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ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 28 日 08:58:00: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アメリカ人には食べ物の味がわからない 投稿者 中川隆 日時 2017 年 10 月 09 日 16:27:27)


ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む


ドストエフスキー風な食卓 2015年12月20日
https://jp.rbth.com/arts/2015/12/20/552521


 誰でもすぐに気づくことだが、ドストエフスキーの小説の主人公たちはしきりに言い争い、黙想するが、物を食べる場面は非常に少ない。だがドストエフスキーの友人や家族の回想によれば、ロシア料理はドストエフスキーの日常生活で特別な位置を占めていた。ドストエフスキー家ではいくつかの料理はセレモニーそのものになっていた。


ロシア料理と不思議な習慣


 作家の2度目の妻、アンナ・グリゴリエブナ・ドストエフスカヤの回想によれば、「夫はロシア料理を好んでいた」とのこと。作家はたびたび、当時のペテルブルグで一般的だった料理を自分に作ってくれと頼んだという。たとえば、モスクワ風ソリャンカ(細かく刻んだソーセージ、キャベツ、ピクルスを加えた脂っこいブイヨンのスープ)、子牛肉のエスカロープ(パン粉をまぶして焼いた子牛のヒレ肉)、ラステガイ(上から穴を開け、いろいろな詰め物をして焼いたパイ)、炉底で焼いたピロシキ(豆、蕪、塩漬けきのこ他を入れた精進用パイ)など。

 さらにドストエフスキーには独特の食習慣がいろいろあった。

例えば作家の妻の回想によれば、ドストエフスキーは、煮た鶏肉を食べたあとで温かいミルクを飲むのが大好きで、デザートの前にコニャックをグラスに半分飲むのが好きだった。気がふさぐ時、ドストエフスキーは、ブイヨン一杯と子牛のエスカロープ、紅茶とワインを食卓に出してほしいと頼んだ。また気分のよい時は、チーズ、クルミ、オレンジ、レモン、カラハツタケ、キャビア、フランス産カラシナを好んだ。

朝食にウォッカ

 ドストエフスキーのもう1つの不思議な食習慣として、朝食時にウォッカ(19世紀に一般的だった、小麦を発酵させて作った自家製ウォッカ)を飲むことが挙げられる。

 ドストエフスキーの同時代人だったミハイル・アレクサンドロビッチ・アレクサンドロフは日記にこう書いている。「ある日、朝食時にドストエフスキーを訪ねると、彼が普通のウォッカを飲んでいるのが見えた。黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲んでいた」 ドストエフスキーは、これが一番健康によいウォッカの飲み方だと言っていたという。

果物を入れた本棚

 ドストエフスキーは甘いものには目がなく、書斎の本棚の特別な箱にしまっていた。作家の娘、リュボフィ・フョードロブナ・ドストエフスカヤの回想によれば「父は昼間、しきりに甘いものを食べたが、時には深夜も食べていた」

 ドストエフスキーの本棚の箱の中身はこんなもの:ブドウの実、ナツメヤシ、クルミ、レーズン、果物菓子パスチラ(19世紀ロシアのパスチラは、泡立てたリンゴのピューレ、砂糖、その他の果物で作った)を入れた小箱、青いレーズン、マーマレード、プルーン、それに、もぎたてのブドウさえあった。

 甘いもののほか、ドストエフスキーは果物が大好きだった。

お茶のセレモニー

 才能ある神経質な人物によく見られることだが、ドストエフスキーはいくつかの自分の習慣に極端なくらいこだわっていた。そうした1つがお茶を飲む習慣だった。ドストエフスキーは濃い紅茶が好きで、仕事机に向かいながら、大量の紅茶を飲んだ。ドストエフスキーはお茶の淹れ方にうるさかったので、お茶はいつも自分で淹れていた。その手順を娘のリュボフィはこう書いている。

「最初に熱湯を注いでポットを温め、小さじ3杯の茶を入れる。ポットの3分の1だけお湯を注ぎ、ポットにナプキンをかぶせる。3分ほどしたらポットに一杯になるまでお湯を注ぎ足し、またナプキンをかぶせる。カップにお茶を入れながら、パパは必ずお茶の色を見ていた。お茶を足したかと思うと、湯こぼしに移し入れて熱湯を注ぎ足すことがたびたびあった。コップを書斎に持っていったかと思うと、また戻ってきて、お茶を注ぎ足したり薄めたりすることがよくあった。『お茶を入れたときは良い色に見えたのだが、書斎に持ってきてみると、色が良くない』と言い張るのだった」

 作家は、紅茶用に自分のティー・スプーンを用意しており、砂糖を2個コップに入れた。

*食事どきの習慣について語ったドストエフスキーの家族と友人たちの回想は、パーベル・フォーキン著『ありのままのドストエフスキー』(2008、アムフォラ出版社)に発表されている。


https://jp.rbth.com/arts/2015/12/20/552521  
 

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コメント
1. 中川隆[-13414] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:31:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[100] 報告


ドストエフスキーが食べたもの:ロシアの古典作家が愛したレシピ 2018年2月28日
マリア・アフォニナ
https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono


『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』エリダール・オルジェフ著、画像:インナ・バガエワ


 モスクワ風セリャンカとパンの牛肉詰めからドストエフスキー風紅茶まで


 ドストエフスキーの2人目の妻アンナは、ドストエフスキーがレストランで、ペテルブルク出身の彼女を驚かせようとフライパンで焼いたモスクワ風セリャンカを注文したことを忘れてはいない。

 「セリャンカは本当に驚くべき料理である」。最近出版された「ニシンの仔牛肉添え。食と作家とレシピの本」の著者エリダール・オルジェフ氏はこう明言する。

 「セリャンカはスープでありながらメインでもある。ときに魚のスープでさえある。しかしモスクワ風セリャンカは疑いなくメインである。かつてはロシアにおけるピッツァの一種でもあり、レストランでは、前の日に食べきれなかったもので作り、翌朝に出されるいわば庶民の料理でもあった」。

