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「天皇の戦争責任」なる概念のあいまいさ
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投稿者 書記長 日時 2003 年 7 月 10 日 19:01:19:

 大東亜戦争における戦争責任とは、いったい誰の誰に対する責任のことなのだろう
か。まずそこをはっきりさせなければならない。

 実際上は立憲君主制に近かった大日本帝国において、国を挙げての大事業で天皇陛
下が実効力のある政治的関わりを何も持たなかったとか、何の実際的な義務も仕事も
持っていなかったとかいうことはありえない。
 だから、あの戦争を意思し遂行した者を「戦争責任者」というのなら天皇陛下は確
実に戦争責任者である。

 だから何だというのだろう。

 「戦争犯罪」を問題にするのなら、たとえば「A級戦犯」というのは東京裁判での
認定されたものであって、日本国民が彼らに下した認定ではない。つまり彼らは日本
人にとってはA級戦犯ではない。そして彼らは日本人に対しては敗戦責任があるかも
しれないが、連合軍に対しては何の責任もない。

 要するに、戦争犯罪とかそれにともなう処罰の根拠としての戦争責任は、日本の敵
である連合国も日本人も問わなければ、「ない」のである。別のどこかの国がそれを
問うても、主権国家より上の法的権力など存在しないのだから、法的には何の裏づけ
もないことである。どうしても戦争に関わった外国人を処分したいのなら、それは単
に処分する実力とか実行の問題になり法的な問題ではない。そして、上述した意味で
の天皇陛下の「戦争責任」ならば、連合国も日本国民も問わなかったのだから天皇陛
下にはないのである。

 しかし、仮に日本国民や連合国が陛下の法的なもしくは処罰根拠としての戦争責任
を問うたところでだからどうだというのだろう。第一次世界大戦が終わったとき、ド
イツの皇帝はオランダに逃げた。三国協商側は皇帝の責任を追求しようとオランダに
引渡しを求めたが、オランダ王家がかくまってしまったので何の処罰も受けなかった

 王室の責任やら処罰の問題というのは、市民一人一人や王室本人たちの意思や価値
観の問題ではないのだろうか。私個人はあの歴史的いきさつからして、昭和天皇には
日本国民からも連合国からも終戦後何の不利益も受けるべきではなかったと思ってい
る。それだけのことである。

 ちなみに、日本国民が連合国側と一緒になって「東京裁判によるA級戦犯の犯罪者
扱い」をしてしまったら、日本国民は過去の日本を攻撃して連合軍側を正当なる正義
としていることになる。そして東京裁判の正当性を認めてしまったら、あの戦争は日
本の一方的責任で引き起こされたものであり、戦前の日本は国家ぐるみでナチスのよ
うな人道に対する犯罪集団だったということになる。

 こういう問題は今の大多数の日本人にとってはどうでもいいことなのかもしれない
。とにかくあやまって当時の上のほうの人達を中朝米と一緒に攻撃していれば、国際
関係がうまくいき、商売や安全保障が安定するならそれでいいと思っているのかもし
れない。昨日のことより今日のこと。一部の人間の犠牲で自分たちが助かるなら結構
なこと。そんな感じを抱いているのかもしれない。
 私はそれ自体醜いと思うのだが、それが日本の社会・日本人の精神・日本外交の作
る国際関係においてどのような効果を引き起こし、どのような結果をもたらすのかを
考えているいる人はどれくらいいるのだろうか。

 日本−英米間の歴史的いきさつを考えるとが英米が音頭をとったような「東京裁判
」の認定を素直に受け入れるような日本人は、それが多数派であろうと少数派であろ
うと私には信じがたい感覚の人々である。人格としても国際的にはかなり非常識なほ
うであろう。どんな未開人でも自分たちを虐殺したかつての敵対集団に素直に従おう
としないのが普通だろう。

