係者専用の「慰安所」を設置していった。

 こうして生まれ出た「慰安所」の建設過程について述べれば、日本軍政統治下における常設型慰安所の場合、土地の選定、建設費用の準備、建築材料の運輸、建築設備についての交渉とその設立までには時間がかかり、急を要する日本軍の需要の多さに追いつけるものではなかった。そのため台湾島内外での「慰安所」では、建物には「慰安所」と掲げていても、民衆が想像する設備の整った娯楽場所ではなく、料理店、強制的に立ち退かせた当地民衆の自宅、洞穴などを、軍人の性的欲求を満たす「慰安所」として利用したものであった。各地に設置された慰安所は外見や使用目的が多用であり、合法化されていた娼妓業のように営業地区および営業目的を限定したものではなく、いわば日本軍がいつでもどこでも利用できる私娼館的な存在であった。

 また、日本軍占領地区では、統括的な行政機構による治安維持が有効的に施行されておらず、行政権濫用防止の点から、各軍隊ごとに占領地区の治安を維持する必要に迫られていた。そのため、「慰安所」の規定も各部隊ごとに自由に制定され、慰安所ごとに違ったものとなっている。ただし、ここで特記すべきは、こうした慰安所の規定とは使用者である軍人および軍関係者を保護するものであり、従業員としての慰安婦たちの基本的人権は無視されていた。
(108〜109ページ。強調は引用者、以下同じ。)

日中戦争の戦局の拡大に伴い、日本政府が投入する兵力、労働力、物資は日に日に増加し、軍事費用も膨大なものとなっていったため、各方面で物資の供給が追いつかず日本全土だけでなく植民地からも労働力をかり出さざるをえない状況となった。台湾総督府の代理として福建の日本軍占領地区で国策を進めていた福大公司は台拓の投資により設立された企業であり、福建の経済活動を統制するという特殊任務を担っていた。福大はその幅広い存分に使いこなし軍部や官僚の信頼と支持を得て特殊事業の経営を独占し、慰安所事業へも積極的に参与していった。

 ここで特記すべきことは、福大が提供した営業資本は福建、広東での慰安所解説を任された日本人業者へ渡っており、ここで慰安所建設を行っていた業者は本業が花柳業でない人物であり、台湾での戸籍内にも慰安婦の対象となるような若い女性は寄留が記載されていないことである。こうした業者は日本軍占領地区で営業活動を行っていることから、日本軍や現地当局および台湾総督府からの支援を頼りしていたと考えられる。しかし、戦時中は慰安所事業を取り締まる法令そのものが存在しなかった。にもかかわらず、日本軍および日本政府が業者に協力を呼びかけ、国策会社およびその投資会社が資金を提供し、民間業者名義で各種手段を使って慰安婦募集を行うという・・・組織的な協力体制がとられた。こうした国家権力が中心となった分業体制がなければ、日本軍占領地区で民間業者が迅速に大量に慰安所を開設することは不可能だったのである。
(168〜169ページ)

 日本外務省所蔵の統計資料によると、1938年11月から1939年12月までの約1年間に中国大陸の戦場へ渡った台湾人慰安婦は385名である。この1年間の数字から日中戦争および太平洋戦争中に慰安婦となった台湾人女性の数を推算してみると約数千名いたであろうと思われる*2。台湾元慰安婦についてのこれまでの研究は、資料が意図的に破棄されており、さらに被害者である元慰安婦の多くがすでに他界している、もしくは健康的に優れない、過去を正視しにくい、家族に知られたくない、社会的な偏見などの理由からあまり成果が出ていないのが現状である。台湾で「慰安婦」問題を重視し支持するようになったのは、1992年2月に吉見義明中央大学教授および伊東秀子衆議院議員が防衛庁研究所の図書館で軍部が「台湾土人」慰安婦をボルネオへ派遣するよう求めた関係文書を発見したことを契機に、その後「台北市婦女救援基金会」(以下、婦援会と略記)による申請ダイヤルが開設されたことに始まる。同年3月には台湾外交部が「台籍慰安婦専案小組(班)」を設立させ、婦援会に元慰安婦の調査と確認作業を委託した。婦援会は申請ダイヤルによって元慰安婦であったことを告白した約90名余りから一部の病死者と個人的理由により申請を放棄した人を除いた68名の台湾人漢族女性を訪問し、そのうちの48名を元慰安婦と認定した。婦援会が直接訪問した中には17名の原住民も含まれており、そのうちの12名が元慰安婦であったと確認された。
(207〜208ページ)

 まずは台湾女性が慰安婦となった過程であるが、その背景として外的要因 (push)、人的要因 (pull)、組織化された募集体制の3つがあげられよう。

 第1の外的要因だが、家庭的環境に恵まれていない貧困な生活を送っていた台湾女性は、その経済的理由から家計を助けるために収入を得ることが必要であり、海外での仕事をせざるをえない状況に追い込まれていた。第2に人的要因だが、斡旋業者は家計を助けるためにどうしても働かざるをえない貧しい家庭の女性達の願いを逆手に取り、簡単な仕事、高収入、短期就業を謳い文句として募集を行った。そして同郷出身者や友人、同僚などの人脈を利用することで相手に安心感や連帯感を与えた。社会的経験のない、簡単に他人を信用してしまう無垢な女性たちが、こうした慰安所営業者のわなにはまってしまったのである。3つ目の要素としては台湾総督府の責任があげられるであろう。・・・慰安所事業関係者は直接・間接的に官僚との親密な関係を築いた人物であり、台湾総督府もこうした慰安所や慰安婦の実例を知りながらそれを取り締まる法令を設定しなかった。そして、軍部、接客業者、斡旋業者、ときには現地の警察機構を連携させ、現地の家庭状況を充分把握したうえで、貧しい家庭で育った女性を誘い出すべく組織的に慰安婦を募集し、さらに正式な海外への渡航手続きを経ていない台湾女性の渡航を問う胸苦当局が黙視していた。このように日本軍の各占領地での慰安婦需要に対応するために台湾総督府が駆使した慰安婦業務への分担作業が、慰安婦事業の成否を分ける重要任務であったと思われる*3。

 次に台湾元慰安婦の傷跡についてまとめると、当時の爆撃による傷跡、過度の性行為による生殖能力の喪失、流産、子女の夭逝、性病予防のための薬による副作用、伝染病、酔ったり機嫌が悪い軍人から殴られたことなどを指摘できる。戦地から生還した彼女たちは、生殖機能を失ったことから婚姻の断念、日本軍人との間に生まれた私生子の養育や、過去を知られたことによる離婚などを経験している。彼女たちにとって慰安婦であったという過去は拭い去ることのできない汚点であり、家族や世間に露見し後ろ指を指されることを恐れ、自分の感情を押し殺し、交流をできるだけ控え、精神的な苦痛を生み出す要因となっている。
(234〜235ページ)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20081111/p1


101. 2012年12月04日 00:51:43 : Hh4TqK75Eo
どこの国の軍隊も昔から売春婦は付き物ですよ。
欧州などでも戦乱の時は兵隊の後ろに
その手の女性がゾロゾロ付いていったそうですよ。
良いか悪いかは別として
需要と供給の関係だから仕方がない。
日本兵だけが助平と言うわけでも無いでしょう。

ただ日本人は昔から衛生観念が強し
性病でも流行ったら作戦不能になるのも
避けるたに軍が関与したのは間違いない。

ヤリッパナシただ乗りの中国兵や朝鮮兵より
よっぽどましではないですか。


102. 2012年12月05日 09:22:19 : HNPlrBDYLM
>ヤリッパナシただ乗りの中国兵や朝鮮兵よりよっぽどましではないですか。


日本人は癇癪持ちが多いから慰安婦さんも大変だったんだよ:


性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた



103. 2012年12月18日 22:02:32 : THLMuGvr1U
>日本人は癇癪持ちが多いから慰安婦さんも大変だったんだよ:

それは何か証拠があるのかい?
慰安婦だったとかいう老女の嘘にまみれた証言以外で。


104. 中川隆 2012年12月21日 19:49:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

慰安婦に限らず、日本兵は言う事を聞かない生意気な女は股裂きにしてたんだよ:


中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の河南戦争前後で見たことだ。

中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。

Kさんが駐在していた山西省旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。
http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html

陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。

『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。
(中川註: もちろん昭和天皇直々の命令)

南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、股裂きをやったのは。

ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。

股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。

「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。これも酷すぎて卒倒するぜ。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html


105. 2012年12月25日 02:40:00 : gzCTSGAYhI
もう十数年も昔に書いた本人が捏造だと認めてるにも関わらず
未だにそれは真実だって言い張る奴はガチで頭に何か湧いてるのか?

捏造と認めた件については右翼やらヤクザやらに脅されてって言うけど、
右翼やヤクザを過大評価し過ぎ。
連中にそこまでの権力・影響力は無いから。
仮に本当に右翼が強大な権力を所持しており、それを行使して脅迫したのであれば、
『真実を書いても得しない』『私もプライドがあるからそのままに』なんて曖昧な表現でお茶を濁すだけで許されるわけなかろう。
『あれは全て捏造だった』『適当で出鱈目なモノを世に送り出してしまい本当に後悔している』
最低でもこれくらいは言わせられるよ。
ついでにそういう声明を出した数日後に首吊り死体で発見されるオマケ付きでな。

これだけ世間を騒がせた愚かな著作物を出しておきながら
トーキョー湾で水死体が上がったなんて話も出ずにのうのうと暮らしている、
それだけ日本は様々な意味で“平和”な国なんだよ。
右翼・ヤクザに脅されたから発言撤回なんてのは説得力が無さ過ぎるね。


106. 2012年12月25日 20:05:45 : HNPlrBDYLM

当時の 右翼 = 在日ヤクザ の恐ろしさを知らないからそんな暢気な事が言えるんだよ。実際に娘や奥さんを誘拐・拷問・殺害すると脅迫された人の恐怖が理解できないだけさ:


慰安婦強制連行を証言する吉田清治
http://www.youtube.com/watch?v=yBOJT-N0GWI


私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、

日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できない

と答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

吉田清治は、一時、右翼や旧軍人からの脅しやいやがらせで、知人宅に身を寄せたこともあったと言う。

「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。
デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」
http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html


___________

これは南京大虐殺や731部隊の人体実験を世に知らしめた本多勝一と全く同じ事情なのですね:

貧困なる精神 第23集 本多勝一
本多勝一はサングラスで顔を見せないことを右翼に批判されるが、堂々と出ていって殺されたほうがいいのか。
例えばこれまでの革命家で堂々と出ていって素手で立ちはだかった馬鹿がありますか。(略)武田信玄にしろ徳川家康にしろ伊達政宗にしろ、あらゆる方法で暗殺を防いでいるでしょう。

私の場合子供にまで脅迫が来ました。
それでもう引っ越しちゃったわけですが、引っ越してからは子供の名前まで合法的に変えた。
http://turq.air-nifty.com/weblog/2012/07/post-9ac9.html


本多勝一ってどんな人?

素顔を見せない元スター記者
サングラスにアデランスのカツラ。これが本多勝一(七十一歳)が人前に.出る
ときの姿である。もちろん写真を撮られる時も必ずこの姿だ。

別に、変装・仮装が趣味なわけではない。朝日新聞の記者時代、一九七一年から連載した『中国の旅』で南京大虐殺を取り上げた後、右翼の脅迫が相次ぎ、家族にも脅しの被害が及びそうになった。

以来、「(記者は)名前は知られても仕方がないけれど、素顔を知られてプラスになることなど全くない」と、本多は公の場ではカツラとサングラスで変装し、「素顔」をさらさないようになったといわれる。町中ですれ違っても「本多勝一」と気付く人はほとんどいないだろう。「変装姿」が「実像」より知られている、日本では数少ない人物なのである。

若い世代はその名前すら知らないだろうが、朝日新聞のスター記者だった本多の名と著作を知らないジャーナリストはいない。「本多さんに憧れてジャーナリストの道を選びました」と言い切る三十代後半から四十代の新聞記者・雑誌記者は多い。彼らは本多を「日本一のジャーナリスト」として憧れ、尊敬し、同じ職業を選んだのだ。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/446.html


なぜ「証言」しないのか ―「加害証言」を拒む土壌―
 
 「南京事件」の実態を調べる時大きな壁になるのが、「加害証言」を世に出す困難さです。この点は、多くの研究者が共通して語る「常識」なのですが、掲示板等ではこれを理解せず、明らかに事実に反する「タテマエ証言」だけをタテに「日本軍の軍紀は正しかった」と主張する方が存在します。

 このコンテンツでは、「加害証言を拒む土壌」をテーマに、各研究者の調査体験、また実名証言を行った方々に対する圧力について見ていきます。

 まずは、各研究者の記述から、「聞き取り調査」の困難さに触れた部分を紹介します。

笠原十九司氏 『南京虐殺の記憶と歴史学』より

 しかし、現実には大きな障害があるのは、前述した兵士に南京虐殺の記憶を語らせない旧日本軍の特質と構造が現在でも機能しているからである。

 私はこれまで、南京戦に従軍した兵士の陣中日記の実物を見たり、存在を確認したりしたことが何回かあったが、いずれも本人あるいは家族が、公刊すれば予想される戦友会、旧軍関係者、南京大虐殺否定論者さらには右翼団体等から、脅迫まがいの圧力や嫌がらせがあるのを恐れて、公開や出版に反対された。

 公刊した場合「面倒なことが起こる」「厄介なことになる」「騒がれることになる」「まわりに迷惑がおよぶ」という拒絶の理由が、日本社会に厳然として存在する南京虐殺の記憶を「忘却」させるための構造を物語っている。

 南京虐殺の記憶を公刊したり、証言した場合、部隊の「身内の恥」を世間に漏らした、部隊仲間の逸脱行為を「内部告発」したとして、旧軍兵士たちの精神的な共同体である戦友会から排除され、村八分的な制裁を受けることが、公開、公刊を拒絶させる最大の要因として厳存した。
(『現代歴史学と南京事件』P32)

秦郁彦氏 『南京事件(増補版)』より
 秦の経験では、将校は概して口が堅く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの状況を語ったり日記やメモを提供したりするのは、応召の兵士が多かった。その兵士たちも郷土の戦友会組織に属し、口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。

 一九三七年十二月十五、十六日に実施された難民区の便衣狩作戦(第九師団の戦闘詳報には「七千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」とある)を調査するため、実行に加わった金沢歩兵第七連隊の生存者に面談したときも、戦友会長経由だったせいか、なかなか率直な証言がとれず困った。
(同書 P281)

 


板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より
「歩兵第六十五聯隊 幕府山事件」より

 南京戦には限らないが、参戦者から情報を集める際に厚い壁を感じる「部隊」がある。その多くが、将校会や戦友会が「厚いカーテン」を下ろして情報を秘匿し、会員に圧力を加え、甚だしきは「妨害」をする。歩六五の場合がそうだという訳ではないが、筆者もその堅いガードには全く歯が立たず、平林貞治氏のように旧聯隊のスポークスマン的存在の人か、箝口令を憚りながら漏出する情報の断片を分析・総合せねばならなかった。
(『日中戦争の諸相』所収 P190)
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 そして、実際に実名で「加害証言」を行うとどういうことになるのか。二つの事例を紹介します。

1987年7月6日、京都府峰山町にて、元二十聯隊兵士3名(増田六助氏、東史郎氏、上羽武一郎氏)が共同記者会見を行い、それぞれ自分の陣中資料を提出しました。それに対する反応です。

「隠された聯隊史」より
 元二十聯隊関係兵士による記者会見は、大きな反響をまき起こした。
(中略)
 と同時に、記者会見にのぞんだ元兵士宅めがけて、奔流のようにいやがらせ電話、脅迫状が殺到した。電話番号はNTTに問い合わせたものだろう。脅迫状のあて先は「京都府丹後町」とだけあり、番地のないものが多かった。あらかじめ予想されてはいたが、それはすさまじいものであった。

 リ、リーン。受話器を取ると

「おんどれら、軍人恩給もろてるやろ。国に仇をなすようなことを、しくさって・・・恩給を国に返せ!」。

耳元にがんがんひびく大声で怒声をあびせ、五〜十分間をしゃべり続け、悪口雑言のかぎりをつくして一方的にがちゃんと電話を切る。名前をたずねても名乗らない。

 増田、東、上羽三氏宅の電話は、深夜まで鳴りっぱなしとなった。なかでも、膨大な手記・手紙類を公開した東史郎宅へ、

「おれは赤報隊のヤマザキや。首を洗うて待っとれ!」

など、口汚い脅迫電話は午前二時すぎまで続いた。赤報隊といえば、『朝日』支局襲撃事件で、犯行声明をマスコミに送りつけたことで知られる団体名である。七十台半ばの老夫婦は、まんじりともしないで一夜を明かした。

 増田六助氏宅には

「地元の報国同志社やけどな・・・全国の同志からようけ問い合わせが来とる。いったいどんな考えで記者会見なんかしたんや。聞かせてもらおか」

とドスの利いた声で右翼団体らしき団体名を名乗ってのいやがらせ。

「お前らみたいな兵隊ばっかしやから、日本は負けたんや・・・このアホめが」。
「七月二十八日(「平和のための京都の戦争展」開幕日)まで、身辺によう気ィつけておれ」

のおどしもあった。

 そしていやがらせ、脅迫の手紙。―

「あんた方は日本人ですか。それとも支那人(中共人)ですか・・・寝言をいっては極楽へ行ケマセンヨ。あんた方、日本人を売る売国奴の犬ですよ」(奈良・香芝町、大坪春香名)。

「としの70歳にもなって、もっと考えて死にぎわを迎えよ!!  バカヤロウ!! それでもお前は日本人か!! ・・・日本中の笑い者で、死にやがれ!!」

「英霊を冒?した罪は万死にあたいする。死ね!」

など、その数はざっと五十通。

「お前の家に放火してやる」
「見知らぬ者が近寄れば注意肝要、家族も皆同じ」

等々、直接行動をにおわせる通信も、あいついだ。ここにはとうてい紹介できない、下劣ひわいな文言を書きつけた投書もあった。

 東史郎氏は、その一々に返事を書き、投かんした。返書の多くは、一週間後に戻ってきた。脅迫状差出人のほとんどは、偽名であり、その住所はニセだったのである。
(「隠された聯隊史」P161〜P162)


 次は、「幕府山事件」についての体験を語った、栗原伍長への中傷です。

 発端は八月の末。社会部の電話が鳴った。電話の主は八月七日付朝刊二社面(東京本社発行最終版、以下本紙掲載日は同)で掲載した「元陸軍伍長、スケッチで証言 南京捕虜一万余人虐殺」の記事で取材し、紙面にも名前の載った東京都小平市の退職警察官(七三)だった。 だが、電話の向こうの声は最初からひどく震えていた。
 「まったくひどい。何とかしてもらえないだろうか」

 記事に載った証言は、鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」や防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」などの「釈放途中に起きた捕虜の暴動に対する自衛的集団射殺」という定説を覆すものだった。

 電話の主は、この記事が出て以来、次々と「読者」からの封書、はがきが届いたが、これらの多くは中傷で、脅迫まがいのものもあるという。証言者の自宅へ出向いた。

「恥知らずめ、おぼえておけ。軍人恩給と警察官の恩給を返して死ね」
「貴様は日本人のクズだ!!」
「思慮の浅い目立ちたがり屋か老人ボケ」

 思いつく限りの悪罵を投げつけていた。

 もちろん、証言者を勇気づける手紙も何通かあった。「事実を述べられたこと(教えて下さったこと)の勇気をすばらしいと思います」(三十六歳の主婦)。勇気ある証言は次の証言につながってもいく。八月十五日付朝刊の「南京大虐殺、私も加わった」という神戸市の元上等兵(七五)の証言である。そして、この第二の証言者のところへも「お前はバカか、平和を乱すようなことはするな」という手紙や電話がきていた。

 こういった非難、中傷、脅迫の手紙は、新聞社にもよく来る。八月十五、十六日付朝刊の七三一部隊関連記事でも「資料はデッチ上げ」という投書があった。共通しているのは匿名ということ。
 
「子孫にウソを伝えぬために」

 元警察官が証言を思い立ったきっかけは、七月二十二日付朝刊社会面の「南京大虐殺、中国側が”立証” 犠牲者は三十余万人」の記事。

 「殺したのには殺した。それは事実だけど、中国側が言う三十万人、四十万人なんて数じゃない。どんなに多くても十万人以下だ。中国側の根拠や資料をうのみにするわけにはいかない。事実をはっきりさせるには、日本の側も、やったことははっきりと認めなきゃいけない。いつまでも”殺していない”とか”自衛のためだ”なんて言っているのはおかしい。ウソを子孫に伝えるわけにはいかない。あれにかかわったものは、私も含め、もう年だ。今のうちに本当のことを言っておかねば」(以下略)
(『毎日新聞』1984年9月27日朝刊第5面) 

*この「栗原証言」の内容については、K-Kさんのページで詳しく紹介されています。栗原氏の息子さんである「核心」さんによれば、

「結論から言うと、父の証言に関しては、毎日新聞の記者の方へのインタビューと本多勝一氏へのインタビューだけが任意でなされたものです。 
両記事のあとは脅迫手紙や脅迫電話が相次ぎ、また戦友や上官の方からも証言を取り消すようにとか、矮小化するようにとかの干渉が長い間なされています。
ですから、それ以降の父の証言と称する内容に関しては、全く任意性はなく、信憑性に欠けるものです」

とのことです。
 
 中傷者たちは、証言者の語ることが事実かどうかなどには全く関心を持たず、ただ、「日本の過去の悪行について発言した」というだけで、証言者たちを攻撃対象にしています。

普通の生活を営む市民の方であれば、このような攻撃により生活が破壊されることを覚悟してまで「実名証言」を行なおうという気には、とてもなれないでしょう。「実名証言でない」ことを批判する心無い方々には、ぜひ、以上のような状況を認識していただきたいものです。

--------------------------------------------------------------------------------

 次は、「証言しない人々」の「ホンネ」をかいま見れる事例です。「圧力」を怖れて公式の場では「証言」を拒む人々も、実際にはかなりの「加害」事例を知っていることをうかがわせます。

下里正樹氏「続・隠された聯隊史」より
 こんなこともあった。
 京都府船井郡在住の元機関銃中隊員に電話した時―。

 私は北山日記にある武進攻撃の記述「戦友たちが残酷なことをした話をしている」をあげ、私の身分を明かしたうえで、「残酷なこと」とは何だったのか、とたずねた。

 とたんに、受話器の向こうから猛烈な勢いで返事がかえってきた。

「そら戦争やさかいな、ようけあったわ。武進でわしが見たンは、家の中に隠れとった母親と姑娘やな。娘やってまえ! と(兵士が)手ェかけたら、母親が(服の)前をはだけよンね・・・

自分をナニして娘は助けてやってくれェと、まあこういうわけや。かまわん、二人ともいてこませ、いうて、真っ裸にして、五人(の兵)でかわりばんこにナニしてからに・・・

終わってからや、川のふちに連れていって、ニイコ(中国兵)の残していった手榴弾を二人の股倉に突っ込んで、ボン! いわせて、ほンならもう、へそから下がワヤになりまんが」

一気にここまでをまくし立て、

「ところであんた、どなたさん? 新聞関係の人? そらあかんワ。いまいうたこと、取り消しや。書かれたら、どもならん」。あとは何をたずねても「取り消しや、もうかんべんして」のいってんばりであった。
(P49-P51)

高崎隆治氏『戦争と戦争文学と』より
 とはいえ、あの戦争下にそれが風聞として一部の国民の耳に入らなかったということはあり得ないわけで、当時中学生であり生活範囲の狭かった私でさえも、横須賀に住む友人の口から友人の家に下宿している海軍の下士官の話として強姦について聞かれたことがある。もっともそれは、二、三人の下士官が酒を飲みながら話しているのを立聞きしたということで、友人の憶測も入っているようであったが、しかしそれはまぎれもなく上海戦線での強姦―というよりは海軍の下士官・兵による輪姦であった。

 そしてどうやら女性は殺されたらしいのだが、驚いたことに被害者は一人ではなく三、四人またはそれ以上の複数であったことだ。もちろん、アルコールが入っていたことで、下士官たちの誇張もあったのではないかと思われるが、正義を唯一の価値とする中学生にとってそれは言葉を失うほどの衝撃であった。

 ついでにもうひとつの話を手短かにつけ加えれば、戦争末期の学徒兵であった私は、ある夜下士官の一人と班内で話し込んでいたのだが、その時、少し離れた部屋の隅で、応召の上等兵が初年兵を集めて日中戦争時代の自慢話をしていた。

 部隊の年配の応召兵のほとんどは二度または三度目の召集で、その多くは南京戦に参加していたのだが、次第に調子に乗った上等兵はやがて身振りを交えて強姦の話を始めた。すると突然、私と話していた下士官が、
「T上等兵、つまらぬことをしゃべるな」
と怒鳴った。その下士官とT上等兵はかつての戦友だったのだが、上等兵が、
「おまえだって同じじゃねえか」
と斬り返すように言ったことで班内は騒然となった。

 上等兵は駆けつけた下士官たちに袋叩きにされ、その後まもなく転属になってしまったが、打ちのめされながらわめきつづけた上等兵の声はいまも私の耳に残っている。彼は同じ中隊の何人かの伍長や兵長の名を挙げて
「みんなやったじゃないか」
と叫んだのだった。

 ようするに強姦は彼等のタブーだったわけだが、上等兵がそのタブーを知らないはずはなく、また上等兵に名前を挙げられた者たちも、遂に最後までそのことに関してはしゃぺらなかった。

 しかし、学徒兵であった私は、かつての中学生の時のように驚きはしなかったが、日本軍兵士の少なからざる部分が南京戦でなにをやったかほぼ推測することができた。
(P56-P58)「「東京裁判」を読む」より


保阪(正康) くどいかもしれませんが、残虐行為があったのは事実だけれど、日本軍の全部じゃないということです。日本軍全体にすり替えちゃいけないと思うんです。「私はやっていません。私たちの部隊はそういうことをしていない」という人にたくさん会ってきました。

 一方、やった人の中でも「やってない」という人の言葉に依拠して脆弁を使っている人がいるんですね。ある部隊の隊長をやっていた人に取材したことがあるんですが、

「君、絶対言うなよ、書くなら俺が死んでから何年か後に書け。名前は出さんでくれ。子供や孫がいるから」

と言って、「やっぱりやった」と言っていました。

 やった事実を知っている人も表面上は「やってない」と言ってるんです。そのことが客観的な史実の検証を間違わせていると思うんです。それだけに本当にやっていない人たちのこともきちんと調べて書き残さなければならないと思います。(P306)
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shougen.html


______________

吉田清治は確かに家族を拷問して殺すぞという脅迫に屈して自分の発言を否定した。 しかし、自分が書いた本はその後も廃刊にはせず、初版のままで現在でも売っている、要するに自分の書いた本の内容については現在に至るまで一切否定していない。

朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 [単行本] 吉田清治 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957


もし吉田清治が自分の発言を否定しなかったら娘や奥さんはこういう目に遭っていたんだよ:

かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします


_____________


右翼 = 在日ヤクザ が大便好きというのは本当で、

在日ヤクザが主犯である北九州監禁事件では

大便排泄を1日1回に限定し
全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した
勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた
言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った
一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります

朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日ヤクザに監禁されると大変なことになります

殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日ヤクザが起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日ヤクザが起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日ヤクザを日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです
__________


53 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:16

俺も大阪やけど聞いたことあるな。 女のSMショーはもっと安いんやろ?
ハンマープライスみたいなんで一番高い値をつけた人が実行できるらしいで。
最初は鞭打ちから始まって最後はクリトリスをペンチで潰すのでそれが一番人気で50万とかなるらしいで。
実行した人にはそのときのビデオがもらえるとか聞いたけど。


56 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:18

53>そうそう。ハンマープライス見たいなんが主流らしいな。


207 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 15:49

乳房をペンチでねじ切られる時の女の声は人間の声ではない。 屠殺場の豚以上の獣の断末魔の叫びです。

テープを10年以上昔に、族の同級生に聞かせてもらった。 今でも夢を見る。
あんなもの聞かなきゃよかった(;;)


209 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 16:32
>>207
クリトリスを切断されるときの声も、尋常じゃないそうだ。


79 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 04:56

HERMESは知らんがそういうショーは現実にあるよ。 だって俺見たもん。
ミナミの店で聞いたら大抵知ってるんじゃないかな?
http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541



107. 中川隆 2012年12月30日 15:03:21 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

まあ、日本人の殆んどはまともなんだけど、こういう頭がおかしい人も 100人に2,3人は確実に居ると思った方がいいよ。 脳自体に障害があるから仕方ないんだよね:

女子高生コンクリート詰め殺人犯 神作譲はあちこちで自分の犯した罪を武勇伝のように語り、

「あれは楽しかったなー」

などと得意気に語るクズである。また、キャバクラに運転手付きのベンツでキャバクラ通いを続け馬鹿発言でキャバクラ譲を失笑させている。


神作譲

「俺は人を殺したことがあるんだぞ」

「人を殺すなんて簡単なんだからなー」

「昔、女がコンクリート詰めされただろ?あれ、おれがやったんだよ」


笑いながら自慢げに言う男 神作譲

「あの女の髪切ったりよー、ペンチで乳首潰したり歯抜いたのも俺。
ホントは俺が主犯なんだよ。」

ゾッとする話を、何がおかしいのか下品に笑いながら言う神作譲。

飲み屋のネエちゃんはフリーズし、周りも引いている。


だが、露骨に冷ややかな目で見たら、今度は自分が何かされてしまうと思い

皆少しずつ距離を取ろうとする。

「俺は捕まったって怖くねぇし、
同情されるコツ知ってるしよぉ、あんなのチョロイんだよ。」

そして、まだ続く独演会

「俺にはよー、スゲー バックが付いてんだよ。
あの車だって、バックが俺のために買ってくれたんだよ。
俺は守ってもえらえんだよ。、怖いもんなんてねーんだよ。」
http://ameblo.jp/jibiinkouka/entry-11346165087.html

神作譲にセルシオやベンツを買ってやる『スゲー バック』というのが女子高生コンクリート詰め殺人の黒幕で、日本の 右翼=在日ヤクザ を使って麻薬売買や幼女売春やスナッフビデオで稼いでいる某組織なんですね。

サンケイや文芸春秋グループを使って南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行を否定する活動をしているのもこの組織でしょうね。


飯島愛がコンクリート殺人事件に関与したと倉地明美が証言!


・ 飯島愛が綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件関係者に脅されまくっている

・ 倉地明美にも圧力がかかっているので有名なヤクザに守ってもらっている

・ 飯島愛の綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件を深く探った者は殺されている

・ 飯島愛の綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件との関与に関わる事を書くと命を狙われる。

・飯島愛ちゃんは、怖い人に守られている

・暴露本出したから脅された

・コンクリにかかわると死人が出る

・私はさらに怖い人をバックにつけてる
(コンクリ犯人達さえも圧力をかけられる程の大きなバックとは?)
http://unkar.org/r/4649/1231013534
http://ecoecofun.blog121.fc2.com/?mode=m&no=2

   (((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


差出人 : クラッチからのメッセージ

日 付 : 2008年04月19日 00時29分
件 名 : Re: わたし


飯島愛だって脅されまくっていて大変だと思うよ。

でも、自業自得。

あたしはもう飯島愛とは関わりたくない。

アイツだっていつまで命あるかわからないよ。

普通に考えてあんなに急に引退するのは変でしょ?

なべプロがお手上げになったんだよ。

かばいきれなくて。

じゃなかったら一応売れっ子だったんだから首にはしたくなかったと思うよ。

飯島愛も多分お金無いんじゃないかな。

昔の万引きじゃないからね、人の命の問題だから無理だよ。

出所してきた人もみんなヤクザだし。

あたしもおとなしくしていたい。

とにかくお互いにこれで終わりにしよう。

最後に聞く耳もってくれて良かった。

それだけ。

http://hidebbs.net/bbs/3free?s=t&n=42414014&m=5


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / |
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

組織の事を暴露しようとした飯島愛は呪われたものとなった

詳細は

コンクリ事件とロリータ・デートクラブ 『プチエンジェル』の背後にいたのは?
(『殺人容疑で捜査継続検討 島根の女子大生遺棄事件』へのコメント )
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/541.html

カルトの世界 _ 創価学会とオウム真理教を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html

闇の組織とは? _ 創価学会は鳥人コンテストが好き?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/270.html


108. 2013年1月04日 16:43:48 : TRT7glc1jI
吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。戦後30年を経て慰安婦問題の嚆矢となる『私の戦争犯罪』を上梓したが後に創作であることが判明、本人も認めた.

上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに清治と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない」としている.

98年、歴史学者秦郁彦氏に対し、人権屋に利用された私が悪かったと発言。

もう、こいつのウソは終わっているのだが。

ながーーーーいコビペで議論にならないようにさせているようだが、左右どちらからもこいつは相手にされていないよ。
謂わば慰安婦問題の森口尚史みたいなもの。
恥知らずのお騒がせ野郎でしょ。慰安婦の強制連行否定派・肯定派両方から相手にされていない嘘つきでしょ。


109. 中川隆 2013年1月05日 21:35:56 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

秦郁彦は資料捏造・改竄の常習者で歴史学会では誰からも相手にされていない悪名高い詐欺師


>「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして


朝鮮では売春婦の家系はまともな職業につけない。
従軍慰安婦をしていた事がわかると家族は結婚できなくなるし、娘や妹も売春婦以外の仕事ができなくなる。

済州島の人達が必死に吉田清治証言を否定したのはその為だよ。

吉田清治はそういう事情を最初から良く知っていたので時と場所を正確に書かなかった。

>もう、こいつのウソは終わっているのだが。

家族を誘拐して殺すと脅迫されたから、仕方なくそう言っただけだろ。


110. 中川隆 2013年1月07日 10:42:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

朝鮮での慰安婦強制連行の証言は吉田清治以外にも有るしね:

慰安婦:「動員には強制性あり」=米政府機密文書


 日本の安倍首相の「従軍慰安婦を強制的に連行したということを裏付ける証拠がなかった」という発言が、大きな波紋を呼んでいる中、これに真っ向から反対する米国政府の機密文書が4日確認された。

 1945年4月当時、中国雲南省昆明で韓国人と日本人の捕虜の取り調べを行っていた米陸軍の調査報告書によると、調査対象となった韓国人23人の中には日本軍の慰安所で妊娠したパク・ヨンシムさんも含まれていたという。

 また、

「1943年7月に韓国を後にした15人は、シンガポールにある日本の工場で女性職員を募集しているという朝鮮新聞の広告を見て集まった」

とされており、

「これら女性職員とともに南に向け移送された人々の中には、同じような手口でだまされ、連れて来られた少女が少なくとも300人余含まれていた」

という。これは、巧妙な手口で強制的に連行していったということを物語っている証拠にほかならない。

 これまで米国立文書保管所で機密文書として保管されてきた報告書が公開されたことにより、慰安婦の動員には強制性はなかったという日本政府の主張からは、根拠が薄らいでいく見通しだ。

 また、米議会で審議が進められている「慰安婦に対し謝罪を要求する決議案」の採択にも、拍車が掛かることが予想される。


______


『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020

日本政府も証拠書類をすべて焼却して証拠隠滅は完璧だと思っていたんだろうけど、慰安婦が生き残っている限り真実は隠し通せないんだよね。



111. 2013年1月09日 04:29:27 : h2GJLo0ZWI
自称慰安婦の証言などなんの意味もない。
「強制連行」の「証言」があるから何だというのか。
私が中川隆に強制連行されたと証言したらそれを認めるのか?

