天野恵一,青春期の体験から「第三世界主義」を語る(『あの狼煙はいま』より)

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投稿者 YM 日時 2001 年 12 月 03 日 22:04:22:

『あの狼煙はいま』ISBN-7554-0054-6
インパクト出版会1996
東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議編
より


第三世界主義と現在〜
その戦いになぜ心が躍らなかったのか
天野恵一

最初に連続講座の主催者の方から話があった時には、あなたはなぜ第三世界の解放闘争の前進や高揚に心が躍らなかったのかというテーマで話してくれということでした。それで引き受けましたので、そのテーマで話させてもらいます。
六〇年代後半、特に自分自身がある程度思想的に考え出して、運動に多少関係するようになってからは、心が躍らなかったわけではないんですが、例えば、この集まりにもきていて、この連続講座のトップの発題者である太田昌国さんが心が躍ったほどには、おそらく心が躍らなかったということはあります。
第三世界の運動に心情的に荷担し、あるいは第三世界の運動に合流しようとした人たちほど、確かに僕は心が躍らなかった。
それはいま考えると、もちろん自分自身の感性が鈍いというマイナスの問題もあるんでしょうが、多少、積極的な意味も考えられると思います。そのことは、東アジア反日武装戦線の人たちの一連の闘いを考えていくときに、いつも僕の中にひっかかりとしてありました。
最初に断わっておきますが、第三世界、現存社会主義国の内実が歴史的に明らかになってしまって、それに夢を託すという人が現実的に殆ど一部のマニア以外になくなっているわけですから、今から歴史的に振り返って、先駆的に矛盾、おかしさに私が昔から自覚的だったということをここで言いたいわけではありません。左翼運動のみんなが間違っていたところはかなり一緒に間違っていたと言うしかないところもあるんですが、その中でも、少しそういうふうにも言いきれない部分があると考えたことがあるので、その点に即して話をしていきたいと思います。