 それではセリャンカを始め、ドストエフスキーが好んだ料理のレシピをいくつかご紹介しよう。

フライパンで焼くモスクワ風セリャンカ

材料:

●玉ねぎ 1個
●バター 150g
●ザワークラウト 750g
●小麦粉 50g
●牛肉などお好きな肉 750g
●塩漬けのキュウリ 2本
●オリーヴ 50g
●酢漬けのキノコ 50g
●塩 適宜

作り方:

 みじん切りにした玉ねぎをバターで炒め、そこに汁気をしぼった千切りのザワークラウトを加えたら、塩をふる。よく混ぜたら、ふたをして、しんなりするまで蒸し煮にする。焦げつかないようときどき混ぜ、出来上がったら小麦粉を加える。

 ザワークラウトを別のフライパンに移す。まずザワークラウトをフライパンに敷き詰めたら、その上に、火を通して細かく切った肉(牛肉、仔牛肉、ベーコン、鶏肉、ソーセージなんでもよい)を層になるよう全体に広げ、その上にもう一度フライパン全体にザワークラウトをかぶせる。

 上に細かく刻んだ塩漬けのキュウリ、コルニション、オリーヴ、酢漬けのキノコを飾り、肉を焼いた際の肉汁をかけたら、180–200℃に予熱したオーブンで10分焼く。オーブンに入れたフライパンのままテーブルに出す。

パンの牛肉詰め料理

材料:

●牛肉 700g
●ねぎ 1本
●玉ねぎ 2個
●イタリアンパセリ 1束
●バター 300g
●小麦粉 大さじ1
●サワークリーム 100g
●ハードチーズ 大さじ2–3
●卵黄 3個
●塩コショウ 適宜

作り方:

 玉ねぎ、ねぎ、イタリアンパセリを少量の水の中に入れて煮たら、少し塩こしょうする。このブイヨンで牛肉のやわらかい塊を煮る。肉がやわらかくなったら、鍋から取り出し、一口大に切る。ブイヨンは漉して、脂を取り除いたら沸騰させる。

 鍋にバターを溶かし、千切りにした玉ねぎをやらかくなるまで炒め、小麦粉とサワークリームを加える。これをよく混ぜて煮たら、そこに先ほどのブイヨンを注ぎ入れ、沸騰させる。火から下ろして、卵黄3個をしっかり混ぜながら加えていく。

 牛肉とソースが入るような大きさの丸いパンを用意したら、上の部分を切り取って、パンをくり抜く。くり抜いた部分の内側にバターを塗り、チーズをふりかける。パンの中に切った肉を並べて置き、肉の上にもチーズをふりかけ、ソースをかける。切り取ったパンでふたをして、食べる30分前に180℃に予熱したオーブンに入れる。パンに入れたままパテのようにしていただく。残ったソースは器に入れて、添えて出す。

ドストエフスキー風紅茶

 フョードル・ドストエフスキーは紅茶が大好きだった。小説「地下室の手記」の中には「一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅びてもかまわない」という文章が出てくるほどである。

 家ではいつも自分でお茶を淹れていたというドストエフスキー。お茶の淹れ方だけは妻のアンナさえも信用しなかったという。この手順について、アンナは次のように回想している。「まず熱湯でティーポットを濯ぎ、スプーン3杯のお茶を入れる。そこにティーポットの3分の1だけお湯を注ぐとナプキンでポットを覆う。3分ほどしてからティーポットがいっぱいになるまでさらにお湯を注ぎ、またナプキンでポットを覆う。自分のカップにお茶を注いだら必ずお茶の色を確かめ、お茶を注ぎ足したり、減らしたりしていた・・・」

https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono

2. 中川隆[-13413] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:34:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[101] 報告

作家たちのレシピ、トルストイ、ゴーゴリ、プーシキンとお料理しよう 2018年2月07日
マリア・アフォニナ
https://jp.rbth.com/cuisine/79679-roshia-sakka-tachi-no-recipe


『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』エリダール・オルジェフ著、画像:インナ・バガエワ

 ロシアの文豪たちは田舎の屋敷や美しい娘たちに通じていただけでなく、自分で「コンロの前に立つ」こともできたのである。


アレクサンドル・プーシキンのポテト

 「僕は、マイニスト(フィン族)のように炒めたジャガイモを食べているよ、卵はルイ18世のように半熟だ。これが僕の昼食だよ」と、詩人のアレクサンドル・プーシキンは妻のナターリアに手紙で書いている。


 炒めた「プーシキン風ポテト」のレシピは今日、望む人は誰でも作ることができる。そのためには、小さなジャガイモを皮ごと茹でてから皮を剥き、その後、バターとハーブを入れてフライパンで炒め、お好みで塩コショウをすることだ。

 このレシピは、長い爪をしたプーシキンの絵と同様に、この詩人の有名なもので(彼には、「有能な者が爪の美を考えてもよかろう……」(『エヴゲーニー・オネーギン』)という詩行がある)、エリダール・オルジェフの著書『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』の中にも見つけることができる。

 「本の企画は偶然に生まれました、私はクルピャンニク(挽き割りの粥)のレシピに出会って驚いたんです、なぜこんな簡単な伝統料理のレシピが普通に使われていないのかと、それでこの問題を研究し始めたのです」と、エリダール氏はロシア・ビヨンドに語ってくれた。その後、この作家は友人たちへの贈り物としてレシピの載った記念になるような本を作ることにした――こうしてわずかな部数を出したのだが、それはまもなく英語でも出版されることになる。

レフ・トルストイ家のクルピャンニク

 「クルピャンニクは冷たくても温かくても食べることができる」と作家は語っている。「中身は無くれも作れるし、甘いもの(干しアンズ、干しブドウ)と同じように、野菜(ブロッコリーやキノコ)でもいいし、実に様々な物を入れることができる。クルピャンニクは簡単に作れる。型に入れてひとつずつ作るんだ。中には、体に良くてミネラルが豊富なソバの実が入るが、他のものでも挽き割りならなんでも使える」。

