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【世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある】 『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その2〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 07 日 20:23:10:

(回答先: 【世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある】 『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その1〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 07 日 20:18:30)

■ 400年以上も西欧世界で吹き荒れた『魔女狩り』の本質

日本の「世界史」でも、西欧世界で長年にわたって行われた『魔女狩り』については、残虐でおぞましい宗教的出来事とし、“暗黒の中世”や“迷信に覆われた中世”の標本のようにして取り上げられている。
(『魔女狩り』の犠牲者は、30万人から700万人と大きな幅をもった推定がなされている。裁判記録などが残っているのできちんと調べればそこそこの範囲で推定できるはずである。今さら本当の数は公表できないというのが真意なんだろう)


『魔女狩り』は、驚くことに、16世紀から始まったルター(ドイツ)やカルヴァン(スイス)の「宗教改革」でも止むことはなかったのである。
ドイツで『魔女狩り』が苛烈を極めたのは、宗教改革後のプロテスタントによるものである。スコットランドでも、宗教改革前には一人も焚刑にかけられていないという。処刑が激化したのは、カルヴァン主義の長老派教会の手によるものである。イングランドも、清教徒支配下でピークに達した。

ローマカソリックの『魔女狩り』について結論を先に言ってしまえば、「ローマカソリック組織が、経済的権益という自己保身のために“キリスト信仰者”の根絶やしを計りながら、さらなる経済的利益を同時に追求した“宗教戦争”である。おまけとして、“信仰者”を徹底的に辱め最後は殺害まで行って楽しんだものだった」と考えている。

※ これは、すべての『魔女(男もだが)狩り』参加者が、同じ意識にあったということを主張しているわけではない。現在のブッシュ政権の『魔女狩り』においても、支持している人々のなかにも様々な考え方があるのと同じである。主導的立場にあった人たちはそうであったという主張である。しかし、イジメがはびこるのと同じように、“悪魔崇拝”も伝染しやすいものだと考えているので、はじめは正義だとか信仰だとかと思っていた人は“面白さ”を感じのめりこんだこともあっただろう。男って、けっこう悪徳好きだし、それが性的なものであればいっそうそそられると勝手に思っている。(女性はわからないけどね)


西ローマ帝国が滅亡した頃のケルトやゲルマン(ともにアーリア系とされる)の世界は、広域の王権も確立しておらず、“ハリーポッター”やロールプイングゲームでもわかるように、神々がいて(多神教)妖精もいるという「日本的なもの」であったようだ。
旧約聖書と同じように独自の創世神話も伝承されていた。
実際の効果はあったりなかったりだっただろうが、治癒や自然災害を避けるために呪術や魔法も用いられた。
伝承をもとに齢を重ねるなかで知識を集積し技を磨いた女性などが、出産や治癒そして雨乞いなどの呪術を担った。(キリストの奇蹟だって呪術や魔法だったかも知れないしね)
現代医学でも医療過誤があるように、呪術や魔法を使ったために、病気が悪化したり、死産になったり、嵐が起きてしまったりしたことがあったはずだ。そのようなときには、その女性に怨さの声も向けられただろう。
また、なかには、自分が修得した呪術や魔法を使って、人や家畜に危害を与えようとした人もいて、刑罰の対象となったこともあったという。

これが、“魔女”という理解されやすい概念を「異端審問」に持ち込んで“信仰者狩り”を行った背景であろう。

ローマカソリック組織は、ローマ帝国で国教化されて以降、そのような西欧世界を自らの支配地にしようとしたのである。
(西ローマ帝国が滅亡した最大の要因は豪奢に走ったことなどではなく「キリスト教の国教化」にあると考えている。対ゲルマン融和策が暗殺によってぶっつぶされた)

近代的価値観では、古ケルト・ゲルマン的な共同体世界を、未開の迷信に覆われた後進地域と見るようである。
そして、そのような価値観から、ヨーロッパの暗黒時代に唯一光を照らしていたのはカソリックだけであり、西ローマ帝国滅亡後の西欧で群雄割拠していたゲルマン系“蛮族”を教化指導することで歴史の発展に貢献したと主張する学者もいるのである。