 戦前は国内法的には、天皇は「神聖不可侵」だったのであって、天皇の政治的行動
に対して国民が責任を問えるような法的仕組みはなかったはずである。そして、当時
も今でも主権国家より上級の法的権力機関などないのである。法的観点から言っても
、処罰の根拠としての戦争責任は天皇にはない。

 「道義的な戦争責任」なるものはあまりにも意味が漠然としている。倫理的評価で
あれば、個々人の判断や価値観の問題に還元されるだけのことだろう。人道上の罪と
して、やはり(国際)法的な罪を形成する根拠としてなら、話は上述した法的な責任
問題になり、天皇の法的処罰の根拠などないということで話は終わる。

 1941年の暮れ、アメリカはイギリスやロシアがドイツの手に落ち、全ヨーロッ
パがナチスに占領される前に何とかドイツに対して宣戦布告をしなければなりません
でした。しかし、当時のアメリカの世論はヨーロッパの戦争には介入するべきでない
という意見が圧倒的だった。
 当時大日本帝国はドイツと軍事同盟を結び、アメリカと中国・満州の権益や主権の
あり方をめぐって対立していた。日本とアメリカが戦争状態に入れば、自動的にドイ
ツと戦争状態に入ることができるという考えがアメリカ政府側にあった。 
 要するにあの当時アメリカ合衆国ははっきりと日本と戦争をはじめる断固たる意思
を持っていたので対米開戦は避けられなかっただろう。
 客観的に言ってあの戦争はアメリカの主導によってはじめられたもので、日本は近
代国家システムが耐えることのできない条件を次々と突きつけられていたのである。
 中国戦線についても共産党(とたぶん国民党も)の度重なる残虐な挑発があったの
である。

 それまでの国際的いきさつがどうであれ、日本は特定の民族に対する差別や迫害を
政策として掲げたこともないこともあわせて考慮すれば、上記の状況下での「対戦国
の領土に攻め込む」戦争は普通の戦争であって、政策として他国への強引な侵略併合
を行いユダヤ人やスラブ人を幽閉・虐殺したナチスの戦争とは人道的観点からは性質
が異なる。当時の日本政府・軍部をナチスと同類に扱うことはずさんな歴史認識に基
づくあやまりなのである。

 社会の重要な役割は集団内部で暴力による収奪とルールなき闘争によって人々が苦
しむことがないようにすることや、社会外部の力によってその集団の成員の安全や生
命や財産、そして家畜や奴隷ではない独立した自由人としての生存を奪われることを
防ぐことにある。
 だから国家は内部に対しては「権力」、外部に対しては「(独立)主権」を欠かせ
ないのである。だから秩序や主権を脅かす内部・外部の敵と戦うことは「社会」では
必須なことなのだ。その社会が「国家」である場合は、さらにその国家が他とは区別
されて一個の独自の社会として存在する理由となるものも守ろうとするのは当然であ
る。

 だから、「他国と戦争するためにこんな苦労をした、戦争でこんな悲惨なめに会っ
た、だから当時の社会のあり方は間違っていた、戦争なんてするんじゃなかった」
とだけ言うのはあまりにも幼稚であり、きちんとした意見になっていないのである。
 それ以前に、ある特定の国家や一般的な社会そのものの存在を否定するような「反
国家的」で「反社会的」発言なのだ。

 それは日本以外の国では絶対に異端的な恥ずべき発言なはずである。

 上述の国家観、戦争観は当たり前のことであり、世界の常識であろう。たとえば、
オランダは独立国家になるために200万人イギリス人に殺されたという話を聞いた
覚えがあるが、だからと言って当時のオランダ人は愚かだったとか、そんな戦いはす
るべきではなかったと後世のオランダ人が子供に教育することはないだろう。

 世界史上国家間の主権や領土・自由、しばしば信教をかけた戦争で数百万の人が死
ぬことはよくあるが、そのたびに自国の歴史的決断・行為やその当時の人々を断罪非
難するようなことは普通はない。むしろ賞賛されることのほうが多いはずである。

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