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ビルちゃんへ。「テロルの現象学」はツボに嵌まっているのか?
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投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 28 日 22:47:45:xnvpUXgHxuDw6
 


なんだか私の質問が期待されているみたいになってきましたが、
あんまり期待されても困ります。
本当に素朴な疑問なのです。

笠井は、連合赤軍事件、ソ連の強制収容所国家、カンボジア虐殺に対する、
自らの闘争経験を踏まえての総括として、
この書物を書いたそうです。

「テロルの現象学」の他、「ユートピアの冒険」などの評論集、
「バイバイ・エンジェル」などの探偵小説を読みますと、
彼は七十年安保闘争後、党派の崩壊、フランスへの逃亡などの経験を積み、
そのときの「痛い」経験からこの書物を書いたということのようです。

私は門外漢なので、この書物の分析に、
連合赤軍事件やカンボジア虐殺、ソ連強制収容所国家などの歴史が、
どの程度当てはまるのか、あんまりぴんとこないのですね。

現に、小田実「ベトナムを遠く離れて」などの(たぶん)左翼作家の作品評論では、
「テロルの現象学」的な分析は好意的に受け取られていないようだし、
「テロルの現象学」で言う「自己観念」さらには「党派観念」が総体的暴力を招くといった分析は、
あんまり真面目に広く受け取られている様子ではない(のではないかな?)。

漠然とした問いで申し訳ないのですが、
この当たりの感触がさっぱりつかめないのですよね。


各論に入ります。

「テロルの現象学」の冒頭において、
二葉亭四迷の分析がなされています。
これは何かちょっと突飛な印象を受けました。

似た主題では、柄谷行人の「日本近代文学の起源」が素晴らしい(お読みでしょう)。
明治時代前半の文学を担ったものが、
実は幕末に職を失った武士階級の子弟のルサンチマンにあること、
その文学の近代的特徴が、実は単に「遠近法」の問題にすぎないことが、
完膚なきまでに曝露されています。
これとはとても比較できない。

橋和己作品を取り上げたあたりからは、わりと納得のいく分析になっていると思います。

橋の「即自」的な反抗を一歩進めた水準として、
「腹腹時計」「東アジア抗日武装戦線」
をとりあげています。

橋的な無自覚な反抗(自己観念の萌芽的、即自的段階)を乗り越え,
客観的に社会に対して効果的な破壊を行う戦術を練る段階に達しているという評価ですね。

理屈はよく分かるのですけど、
これは当たっているのでしょうか?
あまりに図式的な感じがしたのですが。
何か的外れで別の話なんじゃないかという気がして成りません。


次は「集合観念」について


引用
「この「破滅に至る自己運動」を防ぐ決め手として、
笠井氏は神秘体験(エゾテリスム等)による「集合観念」で乗り越えよう、としていますが、
本人も言うように、この試みはうまくいっていません。」

「笠井氏のいう「集合観念」というのは、
パリ・コミューンのような、群集蜂起・革命の時には、
個々人の観念が、超越的な雰囲気の中で、融合することで、個々人の孤立性が解消される、という見解ですが、
この「超越的体験」が瞬間のみに成立し、持続しない、という点に挫折の理由があるわけです。」


笠井氏は、「レ・ミゼラブル」のガブローシュの「敷石の上の踊り」を擁護し、理論付けようと努力しています。
この姿勢は一貫しており、例えばSF評論でアーシュラ・K・ル・グイン批判、「ユートピアの冒険」等でも同様のことを書いています。

この理論付けにハイデッガーの「死への先駆」を持ってきていますが、
この「理論付け」は説得力がありません。
彼はそれを自覚しており、「哲学者の密室」でハイデッガーに無様な死を迎えさせることによって、
自らに復讐しているようです。

しかし、この結論がバタイユの「呪われた部分」というのでは、
けっきょく革命はセックスやお酒のようなものだ、
という結論になってしまいます。
こんなことをいわれても困りますよねえ。
どう思われますか?

次に、「時間の軛」を超人化によって克服するという思考は、
やはり無意味だと思います。

それが可能であったと仮定すると,
その存在は「人間」ではないわけです。

従ってそれは「人間」の問題を解いているわけではありません。
ゴルディアスの結び目を刀でぶった切ったアレクサンダーと同じ誤りです。

この方向は最初から問題外と考えているのですが,いかがでしょうか?


次にエソテリズムについて

笠井氏は、カタリ派、あるいは日本の大本教、天理教といった啓示宗教に、
革命の契機を求める探索を行っていました。

しかし、日本の神道系啓示宗教に対する結論は、
主客未分化的な法悦を契機とするものであって、
革命の契機をもたらすものではない、ということのようです。

それはそうでしょうね。 当たり前じゃない。

この意味で、「巨人伝説」の系列の作品は失敗していると考えます。

カタリ派を取り上げた「サマー・アポカリプス」も、
私には違和感を禁じ得ません。

これに登場する「シモーヌ」はシモーヌ・ヴェイユを思わせる人物ですが、
彼女は近代的な思考と感覚しか感じられないと思いました。
これはカタリ派とはまったく違うのではないかと感じられてなりません。
いかが思われているでしょうか?

カタリ派には、何となくですが、古代的な霊性があるのではないかと思えます。

輪廻転生、動物への転生、輪廻からの解脱といった諸要素は、
東洋的というか、何か古代日本にも近いものがあるのではないかと思います。
それから聖職者たちの徹底した禁欲も東洋的な感じを受けます。

一方、この世界がデーミウルゴスの創造した牢獄であり、
人間は生殖によって牢獄の鎖につながれたのだという種類の厭世観は、
一神教的な感じを強く受けます。

シモーヌは近代人そのものであり、
全然信仰ないじゃん、という感じがしてなりません。

以上の経路を見てみますと、
どうもエゾテリズムに超人化の契機を求めているみたいに見えます。
そういう方向は筋がよくない?という感じがしてなりませんでした。
いかが思われますか?

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