★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 昼休み3 > 180.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「ダルマ」実装のための「思考のエキス」
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/180.html
投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 17 日 05:24:43:1gyEqZlfbcB1s
 

(回答先: 新スレ(本文なし) 投稿者 M 日時 2004 年 4 月 15 日 16:22:36)


みなさん、こんばんは。
ようやく帰ってまいりました。

Mさんやぷち熟女さんに対してもそうですが、特にすみちゃんの、

>正直言って、私はこれにはあんまり興味持てないんだよね。
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/175.html

というコメントを読んで、ああ申し訳ないなぁ、と思っていました。

実は、私も「日ユ同祖論」そのものはどうでもいいと思っています。
「秦氏」の例で私が展開しようとしていたのは、日本人の「思考のエキス」を
とりだす作業の入り口(きっかけ)のつもりだったのです。
途中で仕事に押されて十分意を尽くせないまま進んでしまい、ここらで
私の意図を説明しておく責任を感じました。
少し長くなりますが、お付き合いください。

*****

そもそもこの昼休みへ引っ越すきっかけは、私が、「浮気なあっしら氏」と
「不実を許さないぷち熟女さん」というレトリックで、あることを問題にし、
あっしら氏の無反応ぶりから、戦術の変更を考えたことにあります。

いきなり「経済と性愛を同一スレで論じてよいか」という意図不明かもしれない
スレをかました真意をまず説明します。


■「挑発」の意図

あれは「照準を定め、集中せよ」という心ある方々への呼びかけでした。
この場合、照準とは「政治」ではなく「愛」と「経済」なのだという意味です。
(ゾンバルト的な意味ではありません。)

「愛」の成就に結びつかない「経済」論議なら、ただのお遊びです。
それこそ「自己愛」に満ちた「悪魔崇拝の片割れ」を永久に演じることになります。
私はそれに苛立っていました。

あっしら氏をはじめとする阿修羅の経済論議は高い水準にあり、
今後ブレークスルーにつながる可能性を秘めています。
しかし、その中心軸であるあっしら氏みずからが、ある種意図的なブレ
(「浮気」)を演じて見せることで、コミットメントを回避しようとします。

みなさんは、なぜだと思われますか?

彼が自分の感性、私の用語でいう「からだ」を信じ切れないからです。
それを日本人という文脈に置き換えるなら、彼が「からだ」である庶民の力を
心底から信じ切れていないからです。

これは「左翼史観」の洗礼を受けたものの宿命です。
要するに「あたま」主義なのです。

同じことを私は「イデオロギー」とも呼びました。
「イデオロギー」の端的な表現は何かといえば「話せばわかる」です。
日教組や進歩派はこの「永遠の足踏み」を歴史の進歩と信じて疑わない
ボンクラであり、それこそ"彼ら"の思う壺なのです。

(対立と分断による弱体化、精神的去勢で前に進めません。)

結局はひまつぶしに過ぎない言説をもてあそぶことを「制度的思考」と呼びも
しました。なぜ「制度的」かと言えば、ひまつぶしは制度の維持にこそ奉仕しますが、
制度の変更には貢献しないからです。

難しく論じる必要はないのです。世界はいまも昔も「暴力」で動いています。
戦争は究極の経済行為であり、経済が「暴力」に仕えているかぎりなくせません。

戦争をなくしたいなら「経済」を変えるしかないのです。
「意識」を変えても無駄です。

(人間は「意識」に愛着すると「自我」におぼれ、「現実」から遠ざかります。)

これをこの昼休みスレの文脈に置き換えるなら、
釈迦は「仏陀」と「転輪聖王」になる可能性があったが、
現在我々には「仏陀」のみが与えられいる。
「転輪聖王」はわずかにアショカ王の事例に片鱗を見られるのみです。

この場合「仏陀」とは「意識」であり、「転輪聖王」とは「経済」です。


■「転輪聖王」と「ダルマ」

現代に「転輪聖王」を召喚したいと思えば、とりあえず「暴力」による法の支配しか
考えられない、ということになっています。対テロ戦争がいい例です。

では、その「法」とは何でしょうか?
西洋的な近代法は基本的に支配者(既得権益者)正当化のための道具として
存在します。しかし、仏教における法とは「ダルマ」であり、それは法律というより、
人間ひとりひとりの内部に存在する「宇宙」を意味しています。

私のいう「からだ」はこちらのダルマの法から発するものです。

「ダルマ=からだ」が支配原理となれば、人間社会は相当ましなものになるはず
です。私は婉曲な言い回しながら、日本の「天皇」にその兆しを感じています。

(「転輪聖王」を実体として考えるとき、私の念頭には「天皇」が浮かびます。)

なぜなら、東寺は「宇宙論的ダルマ」の象徴であり、皇居は「日本土着のダルマ」の
象徴です。この二つがMさんの示唆するように、同じ「国事」として現在に生きている
事実は重いと思うのです。この連続性こそが日本再生のキーとなると考えています。

(その意味で、日本文明には、易姓革命の中国や、カウンターレボリューションを
前提とする西洋とは異なる原理が貫いている、と言えます。)

それでは日本が現代の「転輪聖王」として、世界の圧倒的な非対称を調停するには、
どうすればいいでしょうか?

