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超巨大カルト、バチカン研究:(6)「世界統一神権国家」への道のり(A)シヨン運動について
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 6 月 29 日 21:33:21: SO0fHq1bYvRzo

超巨大カルト、バチカン研究:(6)「世界統一神権国家」への道のり(A)シヨン運動について


久しぶりで「超巨大カルト、バチカン研究」シリーズを再開します。今までのシリーズで、バチカン、ユダヤ、米国がお互いに影を重ねあい、次第に一つの形に焦点を結びつつある様子が、見る人には見えてきたのではないか、と思います。

それは第1に、ローマが第2バチカン公会議以降、明確に方針として打ち出しているキリスト教統一と他の宗教、特にユダヤ教とイスラム教との「対話」(私はこれを『融合に向かうもの』と考えていますが)、その他の宗教の包摂であり、すなわち「世界統一宗教」への道のりです。

第2に、米国ブッシュ政権ではっきりと現れてきた「覇権を目指す神権国家」への方向性とそれをコントロールするバチカンです。それは古代ローマ帝国から神聖ローマ帝国を経て現代によみがえる、まさに人類史の悪夢とでも言うべきものでしょう。そしてそれが第1の「世界統一宗教」への道のりと重なり合ってきており、いずれ世界を統一する神権国家の様相を帯びていくのではないか、と予想します。

その二つを結びつける重大なファクターとして、今までにも強調しましたが、オプス・デイとユダヤが存在しています。ユダヤと言っても現在政治的に突出しているシオニストだけではなく、むしろロスチャイルドを代表とする国際ユダヤ資本の方が問題でしょう。

しかしその前に、今回は19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州カトリック内部に起こった「シヨン主義運動」について語ることにします。日本ではほとんど知られていないこの運動は、フランス革命のフリー・メーソンの思想に影響されて生まれ、やがて第2バチカン公会議、そしておそらくオプス・デイへとつながっていくからです。

同時にこれはまた、スウェーデンボルグの神秘主義からやがて世界連邦主義、ニュー・ワールド・オーダーへとつながる流れの中に置いてみて始めて理解できる事柄であるようにも思えます。

今回の投稿は少々長く、そしてやや退屈に感じるかもしれませんが、次回以降の内容にとって非常に重要な意味を帯びています。


また今までの「超巨大カルト、バチカン研究」シリーズは以下の通りです。
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/282.html
超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
超巨大カルト、バチカン研究:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/351.html
超巨大カルト、バチカン研究:(3)ユダヤ人教皇ヨハネ・パウロ2世?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html
超巨大カルト、バチカン研究:(4)「ユダヤ教カトリック支部」?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html
超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ
(参照)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/389.html
米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?
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超巨大カルト、バチカン研究:(6)「世界統一神権国家」への道のり
(A)シヨン運動についての研究


●シヨン運動とは

シヨン(sillon)とはフランス語で畑の畝の意味を持つ単語である。フランス語でもスペイン語でも「ll」の発音は日本人には非常に難しいのだが、例えば地中海に面する都市Marseilleは日本では「マルセイユ」とカタカナ標記される。およそ「ヤ行」に近いが(スペイン語では「ジャ」行に近く例えばチリの元大統領アジェンデはAllende)、このシヨンは特に英米人にはシオンとほとんど変わらない音に聞こえるらしく、シヨニズムsillonismがシオニズムと勘違いされたことも多かったそうである。ここでは「シヨン運動」と標記する。

これは大雑把にいうと一種のカトリック改革運動であり、1894年にこの運動の創始者であるフランス人マルク・サンニエ(Marc Sangnier)が創刊した機関紙ル・シヨン(Le Sillon)の名をとったものとされる。彼らはフランス革命の精神である「自由・平等・博愛」と社会主義思想に強く影響を受け、個々人の良心と友愛主義を元に自由で平等な社会を実現させるために、貧しい労働者や農民の中で生きて活動することがカトリック信徒の務めである、と唱えた。

彼らは階級制度を否定し、労働者や農民の生活を積極的に助け、人権と良心を最も重要なものとしてプロテスタント信徒と積極的な対話を進め、共和制度と民主主義を支持した。彼らの「キリスト教民主主義」はたちまち大勢の、特に若い信者たちを捕らえ、フランスの中で大きな運動となっていったのである。

