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サイレンススズカ スピードの向こう側へ _ 速さは自由か孤独か
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/497.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 6 月 25 日 21:09:07: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 伝説のツインターボ _ その時、馬に神が宿った 投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 02 日 22:08:19)

逃げの美学
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=WDRhe4yKBlw&feature=related


•スズカは俺の心の中でいまだに走り続けています。

あの4コーナーから今もずっと・・・。

ttdefdpteecpch 2 年前 3


•サイレンススズカの走りかたがとにかく綺麗。

他の馬と比べてブレがなく、無駄の無い走り。だから早いんだろうね。

BGMがマッチしていて、涙がこぼれました!

reincarnation40 2 年前 5

•もう十年以上経つんですね。 美しくて、速くて・・・ただそれだけで大衆を魅了した馬でしたね¬。

秋天はどれだけ離して勝ってくれるのかビデオを録画して見ていま¬したが、まだ一度も見ることなく、思い出と共に押し入れの奥にし¬まっています。

間違いなくサンデーの最高傑作。

ディープ世代の連中に見せてあげたい。ひと目見たら言葉はいらないいでしょう。

takahashikentaro 3 年前 4


______

サイレンススズカは逃げ馬ではない。

だれからも、どこからも逃げる必要などなくて、

だれよりも速く、どの馬よりも早く、もっと先に広がる未来を目指したのだった。 

−柏木集保

http://umaroda.jpn.org/cgi/up/img/umaroda13583.jpg

1997年 サイレンススズカ 4歳新馬戦
http://www.youtube.com/watch?v=ng5uF4ESTBY

1997年弥生賞
http://www.youtube.com/watch?v=v-JN3wmsd9Y&feature=related

1997年 サイレンススズカ 500万下
http://www.youtube.com/watch?v=L947kkqa4U0&feature=related

1997年 プリンシパルステークス
http://www.youtube.com/watch?v=BQu3IqCOiWw

1997年日本ダービー 
http://www.youtube.com/watch?v=u_vqJTRyoRY
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2751461
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13779792

1997年 天皇賞-秋
http://www.youtube.com/watch?v=7RdQLRM6GDs
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10634258

1997年 第14回マイルチャンピオンシップ(GT)  
http://www.youtube.com/watch?v=k6Q6p3wneCU&feature=related
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4415483

1997年 香港国際C
http://www.youtube.com/watch?v=aA4V61LteEQ

1998年 バレンタインステークス
http://www.youtube.com/watch?v=VuRpQl879Xk

1998年 中山記念
http://www.youtube.com/watch?v=82az8XNLcQ4

1998年 小倉大賞典
http://www.youtube.com/watch?v=Kt-8m8fOVDE
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6139596

1998年 金鯱賞
http://www.youtube.com/watch?v=Rf-QxcJfFyo
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2067908

1998年 宝塚記念 
http://www.youtube.com/watch?v=V-bpn3QVlWQ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14726146
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14725859

1998年 毎日王冠 サイレンススズカ
http://www.youtube.com/watch?v=KAIs-MH8oSA&feature=related
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4584692

サイレンススズカ 3レース + 武豊インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5668007

1998年 天皇賞(秋)
http://www.youtube.com/watch?v=f2v57VzGgIc&feature=related
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5668483
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14305273
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14305230

            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
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      !      ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l  .i|  i
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2. サイレンススズカは過大評価?


75 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2005/09/12(月) 13:00:19 ID:ld40YXDh0

エルコンドルパサー関係者談

Q,凱旋門賞は惜しくも2着でした。


A、モンジュー?

あの馬よりはるかに速い馬を知っています。

  あの馬はいくら追いかけても追いつかないんですよ。


8名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1321:18:49ID:MsSDIMK/0

サイレンススズカは過大評価の代名詞みたいな馬だろ


9名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1321:34:08ID:MAA43oZW0

天国まで逃げちゃったから

98:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)18:50:01.03ID:5PBI39Kv0

正直スズカは毎日王冠と金鯱賞以外に語れるレースないだろ

105:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)18:58:36.47ID:2yrh/G6S0
>>98
中山記念のキチガイラップはマニアにはたまりませんよ


136:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)20:06:19.89ID:3QYF91bn0

あの伝説の府中千八毎日王冠か

無敗の後のグランプリホースと実質凱旋門1着馬を相手に影も踏ませぬ逃走劇

ぶっちぎって勝つんだから、あれでは他の馬は何にもできない

ボーリングで言えばパーフェクト、ビリヤードで言えばブレイクエース

究極の理想形がそこにはあった、競馬の理想形サイレンススズカ

694:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/16(木)07:39:41.77ID:uKMC9YxJO

毎日王冠の勝利騎手インタビューで武は三宅の

「今日は、あまり引き離しての逃げにはなりませんでしたね?」


の問いに


「んん、まあ出来るかぎりね、ゆっくり行きたかったんですけどね。まああれが精一杯でしたけど」


って答えてた。あのペースで精一杯抑えてたってすごいよ

毎日王冠は後ろが結構くっついて来てたから引き付けてるように見えたけど実はサイレンスはいつもと同じレースをしてるっていうのが世間の認識だけど武からしたらもっと行けたみたいね

その後インタビューで


「馬も精神的に成長してて、トライアルとしては最高の形が出来た」


とも言っててホントに充実してたのが容易に想像できる

で、秋天が1200通過が1分9秒4だったと思うけど、あのレースはどう見ても毎日王冠に比べて本気で行ってたから1秒どころかやっぱ大差クラスで決着でしょ

しかし、こう色々資料を見るとエルコンドルパサーの2馬身半まで詰め寄ったのは凄かったんだねぇ


856:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)02:01:53.97ID:3P8n0jYZO

武豊が毎日王冠レース後、来年は全部あの馬(エルコンドルパサ-)に持ってかれるかもしれないとコメントしている。完成されてない時期、これから本格化する前に唯一スズカに迫ったのを評価していた。


881:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)10:43:21.26ID:CTO0V0gI0

大逃げの才能というものが開花する前の方が好きだったな

あんま言われてないけど、結構酷いローテだと思う

宝塚記念使わなかったら、多分秋天も走りきってたかもしれん

883:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)13:31:37.62ID:CTO0V0gI0

3歳時もそうだけど、年明けからのローテは一流馬のそれじゃない

急遽宝塚や毎日王冠出したりとかもね

秋口にプラス16キロだったのに毎日王冠であれだったのを見ると春先はまだ成長途中だったのかもしれない

その時にかけた負担が命取りになったのかも

秋天の時は前走の毎日王冠から3週間しか経ってないわけで

513名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2911:30:26ID:09MVqcv40

ホースメンが選ぶ20世紀最強馬(ヌンバー20世紀スポーツ最強伝説より)

1位.シンザン…競馬に行って強かった。ああいう使い方をして結果を出した関係者も偉かったし、馬も利口だったんだろう(岡部幸雄)

2位.シンボリルドルフ…敵ながらあっぱれな馬だった(成宮明光)

3位.ナリタブライアン…トウカイテイオーが一番競馬をしたくなかった馬だった(松本省一)

4位.エルコンドルパサー…世界に挑戦してきた人たちの努力が無駄ではないことを証明してくれた(蛯名正義)

5位.サイレンススズカ…立場上どの馬が強いかいいにくいけど、古今の名馬を集めてレースをしたら最も勝ちやすい気がする(武豊)

6位.マルゼンスキー…自分が乗ったからというのではなく、日本の最強馬と確信している(中野渡清一)

7位.クリフジ…戦前の競馬から見て一番強かった(境勝太郎)

7位.タケシバオー…どんな条件でも走った。斤量にもびくともしない(岩元市三)

7位.テンポイント…早熟に見えて、実は古馬になっても成長し続けたのは名馬の証明(河内洋)

7位.トキノミノル…生きていれば五冠も楽に取れた(浅見国一)

7位.タイキシャトル…エルコンドルと分野は違うが上だと思う(伊藤正徳)

12位.トウショウボーイ…相手関係などもあるが、マイルまでならトウショウボーイ(松岡康久)

12位.メジロマックイーン…オールマイティーな強さ。多分、マイルでも負けないのでは(佐藤哲三)


その他メイズイ、メイジヒカリ、トウメイ、カブラヤオー、メジロラモーヌ
サクラスターオー、ミホノブルボン、マチカネフクキタル(森禿)、オグリキャップ

ちなみに吉田照哉、岡田繁幸もススズを推している


514名無しさん@実況で競馬板アウト[age]投稿日:2010/05/2911:48:22ID:Sc0j4jtU0

ふ〜ん、武豊はマックよりかサイレンススズカを推してるのか・・・・

しかしトウショウボーイよりテンポイントの方が上かなあ?

トキノミノルやテンポイントやサイレンススズカみたいに殉職した馬が上位に
来てる気がするけどな・・・・

515名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2912:23:34ID:oKk9n6AzP

テンポイントもススズもこれからって時期だったから仕方ない


516名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2912:27:10ID:09MVqcv40

アンケートとったのが99年だからススズ有利なのかもね
ちょうどエルコンドルが凱旋門2着した直後で

「エルコンドルが活躍するほどスズカの評価が上がる気がして今でもどきどきするんですよ」

と語ってるから今マックと比較したらどう答えるかな

754名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/06/0321:08:51ID:DJdGQUC20

サイレンススズカはいまだに最強論争に挙げられる凄い馬だとは思うが、やはりこの馬の強さを語る時に必ず出てくるのが毎日王冠。つまりエルコンとグラスという凄い馬がいて、(その時の状態はともかく)その強い馬達に勝ったということがこの馬の評価を異常に高めているような気がする。

(この2頭がその後に築いた輝かしい実績の上にサイレンススズカの今の評価が成り立っているとでも言おうか。)

記憶に残る伝説的な逃げきりをしたのは間違いないとは思うが、やはり毎日王冠(もっと言えばエルコンとグラスのその後の活躍)がなかったらこの馬の評価はいかほどだったのか、といつも思う。


177名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1914:38:45ID:8CTieuDRP

結局のとこエルコンドルパサーとグラスワンダーの実績にのっかってるだけなんだよな
2頭が実績あげたからこそ毎日王冠、毎日王冠って騒げるだけで自分じゃG1を1回勝っただけ

故障や本格化前を言い訳に天皇賞やJCや負けもなかったことにできるしなw


43名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1405:01:42ID:u+fbxVUY0

注文の多すぎる馬だからだろ。
左回りの1800〜2000。この条件なら歴代ダントツだろうが、すこーし条件が外れると、途端にまあまあな馬になってしまう。


566名無しさん@実況で競馬板アウト[age]投稿日:2010/06/0116:04:25ID:cmzFM36a0

サイレンススズカは記憶に残る名馬なのにさ、遮二無二史上最強馬みたいな称号を与えようとするから無理があるんだよね。

記録としては宝塚記念の勝ち馬でしか無いし、クラシックレースでは活躍出来なかった馬だ。それでも逃げに活路を見出して大化けしたのが凄いんだけどね

673名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/06/0309:07:02ID:c665tersO

クラシックシーズンに負けまくったんだからしょうがない
期間限定で最強ってのは歴代にも多数居るしね
覚醒したタマクロ最強!ってのと大して変わらんと思う


681名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/06/0310:27:34ID:EUymB92DO
>673
いやタマモクロスもメジロマックイーンも成長途上はノーカウントだよ

みんなそう


689名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/06/0311:56:51ID:YhaBMR7SO

タマモやマックみたいな表街道(阪神大賞典〜天皇賞〜宝塚記念)を歩んでたなら
現役最強馬を印象付けられただろうけどなぁ


294名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2207:10:23ID:FTqi622Y0

サイレンススズカを成績的に最強馬とする根拠は薄い。まあ現役を長らえてたらどうなってたか

分からんがタラレバは幾ら言っても無駄なんだしね・・・・

一時代を築いた馬であるとは思う。ああいうペースで逃げまくる馬は競馬の常識から考えて過去に存在しなかったから・・・・

居たとしてもツインターボみたいにG1には手が届かなかったんだよね・・・・


307名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/2211:54:49ID:EP5pZwdg0

ツインターボは自身の能力から見てオーバーペースで逃げるタイプ(玉砕型)

サイレンススズカは自身の能力から見て適正ペースで逃げるタイプ

スズカとツインターボのタイプが全然違う。それをツインターボがGTに手が届かなかったからとか、的外れもいいとこ。


553名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/3115:47:49ID:CuS+fd/K0

ツインターボの逆噴射って今ではカンカン泣きっていうのが定説だよね。
58kg背負えば福島2000MのGTがあったとしてもたぶん勝てない。

538名無しさん@実況で競馬板アウト[age]投稿日:2010/05/3019:09:40ID:PBTph1sk0

武豊がツインターボに乗りたがった事があってさ、理由を訊くと『カメラに長い時間映るから』だってさw

実際に武はツインターボに乗ったんだけどね・・・・

ツインターボは最初から玉砕覚悟の逃げだったが、サイレンススズカはもう少しクレバーな逃げだったな

548名無しさん@実況で競馬板アウト[age]投稿日:2010/05/3110:44:06ID:FXCttklh0

57秒4通過で2000重賞勝ちツインターボ>>>>>>>>>>>>57秒4でポッキリススズ


8:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)14:35:00.94ID:sksNJ/Z80

何でダービー逃げなかったの


9:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)14:57:20.83ID:2bEwR9nW0

2200mはさすがに苦しかったな
秋天をあのまま勝ってたら、それがCMに使われただろ

10:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/19(日)15:06:26.42ID:XYWW9tmQ0

マイル以下では古馬重賞レベルで通用しない、普通の中距離G1馬
これ以上でも以下でもない


3:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)15:36:03.12ID:KzMvx/a7O

ぶっちゃけ、スズカは2200mでは並みのG1馬だった


38:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)23:53:06.80ID:K5NEk9Qz0

2400は絶対に持たなかった


32:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)23:00:51.96ID:xssGe0dE0

過剰評価されすぎな馬

所詮、GI一勝馬

301名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2211:01:16ID:qecHVnTS0

当時は史上最強馬みたいに言われてたけどいつのまにか宝塚勝っただけの馬に落ちぶれてしまった


302名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2211:23:22ID:iMlajb/D0

むしろその宝塚がしょぼかった


16:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)00:11:56.72ID:Gd7fcK970

ススズの宝塚は大したこと無かっただろw
ラスト1ハロンなんてヘロヘロでステイゴールドに差されそうになり見れたもんじゃないぞw


19:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)00:45:28.66ID:PRtRwss8O

ステイゴールド・エアグルーヴ以下に1馬身半差つけてんだから文句なしの完勝だろ


28:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)22:33:33.89ID:vjBHDtjU0
>>19
その2頭に勝った所で並のGT馬でしかない

乗り難しい馬だったにしても
ススズにとって2000と2200じゃ相当大きな壁があったようで

40:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:20:50.40ID:tEa+aanvO

騎手が南井ってのがな…
どうしても、武ならどんなレースをしたかな?
って思う。そこがネックだ

5:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)15:40:50.47ID:tEa+aanvO

南井の振り返りが余計


56:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:50:07.38ID:5PBI39Kv0

スズカの宝塚なんてそんなにいいレースじゃないな
右回りで南井だと普通のG1クラスまで落ちるわ


24:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:06:17.42ID:EnlwIvsp0

引きつけたとか関係ないよ
最後1F完全に脚が止まりかけてた

28:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:11:06.35ID:Dds4sUol0
>>24
いやいや、あれはそうではなくて、ああいう乗り方をしたらススズではなくなってただの平凡な逃げ馬となってしまうだろという乗り方をしたのがいかんのだ
もともとそこまでは最後の足は速くない

ただ逃げ馬として止まらんだけで寄せちゃったらそりゃあの馬の甘みなんかありゃしないよ

71:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:59:08.28ID:SjKLELYf0

なんでわざわざ苦手な右回りのレースを選んだんだ?

78:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)17:05:56.07ID:uxn3LMDz0
>>71
調子が良かったから
元々宝塚を使う予定は全くなかった

中山記念勝った辺りでは秋天を最大目標に春はG1使わずが陣営の目論見だった
なかったから豊は大阪杯の後でエアグル−ブの宝塚を早々と受けてた

それで揉めたがU爺が最後まで譲らず代打南井になった


49:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:36:29.29ID:6gMpChd80

G1でテン乗りで癖のある脚質の馬で結果出して叩かれるって不憫すぐる・・・。


131:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)19:39:10.65ID:fG4lCXE00

あそこで一度引きつけなかったらステイやエアの餌食になってたシーンしか思い浮かばないなあ

右回りで距離も長かったし


27:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/20(月)21:46:16.39ID:MmXrGJq50

今思うと南井は凄かったなあの条件でよく勝利に導いたよ
乗ってる本人は難しかっただろうに

53:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:41:50.62ID:ezXhFLjv0

引きつけたのは勿論距離の問題もあったんだろうけど南井のプライドが大きかったっていう話でしょ。
ぶっとばしてれば誰でも勝てる馬にした武豊とは違う勝ち方したかったんだよ。

あとこの宝塚記念が辛勝だとか言ってる人もいるけどこの前の金鯱、その後の毎日王冠が圧倒的だからで辛勝に見えるけど勝ち方自体は完勝に近いよ。


130:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)19:23:54.15ID:/t36FCUB0
南井の意地だったんだよあの宝塚は

故・大川さんが絶賛してたよ、あそこで引き付ける逃げを教えたからこそ毎日王冠のレースっぷりが出来たってな


133:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)19:56:38.87ID:hC/Cx8Ks0

毎日王冠の逃げは完璧だったね

165:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)20:55:19.25ID:3QYF91bn0

宝塚のサイレンススズカ様は南井による騎乗だったからな


「俺も一端のジョッキー、武の真似なんて無様な真似はできない」


と、一端のジョッキーが意地を見せたのが宝塚記念
南井は後にこう語っている


「あれ(着差)は絶対に埋まることの無い差。どこまで行っても埋まらない。

自分なりの騎乗はできた。あれが俺のサイレンススズカ。

この馬は日本一いや世界一だ」

73:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/25(土)01:17:40.59ID:4JyrpQMtO

サイレンススズカの3歳時はクラシックトライアルやクラシック、古馬混合G1で勝ちあぐねていたが

タマモクロスに至っては3歳秋時点で芝ダート未勝利、500万を落馬したり勝ちあぐねていた馬

デビュー前からの素質をもて余していたサイレンススズカと無名で全くのポンコツ状態だったタマモクロスは共に連勝中からの評価で問題ないと思う


75:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/25(土)01:32:08.48ID:MdPql3Nw0

G2で13万人も集まることはもうあるまい


25:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)16:07:15.10ID:tEa+aanvO
まぁ
エルコンドルパサーとグラスワンダーを軽く千切り捨てたりしたから怨みを買うんだよな

125名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1820:50:53ID:SdT7uDYr0

一番輝いてたときにおっちねばそりゃ妄想膨らむって

76:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/25(土)01:37:51.64ID:Rb6xOeFV0

死んだタイミングは絶妙だったな

29名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1323:16:32ID:wcmWepiK0

死ぬタイミングとしては人間の有名人含めて歴代最高クラスだろう

あんだけハイペースで突き放して、さぁどれだけ千切って勝つのか!?
ってその瞬間だからね

極端な話100馬身つける妄想すらできる内容なわけで


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1308460272/l50
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1307860378/
http://desktop2ch.jp/keiba/1273751906/?guid=ON
http://mimizun.com/log/2ch/keiba/1126412243

            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
        /      ,l       \     ヽ
       /       l|, 、  、 |iヽ, ヽ \.   ヽ
       /     l  i ! | i  | |l'、ト ヽ iヽ ヽ  ',
       !     |  / | |. i  |.|| i.|ヽ |、 | ',   i  i
      !      ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l  .i|  i
      ! i   ,.|!,.+‐'"| | | |i}  ' ュノェ|i,`i  l.| i
      l i l   l |/;:=ニ|i  l |   /rj:ヽ\ i  l i l
      | | |   ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!.   ' {::::::;、! 〉iー | | |
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2. これが素顔のサイレンススズカ

上村洋行オフィシャルブログ


サイレンススズカと最初に出会ったのは、俺が海外修行から帰ってきて初日の調教だった。

この馬は、橋田先生が俺の「久しぶりの日本での復帰戦に」と、わざわざ温めて置いてくれた馬で、俺の帰国する少し前に入厩させて、調教開始のその日から、ずっとほぼ毎日俺が調教していた。


最初の第一印象は、馬体は少し小さいけどもの凄く柔らかくて、ゴムマリの塊というか、もの凄くバネの効いた走りをする馬だなぁっていう印象。調教を何日かしたところで、初めて坂路で軽く速いところをやった。55〜56秒位やったかなぁ?

その時初めてこの馬の本当の凄さを知った。


スピードを上げるにつれフォームが沈んでゆく。そして「いつでも弾けるぞ」と言わんばかりに、軽々と坂を駆け上がりゴールした。そしてサイレンスは息ひとつ乱れず、何事もなかった様に落ち着き歩きだした。当然まだまだ余裕で、俺もそれまで体験した事のない凄い感覚に、正直、震えたというより全身がシビれた。

当時、俺がまだデビューしてから5〜6年位やったかなぁ?


それでもそれなりにいい馬に乗せて貰ってきた方だった。しかし、それまで乗って来た馬達とは、明らかに次元が違うというか、レベルが違っていた。その時俺は、


(うっわぁ〜、この馬とんでもないぞぉ!)


と思ったが、とんでもなさ過ぎて、どこまでの馬なんか分からんかった。普通は「重賞級」とか「クラッシック級」とか「GI級」とか表現するが、多分、そんなレベルじゃあないはず。これはGIいくつというレベルの話じゃあない!


こういう馬こそが世界レベルって言うのと違うか?

と、その時まだ大レースを勝っても無いし、当然、海外のレベルの物差しも分からん俺やったけど、そんなふうに思い、その時は

(なんかとんでも無い化け物に出会ったぞ)

って思った。


(この馬を大事に上手く育てていけば、将来とんでも無い馬になるぞぉ)


そう感じていた。 その思いとは裏腹に、


(ちょっとこの馬、繊細過ぎるなぁ)


とも感じていた。繊細というのが決して悪い訳じゃあ無いんやけど、競走馬にとって必要以上に繊細過ぎるというのは、ある意味ネックになってくる。それがレースに悪影響を及ぼしかねないからであった。 だから、俺はその段階から、


(この馬は、上手くいけばとんでもなく凄い馬になるかも知れん)


でも、ひとつ間違えば


(繊細過ぎるが故に、この馬の能力を惜しいままにしてしまうかも知れん)


とも感じていた。だから、この馬には毎日自分で乗る様に徹底した。それは、この馬に限っては、乗り手が変わると繊細さが災いして、コントロールが効かなくなってしまう恐れがあったからで、違う言い方をすれば、誰にも乗せたくなかった。それ位、俺が惚れ込んだ馬だった。そして、この時から俺はサイレンスを、大事に、本当に大事に調教していった。まるで、ガラスの芸術品を扱う様に。それ位繊細だったのだ。


それからだ、俺が本当の馬との接し方というのを教わったのは。そして、俺はサイレンスに色々と勉強させて貰うと同時に、競走馬にとって何が大事なのか、何が足りないのか、どう接するべきなのかを、サイレンスに携わる事によって教わっていった。そしてサイレンスのデビュー戦。そのデビュー戦の調教でも、この馬の持っている能力を、ほんの少しだけ確認してレースを迎えた


(軽い追い切り程度にして)。


失礼な言い方かも知れないが、それで十分勝てると思っていた。それよりも、レース前から馬なりで何馬身離せるかを考えていた。それ位自信があった。だから、その時同じレースに乗っていたジョッキーにも冗談抜きに


「僕の馬には多分ついて来れませんよ」


って言ったのを今でも覚えている。そして、

「レースが終われば、この馬のとんでもなさが分かりますよ」


って言ったのも。そしてゲートが開くと、案の定、サイレンスの一人舞台。俺にとってはこの時、この馬の能力の「ほんの一端」を見せたに過ぎなかった。それでも十分、この馬のポテンシャルの高さを見せつける事が出来たのだった。そして、ファンも関係者も誰もが思ったはずだ。


「今年のクラッシックは、この馬で決まりだな」


と。それ位、衝撃的なデビュー戦だった。そして、俺もスタッフも、この馬に携わる全ての人達が、ここから本当の意味で、この馬の難しさが分かり出すのでもあった。そして、あの衝撃的な2戦目、弥生賞を迎えるのであった。あの時、俺はまだ、サイレンスの本当の意味での気持ちを分からないでいた。繊細さが故の心の叫びを。そして、その叫びを迎えたレースのゲートイン。思ってもいない事態が起こってしまった。


あの優等生のサイレンスが、突然ゲート内で暴れ出した。 そして、あの馬の柔らかさが災いしてか、アッサリとゲートをくぐり抜けてしまった。

今でこそ話せる事なんやけど、あの時俺は、足にかなりのダメージを追っていた。普通なら完全に乗り替わりの状態やったんやけれど、俺としては、絶対に他の人には乗られたくはなかった。絶対に。


なんでかって?


そりゃあ、他の人にサイレンスを取られたくなかったから。多分、あの馬に乗ったら絶対に惚れ込んでしまうと思っていたから。だから、誰にも乗られたくなかった。だからこそ、意地でもあのレースに乗ったのだった。今だからこそ言えるのだが、あの時、実は岡部さんが乗り替われる準備をしていた。それを知った俺は、


(岡部さんがサイレンスに乗ったら絶対に惚れ込んで、取られてしまう)


って確信していた。だから、何がなんでも自分で乗らなければ必ず後悔すると思い、強行突破する様にレースに臨んだ。しかし、その思いも虚しく、最後にゲート入れをしたにも関わらず、スタート前にも暴れ出し致命的な大出遅れをしてしまう事になった。レースは当然最後方からになってしまったが、勝負どころでは完全に前の馬を射程圏に捕らえていた。これは、はっきり言って普通の馬には到底出来ない芸当だった。この時負けはしたけど、この馬の凄さを改めて認識させられたレースだった。


(あ〜、やっぱりこの馬はとんでも無い化け物やな)


って思ったね、正直。それと同時に、この馬の心の叫び


(あ〜、この馬はスタッフを含め、俺達が思っている以上に本当に紙一重のところで自分の精神状態を保っているんだな)


とも感じた。これはどういう事かというと、走る事に本当に素直で、ただひたむきに走る。その為、能力やスピードが他の馬とは断然に違い過ぎる。が故に、誰かがコントロールして気持ちを抑えてやらなければ、暴走してしまう恐れがある。もちろん「誰か」とは、当然、騎手の俺やったんやけれども。しかし、まだこの時は、幸いなんとかコントロールが効いていた。俺は、なんとかいい意味での遊びが欲しかった。遊びを覚える事によってレースで我慢が出来る。我慢が出来るという事は、馬の後ろでタメが効く。そしたら、最後はタメた分弾ける事が出来る。そういうレースを覚えさせたかった。それが出来れば、本当に化け物と呼ばれる存在になって、


(数々の歴史を塗り替える事が出来たんじゃあなかったのでは)

と、今でも強く思う。これは、あくまでも俺の意見やけどな。そして、俺はこの馬の気持ちを敏感に感じながら、そういう事を教えていこうと試みた。

そして3戦目、平場の2000m。

なるべく俺は、サイレンスの気持ちを尊重して走らせる事を考えた。そしてまず、少しずつサイレンスの気持ちの中に俺の存在を見せる事で、少しだけコントロール出来る様、理解してもらえる様に試してみた。そして、徐々に俺の存在をサイレンスの中で理解してもらう事で、コントロールが出来る様にしていこうとした。このレースも結果、馬なりで圧勝するのだが、この時、俺のしようとしていた事が、どこまでサイレンスに伝わっていたのかは、ハッキリとは分からない。でも、ほんの少しだけ分かってもらえた様な気がした。そんな3戦目だった。

http://ameblo.jp/uechin-hitorigoto/entry-10384272303.html

3戦目を圧勝したものの皐月賞には間に合わず、照準をダービーに切り替え、トライアルの青葉賞を目指す事になったサイレンススズカ。まだまだ課題を沢山残しながらも慎重に調教を積んでいったのだが、青葉賞のレースの週の火曜日、思いもよらない事態に陥った。


朝、厩舎に行くとサイレンスの脚が腫れていた。俺も、先生も、厩舎のスタッフも、みんなが青覚めた。そして、予定していた青葉賞も、この時点で断念せざるをえなかった。診断の結果、幸い軽傷で、


「何日か休ませれば、腫れも治まるのでは」


との、獣医の診断だった。この時、俺も相当心配したが、軽い症状との事で少しは安心した。当然、この時はすでに次のレースの事などは一切頭に無く、1日でも早い脚の回復を祈るのみであった。そして、1週間ほど厩舎の周りを歩くだけの運動にして様子を見た。その甲斐あってか、翌週の火曜日から調教を再開する事が出来た。調教を再開する事が出来たこの週、実はこの週は、あのダービートライアル最後のプリンシパルSだった。この時2勝馬のサイレンスがダービーに出走するには、ここで勝つか2着に入り権利を取るしか方法が無かった。そして、この辺りから、俺の感じている事と先生の考えにズレが生じ始めていった。


(ここからはあくまでも俺の考えで、先生を批判しているという訳ではない事をご理解ください)


この時、俺は、まだ未完成であったサイレンスの将来性を考えて、ダービー出走は無理だと思っていた。しかし周りは、まだ諦めていなかった。
そして、ダービー出走を賭けてプリンシパルSに使う事となった。こういう出来事があったにも関わらずである。僕の中で、これはありえない事だった。

1週間厩舎周りの運動しかしていないにも関わらず、いきなりレースに出走?

