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Re:必死なのはどっち?
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/271.html
投稿者 影の闇 日時 2010 年 7 月 04 日 15:17:33: HiXvZf/FmwPNU
 

(回答先: 必死だね_俺は忙しくてアホの相手してる暇無いんだけど 投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 04 日 00:41:50)

>まず僕がコピペした記事と僕の意見を混同して貰ったら困るんだよね。

だったら、予めそう断わるか、コメントを付けておくべき。 何も無い限り、同じ意見・立場と見做すのは当然。


元々これは、日本の対米開戦の理由を「中国ゲリラに勝てない事が誰の目にも明らかになったから」と、トンデモ説をオマはんが吹っ掛けてきたことに始まる。
「昭和天皇の考え方が全くわかってない」と資料的・具体的根拠は示さないまま、「 このままいったら日本に革命が起きる」→ 「日本のマルクス主義者がソ連と内通して、ソ連が日本に宣戦布告する」→「 ソ連が日本を占領したら天皇家は廃絶、自分は戦犯として殺される」と、三段論法ならぬ「風が吹けば桶屋が儲かる」式の「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たトンデモ論理」

何故トンデモか? 対米戦に突き進む41年後半段階で、独ソ戦はドイツの圧倒的優位の下に在り、ソ連の軍事的敗北は時間の問題とさえ言われていたからだ。 つまり、「ソ連が日本に宣戦布告」も「ソ連が日本を占領」も、少なくともこの段階では、客観的な可能性は全く無く、日本にとってもリアリティゼロだったのだから。 そうでなければ、何故対ソ戦用の関東軍主力を南方戦線に送るようなまねが出来る? 

そもそも、「中国ゲリラ」ーつまり八路軍だなー自体、国民政府翼下の国民革命軍の一部隊だ。 そしてその国民政府(蒋介石政権)は米英が支援している。 日本が関東軍主力を南方戦線に送ったのは、米英による「援蒋ルート」の切断をも目的としておる。 もし、オマエが言う通り、「中国ゲリラ」の方に脅威を感じてるのであったら何故こんな作戦をする? 日中戦争下の日本軍と「中国ゲリラ」の戦闘は全期間通じて10万回、死傷者は日本軍40万人、つまり1回当り4人の殺傷ーこれが果たして「戦闘」と言えるものかい? 他方、国民党軍は連戦連敗。 それでも降参しないのは「支援ルート」があるからだという事で、その切断に向かったということ。 一体何処に「中国ゲリラ」を恐れての作戦行動というのがある? 
しかも「中国ゲリラ」なんて、その段階で一体どれだけ居たと思ってるの? 繰り返すが、「勝てない」ということと敗北とは違うぜ。 その何よりの証拠に、中国戦線に派遣されていた当の日本軍自体に、勝てなかったという消耗感はあっても、「負けた」という実感は無いのだからな! つまり、個々の戦闘では勝ち負けがあっても、全体として観れば膠着状態にあった。 ”何処まで続く?ヌカルミよ”というやつだ。

そこからどうして、如何なる根拠で、41年後半段階で、日本での「革命」勃発が予想され得るのだ? −全て妄想の所産というしかない。 

>当時の革命は江戸時代の一揆ではなく名目上は共産革命だから、革命に参加した民衆は名目上はマルクス主義者になるのさ。

エート、41年段階で、「当時の革命」って具体的に何を指すの?(笑) 「革命に参加した民衆」って、いつの、どの運動や組織を言ってる?(笑)

妄想でなければ、具体的に言えるわな(笑)


>日本人が革命を起こす元気が無くなるまで徹底的にアメリカに日本爆撃をやって貰おう
> アメリカ人に恨まれたら困るから故意に負ける作戦を取ってルーズベルトの心証を良くしておこう、日本兵が革命を起こす気力が無くなる様に無謀な攻撃をさせてクタクタに疲れさせよう


エート、41年段階で、上記の様な予想をしていたという資料的根拠は? 妄想でなければ、具体的に言えるわな(笑)

>昭和天皇は南京大虐殺の命令者だというのが中国側の見解だ。

ホウ、で中国側の誰の見解かね?(笑)  中国側判事の梅汝コウは「松井石根が南京大虐殺の総指揮者」としておるが、一体誰の「見解」か言ってもらえるかな?(笑) 所謂「天皇の戦争責任論」自体蒋介石自体は消極的だったのだし、梅汝コウの立場も、アメリカの意図を知った上での、政治的駆け引きと考えるべきだからな。