しかしこの動きに伝統的なローマ教会に対する破壊活動の萌芽を見てとった教皇ピオ(ピウス)10世は、これを厳しく叱責し1910年に特別の回勅をまわしてシヨン運動を禁圧した。しかしこの運動の実態は見かけほど単純なものではない。


●シヨン運動の社会活動について

キリスト教がある種の社会主義運動と連動する動きは、カトリックのような強力な中央集権的システムを持たないプロテスタントの方に顕著だったことは言うまでも無い。例えば神戸灘生協(現コープこうべ)の創始者とされる賀川豊彦は熱心なプロテスタントのキリスト教徒だった。この賀川の活動のあらましを見ておこう。

下記のサイトから引用する。
http://www.co-op.or.jp/jccu/coop_shuppan/vtr02.htm
愛と協同  賀 川 豊 彦  企画 日本生協連渉外広報本部

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【引用開始、前略】

神戸港の打ち寄せる波、そして当時のスラム街…貧しい人々とともに生きようと、ここに移り住んだ賀川豊彦、大正初期100万部を越えるベストセラーとなった自伝的小説『死線を越えて』にあるように、ここでの青春の苦闘はのちの社会活動の出発点となりました。

労働組合運動、農民運動…しかし賀川がその生涯にわたって情熱を傾け続けたのは協同組合運動でした。賀川は大正9年購買組合共益社をイギリスのロッチデール公正先駆者組合を模範として設立、その後、神戸購買組合→神戸消費組合、また灘神戸組合と賀川の播いた協同組合の種子は育っていきました。

大正12年9月1日、関東大震災、賀川は東京本所にテントを張り、ボランテイアの人々を組織して被災者のために献身的に尽くしました。東京での協同組合運動は、この救援活動を契機として、それに続くセツルメントから生まれました。

賀川豊彦の協同組合運動は日本国内だけにとどまりませんでした。昭和10年、アメリカの政府の要請によりニューディール政策の一環として、全米各地で講演を行なっています。南米、オーストラリアなど、またインド、中国などアジア各地にも及んでいます。

【後略、引用終り】
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★この中の『昭和10年、アメリカの政府の要請によりニューディール政策の一環として、全米各地で講演を行なっています。南米、オーストラリアなど、またインド、中国などアジア各地にも及んでいます。』という部分には注意が必要だ。これが「ニューディール政策の一環」であり、その賀川は第2次大戦後にマッカーサーに協力して日本の米国化とキリスト教化に奔走したのだ。そしてその動きは世界連邦主義カルトに包摂されるものである。(なお、賀川が種を蒔いた日本の生活協同組合運動のかなりの部分を現在まで日本共産党系の人々が担ってきていることは興味深い。)

シヨン運動自体の記録は非常に少ないのだが、おそらくこの運動に携わった者達も賀川と同様の活動から始めていったのではないだろうか。実際に彼らは自分たちの運動を社会主義とは呼ばずに協同組合主義と言ったようである。その運動が当時のフランスの貧しい労働者や農民たちの生活向上に対する情熱にあふれていたことは、この運動を禁止したピオ10世の言葉からもうかがえる。

以下は、日本聖ピオ10世司祭兄弟会の翻訳によるピオ10世の回勅である。
http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/pius_10_notre_charge_apostolique.html
『フランスの大司教および司教たちに宛てたシヨン運動に関する教皇聖ピオ10世の回勅』

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【引用開始、前略】

尊敬すべき兄弟たちよ、荘厳かつ公にシヨンについての私の考えを述べることを決めるまで、私は長く考えあぐねました。あなた方がこの問題について懸念し、私自身の心配をいや増すに当たって、ようやくそう決意するにいたったのです。と言うのも、私は真実、シヨンの旗印の下で戦う若者たちを愛しているのであり、また彼らは多くの点において称賛と感嘆とに値するからです。私はまた、彼らの指導者たちを愛しており、彼らが卑俗な情念とは一線を画する気高い魂を有し、最も高貴な熱意に駆られて善を追い求めていることを認め、かつうれしく思います。尊敬する兄弟たちよ、あなた方は、彼らが人々の兄弟愛の生き生きとした実現を求める熱意にかられていることを、同時に、彼らが私心のない努力をイエズス・キリストへの愛と宗教的義務の厳格な遵守とによって養いつつ、労苦し苦難を味わっている者らを探し求め、そうした人たちを立ち直らせるのを目にしてきました。