俺も、この時ばかりは驚いた。確かに、競走馬として生まれてきたからにはクラシック、そしてダービーというのは、誰しもが憧れるレースである。そして、出走させる以上勝ちたいというのは、競馬に携わる人ならば当然の事である。

しかし、この時の先生の判断に、正直俺は戸惑いを感じた。でも、まだ若手だった俺に、先生に意見する事は出来なかった。ただ、俺にはこの時、思っていた事があった。今のままダービーを目標に調整を進めていけば、サイレンスは本当に精神状態と能力とがぶつかり合って、走るたびにコントロールが効かなくなってしまう。正に、諸刃の剣である。それだけは絶対に避けたかった。

しかし、プリンシパルSで2着までに入れば、ダービーへ出走する事ができる。だから、プリンシパルSに使いたい。そして、周りもダービーしか見ていない。サイレンスの精神状態を分かっていない。それでも、やっぱりレースに出走させてしまうのか?

俺は思った。それなら、同じ走らせるのであれば2200mのプリンシパルS、そして2400mのダービーを目指すよりも、1600mのNHKマイルカップの方が、今のサイレンスにとってレースがし易いはず。だから、NHKマイルカップに出走してはどうか、と。そして考えた。それを先生に言うべきか、言わざるべきかを。言うという事は先生の考えを否定するのと同じ事で、この時の俺の立場でそんな事を言ったら、生意気と取らて当然であった。

先生やオーナー、スタッフからしてみれば、せっかくここまで大変な思いをして、ダービー目前というところまで来てである。それも、サイレンススズカという将来有望な未知の力を持った馬であるにも関わらず、ダービーを目指すのを止める様、俺は言おうとしているのだから(厳密には路線を変える様)。先生に刃向かっているのだから。


迷った。下手をしたら、サイレンスを下ろされかねない。普通ならば言えない。言わない、絶対に。言える訳がない。トップジョッキーが言うのならばいざ知らず、当時の俺の立場からすると、まだまだヒヨッコ。そのヒヨッコがそんな事を言えば、降ろされてもおかしくない。

だから迷った、本当に。そして、俺は決断した。先生に言う事を。なぜならば、サイレンススズカの本当の状態を、乗っている者として少なからず分かっていた、理解していたからこそである。別の言い方をすれば、サイレンスの未来を見てみたかったからである。とてつもない可能性を秘めた未来を。


馬というのは、調教で何日もかけて教え込んできた事でも、たった一回の競馬でダメになってしまう場合がある。だからこそ、ここは俺が言うべきだと思った。今のサイレンスの心の叫びを、一番近くで感じていたのが俺だったから。言わずにはいられなかった。そして俺は、覚悟を決めて先生に言った。


「先生、ダービーをやめてNHKマイルカップに路線を変えた方がいいのでは?そこから改めてレースを教えていく方がいいのでは?」


と。すると先生は、


「どのレースに走らせるかは、オーナーと調教師が決める事や。お前は口を出すな」

と一言

(今考えると、大それた事を言ったなと思う)。


でも、今でも思う。あの時そう言った事は、間違ってなかったと信じている。ここでひとつ言いたいのは、俺はあの時の自分の言動を美化するつもりは一切無い。ただ純粋に、サイレンススズカという馬の、あの馬の潜在能力の高さがどれだけ凄かったかを、皆さんに知って貰いたかったから、あの時の気持ちを正直な表現で伝えているのであって、決して慢心的な気持ちで言っているのではありません。そこは分かって下さい。サイレンスの将来を案ずるが故に、この様な言動を起こしてしまった事を。


そして、結局プリンシパルSに出走する事となった訳なのだが、ダービー出走を賭けたレースとはいえ、俺としては絶対に無理をさせたくなかった。俺が出来る事といえば、調教で無理をさせない事だけだった。かくしてこの様な状況で出走する事となったサイレンスを、俺は守ってあげたかった


(無理をさせたくなかった)。


しかし、守ると言っても、プリンシパルSに出走する事となった以上、俺も気持ちを切り替えるしかなかった。そして、その週の追い切り。俺は、軽い追い切りに留め、坂路を56秒程度に抑えた。本当に軽い程度に。それは、サイレンスの精神状態を思っての事である。本気でやれば、簡単に50秒を切る事も出来た。しかし、ひとつ間違えれば、コントロールが出来なくなってしまう恐れがあるし、これ以上サイレンスに負担もかけたくなかった。そして、その調教を見届けた先生は、俺とサイレンスが帰ってくるなり、怒りをあらわにしてこう言った。


「ダービーに出れるかどうかの追い切りやぞ!そんな軽い調教で勝てると思っているのか!」


と一喝。しかし、俺は先生に意見してしまった。


「大丈夫です。これで十分です。サイレンスならば、絶対に結果を出せます」


と言い切った。それは、サイレンスの潜在能力が言わせたに他ならなかった。しかし、俺としてはもっと別のところに心配があった。

一番大事な馬の状態、気持ちに無理をさせてまで出走させてしまう事であった。

この時点でサイレンスには、沢山の期待をするあまり、相当な人間の要求を押し付けてしまっていた。俺は、それが一番不安だった。
ただでさえ慎重に扱わなければならないにも関わらず、走らせてしまう事が。

それが、今のサイレンスにとってどれだけ負担になっていた事か。裏を返せば、サイレンスにはそれだけの期待に応える能力があったからこそ、人はこの馬に沢山の事を求めてしまった

(確かに、俺も期待していたその中の一人であった訳だが)。


俺は、そこに違和感を感じずにはいられなかった。

「なにもダービーだけが全てでは無いはず。確かに誰しもが勝ちたいのがダービーというレース。しかし、馬の状態や気持ちを無視してまでも、このレースに出走させるのが良かったのだろうか?」


そして、迎えたプリンシパルS。サイレンスは、俺の心配とは裏腹にとんでも無いレースをしてくれた。1週間、調教を休んでいたにも関わらず、である。普通の馬だったら絶対にありえない、というかレースにすらならない。それを何と、課題にしていた馬の後ろで我慢する事をやってのけて勝利したのである。 そして、着差は僅かではあったが横綱相撲で完勝してくれたのである。

これには俺も、正直、脱帽した。何回も言うようだけど、正に怪物であった。普通では絶対にありえへん。ありえへんねんけど、それをいとも簡単にやってのけたサイレンス。やっぱり俺が惚れ込んだ馬だけあった。そして、ダービー出走の権利を見事に自力で勝ち取った訳なのだが、俺はこの時、ダービーに出走出来る喜びよりも、サイレンスの脚元や精神状態の方が心配だった。

http://ameblo.jp/uechin-hitorigoto/entry-10389778791.html


見事にプリンシパルSを快勝してくれたサイレンス。改めて、本当に凄い馬だと痛感させられた瞬間でもあった。それと同時に、先生の考えていた事、先生の方針も間違っていなかった事を改めて感じた。それだけサイレンスは凄い馬だった。そして、いよいよダービーに向けて調整を続けていく訳なのだが、丁度この頃から、それまで毎日サイレンスに跨がってきた調教に乗らなくなってしまった。

なんでかって?


たぶん先生は、ダービーに向けて悔いの無い調教をしたかったんだと思う。確かにダービーは、その馬達にとっては一生に一度出れるか出られないかの、サラブレッドに生まれてきたからには頂点とも言えるべき舞台。だからこそ、悔いの無い調教をしたかったんだと思う。その思いは、言うまでも無く伝わってきた。俺は、それまでサイレンスの追い切りは、絶対に目一杯の時計を出す事はして来なかった。それは、前述までに何度も書いてきたが、サイレンスの精神状態が本当に紙一重のところで保たれていたためで、レースで相当なテンションのところまで行ってしまう反面、調教では、そのテンションをいかに落ち着かせるか、ひと安心させる事が出来るかで苦労していた。


いわゆるONとOFFの切り替えが出来なかった、真面目過ぎて。


だからこそこの馬に限っては、一杯に調教をしてしまうと、ホッと安心出来る気持ちのよりどころを奪ってしまう様な気がして。そうなるとどうなるか?


常に一生懸命に走ろうとしてコントロールが効かなくなってしまう。繊細過ぎるという事がこうゆう形で競走能力に影響してしまう訳なのだが、本当に難しかった、この馬は。だからこそ勉強になった。

そして、いよいよダービーの週が来たが、水曜の追い切りにも俺が乗る事は無かった。結局、プリンシパルからダービーのレース当日まで、一度も乗る事は無かった。そしてサイレンスは、予定通り目一杯の仕上げでダービーに臨む事となった。

その時のサイレンスの精神状態?

中間に乗って無かったが、雰囲気と仕草でずっと感じて分かっていた。そしてダービー当日、レース前から先生と作戦を話し合っていた。その考えは俺も先生も一致していた。だから、俺も先生も必要以上の事は何も言わなかった。というより、言う必要が無かった。思いが同じだったから。


このブログのコメントにもあったが、逃げるとゆう選択肢はなかったのか?


それは無かった。俺と先生の考えは、あのプリンシパルSの様なレースであった。ああいうレースをさせてあげる事が、二人の理想で共通していた。ただ、レース展開というのはゲートが開いてみないと分からない。それに、この大レースには、18頭の馬に騎乗する騎手や、管理する調教師、オーナー、他にもいろんな人達の思いが集結している。それぞれが、勝つためにいろんな展開を考えている。だが、必ずしもみんながみんな自分の思った展開になるとは限らない。というより、まずほとんどの馬の騎手や調教師の思った様にはならないだろう。それが競馬である。

その中でも、一番上手くレースの流れに乗れた馬が優勝する事が出来る。もちろん、その中には人馬の呼吸が絶対の条件なのである事は言うまでもない。かくして俺とサイレンスは、ダービーという大舞台に臨んでいった。沢山の思いを背に、俺は装鞍の時からサイレンスを注意深く見ていた、その時の精神状態を見る様に。そしてパドック。サイレンスのテンションはいつもと変わらない様にも見えたが、俺には少し力んでいる様に思えた。だから、騎乗の合図がかかりサイレンスに跨がった瞬間から、俺は落ち着かせる事だけに専念した。出来るだけ会話をする様に声をかけた。


そして馬場入場。お客さんの声援がコースに飛ぶのと共に、一気にサイレンスのボルテージが上がっていく。


そして返し馬。俺はなるべくゆっくりゆったりと走らせた。しかし、サイレンスはハミをがっちりと噛み離そうとしない。すでにパニックに陥っていた。俺は、なんとかこのパニックに陥ったサイレンスを正常に戻すように努力した、歩かせるスピードと話しかける事で。そして、集合合図がかかるとラチ沿いをゆっくりと歩かせ、一番最後に発走地点に向かった。


そして、いよいよファンファーレ。お客さんの大声援と共に、サイレンスのボルテージもMAXに。まさに一触即発状態。その時の俺が、この時のサイレンスにしてあげられる事は、微々たる事だけであった。


そして緊張のゲートイン。サイレンスはおとなしくゲートの中に入った。暴れる事もなく、ジッと我慢していた。俺も、この緊張の一瞬を全身で心臓の鼓動を感じ取っていた。そして、最後の馬が入ると、ほんの僅かな一瞬の静寂。それと同時にスタートが切られた。


サイレンスはいつもの様に好発を切り、一気にスピードアップ。そして1コーナーに向かって行く。俺はなんとか宥めようとするが、一気にテンションが上がってしまった。サイレンスをコントロールする事が出来なかった。と言うより、コントロールが効かなくなっていた。そう、俺が一番恐れていた状態だった。もうこうなってしまった以上、俺にはどうする事も出来なかった。

暴走にも近い状態でレースが進んでいく。口を割り、人馬とが喧嘩をしてしまい、最悪の状況。そのままレースは進み、ようやく行きたがるのがおさまったのは4コーナー手前。そのまま直線へ。それでも、直線では馬群の間から脚を使い伸びかけたが、さすがにそれまで折り合いを欠いていた事が響き失速。


最後はそのままゴール。俺はその瞬間、なんとも言えない悔しさが込み上げた。その悔しさとは、ダービーというレースをこの様な形で終えてしまった事。そして、コントロールが効かなくなってしまっていたサイレンスの状態の事。そして、どうする事も出来なかった自分自身の事。ただただ悔しさだけが残り、引き上げて来る時に俺は、サイレンスに謝ってばかりいた


「ごめん、ほんまにごめん」


と。その時、サイレンスに対して初めて悔し涙を流した。そして、ダービーは終わった。

http://ameblo.jp/uechin-hitorigoto/entry-10395166403.html

ダービー後、成長を促すのと、気持ちをリフレッシュする意味で放牧へ。

この放牧で、体の成長と精神面の成長を願っていた俺。俺だけじゃあないなぁ。みんながそう願ってたかな。


「身も心もひとまわり成長する事によって、それまでの精神的な部分が少しでも落ち着いてくれると、これから先のレースがかなりしやすくなる様に」

との思いだった。夏の厳しい暑さがまだ残る8月の中頃、サイレンスは帰って来た。そして、秋のレースに向けて再び調教を進めていった。気になっていた放牧の効果は?