>日本は金自体が無いからアメリカとは事情が違うのさ。


ホウ、革命が起こるのは「金が無いから」なのかww
ではその「金が無いから」起きた「革命」とやらを具体的に指摘してもらえるかな?
但し、オマエさんのモーソーなり思い込みではなく、それなりの客観性があることを示す為、それに関して同様の見解を述べてる説なり人物を挙げてもらえるかな。w
どうやらオマエさん、必要条件と必要十分条件との違いも知っているようには見受けられないのでな。


>アメリカの大恐慌は所得税の累進課税を無くしたのが原因で起きただけだから、国全体の資産は幾らでもあったのさ。


今度は、30年代と70年代のゴチャマゼかい?ww
それに、70年時代にはとっくに、いわゆる”双子の赤字”は深刻化しているんだけど。
で、オマはんの金の有る無しとは、具体的には何を指してるのかね?


>中国が植民地化だというのはマルクス主義の理論じゃない。
>中国を巡ってアメリカと日本が戦うのは強国同士の縄張り争いだ。

すり替えw 「帝国主義同士の縄張り争い」というのは「帝国主義論」(レーニン)のテーゼのはずだがww


>あなたは経済の知識がゼロなんだね。

そうかい(笑)
「中国に侵略するのは中国を植民地にする為」なんて珍説を述べておるので、基本が出来ておるのか疑問に思えたのでな。
なんぼのモンか、確かめさせてもらうことにしたよw

そも何故、第一次大戦後、西欧列強の「植民地主義」を批判して米ソが登場して来たのか?−その意味が解りますかな?
このウィルソン(民族自決)ーレーニン(民族解放)的パラダイム(枠組み)−後にヤルタ体制として結実するーが20世紀を支配するのだから、その歴史的意味が分かっていれば、アメリカが「中国を植民地にする為」という珍説は出て来ないはずだがw
その辺の処をオレは「大英帝国から米国への覇権交代、乃至アメリカの登極は、「民族の自立=解放」の<民族>を<個人>単位に置き換えることで<民族>を不能化するものであった」(文明の隠喩としての<病>)と言ったのだったがな。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/261.html


>昔は植民地として軍事的に支配しなければ搾取できなかったけれど、戦後は資本主義の発達で、

ww フィリピンの独立(第一共和制)は戦前だろ。(34年)


>外交というのはイデオロギーとは関係ないのさ。自国に得になれば敵同士でも一時的に同盟関係になるのは常識だ。

ww これはヤルタ体制という結託=争覇の戦後支配体制を押さえてるかどうかだ。 
 

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コメント
 
01. 中川隆 2010年7月04日 23:37:45: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q
あほらしいから簡単に書こうか。

あなたは本質がわからないから細かい言葉だけに捕らわれるのさ。

アメリカが原爆を落としたのはソ連を牽制する為、

アメリカが朝鮮戦争を起こしたのは日本を共産化させない為

昭和天皇が一番恐れていたのは革命なのさ。


これでも読んでね:


南京大虐殺の真相


野田典吾(1915年11月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 連隊本部

 上海の白茆口に上陸した時すぐ松井石根大将が、

この地方は共産党思想が強いのであらゆる者は殺せ

と指示したと聞きました。その時、野田聯隊長がそれを聞いてだめだと言ってました。十七日の入城式は朝香宮が南京に入ってこられましたな。『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P77


安藤猛治(1915年4月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 大隊砲

 上海から南京までの間には、共産党が多かったんで、あんまりいい命令は出なんだな。

「見付けしだいにやっちまえ」ちゅうようなことでな。じかに聞いた話ではないけども、そんなふうに感じたな。

『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P208


徳田一太郎(1914年6月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第2大隊

 南京に向かう途中どこの戦闘だったかは忘れたけれど、部落があってあそこに共産党がいるということで、上から

「負傷者に関わらず全部共産兵なので、全部殺せ」

と命令してきたんです。それで部落に火を点けるとな、後ろから煙が上がってきました。その中から「オギャーオギャー」と赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P135


鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、
南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。
するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。

北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。 だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。

皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre

もと陸軍中将、第59師団(衣部隊)の師団長だった藤田茂氏は、八路軍と
戦った自分自身の体験から次のように述べています(季刊『中帰連』第16号)