【中略】

そして実際、シヨンは労働者の間に、人々と国々の救いの印であるイエズス・キリストの御旗を掲げたのです。その社会活動を天主の恩寵によって養いながら、シヨンは事実、宗教に対する尊敬をもっともそこから心が離れている人々にも与え、無知で不敬虔な者らに天主の御言葉に耳を傾ける習慣をもたらしたのでした。また公開の討論の場で、質問や皮肉でつつかれた彼らが猛然と立ち上がり、敵対的な聴衆の面前で堂々と自らの信仰を公言するのを一二度ならずあなた方は目にしてきました。これはシヨンの最盛期であり、その明るい面のために、司教たちおよびローマ聖座から多くの励ましならびに認可のしるしを受けていました。当時はまだ、この宗教的熱意がシヨン主義運動の本当の性質をおおい隠していたからです。

【後略、引用終り】
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★現代でもシヨン運動の記録を掘り起こして、その理念を継ごうとするカトリック信徒がいる。例えばベルギーに本部のあるYCW(Young Christian Workers)などが典型であろう。しかし現在は特に目立ったものでもない。なぜなら、第2公会議以降、カトリック教会全体がある意味でシヨン運動と類似したものに変化したからだ。


●シヨン運動の本質

ピオ10世がどうしてこの運動を禁止したのか、その理由を見ていくことにしたい。ここにそれ以降現代までに見られるローマ教会の変化の裏にあるものが現れているからである。

先ほどのピオ10世の回勅からもう少し引用してみよう。以下、かなりの量の引用で、少々退屈かもしれないが、しかしよく注意して読めば、現在世界の宗教界で起こっている、また将来起ころうとしていることが、あぶり出しのように見えてくるのだ。ただし、それぞれの引用部分の最後にある(1)(2)などの番号は、後で行う説明のために私が記入したものである。

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【引用開始、前略】

まず第一にシヨンが教会の権威の裁治権から免れようとするという点をはっきりと取り上げておかなければなりません。事実、シヨンの指導者たちは教会とは別の領域で活動しているのだと主張しており、また自分たちは霊的な目的ではなく、現世的な目的を追求しているのであり、シヨン主義者とは単に自らの信仰から無私の働きのための力を汲み取りつつ労働者階級の向上と民主化のため熱心に努めるカトリック信者を指すに過ぎないと言っています。また彼らの言うところによれば、シヨン主義者とはカトリックの職人、農夫、経済学者、政治家に他ならず、それ以上でも以下でもなく、[したがって]シヨン主義者は社会一般の行動規範に従わなければならないが、さりとて教会の権威に特別に縛られるわけでもないのです。(1)

【中略】

実際のところを言うとシヨンの指導者たちは、彼ら自身そう言っているように、誰も阻むことのできない理想主義者なのです。彼らはまず第一に人の良心を向上させることを通して労働者階級を再生しようとしているのだと公言しています。彼らは自分独自の社会教説を持っており、また社会を新しい基盤の上に再構築するための宗教的ならびに哲学的原理を有しています。彼らはまた、人間の尊厳、自由、兄弟的博愛について独自の概念[考え]を持っています。そして自分たちが社会について思い描く幻想[に過ぎない考え]を正当化するために、彼らは福音を引き合いに出すのですが、それはあくまで彼らの流儀にしたがって解釈されたかぎりでの福音に過ぎません。(2)

【中略】

たとえ彼らシヨニストたちの教えるところに何らの誤謬がなかったとしても、個人および共同体を真理と善の真っ直ぐな道にそって導く使命を天から受けた者たちの指導をかたくなに拒むことはカトリック教会の規律の重大な違反です。しかし、先ほどのべたように、悪[の根]はさらに深く、弱者へのまちがった愛に流されて、シヨンは誤謬に陥ってしまったのです。(3)

