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日本のとるべき戦略 2
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投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 5 月 17 日 06:44:47:TcNSd0ZB71Ujg
 

(回答先: 日本のとるべき戦略 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 5 月 17 日 06:42:57)

2.日本の学校を情操教育から論理教育に変える。

日本の知識人達の議論を聞いていると、バックミラーを見乍ら通ってきた道の話しばかりで、今までの道で得た経験を基に前方の道をどの様に運転するか、という方法論的議論が非常に少ない。つまり、過去に得た知識を互いに自慢しあっているだけだ。勿論、未知の将来を議論するのは遥かにリスクが高い。予測を誤ると、日本のしきたりで、敗北者として皆に相手にされなくなる、という怖れで尻込みしてしまうのだろう。しかし日本にも怖い物知らずの人達も居るのだから、上記の教育を施して自分の頭で考える様になった知識人達をどんどん増やせば、文科系日本人も西欧人並に方法論的な議論が出来る様になる、と私は考えている。彼らは頭が悪いのでは無くどういう風に使うかという訓練が出来ていないのだ。

日本の知識人達の議論のもう一つの特徴は、問題点を掘り起こすのは非常に巧みなのだが、議論がちっとも問題解決法の提案とか、より良い解決法に向かって建設的な知恵の持ち寄りに発展して行かない事だ。人のやり方や提案にケチをつけるのには熱心だが自分の提案を出そうとしない、或いは出せない。所が、日本の技術者は問題点を見つけると頭を集めて素早く改善するのは世界一だから、この特徴は日本の文科系の人達に共通するものだと思われる。その点、欧米人は、その提案は良いと思うけれど私の提案の方が優れていると思う、という建設的な態度を取る。

日本人は世界一物造りに長けている事は疑問の余地は無い。物造りがうまいという事は方法論を考える頭が優れているという事だ。其れにも関わらず、文科系の人達の議論に方法論が欠けているのはどうしてか。日本の文科系の教育方法が悪いからである。日本の教育者達は熱心に教育改善に努力していることは確かだろうが、やり方が間違っていて、本質的でない細かいことばかり拘る。そして日本人の伝統的な感情を重んじる教育を論理を重んじる教育より優先させているのが問題の根源なのだ。情操教育と論理教育とは矛盾しない。どちらに重点を置くかという選択の問題に過ぎない。

日本の教育者は欧米人に対する劣等感に悩む必要は無い。とやかく言っても、日本の子供達は真面目で教育事情はアメリカより遥かにましだ、という事を認識すべきである。アメリカの学生の平均知能は日本人のよりかなり悪い。アメリカの方が良いのは一流大学だけで、その一流大学でも教授は外国人が多く、良くできる生徒は殆ど外国人又は二世なのである。アメリカの学校を買いかぶってはいけない。

憧れると何でもよく見えるが、それは勝手に想像した幻影に過ぎないのである。日本には外国をいつも理想化して、こんな事をするのは先進国とは言えない、とか日本の出来事をさも日本だけの蛮行の様に言ったり、或いは日本には不正が横行し下劣な行為に満ちているが、欧米では秩序と正義が保たれ立派な人ばかりだと信じて疑わない日本人が多い。世界中を回って冷めた目で観察すれば、こういうことを言う人は先進国が如何に野蛮で不正の横行する所であるかを知らないか、或いは知りたくないからだ、と解るようになるだろう。冷めた目で現実を見るには論理的訓練が絶対に必要である。他国の悪いところが見えない人は、素敵とか格好いい、という感情ばかりで論理性が全く無い人である証拠だ。

欧米の長所に学ぶのは大切だが、それよりもっと大切なのは彼らの短所を掘り起こし、どうすればそれを利用して自分の利益に使えるか、という方法論を考える事の方がもっと重要だ。欧米人が日本人の悪いところばかり研究するのはその為だ。日本人は欧米人にとって最大の脅威なのである。だから至る所で日本人のやることを妨害する。この事実を決して忘れてはいけない。だから、日本人も自分の利益を守る為に全力を挙げて外国人のやることを妨害しなければならないのである。生死をかけた生存競争なのだから絶対に外国人に遠慮なんかしてはならない。仲良くするのはあくまでも外見だけだ。国際協調と言って本気で信じる人は、世間知らずの、感情ばかりで、何も解っていない理想主義者だけである。

所が日本人は、欧米人の悪口を言っては失礼に当たる、と思いわざと短所を詮索しないで良い所ばかり見ようとする。これは即刻止めてもらいたい。欧米に行ったら、その国の悪いところを先ず徹底的に詮索するのが自分を優位に置く為の正しい戦略なのである。日本人は余りにも欧米を好意的に見過ぎている事を反省すべきだ。又、日本人の謙譲を彼らに美徳として受け取られると信じるのは間違いである。謙譲を卑屈とか恭順の証と誤解されるからである。欧米で横柄に振る舞えと言っているのでは無い。日本で知らず知らずのうちにやっている遠慮と謙遜を止める努力をする事だ。

ではどうすれば日本の学校を何処から見ても世界一の水準に上げる事が出来るか。それは上記の論理的に考えさせる教育を実施すると共に、「頑張れ」という言葉を学校から追放する事だ。子供を励ます言葉の中で「頑張れ」ほど有害無益な物は無いのに、日本人は頑張れをまるでかけ声の様に連発する。どうして「頑張れ」は有害無益なのか。「頑張れ」に繋がるのは論理的な思考では無く、「嬉しい」「腹が立つ」「悲しい」「許せない」等の喜怒哀楽の感情だからである。感情は頭が空っぽでも出てくる。この言葉で子供達は感情を先にし思考を後回しにしてしまうのである。

だから、子供を励ますには先ず頭を使う様に、「先ず考えなさい」「合理的にやれ」「手を出す前に考えろ」等を使い、どうしても元気を出す様にかけ声を掛けたければ、意味のない「フレー」とか「わっしょい」を使えばよい。同じ「考える」にも、くよくよと堂々巡りの考え方は神経衰弱にさせるだけだから、あらゆる事に「何故か」の自問自答をさせ、一歩一歩階段を上るような論理的な考え方を教える。先ず子供に論理的に考えさせ、その後で自分の意見を述べ、選択は子供に任せて、その結果責任を取らせるのが正しい教育法であって、親や教師の都合や価値観を子供に押しつけるのは最悪の教育法である。

子供が犯した間違いを感情の赴くままに叱ったり、感情に訴えて他者に許しを請うのは日本では常識的な行動だが、こういったやり方では何も解決しない。何でもすぐ謝るかと思えば些細な事ですぐ怒り出す。報道関係者も感情的な問題を煽り立ててドラマを作ることに専念し、視聴者に考えさせるのでは無く、憐憫の情や優越感を起こさせて、視聴率を上げる事だけ考えている。海外から日本の社会問題の報道を見ると、「何故か」を追求した物より感情に訴える物が圧倒的に多い。日本人は全てを感情だけで判断している様に見え、理性はどうなっているのかと思わせる。これらの挙動は全て学校教育で論理的思考の指導を徹底的にやらなかったからである。日本社会の問題を解決していくのは論理であって感情では無いのだ。これを決して忘れないで頂きたい。
(続く)

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