今でも敬虔なカソリック国として知られているアイルランドでカソリック組織が行った『魔女狩り』は1件(残り4件はプロテスタント)のみである。そうであったのは、アイルランドが、スコットランド以上にケルト的な色合いが濃い地域だったからだと考えている。


プロテスタントの『魔女狩り』については、資料不足の関係から、「純化したキリスト教=聖書信仰に基づき、自分たちの信条と教義からわずかでも逸脱しいる者は殺戮すべきと考えて行ったもの」としておく。
カソリックもプロテスタントも、宗教的に不寛容で迫害に狂奔する性格であったことについては同じである。
もちろん、カソリックの流れをくまないキリスト教諸派や『魔女狩り』以降に生まれたプロテスタント諸派には及ばない話である。

カソリックが、「暴力的異端審問」を通じて、12,13世紀のアルビ派などのプロテスタントを残虐な手法で根絶させてしまったことが、ねじれたプロテスタントを16世紀に生み出したとも言えるだろう。
そして、「宗教改革」が『魔女狩り』旋風下に起きたことで、無批判的に『異端者狩り=魔女狩り』を継承させてしまったのかもしれない。

東方世界の影響を受けてプロテスタントになった人々と、西欧世界の商業的発展のなかでプロテスタントになった人々の違いとも言えるだろう。

16世紀から興ったプロテスタントは、このような意味で、自分たちの商業的利益を阻害する強欲なローマカソリック組織にプロテストしたキリスト教宗教運動である。
(江戸期の「キリシタン禁令」は、今では悪政のように言われているが、同時代の西欧を顧みたとき、日本の「安全保障」のために的確な政策だったと考える。“キリシタン狩り”も、踏み絵を踏ませるという優しいものである。キリスト信仰者であれば、何が描かれていようと、紙切れでしかないものを踏むなんてどうってことはないことである。ローマカソリックの組織がそれを踏んじゃあいかんと信者に言っていたとしたら、それこそ不信心者である)


『魔女狩り』は、迷信がもたらした恐ろしい出来事でも、『ローマ法皇庁』などの誤った宗教政策によるものでもない。
それは、西欧世界をより深く支配し心地よく寄生するために、反対者を虐殺して自らの経済的利益を追求できる体制を盤石にしようとしたものであり、さらには、“悪徳愛好者=悪魔崇拝者”が、その信仰の根源である悪行を為すために、その対象として最もふさわしい“信仰者”を標的として、あらんかぎりの屈辱と苦痛を与えることで歓喜雀躍したという出来事である。

(“悪魔崇拝”という言葉は、とりわけ日本では漫画チックで没“知性”的な話と受け止められかねないのであまり使いたくはないのだが、たんなる“悪徳愛好者”と言ってしまったら、宗教とは言えなくなるので“悪魔崇拝”という言葉を使う。日本の場合は、「清濁併せのむ」や特定動物を徹底的な悪や善とみなさないように、善悪について鷹揚な価値観を持っている人が多いと思っている。重罪を犯した人でも、死ねば“仏様”である。しかし、聖書的な善悪の峻別が意識化されている世界では、日本人なら快楽やイタズラの追及度合いが過ぎるのではと眉をひそめられることでも、反神(キリスト)的なとんでもない悪徳として見られる。同性愛にしても、日本ではことさら敵視されることなく続いてきたが、欧米社会では、同性愛を赦すかどうかが大きな信仰上の問題となる(欧米では“信仰者”が減っているのでそれほどでもないが)のである。それが逆に、快楽追求や悪徳志向の人たちに、“悪魔崇拝”というアンチキリスト的な信仰に向けさせているのではないかと考えている)