112. ひのまるたろう 2013年1月09日 23:31:22 : AycSV839u2bpE : vh1r6kz3sI
>>111
証言して録画してyoutubeにupしてみて
書き込みだけならネトウヨでもできる
それ見たら認める気がする
勇気と信念はもちろんのこと中川隆に強制連行されたと思うかも

113. ひのまるたろう 2013年1月11日 00:41:59 : AycSV839u2bpE : vh1r6kz3sI
>05
>「従軍慰安婦」を書いた吉見義明ですら1997年1月3日の朝まで生テレビで「植民地での奴隷狩り強制連行は確認されていない」と吉田の証言の信憑性を否定しているのに、未だに信仰している時代錯誤の信者っているんだね。         


              2012年10月23日
大阪市長 橋下徹様
                           中央大学 吉見義明

 今年8月24日のいわゆる囲み取材において、あなたは日本軍「慰安婦」問題に言
及し、「吉見さんという方ですか、あの方が強制連行の事実というところまでは
認められないという発言があったりとか」と述べていますが、これは明白な事実
誤認であり、私の人格を否定し、名誉を棄損するものです。この発言を撤回し、
謝罪することを要求します。

 私は、1991年末から日本軍「慰安婦」問題の研究をはじめ、これまでに、『従
軍慰安婦』(岩波書店・1995年)、『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』
(共著・大月書店・1997年)、『ここまでわかった! 日本軍「慰安婦」制度』
(共著・かもがわ出版・2007年)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書
店・2010年)などで、日本軍「慰安婦」制度は軍が作り、維持し、拡大していっ
た性奴隷制度であり、被害者の女性たちは強制連行され、強制使役された、と述
べています。発言される前にこれらの著作を見ていれば、上記の発言が誤りであ
ることはすぐに分かったはずです。

以下略
検索したら出てきた


114. 中川隆 2013年2月01日 13:05:29 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

中国・フィリッピンの被害者の証言には、軍による強制連行が多い。インドネシアでもこのケースの証言が少なくない。被害者の証言以外では、インドネシアの事例が明らかになっている。

ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を強制連行したケースやスマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が強制連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したっとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

秦郁彦教授でさえフィリッピン「慰安婦」の証言について「多くは事実を反映している」と述べているほどである。


陸軍第117師団長・鈴木啓久(ひらく)中将

「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」

「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」

(特集「侵略の証言」『世界』98年5月号)


115. 実証する気のない韓国 2013年2月17日 12:56:33 : j5FLQkXqH3m1c : cKoZj2mzJ2
早く解決してよ。韓国側が、証拠を隠すから解決しない。これは意図的に感じる。政治カードとして、温存したいから??韓国側が証拠を出さないのが原因だから、韓国側の責任だ。強制連行されていない慰安婦が、証言するのは、ナンセンス。プロパガンダとしての悪意を感じる。元慰安婦の生活や待遇の改善が目的なら、強制連行は否定したうえで、条件をつめればよい。

116. 中川隆 2013年2月17日 16:51:13 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
日本政府が証拠隠滅して、事実を知っている関係者が全員死ぬのを待っているんだよ:


証拠隠滅

ポツダム宣言を受諾した後、大日本帝国は植民地や日本軍の全部隊に証拠書類の焼却処分を指示したのである。
__________________________

戦犯裁判の証拠にされるのを恐れた日本政府とくに陸海軍は、終戦の日から「公文書は破棄すべからず」との連合軍指令が届くまでの数日間に多量の機密文書を焼却、そのため霞ヶ関の空は暗くなったと言われる。
(『昭和史の謎を追う[下]』 秦郁彦 著 P140)
_________________________

また当時の内務省財政課事務官(課長)だった 奥野誠亮 氏もこう述べている。
________________________

「公文書は焼却するとかといった事柄が決定となり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通して下部に通達する、海軍は海軍の系統を通して下部に通達する、内政関係は地方総監、府県知事、市町村長の系統で通知するということになりました。」

「15日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもしれないので、その際にそういう文書を見られてもまづいから、1部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようという事で、小林(与三次)さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の4人が、地域を分担して出かけたのです。」

(自治大学校史料編集室編 『山崎内務大臣時代を語る座談会』 より)
________________________

この 奥野誠亮 氏は「慰安婦問題」で、「証拠があるなら出せ」と言っていたが、いやはや何とも言いようの無い人である。証拠を隠滅したから、もう大丈夫だと思っている知能犯に似ている。

だが政府や軍の資料だけが、証拠ではない。目撃証言もあれば、元軍慰安婦達の証言もあるからだ。


朝鮮総督府の証拠隠滅の現場

こうして通達を受けた朝鮮総督府は証拠を隠滅した。
_______________________

焼かれた大量の行政文書(証拠書類)

朝鮮総督府の臨時雇いであった長田かな子は、1945年8月15日、「玉音放送」を聞いた後、総督府の「中央ドーム真下」の部屋に戻って呆然としていた。そこへ「本課から職員が来て、「燃やして燃やして」とせっかちにいう。気がつくと、庁舎の各階の窓からポンポンと書類を投げ下ろし、油をかけて焼却している。抜けるような青空に、無数の灰が粉雪のように舞った。黒い煙が太く立ちのぼった。誰も無言で、ただ機械的に書類を中庭に投げおろした」と記している。こうして敗戦の詔勅の放送と同時に、重要書類の焼却が始まった。

(長田かな子「45年8月15日」 『季刊三千里』1982年秋号より【日韓歴史共通教材】より
日韓交流の歴史 先史から現代まで)
_________________________

こうして大日本帝国政府と軍の証拠書類を、約8割は焼却したと言われているのです。
http://194586245.web.fc2.com/24.html



117. 2013年2月27日 20:47:57 : QKj2V8oUfM
評価に値せず。

118. 2013年3月03日 03:44:19 : nIajLy79xE
ここで重要なのは慰安婦問題が真実なのかどうか
なのに慰安婦問題の残虐性や、意味のないAAをダラダラと載せているのは理解出来ません
そもそもそれらが嘘か真かどうかで善悪がひっくり返ってしまいますし、感情的な煽動を狙っているような文面ばかりで読む気が失せてしまいます
そして、真偽するための判断材料と各コメントに対する反証が欠けています

まぁ、だいたいこのようなWEBサイトはコメントなんて求めず、プロパガンダのように思想を拡散させようとしているのが大半ですが、ここではそういうような指向性は強く感じませんけどね
そうしたいのならば都合の悪いコメントなんて載せませんし
そこは評価出来ます


119. 2013年3月07日 20:39:45 : XFwrMyziEQ
何故当時の韓国だけ限定で慰安婦が居たのか?
他の国では報告がないのに戦後政府がお金をばら撒く始末、共産主義者や現民主党・元民主党員は現実を直視できない狂言者の集まりであることが伺える。

120. 中川隆 2013年3月10日 09:26:59 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

慰安婦強制連行を疑っている研究者は一人もいないんだから、ど素人が何を言っても意味無いよ:


元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦    林 博史


 これはある雑誌に依頼されて1ページないし2ページのコラム用に書いたものです。いくつかコラムが作られる予定だったのですが、他の執筆者が書かなかった(?)ためにコラム全体が、企画からはずれてしまい、この原稿も宙に浮いてしまいました。内容はすでに『戦争責任研究』のなかで紹介されているものばかりで目新しいものはありませんが、コンパクトにまとまったコラムとしては意味があるのではないかと思います。

 なおこうした日本軍将兵たちの記した慰安所・慰安婦についてくわしくは、拙著「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる“従軍慰安婦”」(『戦争責任研究』第5号、1994年9月)などをご参照ください。  1999.4.1


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 日本軍を弁護する人たちはしばしば元日本兵の証言を出し元慰安婦の証言を否定しようとする。しかし元日本兵のなかには逆のことを率直に語ってることも多い。ここではそうした証言をいくつか紹介したい。

元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。


「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。

料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」
(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)


慰安所を担当した主計将校に慰安婦の選別の基準まで軍で教育していたことがわかる。

中国にいたある主計将校は師団の参謀から

「至急民家を改装して兵隊用の慰安所を作れ。ついでに洛陽で女も集めて来い」と命令され「塩を二、三俵トラックに積んで、洛陽市内に女狩りに赴」き十数人を集めたことを語っている(宮谷重雄「わが戦記恥さらし」)。


アンボン島にいた海軍の主計将校の証言によると、参謀が四つの慰安所を設置し百名の慰安婦を「現地調達」する案を示した。それは

「日本将兵とよい仲になっているもの」を「密告」などによって探し出し「その中から美人で病気のないもの」を選ぶ

という計画だった。この主計将校はこのことを「慰安婦狩り」と呼び

「クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持ちになったものだ」

と回想している(坂部康正「アンボンは今」)。

シンガポールで慰安所が開設された時、部下の衛生兵がしょんぼりとして帰ってきたので問いただしてみると、

「四、五人すますと『もうだめです。体が続かない』と前を押えしゃがみこんでしまった」

安婦を係りの兵がその「手足を寝台に縛りつけ、『さあどうぞ』と戸を開けた」。

それを見たその衛生兵は逃げ帰ったという話をある将校が記している(総山孝雄『南海のあけぼの』)。


スマトラで憲兵として慰安所に巡回で出入りしていた元憲兵は親しくなった朝鮮人慰安婦から

「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです」

と打ち明けられたことを記している。

「従軍看護婦」などの名目で騙されたこと、当初は「毎日泣きながら過した」こと、さらに

「汚れたこの体はどう見たって昔の私には戻らない。親や兄妹に会せる顔もないでしょう」

「どうせ帰れないんだから、友達とお金を貯めて、どこかこっちで何か商売でもしようと相談しているの」

「皆な大声で笑ったり、噪いだりしているけれど、心では泣いているんです。死のうと思ったことも何度もあるんです。この気持ち解ってもらえるかしら」

と涙ぐみながら聞かされたと語っている。彼は憲兵として彼女らの徴集のされ方を知っていたのである。


一見快活に見える彼女らの哀しみを理解できる兵士もいた。元兵士たちの回想を丹念に読んでいくと、日本軍が実質的に慰安所を管理し、時には自ら「慰安婦狩り」を行い、慰安婦に性暴力を強いていたことが浮かび上がってくる。

そのことは「募集や契約にさいし(略)日本軍(国)は、その実態を知る立場になく」(秦郁彦)などという弁解がサンケイグループのトップの証言を含めて都合の悪い元日本兵の証言には頬かむりした虚像でしかないことを示している。
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper02.htm


121. hoihoi 2013年3月11日 18:56:00 : MU8m8JPkVR3I. : j8RLmvFlPI
そんな証言は金のためなら何とでもなる。


http://www.youtube.com/watch?v=9bOw0uhgfrY

http://www.youtube.com/watch?v=ijYLNvUPU_A


122. KIM 2013年3月12日 09:55:23 : IWlnylH73ffpY : Fchj96X6Tk
誰が言っている事が正しいかは、各々で判断するしかない。
慰安婦強制連行があったと告発したとされる人物は一人で行えるはずも無く、少なくとも公文書は無くとも書かれた事実に対し、複数の加害者関係者、被害関係者が名乗り出なければ、本を売る為の詐欺師と言われてもしかたない。
強制連行が無かったとする新聞記事を韓国人の自尊心だとするなら、何でも自尊心の為「嘘」になってしまう。その自尊心の高い韓国人がわざわざ世界に自国の恥を広めているとは考えにくい。
インドネシアでは実際公文書もあり、慰安婦の強制連行があった。オランダ人、インドネシア人の方々には謝罪しなければならない。しかし、インドネシア政府は戦争では当前の事とし、各個人及び国の「自尊心」ゆえに慰安婦に対する賠償金の受け取りを拒否し、やっと老人福祉の名目で受け取ってもらえた。
盧泰愚からの韓国の主張に方持つ人々には、もっと単純に素直にインドネシアと韓国の主張と行動を比較検討して欲しい。

123. 中川隆 2013年3月12日 10:12:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

朝鮮は儒教の国だから、慰安婦をやっていた事がばれると

家族は村八分にされる
妹や娘は売春婦以外の仕事はできなくなる
家族は結婚できなくなる


それで慰安婦は自分の過去を知られるのを極端に恐れて一切口外しなかった。
吉田清治は朝鮮のそういう状況を良く知っていたから、強制連行の場所・日時は故意にぼやかした。


まあ、日本女性もソープで働いていた事がわかったら結婚できなくなりますけどね。

吉田清治の著書『私の戦争犯罪』(1983年)が韓国語訳されて朝鮮に元慰安婦が多数いるのが朝鮮人にも知られてから慰安婦の証言が始まった:

Bさんはシンガポールや東ティモールなどで慰安婦として過ごした。

「何度も死のうとした。一緒にいた女性は自殺した。軍人の相手をしている途中で自殺したそうだ。日本軍に利用された。当時はいっそ死んだ方が楽だった」

と話した。 5年ぶりに故郷に戻ったが、母親が自分の娘だと気付かなかったと話す元慰安婦もいる。

 委員会側は被害事実の公表をためらう元慰安婦の要望に応じ、実名公開に同意した1人を除いて11人を匿名にし、生まれ年以外の個人情報は公開しなかった。”
http://ccp58800.blog25.fc2.com/blog-entry-1445.html

 戦後も置き去りにされ、故郷に帰れなかった女性も多くいましたが、過酷な日々を生き抜いて帰国を果たしても、女性たちの戦後は苦難の連続でした。家父長的な貞操観念の強い朝鮮民族の社会では、性暴力の被害体験を「恥」とし、息を潜めて暮らさざるをえませんでした。心身を患い、性病や不妊症に苦しむ女性も少なくありません。

 1991年、「慰安所」に連れて行かれた少女たちは、50年近い沈黙を破り、日本政府への謝罪と賠償を求めて声をあげ始めました。少女たちは、すでにおばあさんになっていました。

長い沈黙を破り、声をあげたのは、日本の政治家たちが

「『慰安婦』はいなかった」

と彼女たちの存在を否定し、尊厳を傷つけたからです。

「このまま、なかったことにされたままでは死ねない」

「二度と、こんなことは起きて欲しくない」

これはおばあさんたちからのメッセージです。
http://www.ianfu-kansai-net.org/QandA.html


124. NHKが慰安婦問題の国会動画を削除した 2013年3月14日 16:14:50 : PhCl3Zvm8l6oo : q5XRFI49vk
証言だけ

現在の韓国朝鮮人が真面目で正直者が多く 
日本に有益な人々となっていれば
ほんの少し考慮してもいいいけど

国家あげての反日教育を受けた人々のいう事は信じられないね
根本に日本憎しがあるから真実は言わないよね
お金も貰えるし 優越感もあるだろうね

何にせよ 物証が大事なんじゃないですか?

証言を信じる人達で 自称慰安婦さんに賠償なり謝罪したらどうでしょうか?
朝日新聞あたりが音頭をとって初めて下さい。


125. 2013年3月17日 00:54:35 : W18zBTaIM6

日本政府関係者はみんな慰安婦が早く死ぬのを待ってるのさ。

金払わなくても良くなるからね。


126. とおりすがり111 2013年3月18日 08:23:06 : k3KMGHHgRe7jw : oNlfHQIM6Q
中川隆もキチガイだということがよくわかる.まともな奴はこんなクソ記事相手にしない.

127. 2013年3月26日 00:49:04 : mSv4TgU9nQ
慰安婦問題については、はっきりとした表明をするべき
河野談話は破棄するべき。
補償もしたことを韓国の人たちに知れるように、韓国の政府・マスメディアをよんで、戦後補償にいくら使ったのか、慰安婦にいくら払ったのかそれを伝えるべき。
条約を結んだのなら、それを遵守するように、促すべき。
それができないのなら制裁をするべき。
竹島問題とか、仏像問題とか色々あるけど、一つ一つ解決していくべきだけど慰安婦問題はアメリカ、シンガポールなどで活動されているのだから国際問題になる前に正々堂々と、速やかに肩つけるべき問題。

韓国との外交が崩れたとしても、今のままではいずれまた同じ問題を繰り返すだけ


128. 中川隆 2013年3月26日 19:34:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

日本政府の「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」論は破たんしていることを示す論文の紹介

1.国連における議論

2.国会における答弁

3.2000年11月2日付け一審被告準備書面に対する反論

「日韓協定により解決済」論について


第一 国連における議論

一 日本政府は、国連において日本の戦後補償問題が討議されるたびに、「日韓協定により解決済」論を主張してきた。

 しかし、それは左記のように、「日韓協定は経済協力問題を扱ったものであり、被害者の人権に関する条約ではない」「日韓会談において『慰安婦』問題が討議されたことはない」などの理由で一蹴されてきた。


二 国連人権委員会クマラスワミ報告書(1996年)

「特別報告者の見解によれば、サンフランシスコ講和条約も二国間条約も、人権侵害一般に関するものでないばかりか、とくに軍事的性奴隷制に関するものでもない。当事国の『意図』は『慰安婦』による特定の請求を含んではいなかったし、かつ同条約は日本による戦争行為の期間中の女性の人権侵害に関するものでもなかった。したがって、特別報告者の結論として、同条約は、元軍事的性奴隷だった者によって提起された請求を含まないし、かつ日本政府には未だに国際人道法の引き続く違反による法的責任がある。」

三 マクドゥーガル報告書(1998年)

「…この条約が当事国間の『財産』請求問題の解決を目指した経済条約であり、人権問題に取り組んだものでないことは明白である。…韓国側代表が日本に示した請求の概要を見れば明らかなとおり、この交渉には、戦争犯罪や、人道に対する罪、奴隷条約の違反、女性売買禁止条約の違反、さらに国際法の慣習的規範の違反に起因する個人の権利侵害に関する部分は全くない…したがって、日韓協定第二条で使用される『請求権』という用語は、このような事実が背景にあるという文脈で解釈しなくてはならない。

日韓協定に基づいて日本が提供した資金は、明らかに経済復興を目的としたものであり、日本による残虐行為の個々の被害者に対する損害賠償のためのものではない。1965年の協定はすべてを包含するような文言を使用しているが、このように、二国間の経済請求権と財産請求権のみを消滅させたものであり、個人の請求権は消滅していない。したがって日本は、自己の行為に現在でも責任を追わねばならない。」

四 このように、「経済協力により戦後補償問題が完全に解決した」との日本政府の主張は、国際社会に全く受け入れられていないのである。


第二 国会における答弁

 一 日本政府は、日韓協定締結以後、右協定により韓国人に対する戦後補償問題は完全に解決済みになったと繰り返し表明してきた。
 しかし、1991年8月27日以降の国会答弁においては、政府は日韓協定の規定は外交保護権の放棄にすぎず、個人の請求権は消滅していないことを認めるようになった。

二 右の答弁の変遷は次のような経緯によるものである。
 1991年3月26日、参議院内閣委員会において、シベリア抑留者のソ連に対する請求権について、次の質疑が行われた。


「翫正敏議員 …条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、…本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか。

 高島有終外務大臣官房審議官 私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。」(甲六三号証)

 質問が日本人の権利にかかわるものであったため、政府は日ソ共同宣言によって個人の請求権が消滅するものではないことを右のように明確に答弁した。ところが、右の答弁を引用して日韓協定について質問された場合、これとの均衡上、日韓協定も外交保護権の放棄に過ぎないことを明かさざるを得なり、1991年8月17日以降、左記のような一連の答弁がなされたのである(甲六四号証)。


1 1991年8月27日 参議院予算委員会 

「政府委員(柳井俊二君) …先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」


2 1992年2月26日衆議院外務委員会
 
「柳井政府委員 …それで、しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

…その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

…ただ、これを裁判の結果どういうふうに判断するかということは、これは司法府の方の御判断によるということでございます。」


3 1992年3月9日 衆議院予算委員会

「伊東(秀)委員 …今法制局長官がお答えくださいましたように、外交保護権の放棄が個人の請求権の消滅には何ら影響を及ぼさない、とすれば、全く影響を受けていない個人の請求権が訴権だけだという論理が成り立つか否かという見解、解釈を伺っているのでございますが、いかがでしょう。

…工藤政府委員 訴権だけというふうに申し上げていることではないと存じます。それは、訴えた場合に、それの訴訟が認められるかどうかという問題まで当然裁判所は判断されるものと考えております。」


三 以上の一連の答弁は、総合すると、次のような趣旨である。

 1 日韓協定は外交保護権を放棄したもので、個人の権利を国内法的に消滅させたものではない。

 2 「財産、権利及び利益」については措置法で国内法的に消滅させたが、「請求権」はその限りではない。

 3 「請求権」について韓国人が日本の裁判所に訴訟を提起することができる。
 4 右の場合に請求が認められるか否かは裁判所が判断することである。

 日本政府は「韓国人個人に請求権あり」と明言するのを避けようと意図的に曖昧な言い回しをしているが、結局は日韓協定によって請求権が消滅していない旨の答弁であることは明らかである。

 不二越に連行された元勤労挺身隊員が賃金を請求した事件においても、富山地裁は1991年8月27日に国が初めて個人の請求権が未解決であることを認めたことを前提として、その日から賃金請求権の消滅時効が進行すると判示している(1995年7月24日富山地判 判タ九四一号一八三頁)。

第三 2000年11月2日付一審被告準備書面に対する反論

 一 一審被告の主張は、政府の国会答弁をさらに後退させたものである。その論旨は錯綜しているが、要旨左記のようなものであると考えられる。

1 日韓協定二条一項の規定

 1965年、日本が韓国に無償3億ドル有償2億ドルの経済援助を約束する一方、日韓協定二条一項は「両締結国は、両締結国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と規定した。


2 日韓協約二条三項の規定の意味

 同協約は二条三項において「2の規定(在日韓国人の財産についての例外)に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」と規定した。この規定は「財産、権利及び利益」と「請求権」の問題について、日韓両国が外交保護権を相互に放棄したものである。

3 「財産、権利及び利益」と「請求権」の区別

 右に言う「財産、権利及び利益」とは、合意議事録2(a)により、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいい、それ以外の「請求権」とは、実体的権利とはいえないいわゆるクレイムを提起できる地位をいうことが、日韓両国で了解されている。


4 措置法による「財産、権利及び利益」の消滅

 右のうち「財産、権利及び利益」については、1965年12月17日の措置法により国内法的にも消滅した。この措置法は日本国憲法に違反するものではない。


5 「請求権」の消滅

 右のうち「請求権」については、クレイムはそもそも国内法上は根拠のないものであり、クレイムを提起できる地位は個人ではなく国家のみが有するから、韓国が外交保護権を放棄したことにより救済される余地はなくなり、最終的に解決した。


6 したがって、韓国の被害者個人が日本で訴訟を起こす権利は否定されることはないが、我が国の裁判所において、その請求が認容されることはない。

7 このように日韓協定により一審原告らに対する賠償の問題は日韓協定により解決済であるから、国会が立法義務を負う余地はない。また、柳井条約局長らの答弁も前記の趣旨で一貫しているから一審被告らが不法行為責任を負うこともない。


二 これについて、一審原告らの認否と反論を必要な範囲で述べる。

1 日韓協定二条一項について

 日韓協定二条一項に前記の文言のあること、それが無償3億有償2億の経済援助の約束と並行して締結されたことは一審被告の指摘の通りである。

 ちなみに、一審被告が「膨大な金額の資金援助」という無償3億ドルは当時の為替相場で1080億円にあたる。これは、日本人への戦後補償に費やされた約42兆円(恩給法、援護法による給付)の0.25%に過ぎない。さらにその1080億円の無償資金のうち被害者の補償に使用された金額は5.4%にあたる58億円に過ぎなかった。

 また、一審被告は「韓国側が請求権を始めとする多くの問題について、日本側の立場と相いれない主張をなすにいたって、短期交渉の見通しは完全に失われるにいたった」というが、会談の当初において紛糾の最大の原因となったのは、今日の政治家の妄言の原型ともいうべき、植民地支配に対する反省の欠如した久保田首席代表の発言をめぐってであった。

 そして、一審被告もわざわざ主張しているように(準備書面一三頁)、日本国は「賠償の性格を持たない経済援助」によって国家間の賠償が最終的に決着したという非論理的な説明を、当時も現在も行っているのである。侵略と植民地支配への謝罪と賠償を怠りこのような曖昧な解決を行おうとしたことが、戦後55年経過した今日に戦後補償問題を残す禍根となったのである。

2 日韓協定二条三項の趣旨

 政府が個人に代わってその請求権を消滅させる協定を結ぶことはできない。一審被告の主張の通り、日韓協定二条三項は個人の権利を消滅させるものではなく、外交保護権の相互放棄を定めた規定にすぎない。

 このことは実は協定締結当時から日本政府は十分に意識していた。当時の外務省外務事務官の谷田正躬は日本国民の在韓財産について次のように説明している。

「協定二条3の規定の意味は、日本国民の在韓財産に対して、韓国の執る措置または日本国民の対韓請求権(クレーム)については、国が国際法上有する外交保護権を行使しないことを約束することである」…「その財産権の消滅はこの協定によって直ちになされるのではなく、相手国政府の行為としてなされる」(甲六五号証六四頁)


3 「財産・権利及び利益」と「請求権」の区別について

1) 一審被告の指摘の通り、日韓協定の文言のうち「財産、権利及び利益」とは「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいう」と合意議事録に規定されている(乙一四号証一六二六頁)。

 しかし、「請求権」の定義については右の合意議事録や付属文書には何の規定もない。したがって、「それ以外の『請求権』とは、実体的権利とはいえないいわゆるクレイムを提起できる地位をいうことが日韓両国で了解されている」との一審被告の主張(準備書面一四頁)は事実に反する。右の主張は一審被告ないし、一審被告の引用する解説者の解釈にすぎず、その根拠も明らかでない。

2) ところで、外交保護権とは私人が他国の国際違法行為によって損害をうけた場合、その属する本国がこれを保護する国際法上の権利である。そして外交保護権行使の要件として国籍継続の原則とともに国内的救済の原則がある。すなわち、事前に被害者である私人が加害国の国内法上利用できる一切の国内的救済手段をつくしていなければならないのである。(以上は国際法の概説書には必ず記載されているところであるが、さしあたり、山本草二「国際法 新版」六五四頁以下、田畑茂二郎「国際法新講 下」五〇頁以下)

 したがって、一般の場合には外交保護権の行使が可能な段階であれば、国内的救済手段はつくされているはずである。すなわち、被害者の請求権は、結果的に、加害国の国内法上(実体法または手続法の)根拠をもたなかったことになる。この場合には「財産、権利及び利益」=国内法上に根拠をもつ権利、「請求権」=国内法上に根拠をもたない外交保護権によってのみ救済される権利、という一審被告の分類もそれなりの理由がある。


3) しかし、国内的救済の原則には例外があり、被害を受けた私人が自らの自由意思に基づかずに相手国の管轄下にあった場合には右原則は適用されない(田畑前掲五三頁)。本件の一審原告はすべて欺罔または強制により大日本帝国の領土または軍占領地域に連行されて被害を受けたのであるから、国内的救済の原則は適用されない。したがって、一審原告らの場合、外交保護権の行使が可能であるかという問題と請求権に国内法上の根拠があるかという問題は何の関係もなく、前記の一審被告のような分類は不可能である。


4) 日韓協定にいたる両国間の交渉の経緯においては、日本人(法人を含む)が韓国に残してきた土地所有権、工場設備などの財産権の処理が大きな問題となった。日本はこれらの財産権により韓国側の請求権を相殺することを強く主張したのである。

 「財産、権利及び利益」との文言は直接的にはこのような日本人の在韓財産の処理に向けられたものであった。これは、前掲谷田正躬が二条三項の説明の大部分を日本人の在韓財産の帰趨についての説明に充てていることからも伺うことができる。

 右の経緯に照らせば、「財産、権利及び利益」とは、土地所有権や工業設備などを典型例とする、存在の明らかな物権や確定した債権をいい、「請求権」とは協定締結当時必ずしも権利の有無が明確ではなかった権利を指したと解するのが妥当である。

 すなわち、存在が明らかな物権や債権については、両国が国内法により相手国、及び相手国民の権利を消滅させ、相手国はこれに対して外交保護権の行使をせず、自国民に相応の補償を与えるという形式で解決するが、存在が明確でない権利については、外交保護権を放棄してとりえあず国家間の関係についてのみ解決することにしたのである。


5) 実は、日本政府も右と同様に解釈し、その旨国会答弁を行っている。

 すなわち、1993年5月26日の衆議院予算委員会において、宇都宮真由美議員の質問に対して丹波寛外務省条約局長は次の通り答弁している。

「御承知のとおり、この第二条の三項におきまして、一方の締約国が財産、権利及び利益、それから請求権に対してとった措置につきましては、他方の締約国はいかなる主張もしないというふうな規定がございまして、これを受けまして日本で法律をつくりまして、存在している実体的な権利を消滅させたわけでございますけれども、まさにこの法律が対象としておりますのは、既に実体的に存在しておる財産、権利及び利益だけである。

…例えばAとBとの間に争いがあって、AがBに殴られた、したがってAがBに対して賠償しろと言っている、そういう間は、それはAのBに対する請求権であろうと思うのです。しかし、いよいよ裁判所に行って、裁判所の判決として、やはりBはAに対して債務を持っておるという確定判決が出たときに、その請求権は初めて実体的な権利になる、こういう関係でございます。」(甲六四号証)

 右の答弁に従えば、一審原告らの損害賠償請求権も判決等により確定したものではなく、典型的な「請求権」に属する。

4 措置法による「財産、権利及び利益」の消滅について

 一審被告は措置法は前記「財産、権利及び利益」を消滅させたものであると説明し、その合憲性について、るる主張する。一審原告らは同法の合憲性について一審被告と見解を異にする。しかし、前記のように一審原告らの損害賠償請求権は「財産、権利及び利益」ではなく典型的な「請求権」に該当するから、この問題は本件の争点と直接関係がない。したがって、ここではこの問題は論じない。

 ただ、一審被告の右の主張の中に、戦争被害は本来憲法の予定しない問題であるとの主張があるが、これは明らかに誤りであることだけを指摘しておく。2000年11月7日付準備書面で主張したように、日本国憲法は侵略戦争と植民地支配の50年の反省の上に、その抜本的改革を意図して成立したものであり、戦争被害は「予定しない問題」どころか、憲法の中心テーマともいうべき問題だったのである。


5 「請求権」の消滅について

 一審被告は「クレイムは国際法上は個人が直接加害国に請求できる権利ではなく、あくまで国家のみが請求できるにすぎないものであって、発生したクレイムを加害国の国内法上の実体的な請求権に転化させることにつき国家間で合意した場合でない限り、当該個人が受けた被害の填補を加害国に請求できるのは国家に限られる」(準備書面一四〜一五頁)から、韓国が外交保護権を放棄したことにより一審原告らの「請求権」は救済される余地がなくなり、原告には訴権は認められるが権利自体が認められることはありえなくなったなどと主張する。 

 一審被告のこの主張は、一審被告が別の訴訟に証拠として提出した小寺彰意見書を出典とする(甲六六号証二四頁)。

 国際法上の請求権に基づいて個人が加害国に請求できるかとの問題について、一審原告らは右の意見書と見解を異にするが、この議論も本件の主要な争点と関係がない。

 なぜなら、一審原告は韓国の外交保護権を代わって行使しているのではなく、国内法により国内法の手続によって請求しているのであって、本件は個人が国際法上の主体たりうるかという議論の適用場面ではないからである。一審被告の前記主張は国際法上の議論と国内法上の議論を故意に混同させて惑わそうとするものに過ぎない。

 一審被告が典拠とする右の意見書においても「もちろん、クレイムの発生原因が同時に加害国の国内法上、当該被害者に実体的な権利を付与する場合も想定される。しかし、これはあくまで各国国内法の問題であり、それが国際法上クレイムであることとは理論的には別の問題である。」(甲六五号証二三頁)と明記されているように、外交保護権の放棄によって国内法上の権利が消滅する理由など何もない。

 また、一審原告らに訴権があるのは当然であって、一審被告のいう「訴権はあるが裁判で認められることのありえない権利」などという概念は無意味である。

 一審被告も引用する国会答弁も「慰謝料請求等の請求が我が国の法律に照らして実体的な根拠があるかないかということにつきましては、これは裁判所で御判断になることだと存じます」と述べ、別の機会にも同旨の答弁を繰り返して、この理を認めている。


(乙一七号証)
 宮澤首相は1992年1月に訪韓した際、従軍慰安婦問題について「非常に心の痛むこと」であると「謝罪」した。そして同年3月21日の参議院予算委員会において、国と国との関連においては解決済だが、個人との関係については「訴訟の行方をみまもってまいりたい」と答弁した。(甲六四号証)

 仮にこれが「訴権はあるが裁判で認められることのありえない権利」との認識の下にされている答弁であるとすれば、政府が訴訟の行方を見守る目的は単に時間が経過して被害者がいなくなるのを待つためだけであったということになる。これは、高齢の被害者にとって余りにも残酷な対応であり、まさに一審判決の指摘とおり一審原告らの苦しみを際限のないものにしているのである。


6 以上のように、日韓協定は「請求権」についての外交保護権を予め放棄したものに過ぎず、「請求権」は措置法によっても消滅していない。

 したがって、一審原告らの被害に対する補償・賠償の問題は日韓協定によって何ら解決されていないから、日韓協定は国の立法義務を免除する何の理由にもなりえない。

 また、前記のように日本政府は日韓協定締結時から、これが外交保護権の放棄を意味するにすぎず、個人の請求権を消滅させるものではないことを十分に認識していたが(甲六五号証)、その後日韓協定により韓国人被害者個人の賠償請求権も消滅したとの誤った解釈を繰り返し流布し(一審被告準備書面もそのひとつである)、韓国人被害者に著しい苦痛を与えてきたのである。
http://www.kanpusaiban.net/saiban/yamamoto-hanron.htm


129. 2013年4月01日 18:45:58 : zBYc960RaI
悪質な嘘はやめようね。

女なんぞいくらでも調達できることは豊かな現代でもなお売春婦のなり手が
ひきもきらないことで証明済だ。
慰安婦狩など不必要なんだよ。

まして済州島がターゲティングされているのは他でもない。
韓国政府による大虐殺が行われたからで、そこから目を反らせる目的で捏造された
ものが"吉田証言"だ。日本にはその虐殺を逃れた難民が流入した。
今もその犠牲者の家族や子孫が大勢いる。
彼等の訴えを隠蔽するためには日帝による大虐殺を捏造しマスコミの手足を縛る
ことが最も有効な策と考えられた。
まあイスラエルの手口と同じ理屈だ。


130. 2013年4月02日 12:53:18 : W18zBTaIM6
性病持ちでは慰安婦にできないんだよ。

だから12,13才の子供狩りをしたのさ。


131. 恵也 2013年4月28日 15:41:05 : cdRlA.6W79UEw : GA3eKeLP8v
>>124 根本に日本憎しがあるから真実は言わないよね

根本にあるのは、真実の直視でしょう。
儒教の影響がある韓国や日本では、慰安婦という体験は女性に恥だ。
俺の親族がそんな事になったら隠すでしょう。

朝鮮人だけでなく日本人もたくさん、慰安婦にされてますが
いまさら過去を掘り返す人はほとんどいない。
莫大な慰謝料をもらっても、金銭では精神的に追いつかないよ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
漢口の兵站司令部管下の「慰安所」に、日本内地から連れてこられた
「慰安婦」の実例がある。漢口兵站司令部の長沢健一軍医大尉の体験
によれば、この女性は、「慰安所」とは何かも知らされず、だまされ
て連れて来られたが、軍医の性病検査があると知って

「私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞い
てきたのに、こんなところで、こんなことをさせられるとは知ら
なかった。帰りたい、帰らせてくれ」

といって、泣きながら訴えたという。このため、その日は検査できな
かった。翌日やって来たときは眼はふさがりそうに腫れ上がっていた。
長沢大尉は、業者に殴られ、説得されて来たのだろうと記している。

この女性は、身売りされた上、漢口までの旅費・雑費を加算されて、
債務奴隷状態にされていた。性病検査の時は
「脚は緊張して堅くなりぶるぶる震えていた」。

その翌日には、多くの兵隊の相手をさせられたため、「慰安所」の
洗浄場の窓から身を乗り出して、嘔吐しており、吐き止むと「子供
のように声を張り上げて泣く。泣くというより絶叫して」いた。

この姿を見て、長沢大尉は、多くの兵隊たちの乱暴な性交のために、
腹膜が刺激されて、嘔吐をもよおしたのかも知れない、と記している。
しかし、この女性も、このような現実から逃れることができず、これ
を運命とあきらめて、悲惨な「慰安所」生活に適応していくほかなか
ったのである。
(長沢健一『漢口「慰安所」』より)

>>129 女なんぞいくらでも調達できることは豊かな現代でもなお売春婦のなり手が
ひきもきらないことで証明済だ。

世間知らずの間違い!
そんなに簡単に調達できるならアンタ女衒になって、大金持ちになれる。
たった一人でもいいから女を調達してから言いなさい。

貞操観念のない女性は多いけど、そんな女性でも隠すもの。
それも軍隊という組織で何百人も相手にするとなったら希望者は少ないでしょう。
軍人という公務員がそんな女性を大量に集めるのは難しい。


132. 2013年5月05日 20:52:51 : nRwc3ofM0o
通りすがりの者ですが、ちょっと言わせて下さい。

そもそも、過去の出来事を現代の価値観で裁く事に何の意味があるんですかね?
売春婦なら太古の昔から世界中に存在してますよ。

それに主様は、殊更日本人の残虐さを非難なさってますが、当事の列強各国の植民地政策からしたらそれぐらい普通だったんじゃないですか?