材料:

●ソバの実 600g
●牛乳 ソバの実がひたひたになるくらい
●卵 6個
●カッテージチーズ 200g
●砂糖 小さじ1
●塩
●バター 100g

作り方:

 ソバの実を牛乳に入れて火にかけ、砂糖、塩を少し加えて冷ます。その後、卵を入れ、カッテージチーズを加え、すべてを混ぜて型に入れ、上にバターを塗ってから180度に熱しておいたオーブンで20分焼く。

ニコライ・ゴーゴリのカクテル

 エリダール・オルジェフの本には、ゴーゴリが叔父に書いた手紙の引用がある、「あなたはまだ私の長所をすべてご存じないのです。私はあれこれの仕事を知っているんですよ、良い仕立屋ですし……台所で働きもします、料理法もあれこれたくさん知っているんですよ……」。そこには、カクテル「ゴーゴリ・モーゴリ」のレシピが挙げられている。


材料:

●羊のミルク 0.6ℓ
●干したレモンの皮 半個分
●砂糖 50g
●卵白 1個分
●ダーク・ラム 50ml
●ブランデー 100ml
●シナモン ひとつまみ

作り方:

 鍋に、レモンの皮と砂糖、シナモンを一緒に入れてミルクを温める。沸騰したら、すぐに火から下ろし、かき混ぜながら、泡立てておいて卵白を加える。その後、ラムとブランデーを入れる。温かい状態で出す。

*マイニスト―帝政ロシアに住み、ロシア語を解さない沿バルト海地域のフィン族の古い呼び名。


https://jp.rbth.com/cuisine/79679-roshia-sakka-tachi-no-recipe

3. 中川隆[-13406] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:52:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[108] 報告

ロシア文学のキャラクターたちはどんな酒を飲んだか? 2018年8月27日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/80761-roshia-bungaku-no-kyarakuta-tachi-ha-donna-sake-wo-nonda-ka


 コメルサント紙も書いているように、作家ヴェネディクト・エロフェーエフの散文詩「酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行」では、飲酒が最初のテーマになっている。だが、ロシア文学の登場人物たちはというと、いつでもどこでも飲んだ!それぞれのキャラクターと、その好みの酒類を――もちろん、ほんの一部だが――ご紹介しよう。でも、くれぐれも真似はしないように!


1.パンチ――アレクサンドル・プーシキン『大尉の娘』の主人公ピョートル・グリニョフ


 年かさの士官ズーリンは、お金が必要だった。そこで彼は、うら若いピョートル・グリニョフからビリヤードでひとつまきあげてやろうと考えた。しかしピョートルは遊び方を知らなかったので渋った。ズーリンは「教えてやるよ」と請け合い、およそ士官たるものはビリヤードができて酒が飲めなくちゃいかん、とまくし立てた。

 「ズーリンはパンチをくれと命じ、一杯やるように私を説き伏せた。そして、軍隊勤務ではこれに慣れなきゃいかん、パンチ抜きの勤務なんてあり得ん!としつこく言った」

 結局、ピョートルは大金をすってしまう。

 「グラスをあおればあおるほど、くそ元気が出てくるのだった」。そして彼は目が覚めるが、ひどい頭痛がした…。


2.何でもかたはしから飲みまくる――ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』の地主たち

 退屈し切ったロシアの地主たちは、酒に目がなかった。とくにお客が来たとなればなおさら、客の辞退など耳に入らなかった。

 『死せる魂』の主人公チチコフは、書類上はまだ生きているが実はすでに死んでいる農奴を買い漁っている。それを担保に銀行から大金を借り出すのが目的だ。そんな彼が地主ノズドリョフのもとにやって来たとき、次のような光景が展開する。

 「ノズドリョフはワインの瓶に身をかがめた。まだスープも出てこないというのに、もう客たちに注いでいた。大型のグラスにポートワインを、別のグラスには特別なボルドーの白ワインを。というのも、地方の県、郡の都市には普通のがなかったので。それからノズドリョフは、マデイラ・ワインを一瓶持って来させた。元帥だってこれより上等なのは飲んだことがなかったようなやつだ。マデイラは実際、口の中が焦げそうだった。なぜなら商人どもは、地主たちが上等のマデイラに目がないことをとっくに承知していたので、そいつにラム酒をしこたましこんでいたし、おまけに王水(*濃塩酸と濃硝酸とを混合してつくる橙赤色の液体。金属の溶解などに使う――編集部注)まで加えていたからだ。ロシア人の胃の腑ならこんなのにも耐えられるだろうと当てにして。さらにノズドリョフは、また何か特別な瓶を持って来させた。彼いわく、ブルゴーニュワインとシャンパンを混ぜたものだとか」


3.マデイラ・ワイン――イリヤ・オブローモフ(作家イワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』の同名の主人公)

 たいていの場合、この主人公は水平の状態で過ごしている(つまりいつも寝そべっている)。よく眠るためには、酒は止められない。彼の召使は、御者と召使たちに話した。

 「信じられますかい?おひとりでマデイラの一瓶半に、クワス2杯をおあがんなすった。で今は、ぶっ倒れなすってるよ」。しかもオブローモフがひとりで飲むときは、こういうケースはどうやら珍しくなかったようだ。


4.シャンパン、コニャック、酒精――ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』の悪魔のパーティーで飲まれる