俺は衣部隊の師団長をやっていたが、山東省の解放地区では八路軍にほとほと手を焼いた。当時の判断を言うと、俺はあと一年と山東地区では日本軍はもつまいと思っていた。衣部隊全滅を覚悟していた。

討伐に行くと八路軍は逃げてしまって、こちらの損害ばかり積み童なってゆく、とうとう旅団長一人は狙撃されて戦死だ。

(中略)実際問題として、ソ連相手の北進を命じられた時、私はほっとした。ゲリラ戦で次第に戦力を消耗させられるよりも、満蒙で大いに戦った方がすっきりするという感じだった


藤田氏は、八路軍と日本軍の違いについて、こう述べています:

日本軍に昔から苦しめられてきた住民にとっては八路軍はまるで後光がさしている軍隊に見えるわけだ。

家を出てゆく時には、瓶に水を一杯くんで、全部掃除をし、塵ひとつ残さんようにしてゆく、昨晩の泊まり賃も置いてゆく、食物代もいくらいくらと精算してゆく、子供はいたわる、老人は大切にする。

こんな軍隊を私は見たことがないわけだ。日本軍が行けば、銃剣で脅かして、
米を出せ、麦を出せ、薪を出せ、出さぬと家に火をつける、女は強姦する、
手がつけられない。当然、八路軍さまさまになってしまう。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/nicchuu-hachiro.htm

昭和天皇が一番恐れていたのが共産勢力だというのがわかったろ。

また、日本兵が証言している様に南京大虐殺は勿論昭和天皇が直々に命令してやらせたものだ。 中国人が書いたHPでもそう書かれていたから、それがその当時の常識だったのさ。


02. 偽の友をあばけ 2010年7月05日 20:17:21: XxD1rrfsbD1ZU: 3MJ9E6PnaM
>>01
中川センセ、センセの努力に対して冷や水を浴びせる行為になるかも知れまへんでえろうすんまへん。
影の闇はんはアホではなくて聡明なお方やとワシ思いまんねん。中川センセに比べるとほんの一歩だけ劣るんは
発想のあるなしの違いに行きつくんとちゃいますやろか?影の闇はんには「そこまで悪に撤し切れる存在」が
想像できへんくらい温情ある両親やら職場環境やら人間関係やらのもとで育はったんで、理解の範疇外な世界の出来事やと思いまんな。
ワシは半世紀以上も前からgataroはんのリアル関係者にやられておりますさかいに体で中川センセの投稿が感覚的でんが理解できますんや。

03. 2010年7月05日 20:50:51: wC1asiDUw6
あほらしいから簡単に書こうか。w


>あなたは本質がわからないから細かい言葉だけに捕らわれるのさ。


何だ、何一つ、まともに、具体的に答えられなくて、結局、本質顕現論風のすり替えかい。(笑)


オマはんのギロンの特徴は、スタンスが極めて平面的、信じられない程にね。
より本質的に言うと、<歴史観>とか<歴史感覚>というものが丸っきり消失している。
そして、物事の多面性というのを知らないから、一面的にしか捉えることが出来ない。

時代背景をすっ飛ばし、それぞれの諸関係は無視して、 一体いつの事


>アメリカが原爆を落としたのはソ連を牽制する為、

45年の「原爆投下」の段階で、それ自体間違いではないだろう。
だが、より正確に言うと、大戦後の世界でリーダーシップ或いはヘゲモニーを確立する為といった方が正しい。
何故ならそれは、やがて<敵>になるソ連に対してばかりじゃなく、味方陣営にも突き付けたものだったからだ。
それが数年後に現れる<冷戦体制>という意味だ。

>アメリカが朝鮮戦争を起こしたのは日本を共産化させない為

これは、例えば「日米戦争」と同じ意味で使ってるわけ?
史実から言えば、その前年の中華人民共和国成立に刺激を受けた北朝鮮金日成が始めたことは明らかなのだが。

>昭和天皇が一番恐れていたのは革命なのさ。

いわゆる「近衛上奏文」が表してる通り、それが45年、昭和20年のことであるなら<真実>ではあろう。
だが、それが41年、昭和16年のこととなると、有り得ないというしかない。
昭和20年の<真実>をもって昭和16年の<事実>に置き換えることは出来ないのだ。
天皇とはそういうものーで片付けるわけにはいかないのだよ。