う〜ん、実を言うと俺にもよく分からない。実際、放牧に行っていたのは約2ヶ月。今でこそ短期放牧というシステムが主流になってきていて、あまりレース間隔を開けずに簡単なリフレッシュで厩舎に戻す事で再び実戦に近い調教から始められ、比較的早くレースに使えるという利点がある。

それはそれで大変に良いシステムであり、今の厩舎運営ではそういう事を効率良く、上手く取り入れる事で、厩舎の成績も上がってくるというのも確かである。しかし、サイレンスの場合は、成長を促すという意味では、もう少し時間が必要だった様に思えた。それはやはり、


「それまでのレースで高くなったテンションを下げる」


という事を願っていた訳であって、一度完全にOFFにしてあげて、落ち着いた頃合いを見計らい、そして再び入厩させて調教を進める。そういう狙いがあったからこそ、サイレンスの場合はもう少し時間が必要だった様に思えた。しかし、完全にOFFにするという事は、やはり時間が必要であって、秋のレースの事を考えると、そうせざるを得ない状況も理解出来た。かくして調教を進めていった訳なのだが、俺には、春と比べてあまり放牧の効率は見られ無かった様に思えた。だから、放牧から帰って来たにも関わらず、相変わらず気持ちがピリピリしてばかりいた。それは調教でも同じだった。ムキになりハミを離そうとしないところにも表れていた。それでも、順調にレースに向けて調教をこなしていく事が出来つつあった。


そんな時、サイレンスの秋の路線が決まった事を知った。その路線とは、「神戸新聞杯から秋の天皇賞へ」というプランであった。そのプランには俺も賛成だった。3000mと長丁場の菊花賞よりも、サイレンスにとって走り慣れた2000mの天皇賞の方が、レースがし易かったからである。

かと言って、決して楽ではない事も分かっていた。当時のサイレンスはまだ3才馬。この時点で古馬の強豪達を相手に戦うのは大変な事であった。ある意味、同世代同士で走る菊花賞よりも、大変厳しいレースになる事は明白であった。ただ、距離の事を考えると、その方がサイレンス自身のレースが出来ると思っていた。そして、秋初戦の神戸新聞杯が近づくに連れ、俺はこんな事を考えるようになった。


「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」

それがサイレンスの為になると思っていた。しかし、その思いのために思いもよらない事になるとは、その時の俺は知るよしも無かった。そして神戸新聞杯の週。追い切りも無事に終え、いよいよレース当日。先生と話し合って、サイレンスの状態を見て、ダービーの時の様に無理に抑えようとして馬と喧嘩をするよりも、サイレンスが行きたがるのであれば、サイレンスの気分を尊重して行かせてあげるように、それまでの作戦から変更した。俺も、その時のサイレンスの状態を考えれば、その方がベストだと思っていた。

その日俺は、朝からずっとサイレンスの事を考えていた。いかにダメージを残さず勝たせる事が出来るか。まだ精神的な不安が無くなった訳ではなかったから、次の天皇賞への事を考えずにはいられなかった。ダービーの時の様な、あの頃のサイレンスに戻ってしまう事だけは避けたかった。それだけは絶対に。そんな事を考え続けた俺は、いつしか守りに入っていたのかも知れない。

そして運命のレース。ゲートが開くと今までの様に素早い反応で先手を取り、軽快に逃げていく。俺は、そのサイレンスの行く気に任せ、気分良く走らせる事だけを考えながらサイレンスのリズムに乗った。後続をどんどん離していくのが分かる。後ろの気配が消えてゆく。そのまま3コーナーを過ぎ4コーナーへと向かっていく。もちろん手応えは抜群。十分過ぎるほどの感触。もう、サイレンスと俺の独走状態だった。そして、そのまま直線へ。

俺は、サイレンスにスパートをかけた。その要求通りにサイレンスは加速していく。そして、直線の半ば過ぎ、ラスト100mを過ぎた辺りで俺は、勝利を確信したかの様に、馬なりのまま流してしまった。この時俺がしてしまった事は、今でも反省している。そして悔やんでいる。これは、勝負師としてやってはいけない事だった。そして、差されてしまった。


この時の行動? なぜ?


こういう風に言うと言い訳に聞こえるかもしれない。俺のせいだと言われても否定出来ない。しかし、敢えて言わせて貰えば、あの時、あの直線半ばで俺は勝利を確信し、次の天皇賞の事を考えてしまった。そう、レース前に考えていた、


「なるべく心身共にダメージを最小限に抑えたい」


と。あのダービーの時の様に、サイレンスを追い込む様な事はしたくなかった。それがサイレンスの為だと思って…。


しかし勝負の世界。俺は甘かった。今まで「サイレンスの為」と思い、色々な事を考えてきた訳なのだが、負けてしまえばそれで終わりだった。何の意味も無かった。

勝負は勝ってこそである。甘かった、本当に、俺は。そして、そこで俺はある事を受け止める覚悟をした。「サイレンスを降ろされてしまう」という事を。それは仕方無かった。俺自身がしてしまった事なのだから。何も言い訳出来なかった。負けてしてしまったのだから。そんな俺の行動で結局サイレンスを手放す事になろうとは、レース前までは考えもしなかった。


「なんて事をしてしまったんだろう、俺は」


悔やんでも悔やみきれなかった。当時、札幌遠征中だった俺は居てもたってもいられず、その場所、関西から離れる様に、その日のうちに札幌へ帰った。そしてその晩俺は、朝方まで酒を飲み、そして泣いた。誰の目も気にする事なく泣いた。自分のしてしまった事に。そして、サイレンスが自分の手から離れてしてしまった事に。そして、サイレンスは俺のもとから離れていってしまった。


それからというものの、調教でサイレンスを見かけるたびに、愛する彼女を自分自身で手放してしまった事の様に愛おしく思い、やり切れなかった。もうサイレンスに乗る事が出来ないと思うと、切なかった。それ以降、サイレンスには3人のジョッキーが乗る事になるのだけれど、やはり、最初はサイレンスの性格(クセ)に、苦労していた様に思う。それと同時に、ポテンシャルの高さを知って皆さん驚いていた。

奇しくも、俺のもとから離れていってからサイレンスは、伝説と言われるほどにその才能を開花させていく訳なのだけれど、正直、やはり悔しかった。誰にも渡したくないと思っていただけに、やり切れない思いがしばらく続いたが、自分自身の招いた結果だけに、どこかで気持ちを切り替えるしかなかった。しかし、そんな複雑な思いにけじめをつける事は、なかなか出来る事じゃなかった。それは、あのサイレンスだったから。


サイレンスが人の手に渡ってからも、俺はサイレンスの精神状態がずっと気になっていた。調教で見かけては、ずっとサイレンスの姿を目で追いかけ、雰囲気を感じ状態を感じ取っていた。だからサイレンスの事は、乗っていなくても大体の事は把握していた。サイレンスが快進撃を始めてからも、俺のサイレンスを見る目は昔と何も変わらなかった。いつも心配していた、自分が乗る訳でも無いのに。そして、あの逃亡劇で連勝していった訳なのだが、正直、今でも分からない事がある。それは、俺がサイレンスに抑えるレースを教えようとやってきた事なのだが、どうだろう?


あの時上手く教えてあげる事が出来ていたならば、もっとこうしてあげられれば、もっと凄い伝説を築いていたに違いないという気持ちが今でもある。あの馬は、決して逃げだけの馬じゃあなかったはずだと。それだけに、抑えた方が良かったのか?逃げた方が良かったのか?

しかし、あの驚異的な逃げこそが沢山の人達の心を魅了し、沢山の人達の心に刻み込まれたのも事実。全ては「サイレンススズカ」という馬のポテンシャルの高さが、沢山の人達の想像を豊かにさせてくれたのだと思う。それだけ、多くの人に夢を与える事が出来る馬だった、サイレンスは。


サイレンスにとって最後のレースとなった天皇賞。俺は、京都競馬場で見ていた。

「今日はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか」

と。いつもの様に軽快に飛ばしていくサイレンス。どんどん後続を離していく。見ている人達をワクワクさせて。そんな時、あの瞬間、俺は呆然となった。それでもレースは進んでいく。俺は、サイレンスしか見てなかった。テレビの画面はレースを写し続ける。そして白熱する直線。しかし、俺は何が勝とうがもうどうでも良かった。それよりも、サイレンスの事だけが心配だった。

「どうか無事でいてくれ」

「軽い故障であってくれ」

と願い続けた。しかし、その願いも虚しく、思いは打ち砕かれた。あれから何年たったろう?

今でもサイレンスの事を思うと、色んな事が鮮明に思い浮かんでくる。そして、いろんな想像が頭をよぎる。もしサイレンスが生きていたら、もしサイレンスが種牡馬になっていたら、どれだけいい種牡馬になっていた事か。サイレンスの子供を見てみたかった。そう思うのは、きっと俺だけじゃないはず。ありがとうサイレンス。君は、これからもずっとたくさんの人達の心の中に、伝説の馬として語り継がれていく事だろう。そして、俺の心の中にも永遠に。

http://ameblo.jp/uechin-hitorigoto/archive10-200912.html#main


Commented by パール at 2008-06-05 10:05 x

サイレンススズカは、レースが近づいているということがわかるみたいで、前日は全然寝ないから、厩舎のスタッフを困らせていたみたい。

本当にあの馬は・・・・繊細だったんだろうなあ。

http://jurinobabo.exblog.jp/7174656/

サイレンススズカ 栄光の蹄跡

http://www.youtube.com/watch?v=x9d08E7jXDM
http://www.youtube.com/watch?v=ycZHYbqJFr4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=F3-sJctmjwo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Q7Hpyo6Af20&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OL-VqLzEDzo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6Ds8aFF1y6g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dM7lnnleBvc&feature=related

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3. 究極のサラブレッド サイレンススズカ

151名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1909:12:39ID:aElEAELa0

残した結果がその馬のすべて
後世で比較されるは戦績とタイム


153名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1909:49:35ID:dynZDkQ40

は〜?勝率とか関係ないんだよ鼻差で勝ちまくる馬じゃないんだよ
スタートから余力を残さず全力で走って、最後までがんばって突っ走るその姿に感動するんだよ

並の逃げ馬じゃないんだよ。騎手の考えとかを超越して馬が至高になった姿がサイレンスなんだよ

勝率とか持ち出すのは生で見てないあほって話だ


101名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1815:51:37ID:WthauZ400

この馬は数字で語る馬じゃないんだよ
唯一無二の存在

132名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1900:23:57ID:PtHFObBe0

何お前ら数字で説明しようとしてるの?

この馬の凄さは見て感じるものだよ

155名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1909:53:15ID:5nqOq+v90

サイレンススズカをその場で見たやつはあの一所懸命に走る姿に感動して泣く
皆言ってた。サイレンススズカ以上の感動させる馬は今も昔も存在しない


194名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1917:45:27ID:Wx8vSfPs0

やっぱ衝撃的な馬だったぜ、

実際に競馬場で見たら。ああいうハイペースで逃げる馬ってのは初めて見たね。

実力No.1とは言えないかもしれないがインパクトなら間違い無くNo.1だな。


98名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1815:30:26ID:Nb60ZvZ+0

普通の馬はしない無茶をし通した馬だったのかな

199名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1918:49:14ID:FLXVa0NE0

何と言われ様が夢の馬なんだよワンダーホース
2010年の現在こんな夢のある馬がいないのは事実


113名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1819:57:22ID:wYZ3ViOr0

ススズ基地から言わせてもらえればススズ最強とは思ってないよ
ただ、あれだけの馬はもう出てこないだろうし最高の馬だと思ってる。
最強論は語りたくもない。


135 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2005/09/12(月) 22:12:03 ID:nt2Pj+PU0

ススズは「強かった」じゃないんだよな。

「強い」とはまた別の言葉で表現できない何かがあった。

これはリアルでススズに見てないと分かんないと思うけど。

114名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/1820:04:43ID:HHJRtRJh0

あのころが競馬が一番面白かったな

196名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/1917:57:10ID:SHWgMNHA0

サイレンススズカがレース中の全部の時間、観客をはらはらさせたことは間違いない。
それが例え、1800や2000、2200であっても、サイレンススズカはG1を含めたほとんどの長距離レースよりも長い間、観客の目を釘付けにしたことになる。

逆に言えば、春の天皇賞は良馬場でも3分10秒以上かかるのに、本当にどきどきする時間はわずか2ー30秒ということも珍しくないんだよな。

これじゃ、見てる方はダレルわなw


競馬人気復活にはこういうタイプの馬がjraは絶対、欲しいんだよな。
そして、サイレンススズカと違って、馬生をまっとうしてくれるような馬をファンは絶対に望んでるんだよ。

秋の天皇賞を1分57秒で逃げ切れる馬が今いるかと言えば、まずいないだろうな。それは高速馬場のせいだと思う。東京の良馬場の2000で2分を切れないようにすれば、強い逃げ馬が出てくる可能性があると思う。つまり、スタミナの差がハッキリと出るコースだな。


51:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/21(火)16:59:47.19ID:7CqU74cx0

今後、GTを複数取る強い馬は何十頭何百頭と現れるのだろうけど、本当にスズカの再来を思わせる馬はもう死ぬまで見れないだろうなぁと思う


59:あ:2011/06/23(木)07:06:05.16ID:kD0E21mt0
>>51
結局あれから平地重賞を大差で圧勝する馬は出てきてないんだよね実際。

多分今後も出ないと思う。

でも出なくていいかなって。競走馬はこれ以上速くなる必要はない。脚は絶対に強くならないから。

オペみたくスピードにやや欠けるけどその他の要素が完璧に近い馬か、ディープみたく脚に負担の掛かりにくいフォームと素晴らしい心肺を持った馬か、ウオッカみたく負け試合に無駄な力を使わない賢さを持ってる馬を目指すべきだ。

132:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/12(日)19:51:37.04ID:3QYF91bn0

あれから13年も経つのか

一年に1万頭生まれるサラブレッドの中でもいまだにサイレンススズカを超える馬には出会ってない

俺の究極の理想形、それは今も昔もサイレンススズカである

究極の理想形、サイレンススズカ


321名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2223:41:29ID:uo1E1v9s0

栗毛でピカピカ光ってかっこよかったな


23 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:19:13 ID:XPCsopxG0

それにしても、この馬は別次元を走ってたよな。
今でも鮮明に覚えてるよ・・


329名無しさん@実況で競馬板アウト[]投稿日:2010/05/2303:43:51ID:r1onFO7B0

サイレンススズカは走り方が神業なんだ。絶対に真似できない。
要は、格の違いがわかるかどうかさ:


336名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]投稿日:2010/05/2304:48:04ID:VivCULfu0

ん〜まぁ馬としては理想形に一番近かった走りしてたから、一定のファンには評価高いよね。生物的な馬としては逃げ足速いのが一番評価されるべき。

ただ競争馬の評価はそこじゃないからな。言葉は悪いが、競馬はいかに一番早くゴール板切るかという「ゲーム」だから。生物学的な馬の脚の速さとまた別のところを競ってるからな。


45:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/21(火)00:47:42.74ID:8DChWNY8I

逃げの美学の第一人者
スズカの幻影を追いかけ続けるリーチ


07:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/17(金)14:02:14.23ID:3s/5lTfM0

サイレンススズカの逃げは、航空ショーとかの「芸」「舞」の部類であり芸術品であって武器ではない

43:名無しさん@実況で競馬板アウト:2011/06/21(火)00:16:19.00ID:JqIxIXQ60

サイレンススズカは他の馬と次元が違うんだ。

サイレンススズカの走りは芸術だからね。他の馬と同じ尺度で評価する事自体が間違いなんだ。

サイレンススズカはスピード・スケートではなくてフィギュア・スケートとしての評価にすべきなんだよ:


irinaslutskaya_TwoGuitars

http://www.youtube.com/watch?v=FCCHS5oABus
http://www.youtube.com/watch?v=u2NEzk4Jgp4
http://www.youtube.com/watch?v=o4vvxNa3hyA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vetdAmT2doQ
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年6月25日 22:56:45: MiKEdq2F3Q