 悪魔のパーティーでは、いわばゾンビ・ゲストのために食前酒として、シャンパンプールが3つ用意された。

 「3つのプールのシャンパンは泡立った。そのうちの1つは、透明な紫色、2つ目は鮮紅色、3つ目は透明だった」。女たちはプールに飛び込み、酩酊して飛び出す。

 その後、猫のベゲモートが何か魔法をかけると、プールの一つで、シャンパンがコニャックに変わる。そこに飛び込んだのは最も大胆な者だけだった(そのなかには猫もいた)。

 パーティーの後、疲れ果てた猫とヒロイン、マリガリータと悪魔のヴォランドは、酒精を飲む。この場面から引用してみよう。

 「『これはウォッカかしら?』。弱々しい声でマリガリータは聞いた。

 猫は椅子の上で怒って飛び上がった。

 『とんでもない、女王さま』。彼はしわがれ声を出した。『いったいわたくしがご婦人にウォッカなんぞをお注ぎするわけがありましょうか?これは純粋な酒精ですよ!』」

5.ウォッカとビール――マクシム・ゴーリキーの戯曲『どん底』に出てくる木賃宿の住人

 第四幕の初めに、サーチン、男爵、ナースチャの前に、ウォッカ1瓶、ビール3本、それに黒パンの大きなスライスが置かれ、登場人物たちは幕切れまで飲み続ける。

 「あいつに注いでやんなよ、サーチン!…兄弟たち!人間にそんなにたくさんの酒が必要だとでも言うのかね?ほら、俺はちっとばかしひっかけただけだが、それでご機嫌さ!」


6.あらゆる酒をかたはしから――フョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のミーチャが宴会で


 カラマーゾフの三兄弟の長兄ドミトリーが思い切り痛飲しながら、女たちと陽気に騒ぐ一幕は、象徴的に「悪夢」と題されている。「ほとんど酒池肉林のどんちゃん騒ぎ、全世界に向けての大宴会」には、ありとあらゆる酒がそろっていたようだ。

 「シャンパンは娘たちだけにあてがわれた。男どもは、ラムやコニャック、とくにホットパンチが気に入った」。サモワールは一晩中パンチで煮えたぎり、誰もがご馳走にあずかれた。ところが残念ながら、この派手な飲み会は何もいいことはもたらさず、その後でミーチャは、父親殺しで告発される。


7.カクテル「ジナナス」――ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』のハンバート・ハンバート

 「日が成熟し、夜に向かってしなだれ始めた。私は一杯のアルコールを飲んだ。私の好きな飲み物『ジナナス』、つまりジンとパイナップル・ジュースのカクテルだ。これはいつも私のエネルギーを2倍にする」

 その後でハンバートは、サマー・キャンプへロリータをいそいそと引きとりに行くのだが、「ニンフェット」の魅力がいつも彼の脳裏から離れない(「ニンフェット」は、9歳〜14歳の倒錯した性欲をかきたてる少女を指して、ハンバートが作中で用いている言葉――編集部注)。


https://jp.rbth.com/arts/80761-roshia-bungaku-no-kyarakuta-tachi-ha-donna-sake-wo-nonda-ka

4. 2020年6月22日 03:15:27 : ntMfEDJ8g2 : LmFSZEV1N2dIT2M=[1] 報告
ピロシキ(アーカイブ写真)京都の真ん中でロシア雑貨、ピロシキ、チェブラーシカ
2020年06月21日 筆者 : リュドミラ サーキャン
https://jp.sputniknews.com/opinion/202006217557394/

「ロシアの日」の6月12日、京都にロシア料理&雑貨店「スパシーボ」がオープンした。ロシアの土産品、マトリョーシカ、オリジナル手工芸品、ロシアンティー、蜂蜜などを購入できるほか、ピロシキなどロシア料理のテイクアウトも可能だ。店主は京都ロシア文化センター長のビクトリア・トルソトワさん。コンセプトやアイディアについてスプートニク通信に語ってもらった。

「スパシーボ」は京都下京区の「たき川旅館」近くにオープン。朝8時から営業しており、店主のトルストワさんによると朝の通勤時にピロシキを買う人もいるそうだ。実は、新規開店の計画は前から温められていたわけではなく、新型コロナに後押しされた形になる。コロナの影響で文化関係者の多くは仕事を失った。ロシアダンスサークルを主宰し、ロシア語を教えているビクトリア・トルストワさんも例外ではなかった。スプートニク通信の取材に応じたビクトリアさんは、開店の経緯について次のように話している:「パンデミックの真っただ中で、仕事もなく生計も立てられなくなりました。求職情報を調べましたが、私と同じような人はたくさんいました。そこで何とか状況から抜け出さなければいけない、と。いま借りている家の家主さんと話をしたところ、承諾してくれました。店の名前は自然発生的に決まりました。普通の日本人はロシアについてあまり知りませんが、“スパシーボ”という言葉を知っている人は大勢います。」


通常、消費者需要が落ちている時に店を開くのはリスクを伴う。けれどもビクトリアさんは悲観的にならず、京都のロシア系住民だけではなく、日本人もターゲットにしている。


ピロシキやボルシチ、ペリメニを食べたことがなくても聞いたことがある日本人はいるはずだ:「2016年から京都ロシア文化センターが開催するロシア文化フェスティバルのおかげで、ロシアとその文化に興味をもつ日本の友人が増えました。またフェスティバルにロシア土産を供給する業者とのつながりもでき、私の申し出に彼らが答えてくれました。ただ、現状では旅行客も少ないので土産品の需要も大きくはありません。今は文化ではお金は稼げませんが、ピロシキなら可能です。京都の有名なロシア料理店“キエフ”、それから注文でロシア料理を作る京都のロシア女性と契約して、食品の一部を分けてもらっています。」

「スパシーボ」ではマトリョーシカやチェブラーシカ、手工芸品だけではなく、ピロシキや蜂蜜、紅茶、サラミ、ソバの実、ペリメニ、スィロク(カッテージチーズのチョココーティング)、クッキーなども購入できる。


もちろん、小さな店のような零細企業には宣伝広告が足りない。そこで活躍するのは友人、そのまた友人、SNS、店頭で配るチラシなど。ビクトリアさんは、春から延期されている京都ロシア文化フェスティバルが秋には開催されると期待している。フェスティバルには大勢の参加者が集まるはずだ。「スパシーボ」」に興味のある人は、ぜひ訪れてみて欲しい。

