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第六章 共通点 1 神示と霊訓 安心立命/内在の天国(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:34:29:Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 自由意志/たまの宝と物質の宝/霊と体(火と水)(大本教・民間信仰・民俗) [99-03- 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:29:18)

- 安心立命 -


 人間にとって、心配ほど毒なものは無い。心配は寿命を縮める。心配事が出てきても総てを神様に奉納して心配せぬやうにする、これが長寿の秘訣だ。

-『月鏡』/出口王仁三郎著より-

 安心立命とは、心を安め、命をたつるという事である。心配すると脳が痛む、脳を痛め使いては安心が出来ぬ。心が休まらぬので命を削る。心配くらい人間にとって毒になるものはないのである。

 かの相場師などは、実に安心の時を一日だも持たぬのであるから、ああした仕事をしている人は短命である。

-『玉鏡』/出口王仁三郎著より-

●まかせ切らねばマコトの安心立命は無いぞ。

●総てが神ぢゃ。喜びぢゃ。始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの。手でも足でもよい、何処でもよいから掴める処からつかんで御座れよ。だんだん判ってくるぞ。全体掴むには全体と同じにならねばならん。その人間のつかめるところから掴んで参れよ。このほう抱き参らせてやるぞ。

●神にまかせきると申しても、それは最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍難しいぞ。濡れ手で泡のやり方、カス掴むぞ。

●神にとけ入れと申してあろう。智で神を見るから、次元が違うから、戒律できるから、判らんのぢゃ。解け入れよ。何につけても多いくさ。人の殺し合いばかりでないと知らしてあろう。ビックリぢゃ。

●文字や理屈は判らんでも信仰は掴めるぞ。信念と信仰は違ふぞ。信念は自分のもの。信念超えて信仰ざぞ。任せきったのが信仰ぞ。

●真の信仰に入って居れば心配いらん。失敗も財産ぞ。

●あなたまかせ。よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人間であるぞ。この神とみとめたらマカセ切れよ。神さまにホレ参らせよ。信仰の第一歩ぞ。

●上の高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現はれであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命。

●どこからともなく感じてくるもの尊べよ。

●そなたの苦労は取越苦労。心配りは忘れてはならんなれど、取越苦労、過ぎ越し苦労はいらん。そうした苦労は、そうした霊界をつくりだして、自分自身がいらぬ苦労をするぞ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

モーゼスの霊訓

 旧神学に従へば、そこに一人の神があって、絶えず人間の堕落を監視し、又そこに一人の悪魔が在って、絶え間無く人間誘惑の罠を張っているというのである。この考えが頭脳に染み込んでいる人達は、ややもすれば我等の教訓を不思議がり、容易にこれに従おうとはしないが、これはまことに困った事である。

 宗教から一切の恐怖、一切の不安が引き離された時にこそ、地上の人類は、初めて安心立命の境地に立ち得るものと言える。 (モーゼス等が必要としている人物像について)

 向上心に富めるもの、自由な、吸収力に富めるもの、純潔にして善良なるものである。人間としてあせる心が何よりも悪い。静かに忍耐の心の緒を引き締める事が肝要である。

 取り越し苦労と、心配とは絶対に禁物である。出来ないことは到底できない。思案にあまる事柄は、すべて私達にまかせ、思いを鎮めて、よく我々の述べる所を味わってもらいたい。  なおここで、一言付け加えて置きたいのは、我等の教えは徹底的に一切の恐怖を、人の心から削除する事である。要するに我等の使命は、神と神の使徒に対して、全幅の信頼を置くべく、魂達を指導する事である。

※最悪の祟神、鬼神であるウシトラ金神の筆先に対し、王仁三郎氏が戦ったのは、少し述べているのですが、実に恐ろしげな筆先やら、人が感銘を打たれる様な内容やら、まったく出放題の感じの直女史の筆先に、王仁三郎氏が審神後に、随意削除・添削を行った事も述べました。そしてまた、王仁三郎氏の思想、つまり『霊界物語』は、面白おかしく楽しみながら真理を学べる内容となっている事も、述べました。

 これは今後の『型』つまり、今までの迷信・ドグマを消し去り、残るべき部分は残し、新たな真理を加えて、人類の安心立命を達成するために行われた事ではないかと、そういう予感が致します。

シルバーバーチの霊訓

 はがねは火によってこそ鍛えられるのです。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそなのです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証しです。夜明けの前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験がなくてはなりません。

 そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善をつくし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。  暗い影、いわゆる悪が、いやしくも自分を犯すという恐れを、人は誰でも心から消し去ることが出来る。人は誰でも、神と神法の籠の下に生きるもの、また現に生きているものであるから。だから心に悪意が無ければ、よいことだけがある。善は善意のある処にだけ住み、霊界の何者も、神の使徒の他は、その人の傍に行かない。

 恐れることは何も無い。貴方を包み、支え、導き、気を奮い立たせる力こそ、実に神から発する力である。その力はどんな試練や困苦にあっても、貴方を支える。その力は嵐を陽光に変え、絶望に希望の灯を点じる。足はしっかりと進歩の道程に立ち、貴方は何も恐れる事は無くなってしまう。  神に対する完全な真と愛があれば、恐怖は無い。また知識があれば恐怖は起こらない、恐怖は無知から生まれるものだから。かくて、信と愛がある限り、恐怖のさし入る隙は無い。進歩した霊魂は、どんな場合にも恐れを知らない。