Irina Slutskaya - Let it be
http://www.youtube.com/watch?v=ne7RmT7FptA&feature=related

2009 Irina Slutskaya, Kalinka
http://www.youtube.com/watch?v=HczlTTfFu6A

2010 Irina Slutskaya Posvyashenie zhenshine
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13080527



02. 2011年6月25日 23:27:50: MiKEdq2F3Q

イリーナ・スルツカヤ/2005年世界選手権FS/神演技で優勝
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13013110

03. 2011年6月26日 02:14:42: MiKEdq2F3Q

Crystal ice 2009 - Slutskaya "Posvyaschenie zhenschine"
http://www.youtube.com/watch?v=Cp6eoyocnOo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=g65LC6zy_2A
http://www.youtube.com/watch?v=TG3xNNP7ahY&feature=related

Irina Slutskaya "Posvyaschenie zhenschine" Ice age 20.02.2010 Balashikha
http://www.youtube.com/watch?v=Z_ZcunKapYc&feature=related

Art On Ice - Edvin Marton, Plushenko, Slutskaya, M&S
http://www.youtube.com/watch?v=3zScEDWZuI0&feature=fvwrel

Irina Slutskaya Worlds 2001 Exhibition Timeless
http://www.youtube.com/watch?v=zh5bPAKH6oQ&feature=related


04. 2011年6月26日 13:27:59: MiKEdq2F3Q

Irina Slutskaya Ennio Morricone Chi Mai
http://www.youtube.com/watch?v=dhfE6olI4og&playnext=1&list=PL0003CD77C141916A

05. 2011年6月27日 00:22:39: MiKEdq2F3Q


『残された者』


 天皇賞・秋(Gl)の1ヶ月後、同じ東京競馬場でジャパンカップが開催された。
天皇賞・秋より400m長い芝2400mで行われ、世界に認められた国際Glは、毎日王冠のあと橋田師が

「もし天皇賞を勝てたら、距離の壁にも挑んでみたい」

と言って、出走を検討していたレースだった。その後は、小回りの芝コースが多いアメリカで、サイレンススズカの可能性を試してみたい。サイレンススズカの名前はアメリカのホースマンにも知られており、アメリカの競馬専門誌が選んだ世界の現役中距離馬十傑に名を連ね、アメリカで種牡馬入りする話もあった。だが、サイレンススズカの死によって、それらの夢も、すべては幻に消えた。

 サイレンススズカのいないジャパンC(国際Gl)を完全な横綱相撲で制したのは、毎日王冠でサイレンススズカの2着に敗れたエルコンドルパサーだった。4歳馬によるJC制覇は、あのシンボリルドルフでさえもなし遂げることのできなかった史上初の偉業である。

 ジャパンCの翌日、競馬実況で有名な杉本清アナウンサーは、京都駅でたまたまエルコンドルパサーに騎乗した蛯名正義騎手に会った。そこで、杉本氏はジャパンC制覇を祝福する言葉をかけたのだが、蛯名騎手から帰ってきた反応は杉本氏の予想もしないものだった。


「でも、本当に一番強いのはウチの馬じゃないんです」


どう答えていいか分からず戸惑う杉本氏に対し、蛯名騎手はこう続けた。


「ウチの馬も、サイレンススズカの影さえ踏ませてもらえなかったんですよね。

どこまで強い馬だったのか。―本当に残念なことをしました」


 騎手というものは、ただでさえ自分の馬を強いと信じたがるもので、いわんやこの場合、蛯名騎手の馬とは史上初めて4歳にしてジャパンCを制するという偉業を達成したばかりのエルコンドルパサーである。

 エルコンドルパサーがサイレンススズカに敗れたのは一度だけ、それもサイレンススズカの最も得意とする距離に乗り込んでの敗北に過ぎない。それにもかかわらず、

「もう一度戦えば、勝てる」

蛯名騎手にそう思わせもしない、サイレンススズカが毎日王冠で見せた「永遠の差」。それは、果たして強さの差だったのか、それとも何か別のものの差だったのか。

 その次の年、エルコンドルパサーは日本から欧州への大遠征を敢然と決行した。そこで残した成果は、サンクルー大賞典(仏Gl)、フォワ賞(仏Gll)優勝、そして世界の最高峰・凱旋門賞(仏Gl)で欧州最強馬モンジューと死闘の末の2着という偉大なものだった。

 しかし、エルコンドルパサー陣営が、賞金の高い日本国内のレースに見向きもせずに欧州へと旅立ったのは、なぜだったのか。欧州遠征を発表する際に理由を問われた二ノ宮師はこう語った。


「もはや国内の馬との勝負付けは済んだ」


そのエルコンドルパサーが影すら踏むことができなかったサイレンススズカ。もしサイレンススズカが生きていたら、エルコンドルパサーには国内に1頭、倒すべき敵が残っていたことになる。競馬に「たら」「れば」がないことを承知で想像してみると、競馬界には今とはまったく別の歴史が形成されていたかもしれない。


サイレンススズカが逝った後、競馬界にサイレンススズカの後を継ぐような馬は、今もまだ現れていない。当然である。そのような馬が簡単に現れるようならば、サイレンススズカがこれほどに人々の心に残るはずがない。

「あんな馬は、もう二度と現れないのではないか」


そう思わせる馬だったからこそ、サイレンススズカが府中に散ったとき、あれほど多くの人々が号泣したのである。


サイレンススズカは、「最強であること」によって人々の心に残ったのではなく、「サイレンススズカであること」によって、人々の心に残った。サイレンススズカは、一頭一頭の馬の個性が薄れたといわれる現代競馬に現れた、何よりも強烈な個性だった。他の馬は、サイレンススズカを強さで超えることはできても、印象度で超えることはきわめて難しいだろう。

 印象度というものは、実際の姿を見ていない人々には、理解しがたいものである。もしかすると、将来サイレンススズカの現役時代を知らない新しいファンが、私たちに向かってこう言うかもしれない。


「サイレンススズカ? 

確かに中距離では強かったかもしれないけれど、マイルでもクラシックディスタンスでもろくに勝ってないじゃないか。

それに、得意な中距離にしても、相手は弱い相手ばかりで、Glは一つしか勝ってないじゃないか」

そんなサイレンススズカ評に対し、あるいは私たちはサイレンススズカの現役時代を知る者として激しく反論したくなるかもしれない。ある人はエルコンドルパサーやグラスワンダーとの力関係からサイレンススズカの強さを説明しようとするかもしれないし、またある人は

「金鯱賞のビデオを見ろ」

とでも言うかもしれない。

 だが、そのようなことでサイレンススズカのすべてを伝えることはできないし、相手に完全に納得させることも出来ないだろう。なぜなら、先にあげたようなサイレンススズカ評も、間違いなくサイレンススズカの客観面を正しく言い当てているものだからである。記録は後世の人々と共有することが容易だが、記憶を後世の人々と共有することは不可能である。

 今になってサイレンススズカとはなんだったのか、と考えてみて、ふと思うことがある。


サイレンススズカとは、1998年に日本競馬に突然現れた、何よりも美しく、何よりも儚い幻だったのではないか。


そして、その時代を生きた私たちは、幸運にも共通して同じ幻を見ることができただけなのではないか。だとすると、いくら資料や映像を持ち出したところで、その記憶を持ち合わせていない人々を説き伏せることはできないのも道理である。

 もしかすると、サイレンススズカとは、同じ時代を生きた私たちが共通して見た、幻のような馬だったのではないか。ほかの馬たちとはあまりに違う次元を走った彼の走りは、現実というにはあまりに速く、そしてその存在は、あまりにも儚く私たちの前から消えてしまった。私たちに、幻というにはあまりにも深い記憶を遺して。


 サイレンススズカとは、私たちに何よりも鮮烈な記憶を焼き付けた、永遠の幻だったのである。だが、彼が私たちに残した記憶は、決して幻ではない。彼が残した記録は未来の馬に破られて消えても、彼が遺した記憶は、決して消えることはない。

http://www.retsuden.com/vol30-13.html


エルコンドルパサー関係者談

Q,凱旋門賞は惜しくも2着でした。

A、「モンジュー?あの馬よりはるかに強い馬を知っていますよ。

サイレンススズカです。あの馬にはいくら追いかけても追いつかないんですよ。

圧倒的でしたね。存在そのものが。おそらく世界最強馬でしょうね。ええ。」

http://mimizun.com/log/2ch/keiba/1126412243


06. 2011年6月27日 21:46:16: MiKEdq2F3Q

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エルコンドルパサー


エルコンドルパサー 全レースダイジェスト
http://www.nicovideo.jp/watch/sm51477


1997年 新馬戦
http://www.youtube.com/watch?v=qb7h-AtkxF0
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1817819

1998年 500万下
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1818162

1998年 NZT
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4432056

1998年 NHKマイルC 
http://www.youtube.com/watch?v=MMo-49SIpDk
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3582672

1998年 ジャパンカップ
http://www.youtube.com/watch?v=hmxc0RaApGQ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4321026

1999年 サンクルー大賞
http://www.youtube.com/watch?v=qluvP2gTKbU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8998854

1999年 Prix Foy フォワ賞
http://www.youtube.com/watch?v=5HFbg_q24FQ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm133077

1999年 Prix de l'Arc de Triomphe 凱旋門賞
http://www.youtube.com/watch?v=PHf4sNpknGU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4474706


20世紀の名馬 第10位 エルコンドルパサー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5030278

20世紀の名馬100 エルコンドルパサー
http://www.youtube.com/watch?v=xiq6HB00hkI
http://www.youtube.com/watch?v=JsML-pmZ6eU&playnext=1&list=PL276D495C9C733B47

エルコンドルパサー 栄光の蹄跡
http://www.youtube.com/watch?v=51y_Xy2R658
http://www.youtube.com/watch?v=ARchgF8FnPg
http://www.youtube.com/watch?v=P7vWGGzuUDE
http://www.youtube.com/watch?v=ZJu1FUurSDQ
http://www.youtube.com/watch?v=5UVAxG08ygw
http://www.youtube.com/watch?v=or5PscmBvjI
http://www.youtube.com/watch?v=KUjk0WrFQyk


07. 2011年6月28日 21:48:53: MiKEdq2F3Q


            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
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グラスワンダー

グラスワンダー 全レースダイジェスト
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2147346


1997年 3歳新馬戦
http://www.youtube.com/watch?v=ofSi5Z6q8vE

1997年 京成杯3歳S
http://www.youtube.com/watch?v=HKNSWSmnPZU

1997年 朝日杯3歳ステークス(GT) 
http://www.youtube.com/watch?v=5p9BprSkf5A
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2765100

1998年 第43回 有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=qs6wSEhqdOs
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5556789

1999年 安田記念
http://www.youtube.com/watch?v=AZW0U3mnhQg
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3575127

1999 宝塚記念
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7491572

1999年 有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=dq0hXHC3YBg
http://www.nicovideo.jp/watch/sm162394

グラスワンダー〜不死鳥伝説〜
http://www.youtube.com/watch?v=k4PB9Q_UzLE

20世紀の名馬 第13位 グラスワンダー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4998159

グラスワンダー 栄光の蹄跡 
http://www.youtube.com/watch?v=z_glolsxZlY
http://www.youtube.com/watch?v=C01MAXG4yhU&playnext=1&list=PL984CDBE0412C47DE
http://www.youtube.com/watch?v=LfEQQeBBrXk&playnext=1&list=PL984CDBE0412C47DE
http://www.youtube.com/watch?v=a_Gh9tnWWCU
http://www.youtube.com/watch?v=0s-A0O4Q0B8
http://www.youtube.com/watch?v=zA3h6AHkrvY
http://www.youtube.com/watch?v=2AiQXNReh5w&playnext=1&list=PL48F94A508E2B62AA



08. 2012年1月28日 12:46:13 : MiKEdq2F3Q

イリーナ・スルツカヤ _ Let it be
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html

20世紀最強馬列伝
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4726331

サイレンススズカ1998年全重賞ノーカット
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7195824

サイレンススズカ 3レース + 武豊インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5668007

20世紀の名馬 第04位 サイレンススズカ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3820758

証言者〜優駿たちの記憶〜 サイレンススズカ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11731735
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11733156

サイレンススズカ/弥生賞【高画質】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3522848

サイレンススズカ 4歳 天皇賞(秋)の大逃げ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5668283


09. 2013年9月21日 21:47:49 : W18zBTaIM6

サイレンススズカを振り返って 武豊インタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=W3wKg2vzLLQ

10. 中川隆 2013年12月14日 19:42:16 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

武豊 サイレンススズカ故障の夜に生まれて初めて泥酔した

※週刊ポスト2013年12月6日号

 逆転、挫折、復活……レースに凝縮される悲喜こもごものドラマは、人の一生にも例えられる。だから人は馬に熱狂する。競馬界に語り継がれる「至高の名勝負」から、1998年の天皇賞秋のサイレンススズカと騎手の武豊について、中村計氏(ノンフィクションライター)が綴る。中村氏は武に当時を振り返ってもらった。

 * * *
 三度のやんわりとした「返答拒否」。そこに武豊の、今なお整理がつかない複雑な思いが凝縮されているようだった。
 
 栗東トレセンで追い切りを終えた午前十時過ぎ。武は、表向きはあくまで淡々とあの日のことを振り返った。が、それだけにかえって感情の深さをうかがわせ、無念さが際立った。
 
 1998年11月1日、晴天の東京競馬場で開催された秋の天皇賞。1枠1番、そして1番人気と、日付と同じく3つの「1」が並んだサイレンススズカにレース後、4つ目の「1」が付くのは必然に思われた。ゲートが開き、何かに弾かれたように飛び出したサイレンススズカは、前脚を掻き込むごとに後続をぐんぐん引き離した。
 
 前半1000メートルを57秒4という信じられないような超ハイペースで通過。2番手のサイレントハンターとはおよそ10馬身もの差が開き、その後ろとはさらに5、6馬身の間隔が空いていた。普通の馬ならば完全なオーバーペースだが、サイレンススズカにとっては思い通りの展開だった。
 
 武が常識外れの逃げを打つようになった裏にはこんな経緯があった。サイレンススズカと初めてコンビを組んだのは、約1年前、1997年12月14日の香港国際Cだった。
 
「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」
 
 この頃は、先に行かせつつも後半に備えてどこかで抑えていた。そのため道中で折り合いを欠くことが多く、香港国際では終盤に捲られ5着に終わった。そこで武は大胆な騎乗を思いつく。
 