「政治」にのめりこむのは得策ではありません。
政教分離やら、公明党やら、ムーニーやら、皇国史観バッシングやら・・・・
とにかく障害が多すぎます。

「政治」はあいも変わらず「やくざ」か「詐欺師」かの世界であり、
武力(対テロ戦争)か金融(ニューエコノミー神話)か、
結局は「暴力」が裏表で活躍しているだけです。
そこに「ダルマ」のつけいる隙はありません。

「政治」が無力なら、この無様な世界を変える可能性は「経済」と「愛」に求める
しかありません。だとしたら、手始めに「暴力」が支配できない「ダルマ」の領域を
作り出すことに全力を注ぐべきです。

「イデオロギー」は「政治」に堕することは実証済みですので、
「経済」に「愛」を貫くには、庶民の「ダルマ」を実装する「技術」を生み出すしか
ありません。そのような技術を胚胎し、実装する力の源は、私の考えでは
「神話」(近代的な夾雑物の少ない純粋な感性=思考のエキス)のなかに
存在しています。そして、そのような神話的感性の担い手は「庶民」しかいない、
と思っています。

それゆえに「神話」と「経済」と「愛」を同列に論じる必要を感じているわけです。


■なぜ「貨幣」か?

私が執拗に「貨幣」にこだわっているのも同じ理由によります。
「ダルマ」で世界を運営する技術として、「貨幣」ほど効率的で本源的なツールは
他に見当たりません。

本来「貨幣」とは「暴力」では排除できない相互信頼(「愛」)を表象する手段
だったのが、いつの間にか「暴力」に担保されて、「暴力」に仕える手段になって
しまいました。それ以来、圧倒的な質量で人類の悲劇が始まりました。

(いまでも「貨幣」は本質的には「暴力」を排除する働きを持っていますが、
それがうまくいくのは「やくざ=武力」より「詐欺師=金融」が前面に出ている時代
のみです。)

私に言わせれば、すべての経済通は「貨幣」のこのような本源性をなめています。
「貨幣」はしょせん手段に過ぎないかもしれませんが、その手段をなくすことは
できないと私は考えています。

なぜなら、人間が他者とダイレクトに交わることができるのは「愛」の領域のみです。
それ以外のコミュニケーション(交換、交通)から「貨幣」を排除することは歴史の
退行に過ぎません。

「貨幣」の担保を「暴力」から「愛あるひと」へ移し変えるためには、社会全体が
(一部の人間の思惑を離れて)「貨幣」の価値をコントロールする「技術」が、
どうしても必要になります。「技術」の価値は「イデオロギー」(の相克)を超越する
ニュートラルさにあります。


■経済と歴史を同列に論じる

繰り返しになりますが、私が経済と歴史(特に太古)を同列で論じたいのは、
「ダルマ」の実装に役立つ「思考のエキス」が、神話をはじめとする日本の
歴史的遺産のなかにつまっていると感じるからです。
「思考のエキス」の貯水池というイメージです。

私は宿命として日本に生を受け、日本を愛しています。
従って日本のローカル性と世界性にこだわらざるを得ません。

記紀に政治的意図による改ざんがあるとか、天皇は無責任体制の根源だとかいう、
進歩的知識人の知ったかぶりは「あたま」の言説に過ぎないので却下します。
そのなことをのたまわっている時間は残されていないというのは、みなさんにも
おわかりいただける感覚だと思います。

******

以上の記述で、これまで放置していたすみちゃんの質問への答えになっていると
思いますが、いかがでしょうか。

私にとって「竹内文書」に捏造があっても、常識的な意味で信頼のおける
古史古伝が存在しなくても、それはある意味どうでもいいことなのです。

どのような書物にであれ、そこに「ダルマの実装技術」を育む可能性のある
「思考のエキス」が見出せるなら、それは私にとって「真実」です。
いわゆる歴史的事実より、人間の思考のエキスがつまった「真実」の方が重い
と言ってもかまいません。歴史は繰り返せませんが、思考は再利用(応用)できる
からです。

たとえば、「竹内文書」そのものには捏造やウソがあふれているかもしれません。
しかし、あの文書が全体として訴えかけてくる印象は「人類共通の文明」の
所在感のようなものです。それはきっと、すみちゃんが半村良「太陽の世界」に
感じる何かに近いのではないかと想像します。

「古史古伝の中で信頼のおけるもの」というご質問についても同じです。
それぞれが、私の「からだ」に訴えてくるものがあれば、アカデミックな正当性と
無関係に私は尊重します。

たとえば、一貫性という意味でいえば、「ホツマツタヘ」が最上だと思いますが、
かりにそれが虚偽を含むとしても、漢字渡来以前に文字はあった可能性は
否定できないし、東北地方がとても重要な歴史を担っているという感覚は
無視できません。(ホツマでは、ニニギは宮城で生まれたことになっています。)

まだメソポタミア関係の問いに答えていませんが、本質的には同じです。
日本庶民の「ダルマ」のなかに、あちら系のものが混入しているという感覚が
あるのです。それは私が個人的にユダヤ人やアラブ人と接した中で抱いた
「波長の合う」感覚と近いものがあります。

日本と"彼ら"、私の中のイメージは「鏡像異性体」です。
本質は同じ(近い)なのに、ある一点の「突然変異」が同一のものを
対照的な存在に変えてしまった。その一点とはおそらく「土地」です。

*****

以上のようなわけで、私がここで展開したいと願っているのは、
実証的な歴史談義ではありません。

根底には「ダルマ」を生かすために「経済」から作り変えて生きたいという動機が
あり、その作り変えの材料あるいは触媒として「歴史」を使いたいという狙いが
あります。

 次へ  前へ

昼休み3掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。