力の無い国が武力で併合され、蹂躙されるのはあの頃の価値観では当然の出来事だったんです。

キツい言い方になりますが、朝鮮が国として非力だったが故に、当事の日本に併合され多くの女性がそういう目にあった「だけ」の話ではないでしょうか。

ちなみに主様は、欧米の植民地政策や奴隷制度、白人達がいくつもの異民族を虐殺どころかこの地球上から消滅させた事をご存知ですか?ライタイハンは知っていますか?十字軍が何をしたか理解されてますか?

上記の出来事は、今の価値観では全て許されない事ですが、当事は「当然」だったんですよ。

全ては「お互い様」です。絶対正義の民族なんか存在しません。

日本人や天皇陛下を長文であげつらう前に、今の価値観で過去を裁く意義を今一度考えてみたらいかがですか?

そう言えば、朝鮮人も八百年ほど前に元の手先として日本に侵略してきた事もありましたね。

開き直りではなく人類の歴史なんてそんなもんですし、日本だけを非難するのは自由ですが、当事の朝鮮人が無力であったが為に起きただけの話だと私は思うんですが。

私が朝鮮人の立場だったら日本を非難する前に、不甲斐ない自分の祖先を呪い・嘆きますね。

そして日本人に負けないよう、日々精進しますよ。



133. 2013年5月08日 16:01:15 : W18zBTaIM6
右翼が

慰安婦強制連行は無かった、南京大虐殺も無かった
朝日新聞の本多勝一がデタラメ書いただけ

と嘘付いたから、それまで黙っていた元慰安婦が怒って発言始めたんだろ。


134. 2013年5月08日 16:20:19 : W18zBTaIM6

1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。

”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。
今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  


135. 2013年5月09日 10:55:22 : W18zBTaIM6

王さん

 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。政府は何回も説得して、

「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」

と教えられた。しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/ryujya.html#ou64


136. 2013年5月09日 11:04:33 : W18zBTaIM6

日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html


137. 2013年5月16日 10:31:25 : etCpvbdadc
>136
根本的に日本人の発想じゃ無いでしょう、それw

しかし凄いな、これだけズラズラと証言並べておいて何一つ現存資料が無い。


138. 中川隆 2013年5月16日 11:59:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

日本人はこういうのが好きなんだよ:

女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0

アジアフォーラム横浜・証言集会2006 
〜マレーシアより葉徳明さんを迎えて〜

 わたしの一番上の兄は、抗日軍として密告されたのです。日本軍に拷問された。手を縛られ、ぶら下げられ、ひどく殴られる。

それから、ホースで水を飲まされ、お腹を膨らまされる。その上で腹を殴られ、水を吐き出させる。

そんなひどいことをされた。もっともっとひどいこともされた。そして殺されてしまったのです。兄の奥さんと子どもは、奥さんの実家に帰りました。


夫妻は近くに住む学校の先生に病人の診察を頼まれます。抗日軍のゲリラでしたが、病人を放っておけず、診察します。その後、夜になると、マラリアに罹ったり、怪我をした抗日ゲリラたちの診察を続けました。それが日本軍に分かってしまい、1943年11月、憲兵隊に逮捕され、そして拷問を受けました。彼女が書いていますが、

「手のつめの間に針を刺す、

焼けた鉄棒を足や背中に押し付けられる、

平手や拳骨で殴られる、

鞭で殴られる、

ブーツで繰り返し蹴られる」

などの拷問を受けたそうです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/5383/06syougen1.html



139. 2013年5月18日 23:41:09 : zTEmEuflsg
いやー、笑った笑った。
何しろ、吉田清治本人が創作であったことを認めているし、吉見義明でさえ吉田証言を歴史証言として採用していない。
まったくもって「悪質な嘘は止めようね」という話だ。

140. 2013年5月19日 14:55:22 : W18zBTaIM6
吉田清治は家族を殺すと脅されていいなりになっただけだろ。

件の本は廃刊にしていないからすべて事実という事さ。

吉見義明も吉田証言は真実だが、日時と場所が記載されていないから学術的資料としては採用できないだけだと言っている。


141. 2013年5月20日 16:10:16 : B5ZaIv57FU
長いよ!

142. 2013年5月22日 04:48:16 : DO4udKl0nM
まあ普通に脳内で論理破綻をきたしている方のスレッドでしょうね
精神医学はやや専門に近いので自明
中国の方が何か言ってのもありますが通州、済南、尼港事件その他
国際法無視した日本の民間人虐殺の経験から暴支膺懲や共産主義への嫌悪が
できたってこと無視してますね。まあ、教えられてもいないのでしょうけど

本当に過去を教訓にして現在の行動に活かせているのはどの国か
現在もなお他国や他民族を侵し抑圧してるのは、どの国か
つい最近も政府関係者や神父まで性犯罪に手を染め話題になる国はどこか
売春ビジネスを違法に海外輸出しまっくてる国はどこか
本当に言うような過去の被害があり、それが民族の深い傷だというなら、これらは絶対にできないことである筈
なのに正せないっていう結果が問題の本質を良く表していますね

チェリーピッキングの長文に惑わされず、いま起こってること
そうした結果で判断していけば、何が正しいかは自明すぎるほど自明


143. 中川隆 2013年5月22日 17:39:43 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

東京裁判で日本軍関係者が幼女を強制連行したと白状して記録に残ってるからね。

強制連行自体は既に定説になってるから否定できないよ。
安部も強制連行の証拠見せられて意見変えたしね。


144. 2013年5月24日 06:08:53 : 5phLl7gDac
>東京裁判で日本軍関係者が幼女を強制連行したと白状して記録に残ってるからね

そんな記録聞いたこともない。
具体的に、引用してみせてくださいよ。単なる思い込みでものを言っているだけでしょ?

インドネシアでは日本の軍人によって
オランダ人女性が強制的に慰安婦にさせられたという、
破廉恥な事件は確かに存在したよ。だけど、
これは当時の軍でさえ問題にして後に軍法会議で処分している。

大日本帝国とて法治国家だ。戦地でもない朝鮮本土で、強制連行なんてあるわけがない。秦教授に対する反論とて、言いがかりの域を出てないんですけど・・・。

バカらしい。この問題はいろいろな人や団体、国によって都合よく「利用」されているだけだ。真実なんて何もない。

慰安婦のおばあさんたちの証言の揺らぎぶり(話すたびに内容が変わっていく)と具体性のなさ、済州島民の反応、吉田清治のウソ白状、「挺身隊問題」として「挺身隊=慰安婦」との勘違いを改めない韓国、一向に見つからない第三者の目撃証言、終戦時に問題発覚を恐れて書類を焼却処分したはずの日本政府が、なぜか占領軍向けに同じような「慰安施設」をまたつくる不思議。慰安婦裁判と日本の支援者との血縁関係・・・なにもかもが不自然すぎる。

とても強制連行があったとは思えないよ。


145. 中川隆 2013年5月24日 17:38:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
>具体的に、引用してみせてくださいよ。

上にコピペされてるから読んでね


146. 中川隆 2013年5月24日 22:42:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
当時の日本人はこんな事ばかり日常的に繰り返していたんだよ:

ニューギニアで旧日本兵が行った残虐


ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、

「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。

それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。
母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」

と語った。

「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。

第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」


というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。


すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。

最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、


人肉食犠牲者1817人、

胸を切断され死亡した女性19人、

性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、

強姦されて殺害された女性5164人

など、とても信じられないような数字が並ぶ。


はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、

「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」

と指摘する。
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.html

 


147. 中川隆 2013年5月25日 09:58:12 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

報道するラジオ 「史実から問う、従軍慰安婦問題」/従軍慰安婦に関する数々の資料を掘り起こ­してきた、吉見義明・中央大教授に聞く

20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=GlfhtnW4fM4


148. 朝鮮人はタマ無し 2013年5月25日 18:31:27 : ItSUFfJY4WAIw : DSlm2rxbxA
3/8の衆院予算委員会での中山成彬議員が、日本の朝鮮統治時代の議員、役人や警察官の八割が朝鮮人だったと、新聞などの当時の資料付きで質疑を行った。更に日本軍人の中には朝鮮人でありながら中将にまでなった人もいる。(ついでに言えば創氏改名も強制ではなかった事、当時の日本本土と同じかそれ以上のインフラ整備も行われたと資料付きで紹介された。)

そんな、戦地ですらなかった朝鮮内で朝鮮人女性だけを20万人も連れ出せるのか?その人達は同胞が連行されるのを誰も知らなかったのか?それとも売国奴だったから日本にさあどうぞと差し出した?
まさかとは思うが悪徳朝鮮人の売春婦斡旋業者と彼等関係が結託して朝鮮女性を拐わせて売り飛ばしていたとかか?あれほど「人権!人権!」と騒ぎ立てる”情厚い正義の味方の朝鮮人”にそんな糞野郎がいるわけないよなあw

親兄弟は何をしていたんだろうねえ。自分の娘、姉妹が連れ去られるのを指を咥えてぼーっと見てたのか?

銃で脅されたとしても家族が抵抗しなかったなどとは考えられないよな。そんな事件があれば大騒ぎにならない筈がなく、総督府以外の資料や記録(それこそ日記でもいい)が全く出てこないのはどういう訳だ?

公の慰安婦強制資料が現存しない事もそうだが、俺にはそういった当時の朝鮮にいた者の生の記録が無い事、これがいわゆる慰安婦問題が無かったと思う一番の理由だ。

ま、お前らは「日帝の捏造◯ダ!」と検証どころか取り合わないんだろうがな。


149. 中川隆 2013年5月25日 21:24:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
>親兄弟は何をしていたんだろうねえ。自分の娘、姉妹が連れ去られるのを指を咥えてぼーっと見てたのか?


こうやって20万人連れ出したんだろ:

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020

子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・

慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。


150. 2013年5月25日 23:59:55 : DSlm2rxbxA
俺はただ自分の見解を書いただけで、お前と議論したいわけじゃないんだがな。

まあいか。小説からの引用が反論のつもりなんだろうが反論にもなってないな。そんなもんは証言と同じで証拠とも言えんね。そもそも検証されてんの?

20万人もの女が無理矢理連れてかれたにもかかわらず、賎人及びその政府さえ戦後から90年まで慰安婦のいの字も言わなかったのは何故だと言ってんだよ。理解出来んのか?

長文垂れ流しゃ反論してる気になるってのは左巻きと賎人に共通してんのな。それとも読む気を無くさせて人が居なくなった頃に論破したとホルホルするためか?
やってて虚しくならんのかねえ。

だいたい日本政府はなんで解決済みの事でグダグダやってんだ。馬鹿馬鹿しい。


151. 中川隆 2013年5月26日 07:24:20 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
>20万人もの女が無理矢理連れてかれたにもかかわらず、賎人及びその政府さえ戦後から90年まで慰安婦のいの字も言わなかったのは何故だと言ってんだよ。理解出来んのか?

それはもう何度も書いてるだろ。

朝鮮は儒教の国だから一度でも売春をやったら、

売春以外の仕事はできなくなる。
家族は結婚できなくなる。
家族は村から追放される。

だから、元慰安婦は故郷に帰れず、過去の事も一切話せなかった。

元慰安婦が証言を始めたのは、日本の右翼が慰安婦は売春婦だと言って彼女達をカンカンに怒らせたからさ。

まあ、今の日本人でもソープで働いたらまともな結婚はできなくなるけどね。


152. 2013年5月26日 07:26:58 : W18zBTaIM6
慰安婦強制連行は朝鮮だけじゃない

旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を 2013-05-25

91歳の松本正義さん(韓国・聯合ニュースより)
兵役時の松本さん(韓国・聯合ニュースより)

 韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日本兵が23日、日本軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。

 91歳の旧日本兵、松本正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松本さんは1944年初めから1946年3月まで日本軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊本部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日本軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。

 松本さんによると、大隊本部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日本軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。

 また、当時日本軍は中国の庶民も潜在的なゲリラと見なしていたため、しょっちゅう村落を攻撃しては「女性を捕獲」していたという。松本さんは「有漂亮的姑娘」(きれいな女の子がいる)という中国語を今だに覚えている。きれいな女性を見つけた日本軍が部隊に連行して輪姦するのも目の当たりにした。

 ある上等兵が「女性を捕獲」しようと住民の家に入った際に地雷を踏んで爆死したことや、部隊長と村長が交渉し、部下が捕えて来て姦淫した7-8人の女性を返す代わりに別の2人の女性を連れ帰ったことも覚えている。地雷で爆死した上等兵はその後、靖国神社に埋葬された。国家のために命を捧げたというのがその理由だ。

 松本さんは「本当の戦闘など当時していなかった。われわれは住民に攻撃されることを恐れていた。部隊がしたのは女性を捕獲することだけだ」と述べた。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/25/content_28929997.htm


153. 中川隆 2013年5月26日 07:38:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
>そもそも検証されてんの?


東京裁判の時に多数の日本軍関係者が慰安婦強制連行を認めたので、それ以降は歴史学会で慰安婦強制連行を疑う研究者は一人もいない。


154. 中川隆 2013年5月26日 08:14:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

これが世界の歴史学会の定説


アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6


慰安婦関係の書類は日本の役所が証拠隠滅の為すべて焼却処分してしまった。

白馬事件みたいに事実がわかると関係者は死刑になるからね。

慰安婦関係書類がすべて無くなった以上、もう上の世界の歴史学会の定説を覆すのは不可能だな。


155. diahills 2013年5月28日 13:10:02 : NX6vk3VWnn2NI : UUuwF1rkuA
そもそも中韓が声高に喚くのは、事実でないと疑るべきである。

日本にとっていいことは全て悪と捉える中韓。具体的に説明をすれば、尖閣諸島での中国漁船衝突事件である。この問題を偏向、捏造して日本が故意に事故を起こしたと世界へ発信。勇ましく声高に、しかも堂々と中国の報道官が日本側に全ての責任が有ると説明した。
この時の日本の政権は民主党であったが、仙石官房長官の一連の不手際でますます日本が問題を起こした印象を世界に植えつけた。この問題に疑問を持つ一色海自がyou-tubeに投稿して、事態が一変した過去があった。又、韓国も日本海呼称問題でヨーロッパの文献を捏造し発表。そして、日本海呼称問題を歴史問題化して、日本による植民地支配によって呼称改竄されたと世界へプロパガンダした。しかし、この問題はアメリカの日本支持によって東海(トンヘ)は却下された。さらに、最近起きた対馬の仏像事件も同様である。この問題は、盗人が特定されたにも拘わらず、韓国の裁判所で過去に日本が韓国から略奪したとして返還義務が無いという不可解な司法判断が下された。
以上の観点から理解出来るように、中韓の主張は全て疑って事実及び因果関係を調べる必要がある。当然、慰安婦問題も同様である。勇ましい韓国と不手際の河野洋平という構図がまさに中国漁船衝突事件と瓜二つである。したがって、右翼とか左翼とか騒ぐ日本を笑う中韓という因果関係が見えてくるので、情けなく思ってしまう。
結論は、一色海自のような人が橋下市長だと私は思うが、何故か日本のマスコミが彼の脚を引っ張る報道一色である。このマスコミの対応は、これまでの報道姿勢を世論から批判されるのを恐れているから必死に橋下潰しに躍起となっている。又、一方の韓国も、論破されては困るので、解らない理由で何故か敵前逃亡してしまった。これも慰安婦は怪しいと感じるのは私だけでしょうか。いずれにせよ、この問題解決には、日本のマスコミは中韓寄りなので日本海呼称と同じようにアメリカを味方に付けることが鍵である。しかし、呼称問題より厄介なのは、戦争及び性奴隷という過去である。さすがのアメリカも真実を追求することが出来ない事情もあるので、それゆえに中韓に有利なのである。しかし、私は中韓及びマスコミの言動には疑の眼で見ている。


156. 中川隆 2013年5月28日 13:49:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
中韓だけでなく日本の占領地区すべてで現地女性を強制連行したのがわかっているよ。

とりあえず慰安所を作って、土人女を強制連行した海軍中佐の中曽根元首相に話を聞いてみたらいいんじゃないwwwwww


157. 2013年5月28日 22:25:34 : HYzPTgonAI
「吉田清二」で調べていてここを見つけた。
感想など。
まず、中川という人物へ。
あまり品がよくないね。真実を主張するつもりなら冷静に言葉を選んで話すべき。
詐欺師だとか感情的な物言いが多くて、(事実かそうでないかを別にしても)この人物自体に対して好感情を持ちづらい。
日本人も真実を知ろうとして調べているのだし、韓国にもそういう人物がいると
信じたい。
誰もその場に居たわけでないので、事実と虚が混ざり合っているのが本当のところかなあと感じる。

158. マルクスジュニア 2013年5月29日 05:32:51 : Pn1BlJtuAUGjg : 7czKP88OhI
元共産党員だった吉田清治氏を、朝日が上手く操ったとのことが真実でしょう。
だいたい、朝日の植村記者の妻の両親は、韓国での女子挺身隊問題の組織トップであり、朝日は、最初から、慰安婦を企画報道と位置づけて、大キャーンペーンを
合目的的に行ったとのことで、事実に基づくとの姿勢は、この件に関しては、朝日は最初から持っておりませんでした。今も、朝日はウソの上塗りを行っております。

159. 中川隆 2013年5月29日 08:55:48 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

悔しかったらまずこれを否定したら:


従軍慰安婦に関する数々の資料を掘り起こ­してきた、吉見義明・中央大教授に聞く

20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=GlfhtnW4fM4


160. 中川隆 2013年5月29日 09:34:44 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

この吉田清治の証言を聞いて創作だと思うのは余程の世間知らずだけさ:


吉田清治の偽証? 「日本軍が数万人の慰安婦狩りをした」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20955492

私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。


吉田は

「太平洋戦争当時、『国民総動員令』を執行する労務報国会の山口県動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」

と明らかにした。彼の証言は1991年に朝日新聞に集中報道されて慰安婦問題に対する関心を触発させ、韓国では慰安婦出身のお婆さんたちの公開証言が相次いで出た。

しかし吉田は以後、多くの批判に直面することになる。著名歴史学者の秦郁彦は済州島での現地調査を経て、「吉田の言葉を裏付ける証拠や証言は何も出なかった」として、吉田を「職業的作話師」だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、「一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの」と告白した。

これをきっかけに、河野談話に対する批判的認識が日本で相当に広がった。政界では安倍首相が代表的だ。安倍氏は首相就任前の2005年4月に、ある講演会で、

「慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道して独走した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ」

と述べた。


しかし吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。

彼は自費を投じて韓国の天安に「謝罪の碑」を立てた。

河野談話の廃棄・修正論者らが伝家の宝刀のように振りかざす論理がある。慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていない、というものだ。

しかし事案の性格上、強制動員事例を公文書に記録できたかについては、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、生きている被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか、容易に納得しがたい。強制連行を証言する慰安婦の女性は、韓国、フィリピン、台湾、中国などアジアは勿論オランダにまで及び、数百人にのぼるというのに。

 「吉田清治の慰安婦強制動員証言は今も有効なんですよ〜」


 「あれ?創作だって書いてあるけど・・・」

 「それは一部で強制動員の事実は否定していないので、当然あったと解釈すべきなんです」
http://adon-k.seesaa.net/article/35237277.html


161. 中川隆 2013年5月29日 09:45:46 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

>回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。


朝鮮は儒教の国だから一度でも売春をやったら、

売春以外の仕事はできなくなる。
家族は結婚できなくなる。
家族は村から追放される。

だから、元慰安婦は故郷に帰れず、過去の事も一切話せなかった。

吉田清治はそういう朝鮮の事情を良く知っていたから、強制連行した日時や場所は絶対に明らかにしなかった。


1991.5.22朝日新聞(大阪版)

吉田清治

 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。

とはいえ、その実態は歴史から消えている。慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる。


 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。

占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。


 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。

従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。


162. 2013年6月02日 18:25:08 : D76XaLumyw
こんにちは。
吉田さん本人が作り話と認めているのですが…
おれは直接、陸軍将校だった祖父から本当の実態を聞いたので、慰安婦の話は信じられません。
俺の祖父の言うことが嘘で、自称慰安婦の言うことが真実ということはできるのでしょうか? 

163. 2013年6月03日 20:48:29 : W18zBTaIM6
吉田清治は家族を殺すと脅されていいなりになっただけだろ。


>陸軍将校だった祖父から本当の実態を聞いたので

それは建前を言っただけだろ


中曽根元首相が慰安婦強制連行やったのは有名な話だから、国会喚問すればいいのさ。


164. 2013年6月04日 01:40:39 : eild1GaDhk
だけど俺としては、どこかの知らないおばあさんの話より祖父の話の方がずっと信じられるものなのです。
建前という可能性も否定できませんが、慰安婦の方々の話が嘘という可能性も否定できません。
困りました。

祖父にしてもおばあさんたちにしても、あと10年も経てば死んでしまいます。
真実は闇にうもれてしまい、もはや誰も興味を持たなくなってしまうでしょうね…


165. 2013年6月04日 01:48:48 : eild1GaDhk
ちなみに俺は大学の六年生です。
昔から祖父や父の影響もあり、近現代史には興味が有りいろいろな本を読みました。
僭越ながら、若者?の代表として現状を述べますと、若い人たちは誰もこの問題には興味を持っていません。そして、反日運動への単純な反発として、韓国や中国には反感を持っている人は少なくないです。
お互いに対する不信感が解消されることはないと、悲観的な見通しを持っています。
ただ時間が経ち、新たな歴史によって薄められていくのを待つしかないのかなと個人的には考えています。
蛇足でした。

166. 2013年6月04日 22:52:32 : W18zBTaIM6
>慰安婦の方々の話が嘘という可能性も否定できません。

朝鮮人だけならともかく、日本が占領した全地域で現地女性を強制連行したのがわかっているからね。


167. 2013年6月07日 00:11:00 : baLTGEej1w
日本が今のように相手にしなければ、韓国はどうしようもないのではないでしょうか?
日本はかなり有利。
何らかの裏の譲歩を引き出すカードとして使えるのでは?と素人考えでは思ってしまいます。
みなさんどうでしょうか?

168. 2013年6月09日 00:01:54 : 9t6ZygIprI
韓国人の女性は売春が大好きですよね
もともと朝鮮半島では女性の地位は低く強姦されて文句言うな!といった風土ですし手っ取り早く現金収入を得るには売春なんですよね
世界中探しても朝鮮人の売春婦の居ない国は無いぐらいですからね

169. 女性の人権を守るネットワーク 2013年6月09日 00:58:11 : nILRqsjFMV4Z2 : VucuzahAkM
日本でも韓デリという一大ジャンルに成長してますね。
私はお世話になったことはないですが 笑

そもそも日本は慰安婦問題などという過去の問題に対処する以前に、現在起きているいわば進行形の慰安婦問題を解決するべきだと考えています。
何十万人もの人が、半ば強制的に日本に連れてこられ性産業に従事している現状を放置しているようでは人権後進国の汚名を着せられても仕方がないでしょう。


170. 2013年6月14日 21:27:51 : DSlm2rxbxA
中川某がつらつらと書き込んでいるが、日韓基本条約の交渉時に慰安婦の件を問題にしなかった韓国側の責任だ。
あの時こうだったから、ああだったから、などと後出しジャンケンで条約を無視出来るのであれば、全ての国家間で交わした条約そのものが意味のない物になってしまう。
歴代首相の十回以上にわたる謝罪も、アジア女性基金による償い金も、全て突っぱねておきながら何度も謝罪と賠償を要求する韓国政府と元慰安婦。

日本の全ての資産を差し出して日本人全員が韓国人に隷属しなければ、許すことは出来ないとでもいうのか?教えて貰いたいものである。


171. 中川隆 2013年6月17日 22:32:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

焼きごて、子宮摘出… 
元「慰安婦」李守山さん、シンポで証言 2013年6月17日

「従軍慰安婦」にさせられた過去を語る李守山(イ・シュサン)さん=16日、那覇市の沖縄大学

 日本の歴史認識を考えるシンポジウム「『朝鮮人強制連行』と『従軍慰安婦』をめぐってPart2」(おきなわ「日韓政経・文化」フォーラム主催)が16日、那覇市の沖縄大学で開かれた。約150人が参加した。

病身の体を押し、元「慰安婦」の李守山(イシュサン)さん(85)が証言した。

李さんが沖縄で証言するのは初めて。

旧日本軍による拷問で体中にやけどを負い、妊娠発覚後に子宮を摘出させられた過去を振り返った李さんは、「慰安婦」の強制性を否定する日本国内の動きに

「これが私の人生です。皆さん、力を合わせて一緒に、『慰安婦』は強制だったと言ってほしい。そうしてくれれば、何も望まない」

と声を振り絞った。


 海辺の村で暮らしていた17歳の時、警察官に「紡績工場に就職できる」とだまされ、少女7人で汽車に乗せられ、満州の牡丹江にあった旧日本軍の慰安所へ連れて来られた。兵隊は毎日、列をなした。

脱走した李さんを焼きごてによる拷問が待ち受けていた。

妊娠して子宮を奪われた後も、慰安所に戻された。涙する李さんに、会場も泣いた。李さんは

「これが強制じゃなくて何なのだろう。日本政府が謝らなければ、心に一生傷が残る」

と訴えた。

 元外務省欧亜局長で京都産業大学教授の東郷和彦さんも登壇。日本国内の「慰安婦」問題への対応が、日韓関係の危機的な状況を生んでいると指摘し、「彼女たちが生きている間に、新しい政治的ページをめくらなくてはならない」と強調した。

 琉球大学大学院1年で言語政策を主題に学ぶ岩原日有子(ひうこ)さんは「証人がいなくなり、歴史がなかったことにされるのが怖い。次の世代として、新しい関係をつないでいくことが大事だと実感した」と話した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-208097-storytopic-1.html


172. 2013年6月19日 17:17:15 : TA71bnBxbM
堕胎するために子宮摘出は考えられない。
開腹で、大きなリスクと手間をかけてやる必要性がないからだ。
また、内地の病院でも限られた施設でしかまだ行われていなかったもので慰安婦のためにそれが実施されたとは考えられない。
いわば、胃潰瘍で胃を全摘するようなもので、ありえない。

当方、素人ではありません。


173. 中川隆 2013年6月19日 21:02:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
>堕胎するために子宮摘出は考えられない。

ここに答えが出てますね:


収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。


『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』

〔朴永心被害証人ビデオ証言]

−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。

朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。

黄検事

今ビデオ証言をした朴永心さんがこの会場においでです。朴永心さんです。
(p65-67 同書 2000.12.8つまり法廷一日目の記録より)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201


174. 2013年6月19日 21:52:25 : TA71bnBxbM
堕胎のためでないなら、ありうると思います。
ただ、捕虜に対して大量の輸血を必要とするこの手術をするとしたらアメリカはさすがだと思います。

私が見たopeでも、子宮の全摘は多くの場合4000ml程度の出血をしました。当然、輸血製剤を必要とします。

あと、この方の年齢が7年ほど間違っていると思うのですが…
細かいことですが、資料である以上重要なファクターなので訂正お願いします。


175. 2013年6月19日 21:55:57 : TA71bnBxbM
すいません間違えました。
別人の話なのですね;

流れ的に同一人物と勘違いして読みました。


176. 恵也 2013年6月24日 15:15:17 : cdRlA.6W79UEw : ztUNcbDLOQ
>>132 当事の列強各国の植民地政策からしたらそれぐらい普通だったんじゃないですか?

周回遅れのランナーに帝国主義国として参加してしまったから、日本は非難され
第二次大戦にも敗れてしまったの。

朝鮮併合したところで止めれたら、非難はほとんどなかったでしょうが満州や
中国にまで手を伸ばしたのが運のつき。

この当時にはアメリカの自由貿易主義の黎明期で、今と違って諸外国へも相互
不干渉というモンロー主義がアメリカの方針でした。

日本にはモンロー主義じゃなく、海外侵略を正当化する「八紘一宇という思想」
だったので周回遅れで世界の植民地競技に参加してしまった。
今じゃアメリカが海外侵略を正当化する「テロ撲滅という思想」が蔓延してる。

>>140 日時と場所が記載されていないから学術的資料としては採用できないだけ

判ってるものを秦邦彦が調べ、その上で正確と言えないとしたんでしょう。
女性や家族の恥になるものだから、加害者である吉田清治氏も日時・場所を
アヤフヤに混同し記述したもので学術資料には不向き。

吉田清治氏の話は、済州島の話と韓国での話をミックスして遺族や慰安婦の
個人・親族としてのプライバシーを保護したもの。
大筋は自分で行った事実のことを喋っただけ。

タダの普通のオランダ人女性でさえ無理やり慰安婦にしてます。
劣等民族と見下げて、馬鹿にしてた貧乏な、政治権力もない朝鮮人女性を
慰安婦にするのは当たり前。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
「白馬事件」とよばれている事件です。
白馬というのは当時の隠語で「白人女性に乗る」ことを意味していたみたいです。

インドネシアには数カ所に白人女性を使った慰安所があり、総計65名のオランダ
人被害者の事例が記録されていますが、特に有名なのが1944年2月新設の
スマラン慰安所の事例です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

>>151 今の日本人でもソープで働いたらまともな結婚はできなくなるけどね。

家族も隠すし、本人はお年寄りになっても隠すし、まず公表しない。
公表するのなら、相当な怒りや憎しみ、義務感がないと出来ないよ。
貰えるか貰えないかもわからないような金銭の問題じゃない。

>>155 一色海自がyou-tubeに投稿して、事態が一変した過去があった。

日本ではマスコミ報道で事態が一変したと思うけど、世界では変わらんよ。
この事件は海上保安庁を管轄してた前原国交大臣の拿捕命令からでしょう。

それまでは田中角栄と周恩来の棚上げ合意で、尖閣での日本船は日本政府が
取り締まり、中国漁船は中国政府が取り締まることで事件化してません。
むしろこの時期から日本政府の中国敵視政策が実行されるようになったと思う。

>>162 俺の祖父の言うことが嘘で、自称慰安婦の言うことが真実という
>>  ことはできるのでしょうか? 

名無しのアンタが言っても信用力はゼロ。
俺は自称慰安婦を信じてるよ。

又聞きだけど、中国戦線で戦ったお爺さんは平常は無口で礼儀正しいけど
酒を飲ませたら戦争での残虐な寒気のする武勇伝を威張って喋るという。
たぶん酒を祖父に飲ませたら「祖父の言うことが嘘」なのが判ると思うけどね。

>>164 建前という可能性も否定できませんが、慰安婦の方々の話が嘘という可能性も

これは対等じゃないよ。
祖父には嘘をいう利益が存在するが、慰安婦には嘘をいう利益がない。
アンタは自分の孫に、自分の悪行を知られたいと思うかね?

>>172 堕胎するために子宮摘出は考えられない。

これは二度と妊娠して面倒にならないようにする為。
だからこれは十分に考えられます。


177. 2013年6月28日 01:26:15 : tMNEMCBRQI
>>176
卵管結紮するだけでいいじゃん
子宮まで取る必要なくね?
今みたいに腹腔鏡はないから、開腹にはなるけど出血だいぶ抑えられるし、opeも楽

178. 中川隆 2013年7月04日 00:03:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

Q+リポート 元慰安婦女性 戦後も消えなかった苦しみ
http://www.dailymotion.com/video/x116dsc_q-%E3%83%AA%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88-%E5%85%83%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%A5%B3%E6%80%A7-%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%82%82%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%8B%A6%E3%81%97%E3%81%BF_news#.UdQ8gPmCimw

179. 2013年7月04日 02:27:52 : R0J1iUiLbY
1944年に16歳で慰安婦になると、今は84歳。
みなさんもう少しの辛抱ですぞ!

180. 2013年7月15日 01:21:26 : qSqEv3l18y
無視
無視
これにつきる

181. 2013年7月23日 08:53:54 : FvtU6MuDeg
売春婦が堂々と仕事よこせデモをしたり自国の売春婦が世界中で活躍する国のどこが「儒教社会」なのか。あと整形しまくり(朴槿恵はしてない=典型的なエラ張りの半島人の顔)、ブランド品超精巧コピー等々、どう考えても嘘偽りが多すぎる国。サッカーの"2002 FIFA World Cup Korea/Japan"(なんでJよりKが先なんだ?)の審判買収準決勝進出を見ても明らか。李承晩ラインも日本の占領が終わる直前に勝手に引いた火事場泥棒。東南アジアのツアーで知合った「慶州」出身の横浜の山手に住んでる舅からプレゼントされたベンツに乗ってる「ぱちんこ」セレブの奥様の言によると(旦那が韓国の大統領に表彰されたときの写真が自宅に飾ってあった)「このあたりには韓国人ほんとに多いよ」だと。その理由は戦後のドサクサに紛れて強奪・居座りした以外の理由が考えられないが、それとも奇特な日本の戦争未亡人などが過去に差別された朝鮮人に家屋敷をそっくり明け渡したとでも言うのかね? 阿修羅は文体からして年齢層がだいぶ高そうだから過去の自著をこっそり改竄した本多勝一はじめ共産思想の洗脳がいまだに抜けないようだが、まー時間とともに自然淘汰されてくだろうね。

182. 2013年7月24日 13:06:17 : 8rOJ3xjC7Y
なんか、洋画の「オルゴール」(ジェシカ・ラング主演)を思い出しちゃった。
この映画のオチと同じじゃなきゃイイけどね・・・。

183. 2013年7月24日 19:45:48 : W18zBTaIM6
慰安婦は朝鮮人だけじゃないからね。

慰安婦証言はどの民族でも似たり寄ったりだけどね。


184. 2013年7月26日 17:26:21 : DjHgqrxBCY
中川隆さんへ

>吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦

では、

http://www.youtube.com/watch?v=Qg5Xt3y11qw

この動画内の秦さんの発言も真っ赤な嘘ってことですね?
嘘だとしたら、嘘であることを示す真実の証拠と、その情報ソースを出すべきではないでしょうか?