所在地は:京都府京都市下京区富田町富田町369

https://jp.sputniknews.com/opinion/202006217557394/

5. 2020年6月22日 03:19:29 : ntMfEDJ8g2 : LmFSZEV1N2dIT2M=[2] 報告

2020年6月12日オープン スパシーボ (ロシア料理・雑貨店) - お墨付き!
http://osumituki.com/hack/kyotokanko/lunch/136497.html

地図
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92600-8186+%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%B8%8B%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E5%AF%8C%E7%94%B0%E7%94%BA%EF%BC%93%EF%BC%96%EF%BC%99/@34.992964,135.761284,17z/data=!4m5!3m4!1s0x600108a4d20e229d:0x4de0bf7347e29e0c!8m2!3d34.9929636!4d135.7612839?hl=ja


6. 中川隆[-8798] koaQ7Jey 2020年12月29日 22:01:26 : ALfcx8Vlfc : QWF2QW1ZSHBaRkE=[52] 報告
ロシアのダーチャ




ロシアのダーチャ - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%80%80%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3


ダーチャ - Google 画像検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=wC_YVO_KLuPFmQXsu4GgDA&ved=0CCsQsAQ&biw=975&bih=904#lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&q=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3&imgdii=_



ロシアの典型的な7つのダーチャ(別荘)
http://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2014/07/24/7_49317.html

ダーチャ(別荘)は、郊外の家とそのまわりの土地。そしてロシア文化そのものである。ダーチャのベランダでサモワールから紅茶を入れ、自分の畑でイチゴとキュウリを採り、森に行ってキノコを採る。これらすべてがダーチャ生活には欠かせない要素だ。

ダーチャとは与えられる物のこと。与えるという意味の、ロシア語のダーチという動詞からきている名詞である。最初のダーチャは、17世紀にロシアの皇帝が近衛兵に与えていた褒美であった。ダーチャには高級な生地、お金、土地などもあった。ただこの時代、ダーチャの土地は今のような夏の休暇の地とは見なされていなかった。夏の休暇の習慣を持ちこんだのはピョートル1世である。

 側近にはサンクトペテルブルク郊外の小さな土地が与えられた。ピョートル1世の宮廷は夏になると、ロシアの辺境の地などにある自分たちの先祖代々の屋敷に行っていた。片道1ヶ月、またはそれ以上になることもあった。モスクワ近くの土地を与えることで、夏の間も側近を近くに置き、また2〜3ヶ月仕事を休むというヨーロッパ風の夏の休暇の過ごし方を教え込もうとした。その結果、貴族は郊外の別荘で豪華に休むようになった。

 1940年代まで、ダーチャはソ連の新しいエリートの所有物だった。だが第二次世界大戦後に状況は変化し、多くの人にとって休暇というよりも、野菜や果物を栽培できることから、生きるための手段となった。

 春はニンジンやジャガイモを植えるために、秋はわずかでも自分の作物を収穫するために行く場所になった。だが社会主義的規範を乱すような個人の栽培を目の当たりにした政府は、地割りの規模を0.15エーカー(約180坪)に制限した。これは0.06ヘクタールで、国民は「600分の1」と呼んでいた。このような小さな土地でも、多くのダーチャ居住者は家、夏のキッチン、畑、温室、花壇などをすべて収めていた。ロシアのダーチャの伝統は現在でも変わっていない。家族そろって夏の間過ごす場所であり、テラスまたはベランダの茶会が行われている。

ダーチャは毛皮帽ウシャンカやバラライカなどと同様のロシアのアーキタイプである。
5月以降、毎週金曜日の夜はどこの街でも自動車の流出が起こる。車内の後部座席には牛乳パックやサワークリームのプラスチック容器に入った野菜の苗が置かれている」
http://jp.rbth.com/arts/2014/09/12/50139.html

大昔からロシアの都会人は夏を郊外で過ごしてきた。この習慣は今日も続く。

「別荘」と言っても、6ソトク(600平方メートル)の小さな土地に立つ簡潔な小屋から、1ヘクタール(1万平方メートル)以上の広大な土地に建つ屋敷まで、様々である。

誰もが、うるさく、落ち着きのない都会から避難しようとする。

避難する場所として最も手頃なのは、田舎の村の家だ。
http://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2014/07/24/7_49317.html


ロシアの思い出

ロシアと言っても、すぐ対岸のウラジオストク市。
1993年1月から1998年12月までの6年間、日本語教師としてmえむはそこで働いていました。


何てったってダーチャ

街に住む人たちの多くは郊外にダーチャを持っていて、週末はよくそこで過ごします。

食文化を支え、自然に親しませてくれる休息の場所です。
森を好み、ゆったりした性格のロシアの人々にとって、ダーチャの役割は大きく感じられます。

また、接待好きで、私も郊外のダーチャに招かれました。
今はやりのスロー云々という雰囲気の生活を、ここで垣間見ることができます。

ダーチャって日本語で「別荘」?

 別荘と訳すと誤解が生じます。菜園付き別荘のほうがより適切でしょうが、建物はピンからキリまでです。 冬でも住めてバーニャ(ロシア式サウナ)もある快適なものから、道具を入れる小屋程度のものまであります。 持ち主の経済状況にもよります。

 居住重視か菜園重視かによって、別荘という言葉の持つ意味合いが異なり、ほとんど意味を持たない場合もあるというわけです。

どうやって手に入れた?