【中略】

一方、シヨンの指導者たちは何をしたでしょうか。レオ13世教皇のそれとは異なる別のプログラムと教えとを採用したばかりでなく (このこと自体、すなわち平信徒が教皇と並んで教会において成される社会活動の指導者の地位を占め[ようとす]ることであり、著しく大胆不遜な企図と言わねばなりません) 彼らは社会の最も重要な諸原理に関して同教皇によって定められたプログラムをあからさまに拒絶し、そうして彼らは人民の中に権威を置くか、あるいは徐々に権威を廃止してゆき、自らの理想としているようにあらゆる階級を横並びにすることを図ります。彼らはカトリックの教義に対抗して排斥された理想へと進むのです。(4)

【中略】

シヨンの人間の尊厳に対する[熱心な]配慮には称賛に値するものがあります。しかし[問題は]彼らが人間の尊厳というものを教会が全く良しとしていない特定の哲学者たちの考え方に沿って理解しているという点です。この人間の尊厳の第一の条件とは、宗教に関することがらを除き、人は誰でも自律的[つまり誰でも自分の望むとおりに行動してよいということ]であるという意味での自由です。これはシヨンにとっての根本的な原理であり、シヨン主義に含まれる他の原理はみなそこから導き出された結論に他なりません。[シヨニストの説くところによると]今日、人々は自分とはまったく別の権威の保護下にあり、[したがって]彼らは自らを解放する必要があるのです。これが彼らの説く政治的解放です。人々はまた生産手段を握る雇用者に依存しており、彼らによって搾取、圧迫され、品位を落としめられています。[ですから]人々はこのくびきを払いのけなければなりません。これが彼らの説く経済的解放です。 最後に、人々は知識階級という、その本性上、巷の事柄を取り仕切るにあたって不当に大きな発言権を有している階層によって支配されています。人々はこの支配から離脱しなければなりません。これが彼らの説く知的解放です。この3つの観点に即した[階級的]区別の横並び的解消によって人々の間の平等が生まれ、そしてこのような平等こそ真の人間的正義に他なりません。自由と平等、という2つの柱 ――― そして今から述べる博愛がそれに付け加わりますが ――― の上にたてられた社会・政治的機構こそ、これがシヨニストらの呼ぶところの民主制なのです。(5)

【中略】

実際、シヨンは人間の尊厳の名によって、政治的、経済的、知性的な三重の解放を求めているからです。シヨンが作り出そうと励んでいる未来の国家においては、誰一人主人または下僕となる者はいなくなると言うのです。全ての市民は自由であり、皆が同志、皆が王となるでしょう。命令や戒律といったものは自由の侵害と見なされ、いかなる意味での上位者に対する服従も人格を損なうことであり、従順は不面目なこととされます。尊敬する兄弟たちよ、教会の伝統的な教えが示す社会的関係は、最も完全な社会におけるそれであろうと、このようなものでしょうか。他に依存し、不平等な被造物からなるすべての共同体は、その成員のはたらきを共通善へと向け、かつ法を制定するために権威を必要とするのではないでしょうか。そしてもし邪な人たちが共同体において見出されるならば ――― 実際、いつでもそのような人はいるものです ――― 悪辣な者らの身勝手さによる脅威が大きくなるだけ、権威はそれに応じてより強いものとなるべきではないでしょうか。また、もし自由が何であるかについて大きな思い違いをするのでなければ権威と自由が互いに相容れないということなどは、少しでも分別のあったら誰があえて言うでしょうか。従順は人間の尊厳に反しており、理想としては[自発的に]受け容れられた権威がそれにとって代わるべきだと教えることが誰にできるでしょうか。使徒聖パウロが、信徒らに全ての権威に服従するよう命じたとき、彼は人間の社会をそのあらゆる可能な段階において見越していたのではないでしょうか。(6)

【中略】

フランス革命の息吹は、そこ、シヨンを通り過ぎました。したがって、シヨンの社会教説は誤っており、その精神は危険きわまりなく、その教育は破滅的な害をもたらすものであると結論することができます。(7)