 彼は知っている、自分の人生に、自分で克服できない環境や経験はあるはずがないと。何となれば、彼は神性であるから。


ホワイトイーグルの霊訓

 人の内面の奥底には、信じ難いほどの完全な世界があります。人が恐怖・感情・心痛などに対し、自己統制が出来る様になれば、即ち平和の聖所に踏み入る様になれば、その世界の栄光を目にする事が出来ます。 ヨハネ黙示禄には、金色の往還と宝石をちりばめた門をもつ黄金の都市―新エルサレムのことが書いてあります。この都市は内的自我の記述以外の何物でもありません。

 ちなみに、ホワイトイーグルが黙示碌の新エルサレムとは、内的自我であると明言している様に、様々な啓示は全て霊的な解釈を施さないとならない様です。


- 内在の天国 -

何分にも、量が多いため、引用する個所が中々見つかりません。そこで記憶を頼りに、おおよその事柄を書きます。

 いかにも今の世が、悪のはびこる末の世だとしても、電信電話は発達して、汽車も出来、交通の便も昔には比べ物にならないくらい、楽になった。一夜の宿を請えば、暖かい食事と布団でもてなしてくれる。もし汝が死後に天国に復活したいと欲せば、まずその心内に天国を建設せよ。

-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-

●心くらくては何も判らん。世の中は暗う見えるであろう。真暗に見えたら自分の心に光ないのぢゃ。心せよ。自分光れば世の中明るいぞ。

● そなたは自分は悪くないが周囲がよくないのだ。自分は正しい信仰をしているのだから、家族も知友も反対する理由は無い。自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくないほうが正しい方へ従って来るべきだと申しているが、それは一方的な考へ方ぞ、外が善くて内のみ悪いと云うことないと申してあろう。内に有るから外から近寄るのだと申してあろうが。

●今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。現在を足場として境遇を美化し、善化して進め。そこにこそ神の光、よろこび現はれるのぢゃ。逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う。

●自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の道にあり、真実であるならば世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分に降りかかって来る一切のものは最善と思へ。如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。この道理よくわきまえて下されよ。神にとけ入れば一切の幸福得られるのぢゃ。

●世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと、このこと悟れば一切はそこから開けくるぞ。十のもの受けるには十の努力。

●この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあろう。

●何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ、内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼び寄せているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。

●悪くなると云う事ないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。

●内の自分を洗濯せずにいて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。自分の中にあるから外から近寄って来るのぞ。嫌なことが起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるのぞ。

●無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ外へひびくものがかわって来るぞ。かわって来れば、外から来るもの、自分に来るもの、かわってくるぞ、よくなって来るぞ。幸となるぞ。よろこび満ち満つぞ。神みちみちて天国ぢゃ。一歩づつ進め。一歩づつ絶へず進めよ。それより他に道ないのぢゃ。

●キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生まれるのざぞ、心配れと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キはよろこびざぞ、人間みなそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれきキはうれしキことうむぞ、かなしキはかなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、人間の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理判るであろがな。

 爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしいことになるのざぞ、ものはキから生まれるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。

●何事が起こってもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎へよ喜ぶ心は喜び生むぞ。

●今は今の姿が真実ぞ。そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。あるものそのものが真実であるぞ。そのあるものを拝み、祝福してそこから出発せよ。現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。喜びもとと申してあろうがな。

●何事に向かっても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始めはマネ事でもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが、病気で無いと思へ、弥栄と思へ。病治るモト生まれるぞ。キがもとぞ。何事来るとも何クソと思へ。神の力加はるぞ。恐れは恐れ生むぞと申してあろうが。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

シルバーバーチの霊訓

 どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけない。そして次のことをしっかり心に銘記して頂きたい。地上を住みよい世界に変えようとする人達は、最後には必ず勝つ。何となれば、彼等と共に在る力は、宇宙の至高の力であるから。  皆さんの魂に喜びが満ちていれば、それだけ皆さんは神に近づいている事になる。人は神。地上で、この貴方を犯すものは何も無い。このことを思い出しなさい。私が長年かかって、皆さんに教えたいと思ったのはこのことである。もし皆さんが物質に心を煩わしているなら、皆さんは、この教えを学ばなかった事になる。

 とは言っても、私は決して物質を無視せよと言っているのではない。人は物質の世界にあって自己を発揮し、またしかるが故に、人はこの物質世界に責任を負う者であるから。しかし、決して、人が神であり、神が人であることを忘れてはいけない。神のものである力、即ち貴方の中に在る力、この力あればこそ、貴方は如何なる物質にも勝って、それらに犯されるものではない。

 これがまさしく、一切の悪を退け、病気を克服して、あらゆる障害と闘うことの出来る力である。しかしこの力を用いる者の数は極めて少ない。昔イエスもこう教えている「天国は汝の内にあり」と。  人間は本来その内部に、病気を治し悩みを克服する力を持っている。つまり天国は内部にある。しかるに、人はこのことをほとんど知っていない。この大我に接する道は、神法に従って生きるより外に無い。しかるに、幾人がそれに従って生きているか。

余談ですが、王仁三郎氏は大本で活動をしている最中に、ウーピー神という得体の知れない神霊を崇拝し、楽天主義を標榜する「ウーピー教」という、怪しげな匂いの隠し切れない宗教を、開いた事があります。ウーピーとは、英語の隠語の様で、破天荒とかとてもハッピーとかいう意味を持つようです。

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