何故なら、天皇とは国家機関だからだ。 昭和天皇自身「天皇機関説」の信奉者であったことは周囲の証言もある。
即ち<国家意思>の体現者であって、<独裁的権限を有する者>ではないのだ。
天皇の行為は私的行為ではなく、必ず、国家と一体化していなければならない。 オマエさん、何か、天皇に蓄財意識が在るかに想ってるようだが、お金の使い方さえ分からないのに、そのような私的欲求なんて存在するはずないだろ。


>日本兵が証言している様に南京大虐殺は勿論昭和天皇が直々に命令してやらせたもの

これって、「上官の命令は朕の命令と心得よ」という軍人勅諭が第一線でどのように機能しているのか、ということだろ。
即ち、普通の市民感覚とか人間としてとてもじゃないが出来ないことでも、「天皇の命令」であれば出来るという。
でもそれが、直ちに、「天皇の命令」とイクオールになるかというと、当然、ならないんだな。

何故なら、もし「昭和天皇が直々に命令してやらせた」となるなら必ず「奉勅命令」となってるはずだから、上海派遣軍とか中支那方面軍の「作戦命令」の中に出て来なくてはならない。 天皇が口頭で、若しくは私的に、又秘密にして、個別作戦に介入するなんて有り得ないのだぞ。

第一、もしそのような「奉勅命令」が出ていてとするなら、松井石根大将が、事件の後、部隊員の居並ぶ中、”お前達は何ていうことをしたのだ、、、折角皇威を輝かしたのに、兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、、、”と、軍総司令官として泣いて怒ったことは、明らかに「命令」に異議を唱えたことになり、天皇の命に背いたことになるではないか。

この「南京事件」でその責めを負わされさ松井氏が、処刑の前に語った「私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね」という発言は、この「命令」が師団長レベルのモノであったことを示しているのだ。

そもそも、考えてみるがいいー天皇は、「共産勢力」が多いの少ないの、現地の情勢がどうしたなど、一体何によって知るのだ? 天皇直属の「情報機関」なんて無いのだぞ! 勿論、テレビやインターネットも無い。(笑) 精々大本営会議等、「御前会議」の際に軍部からもたらされるくらいだろうが、それは、当然、軍部のフィルターがかかったものだ。
現地情勢の細かい部分を知った上で、直々に命令を下すーなんて有り得ない、こんな初歩的なコトさえ踏まえていないのだから、呆れるw

>。ヨ共産勢力」

これって、2ちゃんねる等での「工作員」と同じ意味だろう。

当時、国民党軍と共産党軍(八路軍)は戦闘区域はハッキリ別れており、特に上海や首都南京のある江蘇省は国民党軍が押えていたからだ。 抗日統一戦線を組んでるからといって、この両軍は互いに警戒し合い、内ゲバもしょっちゅうだったのだから、殊にこの江蘇省での共産党の主張する「遊撃戦術」(つまりゲリラ戦ね)は厳しく抑えられていたはずだ。(国民党本拠地なのだからな!)

では、日本軍兵士の見た「共産勢力」とは何か? ー中国人の<敵意>だ。
即ち、日露戦争の時には無かった(無関心だった)日本軍に対して芽生えた中国人の「抗日意識」=<敵意>ー<敵意>に囲まれてるという感覚が、至る所に、一般人に混じった?(見分けのつかない)<敵>を見出していったということ。

それが嵩じてくると、自分と異なる意見の持ち主を「工作員」と感じる2ちゃんねる状態になるわけ。

影の闇


04. 2010年7月05日 20:54:15: wC1asiDUw6
>時代背景をすっ飛ばし、それぞれの諸関係は無視して、 一体いつの事

(追加)
一体いつの事を言ってるのか、自分でも分からない、というかどうでもいい。


05. 偽の友をあばけ 2010年7月05日 21:01:20: XxD1rrfsbD1ZU: 3MJ9E6PnaM
>>03
影の闇はん、阿修羅部落民を治療しはる投稿を今回もなさはってくだはってまいどおおきにです。
影の闇はんの投稿は「正統派啓蒙思想」に基づくもんでおますさかい、インターネット部落民型鬱病の予防になって助かりまんな。

06. 中川隆 2010年7月05日 22:10:45: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q