「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」
 
 年が明け、古馬になったサイレンススズカは常識を逸脱した大逃げで連戦連勝。そうして気持ちよく走らせているうちにレース途中で息を入れることを覚える。
 
「馬が気付いてくれたんです。それで最後の最後で、また加速できるようになった。これはすごいことになったなと思いましたね」
 
 いよいよ才能を開花させたサイレンススズカは、1998年の4戦目、金鯱賞では2着以下を11馬身引き離し圧勝する。「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」
 
 武の中では今なお唯一無二の競走馬だからだろう、他にも似たような馬はいたかと問うと「他の馬との比較はいいじゃないですか」と小さく口を尖らせた。
 
 武が「あそこで完成した」と振り返るのは、1998年の6戦目、そこまで無敗で底知れぬ力を誇示していた外国産馬、エルコンドルパサーとグラスワンダーを破り6連勝を飾った毎日王冠だった。
 
「最高のレースが出来て、いよいよ海外も視野に入れ始めた。みんなびっくりするんじゃないかって話していたところだったんです」


 天皇賞が行われたのは、その3週間後のことだった。毎日王冠に勝ち、いよいよスターホースとしての道を歩き始めたサイレンススズカにとって、天皇賞は物語のいわば序章となるべきレースでもあった。 第3コーナーを回るまで、すべては予定通りだった。
 
「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」
 
 ところが──。第4コーナーに入る直前だった。サイレンススズカは、にわかに失速。2番手のサイレントハンターにあっという間に差を縮められると、あっけなくかわされる。武の誘導によってコーナーの外に出されたサイレンススズカは、左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。足を地面に着けないということは、故障が重度であることを物語っていた。武はその様子を見て、「物語」が始まる前に終わったことを悟った。
 
「レース中、何が起こったかはすぐにわかった。ジョッキーにとっては、いちばん嫌な瞬間ですね」
 
 その瞬間、ジョッキーの体にどんな感触が伝わるものなのか。それを問うと、しばらく唸ったあと、こちらを拒絶するような、嫌悪するような苦笑いを浮かべた。
 
「あんまり細かくは言わなくてもいいんじゃないかな。普通の人は知らなくてもいいことでしょう」

 武にとっては、もっとも酷な質問だったことに気付かされた。サイレンススズカは、左前脚の膝に見える部分、手根骨を粉砕骨折していた。直後、再起不能の診断が下され、安楽死の処置がとられた。そんな大けがだったにもかかわらず、故障発生時、サイレンススズカは何度となくバランスを崩しながらも最後まで立ち続け、武を背中に背負い続けた。
 
「なかなかいない。あのトップスピードで、あれだけの骨折をして転倒しない馬は。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。今でもすごくよく、サイレンススズカのことを思い出すんですよ。せめてあと数百メートル、走らせてやりたかったな。うん、すごい残念。今でも悔しいですもん」
 
 あの日の晩、武は何人かの知り合いとワインを痛飲した。
 
「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」
 
 なおもその晩のことを尋ねると、「その話はもういいですよ」と急に笑顔を引っ込めた。聞かれたことにはプロとして最低限答えるが、これ以上は立ち入らないで欲しいという意思表示に思えた。
 
 もう少し先の話を聞きたいと思ったところで、三度、扉が閉められた。武は今も愛馬の死を背負っていた。



11. 中川隆[4728] koaQ7Jey 2016年10月29日 07:23:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5140]

いよいよ今週は天皇賞・秋!!

エイシンヒカリ VS モーリス?

天皇賞・秋の鍵を握る存在とは…


エイシンヒカリ1枠1番wwwwwwwwwwwwww ©2ch.net

43 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:35:01.17 ID:ZmDB4WCp0

1年前惨敗でその翌年1枠1番…どっかで見たな

142 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:53:20.71 ID:PAke2AiE0

もうあからさま過ぎるわw

82 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:06:09.66 ID:4RFbFbhF0

最初の天皇賞の 5枠9番ってのまで同じらしいぜ
見え見えすぎてワロエナイ

21 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:25:26.95 ID:BgKs78+R0

JRAってのは売上げを考慮した枠組みをするよね
モーリスに比べてちょい足りないエイシンを1枠1番にすることで
全体の売上げアップに繋がるという考え


100 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:17:46.45 ID:SN/uRipJ0

抽選とか絶対にしてないわな。
売上から逆算してるでしょ。これ。

229 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 22:52:19.77 ID:lGg7U5fn0

キタサンブラックも内枠ばっかだし、
武や、特定の馬主に勝たせたい場合はあからさまな枠順操作する。

基本は、ノーザン勝たせる枠順アシストするが、ノーザンばかりでも何なので、たまには武って感じだろうな。
ただ、枠アシストしてもエイシンヒカリじゃ無理だろうとも思っているだろ。
馬券の売り上げに繋がる事も考慮されての枠順だな。

113 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:24:00.94 ID:4RFbFbhF0

なんだかんだ言って盛り上がりそうだし
ま、いっか

69 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:56:30.64 ID:117HPdiI0

サイレンススズカ
97年 秋天5枠9番
98年 秋天1枠1番

エイシンヒカリ
15年 秋天5枠9番
16年 秋天1枠1番

前の年まで一致してるから怖い

87 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:10:33.20 ID:fVyHrap40
>>69
ヒカリに夢の続きを見せてもらいたい

5 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:16:58.56 ID:qh8d0uA20

やはりサイレンススズカの再来だったか


34 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:30:01.90 ID:8e7tVcK4O

武豊で1枠1番引いたか
どうやらサイレンススズカの続きが観られるらしいな


141 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:52:17.23 ID:1kgJprxg0

ついにあの日の夢の続きを見れるのか
長かったな

149 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:57:49.93 ID:1kgJprxg0

これで逃げ勝ったらスズカの呪縛から解放されるだろう
武もファンも


103 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 15:19:34.92 ID:CfeNOH2n0

呪われてるだろこれ

53 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:41:47.62 ID:OXLqWnie0

スズカが呼んでるのはヒカリじゃないな…
誰を呼んでるのか…


74 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 14:58:43.67 ID:zufFkIwD0

サイレンススズカの夢の続きとか言ってるやつ何?
この馬にスズカの要素どこにも無いだろw


196 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 18:33:16.73 ID:fO97gduy0

まあただ武は間違いなく昔の事を頭にチラついてるよなw


197 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 18:35:15.72 ID:4RFbFbhF0

チラついてるからこそ比較されるのを嫌がるんだろうな

198 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 18:35:57.37 ID:pbJso70Q0

そう、武豊本人が一番のスズカ信者であり超えて欲しくないという想いがある
だから去年逃げなかったんだよ

225 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 21:54:20.49 ID:jfsGc+ki0

武への試練なのよ
果たして克服できるのか、はたまた逃げずに去年の二の舞になるのか

193 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 17:59:17.50 ID:Jfu/aOS50

府中芝2000はスタートから100mでいきなり急カーブに入る特殊なコースなだけに
最内枠を引いたら素直に逃げるしかないわな
とりあえずスタートダッシュを武がどうやって決めるか


268 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/28(金) 17:18:28.21 ID:Mwdyc1dN0

おお逃げかませるなら最内有利だけど
ゆっくり出していかないといけない馬が最内って絶対飛ぶだろ


251 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/28(金) 07:00:58.80 ID:KALV8ixm0

勝っても負けても見る側はこの馬に逃げを期待してるからメリットだな


204 : 馬プロの武 ◆rbHAh/j4xAhn 2016/10/27(木) 19:25:25.38 ID:3lG2rPuI0

今年の秋天は枠順からエイシンヒカリが人気になるだろうね。
「素人騙し」だよな。
はっきり言って枠順は関係ないよ。
枠順以上にエイシンヒカリは東京2000はマトモに走れない。
そこまでタフじゃないんだよな。


214 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 20:30:09.82 ID:BqZyCRflO

豊さん。
シンガリ負けでもいいから大逃げを打ってくれ。

“あの馬”をエイシンヒカリに重ねてるファンも多いし、そういう人たちの期待に応えるのが興行としての中央競馬です。

この枠を見て鳥肌が立ってしまった。

208 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 20:03:04.93 ID:5nCWlFWE0

スズカの時に使ってた鞭とゴーグルとブーツと鞍だったら感動だよな。

211 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/27(木) 20:19:53.37 ID:piSl0/6u0
>>208
アホか
あれはスズカの為だけに特注で作ったんだぞ
それだけ空気抵抗一つを気にしていた
ヒカリと一緒にすんな


272 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/28(金) 22:45:34.26 ID:xtHLSMli0
>>208
そんなスペシャルな馬具使ってたの?

273 : 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/10/29(土) 04:00:25.42 ID:j13kffqs0
>>272
空気抵抗を減らす為に、ゴーグルを改良してスズカ騎乗時専用のものを特注でつくらせた
鞭は軽量で短め、音がしないものを特注
スズカに鞭を入れた事はなく、添える際にスズカが気にしない様にとの事
ブーツも軽量で中敷きの無いもの、スズカの横腹に違和感を与えない形のものを特注でつくらせた
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1477545053/275-n


12. 中川隆[7306] koaQ7Jey 2017年3月24日 09:30:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7780]

逃げの美学 動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2958041

13. 中川隆[-7797] koaQ7Jey 2017年5月05日 16:45:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

http://imgur.com/KvTDB7Z.jpg


0015名無しさん@実況で競馬板アウト2017/05/02(火) 10:43:47.93 ID:/4eJPKsc0

スズカは豊ちゃんの永遠の友なんだから
いつも別次元でスズカと走ってるんだよ
http://imgur.com/KvTDB7Z.jpg


14. 中川隆[-6061] koaQ7Jey 2017年10月24日 21:20:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

逃げの美学 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WDRhe4yKBlw

15. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2018年2月25日 11:36:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「サイレンススズカだ!」五輪新種目に競馬ファンも熱狂…エストニア選手が大逃げ


2/24(土) 23:10配信

デイリースポーツ

「サイレンススズカだ!」五輪新種目に競馬ファンも熱狂…エストニア選手が大逃げ


金メダルを手に笑顔を見せる高木菜那(中央)=江陵(撮影・高部洋祐)


 「平昌五輪・スピードスケート女子・マススタート・決勝」(24日、江陵オーバル)

 決勝に進出した日本の高木菜那(日本電産サンキョー)が金メダルを獲得した。

【写真】日本カー娘3 大美女の1人に数えられる藤沢ちゃん、絶叫姿が可愛すぎる

 大人数が一斉にリンクを滑走し、接触や転倒も発生し、駆け引きもポイントとなる新種目で、ネット上では競技開始とともに「マススタート」がツイッターの人気ワード1位となった。

 女子決勝では、序盤からエストニア選手が、後続を半周以上引き離す「大逃げ」を打ち、ネット上では「五輪にサイレンススズカがいるぞ」「サイレンススズカの天皇賞だ」と競馬の名馬の名を挙げる投稿が殺到。残り3周で後続集団がスパートをかけてエストニア選手を追い抜き、残念がるコメントも。

 サイレンススズカより「むしろツインターボだった」との指摘も多数。

 また高木が最終コーナー出口で、外に膨らんだ先頭選手の内側をついて抜け出したレースに「高木菜那の4角のイン突きがやばい」「まるでキタサンブラックの秋天」と興奮する声も。競馬ファンも新種目に沸いた。

 ツイッターでは競技中継中に「マススタート」のワードを含む投稿が5万件以上集まり、盛り上がった。

 今大会では、20日の「スキー複合個人ラージヒル」で表彰台を独占したドイツ3選手をガンダム世代が「黒い三連星」と命名して、盛り上がった。


16. 中川隆[-13442] koaQ7Jey 2018年10月04日 10:44:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19003] 報告

武豊独占激白 2018年10月03日

 ――数々の名馬に乗ってきたが、中でもサイレンススズカ(※1)とディープインパクト(※2)は強烈な印象。仮に片方が最大のライバルという状況での騎乗だったら…


 武豊:もう、どっちに乗っていても嫌な感じでしょうね(笑い)。
もしサイレンススズカに乗っていたらディープみたいな馬が一番嫌だし、逆にディープに乗っていたらサイレンススズカがすごく嫌。

「どっちが勝つか」ってよく聞かれますが、別に両方に気を使って言えないとかじゃなく、本当に分からないんですよ。まあ、間違いなく言えることは、2頭とも当時の世界ナンバーワンの馬だったと思いますよ。


【※1】桁違いのスピードを武器に高速ラップで大逃げを打つスタイルで、希代の逃げ馬として名をはせた。1998年に宝塚記念を制覇し、同年秋の毎日王冠ではこの年のジャパンカップ、有馬記念をそれぞれ勝つことになるエルコンドルパサー、グラスワンダーを子供扱い。続く天皇賞・秋でレース中に骨折、予後不良に。悲運の名馬として今も語り継がれている。


【※2】2004年にデビューし、無敗でクラシック3冠を制覇。武豊が「走っているより飛んでいる感じ」と表現するほどの圧倒的なスケールで、他馬をねじ伏せる豪脚は日本競馬史上最強との呼び声も。7つのGIタイトルを獲得し、06年に引退。種牡馬となった現在でも数々のGI馬を送り出している。
https://www.tokyo-sports.co.jp/race/horse/1143391/

17. 中川隆[-8447] koaQ7Jey 2021年1月10日 10:52:15 : EIiHQzwffw : dHYzN2hYY3Zic1k=[4] 報告
武豊に聞く。ディープインパクトはサイレンススズカを差せるのか。
2020/06/27
https://number.bunshun.jp/articles/-/844022?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink

大逃げを打って直線で突き放すサイレンススズカ(左)と後方から豪快にまくって差すディープインパクト。勝負の行方、武の見解はいかに?