>済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

この情報のソースと客観的な信憑性を裏付ける証拠はどこにあるのですか?
音声や文書が示されていないようですが。


185. 中川隆 2013年7月26日 18:51:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
上に引用されている様に秦郁彦は歴史学会では詐欺師認定されているというだけです。

詐欺師でもその言葉がすべて100%嘘という事は無いです。

改竄・捏造の常習犯というだけですね。


186. 中川隆 2013年7月26日 18:54:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
阿修羅掲示板では二重投稿ができない様にプログラミングされているので、同じ文章を何度も投稿できません。

引用元は自分で探してください。


187. 中川隆 2013年7月26日 20:19:56 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

秦郁彦氏を語るスレ

(秦郁彦 基本情報1

秦郁彦が前からひどい文献引用をしているのは知っていたが、どうやら

===(文献捏造>までしていたらしい====

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070817/p1

ここでは、秦郁彦が慰安婦は志願だったと主張した根拠となる文献を、その保存もと
ワシントンのNARA(米国国立公文書館:National Archives and Records Administration)にメールで問い合わせたら、「そんな文書はない」、という返事かきたそうだ。

これだけだと、些細な文献名の間違いとか想像するが、何せ秦郁彦にはこうした前科がいっぱいあるそうだ。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

こりゃあ、秦郁彦ももはや、学者の看板を下ろして、ただの宣伝屋と呼ぶべきだな。


(秦郁彦 基本情報2
NARAからのメールは私が保管しています。
秦先生か、「史実を世界に発信する会」が、公開してくだされば問題はないのです。
さらに公開されたタイトルや内容については、NARAにフィードバックします。

"Composite Report on Three Korean Civilians, List No. 78, dated 28 March 1945,
“Special Question on Koreans"は強制連行を否定する根拠のひとつとして提示されており、
NARAから”We were unable to locate the report among the records in our custody.”
なんて言われて何らかのリアクションを起こさなければ、『慰安婦と戦場の性』の学術書としての信頼度はほぼなくなります。また、強制連行を否定すること自体も困難になります。
「例の文書出せよ!」って言われたら反論できませんから。

誰かを嘘つきと一方的に疑うまえに、議論に参加するものすべてが、この文書の公開を求めるべきだと考えます。サヨク・ウヨクの問題ではありません。



(秦郁彦 基本情報5

ひどいね秦の書かれよう。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

ここまで具体的に批判されて反論をしていないということは認めたということだろうな。
しかも書かれたのは8年前。

秦はよほど研究者として程度が低いか
あるいは誰かのために事実をねじ曲げてるか、どっちかじゃないのか
と思ってしまうな。


(秦郁彦 基本情報6
667 :Stiffmuscle:2007/08/24(金) 01:37:57 ID:xvkBLfWa0

わたしも専門家ではありませんが、米国立公文書館は一素人の外国人からのメールに真摯に対応してくれました。同じような対応を秦先生や加瀬さんに求めているわけです。
この件に関しては、まだ、秦先生や加瀬さんを批判する段階にはありません。


>我々のような匿名世界の人間が研究者を振り回すのはどうかと思うが、どうだろう?
素人に振り回される研究者ってのもの変な存在ですけどね。
秦先生に学者としての実績がありプライドがあるのは当たり前なので、そこらへんは勘案しているつもりです。

それから、この文書確認は、基本的には、吉見先生や林先生が直接関わるレベルの問題ではないと思います。専門家のアドバイスを受けながらNGOレベルで対応できる範疇でしょうね。


>専門家と相談した結果を、ココや「はてな」で発表してくれたら有難い

そうですね。専門家やNPOともコンタクトを取り始めていますので、時間はかかるかもしれませんが、それなりの結果が発表できるように努力したいと思います。


9 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:50:52  ID:iK/V6be00(13)
(前スレ 注目発言1
>720
>「間違いが多い」云々は、どの学者だって論敵からは言われてる

バカを言っちゃいけない、秦郁彦のしていることは「間違い」ではない!

林博史の書いていることを読めば、それは「意図的な歪曲」である事はすぐわかる

そして間違いなら、指摘されれば筆者は修正するだろう、秦郁彦はしてない

これを知れば秦郁彦のしていることは「もはや学者とは言えない」という表現が判ってくる
つまり彼は学者で、事実はこうだ!と書く振りをしながら、政治的主張をしているにすぎない

===>だから歴史学者は誰も相手をしなくなったわけだ
    未だに、学者扱いするのは2chのバカだけ

10 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:52:26  ID:iK/V6be00

(前スレ 注目発言

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:39:52 ID:NJllLgkS0
>732
>秦郁彦ももはや、学者の看板を下ろして、ただの宣伝屋と呼ぶべきだな。

どうやら秦郁彦が嘘つきなのは、確かなようだね。
この話には続きがあり、史実を世界に発信する会に電話したら、なんと茂木弘道がでてきて、結局その文献はなかった、という話だよ。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070831

いやあ、面白いねえ。

秦郁彦が、証拠を捏造したのは、きまりのようだな。


11名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:53:34  ID:iK/
(前スレ 注目発言
>735
>秦がつぶれない、って言うことは批判自体がたいしたことない

つぶれる?ってどういう事かよくわからないが、秦がまだ雑誌などに書ける理由は下記だろう

1秦郁彦は文献捏造や、恣意的引用による、文脈捏造では、まるまる嘘をつかず、ミスのように見えるよう少しずつやっている。だから批判する側もバカバカしくてなかなかやらない

2秦郁彦は著書では、実は大したことは書いていない。「そうみえる」「こういう例もある」程度あり、におわす程度だ。しかし2chなどネット上の無知な、バカは、もろ「こういった」と感じて、引用し書き散らす。秦郁彦は狡猾だ

3 2chのバカには意外かも知れないが秦郁彦は正面から吉見義明の本を、批判したことはない。
 かれの慰安婦での主張は結局、「強制連行の証拠はない」以上のものではない だから吉見の側でもまともに取り上げにくい

2chのバカにも分かり易く書くのは難しいなあ

13 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 14:00:52  ID:iK/V6be00(13)

(秦郁彦 基本情報8
学術研究書としては研究者が叙述した資料集、回顧録、口述歴史等の資料を性別、民族別に分類し、歴史教育、歴史認識、基本的人権、帝国主義などいった幅広い観点から分析、考察を行った研究成果がある。主な作品を以下にあげる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E7%A7%A6%E9...#.E3.80.8C.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.A8.98.E8.BF.B0.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

1倉橋正直、従軍慰安婦問題の歴史的研究
2川田文子、戦争と性
3吉見義明、従軍慰安婦
4吉見義明・林博史、共同研究・日本軍慰安婦
5ジョージ・ヒックス、性の奴隷従軍慰安婦
6金冨子・梁澄子他、もっと知りたい「慰安婦」問題
7鈴木裕子、「慰安婦」問題と戦後責任
8荒井信一、西野瑠美子・前田朗、従軍慰安婦と歴史認識
9鈴木裕子、戦争責任とジェンダー
10前田朗、戦争犯罪と人権
11日本戦争責任センター編、シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題
12蘇智良、慰安婦研究
13蘇智良・栄維木・陳麗菲編、滔天罪藝二戦時期的日軍”慰安婦”制度
14VAWW-NETジャパン他、「慰安婦」戦時性暴力の実態1−朝鮮・台湾・日本編
15VAWW-NETジャパン他、「慰安婦」戦時性暴力の実態2−中国・東南アジア・太平洋編
16尹明淑、日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦

以上の学術研究書の共通点として、・・・・
ケケケ、15冊も本をあげても取り上げて貰えない秦郁彦、哀れ

ウィキペデアにも書いてある
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6...

従軍慰安婦に関する秦の説はその他の研究者からほとんど参照されておらず、内容が参考にすべきものと評価されているとは言い難い。(例えば朱徳蘭はその台湾の慰安婦に関する研究書「台湾総督府と慰安婦」(明石書店 2005)で 、今までの研究結果として多くの研究書を列記しているが秦の本はない。また吉見義明は「日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)制度研究の現段階」(戦争責任研究 (38) 2002年冬季)で12年間の研究を振り返っているが秦への言及はない)
更に、方法論的な疑義を示す論者が存在する。

・・・・要は秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」は、世間では馬鹿が読んでいるが、研究者にはまったく相手にされていないという事らしい

14 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 14:03:59  ID:iK/V6be00(13)
(前スレ 注目発言

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 01:38:01 ID:BnrQBANV0
嘘つきの秦も、集団自決では大風呂敷は、広げられなかったようだね、せいぜい情けがどうのと言い訳する程度。

秦郁彦はもちろん、沖縄戦の専門家ではない、もし教科書審議会がもう一度開かれても呼ばれる可能性はまずない、。従って、秦がどんな嘘をつこうと、教科書には関係ない
http://desktop2ch.tv/history2/1194023393/


188. 2013年8月15日 21:41:05 : 7qYCehaDEQ
戦勝国である米軍、英軍、、、、、追加参戦した露軍、、、さらに日本軍の同盟軍であった韓国には戦時において今、問題化されている慰安婦問題はどうだったのか、日本以外は、新ためて問題がなかったこと証明すべきかも。
戦争の勝敗に関係のない地球上の全生命体の存在の問題として。
何かおかしくないか。

189. 2013年8月15日 21:57:40 : 7qYCehaDEQ
ちなみに、中国は歴史上、テンソクまでやった国だぜ、いまはどうなのか。

190. 2013年9月01日 22:08:48 : aQq0UGoaxY
戦時中の朝日新聞、慰安婦強制連行したのは朝鮮人業者と報道2chNEWSポストセブンが手の平を返し真実を報道し始める
http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/170.html

191. 中川隆 2013年9月02日 01:14:48 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

朝日新聞がうんたら かんたらと言ってるアホ右翼さんはまずこれをすべて否定してね:


旧日本軍の従軍慰安婦問題を研究している学者らが1日、

「資料や証言など確かな根拠に基づく事実関係を知ってもらおう」

とウェブサイト「FIGHT FOR JUSTICE 日本軍 『慰安婦』―忘却への抵抗・未来の責任」を開設したと発表した。

吉見義明中央大教授や林博史関東学院大教授らが同日、東京都内で記者会見した。サイト作成に携わった金富子東京外国語大教授は会見で、インターネットに「慰安婦問題は捏造」などのバッシングがあふれていると指摘。

「責任を回避するために問題をゆがめて忘却を強いる勢力に抵抗し、未来に事実を伝えたい」

と話した。


______

Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任http://fightforjustice.info/


192. 2013年9月09日 20:01:59 : ySSn0cr5PM
今時、日本人で有りながら悲しいかな戦時中の
凶悪植民地主義者和蘭人、大嘘吐き鮮人、
大嘘吐きチャンコロ・・の
追軍売春婦達に方を持ち我が帝国、国民
皇軍を貶めている人間の皮被った獰猛な獣が
まーだこの帝国に潜んでいる。油断大敵!!

193. 2013年9月09日 23:27:02 : W18zBTaIM6

チョン・チャンコロは天皇だろ。

天皇は日本に渡って来る前は朝鮮の38度線近くの某集落に住んでたんだよ。

朝鮮の学者はみんな知ってるよ。


194. 2013年10月15日 19:05:08 : W18zBTaIM6


日本、東京国立公文書館 慰安婦強制動員裁判記録 初公開
http://japan.hani.co.kr/arti/international/15756.html

登録 : 2013.10.07 20:38修正 : 2013.10.07 22:03

インドネシアでオランダ女性 35人連行

"将軍の要請で公務員が連行" 日本軍が直接介入した情況を記録
これを根拠に‘河野談話’が出た


東京国立公文書館が公開した慰安婦強制連行証拠資料. SBSニュース キャプチャー

 日本政府が太平洋戦争末期インドネシアの捕虜収容所に監禁されていたオランダ国籍の女性たちを強制連行し、慰安婦としたことを示す資料が公開された。 日本軍が慰安婦の強制連行に直接介入した状況を生々しく把握できる文書の詳しい内容が公開されたのは今回が初めてだ。


 共同通信は7日、日本軍がインドネシアの捕虜収容所でオランダ国籍女性35人を強制連行し、慰安婦としたことを示す資料が先月末から6日まで東京国立公文書館で公開されたと報道した。 この文書は朝鮮人女性たちの強制動員の有無を直接示す資料ではない。

 今回公開された資料の名前は‘BC(B・C級戦犯)バタビア裁判第106番事件’(合計530頁)だ。 1949年までオランダのバタビア臨時軍法会議で開かれた旧日本軍中将と少佐等、将校5人と民間人4人を強姦罪などで起訴した起訴状と判決文などで構成されている。 バタビア裁判という名前がついたところから分かるように、この記録は日本が崩壊した後にオランダ政府がオランダ領インドネシアでなされた日本軍の戦争犯罪を処罰するために進めた戦犯裁判関連文書だ。 このような事情を考慮する時、資料の信憑性が相当高いと判断される。

オランダ出身従軍慰安婦ヤン・ルフ・オヘルネが19才の時の1942年3月、太平洋戦争を起こした日本がインドネシア ジャワを侵略する直前に撮った写真(左)と現在の姿(右)

 文書には太平洋戦争が終盤に至った1944年、日本軍将校がジャワ島スマラン州収容所に監禁されていたオランダ国籍女性を州内4ヶの慰安所に連行し性売買を強要する過程が細かく描写されている。 これを見れば、

"(日本軍将校らが)州警察の長に慰安所に送る女性を収容所で選ぶよう依頼した"

"○○将軍の要請で州の公務員が女性たちを連れて行った"

"女性たちは慰安所に入るまで、どんな仕事をすることになるのかを聞くことはできなかった"

等の証言が含まれている。 慰安婦動員過程に日本軍が直接介入したことを確認できる。


 しかしこの裁判で12年刑の有罪判決を受けた日本軍中将は、1966年の帰国後に日本、石川県庁でなされた調査で

「連合軍の(戦犯裁判のための)調査が成され、婦人たちがありもしないことを並べ立て日本軍部をののしった」

として疑惑を否認した。

 この記事を書いたの角南圭祐記者はハンギョレとの通話で

「1993年河野談話が出てくる時、日本法務省がこの資料の内容を要約した4頁の資料を官房長官室に報告した」

として

「このような資料があって慰安婦動員過程で軍の強制性を認めた河野談話が出て来れた」

と話した。 今回の資料公開で日本で河野談話の修正を要求する声は説得力をより一層失うことになる展望だ。

東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

韓国語原文入力:2013/10/07 19:51
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/606115.html 訳J.S(1281字)


195. 2013年10月16日 17:19:46 : VOGlro5SjI
従軍慰安婦がセックススレイブwww日本は高額な金額を支払ってる。
だが一般論としては

このフランス映画が当時を同じ国の人が表現してるね。弱い国は奴隷だったんだね。日本もこういう風景を朝鮮でやればよかったね。韓国の一部主張は弱い国が一番偉いと言ってる事自体が国家の責任放棄と長い人類の歴史の無視だね。大東亜共栄権とはあの当時画期的だったんだね。アメリカの戦後政策にも強く影響してる。
朝鮮、中国もこのようなことが日常に行われていた。日本軍はむしろ解放してたんだね。

http://www.youtube.com/watch?v=Hrut_6N9Gpk

さすが日本の先人は唯一アジアで文明国を果たし現代でも自由と文化のリーダーだね。


196. 2013年10月17日 21:11:52 : W18zBTaIM6
従軍慰安婦で給料貰った人は一人もいないよ

197. 2013年10月17日 21:51:42 : VOGlro5SjI
>>196

いまさら言うかね。知識をテストしてるのかね?
日本で始まった裁判で貯金通帳が2年で今の価値で2億円ためてると朝鮮慰安婦が通帳つき証拠として出してるね。

当時のアメリカ軍の調査が公文書としてあるね。

http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4

皮肉にも敵国の調査が一級証拠だよ。自由に強制連行するならブスはやめたほうが
良いというアメリカ人も不思議がる朝鮮慰安婦の容姿らしね。それに見合ってセックスでもっと儲けたいやサービスしたいと残念がるところまで調書取られてるね。


198. 2013年10月21日 17:22:48 : W18zBTaIM6
それはデマだろ。 帳簿上はともかく実際に支払った給料はゼロだった:


給料など女性達への金銭支払い

女性たちと元兵士の人たちとの証言の違う一番の問題点は、「高い料金を払った」ということと「お金はいっさい貰っていない」というものです。上記のように、兵士の払ったお金はあくまで「料金」であり、それが給料としてどの位支払われたかは、女性たちの「証言」と経営者の「証言」によるしかありません。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/shiraisi.html

白馬事件・スマラン事件
日本軍などは、抑留所からスマランの慰安所にオランダ人女性を強制連行しました。女性達は毎日強姦されました。給料は払われませんでした。性病を移されたオランダ人女性もいました。日本軍は、これについて何の処罰もしませんでした。戦後、バタビア臨時軍法会議で、BC級戦犯として11人に、有罪の判決が出ました。罪名は強制連行、強制売春、強姦。責任者の岡田陸軍少佐には死刑の判決が出ました。また他の大佐は戦後、日本に帰国していましたが軍法会議の終了前に自殺しました。裁判では強制連行があった事実が認定されました。

スマラン慰安所の被害者の一人であるJan Ruff O'Herneさん(オランダ人女性で現在はオーストラリア国籍)は、アメリカ下院において現在、提出されている日本に対する謝罪要求決議の公聴会で証言しました。強制連行されレイプされたと証言しました。アメリカ下院における証言のサイトです。
http://internationalrelations.house.gov/110/ohe021507.htm

給料どころか、日本軍将校の有罪が確定しています。


199. 2013年10月22日 01:49:50 : VHaaXpgS8A
テキサス親父の時事漫談が余りに衝撃的で、朝鮮人どもが削除しまくった。そのためかえってみっともない拡散になったじゃねえか。よほど都合が悪いんだな。文玉珠は日本の軍人相手に、たった2年の売春で東京に家を5軒建買えるほど貯金できたってよ。これらは全部公文書で分ったことだ。その一方で売春婦側は「ウリが証拠だ」という以外に一次資料などの証拠は一つもねえ

200. 2013年10月22日 08:18:17 : W18zBTaIM6
それは給料ではなくてチップをためたものさ。

202. 2013年10月22日 17:07:20 : W18zBTaIM6
>そして戦後何十年も経ってから何でこんな重大な話が出て来たの?


食料と女性の現地調達は昭和天皇直直の命令だったから、GHQは必死に証拠隠滅工作してたのさ。 昭和天皇を戦犯として処刑してしまったら日本が今のイラクみたいになってしまうからね。


203. JohnMung 2013年10月30日 03:43:59 : SfgJT2I6DyMEc : C7nWl1y75A

 下記のスレをご覧下さい。

 慰安婦問題に係る韓国(政府及び関係者)の歪曲・捏造を含む言動を正すため、事実・事実関係を明らかにしようとするコメントを、中川隆(ID:HNPlrBDYLM、W18zBTaIM6)は愚弄するか、論拠・根拠も定かでないコメントで、執拗に攪乱に努めています。

 どうも、事実・事実関係を無視し、ねじ曲げ・捏造してでも、韓国の一方的主張を擁護しようとするのは、中川隆自身が在日韓国人または朝鮮人だからなのでしょう。

 ”慰安婦「10万人いた」? 韓国紙報道に疑問・矛盾の数々(産経新聞)”
 http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/526.html
 投稿者 かさっこ地蔵 日時 2013 年 10 月 27 日 20:09:24: AtMSjtXKW4rJY


204. 2013年10月30日 17:57:25 : W18zBTaIM6
朝鮮人は小沢だろ

205. 中川隆 2013年11月04日 09:11:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

オランダ人慰安婦やインドネシア慰安婦の資料で、強制連行、給料ゼロが証明されている。
朝鮮も聞き取り調査ではオランダ人慰安婦やインドネシア慰安婦と同じか更に酷い状況だった。

他の国の従軍売春婦は20才以上で、止めたければすぐに止められた
日本の慰安婦は12,13才から20才までの売春婦としては認可されない性奴隷で、逃げたら凄惨なリンチで殺された

以上すでに実証済みだからこそ世界中の歴史学会の定説になっているのさ。


南京大虐殺でも慰安婦強制連行でも731部隊の人体実験でも、昭和天皇の命令でやった事はアメリカが徹底的な証拠隠滅工作をやるのは有名な話さ。

小沢信者は極右、天皇崇拝、アメリカの流すデマを何ら疑わないで信じるアホだけだな。


206. 2013年11月04日 23:46:11 : SxEsVz7QDw
吉田証言は虚構なんじゃないの? 自分自身が認めているんだから。

207. 中川隆 2013年11月05日 10:42:46 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
吉田清治が認めたのは、慰安婦の身元がわかって、彼女達とその家族・親戚が迫害を受けない様に、場所と時間を正確に書かなかったという事だけだ。

内容については否定していないし、本も廃刊にしていない。


209. 2013年11月05日 12:20:29 : W18zBTaIM6
慰安婦強制連行の証言は朝鮮人だけでなく、日本の占領地区すべてに渡って多数存在する。

しかも証言内容は朝鮮人慰安婦と殆ど変わらないしね。


210. 2013年11月06日 21:10:15 : SxEsVz7QDw
吉田清治は慰安婦狩りは小説だったって認めたでしょ。小説ならば廃刊にする必要がない。

211. 2013年11月06日 23:20:18 : SxEsVz7QDw
「軍慰安婦 〜彼女たちの叫びが聞こえますか」
(日本語版)http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_975557&feature=iv&src_vid=7jlfAqR8uBc&v=KZ2d1bqycmw
(英語版)http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_432572&feature=iv&src_vid=KZ2d1bqycmw&v=7jlfAqR8uBc
これは結構勉強になった。
The fact of Comfort Women (Sex Slave)
(英・日)http://www.youtube.com/watch?v=-MZrrL
これもね。
みんなで勉強しよう。

212. 2013年11月06日 23:23:35 : SxEsVz7QDw
"The fact of Comfort Women (Sex Slave)"
(英・日)http://www.youtube.com/watch?v=-MZrrLn64cg
ごめんなさい。urlが途中で切れていました。

213. 2013年11月08日 06:14:24 : i7AAgkD2qk
誰か教えて。

白馬事件って、朝鮮人のこと?違うでしょ。確かオランダ人でしょ。しかもそれは軍法会議で裁かれて終わった話でしょ?違うの?

自称従軍慰安婦の証言って朝鮮戦争の時の話でしょ?
http://megalodon.jp/2013-0922-0445-53/www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2013092012432151429
8〜10行目機械翻訳
慰安婦被害おばあさんを代表して証言者で出たキム・ボクトンおばあさん(88)は"朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた"としながら"日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決することができるように助けてくれ"と話した。

朝鮮は儒教の国なので故郷に帰れない?はぁ?鶯谷のアガシはしょっちゅう帰国して故郷に帰ってるけど?足洗ったコもいるし。なんで儒教の国なのに世界最大の売春婦輸出国なの?

日本の右翼団体=在日だけど?なんで吉田は在日から脅迫されるの?

ライダイハンって何?教えて!よくわからんのでソース貼っておく。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/10/post-3075_1.php


214. 2013年11月12日 22:31:01 : 2D6PkBxKqI
>鶯谷のアガシはしょっちゅう帰国して故郷に帰ってるけど?

朝鮮はもう儒教の国じゃなくなったからさ

>日本の右翼団体=在日だけど?なんで吉田は在日から脅迫されるの?

在日は天皇崇拝だし、日本人になりたいからさ。



215. 2013年11月25日 04:58:10 : nSRnXkp0mM
通名で書くな

216. 中川隆 2013年12月10日 07:19:01 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

日中当局、慰安婦取り上げぬ合意 92年の天皇訪中前

2013年12月10日06時03分

写真・図版並んで歓迎晩餐(ばんさん)会に向かう楊尚昆中国国家主席(手前)と天皇陛下=1992年10月23日、中国・北京の人民大会堂
写真・図版

 【佐藤純、板橋洋佳】日中外交当局が1992年、旧日本軍の慰安婦問題を大きくしないよう互いに抑制的に対応すると合意していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者の証言で分かった。日中国交正常化20周年の同年秋に予定されていた初の天皇訪中などへの影響を懸念したためとみられる。

 日本外務省中国課長と在京中国大使館の担当者との会話を記録した同年2月19日付極秘文書によると、日本側は「慰安婦の問題が韓国から中国にも飛び火して頭を悩ませている。重要な要人往来を控え、この話が日中関係の大局に影響を及ぼさないようにしたい」と伝えた。中国側は「プレー・アップを望まないのは中国側も同様。中国の国民感情に直接響いてくる問題であるので、慎重に取り扱う必要があろう」と答えた。

 この10日余前、中国人慰安婦がいたことを示す資料が旧防衛庁で見つかったことが報道されていた。「プレー・アップ」は外交官らが「大きく扱う」「強調する」といった意味で使う。

 江沢民・中国共産党総書記(当時)が同年春に訪日し、秋には天皇が初訪中する方向が固まっていた。中国側は天皇訪中を、89年の天安門事件以降続いていた国際的孤立を解消していく好機ととらえていた。
http://www.asahi.com/articles/TKY201312090463.html?ref=com_top6_1st


戦地での食料と女性の現地調達、慰安婦強制連行は昭和天皇が直接指示してやらせた事だから、こうなるのは当然なんだよね。


217. 2013年12月17日 21:36:52 : P0VMEtQYt2
なぜ、吉田清治を擁護するの????

済州島出身の呉善花拓殖大教授は、強制連行の話は聞いたことがないと言っているし、韓国としても、何が何でも済州島で慰安婦狩りが実施されたことにしたかったが、済州島を調査しても何も出てこなかったと言うのに。


218. 2014年1月25日 21:16:45 : 2D6PkBxKqI
昔は済州島では慰安婦だった事がわかると、家族は結婚できなくなり、妹や娘は売春婦の仕事にしか就けなくなったんだ。

だからみんなで口裏を合わせて嘘言ったんだ。


219. 中川隆 2014年2月07日 20:57:48 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

「売春と慰安婦は違う」 関東学院大・林博史氏、NHK会長の発言で

2014年2月5日


◆反省なき戦後を反映

 旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、NHKの籾井勝人会長が「戦争をしているどこの国にもあった」と発言した。就任会見で語られた発言は根拠が不明確な上、慰安婦の実態や人権への基本的な認識を欠いているという点においても公共放送のトップとしての資質が問われるものだ。慰安婦問題に詳しい、関東学院大の林博史教授に発言を検証してもらった。

(1)「戦争をしているどこの国にもあった」

 慰安婦制度の実態について公文書や資料、証言などを基に調査研究を続ける林教授は言い切る。「第2次大戦中に限れば、慰安婦制度があったのは日本とドイツだけだ」

 林教授らが慰安婦問題の理解のためインターネット上に開設したサイトでは、日本軍慰安婦制度の特徴として計画の立案、女性集めと輸送、慰安所の管理などすべてが軍の管理下に置かれ、時には軍が直接実施している点を列挙。こうしたケースはナチス・ドイツの例を除いてあり得ないとしている。

 それがなぜ、「どこの国にもあった」ことになるのか。

 「一般の売春と同じものだと意識的にねじ曲げて理解し、一般の売春であればどこの国にでもあると考える。そういう理屈なのだろう」

 林教授がそう指摘する思考の回路は籾井氏の発言内容からもうかがえる。

 籾井氏はドイツのほか、フランスを挙げた上で「ヨーロッパにはどこだってあった」と発言。「なぜオランダに今も(売春街を示す)飾り窓があるんですか」とも述べている。

 「慰安婦制度は軍が組織的に女性を集め、公然と管理・運営したもの。日本軍の場合は海外への輸送まで軍の船やトラックを使った。そういう意味で一般の売春とは明確に区別しなくてはいけない」

 第2次大戦後では、朝鮮戦争で韓国軍にも慰安婦制度があったとされるが、「当時の韓国軍の幹部は多くが旧日本軍の一員だった。つまり日本軍が残したあしき遺産を踏襲したものだった」

 籾井氏は記者から発言内容の根拠を問われ、「なかったという証拠もない」と反論した。林教授は「同じような制度がほかの国にもあったというならば証拠を示すべきだ」と指摘する。

(2)「今のモラルでは悪い」

 戦前の日本には公娼制度があった。特定の業者と女性たちが売春業を営むことを公認し、警察に登録させるものだ。

 「この制度が存在していたのだから、慰安婦制度もその延長にすぎず、当時はあって当たり前だったと主張する人もいる。だが、実際はそうではない」

 20世紀に入り、公娼制への反対運動は急速に高まった。全国の県議会で「事実上の奴隷制度」との批判が相次ぎ、廃止決議が出された。1930年代には国際連盟も問題視し、日本政府は公娼廃止に乗り出した。

 「公娼制は当時のモラルで考えてもおかしい制度で、廃止に向かっていた。その動きに逆らって導入されたのが慰安婦制度だ。その制度を軍が組織した。当時も決して当たり前だったわけではない」

 98年には国連人権小委員会で採択されたマクドゥーガル報告書が「慰安婦が自由を奪われた事実上の奴隷で、奴隷制は当時も国際法に違反した」と指摘。戦後の日本政府も損害賠償の責任を負っているとしている。

 また、当時から海外に連れていくために人身売買やだまして連行することは国外移送目的誘拐罪に当たった。実際に軍から女性を集めるよう依頼を受けた業者が警察に逮捕されるケースも存在したという。

(3)「日本だけが強制連行をした」

 林教授は誘拐事件を例に挙げて説く。「誘拐事件で問題となるのは連れ去った先での監禁行為だ。暴力的に連れ去ったか、言葉でだまして連れ去ったかは問題ではない」。同じことは慰安婦問題でも言うことができる。

 前出のサイトでは、女性たちがどのように連行されたかについての証言を紹介している。「無理やり日本軍人にトラックに乗せられた」といったものから「日本の工場に入れてあげる」「勉強ができてお金がもうかるところに連れていってやる」とだまされたケースまでさまざまだ。

 林教授は「慰安所に女性を連れて行き、働かせたことが一番の問題だと捉えるべきで、強制連行を論点にすること自体が誤っている」と話す。サイトでは「慰安婦問題の本質は何か?」と題し、強制連行の有無を問題にすることを「論点のすり替えであり、重大な問題から人々の関心をそらそうとするもの」と指摘している。

 では、ためらいなく発せられた籾井氏発言の背景にあるものは何か。

 「一番の問題は日本の戦争責任の取り方。戦争への反省が十分されていないところにある」

 それは、旧日本軍の関与や強制性を認めた河野洋平官房長官談話を見直そうとする政治家の動向や、中学校の教科書から従軍慰安婦の記述が消えたこと、あるいは在日コリアンへの差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)が街中で横行していることともつながっていると、林教授はみる。

 「過去と向き合いきちんと反省していれば、社会の基盤となるような価値観が共有されていたはずだ。その価値観とは自由であり、民主主義であり、基本的人権の尊重でもある。それを踏みにじることは政治的立場を問わず、許されない。つまり、日本社会のありようにかかわる問題だ」

■はやし・ひろふみ
 1955年、神戸市生まれ。関東学院大経済学部専任講師、助教授を経て現職。専攻は現代史、戦争・軍隊論。日本の戦争責任資料センター研究事務局長。昨年8月には吉見義明・中央大教授らとともに、慰安婦問題の理解のためのサイト「FIGHT FOR JUSTICE 日本軍『慰安婦』−忘却への抵抗・未来の責任」(http://fightforjustice.info/)を立ち上げた。



慰安婦についての籾井氏の発言要旨

 「戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭ないが、この問題はどこの国にもあったことですよね。違いますか」

 「慰安婦そのものがいいか悪いかと言われれば、今のモラルでは悪い。じゃあ従軍慰安婦がどうだったかと言われると、その時の現実としてあったということ」

 「従軍慰安婦が韓国だけにあって、ほかになかったという証拠がありますか。戦争をしているどこの国でもあったということ。ドイツやフランスにはありませんでしたか。ヨーロッパはどこでもあったでしょう。では、なぜオランダには今でも飾り窓があるのですか」

 「韓国がやっていることで一番不満なのは、韓国が、日本だけが強制連行をしたみたいなことを言っているからややこしい。だから、お金をよこせ、補償しろと言っている。日韓条約ですべて解決している。それをなぜ蒸し返されるのか。おかしいでしょう」


■従軍慰安婦問題■
 1930年代から45年の敗戦まで日本の戦地・占領地で軍が造った慰安所で軍人・軍属の性の相手をさせられた女性たちのこと。日本人もいたが朝鮮人、中国人、フィリピン人、インドネシア人など日本人以外の比率が圧倒的に多かった。

 91年に元慰安婦の韓国人女性が名乗り出て政治・外交問題化した。政府は、民間業者によるもので軍の関与はないと主張してきたが、調査の結果、93年に軍の関与のほか強制性や人権侵害があったことを認める河野洋平官房長官談話を発表した。

 95年には「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)が創設され、首相のおわびの手紙と民間募金による償い金が渡されることになった。364人が償い金を受け取ったが、あくまで国家による賠償を求めて受け取りを拒否した元慰安婦も多くいた。

 河野談話以降も、政治家からは慰安婦は自由意思で売春をしたといった談話の内容を否定する発言が相次ぎ、2007年には第1次安倍内閣が、軍や官憲による強制連行を直接示す資料は見当たらなかったとする内容を閣議決定した。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1402050004/


220. 中川隆 2014年3月01日 09:51:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

2013-01-05

■[慰安婦][資料] 日本軍「慰安所」の地図 日本軍「慰安所」の地図
http://d.hatena.ne.jp/dj19/searchdiary?word=%2A%5B%BB%F1%CE%C1%5D

「慰安所」があった場所
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20130105195333

『wam女たちの戦争と平和資料館:http://www.wam-peace.org/』2005年,作成資料

:公文書によって確認された場所

▲:元「慰安婦」の証言によって確認された場所

■(二重四角←変換できない):日本軍将兵の手記、証言や地元の目撃者証言によって確認された場所

(※地図上のマークの数=慰安所の正確な数ではありません。)

地図にマークが無い場所でも慰安所があったことが後に確認された地域があり、この慰安所マップも完全なものというわけではないが、この規模の大きさからいっても「従軍慰安婦制度は、20世紀における最大の人身売買のケースのひとつ(2007 米下院決議 H.R.121)」であることは明らかであろう。


なお、地図では沖縄(南西諸島)に数カ所のマークしかないが、実際には沖縄だけで*延べ約130ヶ所の慰安所があったといわれている(部隊が移動するたびに慰安所の場所も移動した)。

(*延べ数130ヶ所の出典:「報告集」編集委員会『第五回全国女性史研究交流のつどい報告集−沖縄から未来を拓く女性史を』、同実行委員会、1994年、25〜31ページ)