あなたは やはり真正のアホだ。 というより直観力が全くないから末梢しか見えないんだね。

軍人は毎日天皇のご機嫌伺いをして、天皇の言葉通りに実行しているから、御前会議で決まる事はすべて天皇の意思なのさ。

広田弘毅の今生最後の言葉 「天皇陛下漫才!!!!!! 天皇陛下漫才!!!!!!」

の意味を教えてやるよ。こういう事なのさ:


内閣特別顧問の石原莞爾――退役した満州戦略家――は、敗戦の説明をおこなうため、全国の津々浦々を行脚した。

彼の話す内容は、戦争を始めたのは元首相東条であり、彼以外に責任はない、という単純なものであった。

1930年代初め、石原と東条は、天皇の支持を取り付けるため互いに争っていた。だが東条が勝利していた。今、東条を犠牲者に祭り上げるにあたり、石原ほど詳細を知るものはいなかった。

出身地東京で一年以上の退役生活を送っていた東条は、その中傷を冷徹に受け入れ、戦争の責任を全面的に負うのが自分の意思であると、友人たちには内々に語っていた。

友人たちは彼の意思を尊重したが、以前の部下や下僕たちはそれに反発した。たとえば、官邸に20年間使えてきた給仕は、東条を、もっとも人間的で思慮深い人物であると述べていることが幾度も取り上げられていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_3a.htm


1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は限度を越えていた。

東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。
彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた。


アメリカの検事、ジョン・W・フィエリーは、刑務所で東条に尋問し、彼のケースの複雑さの一部始終を知っていた。そこでキーナンは、東条を法廷で審問し彼を正しく導くことは、政治的栄光を獲得することでもあったため、フィエリーを左遷することに決め、東条の反対尋問を自らが行った。

 1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」(144)


東条 

そういう事例はもちろんありません。
私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においておや。


 ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

 裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、よく理解できるはずである。


 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。

だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。

次いで松平は、同僚の側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。

彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。木戸はまた、刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。

小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

1945年9月25日、裕仁は、外向きな人としての歩みを開始した。 裕仁はその日、二人のアメリカの海外特派員との10分間のインタビューを受け入れた。宮内庁の謁見の間に案内されて、 ニューヨークタイムスのフランク・クルックホーンは、

東条が天皇の意志に反しかつ国の命令を誤用して宣戦布告以前に真珠湾を攻撃したとの意を、天皇の言葉より理解した。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_3_4.htm


1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。

「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に
十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。

ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて戦争が行われているのでは無い事、

東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。

天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、
自分だけ生き延びたのである。

戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、
政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、
この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49704032.html


07. 偽の友をあばけ 2010年7月05日 22:40:27: XxD1rrfsbD1ZU: 3MJ9E6PnaM
>>06
中川センセ、陰謀論者を装った本の題名で歴史マニアに売り込みの体制をとられはった赤間剛センセ的な見方は不合格でっしゃろか?
大室裕仁はんもまたフリなんとかちゅう組織の日本支部長にすぎしまへんさかいにガス室虐殺のアイヒマンはんと同じで
「命令によって殺ったまでだ」ちゅう可能性でんな。大室寅之祐はんの突然死とか大正天皇はんの病死を目の当たりになはれて
日本人の特徴としてでっせ、強い者に弱くて弱い者に強い大室裕仁はんの生き様がフリなんとかに買われて生き延びたんとちぃますやろか?

08. 2010年7月05日 23:19:48: wC1asiDUw6
バッカだねえw

>天皇の言葉通りに実行しているから、御前会議で決まる事はすべて天皇の意思

そういう<体裁>を採るということだろうが。
それの論理が末端での「朕の言葉」まで貫通してるということじゃないか。>>1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語

例えば、大相撲千秋楽の優勝者への表彰で、表彰状に書かれた総理大臣の文句は(例えば管直人でもいい)彼個人の主体的な<思い>かい?違うだろ。 東条の場合も同じ。 それは「勅語」という形式、スタイルだ。

>東条が天皇の意志に反しかつ国の命令を誤用して宣戦布告以前に真珠湾を攻撃

これも国家意思=天皇の意思なのだから、真珠湾攻撃=国家意思=天皇の意思ということだろうが。 しかしながら、それではマズいから、(あたかも天皇に別の(主体的な)意思があったかのように)装った、ということ。

それをオマエは、逆の方から(あたかも天皇に別の(主体的な)意思があったかのように)見ているだけ。


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