 土地はソビエト時代の政策として、国から一般庶民に給与されました。その時期・政治的経緯・目的などについては、mえむは知りません。とにかく現実的には、農業とは別の職業を持つ人々が、休業日を利用して自らのための食料が生産できる(健康増進もかねて)ようにしたのです。

 その土地を自分たちの力で開墾し、建物を建てました。何ヶ月、あるいは何年もかかって木を切ったり根や石を取り除いて畑にし、野菜を植え、家族・親戚みんなで数年かけて建物を建てたのです。自ら汗した、愛着に満ちたダーチャなのです。

 ロシアになってからは、土地が売買され出し、建物も業者が建てるようになりました。また、95,6年頃からでしょうか、お金持ちが保養・レジャー目的の高級な「別荘」を建て始め、庶民の話題にのぼりました。

 一方、荒れていくダーチャも増えているそうです。耕作地として不向きだとか、自宅から遠すぎるとか、労力的に余裕がなくなったなどが、その理由のようです。

ダーチャの環境

【距離】市街から車で20分ほどの近くから、電車やバスを利用し、その上けっこうな道のりを歩いて2時間もかかる遠くまでです。

 日曜日の夕方は、ダーチャから帰宅する車で、市街地にさしかかると道が混みます。 手ぶらで往復するわけではありませんから、老齢者には車がないとずいぶんな負担です。


【斜面】静かな自然の真っ只中、つまり山間部にありますから、幾分か斜面になっているところも多いのです。ひどい斜面では居住するための建物は建てられませんし、作業も大変です。 ずり落ちないように片足で踏ん張りながら作業をしなければなりませんし、水や肥料の量も斜面の上と下では異なってくるでしょう。

【水】市街地近くで水道が来ている所もありますが、一部分に過ぎないでしょう。 飲料水は、近くに施設などがあったりすれば汲みに行き、来ていなければ自宅から持参します。 畑の水は、川や池から汲んでくるとか、ドラム缶に溜めた雨水を利用します。 共同の井戸もあるのでしょうが、mえむの目にはとまりませんでした。

夏に畑を手伝ったことがあります。1輪車に、牧場で牛乳を入れる缶のようなのを固定してあるのを使いました。 近くの池から水を汲んでくるのですが、でこぼこ道ではバランスなどが難しいです。 私は汲むのは手伝いましたが、運ぶのはうまくいかず、結局その家の13,4歳の息子がスイスイと運んで行きました。

【電気、暖房】 電気が引かれているところは、果たして何%なのでしょうか。多くは電気がないように見受けられました。 今は住む人がほとんどいないので、さほど不便を感じないでしょうが。 また、ペーチカはあっても、住まなければ使うことはありません。 人が住んでいないとダーチャ荒らしが出没するそうで、いい家具もおいてありません。

 昔は、家族の一部がダーチャに住むことも多く、冬にさえ住んでいた人もいたそうです。 街までそう遠くなければ、仕事をもっていて、ダーチャから通った人もいたということです。 今でも夏場は、無職の年金生活者が生活しているところもあります。

 実際の生活を知らないmえむは、ゆったりした生活を想像してみるのです。 ランプで明かりをとり、ペーチカで暖をとって煮炊きする・・・、空気は澄み、星の輝きが美しい・・・。


菜園としてのダーチャ

【野菜】最も多く栽培されているのはジャガイモです。(これがまた本当においしい) 収穫したジャガイモは、自宅の玄関のそばやガレージにおいてある、専用の大きな木の箱に入れておきます。 ボルシチなどのロシア料理になくてはならないビーツも、長期保存が可能です。

トマト、きゅうりは、瓶詰めにして保存します。キャベツ、人参、にんにく、ピーマン、ラディシュ、イタリアン・パセリもあります。 ウイキョウ(ウクロープ)は何の世話をしなくても生えてきます。ほうれん草に似た形のシャーベリ(ロシア語)は、少し酸味がありスープに使います。

【ウクロープ】日本語ではウイキョウが一般的でしょうが、料理用語としてフェンネル(英語のfennel)とも言います。

若くて柔らかい緑のをサラダに使うと、香味野菜の好きなmえむは幸せな気分になったものです。キュウリとトマトにウイキョウだけで、味は○○ドレッシングなどと気取らずに、塩とオイル(日本のサラダオイルより濃厚な味がしました)だけ。酢は使いません。スープにも浮かせます。ひねたのは、太くなった茎ごと瓶詰めに使います。

日本では、花を生け花に使ったり、実を漢方薬に使ってはいますが、普段の食卓にはのぼってきません。


【ベリー類と果物】 ベリー類もなくてはならないものです。種類も多く、旬には生でも食べますが、ほとんどはバレーニエ(実の形を残したロシア風ジャム)にします。チャイ(茶)と言うのは紅茶、紅茶と言えばバレーニエ。どの家でも瓶詰めをたくさん作り、客にお茶を供するときの話題にもなり、味自慢にもなります。

 イチゴは、ほとんどのダーチャで栽培されています。 それから、黒スグリ(チョールナヤ・スマロージナ)、赤スグリ(クラースナヤ・スマロージナ)、西洋スグリ(クルジョーブニク)、ラズベリー(マリーナ)、コケモモ(ブルスニーカ)、スイカズラ(ジーマラスチ)などです。それから、ベリー類といえるのかどうか知りませんが、グミ(アブリピーハ)もあります。

 黒スグリは、植物より製品の成分として、カシスという名で日本人に馴染んでいるようです。お酒やジュースにも使われ、高血圧や肝臓にいいアントシアニンが多く含まれていす。冬のビタミン不足を補うのは、これらのバレーニエです。
果物が少ないのは気候上やむを得ません。リンゴは小粒の実がなり、スモモもよく見られます。

【収入源】わずかな年金しか受け取れない年金生活者にとっては、ダーチャの産物も自家用にとどまらず換金の対象となります。市場、路面電車の停留所(始発駅)、通りに面した空き地で売ります。

 バケツに盛ったジャガイモに始まり、各種野菜、生のイチゴやスイカズラの実、バレーニエ、ピクルスなど、売れるものは何でもありです。

 ネコヤナギやライラックなどの花々、ワラビ、森の贈り物も売り物になります。彼らには「生計を立てる一手段」の方に比重がかかるのでしょう。


【農作業】一区画600〜700uぐらいの菜園での作業は手作業です。 トマトなどは、冬のうちに家の中で苗を作っておき、4月半ば、5月になると畑を耕して植えます。 種は自分のところでとったものもありますが、たいてい買ってきて蒔きます。 ジャガイモは昨年採れたものを種にします。