【中略】

シヨン主義者は、誰でも自分の宗教ないし哲学を保持してよいということにしました。彼らはカトリックと名乗るのをやめ、「民主主義がカトリックになるように」というスローガンの代わりに「民主主義が、反カトリックとならないように」 ――― それが反ユダヤ教、反仏教でないのと同様、 ――― と言うようになりました。そしてこのときに「より大きなシヨン」という思想が生まれたのです。未来の国家をつくるために彼らはあらゆる宗教および宗派の労働者に呼びかけました。これら労働者はただ一つのこと、すなわち同じ社会的理想を抱き、あらゆる宗教的信条を尊重し、そして彼ら自身を支えるべき何らかの道徳的原動力を携え持つようにするということだけでした。(8)

【中略】

近年、「より大きなシヨン」という言葉はもはや用いられず、新たな組織が従来どおりの精神と基盤をそのまま保ちながら生まれました。「活動に含まれる異なった原動力を秩序だった仕方でまとめるために、シヨンは依然として当の様々なグループに浸透し、それらのはたらきを照らし導く魂、精神として残る。」こうしてカトリック、プロテスタント、自由思想といったそれぞれ自律的な多くのグループが活動に取りかかるよう呼びかけられているのです。(9)

【中略】

嗚呼、以前は非常に明るい期待を抱かせてくれたこの組織、活き活きとして勢いがみなぎっていたこの流れは、現代における教会の敵どもによって利用されてしまいました。今やあらゆる国々で企てられつつある世界統一宗教を打ち立てるために、ある大きな棄教的運動の中のあわれな一支流と化してしまいました。そしてこの世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が立ち行ってゆけるならば)合法化された狡知と力の支配[する状態]ならびに弱者および労苦するものらの圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。(10)

【後略、引用終り】
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★ピオ10世がシヨン運動を押さえつけた理由は、(2)(5)(7)の引用文から判るとおり、何よりもそれが、フリー・メーソンによる自由・平等・博愛のスローガン、それに基づいて行われたフランス革命と共和制の賛美という、旧来のカトリックが憎んでやまない道を進む運動であったことだ。

それは(1)(3)(4)(6)で見られるように、必然的にフランス革命までのカトリック教会が必死に守ってきた教会と聖職者の権威を打ち倒すものだった。しかしそればかりではない。(8)(9)(10)にご注目いただきたい。

(8)の「より大きなシヨン」とはまさに第2公会議以降バチカンが懸命に推し進めているエキュメニカル運動と他宗教との「対話」路線に非常に近いものである。また(4)(6)に見られることは、教義と聖職者の持つ神秘性を無くし平信徒と司祭者との格差を廃止する第2公会議の方針およびオプス・デイの思想に通じる。そして(9)に書かれてあることはオプス・デイの方針とも一致しており、おそらく今後のバチカンが進もうとしている道に極めて近い形であると思われる。(2)に見られるように個人の「良心」をベースにして他宗派・他宗教そして無神論者をも取り込む点もオプス・デイと同様である。

またその全体を通してのより「左派」的な面は、アメリカ大陸のイエズス会の「解放の神学」に近い。いずれにせよ20世紀後半になってこのシヨン運動の持っていた各側面がカトリック教会全体に顕在化し根付いていくのである。

そしてピオ10世はこの動きの中から「世界統一宗教」に進む方向性を敏感に感じ取り、(10)の中で次のような見事な予言をしている。

『そしてこの世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が立ち行ってゆけるならば)合法化された狡知と力の支配[する状態]ならびに弱者および労苦するものら(へ)の圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。』

もちろん私はカトリック教会がどうなろうと一切同情する立場には無いし、旧来のカトリック教会がとってきた社会矛盾に対する態度にも賛同する気はさらさら無い。しかし私が現在予感していることがすでに1世紀近くも前に予見されていたことに驚きを禁じえないのだ。

その「世界統一宗教」にまで至る道の出発点は、(3)の引用文にあるように、『しかし、先ほどのべたように、悪[の根]はさらに深く、弱者へのまちがった愛に流されて、シヨンは誤謬に陥ってしまったのです。』という点であろうが、シヨン主義とそれに対するバチカンの思想に対する論評はここでは行わない。別の機会に譲ろう。