1、文化大革命・ベトナム反戦と吉本降明
第三世界の解放運動の問題は、例えば一九六〇年代後半に入って僕が学生運動に関係し出す段階では、中国の文化大革命の紅衛兵を中心にした一連の動きと重なりました。その運動に対するシンパシーと、第三世界のさまざまな運動に対するシンパシーとがセットで考えられた時代でした。特に中国史を研究している人々は圧倒的に毛沢東の文革に入れあげて、ものすごい文革賛美の文章を書いていた時代です。この間この講座でもお話になりました加々美光行さんは、そんなに入れあげていたわけではないでしょうが、そういう流れの中にいたのかも知れません。僕は全然違ったんです。僕自身の体験的な実感で言いますと、てんでそういうものに入れあげる気にならなかった。
あの当時、あの権力闘争の実体を僕がよく知っていたかというと、そんなことはもちろんないんですが、多少僕が読んでいた中島嶺夫(ママ)さんとか、どちらかと言うと左翼文化の論理で言えば右派の人がシビアに分析している文献は読んでいましたが、そういうことよりも、毛沢東に対するものすごい個人崇拝がとてもいやだったんです。どう考えても毛沢東語録を掲げて絶叫する少年たち、青年たち、僕たちの世代の人たちが、毛沢東を神様のように崇拝する姿を見ていて、こんな文化が革命的なわけがないと思いました。とてもついていけないと思いました。そのことが僕にとっては決定的でした。例えば僕も愛読していた高橋和巳なんかも向こうに行って「新しき長征」というような言い方をしていたし、部分的には党官僚に対するものすごい打撃ですから、やっぱりスカッとするところは僕にもあるわけですが、そういう部分で聞こえてくる話というのはそうなのかなと思わせるものもあったんですが、でもどう考えてもあのような個人崇拝で出てくる運動はどのような積極的意味も持たないと思ったんです。
僕はそのことでは中国派系の活動家の人たちとも討論をしました。なぜあんな個人崇拝なのかと言うと、中国は字が読めない人が多くて、ああいうことで字を憶えているんだから、それはしょうがないだろうとか、毛沢東は別枠なんだ、という話がありました。僕は非常に古くさいタイプの戦後生まれの人間でした。大学入学が一九六六年、生まれが一九四八年ですが浪速節なんかを聞いて育った記憶があって、そんなに個人主義的な感覚が僕にあったわけではないと思うんですが、それでもやはりそれはとても信じられませんでした。
運動の中でそのことを記憶しているのは、一九六八年ごろの、東大全共闘支援で集まった集会で、赤門の前を僕たちの隊列がジグザグデモしたときに、僕たちのいた大学のかつてのML派、マルクス・レーニン・毛沢東主義を掲げて、社学同の一分派から出てきてその頃急成長していたセクトがいて、寮の自治会の主流でして、その隊列があったということもあるんでしょうが、テレビカメラが回り始めたんです。赤門の上に毛沢東のものすごく大きな肖像が掲げられていて、僕らのデモがその肖像の下でやっているのをテレビが映しまして、日本の紅衛兵などと言われてそれがものすごく不愉快だった記憶があります。
そういうことで、文革に対するロマンがなかった。根本的なところで持ちようがなかったんです。それは体験的な記憶、実感的な記憶の部分なんですが、多少書物を読んだり考えたりする時代が始まっているわけですから、理論的な記憶の方で話します。
太田昌国さんの話の中で吉本降明の話が出ました。吉本は日本の資本主義の発展を基本的に大肯定して、第三世界との関係、東アジアとの関係でそれを批判的に考える視点をまったく欠落させることで奇妙なナショナリストになって、非常に気持ち悪いというお話でした。その吉本ですが、もう少し違った吉本がまだいた時代です。六〇年末ですが、鮮明に記憶しているのは、吉本降明と内村剛介の書簡が『試行』という吉本がやっている雑誌の中にありまして、その中に文革と毛沢東を賛美する文化人に対するすさまじい罵倒を二人でやっているんです。僕はそれが単行本に収められてから読んで、ものすごく共感した記憶があります。吉本にとっては、社会主義国の権力にこびていく論理に対する全体的な拒否感があった。文化人、知識人を公的な革命という大義の方に動員して、言うことを聞かない奴はひっぱたいてもかまわないみたいなことを紅衛兵がやっていることを、戦中の自分たちのファシズム運動の体験と重ね併せて、非常に不快がっている。僕はそんなに戦中を知っているわけではないんですが、翼賛運動に知識人を動員していく論理や心理と似たものを文革の中に見て、吉本と内村剛介が不快がっているというのはなんとなくわかるものを感じました。
これは理論的な問題としてはかなり大きな問題だと思います。ファシズムとマルクス主義が円環する構造に対する批判を戦争責任の問題を含めて吉本がやってきたことの、一つの流れの中の評価だと思います。そういう感性、論理はおかしくないし、いいのではないか。僕はいまでもそう思います。現在の吉本とか内村剛介のその後とかに関してはともかくとして。(1)
文革に対して共感できなかった根拠はもう一つあります。いまの話と当然重なるんですが、『反日思想を考える』(軌跡社)という本の中にも書いたんですが、ベトナム反戦運動をめぐる論議で、鶴見俊輔と吉本降明の対談があるんです。これは多分『展望』だったと思うんですが、吉本という人は変なカテゴリーを創ってそのカテゴリーで世の中を裁断してしまう人なんで、論理的には非常に混乱したことを言います。この時も鶴見さんとの対応で、例えば、「関係的な概念」・「幻想的な概念」と、「経済的な概念」とか、二元的な整理をして、第三世界の問題と日本を関連づけることをこの段階からある意味では拒否しているところがある。
しかし、それだけではなくて、社会主義国家圏の権力に同伴し、その権力にあてこむような運動で「ベトナムに平和!市民連合」の運動があるのはよろしくない、そういうものではなく、基本的に日本の国家権力それ自体とどう闘っていくかという視点から問題を立てていく構造であるべきで、ベトナムに平和を、というようなある種自分の主体を問わないようなヒューマニズムはナンセンスだという言い方を鶴見さんにしています。(2)
その限りで、この視点については僕は基本的なスタンスとしては吉本の言い方に学生時代共感したのを憶えています。日本の国家権力にどう対時するかを軸にすえずに、社会主義国のバックアップをあてにする運動は結局腐敗するのではないかという判断がある程度あった。自国と闘うという自立した運動を通してしか第三世界との連帯などはかちとれなくて、北ベトナムの軍事力を当て込むような運動はナンセンスだということが吉本によって語られました。その限りでは根拠のある批判だと、後から考えても言えると思います。
現実の運動の力学の中ではどちらかに荷担してしまう構造になるのは局面的には仕方がないと思うんです。そんなに純粋に中立的な運動なんてないわけです。でも、社会主義国家に荷担するというふうな構造、原理的にはそうしないようにする努力を運動の中でしなければ腐敗すると思うんです。そういうふうになってしまうのは致し方ありませんというような対応をこの対談で鶴見俊輔がしているので、その限りではどうもよくないというふうに読んだ記憶があります。
そういうベトナム戦争、ベトナム反戦運動に対する討論。その限りで、吉本が当時言っていた主張は、わりと共感できました。もちろん、もう少し時間がたって整理すれば、本当はこういう言い方というのは片方で黒田寛一たちが展開していた「反帝反スタ」史観にかなり近い歴史観を吉本が持っていた結果と言えるわけです。第三世界の民衆の具体的な運動を具体的に分析し、判断し、それと連帯するという通路ではなくて、そもそもスターリニストの裏切りの運動に操られているだけだという話にはじめからなってしまうので、第三世界の現実に分け入って、さまざまな歪みを持った運動の中にどういう可能性があるのかというふうに問題に対処する視点はそこから出てこないわけです。
要するにスターリン主義者の何とかだというふうな言い方で全部切ってしまうロジックになるわけです。そういう一種の民族解放運動というふうに出てくる第三世界の運動とかエネルギーに対する高踏的な拒否観につながる反スタ的な歴史観が、吉本の中に考えてみればかなり強くありました。
僕はここで弁明的なことを言いたいわけではないんですが、第三世界の民衆の運動や個別具体的な事実について今でも余りよく知らないんですが、当時も無知であったことのある種の良さもあったのではないかというふうにも思います。本当は第三世界の運動を神聖化しないで具体的に分け入っていった方がいいに決っているんですが、この時代分け入っていった人はだいたい神聖化してしまう構造に入ってしまいました。この点は、この時代はややしょうがなかったような構造もあったと言えないわけではない気もしますが。


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