 無観客という異例の事態のなか行われる「宝塚記念」。Number Webでは「こんなときこそ読んで欲しい」と思う『Sports Graphic Number』の過去の記事、「1分56秒──理想のサラブレッド、サイレンススズカ」(689号、2007年10月25日)を前後編に分けて特別に公開します。

サイレンススズカの急逝から9年後、主戦の武豊騎手をはじめ、生産者や担当厩務員などに悲運の名馬についてあらためて聞きました


 武豊は、この時期のサイレンススズカをまったく別の視点から見ていた。

 1997年2月1日、サイレンススズカがギリギリでクラシックに間に合うかどうかのタイミングで新馬戦に出てきたとき、彼は藤澤和雄厩合のプレミアートというサンデーサイレンス産駒の騎乗を先に引き受けてしまっていた。武は、「失敗だった」と悔やんでいた。

「橋田先生のところからデビューする新馬が相当に走るらしいという噂が伝わってきたからです。空けておけば依頼がきたかもしれないのに……」

「あの馬に皐月賞もダービーも全部持って行かれる」

 サイレンススズカが1番人気、プレミアートが3番人気だったが、結果は、「橋田厩舎の評判馬」に1.8秒も離された5着。このときの心境を正直にこう告白した。

「あの馬に皐月賞もダービーも全部持って行かれる。痛い馬を逃がしたと思った」

 ところが、次に対戦した弥生賞は、彼が騎乗したランニングゲイルがうまく立ち回って優勝した。最も気になっていたサイレンススズカは、ゲートでのアクシデントがあって、競馬になっていなかった。

 このときは、「これで皐月賞には出てこないんだな」と冷静に見ているだけだった。この時点では武豊騎手とサイレンススズカの間につながりはなにもない。敵、それも大一番でライバルになりそうな馬と見ていただけだ。

「あの後、五百万を楽勝して、プリンシパルSも勝って、ダービーに行ったんですよね。上村(騎手)もうまく乗っていたし、ダービーも勝ってしまっても全然不思議じゃないと思っていました。

 逃げる競馬だけじゃなく、なにかを行かせてその後ろから攻める競馬もできるんだなと、フーンという気持ちで見ていたわけです」

 ダービーで見せ場までの9着に終わったあと、秋は神戸新聞杯でマチカネフクキタルに差されて2着に敗退。悪い内容ではなかったが、2連敗の責任を取らされた形で、上村がその鞍上からついに滑り落ちた。


武が自ら騎乗を頼み込んだ。
 その後は実績断然の河内洋にスイッチ。天皇賞からマイルCSへ挑戦する異例のローテーションだった。

 天皇賞は十分な見せ場を作ったが、マイルCSはキョウエイマーチとの逃げ争いに敗れ、生まれて初めて惨敗といえる負け方を経験した。古馬の厚い壁にガツンとはね返されたということもあるが、武の分析はこうだ。

「マイルのような距離では、スピードの差を見せつけるのが難しい。この馬は1800mより長い距離で、速さを持続する競馬をすると他馬との差が際立つんです」


 なかなかサイレンススズカが勝利を挙げることが出来ないなか、武とのコンビが、暮れの香港カップで初めて実現した。「ジョッキーは騎乗依頼が来るのをじっと待つしかない」と言い続けてきた武が、自分から動いたのだ。

「もし(騎手が)決まっていないのなら、お願いします」と、橋田調教師に直々に頼みこみ、さらにその場でオーナーの了承を取りつけたのだ。

秘められた素質を的確に見抜いていた。
「あのときは、なぜか(依頼に)行けましたね。乗ってみたい気持ちがふつふつと盛り上がっていたのかもしれません」

 と、武はちょっと照れたような顔で明かす。

 私は武が19歳で菊花賞を制したころから継続して話を聞いているが、こうしたケースは、サイレンススズカ以外では聞いたことがない。

 そもそも断るのが大変なぐらい騎乗依頼はくる。サイレンススズカのことを敵としてチェックするうちに、その背中に跨ることを熱望するようになったのだろう。

 つまり、この時点では8戦3勝、重賞も勝ったことがない単なるオープン馬の、秘められた素質を的確に見抜いていたということだ。

 香港の沙田(シャティン)競馬場の1800mで争われた香港カップは、「抑えられるものならそうしてみよう」と作戦を練っていたという。しかし、結局は逃げる競馬になった。

「スタートして何十メートルか行ったところで抑えるのを諦めるしかありませんでした。この前向きな気性にストップをかける術はないなと腹をくくりました」

 結果は、かなりのハイペースで飛ばしながら、最後までよく粘って1着と同タイムの1分47秒5で5着。


'98年の武は、サイレンススズカを中心に据えた生活に。
 武は掛け値なしに凄い馬だと思ったという。シャティンは力が必要で、逃げ馬には極めて厳しい馬場になっていた。そんな中で、「勝てるかも」と思わせた粘りに素直に驚いたのだ。

 その時、武は厩舎サイドに「想像していた以上に軽くて気持ちいい乗り味です。ただ、前向き過ぎる気性というのも、想像をはるかに超えていましたが(笑)」と、好印象を笑顔でまくし立てた。

 すると、5着という着順に最初はドヨンとした空気で迎えていた厩舎サイドも、大いに気をよくしたらしい。この時点で、来年の鞍上は武豊で固定というムードが出来上がった。


 '98年の武は、サイレンススズカを中心に据えた生活になった。

 わざわざオープン特別のバレンタインSに乗るために東京競馬場まで出向き、快勝。その後、中山記念(GII)も勝ち、小倉競馬場が改修工事中のために中京で行なわれた小倉大賞典に挑むことになった。

 1800mの小倉大賞典では、前半の1000mを57秒7で行って、上がりは4F48秒8、3F36秒4という優秀な時計で逃げ切り、楽勝した。

58秒で逃げて58秒で上がってくる競馬もできそう。
 武は、会心の騎乗で勝つと、週明けに出る専門誌を手に、ラップの分析を進んでしてくれる。この小倉大賞典のとき、特に2ハロンロに刻んだ11秒0というラップについて、「中距離戦では滅多にお目にかかれるものではないでしょう」と、実にうれしそうだった。

 次の金鯱賞(中京2000m)は、小倉大賞典以上に会心の騎乗だったはずだ。

 2着のミッドナイトベットや菊花賞馬・マチカネフクキタルなどに1秒8という大差をつけ、1分57秒8のレコードタイムで逃げ切った。前半の1000mを58秒1で逃げて、後半を59秒7で上がった。

 このレース後もご機嫌で、こんなことを語っていた。

「夢みたいな数字だけど、58秒で逃げて58秒で上がってくる競馬もできそうな気がしてきました」

武が考える「理想のサラブレッド」とは?
 武は改めて、「理想のサラブレッド」についてこう説明する。

「競馬は、最後にいい脚を残したいから、前半を抑えて行くことを考えるわけじゃないですか。でも、本当に理想的な競馬はいきなり先頭に行って、最後もいい脚を使う。これができる馬が理想のサラブレッドなんです」

 武が金鯱賞後に語っていた数字、前半1000mを58秒で逃げ、後半1000mも58秒で上がるとすると、2000mを1分56秒ジャストの驚異的なレコードで走ることになる。最初から飛ばして逃げることで、不利を受けることもない。


 つまりは、そんな芸当ができれば、「負けようがない」(武)ということなのだ。

 武はサイレンススズカに、この驚異的なレースができる可能性を感じていたのだろう。能力だけでなく、性格も向いていた。武は以前、サイレンススズカの性格についてこう語っていた。

「ペースは速いけど、そのほうがリラックスして走れているんですよね。後ろから突かれるような逃げ方だと興奮してしまうし、ましてや前に馬がいる形だと追いかけたくてウズウズしてしまう」

 次走の宝塚記念は、皮肉なことに武豊騎手のお手馬が重なってしまった。前年の天皇賞馬、エアグルーヴも出馬することになったのだ。結局、サイレンススズカの鞍上をワンポイントで南井克巳騎手に譲った。

 結果的に、サイレンススズカのGI勝ちはこれだけだったので、今でも武はこのレースに関しては口が重い。

エルコンドルパサー、グラスワンダーに圧勝。
 夏を越して、秋の初戦に選んだ毎日王冠では、再び武が鞍上に戻った。

 迎えた強敵は、NHKマイルC(GI)を制していた5戦5勝のエルコンドルパサーと朝日杯3歳S(GI)に勝ち、ケガのため休んでいた4戦4勝のグラスワンダー。1歳年下の強力な外車たちだった。武はこう振り返る。

「これは楽しみだなって、ワクワクしましたよ。当然、(勝つ)自信がありましたから」

 その言葉のとおり、サイレンススズカは、早めに捕まえに来たグラスワンダーを突き放し、そのあとで迫ってきたエルコンドルパサーをゴール前でもう一度離してみせた。

「強い!」の一語だった。

 後に凱旋門賞で2着になるエルコンドルパサーが日本で負けたのは結局このレースだけだった。

共同記者会見で「オーバーペースがマイペース」。
 毎日王冠でのラップは前半1000mが57秒7、残りの800mを47秒2で駆けた。上がり3ハロンのタイムはレースで最速だったエルコンドルパサーから0秒1遅いだけだった。

 まさに、ハイペースで逃げて、最後も伸びるというレースを実践していた。

 この時点で、4歳時は負けなしの6連勝。内容的にもほばワンサイドの連続だった。


 そして、天皇賞を迎えた。

 追い切り後の共同記者会見で、「オーバーペースがマイペース」と言い放った武は、本気で58秒で行って58秒で上がってくる競馬が、サイレンススズカになら出来ると思っていたはずだ。

 当日の体調について、厩務員の加茂と、武は、「あのときが間違いなく一番具合がよかった」と口を揃えて言う。たしかに、そうでなければ出だしの1ハロンを13秒0とゆったり入ったあと、2ハロン目から加速して、10秒9、10秒7と2本ハイラップを続けて後続を離してしまうことなどできないだろう。武は言う。

「あのレース(毎日王冠)のおかげで、天皇賞は誰も追いかけてきませんでした。ケンカを売ったら、自分が潰れてしまうということを、みんな目の当たりにしたわけですからね」

激痛に耐えて、最後まで立っていた。
 1頭だけ別次元でレースをしているかのようだった。

 1000mの通過は57秒4。

 とんでもないレコードが出る、と期待に胸を膨らませた次の瞬間、悲劇は起きた。

 東京競馬場の不動のシンボルである、3コーナー過ぎの大ケヤキのご神木を過ぎたところだった。

 前ぶれもなにもなく、左前脚手根骨の粉砕骨折という致命的な故障が発生。後続が大きく離れていたため、武豊騎手は異変を後方馬群にアピールしながら、傷ついたサイレンススズカを馬場の外側に誘導した。

 普通ならその場に倒れてしまってもおかしくないほどの大きな故障だったのに、サイレンススズカは激痛に耐えて、最後まで立っていた。

 武はその時をこう回想する。

「あそこで倒れていたら、レースそのものが成立していなかったかもしれません。ボクも大怪我をしていたでしょうしね」

愛馬の頭を抱きながら涙も涸れ果てるほど泣いた。
 最後の力を振り絞って馬運車に乗り込んだサイレンススズカだったが、診療所の診断で手の施しようがないとされ、加茂に見守られながら安楽死の処置が取られた。その知らせは、最終レースが終了したあとで場内のファンにも厳かに告げられている。

 愛馬の頭を抱きながら涙も涸れ果てるほど泣いた加茂は、その後間もなく厩務員の仕事そのものを退いてしまった。あれほど心を通わせ合った馬を突然失い、抜け殻のようになってしまった自分がこれ以上馬に関わるのは失礼だと思ったのだという。

 感傷的になっている姿など見せたことがなかった武が、神妙な表情でこう告白した。


「今でも不意に思い出すことがあります。あんなことになってなかったらなぁって。天皇賞は間違いなく勝っていたんだろうなぁとか、そのあとのジャパンカップはとか、ブリーダーズカップも行っていただろうなぁとか、考えてしまいますね。

 サンデーサイレンス産駒の種牡馬がいま活躍してるじゃないですか。そういうのを見ると、余計に『いたらなぁ』と思います。『きっと、凄い子供が出てるんだろうなぁ』って」

ディープインパクトはサイレンススズカを差せるのか。
 これよりずっとあと、武はディープインパクトというまったく違うタイプの名馬と出会う。

 ディープインパクトはサイレンススズカを差せるのか。訊いてみると武は楽しそうにこう答えた。

「(直線に入って2頭は)すごく離れているわけですよね(笑)。う―ん、どうでしょう。分からないですね(笑)。どちらが勝つかは分かりませんが、ディープインパクトにとって、最も負かしにくいタイプであるとは言えるでしょうね」

 スーパークリーク、イナリワン、オグリキャップ、メジロマックイーン、エアグルーヴ、ダンスインザダーク、スペシャルウィーク、アドマイヤベガ、エアシャカール、クロフネ、タニノギムレット……、そしてデイープインパクト。

 数々の名馬に跨ってきた武豊をして、「理想のサラブレッド」と言わしめたサイレンススズカは、東京競馬場の最高のステージに、理想のラップを前半だけ確かに刻み、残りを我々の想像の世界に委ねたまま、静かに旅立って行った。

 11月1日、10回目の命日を迎える。

(Number689号「1分56秒──理想のサラブレッド、サイレンススズカ」より)

18. 2021年1月10日 10:55:53 : EIiHQzwffw : dHYzN2hYY3Zic1k=[5] 報告
宝塚記念馬サイレンススズカの記憶。
武豊が見たサラブレッドの「理想」。
2020/06/27
https://number.bunshun.jp/articles/-/844008


胸のすく大逃げからの快勝、圧勝でファンの記憶に残り続けるサイレンススズカ。しかし、GI勝利は宝塚記念だけだった。


 無観客という異例の事態のなか行われる「宝塚記念」。Number Webでは「こんなときこそ読んで欲しい」と思う『Sports Graphic Number』の過去の記事、「1分56秒──理想のサラブレッド、サイレンススズカ」(689号、2007年10月25日)を前後編に分けて特別に公開します。

サイレンススズカの急逝から9年後、主戦の武豊騎手をはじめ、生産者や担当厩務員などに悲運の名馬についてあらためて聞きました

 1998年11月1日、天皇賞。2番手に10馬身もの差をつけて、快調に先頭を駆けている美しい栗毛の馬の勝利を、誰もが確信していた。

 普通の馬なら明らかにハイペースだが、この馬にとってはマイペース。あとは何馬身離して、どれほどのタイムでゴールするかに興味は移っていた。

 しかし、3コーナー過ぎ、突然、鞍上の武豊が手綱を引いて馬を止めた。


 大差をつけられていたその他の出走馬たちが脇を次々に通り過ぎていくなか、その馬は骨折した左足をわずかに上げて、おとなしく立っていた。その姿から目を離すことが出来なかった私に、このレースのゴール前の記憶はない。

 満員の府中のスタンドは、どよめきと悲鳴が交錯していた――。

武豊は特別な表現で「別格」を強調した。
 サイレンススズカの死から、早くも9年が経った。実績を見ると、GIはわずかに1勝。しかし、大逃げを打ってそのまま逃げ切るというスタイルが、いまだに強く記憶に残っているファンも多いだろう。

 鞍上にいた武にとっても同様だと思う。

 過去にサイレンススズカについて「もっとも勝ちやすい馬」と極めて高い評価をしたことがある。その後もディープインパクトという史上最強馬をはじめ、数々の名馬の手綱を取ってきた武にとって、今、サイレンススズカとはどのような存在なのだろうか。