●[神秘主義→世界連邦主義]とシヨン運動

もう一つ、日本聖ピオ10世司祭兄弟会からのシヨン運動に関する評論からも引用してみよう。
http://fsspxjapan.fc2web.com/ecu/sillon.html
『シヨン運動について』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【引用開始、前略】

彼らが言うには、「カトリシズムとはまず生活であって、宗教体験が我々のガイドである。キリストは証明されるというよりむしろ体験されるものである。」
これらすべては、プロテスタントの無秩序から出て「内的インスピレーション」という別の原理へと導かれています。

【中略】

1907年2月、オルレアンでのシヨンの会議で、サンニエは彼の計画を明かします。それはプロテスタントや自由思想家たちも参加が可能なようにシヨンを大きくすることでした。自覚があろうと無かろうとキリスト教精神に基づいているすべての力を結集し、「精神的一致の新しいセンターを実現させる」ことでした。
 私たちと同じカトリック信仰があろうと無かろうと、「キリスト教的理想」に本当に基づく人々は、民主主義に、正義と兄弟愛の本当の意味をもたらすことができる、とサンニエは考えました。
 “宗教”というものは、もはやその時、教会が教えを垂れて、教会を通して受け入れるものではなくなり、個人個人のうちに息吹く「霊」が“宗教”となるのです。

【中略】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★シヨン運動がその1世紀ほど前から現れたスウェーデンボルグなどの神秘思想の影響を強く受けていることを思わせる。それはやがていくつかの秘密結社とシオニズムの介在もあり世界連邦主義へとつながっていくものであるが、このシヨン運動とそれ以降カトリックに起こった変化、オプス・デイの突然の登場などの事実を見ると、その舞台裏にただならぬ気配を感じる。

(参照)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/397.html
投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 5 月 01 日 01:47:21
鈴木大拙氏←但し、キリスト教神秘主義エマヌエル・スウェーデンボルグ氏と接点
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/398.html
投稿者 HAARP 日時 2005 年 5 月 01 日 16:31:41
鈴木大拙は世界連邦運動の提唱者であり、NWOカルトに利用された
【注:ここにも賀川豊彦が登場する。】


引用を続けよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【中略】

どこに行くのかもしれないシヨンが何かをつかむためには、サンニエの後をしっかりついて行かねばなりませんでした。言わば、サンニエ『先生』の“専制”絶対が敷かれたのです。
 シヨン運動の信奉者の一人デグランジュ神父は、それを離れる前にこう言いました。「シヨンは、熱烈な共和制支持、民主制支持を宣言するが、その内部では、最も完全な絶対君主制が組織されている。」「シヨンはサンニエの排他的な権威に服している。…彼こそが新聞、雑誌、本部の唯一の持ち主である。支部は少しずつ管理手段を奪われている。」 サンニエの独裁の元で、シヨンは少しずつ左傾していきます。
 シャルル・モラス(Charles Maurras)は、かつてラムネーの思想に取りつかれたことがあったので、シヨン運動がどこに行くかすぐに分かったそうです。モラスは、サンニエに対して、教会のローマ性を擁護しました。
「もしかしたら、この霊的社会(教会)には一人の頭があり、それをあなたは力が強すぎると思っているかも知れません。あなたは、3千9百万の指揮官と、多かれ少なかれ散り散りになった幾億の神経組織の方が、それぞれが自分の幻想を「天主がそれを望む」によって合法的に実現させることのできる多くの頭たちの方をお好みかも知れません。しかし、あなたはこの無秩序におびえ、教会を認めています。ただあなたは教会の頭が外に[ローマに]あることを残念がっています。あなたはフランス語でのミサや晩課を、ローマの権威から完全に離れた聖職者を、希望していますね。そうなったら、必ず残念がるでしょう。『ローマ』が廃止されることは、このローマとともに、聖伝の一致と力をが(ママ)失われるでしょう。カトリック信仰に関する書き物の記念碑[聖書のこと]は、ローマから取り上げられた宗教的影響を受けることになるでしょう。直接にテキストを、特に書簡を読むでしょうが、もしローマが説明しなければ、ユダヤ的であるこの書簡はユダヤのようにふるまうでしょう。」
「ローマから離れることによって、私たちの聖職者はますますイギリス、ドイツ、スイス、ロシア、ギリシアの聖職者たちのように変わって行くでしょう。彼らは司祭から「牧師」「福音の僕」になり、ますますラビニスムに近づき、少しづつエルサレムへとあなたを導いてしまうでしょう。」