関連リンク


宮古島・『慰安婦』・祈念碑・願い - Stiffmuscleの日記
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080715/p1

論文PDFファイル『沖縄の「慰安所」研究の再考 - 住民の役割に注目して』玉城福子
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/10323/1/ahs30_19.pdf

東ティモールにおける日本軍性奴隷制
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/women/women.html


221. 中川隆 2014年3月02日 10:04:37 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI
82. 2014年3月02日 08:37:38 : esmsVHFkrM

敗戦時に日本政府と軍が組織的かつ徹底的に公文書を焼却し証拠隠滅を行った結果、それが南京虐殺であれ従軍慰安婦問題であれ日本側の公文書を使った実証研究は極めて困難ですが、それでもその証拠隠滅を生き残った公文書や当事者の戦陣日記等を根拠にした実証研究は数多くあります。

・そのうちでも、わずか一ホームページのコンパクトさでありながら、敗戦時の証拠隠滅を免れて戦後ずいぶん経ってから発見された、陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付)に依拠して、それらに関連する外務次官発警視総監・各地方長官他宛文書、関係各県知事発で内務大臣・陸海軍大臣や刑務局長や宛文書、内務省警保局長通牒案、内務省警保局長発各地方長官宛文書、内務省の内偵メモ、在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状の公文書をあわせてそれえを資料批判し、慰安所の設置と管理の実態を実証した永井和京大教授の論文、「日本軍の慰安所政策について」(http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html)を参照するのが適当でしょう。

・永井教授はその論文において以下の三点を実証しました、

1 慰安所を設置するに当たって陸軍、各地警察、内務省、外務省が関与したこと、
2 慰安所の管理は軍が直接間接行ったこと、

3 さらに、当時から日本政府に慰安所の違法性の認識があったため政府による隠蔽があったこと、


・特に慰安所が軍の管理下にあったという基本事実については軍幹部および兵士の以下のような具体的記述があることを強調しておきたいと思います。

・上海派遣軍参謀長であった飯沼守の1937年12月11日の項には「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」、1937年12月19日の項には「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」とあります。

・上海派遣軍参謀副長であった上村利通の日記には、1937年12月28日付けで「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」とあります。

・山崎正男第十軍参謀の日記には、1937年12月18日に「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す」とあります。

・在上海総領事館警察の報告書の1937年12月末の職業統計には「陸軍慰安所」の項目があります。

・常州駐屯の独立攻城重砲兵第2大隊長の状況報告には1938年1月20日付で「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」とあります。

・元陸軍軍医麻生徹男の手記には「1938年の2月には上海郊外の楊家宅に兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されていた」、「1938年1月に軍の命令を受け、奥地へ進出する女性(朝鮮人80名、日本人20名余り)の梅毒検査を上海で実施した」とあります。

さらに、慰安所が軍の管理下にあったことは、当然のことながら慰安所が酒保と並んで部隊の主計将校が担当すべき管理事項となっていたことからも明らかで、それを実証する文書としては、

1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」、

第101聯隊(上海派遣軍第101師団)の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記田中常雄編『追憶の視線』下、1989年)、

『初級作戦給養百題』、

『陸軍主計団記事』第三七八号附録、

清水一郎陸軍主計少佐編、

陸軍主計団記事発行部発行(陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集)等があります。

・これで明らかなことは慰安所とは大日本帝国国営の売春宿であり、さらに当時から帝国政府がその不法性を十分認識していたということです。

・そうであれば、日本政府が管理する売春宿そのものの違法性はもとより、その設定、運営、管理のすべての局面において慰安所で発生した慰安婦とされた女性に対する不法行為および非人道的非倫理的行為の一切について日本政府が行為責任および監督責任を負うことは自明のことです。まったく議論の余地がありません。

・被害者が訴えているのもそのような慰安所における不法行為による被害の認定と日本政府の責任の確認とその適切な補償です。被害者は実際に日本の裁判所に対して被害事実の認定とその補償を求めています。すべて最高裁が日韓条約等を理由に補償そのものの訴えを棄却していますが、地裁高裁においては10件のうちの8件についてまでその訴えられた被害事実(慰安婦になった経緯、慰安所での強要の状態など)を判決において認定しています。それらの訴訟は以下のとおりです。


・アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991)
・釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(1992)
・在日元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟(1993)
・オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償訴訟(1994)
・中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次)(1995)
・中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次)(1996)
・中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟(1998)
・海南島戦時性暴力被害事件訴訟(2001)

・したがって、慰安所が政府と軍の関与によって設定されていること、それが軍の管理下において運営されていたこと、それ自体を当時の政府が不法と認識していてその隠蔽を図っていたこと、実際その政府・軍の管理下において慰安婦にされた女性たちに対する不法行為が存在したことは、被害者の主張であるばかりでなく、隠滅を免れた公文書や私文書で事実として実証され、それ故に日本の裁判所までその被害事実を事実として認定しているのです。

・それにもかかわらず、これらの実証研究や裁判所の被害認定の事実を無視して従軍慰安婦問題の存在を否定する主張が日本の右翼保守デマゴークによって行われてきました。自民党政治家もこれに同調して銃銀慰安婦問題を否定する発言を行ったりしています。


・それらの主張には以下のトリックがあります。

1 敗戦時に政府・軍の公文書が大量かつ徹底的に償却処分された事実(軍、外務省、内務省は焼却命令を出しています)を無視する。

2 従軍慰安婦問題を20万人の軍による暴力的な強制連行などとことさら厳格に定義してそれを証明する日本側公文書が存在しないから(敗戦時に証拠隠滅が行われたことを利用して)、慰安婦被害者の訴えは嘘だとか従軍慰安婦問題が存在しないと主張する。

3 被害者の証言について遠い過去の記憶であると言うことを無視してその些細な詳細について記憶違いや誤りがあれば、それをもってその被害者の証言は信用できないと主張する。さらにはこれをもってすべての被害者の証言が信用できないと主張する。

4 ある特定の場所の特定のケースで慰安所を単なる売春宿だとみなす第三国の報告書があれば、それをもってすべての場所のすべてのケースの慰安所が単なる売春宿に過ぎなかったと証明されたと主張する。

5 慰安婦が共生されていないすなわち自発的だったと主張するために慰安婦被害者の特定の民族性をふしだらだだから好き好んでやっていたことだと主張する。

6 事実をもって論破されても何度でも執拗に同じ主張を繰り返して論争相手を根負けさせてあたかも反論がないように装う(ニートネトウヨは暇だからふつうの人は最後まで相手が出来ない)。

7 従軍慰安婦否定論は日本の右翼保守の主張に過ぎず決して「日本の主張」でなどないのに、これをことさら日本対韓国のような国家や民族の対決であるかのように主張して日本人のナショナリズムを煽り従軍慰安婦問題否定論へ誤導しようとする。


このようなトリックに基づく主張がこのスレにおいてもxyzxyzを始めとするニートネトウヨによって繰り返し執拗に行われています。

・このような不誠実で不公正な右翼保守の主張が、被害者の激昂と関係諸国の憤激さらには第三国の厳しい批判を招かないはずがありません。現在の韓国等被害国からの厳しい批判(日韓関係の深刻化)とアメリカのような第三国における従軍慰安婦問題への注目と日本への批判の高まり(慰安婦像の設立)は最近における右翼保守のこのような不公正で卑怯な主張が引き起こした深刻な事態です。

・このまま右翼保守の主張を許せば、さらにそれに支持される安倍自民党政府が従来の政府見解を変更することがあれば、右翼保守ばかりでなく日本と日本人すべてがやったことをほとぼりが冷めたからとやっていないと主張して恥じない卑怯者だと思われてしまいます。これまでの戦後日本がその平和民主主義で築き上げてきた平和国家としての日本の国際的信用と尊敬が、戦後の平和憲法体制転換と戦前体制への復帰を目指しその一環として従軍慰安婦問題の否定する保守右翼により、完全に損なわれてまさに戦前体制がそうであったように世界で孤立することになります。

過去の誤りや失敗まで含めてありがままの日本を愛さずにはいられないのが本当の愛国心です。無謬の「美しい日本」しか愛せないからと歴史的事実を否定して過ちをなかったことと強弁するのは決して愛国的な行為ではありません。

・すでに事実は証拠隠滅を生き残った日本側公文書によっても実証されています。日本の裁判所も被害事実を被害認定しています。従軍慰安婦問題を否定しているのは世界中で日本の右翼保守(とネトウヨ)だけです。

・議論の余地はないのです。

・日本の右翼保守には、一刻も早く本当の愛国主義に目覚めて事実を事実として認め、不誠実で不公正な妄論で日本を貶めるのをやめてほしいものだと思います。

・日本の右翼保守には恥を知ってもらいたいものです。
http://www.asyura2.com/14/senkyo162/msg/286.html#c82


222. 2014年3月02日 10:08:48 : 2D6PkBxKqI

日本軍の慰安所政策について 永井和(京都大学文学研究科教授)
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html


はじめまして、永井和と申します。日本の京都大学で日本現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願いいたします。まず、この研究会にお招きいただき、報告する機会が与えられたことに対して、あつくお礼申し上げます。とくに、社会史研究会を主宰されている鄭根埴先生のご厚意がなければ、日本国内でもそれほど名を知られているわけではない、私のような者が、ソウル大学校で報告をするという、身に余る光栄を経験することはなかったはずでありまして、心より感謝いたしております。

朴宣美さんより伝えられたところでは、最初は「天皇制と女性」というタイトルで、「従軍慰安婦問題」(韓国では「挺身隊問題」と言うべきかもしれませんが、日本での慣用に従わせていただきます)を天皇制に関連付けながら講演するようにとの、御希望であったのですが、お恥ずかしながら、天皇制はともかく、ジェンダー研究はほとんど私の専門外ですので、私には荷が重すぎる、とてもお話しできそうもないと、お断りしまして、その代わりに、日中戦争初期の陸軍慰安所のことについて、少しばかりお話することにした次第です。

と申しましても、私は軍慰安所や慰安婦について専門的に研究してきたわけではありません。今までに私が軍慰安所と慰安婦について書いたのは、2000年に発表した論文「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」、1本あるのみですので、お世辞にも専門家とはいえません。吉見義明氏をはじめとして軍慰安所や慰安婦問題についての日本の研究者は多数おられますが、私をこの方面の専門家として認める方は、私の友人である大阪産業大学の藤永壮助教授を唯一の例外として、ほとんどいないだろうと思われます。昨年刊行されました尹明淑さんの『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)、この本は、この問題に関する研究としては、日本の大学ではじめて学位を授与された画期的な作品でありますが、そこでも私の論文に対する言及はありません。

そのような私に、「従軍慰安婦問題」について話すようにとのリクエストがあったのは、たぶん、私の唯一の論文が、比較的早くに韓国で紹介されたからではないかと、自分では思っています。私の旧い知り合いでもある釜山外国語大学校の金文吉先生が、たいへんありがたいことに、2001年に韓国で発表された論文で、私の論文に言及されたことがあります。

そのようなわけですので、これからお話いたしますのは、今申し上げた4年前の論文の内容ほとんどそのままでして、それに少しばかり補足を加えただけにすぎません。おそらく皆様のご期待を大きく裏切るであろうことを、あらかじめお断りし、お許しをいただきたいと思います。 

前置きばかり長くなり、恐縮ですが、もう少し話を続けます。私が慰安所及び慰安婦に関する唯一の論文を書くきっかけが何であったかと言いますと、それは、1998年に私の担当する演習で「自由主義史観論争を読む」という授業をいたしまして、そこではじめて藤岡信勝氏や小林よしのり氏の歴史解釈をまじめに検討することになり、その史料解釈がはなはだしく恣意的あるにもかかわらず、政治的言説としてそれなりの支持を受けていること、また従来史料実証主義を看板にしていた一部の歴史家が、この動きに釘をさすどころか、逆にそれを支持する姿勢をとろうとしていたことを知って、いささか驚いたのが、そもそものきっかけでした。

従軍慰安婦問題は、南京大虐殺問題と並ぶ「自由主義史観論争」の二大問題でしたので、それについていろいろ文献を漁ったところ、偶然、1996年の末に新たに発見された内務省の警察資料が、「女性のためのアジア平和国民基金」から刊行された資料集(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1、1997年)に収録されているのを知り、それを読み進めました。私は歴史家ですので、ともかく史料を読んで、それをもとに考えるという癖が身に染みついてしまっております。読んでみますと、いわゆる「従軍慰安婦論争」において、その史料解釈が論議の的となった陸軍のある文書が、どのような背景で出されたのかを説明してくれると思われた、一連の資料に出くわしました。そこで、史料実証主義の面目を回復できるのではないかと思い、論文を執筆することにしたわけです。

それから、「従軍慰安婦論争」に関する文献を読んでみて、慰安所は軍の施設であるにもかかわらず、論争の当事者双方いずれもが、軍隊制度についての知識を欠いたまま議論をしているのではないかとの、感想をもちました。軍隊というものについて基礎的な知識があれば、「軍慰安所は公娼施設である」といった主張はおよそ成り立つはずがないと、私には思えるのですが、それが堂々と主張され、いっぽう否定する側も、「軍慰安所は公娼施設でない」という主張を、軍隊制度に即して展開するよりも、一足飛びに「公娼施設の抑圧性、犯罪性」を強調することが多く、議論がすれ違っているように見えたのです。日本は戦後ながらく平和が続いたせいか、軍隊についての知識が偏っています。作戦、指揮命令、戦闘、兵器といった面に集中していて、軍隊を支える非常に重要な要素にほかならない、兵站や後方組織についての知識が欠けており、それが「従軍慰安婦論争」において思わぬ視野の狭窄を引き起こしているのではないかと感じたことが、論文を書こうと思ったもう一つの理由です。と言いましても、私自身は軍隊の経験はありません。ただ、軍事史を少しばかり勉強したことがありますので、戦前の日本の陸軍の制度については、一般の人よりも詳しい知識があります。といっても、たいしたものではありませんが、その私が見ても、ある種の軍事的分野についての常識を欠いたまま議論が進められているように思えたのでした。

以上述べましたことからもわかりますように、1991年の慰安婦訴訟の開始から10年ほどの間、つまり従軍慰安婦問題が社会の注目を浴び、日韓の国際問題となり、「従軍慰安婦論争」が展開されていた間ということですが、私自身はこの問題にはまったく無関心でありました。吉見氏が日本ファシズムから戦争責任問題、具体的には軍慰安婦と化学戦へと研究テーマをシフトされていくのを横目に見て知ってはいましたが、私自身はまったく別のことに関心を寄せていたのです。そして、「従軍慰安婦論争」なるものがすでにヤマを越してしまったあと、政治的な言説にのっかった史料の恣意的解釈が横行するいっぽうで、言語論的展開を持ち出して史料実証主義の終焉を宣言する言説1)が出されたあと、史料実証主義の立場からささやかな抵抗を試みたのが、2000年に発表した論文だったと、自分では思っております。その意味では、私も戦争責任問題や戦後補償問題に鈍感な、保守的な日本人の一人にすぎません。そういう者の発言であることを、あらかじめお断りしたうえで、本論に入っていくことにいたします。


問題の所在

所謂「従軍慰安婦論争」は、直接には1997年度から使用される中学校用文部省検定教科書の「従軍慰安婦」に関する記述の是非をめぐる論争としてはじまったが、その背景をさかのぼれば、1991年以降次々とカム・アウトし、日本政府を告発した韓国、フィリッピン、台湾等の元慰安婦たちの活動、とくに謝罪と賠償を求める法廷闘争と、それに触発されてはじまった日本政府と国連人権委員会の調査活動、そして政府調査結果をふまえてなされた日本政府の謝罪と反省の意志表明といった、一連の動きに対する反発、反動としてとらえることができる。

本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付−以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。


223. 2014年3月02日 10:09:40 : 2D6PkBxKqI
まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス2)

この文書は吉見義明の発見にかかるもので、軍が女性の募集も含めて慰安所の統制・監督にあたったことを示す動かぬ証拠として、1992年に朝日新聞紙上で大きく報道された。吉見はこの史料から、「陸軍省は、派遣軍が選定した業者が、誘拐まがいの方法で、日本内地で軍慰安婦の徴集をおこなっていることを知っていた」のであり、そのようなことが続けば、軍に対する国民の信頼が崩れるおそれがあるので、「このような不祥事を防ぐために、各派遣軍が徴集業務を統制し、業者の選定をもっとしっかりするようにと指示したのである」と解釈し、慰安婦の募集業務が軍の指示と統制のもとにおこなわれたことが裏づけられる、とした3)。

いっぽう、これに対立する小林よしのりは、この通牒をもって「内地で誘拐まがいの募集をする業者がいるから注意せよという(よい)「関与」を示すものだ」、「これは違法な徴募を止めさせるものだ」4)、「「内地で軍の名前を騙って非常に無理な募集をしている者がおるから、これを取り締まれ」というふうに書いてあるわけです」5)と、いわゆる「よい関与論」を唱え、同様の主張が藤岡信勝によってもなされた。

藤岡は「慰安婦を集めるときに日本人の業者のなかには誘拐まがいの方法で集めている者がいて、地元で警察沙汰になったりした例があるので、それは軍の威信を傷つける。そういうことが絶対にないよう、業者の選定も厳しくチェックし、そうした悪質な業者を選ばないように−と指示した通達文書だったのです。ですから、強制連行せよという命令文書ではなくて、強制連行を業者がすることを禁じた文書」6)と、言う。また、秦郁彦もこれとよく似た解釈を下している7)。

他方、小林よしのりを批判する上杉聡は、逆にこの文書をもって「強制連行」の事実があったことを示す史料だとし、そのような悪質な「業者の背後に軍部があることを「ことさら言うな」と公文書が記しているのであり、強制連行だけでなく、その責任者もここにハッキリ書かれている」8)と反論した。

いずれも、日本国内で悪質な募集業者による誘拐まがいの行為が現実に発生しており、さらにそういった業者による「強制連行」や「強制徴集」が行われうる、あるいは実際に行われていた可能性を示す文書だと解釈する点では共通している。

ちがいは、吉見および上杉の方は、軍による募集業者の選定と募集・徴集活動の統制が行われていたことを重視し、それゆえこれを「軍の関与」を示す決定的証拠としてとらえ、そこから軍には当然の義務として慰安婦に対して適切な保護を与え、虐待や不法行為を防止する監督責任が発生するのであり、それが守られなかった場合には、その責任を問われうると論じるのに対して、いわゆる自由主義史観派は慰安所に対する軍の関与を認めつつも、その関与とは業者による「強制連行」「強制徴集」など不法行為の取締であり、この通牒は軍がそのような取締を実際に行っていたことを示す証拠であって、この文書がある以上、たとえ数々の不法行為や虐待、性暴力事件が起きたとしても、それはそのような行為をおこした個々の業者や軍の下部機関、一般将兵が悪いのであって、軍および政府の責任を問うことはできないと、そう主張する点にある。

両者の差異は、根本的には、慰安所と軍および政府との関係をどう把握し、そこで女性に加えられた虐待行為に対する軍および政府の責任の有無をどう判断するのか、その立場の差異に由来する。言うまでもなく、吉見や上杉は、慰安所は国家が軍事上の必要から設置した軍の施設であり、そこでなされた組織的な慰安婦虐待行為の究極的な責任は軍および政府に帰属すると考える立場に立っている。

それに対して、自由主義史観派は慰安所に対する軍と政府の関係を否定するか、あるいは否定しないまでも、それはもっぱら業者や利用将兵の不法行為・性的虐待を取締まる「よい関与」であったと主張する。慰安所は戦地においてもっぱら兵士を対象に営業した民間の売春施設であり、公娼制度が存在していた戦前においてはとくに違法なものではなかったから、そこでなされた虐待行為に軍および政府が責任をとわれる理由はない。もし仮に軍および政府が責任を問われうるとすれば、それは強制的に慰安婦を徴集・連行した場合のみだが、そのようなことを軍ないし政府が命令した事実はないというのが、彼らの慰安婦問題に対する基本的理解であり、そのような観点から、この副官通牒を解釈し、もっぱら「強制連行」の有無を争う文脈で論争の俎上にのせたのであった。そのことが上のような解釈の相異を生みだしたのである。

なお、慰安所と軍の関係について自分自身の考えをあらかじめここではっきりさせておくと、私は、慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったと理解している。その点では吉見と同じ考えに立っており、これを民間業者の経営する一般の公娼施設と同じであるとして、軍および政府の関与と責任を否定する自由主義史観派には与しない。もっぱら「強制連行」の有無をもって慰安所問題に対する軍および政府の責任を否定せんとする彼らの言説は、それ以外の形態であれば、軍と政府の関与は何ら問題にならないし、問題とすべきではないとの主張を暗黙のうちに含んでいるのであり、慰安所と軍および政府の関係を隠蔽し、慰安所の存在を正当化するものと言わざるをえないからである。

話を副官通牒に戻すと、最近になって警察関係の公文書が発掘され、問題の副官通牒と密接に関連する1938年2月23日付の内務省警保局長通牒(内務省発警第5号)「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(以下警保局長通牒と略す)の起案・決裁文書とそれに付随するいくつかの県警察部長からの内務省宛報告書が見つかった。

この警察資料を分析することにより、この二つの通牒が出されるにいたった経緯と背景をある程度まで明らかにすることができる。そこから見えてくる事情は、先ほどの解釈論争が想定していたのとはかなり異なるのである。たとえば、警察報告では、たしかに婦女誘拐容疑事件が一件報告されてはいるが、しかし、それ以外には「強制連行」「強制徴集」を思わせる事件の報告を見いだすことはできない。もちろん、発見された警察資料は、山県、宮城、群馬、茨城、和歌山、高知の各県警察部報告と神戸や大阪での慰安婦募集についての内偵報告にすぎないので、日本全国はもちろん朝鮮・台湾など募集がおこなわれた全地域を網羅するものではない。よって、それらの地域で「強制連行」や「強制徴集」がおこなわれた可能性を全面的に否定するものではない。

しかし、副官通牒で言及されている「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」という事件は、間違いなく和歌山県警察部から一件報告されており、そのような事件が現におこっていたことが、この警察報告により証明された。つまり、警察報告と副官通牒との間には強い関連性が存在する。

そこで、今後さらに新しい警察資料が発見され、それによって必要な変更を施す必要が生じるまでは、もっぱら以下に述べる作業仮説を採用し、その上で考察を進めることにする。すなわち内務省は主として現在知られている警察資料に含まれている諸報告をもとに、前記警保局長通牒を作成・発令し、さらにそれを受けて問題の副官通牒が陸軍省から出先軍司令部へ出されたのである、と。

この作業仮説を前提におくと、和歌山の婦女誘拐容疑事件一件を除き、警察は「強制連行」や「強制徴集」の事例を一件もつかんでいなかったと結論せざるをえない。そうすると、副官通牒から「強制連行」や「強制徴集」の事実があったと断定ないし推測する解釈は成り立たないことになる。また、これをもって「強制連行を業者がすることを禁じた文書」とする自由主義史観派の主張も誤りと言わざるをえない。なぜなら、存在しないものを取締ったりはできないからである。では、いったい副官通牒や警保局長通牒は何を取締まろうとしたのか、そもそもこれらの通達はいったい何を目的として出されたのか、それをあらためて問題とせざるをえない。

結論を先回りして言えば、問題の警保局長通牒は、軍の依頼を受けた業者による慰安婦の募集活動に疑念を発した地方警察に対して、慰安所開設は国家の方針であるとの内務省の意向を徹底し、警察の意思統一をはかることを目的と出されたものであり、慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書にほかならぬ、というのが私の解釈である。さらに、副官通牒は、そのような警察の措置に応じるべく、内務省の規制方針にそうよう慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けの指示文書であり、そもそもが「強制連行を業者がすることを禁じた」取締文書などではないのである。

T.警察資料について

本稿で考察の材料とするのは、女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻(龍渓書舎、 1997年、以下『資料集成』と略す)に収録されている内務省文書の一部である。

最初に、本稿で扱う警察資料の全タイトルを紹介する。このうち、1と8-2は外務省外交史料館所蔵の外務省記録に同じものが含まれており、前々からその存在がよく知られていた。
1.外務次官発警視総監・各地方長官他宛「不良分子ノ渡支ニ関スル件」(1938年8月31日付)
2.群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年1月19日付)
3.山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)
4.高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年1月25日付)
5..和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)
6.茨城県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月14日付)
7.宮城県知事発内務大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 (1938年2月15日付)
8.-1.内務省警保局長通牒案「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年2月18日付)
-2.内務省警保局長発各地方長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」 (1938年2月23日付)
9.「醜業婦渡支ニ関スル経緯」(内務省の内偵メモ、日付不明)

2〜7および9は、1937年の末に慰安所の開設を決定した中支那方面軍の要請に基づいて日本国内で行われた慰安婦の募集活動に関する一連の警察報告であり、8は軍の要請に応じるため中国への渡航制限を緩和し、募集活動の容認とその統制を指示した警保局長通牒の起案文書(8-1)および発令された通牒本体(8-2)である。

この一連の文書については、すでに、吉川春子9)、八木絹10)によってその内容の概略が紹介されており、さらに和田春樹11)も詳しい紹介をおこなっている。なお、これらの資料は元内務省職員種村一男氏の寄贈にかかるもので、警察大学校に保存されていた。1992年と93年の政府調査報告の際にはその所在がつかめなかったが、1996年12月19日に参議院議員吉川春子氏(共産党)の求めに応じて、警察庁がこの資料を提出したため、その存在が明るみに出ることになった12)。現在は東京の国立公文書館に移管されており、その一部がアジア歴史資料センターで公開されている。

U.陸軍慰安所の創設

前記史料5の和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)なる文書中に、長崎県外事警察課長から和歌山県刑事課長宛の1938年1月20日付回答文書の写しが参考資料として添付されている。さらに、この長崎県からの回答文書中には、在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状(1937年12月21日付)の写しも収録されている。

この上海総領事館警察署の依頼状は、陸軍慰安所の設置に在上海の軍と領事館が深く関与したことを示す公文書にほかならない。以下に引用するのはその全文である。

 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス

(中略)

昭和十二年十二月二十一日

                在上海日本総領事館警察署13)

冒頭に、「之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ」とあるように、この文書から、1937年の12月中旬に上海の総領事館(総領事は岡本季正)と陸軍武官室と憲兵隊の三者間で協議がおこなわれ、その結果、前線に陸軍慰安所を設置することが決定されたこと、さらにその運用に関して三者間に任務分担の協定が結ばれたことが判明する。

ここで言及されている陸軍武官室とは、正式には在中華民国大使館付陸軍武官とそのスタッフを意味する。その長は原田熊吉少将であり、1938年2月には中支特務部と改称された。軍事面での渉外事項や特殊な政治工作を担当する陸軍の出先機関であり、上海戦がはじまってからは、上海派遣軍や中支那方面軍の隷下にある陸軍特務機関として第三国の出先機関や軍部との交渉、親日派中国人に対する政治工作、さらに上海で活動する日本の政府機関や民間団体との交渉・調整窓口の役割をはたした。

軍慰安所の設置が軍の指示、命令によるものであったことは、今までの慰安所研究により明らかにされており、今では史実として広く受け入れられている。その意味では、定説の再確認にとどまるのだが、この在上海総領事館警察署の依頼状は、慰安所の設置を命じた軍の指令文書そのものではないとしても、政府機関と軍すなわち在上海陸軍武官室、総領事館、憲兵隊によって慰安所の設置とその運営法が決定されたことを直接的に示す公文書として他に先例がなく、その点で重要な意義を有する。

もっともこの文書の記述にもかかわらず、陸軍慰安所開設の決定は、陸軍武官室や憲兵隊、領事館の権限だけでできるものではない。軍組織のありかたからすれば、陸軍武官室と憲兵隊の双方に対して指揮権を有するより上級の単位、この場合は中支那方面軍司令部において、まず設置の決定がなされ、それを受けてこの三者間で慰安所運用のための細目が協議・決定されたのだと解すべきであろう。

吉見および藤井忠俊の研究14)によれば、上海・南京方面での陸軍慰安所の設置に関する既存史料には次のようなものがある。(これ以外にも、慰安所を利用した兵士の日記・回想があるが略す)。
1.飯沼守上海派遣軍参謀長の日記15) •1937年12月11日の項「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」
•1937年12月19日の項「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」

2.上村利通上海派遣軍参謀副長の日記16) •1937年12月28日の項に「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」

3.山崎正男第十軍参謀の日記17) •1937年12月18日の項に「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す」

4.在上海総領事館警察の報告書18) •1937年12月末の職業統計に「陸軍慰安所」の項目。

5.常州駐屯の独立攻城重砲兵第2大隊長の状況報告19) •1938年1月20日付「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」

6.元陸軍軍医麻生徹男の手記によれば、1938年の2月には上海郊外の楊家宅に兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されていた20)。
また、1938年1月に軍の命令を受け、奥地へ進出する女性(朝鮮人80名、日本人20名余り)の梅毒検査を上海で実施した21)。
今回さらに、

7.在上海総領事館警察署発長崎県水上警察署宛「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日付)

が新たに加わったわけである。

これらを総合すれば、1937年の遅くとも12月中旬には華中の日本陸軍を統括する中支那方面軍司令部レベルで陸軍慰安所の設置が決定され、その指揮下にある各軍(上海派遣軍と第十軍)に慰安所開設の指示が出されたと考えて、まずまちがいない。

それを受けて各軍で慰安所の開設準備が進められるとともに、関係諸機関が協議して任務分担を定め、総領事館は慰安所の営業主(陸軍の委託により慰安所の経営をおこなう業者)および慰安所で働く女性(慰安所従業婦すなわち慰安婦)の身許確認と営業許可、渡航上の便宜取り計らい、また業務を円滑におこなうため内地・植民地の関係諸機関との交渉にあたり、憲兵隊は営業主と従業女性の前線慰安所までの輸送手配と保護取締、さらに特務機関が慰安所用施設の確保・提供と慰安所の衛生検査および従業女性の性病検査の手配をすることが定められたのであった。

さらにこの依頼状から読みとれるのは、慰安所で働く女性の調達のために、軍と総領事館の指示を受けた業者が日本および朝鮮へ募集に出かけたこと、および彼等の募集活動と集められた女性の渡航に便宜をはかるように、内地の(おそらく朝鮮も同様と思われる)警察にむけて依頼がなされた事実である。

この募集活動によって、実際に日本内地および朝鮮から女性が多数上海に連れられてきたことは、6の麻生軍医の回想によって裏づけられる。なお、麻生軍医に女性100名の性病検査を命じたのは「軍特務部」であり、その命令は1938年1月1日付であった22)。この記述は、上記依頼状にみられる軍・憲兵隊・領事館の任務分担協定が現実に機能していたことの傍証となろう。

ところで、依頼状に記された任務分担協定は、陸軍慰安所に対する風俗警察権が領事館警察ではなくて、軍事警察=憲兵隊に属していたことを示している。協定の定めるところによれば、領事館警察は中国に渡ってきた慰安所営業主と女性のたんなる受け入れ窓口にすぎず、手続きが終われば、その身柄は軍に引き渡され、その取締権も領事館警察から憲兵隊に移される。移管とともに彼らは領事館警察の風俗警察権の圏外に置かれるのであり、管轄警察権の所在において陸軍慰安所は通常一般の公娼施設とは性格を異にする。これは慰安所が軍の兵站付属施設であることを意味するのだが、陸軍慰安所を一般の公娼施設と同様とみなす議論は、この点を無視ないし軽視していると言わざるをえない。


224. 2014年3月02日 10:11:02 : 2D6PkBxKqI

通常一般の公娼施設は、それを利用する軍人・軍属の取締のために憲兵が立入ることはあっても、業者や娼妓に対する風俗警察権は内務省警察・植民地警察・外務省警察などの文民警察に属し、軍事警察すなわち憲兵の関知するところではない。ところが、陸軍慰安所の従業員は軍籍を有さぬ民間人でありながら、その場所で働いているかぎりは憲兵の管轄とされるのである。これは慰安所が酒保などと同様、前線近くに置かれた軍の兵站付属施設であり、軍人・軍属専用の性欲処理施設だったことに由来する23)。なお、この点については、補論で詳しく論じたい。

さて、依頼状に「之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ル」とあるように、軍と総領事館から依頼された業者は在上海総領事館の発行する身分証明書を所持して、日本内地及び朝鮮にわたり、慰安所で働く女性の募集活動に従事したのであった(「稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナル」)。彼等がどのような方法で募集活動をおこなったかは、史料2〜7の警察報告に実例が出てくるので、次章で検討するが、日本内地または植民地において女性を集めた業者は、彼女等を連れて上海に戻ってこなければならない。あるいは上海まで女性を送らなければならない。しかし、日中戦争がはじまるや、日本国内から中国への渡航は厳しく制限され、原則として日本内地または植民地の警察署が発給する身分証明書を所持しなければ、乗船・出国ができなくなっていた。

しかも、1937年8月31日付の外務次官通達「不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件」(史料1)は各地の警察に対して、「混乱ニ紛レテ一儲セントスル」不良分子の中国渡航を「厳ニ取締ル」ため、「素性、経歴、平素ノ言動不良ニシテ渡支後不正行為ヲ為スノ虞アル者」には身分証明書の発行を禁止するよう指示しており、さらに「業務上又ハ家庭上其ノ他正当ナル目的ノ為至急渡支ヲ必要トスル者ノ外ハ、此際可成自発的ニ渡支ヲ差控ヘシムル」よう指導せよと、命じていた24)。

まともに申請すれば、「醜業」と蔑視されている売春業者や娼婦・酌婦に対して身分証明書の発給が許されるはずがない。だからこそ、上海の領事館警察から長崎県水上警察署に対して、陸軍慰安所の設置はたしかに軍と総領事館の協議・決定に基づくものであり、決して一儲けを企む民間業者の恣意的事業ではないことを通知し、業者と従業女性の中国渡航にしかるべき便宜をはかってほしいとの要請(「乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度」)がなされたのである。よって、この依頼状の性格は、軍の方針を伝えるとともに、前記外務次官通達の定める渡航制限に緩和措置を求めたものと位置づけるのが至当である。


225. 2014年3月02日 10:12:10 : 2D6PkBxKqI

V.日本国内における慰安婦募集活動

1.和歌山の誘拐容疑事件

この章では軍と総領事館の依頼を受けて、日本国内および朝鮮に赴いた募集業者がどのような活動をおこなったのかを警察の報告をもとに紹介する。最初にあげるのは、和歌山県でおこった婦女誘拐容疑事件である。内務省警保局長宛報告(前掲史料5の1938年2月7日付「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」)によれば、事件の概要は以下のとおりであった。

1938年1月6日和歌山県田辺警察署は、管下の飲食店街を徘徊する挙動不審の男性3名に、婦女誘拐の容疑ありとして任意同行を求めた。3人のうち2人は大阪市の貸席業者で、もう1人は地元海南の紹介業者であった。

彼等は、自分たちは「疑ハシキモノニ非ス、軍部ノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タリタルモノニシテ、三千名ノ要求ニ対シ、七十名ハ昭和十三年一月三日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ミナリ」ととなえ、とある料理店の酌婦に上海行きを勧めた。3人が「無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点、軍隊ノミヲ相手ニ慰問シ、食料ハ軍ヨリ支給スル等」と、常識では考えられないことを言い立てて勧誘しているとの情報をつかんだ田辺警察署は、婦女誘拐の疑い濃厚であると判断し、3人の身柄を拘束した25)。