 化学肥料や農薬の使用はとても少なく、堆肥を使います。草をとったり、間引きをしたり、水をやったりして世話をし、 種類によって順次収穫が始まります。9月のジャガイモ掘りの頃が忙しさのピークです。 トマトやキュウリなど野菜の瓶詰め、バレーニエ作りも、この秋です。

【家族みんなで】 大学では、新学期(9月1日から)になっても、学生が収穫の作業で授業に出てこないことがあります。 農作業が好きだという学生はいませんでしたが、家族みんなで行うしきたりになっているからです。 学部長であれ、教授であれ、家族の一員として一緒に作業をするのです。

 日常生活でも、自分たちの手で作ったり、修理したりすることが多いです。男性なら、車の修理、部屋の棚などの取り付け、女性なら服やベッドカバーなど布で作るもの、壁紙貼りなど。それを見ながら育つ子供がダーチャを手伝うのは、普通のことです。

休息・憩い・楽しみの場

【ダーチャでの定番】自然いっぱいのダーチャは、家族の団らんだけでなく、友達を招いて一日ゆっくりするのにもいい所です。 近くを散策するも良し、水着姿で日光浴をするも良し、シャシリーク(ロシア式バーベキュー)に取れたて野菜で食事をするも良し。経済的にゆとりのある家では、バーニャ(ロシア式サウナ)があり、疲れを癒します。

若い人同士であれば、音楽も加わり、演奏や歌が聞こえてきたりします。  また、川などが近くにあれば夏には水遊びが楽しめます。花などを摘むのも女性には楽しみです。 例えば、春一番のネコヤナギ、それからスズラン、ライラック(フランス語名はリラ)、あとは花々のオンパレードです。


【森の贈り物】 傍の森の中では山菜や木の実採り、きのこ狩りなども楽しめます。

春の山菜は、チリムシャ(行者にんにく)。極東にしか自生していない実は、柔らかく薄緑がかったキシュミシ。 タラの芽もありますが、ロシア人は食しません。

 きのこはロシアの人々の大好物。日本とは比べ物にならないほど多く採れ、瓶詰めにして保存します。子供も食用かどうかをちゃんと見分けられます。


【ワラビ採り】ワラビを食することは、極東で中国人から学んだのが始まりで、それがヨーロッパロシア(モスクワの方)に伝えられたそうです。 スズランの咲く頃、ワラビ採りに同行したことがあります。 自分のダーチャ近くには自生していないので、他の行きつけの森でした。

 刺されると死に至ることもあるという恐ろしい毛虫予防のため、帽子、首にタオル、手袋、長靴という格好です。終わって車の近くに帰ると、それらを脱ぎ、上着も脱いではたき、髪の毛や背中なども点検します。 そういう危ない所でも出かけていくことが平気なのです。子供に「危ないから行くな」といいがちな日本とは違います。

ダーチャに招待されて

果樹とベリー類で囲まれ、裏は木々が生い茂る森です。 菜園の奥に2階建ての建物。建物の前まで車が入れるように私道が作ってあります。 裏の空き地には、シャシリーク用に石が積まれて、腰掛けるにかっこうな丸太が置いてあります。 傍の木にハンモックをかけて休める場所も確保してあります。 小さな物置があり、少し離れたところにトイレがあります。

 建物の半地下は物置、1階に居間と寝室(ベッドがあっても今は泊まっていない)、2階にも部屋があり、バルコニーがあります。 2002年に来たメールによると、バーニャが完成したとのこと。休息の場として充実していくダーチャです。 街中の住居は集合住宅でスペースが限られているので、おのずとダーチャでゆとりを感じようとするのでしょう。

 シャシリークのごちそうもさることながら、新鮮なベリー類と野菜の味は最高でした。 スグリの収穫を、口に入れたりしながら手伝い、花、ミント、わすれな草をもらって帰りました。

 はじめてのことの中に、若いニンニクの葉をかじったということがありました。 幾種類かが植えられ、フランスから来た種類(だったかな?)はニンニク独特のにおいも辛味もないのです。 作物のことについていろいろ話してくれ、農家でもないのにと感心したことでした。

 お父さんは副学長の経験もある学部長、お母さんも教授という「お堅い」職業なのに気さくで、ダーチャの全てを自分たちで切り盛りしています。以前日本を訪れたことがきっかけで、日本に親近感を持ち、娘が日本語を習っています。 お父さんの職場から分譲された(無償か否かは尋ねませんでした)ダーチャは、職員に供給される豚を飼っている施設のそばにあります。 一帯はその組織が所有する土地で、山を開墾して職員に分譲しつつある所です。

 隣のダーチャとの境も溝があるだけです。作物を作り始めてからそう長く経っていません。 建物も大枠は業者が建て、中を自分たちで作っているところでした。(1996年現在) 大学生の長男は、父親と一緒に床を張ったりの作業を手際よくやっていきます。 次男は遊びたい盛りであちこち飛び回っていても、声をかけられればちゃんと手伝います。 豚舎に水を汲みに行ったり、道具を片付けたりします。

 ジャガイモ掘りを手伝いました。全部掘り終え、大きいのは袋の中です。でも小さいのがあちこちに転がったままです。お父さんはもう終わりだと言いますが、お母さんとmえむは小さいのも拾い集めます。 小さくても捨てられるのはかわいそう、もったいないという気持ちになるのです。 どうも、女性は小さいことも見逃せないようです。思い出すに、私の小学生の頃は、母と一緒に落穂ひろいをしていました。

 丹精込めて育て、いざ収穫しようと思った日に盗まれてしまうという被害が増えてきたとのこと。 現にこのダーチャのニンニクも被害にあいました。がっくりした姿に同情せざるをえません。

2003年、米などが不作の日本で、米泥棒、さくらんぼ泥棒が出現し、組織的にごっそり盗んでいくという事件が起こりました。農家には多大な被害でした。ウラジオで感じた、経済の不安定が泥棒を増やすということは、どこも同じです。