【中略】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★この引用部分の前半に書いてある「外部に向けては自由・平等・民主主義、内部では絶対君主制」というのは、現在ある大規模なカルト集団におよそ共通する特徴だろう。後半の部分は注目に値する。

『もしローマが説明しなければ、ユダヤ的であるこの書簡(新約聖書にある聖人たちの手紙、および黙示録)はユダヤのようにふるまうでしょう。』『彼らは司祭から「牧師」「福音の僕」になり、ますますラビニスムに近づき、少しずつエルサレムへとあなたを導いてしまうでしょう。』

一時はサンニエと行動を共にしたシャルル・モラスは、見事にこの運動の本質を見抜いている。ユダヤ教は聖書(いわゆる旧約)以上に歴代のラビたちの書簡や指示に依拠しており、このままでローマの絶対的権威を否定するならば、キリスト教自体が『エルサレムへと』導かれていき、シヨニズムがシオニズムにつながっていくことを予見しているのである。

ついでに言うならば、いわゆるシオニズムは単にユダヤ人による「イスラエル建国運動」の枠には収まらない、もう少し別の筋からの流れがあるように思える。(現在の私にはまだ詳しく語れるだけの知識は無いが。)

もう一つ続けよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【中略】

シヨニストが司教たちをどう見ているかということを、聖ピオ10世は司教たちに描いて見せます。
「『あなたたちは時代遅れである。彼らこそが将来の先駆けである。あなたたちは、階級制度・不平等・権威と従順・古い制度を代表しており、彼らはそれらに屈することができない。』青年達はこう教えられている。『19世紀以来、教会はまだ、この世においてその本当の基礎のうえに社会を建設することに成功していない。教会は、権威・自由・平等・兄弟愛・人間の尊厳についての社会的観念を理解していない。偉大なる司教、偉大なる国王は、フランスを造り栄え高く統治したが、その人民に本当の正義、本当の幸福を与えることを知らなかった。なぜなら、彼らはシヨンの理想を知らなかったからである』と。」

【後略、引用終り】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★そしてバチカンは第2公会議で平信徒と司祭の間の垣根を取り去った。以前はローマによって決められたラテン語によるミサが行われたのが各国語で行われるようになり、それまで聖別されたうえで司祭の神秘的な手によって信徒の舌の上に置かれていたホスチア(キリストの聖体を象徴する小さなパン)が、信徒自身の手によってつかまれ自分の口に放り込まれるようになった。旧来のカトリックから見れば「悪魔主義の儀式」以外の何物でもないであろう。

信徒個々人が生まれながらにして持つ「尊厳」をローマ教会の権威よりも上に置くならばそのような改革も自然のことである。オプス・デイの登場と第2バチカン公会議は、いったんは滅びたかに見えたこのシヨン運動の勝利、と見なしてもよいだろう。(文字通りの守旧派である聖ピオ10世司祭兄弟会は明らかにそう考えているようだ。)

恐らく、ピオ10世がシヨンに関係した者を全員破門にしなかったのは、彼の最大のミスだったに違いない。他の英語などの資料を読むと指導者のサンニエはピオ10世の処分に従うことによってほとんど致命的な打撃を受けてしまったそうだが、しかしシヨンは死んでいなかった。それどころか、形と表現を変えて米国と欧州に広く深く拡大していった。この裏にはたぶん、フリー・メーソンやマルタ騎士団、シオン修道会などのカルト結社、そしてユダヤ・シオニズムとそれらをつなげるロスチャイルドなどのユダヤ資本があったのではないか、と推測される。


次回は『「世界統一神権国家」への道のり:(B)シヨンからオプス・デイへ』と題して、オプス・デイの特に思想面を中心に、この二つの運動に見られる共通点とその方向性についての研究を行なう予定である。

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