取調にたいして、大阪の貸席業主金澤は、次のように供述した。

1937年秋、大阪市の会社重役小西、貸席業藤村、神戸市の貸席業中野の3人が、陸軍御用商人で氏名不詳の人物と共に上京、徳久少佐なる人物の仲介で荒木貞夫陸軍大将と右翼の大物頭山満に会い、年内に内地から上海に3000人の娼婦を送ることに決まったとの話を、2人の貸席業主(金澤と佐賀)が藤村から聞き込んだ。そこで、渡航娼婦を募集するために和歌山に来訪し、地元紹介業者の協力を得て、募集活動にあたっているところである。すでに藤村と小西は女性70名を上海に送り、その際大阪九条警察署と長崎県外事課から便宜供与をうけた、と。

また、同じ供述によると、慰安所酌婦の契約条件は「上海ニ於テハ情交金将校五円、下士二円ニテ、二年後軍引揚ト共ニ引揚クルモノニシテ前借金ハ八百円迄ヲ出」すというもので、すでに前借金470円、362円を支払って2人の女性(26歳と28歳)と上海行きを決めたという。

不審に思った田辺警察署はことの真偽を確かめるために、長崎県警察外事課と大阪九条警察署に照会をおこなった。長崎からは、照会のあった酌婦渡航の件は、上海総領事館警察の依頼によるもので、長崎県警としては、総領事館指定の必要書類を所持し、合法的雇用契約と認められるものについては、すべて上海行きを許可しているとの回答が寄せられた26)。この時点では、1937年8月の外務次官通達がまだ有効だったから、軍及び総領事館から前もっての依頼がなければ、長崎県水上警察署が女性の渡航を許可したかどうかは大いに疑問である。逆に言えば、この第1回の渡航を認めた時点で、長崎県警察は慰安所要員の渡航は「業務上正当ナル目的」を有するものと認定したことになる。もちろんその根拠は、慰安所が軍の決定によるものであり、総領事館から慰安婦の募集と渡航につき便宜をはかって欲しいとの要請が前もってなされていたことによる。

また、大阪九条署からは、内務本省からも渡航を認めるよう、内々の指示があったことを思わせる回答が田辺署に与えられた。その概略は以下のようなものであった。

上海派遣軍慰安所の従業酌婦の募集については、内務省より非公式に大阪府警察部長(荒木義夫)へ依頼があったので、大阪府としても相当の便宜をはかり、既に1月3日に第1回分を渡航させた。田辺署で取調中の貸席業者はいずれも九条署管内の居住者で、身元不正な者ではない。そのことは九条警察署長(山崎石雄)が証明するので、しかるべき取計らいをお願いする、と27)。

この九条警察署の回答書から、1月3日に長崎から上海に70名の女性が送られたとの金澤の供述が根も葉もない嘘ではないことがわかる。その一部は大阪で集められたようであり、警察は内務省の非公式な指導のもとに、慰安婦の渡航に便宜をはかったのであった。

金澤の供述を裏づけるとともに、便宜供与を示唆した内務本省からの非公式のコンタクトがあったとする九条警察署長の言が嘘でないことを示すのが、史料9「醜業婦渡支ニ関スル経緯」と題された手書きメモである。重要なので、以下に全文を引用する(■は公刊に際して抹消された箇所を示す。□は抹消もれと思われるので、永井の判断で削除した)。


226. 2014年3月02日 10:13:30 : 2D6PkBxKqI

一、十二月二十六日内務省警務課長ヨリ兵庫県警察部長宛『上海徳久、神戸市中野ノ両名ハ上海総領事館警察署長ノ証明書及山下内務大臣秘書官ノ紹介名刺ヲ持参シ出頭スル筈ニ付、事情聴取ノ上何分ノ便宜ヲ御取計相成度』トノ電報アリ

一、同月二十七日右両名出頭セルガ内務大臣秘書官ノ名刺ヲ提出シ徳久ハ自身ノ名刺ヲ提出セズ且身分ヲモ明ニセズ中野ハ神戸市福原町四五八中野□□ナル名刺ヲ出シタルガ同人ノ職業ハ貸座敷業ナリ。

一、同両人ノ申立ニ依レバ大阪旅団勤務ノ沖中佐ト永田大尉トガ引率シ行クト称シ最少限五百名ノ醜業婦ヲ募集セントスルモノナルガ周旋業ノ許可ナク且年末年始ノ休暇中ナルガ枉ゲテ渡支ノ手続ヲセラレ度キ旨ノ申述アリ

一、兵庫県ニ於テハ一般渡支者ト同様身分証明書ヲ所轄警察署ヨリ発給スルコトヽセリ

一、神戸ヨリ乗船渡支シタルモノナキモ陸路長崎ニ赴キタルモノ二百名アル見込ミ

一、一月八日神戸発臨時船丹後丸ニテ渡支スル四、五十名中ニ湊川警察署ニ於テ身分証明書ヲ発給シタルモノ二十名アリ

一、周旋業ノ営業許可ナキ点ハ兵庫県ニ於テハ黙認ノ状態ニアリ28)


227. 2014年3月02日 10:14:03 : 2D6PkBxKqI
整理してみると、1937年12月26日に内務省の警務課長(数藤鉄臣)から兵庫県警察部長(纐纈弥三)宛に上海の徳久と、神戸市の中野が協力要請におもむくので、何分の便宜をよろしくとの電報が届き、 翌27日には徳久、中野の両名が山下内務大臣秘書官の名刺を携えた上で、軍に協力して目下最小限500名の慰安婦を募集中であり、 周旋業の免許のない点には目をつむって、渡航許可を与えて欲しいと頼みこんだのであった。

兵庫県警察は違法行為には目をつぶり、二人の要請を容れて、集められた女性に身分証明書を発給した。長崎、大阪につづいて兵庫県警察も募集業者に協力し、慰安婦の調達に支援を与えたのである。それだけではない、非公式にではあるが、内務省の高官(秘書官や警務課長)も彼らに便宜をはかったのである。和歌山田辺の事件では大阪九条警察署長が「内務省ヨリ非公式ナガラ當府警察部長ヘノ依頼」があったと回答したが、おそらく、この内務省メモのようなはたらきかけが、大阪府警察部長に対してもなされたのであろう。

すでに見たように、徳久と中野の2人は田辺の事件にも名前が出てくる。上海総領事館警察署長の証明書を所持する彼らは、上海で軍・総領事館から直接依頼を受けた業者とみてまずまちがいない。徳久と中野の実在が別の資料で裏づけられた以上、藤村経由で中野の話を聞いたと思われる金澤の供述も、細かい点は別として、おおむね信用できると考えてまちがいないだろう。

以上をまとめると、次のようになる。上海で陸軍が慰安所の設置を計画し、総領事館とも協議の上、そこで働く女性の調達のため業者を日本内地、朝鮮に派遣した。その中の1人身許不詳の人物徳久と神戸の貸席業者中野は、上海総領事館警察署発行の身分証明書を持参して日本に戻り、知り合いの売春業者や周旋業者に、軍は3000人の娼婦を集める計画であると伝え、手配を依頼した。さらに警察に慰安婦の募集および渡航に便宜供与をはかってくれるよう申入れ、その際なんらかの手ずるを使って内務省高官の諒解を得るのに成功し、内務省から大阪、兵庫の両警察に対して彼らの活動に便宜を供与すべしとの内々の指示を出させたのであった。

大阪府、兵庫県両警察部は、売春させることを目的とした募集活動および渡航申請であることを知りつつ、しかも営業許可をもたない業者による周旋・仲介行為である点には目をつむり、集められた女性の渡航を許可した。この時上海に送られた女性の人数は正確にはわからないが、関西方面では最低500人を集める計画であり、1938年1月初めの時点で大阪から70人、神戸からは220人ほどが送られたと推測できる。

最後に、長崎県及び大阪九条署からの回答を受けた田辺警察署がどのような処置をとったのかを述べておこう。同署は、「皇軍慰安所」の話の真偽はいまなお不明であるが、容疑者の身元も判明し、九条警察署が「酌婦公募証明」を出したので、容疑者の逃走、証拠隠滅のおそれはないと認めて、1月10日に3人の身柄を釈放したのであった29)。

自由主義史観派の主張するごとく、慰安所なるものが軍とは直接関係のない、民間業者の経営する通常の売春施設だったのであれば、自分たちは「軍部ノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タリタルモノ」とのふれこみで、「無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点、軍隊ノミヲ相手ニ慰問シ、食料ハ軍ヨリ支給スル等」と勧誘した金澤らの行為は、軍の名前を騙り、ありもしない「皇軍慰安所」をでっち上げて、女性をだまし、中国へ送り出そうとした、あるいは実際に送り出したものであって、婦女誘拐に該当する。金澤らは釈放されることなく、婦女誘拐ないし国外移送拐取で逮捕・送検されたにちがいないし、警察は当然そうすべきであったろう。

ところが、「皇軍慰安所」がまぎれもない事実、すなわち陸軍慰安所が軍の設置した兵站付属施設であったらどうなるか。国外で売春に従事させる目的で女性を売買し(前借金で拘束し)、外国(=上海)に移送するという、行為の本質においてはいささかの変わりもないにかかわらず、ありもしない軍との関係を騙って、女性をだましたわけではないので、この場合には誘拐と認定されず、逆に「酌婦公募」として警察から公認される行為に逆転するのである。和歌山県警は、金澤らの女衒行為が、もとをたどればたしかに軍と総領事館の要請につらなり、また内務省も内々に慰安婦の募集に協力していることが判明した時点で、犯罪容疑として取り扱うのを放棄した。すなわち、陸軍慰安所が軍の設置した公認の性欲処理施設であり、通常の民間売春施設とは異なるものであることが確認された時点で、警察は慰安婦の募集と渡航を合法的なものと認定したのである。国家と軍の関与により、それがなければ犯罪行為となるべきものが犯罪行為ではなくなったのであった。


228. 2014年3月02日 10:14:32 : 2D6PkBxKqI

2.北関東・南東北での募集活動

次に、和歌山田辺の事件とは異なり、誘拐容疑で警察に検挙されることはなかったが、群馬、茨城、山形で積極的な募集活動を展開し、そのため警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚タシキモノアリ」30)と目された神戸市の貸座敷業者大内の活動を紹介する。前記副官通牒にも出てくる「故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ」とおぼしき実例は、以下のようなものだったのである。

群馬県警が得た情報によると、大内は1938年1月5日前橋市内の周旋業者に次のような話をもちかけ、慰安所で働く酌婦の募集を依頼した(前掲史料2「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付))。
1.出征すでに数ヶ月に及び、戦闘も一段落ついて駐屯の体制となった。そのため将兵が中国人売春婦と遊ぶことが多くなり、性病が蔓延しつつある。
2.「軍医務局デハ戦争ヨリ寧ロ此ノ花柳病ノ方ガ恐シイト云フ様ナ情況デ其処ニ此ノ施設問題ガ起ツタ」。
3.「在上海特務機関ガ吾々業者ニ依頼スル処トナリ同僚」の目下上海で貸座敷業を営む神戸市の中野を通して「約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナッタ」。
4.「既ニ本問題ハ昨年十二月中旬ヨリ実行ニ移リ目下二、三百名ハ稼業中デアリ兵庫県ヤ関西方面デハ県当局モ諒解シテ応援シテイル」
5..「営業ハ吾々業者ガ出張シテヤルノデ軍ガ直接ヤルノデハナイガ最初ニ別紙壱花券(兵士用二円将校用五円)ヲ軍隊ニ営業者側カラ納メテ置キ之ヲ使用シタ場合吾々業者ニ各将兵ガ渡スコトヽシ之レヲ取纏テ軍経理部カラ其ノ使用料金ヲ受取ル仕組トナツテイテ直接将兵ヨリ現金ヲ取ルノデハナイ軍ハ軍トシテ慰安費様ノモノカラ其ノ費用支出スルモノラシイ」
6..「本月二六日ニハ第二回ノ酌婦ヲ軍用船デ(神戸発)送ル心算デ目下募集中テアル」31)
また前掲史料3「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)によれば、

7.大内は、山形県最上郡新庄町の芸娼妓酌婦紹介業者のもとに現れ、「今般北支派遣軍〔上海派遣軍のまちがいであろう−永井〕ニ於テ将兵慰問ノ為全国ヨリ二千五百名ノ酌婦ヲ募集スルコトヽナリタル趣ヲ以テ五百名ノ募集方依頼越下リ該酌婦ハ年齢十六才ヨリ三十才迄前借ハ五百円ヨリ千円迄稼業年限二ヶ年之ガ紹介手数料ハ前借金ノ一割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ」と述べ、勧誘した32)。
さらに、前掲史料6「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年2月14日付)からは、

8.大内は茨城県出身であり、1938年1月4日頃遠縁にあたる茨城県在住の人物に上海派遣軍酌婦募集のことを話して協力を求め、その人物を通じて県下の周旋業者に斡旋を依頼した。
9.その業者の仲介で、大内は水戸市の料理店で稼業中の酌婦2名(24才と25才)とそれぞれ前借金642円、691円にて契約を結び、上海に送るため1月19日神戸に向けて出発した。

ことがわかる33)。

上記1から6のうち、次の諸点については、他の史料とも符合し、大内の語ったことはおおむね事実に即していたと解される。

まず、3の「在上海特務機関」とは、最初に紹介した上海総領事館警察署長の依頼状にある「陸軍武官室」にほかならぬ。また、大内に「在上海特務機関」の慰安婦募集の件を伝えたとされる神戸の中野は、和歌山の婦女誘拐容疑事件や前記内務省メモに出てくる中野と同一人物であると考えてまちがいない。また、「酌婦三千人募集計画」の話は田辺事件の被疑者の供述にも出てくる(ただし、山形県警の報告では「二千五百人計画」に縮小している)。

これらのことから、軍の依頼を受けた中野が知り合いの売春業者や周旋人に軍の「酌婦三千人募集計画」を打ち明け、協力を仰いだとの大内の言には十分信がおける。また、4の「既ニ本問題ハ昨年十二月中旬ヨリ実行ニ移リ」や「兵庫県ヤ関西方面デハ県当局モ諒解シテ応援シテイル」との話も、既に紹介した諸史料に照らし合わせて、間違いのない事実とみなせよう。逆に大内の言葉から、なぜ神戸の中野が上海の特務機関と総領事館から依頼されたのか、その疑問が氷解する。中野は神戸で貸席業を営むほか、上海にも進出していたのである。

警察報告にあらわれた大内の言動のうち、少なくとも3、4は事実に即しており、誇張や虚偽は、かりに含まれていても、わずかだと思われる。ならば、彼が語ったとされる慰安所の経営方針(上記5)も、根も葉もない作り話として一笑に付するわけにはいかない。少なくとも、大内は中野からそれを軍の方針として聞かされたことは、まずまちがいない事実であろう。

大内が勧誘にあたって提示した一件書類(趣意書、契約書、承諾書、借用証書、契約条件、慰安所で使用される花券の見本) のうち、「陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコトヲ承諾」する旨を記し、慰安所で働く女性とその戸主または親権者が署名・捺印する「承諾書」の様式が、上海総領事館の定めた「承諾書」のそれとまったく同一であること34)、派遣軍慰安所と記された「花券」(額面5円と2円の2種類−田辺事件の金澤は「上海ニ於テハ情交金将校五円、下士二円」と供述していた−)を所持していたことが、それを裏づける決め手となろう。

5で述べられているのが慰安所の経営方針だとすると、慰安所は軍が各兵站に設置する将兵向けの性欲処理施設ではあるが、日常的な経営・運営は業者に委託されることになっていた。しかし、利用料金の支払いは、個々の利用者が直接現金で行うのではなくて、軍の経費(=慰安費)からまかなわれる仕組みだったことになる。これがほんとうならば、軍の当初の計画では、将兵に無料で買春券を交付する予定だったことになる。このシステムでは、慰安婦の性を買うのは、個々の将兵ではなくて、軍=国家そのものである。もちろん、軍=国家の体面を考慮してのことであろうが、実際の慰安所ではこのような支払い方法は採用されなかった。だから、これをもって軍の当初の計画だったとただちに断定するのは控えねばならないだろうが、しかし、かえってこの計画にこそ、慰安所なるものの本質がよくあらわれていると言うべきであろう。


229. 2014年3月02日 10:14:58 : 2D6PkBxKqI
最後に、大内が勧誘にあたって周旋業者や応募した女性に提示した契約条件を紹介しておこう。

     条  件
一、契約年限     満二ヶ年
一、前借金      五百円ヨリ千円迄
  但シ、前借金ノ内二割ヲ控除シ、身付金及乗込費ニ充当ス
一、年齢        満十六才ヨリ三十才迄
一、身体壮健ニシテ親権者ノ承諾ヲ要ス。但シ養女籍ニ在ル者ハ実家ノ承諾ナキモ差支ナシ
一、前借金返済方法ハ年限完了ト同時ニ消滅ス
  即チ年期中仮令病気休養スルトモ年期満了ト同時前借金ハ完済ス

一、利息ハ年期中ナシ。途中廃棄ノ場合ハ残金ニ対シ月壱歩
一、違約金ハ一ヶ年内前借金ノ一割
一、年期途中廃棄ノ場合ハ日割計算トス
一、年期満了帰国ノ際ハ、帰還旅費ハ抱主負担トス
一、精算ハ稼高ノ一割ヲ本人所得トシ毎月支給ス
一、年期無事満了ノ場合ハ本人稼高ニ応ジ、応分ノ慰労金ヲ支給ス
一、衣類、寝具食料入浴料医薬費ハ抱主負担トス35)

このような条件でなされる娼妓稼業契約は「身売り」とよばれ、これが人身売買として認定されておれば、大内の行為は「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」するものにほかならず、刑法第226条の人身売買罪に該当する。しかし、当時の法解釈では、このような条件での娼妓契約は「公序良俗」に違反する民法上無効な契約とはされても、少なくとも日本帝国内にとどまるかぎりは、刑法上の犯罪を構成する「人身売買」とはみなされなかった。

この契約を結べば、前借金(借金額は500円から1000円だが、そのうち2割は周旋業者や抱主が差し引くので、実際の手取りは400円から800円までである)を受け取る代わりに、向こう2年間陸軍慰安所で売春に従事しなければならない。衣類、寝具、食料、医薬費は抱主の負担とされているが、給与は毎月稼高の1割だから、かりに毎日兵士5人の相手をしたとして(日本国内の娼婦稼業の平均人数)、実働25日としても、月25円にしかならぬ。50円を稼ごうとすれば、毎日10人の兵士を相手にしないといけない。しかも契約書では、所得の半分は強制的に貯金することになっている36)。いっぽう抱主は1人の慰安婦の稼ぎから平均月225円の収入を得ることができ(1日5人の兵士を相手にするとして)、2年間では総額5400円にのぼるのである。

問題なのは年齢条項である。16才から30才という条件は、「18歳未満は娼妓たることを得ず」と定めた娼妓取締規則に完全に違反し、満17才未満の娼妓稼業を禁じた朝鮮や台湾の「貸座敷娼妓取締規則」にも抵触する。さらに、満21才未満の女性に売春をさせることを禁じた「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1925年批准)ともまったく相容れない。大内の活動は明らかに違法な募集活動と言わざるをえない。その点は警察もよく認識していたと見え、群馬県警が入手し、内務省に送付した上記契約条件の年齢条項には、警察側がつけたと思われる傍線が付されている。この契約条件が、上海での軍・総領事館協議において承認されたものなのかどうか、そこが議論のポイントの一つとなろう。私見では、この契約条件がまったく大内の独断で作成されたとはとても思えない。何らかの形で軍ないし総領事館との間で契約条件について協議がなされていたと思われる。たとえそれが契約条件は業者に任せるとの諒解だったとしても、である。

しかし誤解を恐れずに言うと、この年齢条件をのぞけば、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、公娼制度の現実を前提に、さらに陸軍慰安所が実在し、軍と総領事館がこれを公認しているとの条件のもとでは、就業地が国外である点を除くと、この大内の活動は当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」 とは言い難い。まして、これを「強制連行」や「強制徴集」とみなすのはかなりの無理がある。警察は要注意人物として大内に監視の目を光らせ、彼の勧誘を受けた周旋業者に説諭して、慰安婦の募集を断念させたが(山形県の例)、しかし和歌山のように婦女誘拐容疑で検挙することはしなかった。

ただし、念のために言っておくが、自由主義史観派の言うように、慰安所が軍と関係のない民間業者の売春施設であるならば、田辺事件の例と同様、この大内の募集活動も、軍の名を騙って、女性に売春を勧誘するものであるから、婦女誘拐ないし国外移送拐取の容疑濃厚であり、警察としては放置すべきではなかったことになる。

警察報告にあらわれた募集業者の活動は、これ以外にあと二件あり、ひとつは、史料4の高知県知事の報告に、「最近支那渡航婦女募集者簇出ノ傾向アリ之等ハ主トシテ渡支後醜業ニ従事セシムルヲ目的トスルモノニシテ一面軍ト連絡ノ下ニ募集スルモノヽ如キ言辞ヲ弄スル等不都合ノモノ有之」37)とあるにとどまり、具体的な事実まではわからない。

他の一件は、宮城県名取郡在住の周旋業者宛に、福島県平市の同業者から「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ル酌婦トシテ年齢二十歳以上三十五歳迄ノ女子ヲ前借金六百円ニテ約三十名位ノ周旋方」を依頼する葉書が届いたというもので、警察は周旋業者の意向を内偵し、本人に周旋の意志のないのを確認させている38)。こちらでは、年齢条件が大内の条件とは異なる。警察が説諭して募集をやめさせたのは、上に述べたことから当然の措置といえよう。また、史料1の外務次官通牒に定める渡航制限の趣旨からしても、そうあるべきである。前述の山形県警察がとった措置ともあわせて考えると、当時の警察の方針は、外務次官通牒に準拠しつつ、売春に従事する目的で女性が中国に渡航するのを原則として禁止していたのだと考えてよい。

以上が、警察報告に現れた業者の募集活動のすべてである。さて、話を例の副官通牒に戻そう。警察資料を見る限り、通牒にあげられた3つの好ましくない事例のうち、「故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ」は大内の活動およびこれに類似のものをさし、「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」が、田辺の婦女誘拐容疑事件を念頭においていることは、まずまちがいない。残る「従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ」は、これに該当する事例は警察報告に見あたらぬ。このことは、未発掘の警察資料の存在を示唆するとも考えられるが、「従軍記者、慰問者」とあるので、あるいは警察ではなく、憲兵隊の報告だった可能性も十分ありうる。その場合には、警察報告には見つからないはずである。

この通牒があげている好ましくない事例がここで紹介したようなものだとすると、とくに「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」が田辺事件をさすのだとすれば、この通牒の解釈について、従来の説が当然のこととしてきた前提そのものを再検討せざるをえない。

というのは、この事件で事情聴取された業者の行為は、陸軍慰安所が軍と関係のない民間の施設であれば、まったくの詐欺・誘拐行為にほかならないと断定できるが、それがまぎれもない軍公認の施設だった場合には、そう簡単に誘拐とは断じえない性質のものだからである。たとえ本人の自由意志による同意があろうとも、売春に従事させる目的で前借金契約をかわして国外に女性を連れ出すこと、それ自体がすでに違法だというならば話は別だが、そうでないとすれば、この業者の行為は、軍の要請に応じて、その提示条件をもとに、酌婦経験のある成人の女性に、先方に着いてから何をするのか、一応きちんと説明した上で、上海行きを誘っただけにすぎず、決して嘘偽りをいって騙したのではない。まして、拉致・略取などに及んではいない。考えてみれば、慰安婦の勧誘法としては、これ以外にどんな方法があるだろうか。ただ、警察から誘拐行為と目されることになったのは、軍がそのような施設をつくり、業者に依頼して女性を募集しているという話そのものが、ありうべからざること、にわかには信じがたい、荒唐無稽なことだったからに、ほかならない。

警察資料に登場する慰安婦募集活動は、いずれもこの田辺事件と大同小異のものばかりであって、詐欺や拉致・拐取は一例もない。明らかに違法なのは、大内の示した契約条件の年齢条項だけである。しかし、未成年の女性を実際に勧誘した事実は警察報告からは読みとれない。

現存する警察資料が明らかにしている事実関係からすれば、この有名な副官通牒が出された際に、現実に問題となった誘拐行為は、じつは慰安所そのものが軍の施設であるならば、合法とみなされるべきたぐいのものにすぎなかった。実際には、「内地で軍の名前を騙って非常に無理な募集をしている者」や「強制連行」「強制徴集」を行う悪質な業者などどこにも存在していなかったのだとすると、この通牒も直接的にはその種の行為を禁止するために出されたのではないと解釈せざるをえない。では、いったい何が取締まらねばならないと考えられていたのか、そもそもこの通牒は何かを取り締まる目的で出されたものなのか。それを検討するには、このような活動に地方の警察がいったいどうのように反応したのかを見ておく必要がある。


230. 2014年3月02日 10:15:27 : 2D6PkBxKqI

W.地方警察の反応と内務省の対策

大内の募集活動を探知した群馬県警察はこれに対してどのような反応を見せたのか。史料番号2の警察報告は次のような言葉で締めくくられている。

本件ハ果タシテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且ツ公秩良俗ニ反スルガ如キ事業ヲ公々然ト吹聴スルガ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長ニ対シ指揮致置候39)

この史料から、軍による陸軍慰安所の設置とその要請を受けた慰安婦募集は警察にとってはにわかに信じがたいできごとであったことがよくわかる。上海総領事館警察から正式の通知を受け取っていた長崎県や、内務省から非公式の指示があった兵庫県・大阪府は軍の要請による慰安婦募集活動であることを事前に知らされ、それゆえ内々にその活動に便宜をはかったのだが、何の連絡も受けていない関東や東北では、大内の話はまったくの荒唐無稽事に聞こえたのである。

軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられるものではない。ましてそれを公然とふれまわるにいたっては、皇軍の名誉を著しく傷つけるにもほどがあると、そう群馬県警察は解した。大内は嘘を言って、女性を騙そうとしたわけではない。真実を告げて募集活動をしたために、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」とみなされたのであった。

他の二県(山形、茨城)でも警察の反応は同様である。山形県警察の報告では、

如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ斯ル事案ガ公然流布セラルヽニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ボス悪影響少カラズ更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ40)

と記され、茨城県でも群馬県とほぼ同様に

本件果タシテ軍ノ依頼アリタルモノカ全ク不明ニシテ且ツ酌婦ノ稼業タル所詮ハ醜業ヲ目的トスルハ明ラカニシテ公序良俗ニ反スルガ如キ本件事案ヲ公々然ト吹聴募集スルガ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリト認メ厳重取締方所轄湊警察署長ニ対シ指揮致置候41)

との判断および指示が下されたのであった。すなわち、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリ」と非難され、厳重に取締まるべきものとされたのは、「誘拐まがいの方法」でもなければ、「違法な徴募」「悪質な業者による不統制な募集」「強制連行」「軍の名前を騙る非常に無理な募集」「強制徴集」のいずれにも該当しない大内の活動だったのである。もっと言えば、中国に軍の慰安所を設置し、そこで働く女性を内地や植民地で公然と募集することそのものが(つまり軍の計画そのものが)、「公序良俗」に反し、「皇軍ノ威信ヲ失墜」させかねない行為だったのである。

以上のことから、当時の警察の考えと対応は次のようにまとめられよう。
1.一部の地方を除き、軍の慰安所設置について何も情報を知らされておらず、慰安所の設置はにわかに信じがたい話であった。国家機関である軍がそのような公序良俗に反する事業をあえてするなどとは、予想だにしなかった。
2..かりに軍慰安所の存在がやむを得ないものだとしても、そのことを明らかにして公然と慰安婦の募集を行うのは、皇軍の威信を傷つけ、一般民心とくに兵士の留守家庭に非常な悪影響を与えるおそれがあるので、厳重取締の必要があると考えていた。そして、実際にそのような募集行為を行わないよう業者を指導し、管下の警察署に厳重取締の指令を下した。

この警察の姿勢をもっとも鮮明に打ち出したのは高知県だった。高知県には大内は立ち寄っていないが、すでに述べたように、「渡支後醜業ニ従事セシムル目的」で中国渡航婦女を募集する者が続出し、「一面軍ト連絡ノ下ニ募集スルモノヽ如キ言辞ヲ弄」していたのである。それに対して高知県警察は次のような取締方針を県下各警察署に指示した。

支那各地ニ於ケル治安ノ恢復ト共ニ同地ニ於ケル企業者簇出シ之ニ伴ヒ芸妓給仕婦等ノ進出亦夥シク中ニハ軍当局ト連絡アルカ如キ言辞ヲ弄シ之等渡航婦女子ノ募集ヲ為スモノ等漸増ノ傾向ニ有之候処軍ノ威信ニ関スル言辞ヲ弄スル募集者ニ就テハ絶対之ヲ禁止シ又醜業ニ従事スルノ目的ヲ以テ渡航セントスルモノニ対シテハ身許証明書ヲ発給セザルコトニ取扱相成度42)

警察としては当然かくあるべき方針といえるが、「軍ノ威信ニ関スル言辞ヲ弄スル募集者ニ就テハ絶対之ヲ禁止シ、又醜業ニ従事スルノ目的ヲ以テ渡航セントスルモノニ対シテハ身許証明書ヲ発給セザルコト」になれば、慰安婦の募集は不可能となり、慰安所そのものが成り立なくなる。軍の計画は失敗せざるをえない。このような地方警察の反応を警察報告で知らされた内務省や陸軍省としては、早急に何らかの手を打たねばならないと感じたはずである。

軍の慰安所政策(国家機関が性欲処理施設を設置・運営し、そこで働く女性を募集する)は、当時の社会通念からいちじるしくかけ離れたものであったうえ、そのことが府県警察のレベルにまで周知徹底されないうちに、業者のネットワークを伝って情報がひろがり、慰安婦の募集活動が公然と開始されたため、このような事態をまねいたのであった。この混乱を収拾して、軍の要請に応じて、慰安婦の調達に支障が生じないようにするとともに、地方の警察が懸念する「皇軍ノ威信ヲ失墜」させ、銃後の人心の動揺させかねない事態を防止するためにとられた措置が、警保局長通牒(内務省発警第5号)であり、それに関連して陸軍省から出先軍司令部に出されたのが問題の副官通牒(陸支密第745号)だったのである。

警保局長通牒43)は、その冒頭で、最近、売春に従事する目的で中国に渡航する婦女が増加しており、かつまた「軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄」して、内地各地で渡航婦女の募集周旋をなす者が頻出しつつあると、現状を把握した上で、これらの「婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルル」44)と、慰安婦の中国渡航をやむをえないものとして容認する判断を下した。さすがに警保局長の通牒文書であるので、軍が慰安所を設置し、業者を使って慰安婦を集めている事実にあからさまにふれてはいないが、一連の警察報告を前において読めば、「現地ニ於ケル実情」なるものが陸軍の慰安所設置をさしているのは言わずとも明らかであろう。

その「実情」に鑑みて、「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航」を「必要已ムヲ得ザルモノ」として認めたこの警保局長通牒は、それまでの警察の方針を放擲して、慰安婦の募集と渡航を容認し、それを合法化する措置を警察がとったことを示す文書にほかならない。先ほど言及した高知県警察の禁止指令のごとき、地方警察の取締および防止措置をキャンセルし、軍の慰安所政策への全面的協力を各府県に命じる措置だったのである。同様に、史料1の外務次官通牒「不良分子ノ渡支ニ関スル件」(1937年8月31日付)が規定していた渡航制限方針を変更し、それを緩和する措置でもあった45)。

と同時に、警保局は慰安婦の募集と渡航の容認・合法化にあたって、「帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フ」ことのなきよう、「銃後国民特ニ出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フル」おそれのなきよう、また「婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キ」よう、募集活動の適正化と統制を並行して実施するよう指令を下した。ここで好ましからざるものとして念頭に置かれていたのが、大内のそれであることは言うまでもない。通牒が国際条約にふれているのは、大内の所持していた契約条件の年齢条項を意識してのことと推察されるからである。

要するにこの通牒のねらいは、慰安婦の募集と渡航を容認・合法化し、あわせて募集活動に対する規制をおこなうことにあり、7項目にわたる準拠基準が定められた。第1〜5項は「醜業ヲ目的トシテ渡航セントスル婦女」に渡航許可を与えるため、前記外務次官通牒に定める身分証明書を警察が発行する際の遵守事項を定めたものである。具体的には、現在内地において売春に従事している満21才以上の女性で性病に罹患していない者が華北、華中方面に渡航する場合に限りこれを黙認し、その際、契約期間が終われば必ず帰国することを約束させ、かつ身分証明証の発給申請は本人自ら警察署に出頭して行い、同一戸籍内の最近尊族親または戸主の同意書を示すこと、さらに発給にあたっては稼業契約その他の事項を調査し、婦女売買又は略取誘拐等の事実がないことを確認してから、身分証明を付与すること、とされている。当時の刑法、国際条約、公娼規則に照らしてぎりぎり合法的な線を守ろうとすれば、だいたいこのあたりに落ち着くのである。

もっとも、この遵守事項がきちんと守られたかどうかは、また別問題である。なぜなら、この通牒が発令されて2ヶ月ばかり後に北海道の旭川警察署が、「醜業ヲ目的トシテ」中国に渡航する満21才未満の芸妓に身分証明書を発給した事実が知られているからである46)。(補注1)

第6、7項は募集業者に対する規制であり、「醜業ヲ目的トシテ渡航セントスル婦女」の募集周旋にあたって「軍ノ諒解又ハ之ト連絡アルガ如キ言辞其ノ他軍ニ影響ヲ及ボスガ如キ言辞ヲ弄スル者ハ総テ厳重ニ之ヲ取締ルコト」、「広告宣伝ヲナシ又ハ事実ヲ虚偽若ハ誇大ニ伝フルガ如キハ総テ厳重ニ之ヲ取締ルコト」、「募集周旋等ニ従事スル者ニ付テハ厳重ナル調査ヲ行ヒ正規ノ許可又ハ在外公館ノ発行スル証明書等ヲ有セズ身許ノ確実ナラザル者ニハ之ヲ認メザルコト」の三点が定められた。

つまり、慰安婦の募集周旋において業者が軍との関係を公言ないし宣伝することを禁じたのである。通牒が取締の対象としたのは、業者の違法な募集活動ではなくて、業者が真実を告げること、言い換えれば、軍が慰安所を設置し、慰安婦を募集していると宣伝し、知らしめること、そのことであった。慰安婦の募集は密かに行われなければならず、軍との関係はふれてはいけないとされたのである47)。

この通牒は、一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍すなわち国家と慰安所の関係についてはそれを隠蔽することを業者に義務づけた。この公認と隠蔽のダブル・スタンダードが警保局の方針であり、日本政府の方針であった。なぜなら、自らが「醜業」と呼んではばからないことがらに軍=国家が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、軍=国家の体面にかかわる「恥ずかしい」ことであり、大っぴらにできないことだったからだ。このような隠蔽方針がとられたために、軍=国家と慰安所の関係は今にいたっても曖昧化されたままであり、それを示す公的な資料が見つかりにくいというより、そもそものはじめから少ないのは、かかる方針によるところ大と言えるであろう。その意味では、慰安所と軍=国家の関係に目をつむり、できるかぎり否認せんとする自由主義史観派の精神構造は、この通牒に看取される当時の軍と政府の立場を、ほぼそのまま受け継ぐものと言ってよい。