 あらためて訊いてみると、これ以上ない簡潔な表現で答えが返ってきた。

「理想のサラブレッドです」

 様々なタイプの名馬の乗り味を体感してきたスーパージョッキーが、特別な表現で「別格」を強調した。心底からこの馬に惚れ込んでいたことは、「最初から最後まで、どの馬より速く走ることができる稀有な才能の持ち主でした」と話るときの瞳の輝きが雄弁に伝えていた。

 武はサイレンススズカに、どのような「理想」を見ていたのだろうか。


サイレンススズカは「偶然」から誕生した。
 サイレンススズカは「偶然」から誕生した。

 父は、日本の競馬の進化の針を、たった1頭で数十年分も一気に進めたと言われる、不世出の名種牡馬サンデーサイレンス。

 サイレンススズカは、サンデーサイレンスの3シーズン目の産駒だ。ノーザンテーストの時代('82年〜'92年までリーデイングサイヤー)がゆるやかに終焉を迎えつつあった'94年5月1日に、この世に生を授かった。


 サンデーサイレンスの初年度産駒はこの年にようやくデビューを迎えており、1年前の種付けの時点では、次の時代を引き継ぐ('95年から現在に至るまで、リーディングサイヤー継続中)偉大な種牡馬になるとは、まだ誰も予想できていなかった。

稲原牧場が冒険的な大枚をはたいて輸入した。
 母ワキアは、当時米国で最も人気が高かったミスワキの子。これを北海道・平取町の、決して大規模とはいえない稲原牧場が、冒険的な大枚をはたいて輸入した。

 後のサンデーサイレンス産駒の隆盛を知っていれば、素直に配合すればいいのにと思うわけだが、当時は事情が違う。サイレンススズカが生まれる1年前、ワキアの種付けの相手として選ばれた種牡馬は別の馬だった。

 米国からやってきたサンデーサイレンスが日本で種付けを始めたのは'91年。この年にはヨーロッパからバイアモンという種牡馬も導入されていた。

 競走成績こそ良かったものの、特に母系の血統が貧弱と見られていたサンデーサイレンスに比べて、こちらは、クランツクを狙える重厚な血統背景が売り物だった。現在の稲原牧場を切り盛りしている稲原昌幸はこう回想する。

「当時のバイアモンは、まさに鳴り物入りだったんですよ。うちはシンジケート株をいち早く購入していたので、特にそう感じていたのかもしれませんが(笑)。ですから、一番期待している繁殖牝馬にバイアモンを配合するのは当然過ぎる選択でした」

 ところが、バイアモンの種付けは非常にスムーズに行なわれたものの、2回続けて不受胎。熟考の末に代役に浮上したのは、この当時うなぎのぼりに評価が上がっていたトニービン(結果的に'94年のみリーディングサイヤー)だった。しかし、こちらはあまりにも人気が沸騰して、ワキアが発情を迎えた当日には空きができなかった。

生まれたときは「小さくて、華奢で、可愛くて」。
 そこでようやくサンデーサイレンスをつけることになった。つまり、サンデーサイレンスは代打の代打だったのだ。

「とにもかくにも、1回で無事に受胎となったことでホッとしたことだけは鮮明に覚えています」(稲原)

 生まれたときは「小さくて、華奢で、可愛くて」と、稲原は振り返る。ペットなら「可愛い」は最高の褒め言葉だが、競走馬の場合はそうではない。不安いっぱいの第一印象だったことが伝わってくる。毛色も、父とも母とも違う、明るい栗毛だった。


 サンデーサイレンスが種牡馬としての名声を高めていくなかで、走る馬といえば、「黒い馬」というのが通り相場になった。

 サンデーサイレンスの被毛は、黒鹿毛よりもさらに黒い、眩しい日差しに青光りする「青鹿毛」。サンデーサイレンスは自身が持つ特徴的な毛色さえも、産駒に伝えようとした。

 それゆえサイレンススズカはサンデーサイレンスの2年目の産駒から、イシノサンデーという栗毛の皐月賞馬が出るまでは「この子は大丈夫だろうか」という目で見られ続けていた。

頼れる存在がないと不安でしょうがないという馬。
 そんなサイレンススズカは、何かに頼りたい、頼れる存在がないと不安でしょうがない、そういう馬だった。

 最初の試練は、「乳離れ」だった。概ね生後6カ月をメドとして行なわれる、サラブレッドの成長の過程において、避けては通れないこの儀式。

 放牧地から、いつもなら母子連れ立ってウマヤに帰ってくるところを、その日は母ワキアだけをなにげなく連れ帰り、姿が見えなくなったのを見計らつて少し離れた別の厩舎にサイレンススズカを分離した。

 どんな母子でも、寂しがって三日三晩泣き続けるというが、それが済むとウソのように自立する。そのあとは、たとえ放牧地ですれ違ったとしてももう他人同士。

 ベテランの母馬ともなると、その時期が近づくとまるでそれを予期しているかのように、放牧地でも子供との距離を置くようになり、非常にスムーズに運ぶケースも少なくない。

ウマヤの中を勢いよく回ることを覚えてしまった。
 ところがサイレンススズカはこれが大いにショックだった。

 同じ時期に乳離れした仲間がとっくに自立してしまっても、なかなか母との楽しい毎日を吹っ切ることができなかったようで、憂さ晴らしなのか、ウマヤの中を勢いよく回ることを覚えてしまった。

 競走馬としての値打ちにも大きく影響する「旋回癖」という悪癖である。


 なぜこれが問題かというと、まず、狭いウマヤの中を際限なく回ることでケガのリスクが格段に大きくなる。そのうえ、ほとんどの馬がいつも同じ方向に回るため、蹄の減り方に偏りが出てしまうのだ。サイレンススズカは左回り専門だった。

 稲原牧場では、この癖を止めさせようと、最初に旋回できないように古タイヤを吊ってみた。

 しかし、サイレンススズカはこれを上手に潜り抜けるため、すぐに無効だと分かった。次にウマヤの壁面にピカピカのステンレスを張って、自分が興奮して走り回る姿を見せて治そうとしたものの、これも効果は3日ほどしかなかった。

能力はずば抜けていて、すぐに栗東で噂に。
 この悪癖を抱えたまま、サイレンススズカは2歳の冬に栗東の橋田満厩舎に入厩した。

 能力はずば抜けていて、未出走の調教段階ですでに栗東で噂になっていたが、旋回癖は入厩後もついに矯正はできなかった。ウマヤに畳を吊るなど、ありとあらゆる方法を試してみたものの効果はなく、ついに根負けした橋田調教師が、「好きに回らせるしかない」と、ウマヤの中に障害物を1つも置かなくなってからのほうが、むしろ落ち着いている時間が多くなったという。

 後にサイレンススズカが実績を残すようになると、用囲は「だから左回りが得意なのか」とか、「この自主トレが効いているんやね」とか、無責任なことを言っていたが、担当厩務員の加茂力は「毎日が本当に大変だった」と当時を振り返る。

 蹄鉄は普通では考えられないぐらいの速さで減り、削蹄にも常に細かく気を造ってやらないと致命傷に発展しかねない危うさがあったという。

 ただ、加茂がウマヤで仕事をしている間は旋回癖もそうひどくはなかった。

 そのため加茂はできるだけ一緒にいようとし、毎日の帰宅時間は遅くなっていった。いつしかサイレンススズカは加茂に母性のようなものを感じていたのかもしれない。この加茂への「思い」が、誰にも想像できないような災いを招いてしまった。

前扉の下を潜りに行ってしまった。
 デビュー戦で楽勝し、まだ2戦日にもかかわらず2番人気に支持された皐月賞トライアル・弥生賞でのこと。

 14頭立ての8番ゲートにすんなりと収まったまではよかったのだが、ゲートの中まで付き添っていた加茂が「出ろー!」の合図で前扉の下をくぐって退避すると、なんとサイレンススズカは加茂のあとを追うように、真似をして前扉の下を潜りに行ってしまったのだ。

 他の馬とは比べものにならない体の柔らかさがあったからこそできた芸当で、普通の馬はやろうとしてもこんなことはできない。


 騎乗していた騎手の上村洋行でさえも「馬がなにをしようとしているのかもわからず、一瞬見入ってしまった」そうで、気付いたときには、ゲートの扉と馬の間に挟まれてしまっていた。

 仕切り直しで外枠発走になると、今度は致命的な出遅れ。1コーナーを回る時点で、すでに圏外の位置に追いやられていた。

 それでも、4コーナーでは「差しきれるか」と思える位置まで取りついていた。結果はさすがに息切れして8着だったが、あまりに大きな出遅れを考えれば能力の非凡さを証明していた。

 しかし当事者である厩舎サイドは、期待をかけている素質馬に対して、悩みばかりが深まり、焦りを感じていた時期だった。

(Number689号「1分56秒──理想のサラブレッド、サイレンススズカ」より)

19. 中川隆[-15488] koaQ7Jey 2021年11月08日 03:29:00 : HsVtQxe2kU : RWR1ZC9FUmlYRkU=[1] 報告
【ゆっくり解説】歴代最強の逃げ馬5選【サイレンススズカ】
2021/11/07


20. 中川隆[-12874] koaQ7Jey 2022年11月02日 19:07:52 : SfRPF5DOEg : N1NRUllYZnBQS1E=[3] 報告
2022/10/30(日) 史上最高の天皇賞秋 _ 歴史に残る大逃げ!パンサラッサ!!!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14059467
21. 中川隆[-12873] koaQ7Jey 2022年11月02日 19:12:48 : SfRPF5DOEg : N1NRUllYZnBQS1E=[4] 報告
【サイレンススズカ】夢の続き〜2022年天皇賞・秋〜【パンサラッサ】非公式MAD


今年の天皇賞では、宣言通りの大逃げ策に打って出たパンサラッサが、サイレンススズカと同じ1,000m57秒4というタイムを叩き出す奇跡を見せてくれました。

夢の続きを、ありがとう。
22. 保守や右翼には馬鹿し[28] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年3月01日 18:03:22 : 4T4m4xhEbk : SmlNVjFXUDhQRUU=[4] 報告
橋田満師 “忘れられない名馬”サイレンススズカ「かわいくて奇麗で速かった」
2/22(水)

 【さらば伯楽】いよいよ2月もラストウイークを迎えた。騎手を引退し来月から調教師に転向する福永祐一(46)はサウジアラビアでジョッキーとして最後の時を迎える。同時に2月で定年引退となる東西5人のトレーナーは今週がラスト。最終週に登場願ったのは橋田満師(70)。日本調教師会会長を二度にわたって務めた関西の重鎮。調教師歴40年。名伯楽に伝説の名馬の思い出をたっぷり聞いた。

 98年11月1日、希代の快速馬サイレンススズカは星になった。後に「沈黙の日曜」と呼ばれる秋の天皇賞での悲劇。あれから20年以上が経過したが、スズカの星は夜空で一等星の輝きを放ち、日本の競馬を見守り続けている。

 99年のダービー馬アドマイヤベガなど数々の名馬を手掛けてきた橋田師だが、やはり忘れがたい馬はサイレンススズカだという。「稲原(牧場)さんから基礎繁殖になる馬をという話があり、アメリカのスピード血脈を探してきたのが(母の)ワキアでした」。生い立ちからトレーナーの夢が詰め込まれた馬だった。

 「強烈な個性を持っていて、それを自分から発信できる馬でした。かわいくて奇麗で速かった」

 4歳秋初戦の毎日王冠はエルコンドルパサー、グラスワンダーを撃破したことから平成屈指の名勝負に挙げられる。レース前日、東京競馬場の馬房でこんな非常事態が起きていた。

 「電話がかかってきて、“先生、ヤバイ。(馬房でグルグル回って)止まらへん”と。駆けつけると全身から汗がボタボタ。獣医さんが見たら心配するぐらいの発汗量。それですぐに馬房から出して運動させようと。洗い場につないでようやく落ち着いたぐらいでした」

 元々、旋回癖はあったが、歴史に残る圧勝劇の前日にこんなエピソードがあった。天皇賞・秋でのアクシデントは悪夢でしかない。それ以上に日本の競馬に血が残せなかったことが悔しいと橋田師は話す。

 「1600メートルのスピードを2000メートルまで持続する。それを目指していたのがサイレンススズカでした。凄く残念です。日本のサラブレッドにとって重要な血と思っていましたから」

 きっといい子を出していた…という言葉はあえてのみ込んだ。これも運命。サイレンススズカは種牡馬にはなれなかったが物語になった。競走馬の強さと可能性。はかなさを綴(つづ)る物語。

 ウマ娘に登場する同馬はけなげでいちずだ。自分の気持ちを持った強い女の子(もちろん逃げ馬)。橋田師も「似てる。うまく考えてくれた。いいキャラクターだね」とお気に入り。サイレンススズカが埋葬されている北海道平取町の稲原牧場にはウマ娘きっかけで競馬を知った若いファンが訪れ、手を合わせているという。「以前からファンの多かった馬ですが、増えたようです。きれいなお墓でガゼボ(西洋風のあずまや)があって、隣には手を洗うこともできる小川がある」とうれしそうだ。

 調教師40年の幕がいま下りようとしている。「好きなことがやれて楽しかったですよ」とシンプルに話せる人生は最高だ。父・俊三さんから受け継いだ夢は息子の宜長(よしたけ)さん(現調教助手)にバトンが手渡される。「続くってことは良いこと。大切にしなければ。それぞれの世代で目標も違うから、自分の好きなことをやればいい」。そう話す視線は競馬の未来に向けられていた。

 ▽サイレンススズカ 父サンデーサイレンス、母ワキア。94年5月1日、北海道平取町の稲原牧場生まれ。オーナーは永井啓弍氏。生涯成績16戦9勝。3歳2月デビューで3歳時は9戦3勝、ダービーはサニーブライアンの9着。4歳時に本格化し、2月バレンタインSから破竹の6連勝。重賞勝ちは98年中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、毎日王冠。7連勝がかかった天皇賞・秋のレース中に左手根骨粉砕骨折を発症。安楽死となった。「ウマ娘プリティーダービー」ではスズカの愛称で絶大な人気を誇る。

 ◇橋田 満(はしだ・みつる)1952年(昭27)9月15日生まれ、兵庫県宝塚市出身の70歳。父は73年天皇賞・春優勝のタイテエムを管理した橋田俊三元調教師。75年、同厩舎で騎手候補生。78年同厩舎で調教助手。83年3回目の受験で調教師免許を取得。85年3月に厩舎開業。87年小倉3歳S(ポットナポレオン)で重賞初勝利。90年マイルCS(パッシングショット)でG1初制覇。JRA通算7261戦743勝。JRA重賞63勝(うちG111勝)。海外でも英G1ナッソーS(ディアドラ)勝ちがある。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f2beea0d408da83756f1800d6f85e6dc89f02c0

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