「異端審問」は、“悪魔崇拝者”が、自らの正体である悪魔崇拝性を包み隠すことなく、それがあたかも標的となった“信仰者”の本性であるかのように言い立てたものである。
“悪魔崇拝者”でないものを“悪魔崇拝者”だとし、いずれにしても殺してしまうことを前提にしていながら、身体的な拷問と性的なものを中心とした侮辱を与え、生きながらにして火あぶりにするということで、喜びと悪行性を倍加させたのである。
さらには、財産の没収だけではなく、異端審問から火あぶりに必要な薪代までのすべてのコストを“魔女”の負担として、莫大な蓄財を行った。
このため、その地域の資産家は、『魔女狩り』の大きな標的となった。

“悪魔崇拝者”ならではの厚顔無恥で強欲な所業であり、『魔女狩り』は十字軍に代わる金儲けの手段として位置づけられたのである。
(アルビ派などに対する領主や資産家の「異端者狩り」で没収した財産に大きく魅惑されたのだろう。巨大な富を保有するユダヤ人も摘発の目標になった。当時の諺として「裁判は大いに儲かる仕事」というものがあったという。神聖ローマ帝国が財産没収を禁じた1630年と1631年の2年間は、魔女の摘発が急減したのである)

『魔女狩り』は、「公共事業」という側面さえもっていた。「異端審問所」・「収監施設」・「処刑舞台」というハコ物だけではなく、審問官・看守・拷問担当者・処刑担当者などなどがきちんとその労働と費用の対価を得ていた。それが、『魔女狩り』が400年以上も続いた一つ要因でもあろう。


審問官からいったん目を付けられた人(密告も大々的に奨励されたので、政治的な思惑や隣人関係上の問題も絡んだであろう)は、身体的苦痛と精神的屈辱そして死から逃れることは不可能だった。
魔女だと自白しようが、魔女ではないと言い張っても(それだけ強情なのは魔女だからという理屈)、結果は同じだからである。それならば、拷問や侮辱を受ける時間が短く苦痛も少なくて済む「自白」を選ぶのは、賢明な人であれば当然の結論であろう。しかも、「自白」した人は、生きながらの焚刑(30分から1時間は生き続けたという)ではなく、絞殺した後での焚刑という“慈悲”が与えられたという。
“魔女”は、生きているより、殺されるほうが幸せだと思わざるを得ない状況に身を置かれたのである。

スターリンの粛清裁判でも、革命への反逆の嫌疑をかけられた人の多くが、身に覚えがない「自白」を行って刑場の露となっていった。
戦後の日本でも、やってもいない犯罪を認め、その結果死刑になったものもいる。「異端審問」に較べれば、ずっと“正義”が認められる可能性が高いというのにである。

『魔女狩り』が“悪魔崇拝者”のとんでもない“戯れ”であったことは、「悪魔に魂を売ることで、現世の快楽を悪魔に保証されたのであれば、その人物が魔女狩りに遭遇するわけがない。それに終止符を打てるのは契約に基づく悪魔の行為だけである。そうでなければ、悪魔は契約違反を犯したというだけでは済まず無力な存在と認識されてその後の布教活動を受け入れられなくなる」という論理で済むだろう。

いやそんなことはない、優秀なカソリックの聖職者(神学者)が立ち向かったから、悪魔は対抗できなかったのだと主張するのなら、拷問や恥辱による「自白」がなぜ必要だったのかと言いたい。
異端審問官は、異端者や魔女と言われる人と論争しても勝てないことが多く、そのために、異端者=魔女への拷問や恥辱がよりエスカレートしていくことになったのである。
また、聖性が高い審問官なら悪魔に勝てるとしても、看守や拷問担当者などはたかが知れているのだから、悪魔は収容施設で魔女を救出し、箒でしかるべき場所に飛んで行かせただろう。(こんなバカな“論証”を書くのはツライ)
『ローマ法皇庁』は、信仰や神学の分野では“魔女”=信仰者に勝てないが故に、物理的な拷問や性的な恥辱で追い詰めていくしかなかったのである。