副官通牒はこのような内務省警保局の方針を移牒された陸軍省が48)、警察の憂慮を出先軍司令部に伝えると共に、警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、慰安婦募集の責任者ともいうべき軍司令部に周知徹底させるため発出した指示文書であり、軍の依頼を受けた業者は必ず最寄りの警察・憲兵隊と連絡を密にとった上で募集活動を行えとするところに、この通牒の眼目があるのであり、それによって業者の活動を警察の規制下におこうとしたのである49)。であるがゆえに、この通牒を「強制連行を業者がすることを禁じた文書」などとするのは、文書の性格を見誤った、誤りも甚だしい解釈と言わざるをえない。


231. 2014年3月02日 10:16:00 : 2D6PkBxKqI

おわりに

1937年末から翌年2月までにとられた一連の軍・警察の措置により、国家と性の関係に一つの転換が生じた。軍が軍隊における性欲処理施設を制度化したことにより、政府自らが「醜業」とよんで憚らなかった、公序良俗に反し、人道にもとる行為に直接手を染めることになったからである。公娼制度のもと、国家は売春を公認してはいたが、それは建て前としては、あくまでも陋習になずむ無知なる人民を哀れんでのことであり、売春は道徳的に恥ずべき行為=「醜業」であり、娼婦は「醜業婦」にすぎなかった。国家にとってはその営業を容認するかわりに、風紀を乱さぬよう厳重な規制をほどこし、そこから税金を取り立てるべき生業だったのである。

しかし、中国との戦争が本格化するや、その関係は一変する。いまや出征将兵の性欲処理労働に従事する女性が軍紀と衛生の維持のため必須の存在と目され、性的労働力は広義の軍要員(あるいは当時の軍の意識に即して言えば「軍需品」と言った方がよいかも知れない)となり、それを軍に供給する売春業者はいまや軍の御用商人となったのである。国家が民間で行われている性産業・風俗営業を公認し、これを警察的に規制することと、国家自らが、政府構成員のために性欲処理施設を設置し、それを業者に委託経営させることとは、国家と性産業との関係においてまったく別の事柄なのである。

そう考えるならば、同じように軍の兵站で働き、軍の必要とするサービスを供給する女性労働力であった点において、従軍看護婦と従軍慰安婦との間には、その従事する職務の内容に差はあれ、本質的な差異を見いだすことはできない。慰安婦もまたその性的労働によって国家に「奉仕」した/させられたのであった。

一連の措置により、慰安婦の募集と渡航が合法化されたことは、性的労働力が軍需動員の対象となり、戦時動員がはじまったことを意味している。それはまた性的サービスを目的とする風俗産業の軍需産業化にほかならず、内地・植民地から戦地・占領地へ向けて風俗産業の移出とそれに伴う多数の性的労働力=女性の流出と移動を生みだした。慰安婦は戦時体制が必然的に生みだした国家と性の関係変容を象徴する存在であり、戦時における女性の総動員の先駆けともいうべき存在となった。彼女たちにつづき、人間の再生産にかかわる家庭婦人が「生めよ殖やせ」の戦時総動員政策のもとで、銃後の母・出征兵士の妻として、兵力・労働力の再生産と消費抑制の大任を負わされ、未婚女性は、あるいは軍需工場での労働力として、あるいは看護婦から慰安婦にいたるさまざまな形態の軍要員として動員されたのであった。

しかし、ひとしく戦時総動員と言っても、そこには「民族とジェンダーに応じた「役割分担」」50)が厳然と存在し、内地日本人男性のみを対象とした徴兵(あるいは軍需工場の熟練工)を頂点に、各労働力の間には截然たる階層区分が存在していた。労務動員により炭坑や鉱山で肉体労働に従事した朝鮮人・中国人労働者のために事業場慰安所が設立されたことを思うと51)、この戦時総動員のヒエラルヒーの最低下層におかれていたのが、慰安所で性的労働に従事した女性、なかんずく植民地・占領地出身の女性であったのはまちがいない。彼女たちは戦時総動員体制下の大日本帝国を文字どおりその最底辺において支えたのである。

このような戦時総動員のヒエラルキーが形づくられた要因はさまざまであるが、慰安婦に関して言えば、軍・警察の一連措置が内包していたダブル・スタンダードの持つ役割にふれないわけにはいかない。すでに述べたように、軍・警察は慰安所を軍隊の軍紀と衛生の保持のため必須の装置とみなし、慰安婦の募集と渡航を公認したが、同時に軍・国家がこの道徳的に「恥ずべき行為」に自ら手を染めている事実については、これをできるかぎり隠蔽する方針をとった。軍の威信を維持し、出征兵士の家族の動揺を防止するために、すなわち戦時総動員体制を維持するために、慰安所と軍・国家の関係や、慰安婦が戦争遂行上においてはたしている重要な役割は、公的にはふれてはいけないこと、あってはならないこととされたのである。

国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すでに象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。

従軍慰安婦が、同様に軍の兵站で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら、従軍看護婦とは異なる位置づけを与えられ、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれたのは、このような論理と政策の結果とも言えよう。慰安所の現実がそこで働かされた多くの女性、なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかったのは、このような位置づけと、それをもたらした軍・警察の方針によるところが大きいのである。


232. 2014年3月02日 10:16:33 : 2D6PkBxKqI

補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設

軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったことはすでに述べた。このことを裏付けてくれる、陸軍の規程を偶然に発見したので、紹介しておきたい。それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という陸軍大臣が制定した軍の内部規則である52)。その名の示すとおり、戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての規程である。添付の改定理由書によると、日露戦争中の1904年に制定された「野戦酒保規程」が日中戦争の開始とともに、古くなったので改正したとある。改正案の第1条は次のとおりであった。

第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス
   野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得

ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では、酒保において物品を販売することができるだけでなく、軍人軍属のための「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。改正以前の野戦酒保規程の第一条は、以下のとおり。

第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス

ここには「慰安施設」についての但書きはない。第一条改正の目的が、酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは、改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で、次のように説明されていることから明らかである。

「改正理由

野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」

このことから、1937年12月の時点での、陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは、この「野戦酒保規程」第一条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと、ほぼ断定できる。酒保そのものは、明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。野戦酒保も同様で、陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている軍の後方施設である。してみれば、当然それに付設される「慰安施設」も軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん、改定野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで、軍慰安所のような性欲処理施設を直接にはさしていない。しかし、中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時、当事者はそれを「慰安施設」と見なしていたことが、別の史料で確認できる。本稿のはじめのところで紹介した、上海派遣軍司令部の参謀達の日記がそれである。念のために再掲する。
•上海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)

「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」(1937年12月11日)
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)
•同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)

「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(1937年12月28日) 

これらの記述から、この時上海派遣軍に設置された「慰安施設」は「女郎屋」であり、「南京慰安所」と呼ばれたことがわかる。逆に言えば、上海派遣軍の飯沼参謀長は、「女郎屋」である「南京慰安所」を軍の「慰安施設」と見なしていたことを、上記の史料は示している。

飯沼参謀長が日記に書き留めた「慰安施設」が改定野戦酒保規程第1条の「慰安施設」をさすものであることは、軍隊という組織のありかたからして、まちがいのないことである。つまり、上海派遣軍の軍慰安所は改定野戦酒保規程第1条の定めるところにしたがって設置されたのである。


233. 2014年3月02日 10:16:56 : 2D6PkBxKqI
そう考えると、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』で紹介されている第101聯隊(上海派遣軍第101師団)の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記田中常雄編『追憶の視線』下、1989年、102頁)中の以下の記述の意味が、よりよく納得されるであろう。

1月8日「夜隊長より慰安所開設の話を聞く。喜ぶ者多し」

1月13日「今日、急に酒保係を命ぜられ、酒保へ行く。戦地軍隊は面白い所だ。女給ばかり居る酒保だからな。未だ売る物は一品ばかりだ。○○を買う者がどっとおし寄せて午後より夜遅くまで多忙だ」(秦、p.72)

この聯隊でも、慰安所が「野戦酒保付設慰安施設」として設置されたので、酒保係を命じられた兵士が慰安所の当番兵となり、慰安所を「女給ばかり居る酒保」と呼んだのである。

また秦前掲書81頁には、「第110師団関係資料」を根拠に、「慰安所、女については大隊長以上において申請許可を受けたる後、設置」というルールがあったことが紹介されているが、これも改定野戦酒保規程第3条の以下の規定を考慮すると、納得がいく。

第三条 野戦酒保ハ所要ニ応ジ高等司令部、聯隊、大隊、病院及編制定員五百名以上ノ部隊ニ之ヲ設置ス
 前項以外ノ部隊ニ在リテハ最寄部隊ノ野戦酒保ヨリ酒保品ノ供給ヲ受クルヲ本則トス 但シ必要アルトキハ所管長官ノ認可ヲ受ケ当該部隊ニ野戦酒保ヲ設置スルコトヲ得
(略)
野戦酒保ハ之ヲ設置シタル部隊長之ヲ管理ス(略)

この規程では、大隊以上に野戦酒保を設置できる権限が与えられている。ということは、大隊長以上には野戦酒保の付設慰安施設についてもその設置権限があるということを意味する。また、大隊よりも小さな部隊がどうしても野戦酒保(及び慰安所)を必要とするときは、所管長官(軍司令官、師団長、兵站監、及び之に準ずる兵団の長)に申請してその認可を得なければいけないとあるので、この規定から(慰安所は)「大隊長以上において申請許可を受けたる後、設置」ということになったのだと思われる。さらに「野戦酒保ハ之ヲ設置シタル部隊長之ヲ管理ス」とあることから、酒保付設慰安施設である軍慰安所についても、酒保と同様に、その管理者は設置者である当該部隊の長であったと結論できる。

他にも野戦酒保規程第6条には次のような条文がある。

第六条 野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得

平時ノ衛戍地ヨリ伴行スル酒保請負人ハ軍属トシテ取扱ヒ一定ノ服装ヲ為サシムルモノトス但シ其ノ人員ハ歩兵、野砲兵及山砲兵聯隊ニ在リテハ三名以内、其ノ他ノ部隊ニ在リテハ二名以内トス

この規定から、直営でない軍慰安所において慰安所を経営していた売春業者は軍の「請負商人」であったこと、また当該部隊の長の判断により、それらの請負業者を軍属にすることができたこともわかる。ただし、この改定野戦酒保規程では軍属にできる請負商人には定員の枠が設定されているので、実際にどれほどの業者が軍属になったのかはまた別問題である。さらに第13条には「軍属タル酒保請負人ニハ必要ニ応ジ糧食ヲ官給シ又被服ノ一部ヲ貸与スルコトヲ得」とあり、この条項の運用次第では、慰安所の業者が軍から貸与された制服を着用することになっても別に不思議ではない。彼らが直接朝鮮や台湾で女性を集めたとすると、制服を着用しているので、軍人と見なされる可能性は高い。

以上まとめると、日中戦争期につくられた陸軍の慰安所は、軍の兵站施設である野戦酒保の付属慰安施設であったのであり、その経営を受託された慰安所業者は軍の請負商人であり、可能であれば、軍属の身分を与えられ、制服の着用が許されたのだと考えられる。


234. 2014年3月02日 10:17:22 : 2D6PkBxKqI


追記(2005年6月12日記、2007年3月21日)

2005年6月11日に古書店で、『初級作戦給養百題』というタイトルの図書を入手した。これは、陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集である。

編者は清水一郎陸軍主計少佐。発行所は陸軍主計団記事発行部で、同部刊行の『陸軍主計団記事』第三七八号附録として刊行された。表紙の右肩に「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書されている。なお、『陸軍主計団記事』は靖国偕行文庫には全巻揃っているそうである。

奥付がないので、『初級作戦給養百題』の刊行日付は不明だが、序文に「二六〇一年ノ正月之ヲ発意シ漸ク斯クノ如ク纏メ上ケタリ」とあるので(p.1)、昭和16年すなわち1941年に刊行されたものと推測される。

この書物の第一章総説には、師団規模の部隊が作戦する際に、経理将校が担当しなければいけない作戦給養業務(「作戦経理勤務」)の内容が一五項目にわたって列挙されているが、その一五番目「其他」の項には、以下の小目が含まれる(強調は永井、以下同じ)。

 1 酒保ノ開設
 2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演芸会ノ開催
 3 恤兵品ノ補給及分配
 4 商人ノ監視                          (p.14)

このことから、1941年の時点で、「慰安所ノ設置」は、「酒保ノ開設」と並んで経理将校が行わなければいけない「作戦給養業務」のひとつであったことがわかる。これもまた、私が本文で指摘した、「軍慰安所とは、将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設」との主張を裏付けてくれる、軍の内部資料の一つであるわけである。

さらに、この『初級作戦給養百題』には、以下のような状況のもとで、師団経理部の一員として、「次期作戦準備ノ為ノ経理勤務要領」の「考案ヲ附記スヘシ」という問題が収録されている(p.367)。

 一、十月中旬師団ハ概ネ初期ノ目的ヲ達シM平地ヲ領有ス
 二、茲ニ於テ師団ハ一部ヲ以テABCDニ位置セシメ主力ヲ以テM市及其周辺ニ駐止シ次期作戦ヲ準備セントス

つまり、この問題は、師団規模の部隊が戦闘を終え、所定の場所を占領したまま駐屯体制に入り、次の作戦に向けて準備をする場合に、師団経理部がとるべき措置を起案せよと、問うているのである。この演習問題に対しては、総説に示された「経理勤務要領」に基づく模範解答が掲載されているが、それには以下のような措置が含まれているのである。

 十一 其他
 1 酒保ノ開設
 2 出入商人ノ監視
 3 慰安所ノ設置
 4 恤兵品ノ補給及分配                  (p.371)

1937年9月に野戦酒保の附属慰安施設として陸軍の編成のうちに姿をあらわした軍慰安所は、その4年後の1941年には、給養を担当する経理将校のマニュアル中に、師団規模の部隊が占領地で駐屯体制に入った場合には、必ず設置しなければいけない施設として、酒保と肩をならべて記されるまでの存在となっていたのである。

このような状況となれば、後方業務遂行のためにも、経理将校は慰安所の業務についてそれなりの知識を有していなければ、その職責を果たせないことになるが、その要請に応じるため、経理将校の養成課程においてそれに関する教育が行なわれていたことを示す元経理将校の貴重な証言がある。

証言者は、戦後フジサンケイグループの総帥となる鹿内信隆だが、一九三八年に札幌の歩兵第二五聯隊に入営した鹿内は、幹部候補生の試験に合格し、予備の経理将校になるため、陸軍経理学校に入校した。さらに陸軍会計監督官となる教育を受け一九四一年に卒業した。

鹿内は、元日経連会長櫻田武との対談の中で、その経理学校で「慰安所の開設」について次のような教育を受けたという。

鹿内 (略)それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地へ行きますとピー屋が…。
 櫻田 そう、慰安所の開設。
 鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの、持ち時間 が、将校は何分、下士官は何分……といったことまで決めなければいけない(笑) 。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。
(櫻田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』上巻(サンケイ出版、一九八三年)四〇〜四一頁。)

もちろん「ピー屋設置要綱」は隠語であって、正しくは「慰安所設置要綱」であったにちがいない。

鹿内の証言は、一九四一年には陸軍経理学校で経理将校およびその候補生に対して慰安所設置業務についての教育が行なわれ、そのためのマニュアルができていたことを明らかにしてくれている。

と同時に、当時の日本陸軍では慰安所といえば、もっぱら将兵向けの性欲処理施設を指していたことをも示している。慰安所が軍の後方施設であったことを如実に物語る証言といえよう。


235. 2014年3月02日 10:18:02 : 2D6PkBxKqI


1) 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(青土社、1998年)。

2) 吉見義明編集・解説『従軍慰安婦資料集』(大月書店、1992年)105-106。

3) 吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)35。

4) 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 第3巻』(小学館、1997年)165。

5) 小林よしのり「「人権真理教に毒される日本のマスコミ」西尾幹二・小林よしのり・藤岡信勝・高橋史朗『歴史教科書との15年戦争』(PHP研究所、1997年)77。

6) 藤岡信勝「歴史教科書の犯罪」前掲『歴史教科書との15年戦争』58。

7) 秦郁彦「歪められた私の論理」『文藝春秋』1996年5月号。

8) 上杉聡『脱ゴーマニズム宣言』(東方出版、1997年)77。

9) 吉川春子 『従軍慰安婦−新資料による国会論戦−』(あゆみ出版、1997年)。

10) 八木絹「旧内務省資料でわかった「従軍慰安婦」の実態」『赤旗評論特集版』1997年2月3日。

11) 和田春樹「政府発表文書にみる「慰安所」と「慰安婦」−『政府調査「従軍慰安婦関係」資料集成』を読む」女性のためのアジア平和国民基金「慰安婦」関係資料委員会編『「慰安婦」問題調査報告・1999』女性のためのアジア平和国民基金、1999年。

12) この間の経緯については、『赤旗』1996年12月20日に詳しい。

13) 前掲『資料集成』第1巻、36-38。

14) 前掲吉見編『従軍慰安婦資料集成』28-30、吉見義明・林博史編前掲書、第2章、第4章。

15) 南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集T』(偕行社、1993年)。

16) 同編『南京戦史資料集U』(偕行社、1993年)。

17) 同上。なお、湖州の慰安所については、第十軍法務部長であった小川関治郎の陣中日記の1937年12月21日条にも「尚当会報ニテ聞ク 湖州ニハ兵ノ慰安設備モ出来開設当時非常ノ繁盛ヲ為スト 支那女十数人ナルガ漸次増加セント憲兵ニテ準備ニ忙シト」との記述が見られる(小川関治郎『ある軍法務官の日記』みすず書房、2000年、124)。

18) 前掲吉見編『従軍慰安婦資料集成』175。

19) 同上、195。

20) 高崎隆治編『軍医官の戦場報告意見集』(不二出版、1990年)115、120。

21) 麻生徹男軍医少尉「花柳病ノ積極的予防法」1939年6月26日、高崎編、前掲書、55。

22) 前掲藤永論文、169。なお、藤永は麻生徹男『上海から上海へ』(石風社、1993年)に依拠している。

23) 1937年12月に陸軍と総領事館との間に結ばれた風俗警察権の分界協定は、上海・南京戦が終了し、日本軍の駐屯と占領地支配の長期化が明確になった1938年春になって、一部修正の上、再確認された。その年3月には上海で、4月16日に南京総領事館で陸海外三省関係者の協議会が開催きれ、占領地の警察権に関する協定を結んでいる(前掲吉見編『従軍慰安婦資料集』178-182)。
 なお、一般公娼施設と軍慰安所との間で明確に警察の管轄区分がなされていた点で、軍事警察が占領地の風俗営業取締を全般的に担当していた日露戦争中の満州軍政や第1次大戦期の青島占領とも性格を異にすることも付け加えておく。

24) 前掲『資料集成』第1巻、3、7。前掲吉見編『従軍慰安婦資料集成』96、97。

25) 前掲『資料集成』第1巻、28、31。

26) 同上、35、36。

27) 同上、45。

28) 同上、105-109。この手書きメモは欄外に「内務省」と印刷されている事務用箋に記されており、内容からみて、1938年1月の慰安婦第1回送出のあとに、本省側が兵庫県警に事情を聴取した際に作られたメモと思われる。なお、山下内務大臣秘書官とあるのは山下知彦。海軍大将山下源太郎の養嗣子で、男爵・海軍大佐。36年3月に予備役となり、末次信正の内務大臣就任とともにその秘書官に起用されていた。

29) 前掲『資料集成』第1巻、32。

30) 同上、43。

31) 同上、11-13。

32) 同上、23-24。

33) 同上、48-49。

34) 同上、16、43。

35) 同上、19-21。

36) 契約書には「一、上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業ヲ為スコト 一、賞与金(給料のこと−永井)ハ揚高ノ一割トス(但シ半額ヲ貯蓄スルコト)」と記されている。同上、14。

37) 同上、25。

38) 同上、54。

39) 同上、19。

40) 同上、24。

41) 同上、49。

42) 同上、26。

43) この通牒は、警保局警務課(課長町村金五)において1938年2月18日付けで起案され、富田健治警保局長、羽生雅則内務次官、末次信正内務大臣の決裁を受けて、2月23日付で各地方長官に通達された。外事課と防犯課とがこれに連帯している。同上、55。

44) 同上、69-70。

45) 警保局長通牒が外務次官通牒に定める渡航制限の緩和措置であったことは、この通牒が出された後に、粟屋大分県知事と外務省の吉沢清次郎アメリカ局長との間で以下のようなやりとりがなされたことからもわかる。まず粟屋知事は、外務省の既存の指令にしたがえば、山東方面への初渡航者には警察の身分証明書を発行すべきでないと解されるが、同方面の「皇軍慰安所ノ酌婦等募集ヲナス旨ノ在支公館又ハ軍部ノ証明ヲ有スル者ノ募集セル酌婦等ニ対シテハ身分証明書下付相成差支無キヤ」とアメリカ局宛に照会を行い、それに対して吉沢局長は、内務省発警第5号「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル依命通牒」にしたがって「渡支支障ナキ者ナル限リ身分証明書ヲ発給セラレ差支無之」と回答したのであった。すなわち警保局長通牒にしたがい、慰安婦の渡航を認めてよいと指示したのであった。同上、117-120。

46) 在山海関副領事発外務大臣宛機密第二一三号(1938年5月12日付)前掲吉見編『従軍慰安婦資料集』111。

補注1(2012年1月12日追記) 

内務省警保局長通牒が定めている渡航許可の基準は、実質的には空文化されていたと考えられる。なぜならば、現実に慰安所に送られた例を検討すると、基準が守られていたとはとても思えないからである。以下にみるように、秦前掲書(三八二〜三八三頁)に紹介されている元兵士の証言がその証拠となる。これらは氷山の一角であったと考えてよいであろう。

そのひとつ、華南南寧憲兵隊の元憲兵曹長の回想によれば、一九四〇年夏、中国華南の南寧を占領した直後に、その兵士は、陸軍慰安所北江郷という名の軍慰安所を毎日巡察していたという。その慰安所の経営者は、十数人の若い朝鮮人慰安婦を抱えていたが、地主の息子で小作人の娘たちを連れてやって来たとのことであった。朝鮮を出るときは、契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、若い女の子に売春を強いることに経営者の朝鮮人も深く責任を感じているようだったという。

この慰安所の経営者が女性を騙したのか、それとも経営者自身が他の誰かに騙されたのか、この証言だけでは曖昧だが、連れてこられた女性は明らかに就労詐欺の被害者である。内務省警保局長通牒の趣旨からすればあってはならないことがらである。

一九三二年の上海事変の際には「設置計画中の海軍指定慰安所で働かせるため、長崎地方の女性一五名を事情を隠し、女給・女中を雇うかのように騙して長崎から乗船させ(誘拐)、上海に上陸させた(移送)」事件がおこり、被疑者は起訴されたが、長崎控訴院は刑法旧第二二六条第一項の国外誘拐罪と同条第二項国外移送罪が成立するものとして有罪を宣告し、大審院もこれを支持した(大審院判決が出されたのは一九三七年三月)(戸塚悦郎「確認された日本軍性奴隷募集の犯罪性」、『法学セミナー』一九九七年一〇月号)。

この判例からすれば、南寧の陸軍慰安所の女性も国外誘拐罪、国外移送罪の被害者にまちがいないが、その被害事実がわかっておりながら、慰安所の取り締まりを担当していたこの憲兵曹長は、女性を帰国させずにそのまま放置し、何らの救済措置もとっていない。また、騙した犯人の追及も行なっていない。この憲兵曹長は、慰安所の経営者および慰安婦に同情を寄せていたことから、自身もそこで行なわれていることがよいことではないのを承知していたと思われる。良心的な兵士だったと思われるが、犯罪行為の摘発という憲兵として当然なすべきことを行なわず、しかもそのことに対してとくに後ろめたい気持ちを抱くこともしていない。これはこの憲兵が悪徳憲兵だったからではなくて、軍慰安所が軍にとって不可欠な施設であるために、たとえ違法な方法で慰安婦の募集が行なわれていたとしても、軍事上の必要のためにはやむをえないと考える姿勢、言いかえれば「見て見ぬふりをする」体制がすでに陸軍内にできあがっていたからだと思われる。

この例は朝鮮での募集なので、内務省警保局長通牒は植民地には適用されなかったから例として不適当との解釈もあるかもしれない。そこで日本内地の例を秦同書からあげておく。ただし、刑法旧第二二六条は朝鮮・台湾にも適用されるので、右の例の女性が犯罪事件の被害者であることはそれによって何ら変化を受けるわけではない。

 第二の例は、山東の済南に駐屯していた第五九師団の元伍長の証言である。一九四一年のある日、国防婦人会の「大陸慰問団」という日本人女性二〇〇人がやってきた。彼女たちは部隊の炊事の手伝いなどをするつもりだったのが、皇軍相手の売春婦にさせられてしまった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。

なおこれに関連していえば、「軍慰安所で性的労働に従事する女性を、その本人の意志に反して、就労詐欺や誘拐、脅迫、拉致・略取などの方法を用いて集めること、およびそのようにして集めた女性を、本人の意志に反して、軍慰安所で性的労働に従事させること」をもって「慰安婦の強制連行」と定義してよいのであれば、たとえ軍が直接に手を下したり、命令を出したりしなかったとしても、右にあげた例のように、組織的に「見て見ぬふり」をしていた場合、すなわち軍から慰安所の経営を委託された民間業者やそれに依頼された募集業者が詐欺や誘拐によって女性を軍慰安所に連れてきて働かせ、しかも軍慰安所の管理者である軍がそれを摘発せずに、事情を知ってなおそのまま働かせたような場合には、日本軍が強制連行を行なったといわれても、それはしかたがないであろう。

47) 副官通牒や警保局長通牒をもって「強制連行」の事実があったことを示す史料だとする上杉聡の見解に私は同意できないが、しかし「業者の背後に軍部があることを「ことさら言うな」と公文書が記している」と考える点では、同意見である。

48) 内務省警保局長通牒は各地方長官だけでなく、拓務省管理局長(棟居俊一)、陸軍省軍務局長(町尻量基)、外務省条約局長(三谷隆信)、同アメリカ局長(吉沢清次郎)にも参考のため移牒されている。アメリカ局に移牒されたのは旅券事務が同局の管轄だったからである。前掲『資料集成』第1巻、67。

49) 1938年11月の第21軍向け慰安婦の「調達」と移送は、全面的な警察の規制と支援のもとで、秘密裡に行われた。これは政府・内務省の方針の本質をよく示すものである。同上、p.77-100。

注49への追記(2012年1月12日)

 1938年11月の第21軍向け慰安婦の「調達」と移送については、次のふたつの警察資料が有名である。
1.内務省警保局警務課長「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件伺」(1938年11月4日付)
2.内務省警保局長発大阪・京都・兵庫・福岡・山口各府県知事宛「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年11月8日付)(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻)

この文書によると、同年11月4日に第二一軍参謀の久門有文陸軍少佐と陸軍省徴募課長の小松光彦陸軍大佐とが警保局を訪問し、「南支派遣軍の慰安所設置の為必要に付、醜業を目的とする婦女四百名(はじめ「千名」とあり、のち抹消)を渡航せしむる様(はじめ「蔭に送付方」とあり、のち抹消)配意ありたし」との申し出を行なった。

久門少佐が警保局長に出した名刺が残されているが、その裏面には「娘子軍約五百名広東ニ御派遣方御斡旋願上候」と記されている。第二一軍と陸軍省は警察の元締めである警保局長に慰安所で働く女性の募集と渡航について斡旋を依頼したのである。

ここで留意すべきは、この行動が、第二一軍が例の「副官通牒」の指示に忠実であったことを示している点である。「副官通牒」が求める「将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ(中略)其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度」にしたがって、第二一軍は久門少佐を警保局に派遣したのである。斡旋依頼を受けた警保局は、大阪、京都、兵庫、福岡、山口の各府県に対して、女性を集めて中国に送るよう極秘の指令を発したのであった。

さらに補足しておくと、第二一軍軍医部長であった松村桓軍医少将は一九三九年四月一五日に陸軍省医務局で「性病予防のために兵一〇〇人につき一名の割合で慰安隊を輸入す。一四〇〇-一六〇〇名」と報告している(波多野澄雄「防衛庁防衛研究所所蔵《衛生・医事》関係資料の調査概要」前掲『「慰安婦」問題調査報告・一九九九』三五頁)。第二一軍は少なくとも一四〇〇名名の慰安婦を抱えていたのであった。

50) 駒込武「帝国史研究の射程」『日本史研究会』452、2000年、228。

51) 前掲『共同研究日本軍慰安婦』第5章、142-144。

52) この規程は、アジア歴史資料センターで公開されており、レファレンスコードは、C01001469500、表題は「野戦酒保規程改正に関する件」(大日記甲輯昭和12年)。


http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html


236. 2014年3月18日 00:23:29 : FOjtnIAn1B
噓つき男、吉田清治。
24歳のときに、20歳の在日韓国男を養子にして、戦後共産党から立候補して落選した奴ね。

本籍地・・・・嘘
名前 ・・・・3つの通名
学歴 ・・・・嘘
職歴 ・・・・嘘
麻薬密輸・・・有罪で2年間服役
慰安婦の本・・・韓国で謝罪して回った後、嘘がばれる

売国左翼の根拠www


237. 2014年3月22日 14:49:12 : yE1g3ZofPw
捕虜を釜ゆでにするとそんな残酷な風習は日本にないので、従軍慰安婦と称する証言は殆どの場合嘘だと思います。

中国の日本軍国主義批判でも同様の非難がありますが、日本の文化からはかけ離れています。ところが『ワイルドスワン』にはこのような、国府軍などの行状として、このような残酷な描写があります。韓国の犬の殺し方の映像なんかも出回っていますが、恐らく自国の文化を背景にあのような証言が作られているのだと思います。

なお、河野談話で、「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」となった背景には次のようなものがあります。

@韓国の元従軍慰安婦の聞き取りからは「官憲等が直接これに加担したこともあった」などを裏付ける証言は得られなかった。

Aインドネシアでは、日本の軍人がオランダ人女性に慰安婦になるよう強制した『白馬事件』があり、このことを指して「官憲等が直接これに加担したこともあった」という表現になった。なお、これに関係した軍の関係者は日本軍から更迭されるなどの処分を受け、戦後は軍事裁判により、関係した軍人はもとより、慰安所の経営者も処刑されている。

Bこれらを有耶無耶にして、韓国は自国民に向けて「朝鮮半島で官憲による強制連行を認めた」と宣伝し。日本は官憲の強制は白馬事件のことを指しているということで決着した。

Cあえて河野談話を否定しなくても、再検証して以上のことを明らかにすれば、韓国の主張である朝鮮半島のおける官憲による強制連行は否定できるが、寝た子を起こしたくないので恐らくきちんとした再検証もしないでしょう。


238. 2014年3月23日 00:04:38 : 2D6PkBxKqI
>捕虜を釜ゆでにするとそんな残酷な風習は日本にないので、従軍慰安婦と称する証言は殆どの場合嘘だと思います。


戦国時代には普通にやっていたよ。

しかし、上で既に否定されている事を何度も何度も繰り返すというのは工作員かな?