いくつか問題があるとはいえ、ロシアの人々の生活をダーチャぬきに考えることはできないでしょう。

時代が変わり、ダーチャが変化していっても、消えることはないでしょう。

金持ちは金持ちなりに、お金には恵まれない年金生活者は年金生活者なりに、ダーチャは大切なものです。
何てったってダーチャなのです。
http://www.spacelan.ne.jp/~matsui-km/vladi/vladi4.html

ダーチャに行ってきました! 2011年08月08日

ロシア人の多くは普段町で暮らしながら、郊外にも家を持っています。
「ダーチャ」を日本語に訳そうとすると「別荘」という言葉が出てきますけれども、「別荘」は何となく優雅なイメージがあるので、手作りでシンプルなロシアの「ダーチャ」には合わない気がします・・・。だから、あえて日本語に訳さずにロシア語のまま「ダーチャ」と呼ぶことにします。

 写真は、おばちゃんのダーチャです。建物そのものも内装工事もすべておじちゃんとおばちゃんの手作りです。

 私の実家のダーチャもおばちゃんのダーチャに似ています。私たちの家族はイルクーツク市の郊外で600uの土地を与えられたことを私は今でもよく覚えています。木が伐採されていましたけれども、根っこがそのまま土の中に残っていました。これでは畑を作れないので、根っこを土から掘り起こさないといけませんでした。母親と妹と私の3人でひたすらその根っこの周りの土を取っていました。全部取り終ると、今度は男性陣の出番です。父親はまわりのダーチャから男性たちを呼んできて、みんなでその根っこを土地から抜いていました。大変な重労働でした。

 こうして私の中学校・高校時代の生活はいつも同じパターンでした。平日は、両親は仕事、私と妹は学校。そして土日になると、みんなでダーチャへ行きました。「ダーチャ」イコール「畑仕事」だったので、私はダーチャに行くのがあまり好きじゃなかったです。でも、物不足が続き両親の給料が何か月間も滞っていた1980年代後半〜1990年代前半、このダーチャのおかげで私たちはなんとか食べていけました。

 ちなみにダーチャが苦手な人はロシア人の中で私だけではありませんでした。С
утра я плачу: опять на дачу... (私は朝から泣いています。というのは、またダーチャに行かないといけないからです)という歌も流行ったぐらいです。夏になると、ロシアのラジオでしょっちゅう流れていました。私の母親は今でも冗談でこの歌を歌うことがあります。でも、母親も年金暮らしのおばちゃんも、どう見ても畑が大好きです。

 おばちゃんのダーチャはあっちこっち花が多いんですけど、じゃがいもをはじめ、にんじんやキャベツやトマトなどの野菜もたくさん育てています。

 ダーチャの季節は5月から9月末ぐらいまでです。冬は寒すぎるので、みなさんは暖房がしっかり整っている都市で暮らし、ダーチャに行く人はほとんどいません。でも、夏になるとみなさん再びダーチャに通うようになります。仕事をしている人は土日だけダーチャで過ごし仕事のために再び町に戻りますけれども、私のおばちゃんのように年金暮らしの人は夏のほとんどをダーチャで過ごします。

ロシアの学校は夏の3か月間ずっと休みなので、多くの子供たちはおばあちゃんたちと一緒にダーチャ暮らしをしています。ダーチャは都会より空気がずっときれいですし、手作りの野菜やベリーを毎日いっぱい食べられるので子供たちの夏休みにもってこいの場所とされています。

 ダーチャは町のように便利になっていないので、隣同士の助け合いは不可欠です。おばちゃんは周りの人たちととても仲がいいです。写真のピロシキは、私たちが来ることを聞いて、隣のおばちゃんがわざわざ作ってくれました。別の隣人は子供用のおもちゃをいっぱい貸してくれました。去年、ゆうきはおばあちゃんと一緒にこのダーチャに来たのですが、急に寒くなってしまったので、周りのあっちこっちの家から子供服を集めて着せてもらったことも今となってはいい思い出です。

 ゆうきはおじちゃんと一緒に夕食用のじゃがいもを掘っています。じゃがいもの収穫時期は8月〜9月なので、まだちょっと早かったですけど、スープに十分な量が取れました。


パパは隣の人から草刈の特訓を受けています。

隣のわんちゃんにもいっぱい遊んでもらいました。

ダーチャ式・遊園地???本当は草などを運ぶためのかごだそうですけど、りなは大喜び。

 気分転換に隣の池まで行ってきました。道路は凸凹でしたけど、子供たちはかえって大喜び。普段車酔いをするりなでも、この凸凹ならまったく平気でとても楽しそうでした。

池に到着!

後からこのボートで池でいっぱい遊びました。

 夜は、隣の人たちと一緒に夕食をとり、おばちゃんのおばあちゃんの代から残っているサモワールで作った紅茶を飲みながら夜遅くまでおしゃべりをしていました。(写真は、ピロシキを作ってくれた隣人夫婦です)

 「ダーチャはお年寄りと子供が好きな場所。若い人はこうして海外に出る方が色々な国の人と会えるし、楽しいよ」と、

 トルコのビーチで知り合ったロシア人の若者が言っていました。私もなんとなくその通りだと思います。周りを見ていると、40歳ぐらいを過ぎたころからみなさん畑に興味を持ち始めている気がします(40歳はまだまだお年寄りじゃないんですけど・・・)。タチアナもいずれそうなるんじゃないかな?とずっと前から思っています。老後は野菜と孫を育てながらロシアのダーチャで暮らす夢を見るタチアナでした。
http://blog.livedoor.jp/choko_tanya/archives/5504684.html
7. 中川隆[-7782] koaQ7Jey 2021年1月27日 15:48:44 : KVfCcwsIVw : bnlOMm8ya1JXNnM=[4] 報告
ロシア料理の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/495.html
8. 2021年7月01日 08:49:57 : caVDg0Vgtv : Z2wxMGdxVDhidi4=[9] 報告
【ゆっくり解説】実はフランス料理の元になっている!?知られざるロシア料理の底力について
2021/06/30




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