さらに言えば、当初は悪魔に魂を売る人がいたとしても、あのような「魔女狩り」の嵐が吹き荒れ続けた状況で、400年間も悪魔に魂を売る人が絶えなかったというのは大笑いである。「魔女狩り」が西欧全土で数年間吹き荒れただけで、悪魔に魂を売る人は激減したはずである。
キリスト信仰者ではなく快楽や悪行を求めるものは、それが途絶えてしまう死も恐れる。ある時点での死を約束するのにふさわしい快楽の量と質がなければ、悪魔と契約なんかしないだろう。死後の世界がないと考えている人でも、地獄での永遠の苦しみが待ち受けていると考えている人ならなおさら。せっかく悪魔に魂を売っても、有効期限が20年とかではなく1日か2日しかないないかも知れないと考えれば、悪魔に魂を売らずに得られる日常の快楽を選択するものである。

また、神が創造主であれば、サタンも被造物である。
大天使のときは美しく知性も高かった堕天使ルシファーも、神に逆らったが故に地上に落とされたという。そうであるなら、神は、サタンが地上で人とともに生きることを求めたことになる。
ならば、人は、サタンとも魔女とも共生すべきである。そして、魔女であるという存在性ではなく、刑罰を与えなければならないような“悪さ”をしたら信仰者に対してと同じように処罰するということでいい話である。
『魔女裁判』を教義的に正当だと主張するキリスト教宗派があるのならば、それは、神をも否定する傲慢不遜な考えに立つ不寛容な宗教組織だと断じざるを得ない。
(信仰者は、サタンと戦うことで信仰が強化されると主張するのなら、殺すのではなく信仰で戦うべきである。“汝、殺すことなかれ”である)

「異端審問」でとりわけ重視されたのが「色魔性」であったことも、“悪魔崇拝者”の本性をよく示したものである。“悪魔崇拝者”自らが、悪行とされる乱交や男色そして小児性愛をこよなく愛していたからである。(現在でも、カソリック司祭のこのような問題が表面化したりしている)
だからこそ、各地で、若くて美しいと見られていた娘が魔女狩りの第一の標的となった。信仰と正義の名のもとで、罪を問われることなく公然とわいせつ行為にひたることができたのである。身体に付けられた悪魔の印を見つけるためと称して、裸にするわ、性器付近の毛を剃るわの自制心を一切かなぐり捨てたご乱行を繰り返した。

魔女とされた人の尋問(拷問)状況の記述を読むと、まるでエログロ小説(「日本書紀」にも少しあるが)である。“精神性”の欠片もないSM小説を読まされているようなものである。
(実を言うとSM小説は大好きである。ただし、ハード派のものでは嫌いで、故千草忠夫氏のものが好きである。千草氏のものは性的快楽の追及といえるもので、女性に救済さえ与えている。貞淑で美しい女性がSM的状況でとてつもない快楽を享受したとしても、それは、負債のカタからなどから始まり力ずくで縛られた上のことでやむえをなかったと、その女性自身が言い訳できる構図になっている。そして、その女性は、もうあんなことはいやだと思いながらも、半分強制的に半分期待しながらそのような性的関係を続け快楽を貪るというものである。あまり一般書店では販売されていないが、全著作集も出版されているので、興味がある方はぜひご一読を。こんな趣味だから、悪魔崇拝者の気持ちが分かるのかなあ)


『魔女狩り』は、17世紀末にその余波をアメリカに移して急速に終息したという。

9・11空爆テロのブッシュ政権や文明諸国の政府・メディアの言動に対して、違法・偽善・欺瞞・傲慢・尊大・暴虐・強欲などという言葉の非難を投げかけ続けてきたが、『魔女狩り』は、まさにその言葉をそのまま投げかけたい歴史的出来事だったのである。

『魔女狩り』という悪魔崇拝的悪行を長年にわたって繰り返してきた「ローマ法皇庁」が今なお存在し続けていることに愕然とせざるを得ない。また、同じように『魔女狩り』を行った宗派が根底的な自己批判を行わないまま存続していることも同じ感慨を持たざるを得ない。

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