239. 2014年3月23日 00:14:20 : 2D6PkBxKqI
IQ が低いだけかもしれないな。

240. 中川隆 2014年3月23日 17:12:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

日本軍は徹底した証拠隠滅してたから証拠は残って無いのさ:

「軍の資金で慰安所口止め」 元日本兵、60年代に供述

2014/03/22 17:53【共同通信】

 法務省がバリ島に海軍兵曹長として駐屯していた男性を調査した資料の一部
(関東学院大・林博史教授提供)


 旧日本軍の従軍慰安婦問題で、太平洋戦争中にインドネシアのバリ島に海軍兵曹長として駐屯していた男性が、1962年の法務省の調査に「終戦後(慰安所を戦争犯罪の対象に問われないよう)軍から資金をもらい、住民の懐柔工作をした」と供述していたことが分かった。

 元兵曹長は「(慰安婦として)現地人など約70人を連れてきた」「他にも約200人を部隊の命で連れ込んだ」と連行の実態も説明していた。

 関東学院大の林博史教授(日本近現代史)の研究室が国立公文書館(東京)保管の資料で見つけた。林教授は「河野洋平官房長官談話が認めた軍の関与を裏付けるもので重要だ」と評価している。
http://www.47news.jp/smp/CN/201403/CN2014032201001850.html


241. 2014年3月25日 19:07:09 : 2D6PkBxKqI

旧日本軍慰安婦の強制動員裏付ける資料 中国で発見

聯合ニュース 3月24日(月)13時10分配信
http://linkis.com/yahoo.co.jp/0ofOK

 【長春聯合ニュース】第2次世界大戦中に日本人が書いた慰安婦に関する手紙が中国で見つかった。韓国の女性が旧日本軍慰安婦として中国に多数連れて行かれたことを裏付ける貴重な資料。慰安婦の強制動員があったことは被害者の証言などで明らかになっているが、強制性を立証できる文書の発見は異例だ。

 当時、旧満州国の関東軍司令部などが残した日本軍の資料10万冊に対する研究を進めている中国吉林省の機関、記録保管所が24日、整理を終えた旧日本軍慰安婦関連の25件について聯合ニュースなど韓国メディアを通じ公開した。

 このうち6件に韓国人慰安婦に関する内容があり、1941年に日本軍の北安地方の検閲当局がまとめた「郵政検閲月報」には軍慰安所の状況を詳しく記した手紙が含まれている。黒竜江省・黒河に住む日本人が長崎県の知人宛てに送ったこの手紙は、慰安所の兵力はわずか20人程度、全員が朝鮮人で、「国家総動員法」に縛られていると記している。

 郵政検閲月報は日本軍が軍事機密などの外部流出を防ぐため軍民を対象に実施した手紙と電報の検閲制度で、各地域の憲兵部隊が検閲結果を関東軍憲兵隊に定期的に報告していた。

 記録保管所側は「文脈と日本風の女性の名前が出ている点を総合すると、『兵力』とは『軍慰安婦』を指すとみるべきだ」と説明した。

 また記録保管所は、中国の蕪湖(現安徽省)地域にいた109人の軍慰安婦のうち韓国人が36人と記された日本軍憲兵隊の「南京憲兵隊管轄区内の治安回復状況報告書」や、韓国人慰安婦を「特殊慰安婦」と表記した日本軍の資料、日本軍が公金を使って軍慰安婦を計画的に募集したことを示す満州中央銀行の電話記録なども公開した。いずれも日本軍の組織的な軍慰安婦運営を強く裏付ける文献と強調している。

 記録保管所は同日、海外メディアに保管室入室を初めて許可し、関連文書の原本撮影も認めた。尹懐所長は「韓国は中国の近しい隣人で、同じ苦難を経験した間柄」としながら、韓国と今回の成果を共有し研究の更なる発展に役立てたいと話した。
 韓国の成均館大東アジア歴史研究所関係者は24日、「『総動員令に伴う朝鮮人慰安婦』という部分は軍慰安婦が大勢動員されたことを示す文献という点で大変重要な資料」と評価した。

 韓国政府もこれら文書の存在事実を確認し、外交ルートを通じ中国政府に閲覧を要請したとされる。

 一方、日本の右翼団体などは慰安婦問題について、旧日本軍や官憲が強制連行したことを示す根拠はないと主張している。


242. コガネムシの木 2014年4月01日 18:54:33 : lv4g5VzXUfQls : dXUIxebYIg
この中川って人すごいね。自分で書いてることが支離滅裂というのがね。慰安婦がどうこうというより、中川さんが自分でやりたいと思っていることを文章化しているとしか思えない表現。こうあってほしいあるいは、こう言うことをしたいと思いながら入力しているのだろうね。
それと、やたら天皇がって出てくるけどこの人完全におかしな左翼の人だよね。昔、自分が共産系の少年だったのでわかるのだけど、いたもんね、何が根拠かわからないけど何かというと天皇の責任が〜って言ってる先輩。30年以上も前の話だけど、まだいるんだこんな人って、懐かしかったですよ。ちなみに、それを見てやばいこの組織って思って足を洗った19の夏でした。

243. 中川隆 2014年4月01日 20:46:44 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI
俺はコピペしてるだけさ

自分で勝手に書いたものは一つもない

文句あるなら書いた人間に言ってくれ


244. 中川隆 2014年4月07日 21:17:40 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

嘘だと思うんなら直接証言した本人に言ってね:

「慰安婦」強制に新証拠

日本軍、200人をバリ島に連行

関東学院大・林教授ら


旧日本軍「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」を裏付ける新資料が、関東学院大学の林博史教授(日本近現代史)らによってこのほど発見されました。新資料は、旧日本軍が軍の資金を使って慰安所事件を隠蔽していた事実も浮き彫りにしました。


 資料は、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で裁かれた二つの事件にかかわるもの。林教授の研究室が国立公文書館保管の資料から見つけました。

 同裁判(25号事件)で裁かれたバリ島駐屯の海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が戦後、法務省の調査(1962年8月)に対し、「戦中の前後約4カ年間に二百人位(くらい)の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と強制的に女性を連行した事実を証言しています。

軍が隠蔽工作

 さらに、「終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と、隠蔽工作についても赤裸々に語っています。

 同時に発見された同裁判の尋問調査には、警察隊長の男性が連れてきた女性を「慰安婦」として働かせる慰安所を開いていた商人の証言や、男性によって慰安所に入れられそうになった女性の証言が存在しています。調書には、

「彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした」

「彼女たちは(被告)によって一人ずつ車から引きずりだされたので、服は引き裂かれていたほどでした」

などの商人の証言が記載されています。

愛人にされた

 また、バタビア裁判での別の裁判(88号事件)の資料も発見され、同裁判での被害者の尋問調書では、


「親米容疑で憲兵隊に捕まり、ボソドオソの慰安所に連れて行かれ、ここにずっといるか、一人の決めた日本人と同棲(どうせい)するか、選べといわれる」

「逮捕され、ボソドオソの慰安所だったホテルに連行。憲兵隊将校の愛人にされた」


などの証言が記載されています。


旧日本軍「慰安婦」新資料(抜粋、林博史教授提供)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-07/2014040714_01_1.html


245. 中川隆 2014年5月06日 00:40:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc


従軍慰安婦問題、強制性はあったー吉見義明教授・林博史教授が海外メディアに訴え


10日、従軍慰安婦問題に関し、強制性があったとする立場を取る吉見義明氏(中央大学教授)、林博史(関東学院大学教授)が外国特派員協会で会見を行った。両氏は第一次安倍政権下の2007年にも会見を行っており、今回も海外メディアを前に安倍政権に対し河野談話の継承や謝罪・賠償、さらなる調査の必要性を訴えた。


吉見教授(左)、林教授(右) 写真一覧


吉見教授の冒頭発言

7年ぶりにこのような場を設けていただきまして大変ありがとうございます。日本の慰安婦問題について、いまどういう状況にあり、何をしなければいけないのかということをお話しさせていただきます。

ご承知のように慰安婦というのは戦地に日本軍によって立案・開設された軍の慰安所で日本軍の管理下に置かれ、日本軍将兵に性的交渉を強いられた女性たちです。慰安婦にされた女性は、騙しや甘言による誘拐、あるいは暴行・脅迫による略取、人身売買など、徴募方法は当時の刑法や国際条約に反する形態が多く、慰安所での強制・拘束は明らかに本人の意思に反した性奴隷状態でした。

これらは過去二十数年の調査研究はもとより、アジア各国での被害者の証言から明らかであり、すでに国際社会での共通認識になっています。軍・官憲による直接連行を示す資料は発見されていない、とする2007年第一次安倍内閣時の閣議決定が強制否定の根拠になることはありえません。2014年に入っても慰安婦強制を示す新資料が発掘されています。

戦時下だけではなくて、戦後の被害女性たちのPTSDは想像を絶するものがあり、心身に残る後遺症は高齢になる被害者を今も苦しめていています。私たちは、このような女性に対する重大な人権侵害が二度と起こってはならないと考えます。そのためにも、90歳前後と高齢になった被害女性が生存されているうちに一刻も早く、日本政府は被害者が納得する明確な形で謝罪、補償を行なわれなければならないと考えています。

しかしながら、安倍首相が再び政権を取ると、河野談話の見直しや、慰安婦に対する強制を否定する議論が国会で繰り返され、3月14日には河野談話の見直しはないと安倍首相が言明されましたが、今も撤回を求める声が止むことはありません。
安倍内閣は、河野談話を見直さないと言う一方で文言調整に絞った極秘検証を行おうとしていますけれども、なぜそのような検証を行う必要があるのでしょうか。安倍内閣は河野談話の閣議決定を執拗に拒んでいますけれども、談話を事実上否定するか、再び撤回する動きを作る伏線ではないかという疑念を払拭することはできません。

私たちは昨年8月1日に、多くの研究者・市民とともに、明確な出典・根拠を持って

慰安婦に関する事実を提供するウェブサイト
http://fightforjustice.info/?p=2920


を立ち上げ、今年の3月7日には

「河野談話つぶしを許さない!緊急院内集会」
http://fightforjustice.info/?p=2920


を開きました。

私たちはこのような状態がいつまでも続く事を望んでおりません。事実に基づかない歴史認識が原因で、隣国と首脳会談さえできない状況は一刻も早く脱却しなければなりません。

私たちは日本政府に、第一に、河野談話の見直しをやめること。第二に、これまで発見されても政府として把握されてこなかった全資料の確認と国内外に所蔵されている関係資料を全面的に調査すること。第三に、オランダ人被害者を含む、アジア各国の被害女性の聞き取り調査を一刻も早く実現すること。第四に、被害女性に対して誠意のある謝罪と、謝罪が真意であることの証である補償や教育を推進することを繰り返し提言してきました。

安倍政権は、河野談話を踏襲することを表明した今、いわゆる極秘検証を直ちにやめ、河野談話を踏襲していることを内外に示すために、以下の措置を即刻実行に移すべきであると考えます。

ひとつは、河野談話で表明した、元慰安婦の方々に対する「お詫びと反省の気持ち」を否定するような言論に対しては、政府としてきちんと反論すること。それからもうひとつは、河野談話で表明した「我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」という誓約を誠実に実行することです。

なお、私たちは、河野談話をさらに発展させるような措置、すなわち河野談話の公表以後に明らかになった資料・証言や内外の調査・研究の成果を反映させ、国連の社会権規約委員会、自由権規約人権委員会、拷問禁止委員会、女性差別撤回委員会など、国際人権機関による慰安婦問題に関する勧告を踏まえた積極的な措置を求めていくことを表明します。


吉見教授の発言に続いて、林教授による、"河野談話発表以後"の資料についての具体的な説明が行われた。説明では、自身が発見し、昨年11月に共同通信が報じた、「強制性を示す新資料6点」、軍の資金による隠蔽が行なわれていたとする証言資料が紹介された。

続いて、記者団との質疑応答が行われた。


ーアメリカでは河野談話が公式のものなのか否かという議論があるが、どう思うか。

吉見教授:言うまでもなく、河野談話は官房長官の名前で出されたものであるから公式なものであるとしか言えない。

林教授:河野談話を継承する、という内閣の答弁書を閣議決定している。内閣として承認するということからも、公式なものだ。

ー私はオランダの記者だが、河野談話が準備されていた段階で、なぜオランダ人女性への聞き取り調査がなされなかったのか伺いたい。また、強制性を示す資料が国の文書として確認されていない、というのはどういうことなのか。それらを歴史として認識していないということなのか。

吉見教授:日本政府は被害女性に対してヒアリングを広く行おうとしなかった。実際には韓国の被害女性のごく一部しかインタビューをしていない。

河野談話が発表されるまでに、すでに韓国人女性、台湾人女性、オランダ女性、中国人女性等々が実際に名乗り出ている。きちんと調査をして事実関係を認めるのであれば、これらの女性すべてにインタビューをした上で結論を出さなければなかったが、日本政府は問題を極限化しようとするために韓国だけで調査をして、他の国は問題がはっきりしないという態度を取ったということがあると思う。それが最初の大きな手違いだったと思う。

林教授:今日ご紹介した資料以外にも、法務省は2,000ファイル以上の資料を持っている。しかしながら河野談話を出すにあたり、この中から2点しか報じていない。ほとんどの文書を調査せずに放置している。したがって、河野談話を出した時点で日本政府がきちんと調査していない、というのは明らかである。

国会議員に対する答弁でも、河野談話公表までに見つかった資料ではこういう文書はない、という言い方をして、その後見つかった資料についても、ほとんど言及しないという姿勢を貫いている。なぜ日本政府がそういう態度を取っているのかわからない。みなさんにもインタビューをして聞いてもらいたいと思う。

私の推測では、そうした資料を認めるということは、強制を示す文書があったと認めざるを得ないからではないか。強制性を認めたくないので、新しく見つかった資料、持っている資料を無視しているのではないかと推測している。

2,000以上のファイルのうち、私がこれまで調査できたのは、まだ100ファイルにも満たない。個人ではとても無理なので、日本政府がこれらを調査すべきである、というのが私たちの要求でもある。

ー石原信雄元官房副長官が、河野談話について、強制性を示す客観的な資料がなく、16人への聞き取りによる調査と、裏付け調査をしていないと発言したことから、談話の見直しではなく再検証というのが浮上しているが、これについて事実関係と、その評価について伺いたい。


吉見教授:石原さんがどのような立場なのかはわからないが、河野談話が出されたときの責任者でもあるので、談話の内容については認めておられるのではないか。軍や官憲が暴行・脅迫を用いて連行した、ということを示すという資料があったかないかということだが、そのような資料はないというのがおそらく安倍さんの立場だろう。しかし、そういうことがあった、ということは林さんの発表でも示されており、崩れるわけだ。

オランダ政府は慰安婦問題について1994年に調査報告書を出しているが、それを読むと、オランダ人女性に軍・官憲が暴力を用いて連行したことを示す資料があるということが、いくつか例をあげて書かれている。それから、中国のケースでは、中国人女性たちが賠償を求めて日本の裁判所に訴訟を起こし、結果敗訴はしたが、判決の中で、中国で軍人が女性たちを暴力的に連行して慰安婦状態としたことを認定している。これも公文書と言えると思う。

もうひとつの焦点として朝鮮半島でどういうことが起こったのかということがある。朝鮮半島でもっとも一般的だったのは、軍、あるいは朝鮮総督府が業者を選んで、その業者に女性たちを集めさせていた。その業者はどういう方法で集めていたかというと、誘拐、あるいは人身売買がほとんどだった。このようなことが一般的であったということについては、国内で私と意見が対立している人との間でも、そこは共通の認識が成立している。

そのようにして誘拐、あるいは人身売買された女性は、業者によって戦地まで連れて行かれ、日本軍の作った慰安所に入れられるが、そこで軍は何をしなければいけなかったかというと、誘拐・人身売買は犯罪だとして女性たちを解放し、業者を逮捕しなければいけなかった。それをせずに軍の作った慰安所で兵隊の相手をさせれば軍の責任が生じてくるということになる。弁護士に聴いたところ、軍も共犯になるというのが弁護士の見解だった。 そもそも軍が慰安所というものを作らなければこのような問題を起こらなかったわけだから、最大の責任は軍にあるということになるのではないか。

ーもうひとつ、橋下徹大阪市長が、「どこの国にもあったではないか」と主張をされた(関連記事)。このことについて、日本の特殊性などがあれば伺いたい。

林教授:他の国もやっていたから日本は謝らなくても良いということにはならない。重大な人権侵害をした以上、責任を認めて謝らなくてはならない。

そして、第二次世界大戦について言えば、これまでの様々な研究では、このような慰安所のシステムを持っていたのは日本軍とナチスドイツだけしか明らかでないと思う。慰安所は日本軍の規定の中で公式の施設とされていたが、こういう軍隊は他にはなかなか例はないのではないか。現地で軍が売春宿を管理するということは他の軍隊でもあり、アメリカ軍でもあった。ただ、私がアメリカの国立公文書館で調べたところ、その事実をワシントンが知ると、それを閉鎖させていた。つまり、アメリカ軍は公式の施設として認めてはいなかったということだ。これは日本軍とは決定的に違うところだろう。

また、朝鮮戦争のときに、韓国軍が慰安所を作っている。ただし、このときの韓国軍の慰安所を作った責任者たちは、すべて旧日本軍の将校だった。つまり日本軍の悪い習慣が韓国軍に伝わったという意味で、日本人として反省しなければならないことだと思っている。

ー河野談話が出された92年、93年当時の状況を考えると、背景に何か政治的な理由があったのではないか。

林教授:直接の関係があったのかはわからないが、あのころの日本はアジア諸国との関係が非常にセンシティブだった。かつての戦争の問題について、神経質に考えていた状況だった。その意味では何か関係があるのかもしれないが、ただそれ以上はわからない。
http://blogos.com/article/84245/
http://blogos.com/article/84245/?p=2


「慰安婦強制」で新資料 6点、河野談話に含まれず

 旧日本軍の従軍慰安婦として海外の民間女性を強制連行したとの記述がある法務省の資料6点が国立公文書館(東京)に保管されていたことが21日、分かった。関東学院大の林博史教授(日本近現代史)が発見した。軍の関与と強制性を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となった政府調査資料には含まれていない。

 林教授は「当時の政府調査は不十分だったと言わざるを得ない」と話している。

 資料6点は、戦後に当時の中国国民政府とオランダ政府が実施した計6件のBC級戦犯法廷の起訴状や判決文などの裁判資料。
http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013112101001602.html

[32削除理由]:アラシ

246. 中川隆 2014年7月04日 23:18:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
>>245 が何故か削除されてしまいました。
『削除コメント表示切り替え』を押して表示して下さい。

247. 2014年7月04日 23:19:41 : 3cdYZYbVIc

 【北京=川越一】中国中央公文書館は3日、公式サイト上で旧日本軍の「戦犯」の供述書などの公開を始めた。中国政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に記憶遺産として申請した、いわゆる慰安婦問題に関する詳述も含まれている。

 公開が始まったのは、1956年に中国国内で起訴された45人の供述書など。1日に1人のペースで供述書を公開していくという。初日の同日は、「鈴木啓久陸軍中将」の供述書が公開された。

 同日、北京で記者会見した同館の李明華副館長は、鈴木中将が慰安所の設立を命じたことや、41〜45年に複数回にわたり計約140人の中国人女性らを慰安婦として誘拐したことを認めていると強調した。また、南京事件に関するユネスコへの申請資料として、米国人牧師が撮った記録映画や裁判記録などを挙げた。
http://www.asyura2.com/14/china4/msg/443.html


248. 中川隆 2014年7月06日 01:01:18 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

1945年、「日本侵略軍ノ蟠居地ニハ私ハ所謂慰安所ノ設置ヲ命ジ」、中国および朝鮮の「婦女ヲ誘拐シテ所謂慰婦トナシタノデアリマシテ其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。

3日、中央公文書館は日本人戦犯・鈴木啓久の供述書(日本語)とその中国語訳の原文の画像、戦犯供述書の要旨(中国語と英語)を公式ウェブサイト上で公開した。


日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開、八路軍幹部を毒ガスで惨殺―中国
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=90718&type=0
2014年7月5日 19時41分


2014年7月4日、人民日報によると、中央公文書館は3日以降、鈴木啓久ら日本人戦犯45人の供述書(日本語)とその中国語訳の原文の画像、戦犯供述書の要旨(中国語と英語)を初めて公式ウェブサイト上で公開。45人分を毎日1人ずつ公開している。

中国国家公文書局ウェブサイト上で公開された日本人戦犯・鈴木啓久の1954年7月の供述書によると、鈴木は1890年に日本の福島県に生れ、1934年に中国東北部で中国侵略戦争に参加し、歩兵第28連隊隊長補佐に任じられた。後に1945年4月には日本陸軍中将兼第117師団長に任じられた。同年8月31日、吉林省で捕虜となった。今回公開された鈴木の供述書の原文資料は計38ページ、供述書の当時の中国語訳資料は計33ページ。

以下は鈴木が白状したとされる重要な犯罪行為。

1934年6月頃、錦州で「中国人民ノ農民二名ヲ殺害シマシタ」。

1935年3月上旬頃、高木大佐を援助し、高木大佐は「上板城附近ニ於テ約三〇〇戸ノ部落二個ヲ焼却シ中国人民多数ヲ殺害シマシタ」。

1940年9月、安徽省宣白作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名への「毒瓦斯攻撃ヲ命ジ其ノ全員ヲ惨殺致シマシタ」。

1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、「中国人民及朝鮮人民婦女二〇名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」。

1941年11月、河北省棗強で八路軍を攻撃し「八路軍約一〇名ヲ殺害シ且ツ約六〇〇戸アル村落二個ヲ焼却シ此ノ時中国人民ノ農民一〇〇名ヲ屠殺致シマシタ」。

1941年12月、「長城線附近二粁以内ニ於テ」「住民ヲ悉ク追イ掃ヒ無人地帯トナスベシ」とした。

1942年1月、唐山一帯で田浦大佐に対して掃蕩を命令し「田浦ハ其ノ部落約八〇〇戸ヲ焼却シ且ツ其ノ部落ノ中国人民ノ農民一,〇〇〇名ヲ屠殺シタノデアリマス」

1942年4月、「魯家峪ニ於テノ洞窟攻撃ニ際シ毒瓦斯ヲ使用シテ八路軍ノ幹部以下百名ヲ惨殺シ又戦火内ニ引キ入レラレルコトヲ恐レ魯家峪部落附近ノ山地ニ避難セル中国人民ノ農民二三五名ヲ中モ妊婦ノ腹ヲ割ク等ノ野蛮ナル方法ヲ用ヒテ惨殺シ魯家峪部落約八〇〇戸ヲ焼キ」「俘虜ハ玉田ニ送リ其ノ中約五名ヲ殺害シタ」「且ツ婦女ノ強姦百名ニモ達シタノデアリマス」。

1942年7月、豊潤で「村落約五〇〇戸ヲ焼却シ中国人民ノ農民約一〇〇名ヲ惨殺シマシタ」。

1942年9〜12月、遷安、遵化などの地を無人地帯にするため、住民を全て追い払うべく「焼却シタ家屋ハ一万戸余リニ上リ追イ掃ラハレタ中国人民ハ数万ニ上リ又惨殺セラレタ中国人民ハ甚ダ多数アルノデアリマス」。

1942年10月、「●縣(=らん県)潘家戴荘ノ中国人民ノ農民一,二八〇名ヲ或ハ銃殺シ或ハ刺殺シ或ハ斬殺シ又ハ生埋メヲナス等ノ野蛮ナル方法ヲ以テ集団屠殺シ」「部落全戸八〇〇ヲ焼却」した。

1942年、「日本侵略軍ノ蟠居スル所ニハ私ハ各所ニ慰安所ヲ設置スルコトヲ命令シ中国人民婦女ヲ誘拐シテ慰安婦トナシタノデアリマス其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。

1944年5月、河南省新郷で「抗日軍(遊撃隊)ヲ攻撃シテ約十名ヲ殺害シマシタ」「攻撃中戦場附近ニ在リシ村落約三〇〇戸ヲ焼キ掃ヒ中国人民ノ農民約一〇〇名ヲ惨殺シマシタ」。

1944年7月、河南省封丘で「抗日軍(遊撃隊)約四〇名ヲ殺害シ附近ノ村落一個約四〇〇戸ヲ焼キ中国人民ノ農民約一〇〇名ヲ殺害シマシタ」。

1944年8月、「抗日軍ヲ攻撃シ其ノ約一〇名ヲ殺害シ且ツ約四〇〇戸ノ中国人民農民ノ家屋ヲ焼却シ中国人民約三〇名ヲ殺害シマシタ」。

1944年11月、「私ハ歩兵部隊ガ林縣南部地区ヲ侵略シタル後其ノ地ヲ撤退スルニ際シ防疫給水班ヲシテ三、四ノ村落ニ虎疫菌ヲ散布セシメマシタ之ガ為其後同縣内中国人民ニ虎疫患者百名以上ヲ出シ死亡者モ亦多数アッタトノ報告ヲ受ケマシタ」。その後、長路県某村でも「焼キ掃ヒ(約三百戸)其ノ村落ノ中国人民ノ農民六百六十名ヲ或ハ銃殺シ或ハ刺殺シ或焼殺スル等ノ残虐ニシテ野蛮極マル方法ヲ以テ虐殺シタノデアリマス」。また、この「侵略中私ノ部下ノ各隊デ俘虜ヲ惨殺シマシタノハ合計三〇名アリマス」。「空気注射ニヨル殺人法ヲ試サントノ意見ニ対シ私ハ病院附野田實ニ対シ其ノ実施ヲ命ジマシタ。当時中国偽縣警備隊員一名入院中デアリマシタノデ之レヲ奇貨トシテ実行サセタノデアリマス」。

1945年春、懐慶の村落で「中国人民ノ農民約五〇〇名ヲ惨殺シ全村約六〇〇戸ヲ焼キ掃ヒマシタ」。

1945年春前後、「附近ノ村落約四〇〇戸ヲ焼キ中国人民ノ農民約一〇〇名ヲ惨殺シマシタ」。

1945年、「日本侵略軍ノ蟠居地ニハ私ハ所謂慰安所ノ設置ヲ命ジ」、中国および朝鮮の「婦女ヲ誘拐シテ所謂慰婦トナシタノデアリマシテ其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。

1945年7月中旬「醴泉ニ侵略シ中国人民約四〇名ヲ惨殺」した。

中国侵略期間に「私ノ記憶ニ存スルモノダケデモ中国人民ヲ殺害シタ数ハ五,四七〇名デアリ中国人民ノ家屋ヲ焼却又ハ破壊シタ数ハ一八,二二九戸アルノデアリマスガ其ノ実数ニ於テハ更ニ厖大ナルモノデアリマス」。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/TF)
http://www.asyura2.com/14/china4/msg/451.html


252. 2014年8月07日 10:50:02 : 2CipWGqWuI
2014年8月5日付けの朝日新聞朝刊に吉田証言を偽証と認める記事が掲載されました。
朝日新聞はご存じの通り吉田証言を大きく紹介し、慰安婦問題の火付け役となった新聞です。
朝日自身が吉田清治証言は虚構であると認めたわけですが、それについての見解を披露していただきたいと思います。

253. 2014年8月07日 20:18:02 : Bt9xkGMhHs
出て来なよ、「嘘も百回つけば真実に成る」式の中川隆クン
吉田証言は虚構だったよ

254. 中川隆 2014年8月08日 21:10:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
吉田清治自身が慰安婦の身元がばれない様に時と所を変更したと言ってるんだか、

慰安婦を強制連行した所とは何の関係もない場所を調査した朝日は吉田証言を検証した事にも、捏造だと断定する根拠にもならない。

単に朝日が右翼新聞に転向したというだけさ。


255. 中川隆 2014年8月08日 21:41:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
吉田清治と同様の証言は幾つもあるから、内容自体は虚偽ではないしね:


しかし年がたつにつれ、朝鮮では連行後の苛酷な労働の実態が少しずつ知
られるようになり、人集めは次第に困難になっていきました。そのため「官斡
旋」の始まった42年頃からは、NHK・TVでとりあげたチョウ氏のように、
夜、突然連行されるなど強引な手段の人狩りや、露骨な「暴力的連行」が頻発
し始めました(山田昭次・朴慶植監修「朝鮮人強制連行論文集成」明石書店)。

  そうしたやり方は企業の募集担当者の回想からもある程度裏付けられます。
たとえば、北炭幌内炭坑労務課員・北山外次郎の「朝鮮出張募集報告」(45.3.
24)では 、徴用令を適用した労務動員に対する朝鮮人の反応を報告してますが、
そのなかで、

「一般農民、日雇い等は従来より送出の対象となり居り、官斡旋に於ても事実上強制的に送出せられ居りたれば、今更衝撃を受くることもなし」

と述べ、官斡旋は徴用なみに事実上強制的なものであったと回想しました。
(小沢有作「近代民衆の記録10,在日朝鮮人」新人物往来社)。

  こうした事実は総督府関係者の証言でも確認されています。かって宇垣総
督時代にその秘書役をしていた鎌田沢一郎氏は、強制連行のやり方を著書「朝
鮮新話」のなかで次のように記しました。

  「納得の上で応募させていたのでは、その予定数になかなか達しない。そ
こで郡とか面とかの労務係が深夜や早暁、突然男手のある家の寝込みをおそい、
或いは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何気なくそれに乗せ、かく
てそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭坑へ送りこみその責を果たすと
いう乱暴なことをした」
半月城通信、植民地時代17サハリンへの強制連行
http://www.han.org/a/half-moon/hm031.html#No.225


256. 中川隆 2014年8月08日 22:57:53 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

・・悔しかったらまずこれを否定してね:


・・日本陸軍中将兼第117師団長 鈴木啓久

・・1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、「中国人民及朝鮮人民婦女二〇名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」。


257. 中川隆 2014年8月09日 07:34:02 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

・『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

・ 1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
・つねに満員だったと言う。

・ 「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

・「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが 、村長は耳を貸さない。

・この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ 。

・村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を 渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://194586245.web.fc2.com/11.html


258. 中川隆 2014年8月09日 07:35:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

特別報告者はまた東京の歴史家、中央大学の吉見義明教授にも会った。彼は特別報告者に日本の皇軍の文書のコピーを提供した。それは朝鮮人「慰安婦」 の徴集にたいする命令や規定が日本軍当局により、あるいは当局が知っていて実行されたことを裏付けるものであった。吉見教授はまた原文書の詳細な分析を示 したが、それは師団や連隊の後方参謀や副官が派遣軍から指示をうけ、憲兵を使って占領地の村長や地方の有力者に命じ、軍事的性奴隷として使役する地域の女性を徴集するのが普通であったとするものであった。

慰安所の開設にたいする日本軍の決定的な関与と責任を例示するために吉見教授はさまざまな文書に言及した。特別報告者も例証として日本陸軍の広東駐 屯第21軍の1939年4月11〜21日の「旬報」に言及しておきたい。そこには軍の統制下で将兵のための軍慰安所が操業しており、約1000人の「慰安 婦」が同地内の10万と推定される兵士を相手にしていると書かれている。特別報告者に渡された他の同様な文書からは、陸軍省からの指示に基づいて「慰安 婦」施設にたいする厳重な統制システムが維持されていたことが明らかにされている。これらの命令は、性病の蔓延防止を目的とする衛生規定のような事柄にも 配慮していた。

特別報告者はまた、性奴隷徴集のため普通に行われたもう一つの方法として、各派遣軍から朝鮮に派遣された業者で、彼らは憲兵と警察の協力または支持 を得て軍事的性奴隷として朝鮮人女性を集めたと思われるという情報を得た。これらの業者は普通、軍司令部により指名されたが、師団、旅団または連隊が直接 おこなうこともあったようである
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM


259. 中川隆 2014年8月09日 07:56:33 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
河野洋平も吉田清治も同じだけど、彼らは慰安婦に取材する時に、絶対に身元を明かさないという条件付きで話してもらってるんだ。
絶対に明かしてはいけない事があるから、本当の事は言えないんだ。

吉田清治が自ら虚構を認めたというデマを流してるアホがいるけど、吉田清治が認めたのは、慰安婦の身元がわかって、彼女達とその家族・親戚が迫害を受けない様に、場所と時間を正確に書かなかったという事だけだ。
内容については一切否定していないし、本も廃刊にしていない。


昔の朝鮮では慰安婦だった事がわかると、家族は結婚できなくなり、弟は会社を解雇され、妹や娘は売春婦の仕事にしか就けなくなった。
だからみんなで口裏を合わせて嘘言ったんだ。

吉田清治の本に書かれているのはすべて真実だ


今回の朝日の調査は、吉田清治が実際に強制連行した所ではない見当違いの場所で聞き採りしただけなので、その調査自体が無意味・無価値なんだな。


260. 中川隆 2014年8月10日 09:04:32 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
2012-12-13

■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1

慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち
場所:中国、時期:1938年頃
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20121208002024

出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年


慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。

それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。


以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。


最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。


■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言

場所:中国中部の山東省


 一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)


この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。


 この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。

 軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。

 一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。


論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。

この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。

さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。

■長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年

関東軍兵士の記録、場所:中国東北部、黒竜江省


 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。

 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……

 おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。


「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。

この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。

また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。

■『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32

島本重三 軍「慰安所」

第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春


 兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。

 兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。

 日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。

 せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。


「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。

■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年

スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島


 (慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……

 私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」

 彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……

 将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。


ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。

そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。

当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。

ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。

■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年

ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録


 帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。

 なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。


この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。

また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。

そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。

しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。

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ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃

出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14


1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。


「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)

「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるのラバウル戦記』筑摩書房,1994年)


(「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)


水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。

■長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年

軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市


 赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……

(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……


これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。


 慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。


慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より

吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。

■小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年

読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ


 (朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」

 考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」

(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)

*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。


この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。

40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。

違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。

そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。

■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年

須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」

1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所


 スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……

 「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。

 しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。


女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。

また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。

さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵や兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。

こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。

■伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212

1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国


 兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。

■伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年


 騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。


伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。

■『従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54

陸軍パイロットの証言、場所:マレー


 マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。


これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。

■『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16

独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原


 大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。


これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。

■山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年

第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマ(ミャンマー )、中国・海南島


 第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。

(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995年,p.91より重引用)


これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。

■輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』

カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年


 慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。

(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦』岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)


これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。

■河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年

海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島


 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)


これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。

■鈴木卓四郎『憲兵下士官』新人物往来社,1974年,pp.91-93

鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言


 一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)


軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。

■鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年

海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)


 (夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。

■『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年

松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127

1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録


― その夏島に「慰安所」があったのですね。

松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。

 源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。

 トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。

http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)


このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。

そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所で慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。

■陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール


 シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。

(林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)


「朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。

■溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58

山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部

1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。


 さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。

 次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?

 なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。

(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)


これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。

そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。

一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。

公文書に記述された慰安婦の強制

■『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年

1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。

場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)


 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html


この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。

■『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186

極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決 

場所:中国南部の桂林


桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した


東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。

「慰安婦」制度が違反しているもの


当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。


ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録


日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html

秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html

朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html

吉見義明「従軍慰安婦」岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/

従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html


*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています。

*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2

*3:「内務省警保局長通牒」の原文:
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html

*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3

*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる

*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html


コメント

kounodanwawomamorukaikounodanwawomamorukai 2012/12/14 03:27
これだけ証拠がれば言い逃れは不能ですよね。
徴集したのは、大方業者(女衒)でしたが、その業者に慰安婦を集めるように依頼したのは軍であり、身分証明書を与えて便宜をはかり、軍が直営した慰安所においても、「騙された女性達を送り返した」形跡がほとんど無い。(小林よしのりが上げた例はただの小説の話。よしんばあったとしても大多数は送り帰してはもらえなかった)
騙して連れて行って、そこで強姦同然に慰安婦にしておいて「それは強制じゃない」なんて言い逃れができる訳がない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63630718.html

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63581579.html
また連行時の強制に関しても、東南アジアに多くの例があり、その横暴なやり方を朝鮮半島においても行ったと考えるのが自然である。さらに総督府警察や面事務所(役所)が女性を集めた関特演があり、騙したりすかしたりしたのである。

もはや言い逃れは不可能であるに違いない。


やまもとやまもと 2013/01/25 06:49
この問題は、規制法が存在していても、実際の現場では事実上有名無実化している。という今も変わらぬ日本社会の体質を象徴しているように思います。やくざの手配師の原発作業員集めを黙認していた東電と同じ。昔、言われていた「新聞はエリートが書いてヤクザが売る。」も同じですね。自分達では直接手を下さず、「黙認」という方法で汚い事は底辺層にやらせる。そして、時折、思い付いたように取り締まりを強化して帳尻を合わせる。この国の支配層の狡猾さは、外国からはよく見えるのでしょう。池田信夫という人がNYタイムスに意見書を提出したそうですが、厚顔無恥、そして無知もいいところですね。


たけしたけし 2013/03/09 23:43
はじめまして、すごく勉強になるブログをありがとうございます。
合気道家の塩田剛三先生の『合気道修行』に空手などを訓練した兵士たちが中国人捕虜を縛り付けて「試し打ち」をしてるシーンが出てきます。
当時の人権状況はこんなものだったのだろうし、慰安婦の人たちの扱いも推して知るべしだなと思います。
慰安婦などを否定したい人たちは昔の戦争に行った日本人と自分を過度の同一視をしてるんじゃないかなと思います。昔の日本人の行為が悪かったとなると自分が悪いような気がしてしまうんじゃないでしょうか。


山下 由佳山下 由佳 2013/05/18 12:44
平和資料館・草の家「戦争を記録する会」元教師の梅原先生は、従軍慰安婦を密かに逃がした体験のある高知出身の兵士の証言を記録しています。悲惨な戦争の最中にも、良心的に、できる範囲で動いた一兵士がいた。この史実を明るみに出したい。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.html


261. 2014年8月10日 16:13:05 : L89x72W1WE
「朝日新聞」に情報提供して上げてたらならどうでしたでしょう…。

朝日がこれらを検証して裏がとれていれば、32年もたってから自社の過去記事取り消し等という報道機関として情けないことしなくて済んだのでは…。

しかし、悪質な嘘は止めようね、と吉田清治氏がご存命なら逆に言ってやりたいほど、ご本人が周囲に伝えた自身の「身の上」からして疑わしいことだらけ…。

僕ならこの人の発言や書いたものは物証で裏付けられない限り「虚構」と判断しますね。

「吉田清治証言は虚構ではない」ことを傍証し、それを伝えることを目的としてここで主張を繰り広げてきたのなら、<お疲れ様でした>としか言えません…。

たいへんな熱意、情熱、情報量には畏敬の念すら禁じ得ません。

が、もはや、<虚構でない>部分があれば、それはどこか、を一次史料を明らかにして提示するくらいのことは可能かもしれませんが、「吉田清治証言は虚構ではない」は少なくとも論理的には成り立たない、と状況証拠から判断するしかありません。


262. 中川隆 2014年8月10日 21:50:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
吉田清治は研究者じゃないからね。

論文やルポを書いてるんじゃなくて、体験記を出版しただけ。

年月や場所を正確に書く必要もないしね。

わざわざ慰安婦とその家族が困る事を明らかにする訳ないよ。


263. 中川隆 2014年8月10日 21:55:43 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

吉田清治は、一時、右翼や旧軍人からの脅しやいやがらせで、知人宅に身を寄せたこともあったと言う。

「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。
デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」
http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html


264. 2014年8月11日 03:28:09 : Nz6LkXcZ1w
まあ、今回の朝日の訂正で一番重要なのは挺身隊との混同を認めたところでしょう。